« 20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その1)……多度駅を出発して、鯉料理・大黒屋、清めの池を見て、多度稲荷神社、多度観音寺から多度大社前で道路元標を発見 | トップページ | 20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編) »

2019年9月16日 (月)

20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その2)……多度大社、そして「オクトーバーフェスト」の謎も解明

190914kintetsuhikingtado1 9月14日の近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」のその2です。その1では、多度駅をスタートして、大黒屋、清めの池、多度稲荷神社、多度観音堂、道路元標を見て来ました。いよいよ多度大社ですが、その前に。ブロ友のミリオンさんのコメントで、この「オクトーバーフェスト(OKTOBERFEST;ドイツ語)」の意味が分かりました。「オクトーバーフェストとは、毎年秋にドイツ・ミュンヘンで開催、200年以上の歴史を持つ世界最大のビールのお祭りです。9月半ばから10月上旬の16日間、会場となるテレージエンウィーゼ広場にはドイツ国内だけでなく世界中から600万人以上の人々が訪れます」なのだそうです(こちら、名古屋オクトーバーフェストのサイトを参照ください)。いやぁ、やはり知らないことがたくさんあります。ミリオンさん、ありがとうございました。

Img_9490c  さて、多度大社までやって来ました。去年4月28日に続いて2回目の参拝。桑名在住27年目にして2回(苦笑)。「神社はワンダーランド」などといいながら、不信心であります。去年の近鉄ハイキングで来たとき(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))、しっかり見て回ったと思ったのですが、後から調べると、摂社・末社でも見落としがありましたし、芭蕉の句碑などほとんど意識していませんでした(苦笑)。やはり、予習は大切です(爆)。学生たちに偉そうなことはいえません。

Img_9503c  多度大社に到着したのは、10時10分。スタートの多度駅からは1.7㎞。ここはなかなかよい感じの神社で、気に入っていまImg_9570c_20190915203001 す。式内社(名神大社(みょうじんたいしゃ))で、旧社格も最高ランクの国幣大社(こくへいたいしゃ)。左の写真は、摂社の新宮社と参集殿、儀式殿。右の写真は、於葺門(おぶきもん)。この門を潜ると、本殿の神域に入ります。気持ちが改まり、厳かな雰囲気になります。

Img_9586c  主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第3子)(左の写真が拝殿)。天津彦根命は、このあたりの豪族・桑Img_9590c 名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われています。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あまのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり(右の写真)、本宮とともに「多度両宮」と称されます。

Img_9626c  社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝わっています。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていました。天平宝字7(763)年、僧・満願によって神宮寺が創建されています。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬されました。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。中世には国司・北畠氏が保護していたのですが元亀2(1571)年、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失してしまいます。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公により再建されました。

Img_9617c_20190914161801  鳥居に向かって左に、上げ馬神事(多度祭)が行われる「上げ坂」があります。上げ馬神事では、もともと農作の時期やそのImg_9613c_20190914161801 豊凶を占っていました。現在の神事は寛政6(1794)年の大祭御神事規式簿と変わらない形式で受け継がれているといいます。昭和53(1978)年、三重県無形文化財に指定。毎年、5月4・5日に行われ、少年騎手6人が武者姿にて約2mの絶壁を人馬一体となって駆け上がる勇壮な神事です。左の写真がその上げ坂を見上げたところ。かなりの勾配になっています。写っている人物の大きさと比べていただくとその様子がよくお分かりいただけけるかと思います。右の写真は、上げ坂の最後の難所。ほぼ垂直の壁になっています。ここが約2mの高さです。挙げ坂の脇にある建物は、多度祭御殿。歴代の桑名藩主が上げ馬神事を拝観されたところといいます。

Img_9620c_20190915210101  上げ坂の南にご神木があります。クスノキの巨木。このご神木にはいわれがあります。その昔、滝川一益が長島城を修築するとき、家臣の中江清十郎に多度大社の大楠を切り倒して城門を作り替えさせたのですが、完成の祝宴をしているとき、暴風雨が起こり、城門は流され、中江清十郎は溺死。村人は大切な大楠を切り倒されて嘆き悲しんだそうですが、その切り株から芽が出て生育したのが、現在のご神木といいます。

Tadokeidaizu  境内には、摂社・末社合わせて9社があります。去年の近鉄ハイキングでは、お参りしなかったところがありましたので、今日は、境内図(多度大社のサイトからお借りしました)を印刷して持参し、すべて回って来ました。去年お参りしたのは、雨宮八幡社、招魂社、美御前社(うつくしごぜんのやしろ)、神明社、新宮社の5社でした。

Img_9516c_20190915220901  鳥居を潜った正面にあるのが、新宮社(しんぐうしゃ)。御祭神は、天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことさきみたま)、天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことさきみたま)です。幸魂(さきみたま)、小生は知りませんでしたが、神道の一霊四魂(いちれいしこん)という考え方によるもので、人を幸せにする神霊のことだそうです。江戸時代、多度大社が復興される際、両宮の御祭神は美濃国赤坂山より、まず当社に還御になられたといいます。この新宮社は、鳥居を潜った先に御鎮座。まるで神社を守っているかのように見えます。伊勢神宮などにあるような「蕃塀」のような役割をはたいている気がしました。つまり、不浄なものの侵入を防ぐために造られたという感じです(全くの個人的イメージですが)。これも気になります。しかし、多度大社のサイトではそういうことは触れられていないのです。

Img_9507c  新宮社に向かって左手に藤波社。御祭神は、建速須佐之男命(たけImg_9518c はやのすさのおのみこと)、大穴牟遅命(おおあなむちのみこと;大国主神の一名)、少彦名命(すくなひこなのみこと;農業・酒造・医薬・温泉の神)。この右隣に神馬舎(じんめしゃ)であります。生きた神馬、「錦山」号が飼育されています。生きた神馬がいる神社は珍しいと思います。初穂料100円で、人参を与えることができます。多度大社には1,500年前から白馬が棲むといわれています(こちら)。

Img_9522c  藤波社から神馬舎を挟んで、雨宮八幡社。御祭神は、天水分神(アマノミクマリノカミ;水の分配をつかさどる神で、豊作の神として信仰された)、國水分神(クニノミクマリノカミ;水分神、天水分神とともに、豊作の神として信仰されました)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)。古くは水分社と八幡社の二社であったものが、大正6(1917)年に合祀されています。

Img_9528c_20190915212501  手水舎、宝物殿(左の写真)と進んで行くと、右手に白馬舎(はくばしゃ)があります(右の写真)。上に書きましたように、多度大社にImg_9557c は白馬伝説が伝わり、それに因んだ白馬が納められています。馬は、葉が非常に丈夫な動物ということで、これにあやかった「歯ぎしり除けの豆」が頒布されています。去年来たときは、無病息災にも良いということで、初穂料100円を納め、「御神馬の豆」をいただいて来ました。

Img_9561c  白馬舎の斜向かい(西側)には、皇子社(おうじしゃ)。御祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちやはへあめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約をしたときに生まれた神)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと;天照大神と素戔嗚尊が誓約をした際に生まれた五男神の一神。葦原中国(あしはらのなかつくに)に高天原から派遣されたが、復命せず、のちに大国主神(おおくにぬしのかみ)の祭主を命じられた)、活津彦根命(いくつひこねのみこと;素戔嗚尊と天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であると宣言された)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、沖津宮に鎮座するとされる)、多岐津比賣命(たぎつひめのみこと;同じく宗像三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされる)。

Img_9562c_20190915214401  その奥には、招魂社。明治10(1877)年の西南の役以降、出征、戦没された桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県海津郡出身の方々を奉斎しています。創建されたのは、昭和27(1952)年、サンフランシスコ条約発効後だそうです。

Img_9566c_20190915215001  さらに、美御前社(うつくしごぜんのやしろ)。女性の皆様には見逃せないと思います。御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;宗像三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)。耳、口、鼻、のどの諸病や、婦人の帯下の病の治癒、良縁、子授け、安産に御神徳があるといいます。常に美しくありたいと願う女性の参拝が多いそうです。

Img_9574c_20190915215201  そして、於葺門(おぶきもん)の先に神明社。神明社ですので、御祭神は天照大神。伊勢神宮内宮と同じ。神明社の前には、「ご存じですか? お伊勢さんとお多度さんは親子の神様です。両方の御神札をうけ家族の平穏を祈りましょう」という看板があります。

Img_9596c_20190915215801  この先には、本宮と別宮・一目連神社があります。お参りした帰りの参道は、白馬舎の裏手を通ります。ちImg_9599c_20190915215801 ょうど白馬舎の真裏辺りに、御手洗所があります。伊勢神宮・内宮の五十鈴川と同じように、清流・落葉川に設けられています。階段を降りた先が、御手洗所。

Img_9608c_20190915220101  摂社はもう一社あります。参集殿、豊明殿の裏手(東側)にひっそりとあるのが、一挙社(ひとこぶししゃ)。御祭神は、一言主命(ひとことぬしのみこと;大和の葛城山の神で、悪い事も善い事も一言で言い放つ託宣神)。多度大社創立以前に奈良の葛城山中で雄略天皇と出遭ったとされます。現在では、人々の願い事を一言で聞き届ける神と崇められています。この社の脇には古くから清水が湧いていて、この清水は眼病にご加護があるといわれます。一言多いといわれる私には、ご縁のある神様かも(苦笑)。

Img_9488c_20190915220501  末社の最後。予告編でもくどくどと書きましたが、鉾立社(ほこたてしゃ)。御祭神は、天久之比命(あまくしひのみこImg_9628c_20190914161801 と)。Wikipediaによれば、天目一箇神の別名。このお社、右の写真のように、南を向いて拝礼するようになっています。つまり、お社が鳥居や、本宮、別宮に向かって建てられているので、気になります(微笑)。多くの場合、摂社・末社は、本宮と同じ向きか、参道に向かうように建てられているというのが、これまでの経験。はもともと武器ですが、鎌倉時台以降はもっぱら祭祀儀器でした。もちろん、ここでも何かの御神事が行われるのでしょうが、この神社の向きはやはり何か意味があるのだろうと思います。新宮社の位置、意味ともどもますます気になりますが、私の知識では、理解は及びません。詳しい方がいらっしゃれば、是非ともご教示いただければ幸いです。

Img_9549c_20190914161801  さて、去年見落とした最大のものは、芭蕉の句碑でした。これもあらかじめ場所を確認して行きました。「宮人よ我名を散らせ落葉川」という句が刻まれています。碑表には「芭蕉翁」と、句は碑陰に。碑陰にはさらに「勢州楠無三 同抽井東皐 同我蓬」ともあります。説明板によれば、「この句は芭蕉が多度大社に参拝の折に詠める句を没後75年の正当忌に地元の俳人達より落葉塚として 建立されたもの」といいます。多度大社のサイトには、芭蕉が参拝したのは、元禄2(1689)年とあります。また、「芭蕉が多度を訪れた元禄2(1689)年から満80年を経て、明治6(1873)年10月12日の芭蕉忌を卜して恵方庵富無三という人が多度弥勒堂の側に造立した」というのが三重県内の句碑の説明なのですが、これですと年数の計算が合いません(元禄2年から80年後は、西暦では1769年で明和6年。明治と明和を取り違えたのか?)。多度大社のサイトの説明では、「野ざらし紀行のとき、多度を訪れて詠んだ」といいます。芭蕉の野ざらし紀行は、貞享元(1684)年8月、門人千里を伴って江戸深川を出発、東海道を上り、伊勢、伊賀上野、大和、吉野、山城、近江、大垣から桑名に来ています。中村俊定校注『芭蕉俳句集』(岩波文庫)によれば、貞享元(1684)年の句だといいます(こちらのブログ)。以上からすると、この句が詠まれたのは貞享元年の可能性が高く、それは野ざらし紀行のときと思われます。となると、三重県内の句碑の説明は、アヤシいように思えます。ちなみに、その三重県内の句碑の説明では、建立されたのは、昭和6(1931)年10月。謎は解決されませんが(こんかいは、そんなことばかり)、取り敢えずは芭蕉の句碑を確認して満足。しかし、説明というのは、複数確認してみる必要があります。改めて認識した次第。

Img_9518c  多度大社のその他。神馬の錦山号。初穂料¥100で、エサの人参が与えられるのですが、けっこうな人気でした。白馬伝説に因んでいます。余談ですが、散歩友達のWさんが、「多度大社の神馬は、人参を見せて、回れと指示すると、神馬舎(じんめしゃ)の中でくるっと回る」という話をしていました。罰が当たるといけませんので、確かめてみたりはしていません(微笑)。

Img_9541c  芭蕉のものとは別の句碑。俳人・右城暮石(ウシロ ボセキ;明治32(1899)~平成7(1995)年)の「上げ馬をあげしどよめき多度祭」という句が刻まれています。宝物殿の裏手(北側)。暮石は、大正・昭和期の俳人、「運河」主宰。昭和60(1985)年10月に建立。

Img_9545c  暮石の句碑の傍ら(東)には、歌碑らしきものがあります。しかし、説明も何もなく、私にはこういうくずし字を読む力もなく、ネットで調べても情報は出てこず、不明。不明ばかり。

Img_9630c_20190914161801  ということで謎をいくつも残しつつ、多度大社を出たのが10時35分。門前には昔から何軒もの土産物屋、料理屋が並んでいます。今回は、そのうち丸繁という和菓子、土産物屋さんが立ち寄りスポットになっています。創業150年、現在は7代目とか。多度土産には、八壷豆(やつぼまめ)、紅梅焼(こうばいやき)、多度ういろなどが昔からあります。しかし、ここでしか買えないものではなく、散歩コースにある寺町商店街の「町の駅」でも売っているのです。ですから、ここで買って、我が家まで運ぶ必要はありません(微笑)。桑名名物のアイス饅頭もありましたが、これも製造販売しているお店(マルマン)も散歩コースにありますし、住吉浦休憩所でも買えるのです。それに下手に食べて、歯が欠けると困りますし(2016年7月11日 :猛暑日、九華公園にアオサギ登場……アイスまんじゅうで歯を痛めた話も(苦笑))、この先細川酒造でビールを飲まねばなりませんから、ここは我慢。

 大変長くなりましたので、その2は、多度大社のみにて。

|

« 20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その1)……多度駅を出発して、鯉料理・大黒屋、清めの池を見て、多度稲荷神社、多度観音寺から多度大社前で道路元標を発見 | トップページ | 20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

こころんさん、ありがとうございます。

今昔マップはなかなか面白いサイトです。
自分が住んでいる辺りなどを見るといいかもしれません。

「参道」の位置づけが今と昔とでは異なったかも知れませんが、私としてはやはり、なぜ境内を外れているのかなど、気になってしまいます。
機会があれば、多度大社で伺ってみたい気がします。

投稿: mamekichi | 2019年9月17日 (火) 19時37分

ありがとうございます
このようなサイトがあるんですね。
勉強になります。
道はあったとして鳥居の外で神社敷地の外のような位置ですもんね。
本宮でも親子で向き合うような配置ですし
天津彦根命の方に向ける意味があるのか方角の北に向ける意味があるのか…。
神様は答えてくれませんから謎ですね^^;
8月18日が鉾立社の例大祭のようですね。

投稿: こころん | 2019年9月17日 (火) 17時33分

こころんさん、追記です。

今昔マップは、次がトップページです:
http://ktgis.net/kjmapw/index.html

投稿: mamekichi | 2019年9月17日 (火) 16時19分

こころんさん、こんにちは。

こころんさんのご意見を参考に「今昔マップ」というサイトで、現在のものと明治24年測図の地図とを比較してみました(ネットで検索すると見られます)。

http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.133150&lng=136.624201&zoom=17&dataset=chukyo&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

実際にご覧いただいた方がよくお分かりいただけますが、昔の道は、多度駅から来る道が紅葉屋さんのところで、カーブするのでなく、ほぼ直角に曲がっています。
また、現在の「多度大社前」交差点に向かう道はまだ整備されていません。
多度稲荷神社の西にある常夜燈と鳥居を通って、鉾立社のところで右折して、多度神社の境内に向かうというのが、正式な参道であったと考えられますね。
そうするとおっしゃるように、鉾立社は参道に向かって建っていたとなります。

私はその上で、なぜ鉾立社だけ、境内から外れてここにポツンと建っているのには、何か意味があるのかないのか、気になってしまいます。

投稿: mamekichi | 2019年9月17日 (火) 16時18分

おはようございます
ちょっと考えてみました。
グーグルマップを見ると今は紅葉屋さんの前から曲線カーブですが
昔は紅葉屋さんの前から鉾立社まで道が直線で
直角に曲ってたのではないでしょうか?
地図を見るとどうも真っ直ぐだった感じがします。
昔だから曲線より直角の道のほうが多いでしょうし。
それで鉾立社が参道に沿って参道の内側を向いて建てられてたのが
新しく曲線の道ができて鉾立社の後ろを通るようになったので
今のような感じになったのかなあと思いました^^;。
仮説です^^;

投稿: こころん | 2019年9月17日 (火) 07時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その1)……多度駅を出発して、鯉料理・大黒屋、清めの池を見て、多度稲荷神社、多度観音寺から多度大社前で道路元標を発見 | トップページ | 20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編) »