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2019年5月 7日 (火)

20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その1)……津新町駅をスタートし、三重刑務所、真教寺・閻魔堂と市杵島姫神社へ

 ようやく4月28日に参加した近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」への本編に到達しました(笑)。本当は、4月30日の「近鉄エンジョイウォーキング 特典満載!平成最後のハイキング!癒しの花景!かざはやの里2019藤まつり」に行き、そのついでに家内の実家へ行ってこようと計画していたのですが、この日は雨という天気予報でしたので予定を変更したのです。平成最後を記念して「近鉄オリジナル缶バッジ」や、かざはやの里ではキリン生茶と津市銘菓野田あられがもらえたり、いくつかの立ち寄り先でも特典があったのですが、天気には勝てません。

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 この日のハイキングは、近鉄名古屋線・津新町駅で9:30~10:30の受付ということで、桑名駅9時1分発の五十鈴川行き急行にImg_3434c 乗車。江戸橋に行くときや、ハイキングに行くときもよく乗る時刻の電車。津新町には、9時49分着。¥750。受付開始から20分も経っていますので、もう空いていました。まぁ、ゆっくり行きましょう(微笑)。

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 この日のコースマップ。マップの左側に今日の立ち寄りポイントと、それらの間の距離が示されていますが、目を疑いました190428kintetsuhikingtsushinmachi_1 (笑)。津新町駅を出て最初の立ち寄り先が、三重刑務所となっていたのです。「エッ、三重刑務所?! 何をするの?」とビックリというか、ビビりました。その後は、市杵島姫神社、旧伊勢街道、 神明神社、山二造酢を経て結城神社へ。その後は、阿漕浦砂浜(砂浜を歩くの?!)、津ヨットハーバーと、近くにある高虎ドッグ、T2の菓子工房、ラーメンいたろう(このあたりがグルメですが、高虎ドッグは超人気店ですから、入るのは難しそう)、津新町駅へ戻るというコース。マップ上7.6㎞。しかし、この日は家内の実家へも行ってこようと思っていましたので、ゴールは勝手に松菱百貨店に変更しました。松菱百貨店前の岩田橋バス停から三重交通のバスに乗って、実家へ行くつもりです。ということで、松菱百貨店まで7.1㎞を歩きました。

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 こちらは、実測ルートマップその1。津新町駅を出て、岩田橋の手前で左折し南下。昭和橋を渡って三重刑務所に向かいます。地図には描きませんでしたが、ちょっとだけ構内に立ち入ってきました(微笑)。ちなみに、間違っても塀の中へは入っておりません。その後、国道23号線を渡って、旧伊勢街道に入ります。9時50分にスタート。

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 津新町駅のすぐ南に交番があります。その脇にこういう旧町名とその由来を示す石柱が立っています。去年(2018年)4月23日にこのあたりに来たときにも気づいています(またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編))。このあたりは、古河といったとあります。このあたり、現在は「南丸之内」です。古くは1㎞ほど南にあった衆楽のあたりを安濃川の旧河道が通っていたそうで、その旧河道に因んだ地名といいます。津の中心街、あちこちにこの旧町名を表す石柱がありました。なかなかよいアイデアと思います。

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 駅を出てすぐに右折し、近鉄名古屋線とJR紀勢線の踏切を渡り、500mほどで右折し南へ。岩田川にかかる昭Img_3445c 和橋を渡るのですが、その手前、西側にお地蔵さんがあります。去年の「勝手にハイキング」でも見ましたが、たいそう立派な建物で、きちんと世話がなされている様子です。「光徳地蔵」と刻まれていました。改めてネットで検索してみましたが、去年と同様に「光明功徳仏(ピンピンコロリ地蔵)」というものが出て来たものの(こちら)、関連があるのかはまったく不明。あちこちにあるお地蔵様は、よほど有名なものでないとその情報は出て来ません。

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 スタートから1㎞の手前に、最初の立ち寄り先である三重刑務所。執行刑期が10年未満で初犯の男性受刑者を収容する刑務所だそうです。その昔、鈴鹿で働いていた頃からここに刑務所があることは知っており、前も通ったことはあるのですが、ご覧の通り、普通の刑務所という雰囲気。なぜここが立ち寄り先?と不思議。

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 正門の先に行ってみて、納得。煉瓦組みの重厚な門がありました。これは、大正5(1916)年に建築された、当時の「安濃津監獄」の正門。重厚なイメージで、文字は右から左に書かれています。現在は塀の外にあって門としての機能は果たしておらず、歴史的資料として保存されています。三重刑務所は、明治41(1908)年から大正8(1919)年にかけて建てられ、その後、平成20(2008)年に改修されました。

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 「安濃津監獄」の正門に近づいて写真を撮って、あたりを見ていたら、気になる掲示がありました。そちらにも近寄っていってみました。左の写真、ちょっと読みにくいのですが、「出迎え等 一般車両 進入禁止」と書いてあります。「ほぉ、テレビドラマなどで見る、出所シーンはこういうところで展開されるのか」などと思って見ていました。が、気づいたら、左上に監視カメラ。たぶんしっかりチェックされていたのでしょう(苦笑)。早々に退散することにしました。

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 三重刑務所前を南へ。1.2㎞ほどのところを左折し、国道23号線を岩田交差点で越えると、そこからは旧・伊勢街道に入りま190428kintetsuhikingtsushinmachi2 す。左の写真は、伊勢街道に入ったあたり。実測ルートマップは、右に示したように、その2に入ります。

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 岩田交差点から1㎞弱で、天台宗のお寺、阿漕山真教寺(あこぎざんしんきょうじ)にやって来ます。通称は、「閻魔堂」で、Img_3485c_2 ここの近くにあるバス停も、「エンマ堂」というくらい。このあと訪ねる、東隣にある市杵島姫神社とともに、津の守護として町の入り口に建立されたものです(慶長19(1607)年、津藩2代藩主・藤堂高次公による)。ご本尊は、木造閻魔王座像」ですが、他にも木造十一面観音立像(県文化財)があります。高さ2m36cmで、17世紀後半につくられた檜の一木造で、円空の作と考えられています。円空仏としては最大の大きさだそうです。円空は、寛文11(1671)年、法隆寺で修行しており、その直後の作品であると推定されるそうです。右の写真では、向かって左におられます。

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 真教寺のすぐ東隣が市杵島姫(いちきしまひめ)神社。この場所は、大昔には庚申塚でした。市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)は、南朝の重鎮であった北畠氏一族の守護神として北畠氏滅亡まで、津市美杉町多気の城内に御鎮座されていました。北畠親房公、顕家公、顕能公と大変崇敬心厚く、その心は代々家臣に至るまで受け継がれました。天正4(1576)年12月、北畠家からの依頼により、岩田の清長院がご神体を預かることになり、社殿を新築して安置しました。多気城主が崇敬した神ということで人々から格別の信仰が寄せられたといわれます。先に述べたとおり、その後、藤堂藩による城下町づくりが進められる中、万治、寛文の頃(1660~1662年)に現在地にご遷座、この地の産土神になっています。万物の生命を司る水の神、音楽芸能、子孫繁栄の神として崇敬され、付近の人々から「弁財(べざい)さん」と親しまれました。そのため、このあたりに「弁財(べざい)町」という町名がつきました。なお、「三重県の歴史散歩」には、「この神社は北畠氏が身体としていた弁財天を、江戸時代にこの神社に遷したことから、『弁財さん』と呼ばれて親しまれ、弁財町の地名の由来となった」と書かれています。市杵島姫命は、神仏習合では、弁財天と同じとされています。

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 主祭神は、市杵島姫命。天照大神と素戔嗚尊との誓約(うけい)の時に生まれた三女神の一で、福岡県の宗像大社の辺津(へImg_3502c つ)宮の祭神。相殿神は、建速須佐之男命宇迦之御魂命大物主神猿田毘古神大山津見命天照皇大御神徳川家康、事比良神(不明ですが、奈良の大神神社の末社に事比良神社があり、大物主神が御祭神)。 

Img_3511c  こちらはご神木。樹齢が400年とも500年ともいわれるイチョウの木です。昭和20(1945)年に津が空襲を受けたとき、湯気のようにもうもうとしたものが出て、神殿を包み込み、焼失を防いだといわれます。また、風向きも変え、火の手を止めたともされます。今もたくさんのギンナンがなるといいます。

Img_3492c  ここには、津市の文化財に指定されている「湯立釜」があります。この湯立釜は神事に用いるもので、湯をたぎらせ、その湯を竹笹で祓い罪・穣れを清めるものです。この釜の寸法は直径43 cmで、獣面装飾のある足が3足付いています。「元文五庚申年(1740)正月多気郡相可郷西村廣定、同廣泰奉納」と記されています。製作者は中山村(現・津市栗真中山町)安保氏で2代市太夫周正、あるいは3代市太夫周重の作とみられています。津藩の鋳物師の祖とされている辻氏より後に阿保氏は津に来ていますが、辻氏と並び称される鋳物師でした。興味深いことに、寄進者が多気の人で北畠氏ゆかりの人ということです。

Img_3503c  境内には、稲荷社もありました。杉山稲荷だそうです。このお稲荷さんは、橋南中学校のそばImg_3506c に祀られていたものが、明治の初め頃にここへ遷されたといわれています。

Img_3524c  拝殿の東に石碑がありました。石碑、石柱の類い、気になります(微笑)。「市杵島姫神社再建之記碑」です。この地に遷って以降数百年経ち、社が傾き、雨風を防げない状態になってしまい、この神社が由緒ある神霊を祀っていることも忘れられる状態になっていたといいます。再建計画も合ったが、力及ばずそのままになっていたものを、明治35(1902)年1月に再建したという由来が刻まれています。

Img_3538c  ここ市杵島姫神社も、津のガイドブックなどを見ていて、一度訪ねてみたかったところでした。満足して次へ向かいます。左は、神社を出て、振り返って撮った写真。真教寺と市杵島姫神社が隣り合わせになっていることがよく分かります。切りが良いので、その1はここまでとします。その2は、このすぐ近くの教圓寺から。

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