« 河口堰で「好評 ダイビング祭」、木曽川には早くもカモの姿……久しぶりに祝 当選 | トップページ | 川口水門(七里の渡し跡)にダイサギとコガモらしき姿……春日神社の御大典祈念「村正」特別公開についても »

2019年10月 1日 (火)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ

190922kintetsuhikingminamigaoka8 本編の記事が遅れ気味ですが、9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」、その4です。今回でゴールできるかと思って書き始めています。スタートから12.8㎞、自国は12時55分。三渡川(みわたりがわ)を渡ります。ここまでほとんど休憩をしていません。三渡橋(みわたりばし)をわたって、常夜燈。橋を渡ったところは初瀬街道との分岐で道標があるはずなのですが、見つかりません。そのまま市場庄のまち並みへ。ここは、連子格子の昔ながらの家がたくさん残っています。忘井という、斎王ゆかりの旧蹟を見て、近鉄山田線の高架をくぐって、舟木家の長屋門をみて、いよいよゴールへ。

Img_1078c_20190930073701  三渡川を渡りますが、中世に渡しが3ヶ所あったので、この名前がついたそうです。三渡橋を渡ったところが、初瀬街道(はせImg_1094c かいどう)との分岐になります。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ・松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。実際にこのように歩くことで、今まで学んだり、見てきたりした歴史が実際につながっていく気がします。右の写真がその初瀬街道ですが、ここに道標があるはずなのに(伊勢街道のマップ)、いくら探しても見つけられませんでした(苦笑)。いったん少し先まで行ったものの、気になって戻ったのですが分からず。10月5日の「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」でもう一度ここを通るはずですから、リベンジを図ります。

Img_1087c_20190930073701  三渡橋を渡ってすぐ、左手(東側)に常夜燈があります。正面に「両宮/常夜燈」、右に「秋九月造建」、左に「文政元年戊Img_1098c 寅」とあります。文政元(1818)年のもの。伊勢街道には、本当にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。常夜燈を過ぎるとすぐにスタートから13㎞。このあたりからは市場庄のまち並みに入ります。月本追分で奈良街道と、三渡川の南で初瀬街道と合流し、ここからは伊勢参りの人たちで賑わっていたところ。とくにここ市場庄地区の伊勢街道沿いには、妻入り(つまいり)と連子格子(れんじこうし)の町並が残っていて、当時の風情が漂っているのです。

Img_1108c_20190930080701  こちらは、市場庄の町に入ったあたり。今にも降りそうな曇天でしたので、暗い写真になってしまっていて、ちょっと残念。この北の六軒や、松阪では、「平入り」の民家が多いのに対して、市場庄では、おはらい町(伊勢神宮内宮前)と同じく、妻入り民家が多く、今も20軒近くが残っています。

Img_1115c  その先にあった蔵らしい建物。外壁がトタン板張りになっていますが、かなり古そうです。Img_1117c_20190930080801さびた途端にも味がある感じ。入り口には、「米銀(よねぎん)跡」と書かれています。こちらのマップによれば、「味噌・醤油の米本銀蔵倉庫」の跡でした。蔵の前にコンクリート製の水桶が3つ。リンク先のマップ、大変興味深いもの。10月5日にはこれをプリントしてもって行かなくっちゃ。

Img_1123c

 このお宅は、妻入り、連子格子の典型的な建物。神楽寺の西の三叉路に面しています。上のマップによれば、「道十(どうじゅう」という茶道具商だったところと思います。マップにあった説明に、「『六軒茶屋まで送りましょう……』とはお伊勢参りの旅人と、うたかたに親しんだ遊女がその別れを惜しみ伊勢音頭の一節として歌ったもの」とあります。さもありなんと思わせる、情緒あふれるまち並みです。

Img_1129c  さて、この道十の向かいにある蔵のところに道標があります。この道標は、米の庄神社への分岐点であり、「忘井之道」と刻Img_1131c_20190930080801 まれています。宝暦元(1751)年に建てられたもの。「忘井」はこの道標から100mほど東にあります。斎王に関わる旧蹟。これも必見。

Img_1137c_20190930080801  こちらがその忘井のあるところ。ちょっとした林になっています。林に向かって左手に「忘Img_1139c_20190930080801 井」。「忘井」とは、「忘れて捨てられた井戸」という意味なのですが、ここは、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集に載っているそうです)。 官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。下に斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトにリンクを張ってありますので、そちらでご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。斎王一覧はこちらの斎宮歴史博物館のサイトにあります。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。

Img_1145c_20190930080801  忘井のそばには、この石碑が建っていました。上記の官女甲斐の和歌が刻まれているように思うのですが、はっきりとは読めImg_1150c ません(こちらの記述からすると、たぶん間違いないように思います)。また、山の神もありました。6月の近鉄ハイキングで斎宮に行き、斎宮歴史博物館などで斎王について学びましたので(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、この「忘井」には何となく親しみを覚えました。ただ、天気もよくないためか、ハイキング参加者で立ち寄る人はきわめて少数で、ちょっと残念。

Img_1166c_20190930193801  何となく先を急いでしまい、 護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)には立ち寄って来ませんでした。曹洞Img_1169c_20190930193801 宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。境内には、村の入り口にあったという庚申塔と、青面金剛像があるそうです。その神楽寺の境内の一部と思われるところに市場公会所があります。大正7(1918)年に建てられ、昭和30(1955)年まで米ノ庄村役場として利用されていました。外壁が下見板張り寄棟造桟瓦葺平屋建で、正面中央に切妻造起り屋根(むくりやね)の玄関が組み合わされています。建物の門前には、石製の門柱が立てられており、いかにも役場という雰囲気を感じさせます。現在は、公会所として利用されています。

Img_1170c_20190930193801  市場庄公会所の前には、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱があります。現在の上皇陛下がお生まれになったときにたぶん、記念植樹をしたのでしょう。石柱の周囲にある木がそれではないかと思います。

Img_1186c_20190930202401  市場庄公会所の先でスタートから14㎞。もちろんこの時点では14㎞も歩いてきたことは分かっていません。Img_1199c ただただ「かなり歩いたな」と思っているだけ。公会所の先で近鉄山田線の高架を潜ります。いよいよゴールの近鉄山田線・松ヶ崎駅も近くなった感じ。高架の先にお地蔵様。詳しいことは分かりません。

Img_1195c_20190930202401  地蔵様と近くに市場庄のまち並みを紹介する大きな案内板。「格子後の町並み案内~伊勢街道 久米-市場庄-六軒~」とあります。このマップにあるものとほぼ同じ内容を案内板にしたものでした。

190922kintetsuhikingminamigaoka9  実測ルートマップもこれで最後、その9です。近鉄山田線を潜るところで14.5㎞。結果から見ると、残り1㎞あまり。その先、14.8㎞あたりで伊勢街道は左折し、すぐ右折します。そこに行者堂など。コースマップでは、このあとゴールの松ヶ崎駅までに舟木屋の長屋門を見るだけです。

Img_1212c_20190930202401  14.8㎞のところに庚申堂、行者堂、山の神、道標と常夜燈が並んでいImg_1215c_20190930205101 ます。向かってもっとも左には庚申堂。お堂の内部には、赤い文字で「庚申」と刻まれた自然石が納められていました。

Img_1219c_20190930205101  その向かって右が行者堂。石造の役行者Img_1223c が祀られています。脇にある木札には、「○○同時蔵王○」とありましたが、詳細は不明。

Img_1224c  その右手に山の神が2基。山の神のさらに右手には、「いおちかんのん道標」が建っています。伊勢街道のマップには、「瑞Img_1226c 龍寺の南辻。松阪市岩内への近道を示す」とあります。松阪市岩内町には、瑞巌寺という寺があり、そこのご本尊は石仏十一面観音菩薩ですから、「いおちかんのん」はこれをさしているのでしょう。瑞巌寺までは、ここから西へ直線距離で6㎞弱。瑞龍寺は不明。

Img_1228c_20190930205101  常夜燈。嘉永5(1853)年に江戸日本橋の人が建立したといいます。伊勢街道のマップには、もう一つ道標があると書かれていましたが、見当たりませんでした。その道標は花崗岩製で、「左さんくう道」と赤字で彫られているとあります。

Img_1233c  15㎞のわずか手前に中道公会堂。これもけっこう古そうな建物でしたが、ネットでは検索Img_1237c してもとくに情報は出て来ません。この公会所の敷地内に「太田雅城翁頌徳碑」があります。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。碑陰はかなり不鮮明になっていて読めません。ネットでもこれという情報はありませんでした。

Img_1246c_20190930211101  中道公会堂の先でスタートから15㎞。この先に舟木屋の長屋門があります。舟木家は、南Img_1249c_20190930211101 北朝から室町・江戸時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。

Img_1263c  舟木屋の長屋門の先には、慈眼山寿栄院柳福寺(じげんざん じゅえいいん りゅうふくじ)。 浄土宗のお寺で、御本尊は、 Img_1270c 阿弥陀如来。ただし、この写真を撮っただけで、お参りはしていません。先を急いでしまったのです。この先でまた伊勢街道は、枡形を描くように、左折、右折を繰り返します。そこに庚申堂。ここにも、赤い色で描かれた「文字庚申」が収まっていました。この庚申堂の南には、白川稲荷がありましたが、ここもパス。

Img_1277c  庚申堂の先で大きく左折。松ヶ崎駅までは、200m足らず。心理学の知見では、ゴール間近になると「終末Img_1279c_20190930211101 努力」をするということが知られています。あそこがゴールだと思うと、足の運びも早めになります。この高架橋を潜った先の左手に松ヶ崎駅があります。ゴールしたのは、13時45分。しかし、その直前、伊勢中川行きの普通電車が、駅横の踏切にやって来てしまい、これには乗れず仕舞い(右の写真)。

Img_1305c_20190930211101  タッチの差で13時44分発の電車には乗れなかったものの、13時45分に無事にゴール。雨に降られる前にと思って、スタートからは15.6Img_1288c_20190930213701 ㎞をほとんど休みなしで歩いてきました(コンビニに寄ったのと、途中の立ち寄り先でペットボトルのお茶を飲んだくらい)。4時間5分を要しました。ゴール直前からまた雨が降り始め、慌てたため駅舎の写真を撮り忘れて改札内に入ってしまいました(苦笑)。しかし、ゴール記念のマグネットはしっかりゲット。これで8個目をコンプリート。デザインは、島貫の常夜燈。

Img_1298c_20190930211101  松ヶ崎駅には普通電車しか止まりません。次の伊勢中川行き普通電車は、14時14分で、30分待ちという有様。ホームのベンImg_1295c_20190930211101 チが空いていたので、そこで昼食。今日は、ファミマの助六寿司(税込¥398)。天気が悪くて、食べるところがあまりないかと思って、助六にしました。

Img_1310c  お昼を食べ、14時14分発の伊勢中川行きの普通電車に乗車。伊勢中川には14時20分に着いて、名古屋行き急行(14時23分発)に乗り換え。どちらも座れて楽チン。桑名には15時22分着。¥940。伊勢中川の向こうからとなると、料金が跳ね上がる気がします(苦笑)。今日は、土産はありません。買い物をするところに立ち寄るコースになっていませんでしたし、雨に降られまいとひたすら歩いてということ(笑)。

Img_1328c_20190930214201  ALKOOのデータは、29,143歩でした。ハイキング翌朝にチェックした生活リズムのデータは右の写真の通り。歩数は、ほぼImg_1334c_20190930214201    同じく29,264歩でした。「朝型のチータタイプ」に認定。「チータタイプ」が何をさすのか、今イチ不明ですが……。

Img_0600c_20190930214201  あみま倶楽部のスタンプは、この日で26個目。何とか40個に達したいと思うのですが、これまでの実績からすると、微妙かも。

 ちなみに、この日歩いた距離と歩数は、過去最高レベルでした。今年1月27日にJRさわやかウォーキングで伊勢神宮にお参りに行ったとき(20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))、15.5㎞、27,351歩を記録。さらに、3月2日の近鉄ハイキング(20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)では15.6㎞、30,417歩でした。距離、歩数とも測定誤差がありますから、細かい数字にこだわる意味はありません。これらと匹敵する長丁場を歩いたということ。しかし、まぁ、たくさん歩けばよいということでもありませんから、ホドホドにしておかないと(苦笑)。

|

« 河口堰で「好評 ダイビング祭」、木曽川には早くもカモの姿……久しぶりに祝 当選 | トップページ | 川口水門(七里の渡し跡)にダイサギとコガモらしき姿……春日神社の御大典祈念「村正」特別公開についても »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

地蔵」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 河口堰で「好評 ダイビング祭」、木曽川には早くもカモの姿……久しぶりに祝 当選 | トップページ | 川口水門(七里の渡し跡)にダイサギとコガモらしき姿……春日神社の御大典祈念「村正」特別公開についても »