« 絶好の仕事日和(微笑)……名古屋にて相談会 | トップページ | 20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ »

2019年5月 4日 (土)

20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編)

 今日は、絶好の行楽日和(笑)。近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」に行ってきました。今日もMさんと二人旅。「同行二人」というよりは、「弥次喜多珍道中」に近いかも知れません。4月11日に参加した「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」の続き。

Img_4302c

 続きということで、前回のゴールであった、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅がスタート。受付は、9時半から11時。桑名駅を8時42分に出るImg_4295c 松坂行き急行に乗車。伊勢若松駅に9時9分に着いて、鈴鹿線に乗り換え。9時20分発に乗車し、鈴鹿市駅には9時25分に到着。¥490。すでに長蛇の列。もらったマップのナンバーは234番。スタートできたのは、9時40分。

Img_4298c

 本日のコースマップ。鈴鹿市駅をスタートして、神戸城跡、常夜燈、弥都加伎(みずがき)神社、北の端の地蔵堂、江島若宮八Img_4300c 幡神社などを経て、伊勢昆布でくじ引き、久住屋菓舗に立ち寄って名古屋線・白子駅がゴール。マップ上、9.3㎞のコース。立ち寄り先として、コースマップに例示してあったのは、これらのところですが、例によって、興味関心の赴くままあちこちとみてきましたし、今日は、スタートしてしばらくで道に迷ったりして、いろいろとありました(笑)。さらには、最高気温も25℃を超えたようで暑くて、けっこう疲れました。

190504kintetuhikingsuzukashi

 こちらは実際に歩いた、実測ルートマップ。実際に立ち寄ってみてきたところはここに示した以外にもたくさんありますし、これには道に迷ってウロウロした分は書いてありません。このルートでは9.3㎞を歩いていますが、実際にはこれにプラス1~2㎞ほど歩いたはずです。

Img_4306c

 鈴鹿市駅をスタートし南下。前回見た札の辻の東から伊勢街道に入ります。300mほどのところ、東側に真宗高田派神戸別院がありました。寛政5(1793)年4月に建立。「神戸の御坊さん」として親しまれました。寺内には、明治13(1880)Img_4315c 年7月3日、明治天皇の行在所となった御殿が残っています。門が開いておらず、参拝はできませんでした。別院の向かい側に真宗高田派の願行寺。享保6(1771)年、神戸町内の161軒を焼いたという信濃屋の火事で類焼し、天明7年(1787)年に再建されたと伝えられています。市文化財に指定されている光明本尊は、南北朝時代の作で中央に光明を放っており、県下でも2点しかない仏画だそうです。

Img_4334c

 スタートから600mほどのところ、T字路で、神戸城跡に向かうため、いったん伊勢街道を離れました。しかしこのあと、曲がImg_4344c り角を見逃したまま直進。さらに300mほど行ったところにあったのが、臨済宗東福寺派別格地 天澤山龍光寺(りょうこうじ)。「かんべの寝釈迦(ねじゃか)まつり」で有名なお寺。ここも一度は訪ねてみたかったところ。ただし、寝釈迦まつりは、3月ですので、涅槃図は拝観できません。室町時代、応永29(1433)年11月29日の深夜、伊勢湾の方より奇異なる霊光が飛び來り、当山の旧跡地西条の沢山に至って消えるということが15日間続いたといいます。時の神戸城主・神戸家二代実重で、伊勢国司・北畠満雅称光天皇に奉上したところ、東海龍王の瑞光であるからこの地に禅寺を建立して国家安泰を祈るべしとのことであったといいます。天皇は満雅を開基とし、神戸実重を普請奉行として天澤山龍光寺を創建したとされます。

Img_4359c

 本堂の天井画は、畳50畳大の大雲龍となっています。これは見事でした。雪兆の筆によります。雪兆は、堀越雪兆(ほりこし せっちょう;1800-1885)であろうと思いますが、まだ調べが十分ではありません。龍光寺には、他にもいろいろと興味深いものがありましたし、なかなか良い雰囲気のお寺でした。と、ここまでは良かったのですが、道を誤ったとは気づかず、そのまま本来のルートとは逆の北に向かってしまいました。言い訳ではありませんが、同様の方かなり多数(苦笑)。近くで皆さんウロウロしておられたのです。スタートから1㎞近く進んでから、「これは変だ」ということにようやく気づき、地元の方お二人に伺ってみました。その結果、龍光寺の手前で曲がるべきところを見逃していたことが分かり、指定されたルートに戻りました(笑)。600mほど余分に歩いたと思います。

Img_4428c

 10時半近くになってようやく神戸城跡に到着。コース通りに来ていれば、スタートから1.1㎞地点ですから、40分もかかるところではありません(苦笑)。神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532~1555年)に築城しました。滝川一益の侵攻に和睦し、養子に受け入れた織田信長の3男神戸信孝によってより強固に修築されました。城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入っています。その後、天領となった時期もありましたが、慶安3(1650)年、石川総長が1万石で当地に封じられ、さらに、享保17(1732)年には本多忠統が2万石で封じられ、明治維新まで本多氏7代が続きました。

Img_4406c

 本丸には野面積みの天守台があり、かつては神戸信孝が築いた5重6階の天守があったのですが、その天守は文禄4(1595)年に解体、桑名城に三重櫓として移築され神戸櫓と呼ばれました。現在、城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には三重県立神戸高等学校が建てられています。

Img_4455c

 伊勢街道沿い、村瀬病院の向かいに大きな常夜燈があります。昭和5(1930)年再建されたとありました。ここの近くにある神戸地子町公園にある常夜灯を偲んで地子町の人々が建てたともいわれます。地子町公園にある常夜燈は、嘉永2(1849)年建立。明治18(1885)年、洪水で倒れ、竿部分だけが残っています。この公園には、「右いなふ道」「左志ろこ道」と刻まれた道標もあるのですが、今回はこれらは見てきませんでした。

Img_4473c_1 伊勢鉄道鈴鹿駅の南で、伊勢鉄道の高架を潜ったところにあるのが、宇気比(うけひ)神社。主祭神は天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)。交通安全、海上安全の神様として崇敬されています。由緒は明らかではありませんが、「河芸郡史」「神戸平原地方郷 土史」などには、旧名八王子祠、由緒不詳と記されているそうです。ここで2.8㎞、11時10分頃。

Img_4484c

 宇気比神社の先の伊勢街道。宇気比神社から先の伊勢街道沿いには、山の神が4カ所ほど、そのまま残っています。これまでのImg_4490c_2 ハイキング/ウォーキングで見て来た神社には、たくさん山の神が合祀されていました。このあたりにたくさん山の神が残っているからには何か理由があるのでしょう。

Img_4520c

 途中かなり端折って、いきなり5㎞地点まで飛びます。時刻は11時50分近く。弥都加伎神社まで来ました。ここの主祭神は、Img_4527c 大土御祖神。土を司る神様です。天平13(741)年に創祀。山田原の土宮の御霊を海部村に勧請し、その後現地へ奉祭したといいます。「山田原の土宮」は、伊勢神宮の外宮の別宮である「土宮(つちのみや」かと思います。土宮の説明には、「御祭神は大土乃御祖神。古くから山田原の鎮守の神でした」という記述があります。延喜5(905)年に社名を土宮から現名称へ変更。慶長19(1614)年、造営。明治2(1869)年3月、明治天皇御東幸の途次、勅使が奉弊代拝しています。この地は玉垣御厨だったといいますから、伊勢神宮の領地であったということでしょう。

 このあと、北江島町の白子保育所を過ぎたあたりに「老農水原政次翁彰功碑」があったはずなのですが、話に夢中になって、見逃してしまいました(苦笑)。まさに珍道中です。

Img_4536c

 6㎞を過ぎるとフジクラの鈴鹿事業所があります。その西側を進み、6.5㎞地点に菅原社。主祭神はもちろん、菅原道真。創祀の事Img_4541c 情及び年代は不詳ですが、集落の産土神(うぶすながみ)として古くから信仰を集め、地区民の心のより処となってきたそうです。確かに、何となく落ち着く境内でしたので、ここで休憩しながらおしゃべりで30分ほどいてしまいました(苦笑)。13時前になってようやく腰を上げて、再び歩き始めました。

Img_4551c

 菅原社から1㎞ほど、近鉄名古屋線の踏切(白子-千代崎の間)を渡ってすぐに「北の端の地蔵堂」があります。約800年前、Img_4549c 鎌倉時代のもの。石像本体周囲に六體の菩薩が刻まれていました。六體とは五翼の優世に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身を表します。この地蔵は、江戸時代から北の端の地蔵と呼ばれ、江戸時代、寺家、白子などから江戸方面に型紙等の行商に出る人らはこのお地蔵さんで無事を祈り、見送りをしたといいます。「北の端」というのは、白子の町から見ると北の端にあったからのようです(こちら)。スタートからは、7.5㎞ほど。13時10分頃到着。

Img_4555c_1

 北の端の地蔵堂から道を挟んで東側には、役行者神変大菩薩がありました。修験道の開祖である「役行者神Img_4553c 変大菩薩」が祀られたお社。寛政11(1799)年に、朝廷から役行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られています。

Img_4560c

 さらに伊勢街道を進み、8㎞手前で江島若宮八幡神社に着きます。ここはもうImg_4561c 何度も来ていますので、西の参道から入って八幡さんだけをお参りしてきました。主祭神は、大鷦鷯命品陀和気命息長帯比売命。平安時代初期、禁中に奉祀せられていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の分霊)を醍醐天皇が、神意に問いて伊勢宗廟(皇大神宮)の戌亥の方なる当地に奉遷せられたことに始まります。

Img_4563c

 江島若宮八幡神社の向かい側(南側)にある伊勢昆布さんで、ハイキング参加者には特典として、「来店でくじ引き1回(空くじなし)」というイベント。ガラガラポンで出て来たのは緑色の玉。何等賞なのかなど、詳細はあまり分からなかったのですが、「そこのはこに入っているものから1つ選んで良い」ということで昆布飴をゲット。

Img_4572c

 このあとまた、伊勢街道に戻ります。600mあまりのところに久住屋菓舗。創業は文久年間(1861~64年)。以前にも近鉄ハイキングで訪ねています。ここや、大徳屋長久さんに来たら、大はら木(おはらぎ)と、かりんとう饅頭を買わねばなりません(と思っています)。今日も大はら木とかんりとまんを4個ずつお買い上げ。¥780。今日のハイキング特典として、¥600以上購入でかりんとまん1個プレゼントということで、ありがたくいただいてきました。これで今日の立ち寄りポイントは、コンプリート。

Img_4578c

 久住屋菓舗さんからは、600mほどでゴールの近鉄名古屋線・白子駅へ。13時45分でした。はじめにも書きましたが、スタImg_4580c_1 ートからは9.3㎞+α。「+α」がかなりあったように思います。かなりゆっくり来ましたので、もらえるかどうか心配したのですが、無事に踏破記念マグネットをゲットできました。デザインは、神戸城跡でした。

Img_4587c

 食事をして帰ろうということになりましたが、ゴールの白子駅東口には、これというところがありませんので、西口側に行っImg_4590c_1 て探しました。白子駅あたりは、私が鈴鹿で働いていた頃には繁華街があったのですが、それも今は昔。商店街はシャッター通りと化しています。ちょっと探して、ランチメニューもあるという魚萬寿司さんを発見。刺し身や貝のフライのランチ(¥1,080)をいただいてきました。ランチ営業は14時まででしたので、滑り込みセーフ。このランチ、思った以上に美味しくいただけました。が、お腹が空いていましたので、写真を撮り忘れてしまいました。同行のMさん、美味しい食べ物検知能力が優れておられます。

 遅めの昼食を済ませ、白子駅発14時29分の名古屋行き急行に乗車。連休中ではありましたが、この時間まだ空いていました。最近は、堂々と優先席を使わせてもらっています(笑)。桑名駅には15時3分着。¥490。

Img_4595c

 あみま倶楽部のスタンプは、これで17個目。去年よりかなりハイペース。ALKOOによれば、歩数は23,188歩。歩いた距離はImg_4597c 17.7㎞となっていますが、これはたぶん過大評価。ハイキングで歩いたのは9.3㎞+α。自宅から桑名駅往復が、1.8㎞ですから、合計11.1㎞+α。「+α」は2㎞もないくらいでしょう。暑かったのでいささか疲れました。ハイキング/ウォーキングの記事が滞っていますが、ゆるりとお待ちいただければ幸いです。

|

« 絶好の仕事日和(微笑)……名古屋にて相談会 | トップページ | 20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

城・城跡」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 絶好の仕事日和(微笑)……名古屋にて相談会 | トップページ | 20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ »