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2019年9月10日 (火)

20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ

 9月7日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」のその1です。この日は、近鉄名古屋線・津駅から同じく名古屋線・南が丘駅まで、コースマップ上は8.4㎞。津の天気をアメダスで見たら、最高気温は31.1℃ (14:34)でしたが、湿度が高い感じで、蒸し暑く疲れました。この日もMさんと二人で参加してきました。

Img_8311c  受付は、近鉄津駅(津駅西口)で9時半から11時ということでしたから、Mさんと桑名駅で8時50分に待ち合わせ。9時1分発のImg_8313c 五十鈴川行き急行に乗車し、津駅には、9時46分着。¥690。前回と同じく、受付開始から15分以上経っていますので、空いていました。受付を済ませて、コースマップをざっと確認して、9時55分にスタート。余談ですが、駅への入り口の背景に移っているビルは、「アスト津」。「明日都・津」だそうです。ホテル、公共施設、飲食店、さまざまなショップが入っているそうですが、まだ行ったことはありません。さらなる余談。前回、津駅にゴールしたときは、東口から地下道を通るルートだったのですが、この日は、駅の南にある横断歩道橋(線路の上を横断します)を通りました(右の写真)。初めての経験。

Img_8301c_20190907192901  こちらがコースマップ。今回もB4両面。津駅西口をスタートし、横断歩道橋を渡って津駅の東側へ。国道23号線の手前の信号Img_8304c を右折、伊勢街道に出て、まずは四天王寺へ。ここは、津で最古の寺。ついで、日本三大観音の一つといわれる津観音寺。ここは大門商店街の北の端。大門商店街辺りで、平治煎餅本店と、とらや本家の2軒のお菓子屋さんに立ち寄ります。岩田川にかかる観音橋を渡って、南へ。いつぞや訪ねたことがある、真教寺(閻魔堂)と市杵島姫神社から、神明神社、山二造酢、松源寺の地蔵堂を見て、香良洲道との追分にある思案橋へ。ここでは、いったい何を思案するのか? 垂水南の交差点で国道23号線を渡り、南が丘の住宅団地を通って、名古屋線・南が丘駅がゴール。コースマップでは、約8.4㎞。

190907kintetsuhikingtsu1  実際に歩いた実測ルートマップその1です。四天王寺は、津駅をスタートして1㎞あまりのところにあります。四天王寺に至るまでにお寺が3ヶ所ありました。善徳寺、初馬寺、心覚寺です。国道23号線の1本西の道を南に向いて歩いて行きました。

Img_8324c 寿福山善徳寺(じゅふくさんぜんとくじ)、真宗高田派のお寺。開基は、無碍光院善明ということで、開山以来400年近く経ていると思われます。しかし、この善明と寺の沿革の詳細は不明。というのも、宝暦11(1761)年秋と明治16(1883)年3月と2度にわたって火災に遭い、資料が残っていないそうです。本堂は、明治42(1909)年10月に再建されています。

Img_8326c  善徳寺の西に大きなお寺が見えます。馬寶山蓮光院初馬寺(れんこういん はつうまでら)。真言宗御室寺派のお寺。聖徳太子が厄除け・病気平癒のため開創したという伝承をもち、通称「津の初午さん」。三重四国八十八箇所第64番札所。本尊は馬頭観音。聖徳太子が、42歳の厄年の時(614年)、東の四天王寺建立を発願され、この伊勢の地に来られたのですが、太子自身が急病に罹るとともに、母と妃も病気だという知らせが都から来ます。師であった高麗の僧・慧慈に尋ね、一刀三礼厄除け観音を彫刻し、鬼門の方に草堂を結んで安置し「馬宝山観音寺」と称したといいます。これらが効を奏し、7日後には三人揃って全快され、伽藍の工事も無事に進んで竣工の日を迎えた。その日は推古天皇の26戌寅年(618年)三月の初午の日にあたり、馬頭観音はこの寺の本尊として安置されました。

Img_8329c_20190909122601  近世に至り、元和3(1617)年、国家鎮護の道場に当てられ、その後間もなく津藩主・藤堂高虎公の晩年に藤堂家守護の祈願所になりました。二代藩主・高次公は現在の地に堂宇を建立(寛文12(1672)年に完成)。藤堂家の除災修法寺に当てられました。さらに、延宝8(1680)年、三代藩主・高久公から「初馬寺」なる額を寄進されています。昭和20(1945)年6月26日、太平洋戦争の津空襲で破壊され、27(1947)年、30(1955)年に国宝仏を修理及び奉安庫、昭和51(1976)年に本堂が再建され、今日に至っています。と書きましたが、初馬寺については予習を怠り、これを書きながら調べました。こんな由緒あるお寺なら、もっと丁寧に見てくればよかった(苦笑)。

Img_8331c  スタートからほぼ700m、東側に心覚寺。真宗高田派。ここも後からネットで検索してみましたが、これという情報は出て来Img_8335c ません。左の写真は、このあたりから四天王寺に向かう伊勢街道の様子。突き当たりは安濃川になりますが、その手前に四天王寺があります。四天王寺は、前から一度訪ねてみたかったお寺です。

Img_8338c_20190907193001  四天王寺であります。山号は、塔世山(とうせざん)。曹洞宗の中本山。推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられています。用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れたため、太子は四天王尊像を刻み、勝利すれば寺塔を建立するという誓願をたてました。その結果、守屋の軍を破ることができたので、誓願どおり四つの四天王寺を建立し、その一つがこの寺とされています。しかし、度重なる兵火によって焼失を繰り返し、はっきりしたことは分かっていません。安濃津歴史ガイドの方は、ここは東の四天王寺で、大阪にある四天王寺は、「西の四天王寺」だとおっしゃっていました。写真の山門は、市の有形文化財。全体に使われている木が太く、高さもあり、均整のとれた美しい姿です。この形に再建されたのは、寛永18(1646)年、二代藩主・高次公の時代。

Img_8347c  こちらは、山門を潜って本堂に至る途中にある門。この門もなかなか歴史のありそうな、立派な門です。右の写真は、本堂。Img_8352c_20190907195901 昭和20(1945)年、戦災で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建されたといいますので、左の門が中雀門でしょうか。

Img_8354c_20190909133601  近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1,000年以上の歴史があり、平安時代にはこの地方でもっとも繁栄した寺院であったといいます。その後、上記のように度重なる兵火で焼失と再興を繰り返しましたが、元和5(1619)年に津に入城した藤堂高虎公が改築、二代藩主・高次公が寛永14(1637)年に寺領を寄進し、寺勢を取り戻しています。写真は、境内絵図。現在でもかなり広い敷地ですが、平安時代にはもっと広かったのでしょう。寺には、聖徳太子像(鎌倉時代、絹本着色、112×39.5cm)、薬師如来像(像高65cm、一木割矧造、彫眼、漆箔)、藤堂高虎、同夫人像(江戸時代、絹本着色)といった重要文化財があります。こちらをご覧ください。

 境内には藤堂高虎夫人・久芳院(きゅうほういん)の墓の他、織田信長生母の墓、斎藤拙堂らの学者・文人の墓、幕末の写真家であり、藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎らの墓があります。 さらに、芭焦翁文塚や詩文に関係深い碑も数多くあります。

Img_8364c_20190907193001  まずこちらは、藤堂高虎の夫人・久芳院の墓。高虎の正室・久芳夫人は、大坂夏の陣の翌元和2(1616)年8月20日、高虎の留守を守る津城で亡くなり、ここ四天王寺に葬られています。内助に徹したその生涯を偲び、肖像画とともに、菩提供養に思いのこもった高虎の文書が残っているそうです。久芳院は、一色義直の娘といわれています。

Img_8358c  これは、花屋寿栄禅尼(かおくじゅえいぜんに)こと、織田信長信包の生母の墓。信長、信包の生母は土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、生年不詳~文禄3(1594)年)。その墓が津にあるのは不思議に思えます。本能寺の変で信長と孫の信忠が自害した後は、孫の信雄の庇護のもとにありましたが、天正18(1590)年の信雄の改易後は、伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、ここで亡くなったのです。

Img_8426c_20190909171401  さらに、こちらは、斎藤拙堂(寛政9(1797)~慶応元(1865)年)の墓。斎藤拙堂は、江戸後期の儒者で、津藩藩校・有造館設立の際、12代藩主・藤堂高兌(たかさわ)公により学職に抜擢され、藩校の発展に尽くしました。督学(高長)も務め、偕楽公園には「拙堂斎藤先生碑」があります(2019年5月23日:20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)。

Img_8432c_20190909171401  拙堂の墓の近くには、幕末の写真家であり、藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎(ほりえくわじろう、天保2(1831)~慶応2(1866)年)の墓もあります。堀江は津藩士で、藩校・有造館の化学教師。日本写真術の祖の一人。上野彦馬(後に坂本龍馬を撮影)を有造館に招聘し、ともに化学の教科書「舎密局必携(せいみきょくひっけい)」を出版しています。上野彦馬ほど有名ではありませんが、それは彼が早世してしまったためと思われます。実は、斎藤拙堂と堀江鍬次郎の墓はすっかり失念していて、次へ行こうとして、山門のところでたまたま安濃津歴史ガイドの方と話をしていたら、この二人の墓もあると聞いて、引き返してお参りしてきた次第。珍道中であること間違いなし(苦笑)。

Img_8393c  文学関係の碑なども見ておきます。こちらは、「芭蕉翁文塚」。元文2(1737)年に津の俳人菊池二日坊 (ふつかぼう)が翁を偲んで建てたものです。追善のためのもので、「文塚」とはいえ、ここに何かが埋められたということではないそうです。芭蕉翁文塚の裏には芭蕉の略歴と由来が記されています。

Img_8394c  芭蕉の文塚に向かって左手には、その二日坊の「杖塚」もあります(右の写真)。碑表には「二日坊杖塚」、碑の左右には「聞たいも病むひとつなり時鳥」(右)「初雪や頂いて行く路て行」(左)の句が刻まれています。碑陰には「君姓菊池名宗雨稱揚立 号二日坊晩号帰旧法子 安永四年乙未五月廿三日死 年六十五 坐秋建之」とあります。建立者は不明。ちなみに、二日坊とは、医術の修行に出たものの、2日で帰ってきたからだというのは、安濃津歴史ガイドの方のお話しでした。

Img_8390c_20190909133701  芭蕉翁文塚、二日坊杖塚の西には、いくつかの石碑が並んでいます。これらは説明もなく、ネット検索でも情報は出て来ません。碑文を見ると、もっとも左のものは、「濱翁秀荻居士」とあり、法名が刻まれていますので、お墓のように思われます。その向かって右にあるものには「櫻木?山先生之寿碑」とあるように読めますが、不明。さらに「舞踊師匠 初代 篠塚力寿碑」という明治45(1912)年7月に建てられた碑。「篠塚力寿(しのづかりきじゅ;本名、後藤りき)は京都祇園の生れ。父に伴われ天保14(1843)年頃(17歳のとき)、名古屋に来たといい、篠塚流を以て名古屋の花柳界舞踊を風靡した一人だといいます(こちら)。もっとも右にあるのは、「大津京臣翁碑」と読めますが、これまた不明。

Img_8419c  こちらは、大橋裸木(おおはしらぼく)句碑。裸木の句碑は県下で唯一です。昭和8(1933)年に建碑されたのですが、当初の位置より少し移動していると云われています。「臥所の上山が晴れるばかし山の蔦」とあります。大橋裸木(明治23(1890)年~昭和8(1933))は、明治〜昭和期の俳人、大阪出身。裸木亡き後、俳句結社層雲の同人たちが集まって、裸木が当時詠んだ句を刻み、故人を偲んだもの。碑表には上記の句。碑陰には、「裸木は大橋氏。 大阪の人。東京に出て雑誌記者たり。少壮より佳什多し、病を得て津に住む。京都に移り昭和八年八月八日歿す。享年四十四也。今層雲同人の志聚りて此碑成る。 昭和八年十二」とあります。

Img_8386c_20190909133701  芭蕉翁文塚などがあるところの側には、お地蔵様がたくさんおられました。中央に大きなお地蔵様がいらっしゃり、その周りにはかなり風化してしまった地蔵が並んでいます。ここには、北向地蔵、目洗地蔵(久芳院などの墓に行くところにあったのに!)などがあるのですが、それらは見逃してしまいました。ということで、他にもまだいろいろとあるのですが、四天王寺については、ここまで。

Img_8341c  余談。同行のMさんから、前回、「お寺には、なぜ○○寺という名前の他に△△山というのがあるんだ?」という宿題をいただいていました。「山号(さんごう)」といいますが、調べたところ、「寺院の名前の上に付ける称号」で、「もと、寺は多く山に建てられたため、その山の名でよばれたが、のちに平地の寺にも用いるようになった」ということでした。

Img_8444c  四天王寺を出たのが、10時45分を過ぎた頃。30分ほど滞在。四天王寺を出て南へ。すぐに安濃川に至り、塔世橋(とうせばし)を渡ります。最初の橋は江戸時代に土橋として架けられ、10~15年周期で架け替えられていたそうです。明治11(1878)年に板橋となりました。昭和20(1945)年7月24日の空襲で被弾市、その後の架け替え工事のとき、弾痕のある欄干が戦災遺跡として残されました(こちら)。

 長くなりましたので、その1はここまで。

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