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2019年5月27日 (月)

20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その1)……伊勢型紙資料館、大徳屋長久さんで早くも土産を買い、久留真神社、道標、目付役所跡、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺で山口誓子句碑を見て、子安観音寺へ

Img_7076c_1  5月25日に出かけた近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」の本編、その1です。この日は、30℃を超える暑い中、伊勢参りツアーの第5回目に参加したのですが、桑名では31.3℃。絶好の(?)行楽日和です。受付は、近鉄名古屋線・白子駅。前回は、5月 4日に鈴鹿線・鈴鹿市駅からここ白子駅まで歩いてきました(20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編))。旅3日目、4日目と同行してくださったMさん、今日は所用ということで、私一人旅。受付が白子駅で9時半から11時ということで、桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。9時32分に到着。¥490。東口に出たら、数10mも行列(苦笑)。

Img_7080c_1  本日のコースマップ。B4サイズで両面。白子を駅をスタートして、まずは、伊勢型紙資料館に立ち寄ります。その後伊瀬街道に入って、小原木本舗大徳屋長久、鈴鹿市伝統産業会Img_7084c_1 館、子安観音、村社八幡社を経て、津市河芸町に入り、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂、弘法井戸から伊勢上野城跡に立ち寄って、名古屋線・豊津上野駅がゴール。途中、今回もいくつか道標があります。マップ上は、約9.8㎞。今日のコースは、すべて伊勢街道。近鉄名古屋線や、国道23号線を縫うようにして歩いて行きます。白子駅からはひたすら南西に向かって進むというルート。もらったコースマップのナンバーは243。

190525kintetsuhikingshiroko  こちらが、実際に歩いた実測ルートマップの全体像。ほぼ直線的に10㎞あまりを歩きましたので、かなり縮小され、細部がよくImg_7089c 分からなくなっています。詳しい実測ルートマップは、いつものように、この本編の中で載せていきます。立ち寄り先は、ここに示した以外にもたくさんあります。鈴鹿市伝統産業会館や、伊勢上野城跡に寄る際には、伊勢街道を少し外れています。近鉄名古屋線の駅の数でいうと、白子駅から4駅分歩いたことになります。マップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらうのに少し時間がかかり、白子駅をスタートしたのは、9時43分。

20190525kintetsuhikingshiroko1  白子駅からはまず、東に向かい右折。最初の立ち寄り先は、伊勢型紙資料館。ここは、江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙Img_7099c_1 問屋であった「寺尾斎兵衛家」の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館しています。寺尾家は江戸時代から、伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商をしていたそうです。ここは、去年(2018年)3月17日の近鉄ハイキングで来ています(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編))。

Img_7102c  伊勢型紙資料館を出て、すぐ北側の細い道を通って、伊勢街道を目指しますが、途中で、瑞雲山龍源禅寺があります。臨済宗Img_7104c 妙心寺派の禅寺。開創は平安時代と伝わっていますが、由緒は不詳です。境内には平家ゆかりの「青葉の笛」に関わる旧跡[青葉の竹林]が伝承されています。このお寺が所有する文化財「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」などから、鎌倉時代には寺としての活動があったと考えられています。江戸時代初期、妙心寺第百七十五世 絶江紹是禅師(ぜっこうしょうていぜんじ)によって再興され、江戸中期には、臨済宗中興の祖・白隠禅師(はくいんぜんじ)と、その高弟・東嶺禅師(とうれいぜんじ)が滞在して禅を説いたといいます。ここには、去年3月17日の近鉄ハイキングで立ち寄っていますので、詳細はそちらで(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その5)……白子港、伊勢型紙資料館、龍源禅寺、勝速日神社などを経てようやくゴール(完))。

Img_7109c_2  このあと、伊勢街道に入ります。伊勢街道に入ってすぐ(スタートから700mあまり)に大徳屋長久さん。享保元(1716)年Img_7535c 創業のまさに老舗。まだこの日のハイキングは始まったばかりなのですが、ここでもう土産を買います(微笑)。小原木と、かりんとう饅頭。小原木は、楕円形に焼いた薄い小麦粉の生地に粒餡を乗せ、真ん中でふたつに折った半月形のお菓子。鈴鹿にいた頃からの馴染みで懐かしいので、このあたりを通るとついつい買いたくなるのです。1個100円。かりんとう饅頭は娘の大好物。かりんとう饅頭、いつもなら5個¥600のところ、この日はハイキング特価で¥500。小原木5個と合わせ、¥1,040なり。これで土産もできましたので、あとは歩くのに専念できます(笑)。

Img_7116c_1  大徳屋長久さんの先で、白子港に注ぐ小さな川を渡ると、伊勢街道は枡形になっています。そこを越えると1㎞、すぐに久留真(くるま)神社があります。主祭神は、大己貴尊(オオアナムチノミコト)。大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称。往昔Img_7120c_1 は大已貴尊と須世理姫尊(スセリビメノミコト、大国主命の妻)の2柱の神さまを通称伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして福徳さんと称え奉ったそうです。ここも、次の唯信寺や、道標も、鈴鹿市伝統産業会館も、去年3月17日の近鉄ハイキングで訪ねています(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その3)……同心屋敷跡、道標を見て久留真神社、大徳屋長久山で土産をゲットし、まちかど博物館などへ)。久留真神社で10時5分。

Img_7127c  久留真神社の先には山中山唯信寺。真宗高田派のお寺。ネット検索ではこれという情報は出て来ませんでした。唯信寺の先のImg_7132c_1 曲がり角に道標。このあたりの道は曲がり角が多いため、ここの和田さんの先祖が昔道標を建てました。しかし、それは再三再四倒されたそうで、昭和12(1937)年3月に再び、和田甚一郎さんが現在も残るこの道標を建てています。当時は高さ3m。ところが昭和30年代にまたこれが倒されたので、今のように建て直したそうです(現在の高さは2mあまり)。道標の西側には「👉 さんぐう道」、北側には「👈 神戸四日市道」とそれぞれ刻まれています。ちなみに、「さんぐう道」が伊勢街道を、「神戸(かんべ)」は、鈴鹿市の神戸を指しています。

Img_7140c  道標から300mほどのところの西側に目付役所跡があります。ここは今まで気づいていませんでした。目付は、政事や家臣の非違糾察(ひいきゅうさつ)、秩序維持を目的とする監察する役人。つまり、代官以下、庄屋に至るまでの素行、品行、身持ちを監察する役人。俸禄200~250石(米俵にして500~625俵)で、2年ほどで交代する役人でした。この役所は、敷地5反ほどで(4,545平方メートル)伊勢街道に面し、役所の建坪は50坪あまり(65平方メートル)だったそうです。

 

Img_7150c_1  伊勢街道をさらに下り、2㎞の手前で左折し、いったん伊勢街道を離れ、鈴鹿市伝統産業会館に立ち寄ります。ここも、去年3月17日の近鉄ハイキングで立ち寄ったところ(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ)。何度もハイキングに参加していると、こういうことはよくあります。ここは、鈴鹿市が全国に誇る「鈴鹿墨」「伊勢形紙」の伝統工芸を紹介して、優れた技術を後世に伝えることを願って、昭和58(1983)年に開館しています。ここは、鈴鹿墨や、小紋・友禅などの図柄を着物の生地に染めるために用いる伊勢形紙の作品・製造道具などが展示紹介されています。

Img_7153c_1  内部も撮影できました。左の写真の奥には、伊勢型紙を彫る工程についての説明があります。右には、鈴鹿墨についての展示Img_7155c_1 が見えます。中央には、両者の体験コーナーや、実演コーナーが設けられています。ここも去年3月17日に訪ねています(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ)。鈴鹿墨の発祥は延暦年間(782~806年)ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。しかし、現在も墨を作り続けているのは進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1,000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。

Dentousangyoukanstamp  去年は気づきませんでしたが、ここにはスタンプがありましたので、押してきました(微笑)。毎度毎度書きますので、繰り返しませんが、こういうスタンプ、やはり貴重だと思いますねぇ。桑名市も観光で売り出そうと思っているのであれば、九華公園、六華苑、石取会館等において欲しいところ。鈴鹿市伝統産業会館でスタートから2.1㎞、時刻は10時20分頃。

Img_7161  次の目的地、子安観音寺に向かいます。左は、鈴鹿市伝統産業会館から伊勢街道に戻ったあたり。2.5㎞の手Img_7163 前で右折し、西へ。これまた去年のハイキングでも見たのですが、「昭和湯」というお風呂屋さんの跡。今はもう廃業していると思われます(こちら)。私の実家の隣も、お風呂屋さんでしたので、こういう昭和風の銭湯は気になります(実家の隣は、富士温泉といいました。私が中学生くらいの頃、廃業しています)。

Img_7165  子安観音寺に行く途中には、西方寺。子安観音寺の南東すぐにある西方寺です。真宗高田派。境内に山口誓子の代表作「海にImg_7168 出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。

Img_7171  西方寺も去年3月17日に来ているのですが、そのときには気づかなかったのがこちら。囲碁の天元であった島村俊廣(明治45(1912)~平成3(1991)年)九段の石碑。島村九段は、鈴鹿市の出身。大正14(1925)年、四日市商卒。昭和52(1977)年、第3期天元戦で苑田8段を破り、天元位。

Img_7173  そして、子安観音寺。たぶん3回目(去年3月17日の記事は、近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】にあります)。地元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高Img_7180 野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。

Img_7187  子安観音寺に着いたのが、10時半。けっこう暑かったので、一休みすることに。境内にはちょうど、田中観月堂さんが出張販Img_7188 売をしていました。ここも、「小原木」をつくっています(ここのものは、不断桜 大原實といいます)。大徳屋長久さんと、久住屋菓舗さんのものは食べたことがありましたが、田中観月堂さんのものは試したことがありませんでしたので、1個¥90でお買い上げ。その場でいただいてきました。皮がもっちりとしている感じ。餡もコクがあります。子安観音寺で一休みしていたら、「大山田のじいちゃん」に遭遇。去年4月の多度のハイキング(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))から顔見知りの方。それ以降、あちこちの近鉄ハイキングで出会うのです。名前は存じ上げませんが、すでに70代半ばと思われます。しかしそれにしてはお元気。いつもサッサと歩いて行かれるのです。「やぁ!」ということでしばし歓談。これもハイキングならでは楽しみ。「それでは、またどこかで」と、私は先に再スタート。

 長くなりましたし、キリも良いので、その1はここまで。子安観音寺のあたり、みえの歴史街道を見ると、伊勢街道は2つのルートが書いてあります。この日は、そのうち「このあたりは道が狭い」となっているところを行きます。道標など見所もありますので、こちらの方が興味があります。その道標からはその2にて。

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