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2019年5月28日 (火)

20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その2)……道標3基、楳荘翁碑、村社八幡社、甕釜冠地蔵堂、本福寺、尾前神社石碑、丹羽君碑、田中地蔵堂

20190525kintetsuhikingshiroko2  その1では、白子の子安観音寺まで来ました。着いたのは10時半、スタートから2.7㎞。子安観音寺は、近鉄・鼓ヶ浦駅のほど近Isekaidou く。これでもう1駅分歩いてきたことになります。このあたりの伊勢街道、「みえの歴史街道」に2本のルートが書いてあります。1本はこのハイキングで歩いたもの、もう1本は鈴鹿市伝統産業会館から戻ってそのまま直進して、堀切川方面に向かうルートです(右の図参照)。この日は、右の「みえの歴史街道」にある「このあたりは道が狭い」と注記されているところを通りました。

Img_7190c  子安観音寺をで少し進んだあたりの伊勢街道。「みえの歴史街道」に注記されている通り、かなり細くなり、これが伊勢街道か? と思うくらい。実測ルートマップに描いたように、子安観音寺の先で直角に2度、曲がります。ここにそれぞれ道標があります。

Img_7192c_1  まず最初の角にあるのがこちら。金属製の枠が填められ、しかも傾いてしまっています。左の写真は、子安観音寺から歩いてきImg_7196c_1 た、北側から撮ったもの。右の写真は、南側からのもの。北から見ると、「左くわんおん道」「右さんくう道」と刻まれています。「くわんおん」は、子安観音寺。「さんくう道」は伊勢街道(参宮街道ともいいます)。弘化4(1847)年に建てられたもの。

Img_7200c_2  さらにそのすぐ先、民家の前にも道標があります。こちらはかなり小さいもの。「左いせみち」「右くわんおん道」と刻まれています。Img_7203c_1頂上部分と北面にすり減ったくぼみがありますが、これは、伊勢型紙を彫るのに使う砥石をならした跡といわれています。西面は電柱と接触していますので、不明。これら2基の道標は、いずれもい伊勢参宮と、子安観音寺参詣のための道標。

Img_7209c_1  道標の先も細い道を歩いて、堀切川方面へ向かいます。コースには指定されていませんが、伊勢街道をわずかに戻ったところに「楳荘翁碑」があります。これも以前の近鉄ハイキングで見ましたので、ちょっと確認してきました。「楳荘翁」とは、儒者・別府梅荘翁の碑です。別府梅荘は、文政10(1827)年、河芸郡上野村(現在の津市河芸町上野)に生まれました。ここ寺家(鈴鹿市寺家)の住人で若い頃から絵をよくし、生け花や煎茶にも優れたそうです。明治28(1895)年、京都で没。門人らが明治29(1896)年12月、この碑を建てています。碑の撰は、富岡鉄斎の筆によります。

Img_7215c_1  この先、堀切川にかかる逢来橋の北側の袂にはもう一つ道標があります。西面に「右いせみち」と刻まれています。しかし、Img_7218c その他には何も刻まれていないようで、詳細は不明。左の写真で道標の手前にあるのは、「鼓ヶ浦」と刻まれた石碑。このあたりの東(鈴鹿市伝統産業会館の南あたり)は、鼓ヶ浦海岸で、海水浴場などもあるところ。

Img_7231c  堀切川に突き当たって、伊勢街道は右折し、西に向かいます。近鉄名古屋線の踏切を渡り、またすぐに国道23Img_7234c 号線を越えます(地下通路)。国道23号線の橋で堀切川を渡って、磯山地区に入り、スタートから4㎞地点を通過。国道23号線は家内の実家に行くときに通る道。このあたり、ドンキホーテや、スーパーマーケットがあり、馴染みの光景を見ながら進むのですが、しばらく立ち寄るところはありません。

20190525kintetsuhikingshiroko3  実測ルートマップは、その3に入ってきます。近鉄磯山駅の西あたり、スタートから5㎞の手前で村社八幡社に立ち寄ります。Img_7243c_1 主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)、金山毘古尊(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、素戔之男命(すさのおのみこと)、菅原道真大山祇之命(おおやまつみのみこと;山の神)。当社の創祀は不詳ですが、社伝によれば正安元(1299)年に社が創建されたとされているそうです。

Img_7253c_3  太田忠左衛門という人の先祖が、御神体を字六人彫りの堀切川下流から背おって来て、安置したと伝わります。その時、獅子Img_7256c も一緒だったそうですが、忠左衛門の枕元に現れ「別保へ連れてって」というので、隣村の神社へ連れていったためこの神社には獅子がいないといいます。確かに狛犬というか、獅子はありませんでした(左の写真、上右の写真をご覧ください)。境内にある木、2本の根元には、右の写真のように赤い、小さな鳥居が置かれていましたが、これについては不明。ずいぶん暑くなってきましたので、ここの境内の木陰で小休止させてもらいました。時刻は、11時10分。

Img_7289c  鈴鹿市磯山から津市河芸町に入る直前で、また国道23号線を渡り、東側へ。中ノ川を越えると、津市河芸町にImg_7296c 入ります。東千里交差点まで、国道23号線を歩き、近鉄名古屋線の踏切を渡ります。ちょうど名古屋行きのアーバンライナーが通過。細い川を越えますが、その橋の名前が「瓶冠橋」。これから行く、「甕釜冠地蔵堂」の名にちなむのでしょう。

Img_7313c_1  こちらが次の目的地である「甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂」です。この地蔵堂には、珍しいものがあります。この堂はもImg_7303c_2 と光明院といって伊勢参宮の旅人の休憩所で、旅の無事安穏を祈願した場所でした。宝形造りの仏堂の屋根の上には、露盤(仏塔の相輪のいちばん下にある四角い盤)と宝珠(塔の相輪の一部で、水煙の上にのせる飾り)を置くのが普通ですが(このあと訪ねた田中地蔵堂の写真と比べていただければよく分かります)、この堂は炊事用の釜と水甕が伏せてあり、これが堂の名前の由来となっています。なぜこのような変わった建築をしたのか理由について諸説があり、確かなことはわかりません。いや、本当に珍しいものを見ました。

Junreimichi  ここはまた、巡礼道との分岐点になります。左の画像は、「みえの歴史街道」の「伊勢街道」該当部分。しかしこの「巡礼道」が調べてもよく分かりません。「みえの歴史街道」にある伊勢街道のマップをずっと見ていくと、巡礼道は伊勢街道の東側を通り、栗真町屋で伊勢街道に合流しています。この道を「古伊勢街道」としているところもありますが、そうかも知れません。

 

20190525kintetsuhikingshiroko4  甕釜冠地蔵堂を過ぎると、実測ルートマップはそのになります。時刻は11時半を過ぎており、本当に暑くなってきました。立ち寄る場所があまりないと、余計に暑く感じますし、たくさん歩いているような気がします。ペットボトルのお茶はどんどん減っていきます(笑)。

Img_7318c  甕釜冠地蔵堂からImg_7323c 300mほどのところに「真宗大谷派 八葉山本福寺」という石柱が立っています。真宗大谷派といえば、我が家の宗派。これは訪ねてみないといけません。道から奥まった境内に入っていくと、「親鸞上人御?跡」という石柱が建っています。西面には「八葉山本福寺」と刻まれています。碑陰には、「文化○○」とあるのですが、読めませんでした。文化年間(1804~1817年)に建てられたということかと思います。ネットでは情報は得られませんでした。

Img_7329c  ここ本福寺は、親鸞の弟子だった西念房が創建したといいます。西念房(1182〜1291年)は、親鸞聖人の直弟子の一人。6歳の時、父(信州高井郡井上城主・井上五郎盛長)が討死し、一門の多くが出家しました。井上三郎貞親は越後で親鸞聖人の教えを受け、西念房という法名を授かり、その後、親鸞聖人に従って関東に入り、生涯聖人を思いながら念仏をひろめたといいます(こちらを参照しました)。境内には、案内板などはなく、詳しいことは分からず、ちょっと残念。

Img_7331c_1  本福寺から100mほどのところ、東側に尾前神社石碑。尾前(おざき)神社は、この碑から東に200mほど入らねばなりませImg_7336c_1 んでしたので立ち寄ってはいません。雨乞いのかんこ踊りが行われていたそうです。さらにその先には、「丹羽君碑」(右の写真)。この辺りには、江戸時代に紀州藩白子の大庄屋だった丹羽家があり、円応寺組十五か村の大庄屋を務め、また、兄弟で廻船問屋を営み、五十人同心として港を差配していたといいます。この碑は丹羽家何代目かの主を顕彰したもののようですが、碑文も風化して読めず、不明です。

Img_7345c  スタートから7㎞で近鉄千里駅のところへやって来ます。道は二股になっていますが、伊勢街道は右折し、千里駅の北で近鉄名Img_7346c 古屋線を渡り、さらにまたまた国道23号線を越えます。この日は、何度も近鉄名古屋線と国道23号線を越えます。

Img_7353c_1  津市河芸町上野に入ってすぐ、道の西側に田中地蔵堂。民家の間に立っていますが、由緒などは不明。近くを流れる川が田中川であるための名前かという気がします。このお堂の屋根はごく普通のもの。甕釜冠地蔵堂のそれが珍しいものであることが納得していただけると思います。

 その2はここまで。その3では、いよいよ津市河芸町上野の町へと進みます。今まで知らなかったのですが、上野は伊勢街道の宿場町だったそうです。それも少し調べてと思っています。

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