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2019年9月27日 (金)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その2)……玉造院、明治天皇島貫御小休所跡碑、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館を経て、金剛寺近くにある胎蔵界大日如来にお参り

190922kintetsuhikingminamigaoka3  9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」のその2となります。その1では、近鉄名古屋線・南が丘駅を出発して、高茶屋神社まで来ました。スタートから約4㎞、神社を出たところで10時40分くらいです。マップ上14㎞のコースですから、まだ1/3も来ていません。実測ルートマップは、その3になります。JR紀勢線・高茶屋駅の西を南に下って行きます。

Img_0748c_20190926071701  高茶屋駅を過ぎると国道165号線の高架を潜ります。高架の上の国道はクルマで走ったことがあります。高架Img_0752c の先にJR紀勢線の踏切。紀勢線は、亀山から津までは乗ったことがありますが、このあたりは知らないところ。

Img_0760c  スタートからほぼ5.3㎞、龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池Img_0763c_20190926190101 田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。実はノーマークでした(苦笑)。みえの歴史街道(伊勢街道)のルートマップにも特に説明がなかったのです。その上、立ち寄ったら大混雑。よく見たら、近鉄ハイキングの参加者だけでなく、“Suzuka Citizen Walking Club”と書かれたユニフォームを着た方、多数。ここを休憩所に使っていらしたようです。境内には八十八所の石仏が並んでいるのだそうですが、早々に出て来てしまいました(苦笑、最近、人混みはあまり得意ではないのです)。

Img_0767c  本堂の前にあった、この「撫で石」だけ撫でてきました。「悩みや妬みがあるとイライラが募ってきたり、きついことばを知人や周りの人に使ったりしていませんか? 『撫で石』をさわって角のない、丸い艶のある自分に戻ってみませんか」とあったのです。

Img_0771c  玉造院から南へ100mあまりの所、西側に少し入って「社跡」を見てきました。ここは、みえの歴史街道(伊勢街道)のルートマップにあったのです。写真は、ちょっとピンぼけですが、集落の両側の入口から移設した山ノ神が4基ありました。こうしてみると、昔はあちこちに山の神様が祀られていたのだということがよく分かります。

Img_0773c  社跡を見て、また伊勢街道に戻ります。このあたりは田園地帯。稲刈りはまだでした。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらImg_0776c いです。この時点では、かなり厚い雲がかかってはいましたが、雨は降っていません。

190922kintetsuhikingminamigaoka4  6㎞を過ぎて津市雲出市民館前を通過。実測ルートマップは、その4。市民館の南に圃場整備事業記念碑や、「長谷川君彰功碑」と読める碑がありましたが、ネットでは詳細が分かりませんでしたので、割愛。雲出川に近づいてきました。

Img_0782c  ただ、一つ気になるラーメン屋さんらしき店がありました。車が2台止まっている奥にある店です。「長崎屋」という小さい看板が見えますが、その看板があるところは、かつては屋台であったように見えるのです。食べログにも載っている店でした(こちら)。「昭和ラーメンの代名詞」といったコメントがあり、ワンコインで食べられるようでした。ハイキングで歩いていなければ立ち寄ればよかったかも。

Img_0811c  スタートから6.7㎞ほど、円福寺というお寺の近くに「明治天皇島貫御小休所跡碑」があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完)))。

Img_0817c_20190926195101  明治天皇の御小休所跡のすぐ先、円福寺の参道入り口に道標。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_0832c  この道標を過ぎると雲出川に行き当たります。右折して(西へ)堤防に上がり、7㎞を過ぎた、雲出橋のたもと(北側)に島貫の常夜燈があります。正面には「奉献」と、裏には「天保五年甲午三月建」とあります。天保元(1830)年におかげ参りが流行しましたが、その旅人の安全や神宮への祈願を込めて建てられたと思われます。上でも少し触れましたが、島貫は伊勢街道の宿場で栄えたところでした。昭和の初めまでは旅籠も何軒か残っていたのですが、参宮鉄道が敷設された頃から寂れてしまいました。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さは4.6mという立派なもの。この近くの毘沙門堂には、「島貫の松」があったのですが、伊勢湾台風の後、枯れてしまい、現在は碑が残っているそうです。

Img_0842c  雲出橋雲出川を渡ります。スタートから7.2㎞、時刻は11時20分頃。雲出川は、三重・奈良両県の県境から伊勢平野を抜Img_0856c け、津市香良洲(からす)町で伊勢湾に注ぐ、全長 63kmの川。このあたり、かなり川幅が広く、500mくらいありそう。橋の下流には、ダイサギが1羽。川の中を歩いて、獲物を探していました。が、今日はゆっくり見ている余裕はなし(苦笑)。

Img_0861c  雲出橋を渡ったところ、右側(西側)には「小野古江渡跡(おののふるえのわたりあと)」があります。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。慶長19(1614)年頃までは川越場からJんばによって川越をしていたといいます。江戸時代のおかげ参りでは、全国から多いときには500万人もの人が往来したそうです。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(上記のリンク参照。現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。

Img_0869c  小野古江渡跡から道を挟んだ向かいにも常夜燈があります。寛政12(1800)年に雲出川の川端に建てられたもので、元はここから200mほど下流にあった伊勢街道の渡し場にありました。平成12(2000)年に雲出橋が新しくなるとき、ここに移設されています。幾度かの大地震で倒れたものの、そのたびに建て直され、近年では昭和19(1944)年の東南海大地震で倒壊し、火袋が補修されました。宮立型という形で、高さは4.7m、花崗岩製。この常夜燈の西面には「常夜燈」、東面には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」、北面に「京都○講大坂屋藤七(○の部分は、○に漢数字の一)」、さらに南面には「腰山市左衛門 藤忠三」と刻まれています。寛政12年は1800年。常夜燈を見て、雲出川を下流方向に少し歩いて、堤防から降り、右折します。右折した先でスタートから8㎞。

Img_0885c_20190922201601  8.2㎞、11時40分に松浦武四郎誕生地に到着。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家で、以前からずっと来てみたかったところです。入館料は、通常¥100のところ、ハイキングのマップを呈示し、¥80。内部も拝見してきました。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。

Img_0892c  武四郎が13歳のとき、大きな出来事があったといいます。文政のおかげ参りです。日本の人口が約3,200万人と推定される時代に、1年間に約400万人が伊勢へ参宮したのです。ここ松浦家の前の伊勢街道も多くの旅人が行き交ったのです。武四郎は、参宮客から名所図会に出てくるような土地や道中の話を聞いて、見知らぬ土地への憧れ、旅への思いを募らせたと考えられています。16歳のとき、家出して江戸に行ったといいます(山本命著、松浦武四郎入門、月兎舎)。

Img_0907c  屋根に珍しいものがありました。鬼瓦の所に布袋様。「屋根の上の鍾馗様」は、知っていて、桑名でも時々見かけますが、布Img_0887c 袋様は初めて。ネットで検索すると、布袋様や大黒様などの屋根飾りがあるようです(たとえばこちら)。布袋様は、七福神のお一人。もとは、中国、唐末頃のお坊さん。常に杖と布袋とを持歩き、人の吉凶や晴雨を予知し、尊崇されましたから、福の神として祀られているのかという気がします。

190922kintetsuhikingminamigaoka5  松浦武四郎誕生地からは、松浦武四郎記念館に向かいます。その前に、実測ルートマップその5。尾上小学校の東を通って、8.6㎞ほどのところで右折し、いったん伊勢街道から離れます。松浦武四郎記念館は、小野江のコミュニティセンターに併設されています。ここを見学して9㎞。記念館を出たのは、12時頃。金剛寺、その東にあるお地蔵様のような胎蔵界大日如来を見に行きます。

Img_0932c_20190922201601  こちらが、松浦武四郎記念館。平成6(1994)年に開館。松浦家から松阪市(旧三雲町)Img_0929c に寄贈された武四郎の貴重な資料が収蔵されています。平成20(2008)年には、これら松浦家から寄贈された資料のうち、1,505点が国の重要文化財に指定されました。展示室では、約2ヶ月ごとに資料が入れ替えられ、多彩な分野で活躍し、さまざまな顔を持っている松浦武四郎の姿を紹介されています。

Img_0939c  松浦武四郎については、去年(2018年)9月22日、JRさわやかウォーキングで訪ねた三重県立総合博物館で展覧会を見ていImg_0942c ます(20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】)。このときは、武四郎の生誕200年を記念した展覧会でした(2018年9月25日 :20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館)。この記念館の展示も充実していました。武四郎は、何といっても、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者ですし、「北海道の名付け親」です。北海道踏査だけでなく、幕末の志士・文人たちとも幅広い交友をもち、さらに、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としても魅力あふれる人物です。もう少し本を読むなどして、その人隣や、業績について知りたいと思います。

Img_0955c  松浦武四郎記念館を出て9㎞。伊勢街道に戻って南下。このあたりはすでに松阪市(旧三雲町)。ここで余談一つ。伊勢街道に戻ったあたりで町名表示を見たら、ご覧のようになっていました。松阪市肥留町。何と読むのか? 不思議でした。「こえとめちょう?」などと思っていたのですが、帰宅して調べたら「ひるちょう」だそうです。ちょっと安心しました(微笑)。このあと、風がかなり出てきたり、細かい雨が降ってきたりで、ちょっと難儀をしましたが、本格的には降られず助かりました。

Img_0957c  途中、この「市川庄次郎君之碑」があったのですが、詳細は不明。碑陰の撰文を見ると、明治33(1900)年生まれで、小野江村在郷軍人分会長を務めるなど、地方自治に功労のあった方のようです。碑は、昭和34(1959)年7月に建之。撰文は三雲村長・宇野誠一、碑表は当時の三重県知事・田中覚によるものでした。

Img_0967c  さらにその先、9.3㎞ほどのところにある金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。

Img_0973c  王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山 Img_0976c 門風にしつらえられていました。コウヤマキかと思います(自信はありません)。こういうのは、去年2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。

Img_0979c  見たかったのは、この金剛寺ではなく(失礼)、このすぐ東にある胎蔵界大日如来です。お地蔵様に見えます。大日如来は、Img_0981c 真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされます。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味していると考えられます。

 長くなりましたので、その2はここまで。胎蔵界大日如来でまだ9.3㎞。先はまだまだあります。

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