« 今日も雨は降らず(微笑)……江戸橋での仕事の日でした | トップページ | 好天なれど鳥は少なし……メダカ水槽にヒメタニシを試験導入 »

2019年5月29日 (水)

20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その3)……河芸の伊勢街道を歩き、弘法井戸、伊勢上野城跡、道路元標跡を見て、近鉄・豊津上野駅にゴール(完)

20190525kintetsuhikingshiroko4 5月25日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」もその3となり20190525kintetsuhikingshiroko5 ました。その2で鈴鹿市から津市に入り、千里を歩いてきました。上野に入って田中地蔵堂までがその2で見たところ。その2の終わりにも書きましたが、上野は伊勢街道の宿場だったそうです。

Img_7370c

 津市河芸町上野あたりの伊勢街道の様子。道幅はさほど広くなく、あちこちに連子格子が残っており、昔の風情を感じさせまImg_7372c す。右の写真にあるお宅の2階の窓、何となく虫籠窓(むしこまど;目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子(むしこごうし)をつけた窓)かなと思わせます。

Img_7374c  8.2㎞の手前に上野公民館があります。公民館の前に「上ノ宿~伊勢街道~」という案内板があります。それによれば、上ノ宿Img_7376c は、上野藩主・分部光嘉(わけべみつよし)が城下町として整備した約2㎞にわたる町並みです。元和5(1619)年に分部氏が近江国大溝(現在の滋賀県高島市)へ転封になり、上野城は廃城となりますが、その後も伊勢街道の宿場として発展したといいます。家数300余軒、本陣・脇本陣・問屋・御七里(?七里飛脚か?)があり、宿も27軒を超え、妓楼も7~8軒ありました。宿内の街道は防衛のためヶ所で屈折しており、道幅は9尺だったそうです。

Img_7381c  上野公民館のすぐ先、西側には上野神社の石柱と、鳥居があります。上野神社は、今年2月8日の近鉄ハイキングで訪ねました(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ)。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられていまする(建徳2(1371)年という説があります)。主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)。ここから200mほど登っていくと上野神社があります。向かって左にはお寺が写っています。ここは、真宗高田派の最勝寺。明応2(1493)年の創建とされます。境内には伊勢上野城にあった地蔵を延命地蔵として安置しているそうです。

Img_7405c_1  上野神社の鳥居から300mほどのところ、東側に弘法井戸。石造の弘法大師を祭る御堂の前に井戸家形があり、中は深さ2mImg_7389c_1 ほどの貯水槽になっていて、清水を湛えています。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。付近の家々で井戸講を組織し、清掃管理や法要を営んでいます。伊勢街道が出来て、多くの人が通るようになり井戸の水が旅人に利用されるようになり、この大師堂も出来たものと思われます。

Img_7391c  左の写真は、貯水槽。水がたたえられていました。井戸家形内部には、由来が書かImg_7401c れています。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しかでないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。それを村人が「弘法井戸」と称して大切に使ってきました。伊勢街道を旅する人々も立ち寄り、この水で疲れを癒やしたといいます。昭和35(1960)年、町営上水道が開設されるまでは生活用水として重要な役割を果たしてきました。

Img_7407c  弘法井戸のすぐ先、枡形だったかなと思う角のところに「道路改修記念碑」があります。伊勢上野城跡へ上る細い道の手前でImg_7420c す。この伊勢街道・上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。

 このあたりは、上野宿の中心だったようで、近くには丸屋本陣跡、問屋跡(荒井屋)、武家屋敷跡などもあったといいます(こちら)。しかし、事前の調べが及ばず(そもそも上野が宿場町ということを意識していませんでした……苦笑)。

Img_7421c  スタートから8.6㎞地点、時刻は12時10分を過ぎた頃、やっと伊勢上野城跡への登り道に入ります。民家の前の細い道で、Img_7422c 「ホントにここから登るの?」と思いつつ、目の前には以前来た記憶のある山。途中、日蓮宗の妙見堂がありました。が、この先の坂道に意識が集中しており、写真を撮っただけで通過してきてしまいました。ネットで検索しても情報は出て来ません(このフレーズ、何度も書いていますが、懲りていないということです……笑。人はそうそう変われないということを自ら実証中で、我ながら笑うしかありません)。

Img_7424c_1  それはさておき、左の写真のようなところを通り(この道でホントに伊勢上野城跡へ出られるのか? と思い2Img_7427c_1 つつ)、200m弱進むと、見覚えのある景色が見えてきました。今年2月にもここ伊勢上野城跡に来ているからです(2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。

Img_7432c_1  右上の写真から少し登ると、本丸跡とされるところに出ます。ここが伊勢上野城跡。2月のときは、伊勢街道ではなく、もう1本北側の道から入りました。織田信長の弟、信包702682be が、津城の仮城として元亀元(1570)年に改修築城したのが伊勢上野城。浅井長政が信長に攻められ自害した後、長政に嫁いでいたお市の方と、その娘の三姉妹(茶々(豊臣秀吉側室)、(京極高次正室)、(徳川秀忠継室))が移り住んだとされるお城です(地元の方には恐縮ながら、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。地元では、「ゴーちゃん」というキャラクターもつくられています(写真は、津商工会議所のサイトからお借りしました)が……)。その後、廃城となり、後に津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。

Img_7447c  標高38mの伊勢街道沿いの台地にあり、伊勢湾や鈴鹿連峰が一望できます(ということになっています)。展望台にある資料Img_7451c_1 室は、日曜のみ開館ということで、今日は見られず残念。展望台3階までは登ってきましたが、木々が生い茂ってしまい、眺めは今ひとつ。伊勢上野城跡は、2月のハイキングの記事をご覧いただければ幸い。

Img_7439c_1  伊勢上野城跡に着いたのが、12時15分でした。ここまで来れば、ゴールも見えてきますので、昼ご飯にすることに。例によって、駅ナカファミマ弁当。代わり映えしません(苦笑)。ただし、今日は、「明太海苔弁当(税込¥430)」。年齢を考えれば、もうちょっとヘルシーな弁当にしないといけませんが……。展望台が見える木陰のベンチで弁当タイム。ここはたぶん本丸の跡の端っこ。目の前に広い空間と森の緑、よく晴れた青空が広がって、気持ちの良いところ。弁当を食べ、しばらく休んで、12時35分に再スタート。

 

Img_7476c  伊勢上野城跡の北から西を回って、再び伊勢街道に出ます。コースとしては、伊勢街道に出て右折し、西に向かうのですが、Img_7483c コースマップに「道路元標跡」があるとありました。これも見なくてはなりません。100m足らず、戻って見てきました。それが、左の写真。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、現物は損傷が激しいので、河芸中央公民館に保管されています(河芸中央公民館は、三重K-ABCアセスメント研究会でたびたび行っていますが、まったく気づきませんでした。今度行ったらきちんと確認してきます)。本体は木製の四角柱、頂上部は銅板製だそうです(こちらにその写真があります)。正面に「白子町へ壱里参拾壱町九間上野村」、右側面に「距津市元標弐里拾六町四拾参間」、左側面に「距伊勢国桑名郡長島村管轄境拾壱里拾六丁四拾五間(一九一三)」、裏面に「大正二年三月三重県」と彫ってあるといいます。道路元標は、県内の各市町村の中心となる場所に県が建てたもので、昔の人々が旅をする目安となる里程を示したものです。神戸で見た道路元標にも、長島村管轄境までの距離が示してありました。県境までの距離も示すことになっているのかも知れません。

Img_7491c_1  これでこの日のハイキングで見るべきところはすべてクリアしました。左の写真はスタートからほぼ10㎞地点。今回の伊勢街Img_7504c_1 道歩きはここまで。ここで左折して、ゴールの近鉄名古屋線・豊津上野駅に向かいます。国道23号線を越えていきます(この日何度目でしょう?)。イオンタウン津河芸の南を通り、近鉄名古屋線の踏切を渡ったところに、豊津上野駅。スタートから10.4㎞、ゴール時刻は12時53分。暑い中、よく歩いてきました(自画自賛)。600ml入りのお茶のペットボトルを飲み干しました。

Img_7507c_1  今日もまた、無事に踏破記念マグネットをいただきました。デザインは、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂。これで、Img_7527c 初回から5個連続でゲット。この調子で12回シリーズの伊勢参り、最後までこぎ着けたいと思っています。次回は、9月の予定。あみま倶楽部のスタンプも19個目。20個目目前。去年は1年かかって20個でしたから、かなりのハイペース。豊津上野駅を12時56分に出る四日市行き普通電車に乗れました。白子に13時5分に着いて、13時11分発の名古屋行き急行に乗り換え。桑名には13時40分着。¥620。

Img_7530c_1  Alkooのデータは、こちら。歩数は、22,189歩でした(生活リズム計では、20,462歩)。10㎞あまりを歩きましたので、これは妥当。距離は、17.0㎞。こちらはいつものことながら、過大評価。

|

« 今日も雨は降らず(微笑)……江戸橋での仕事の日でした | トップページ | 好天なれど鳥は少なし……メダカ水槽にヒメタニシを試験導入 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

城・城跡」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今日も雨は降らず(微笑)……江戸橋での仕事の日でした | トップページ | 好天なれど鳥は少なし……メダカ水槽にヒメタニシを試験導入 »