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2019年5月 6日 (月)

20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その3)……加佐登神社、白鳥塚、植木まつりの鈴鹿フラワーパーク、荒神山観音を訪ねて、ゴールの加佐登駅へ(完)

190420jrwalkingkawano11  4月20日のJRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へのその3です。その2では、旧東海190420jrwalkingkawano12 道の石薬師一里塚跡までやって来ました。左の実測ルートマップでは、国道1号線の上田口バス停の辺りまで来たことになります。1号線をくぐって、上田町に入り、田園地帯などを抜けて、加佐登(かさど)神社を目指します。国道1号線をくぐるところで4.8㎞、時刻は11時20分頃。

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 こちらは、国道1号線を越えた、上田町あたり。南を見ています。前方に見えるのは、国道1号線の上野町交差点から加佐登方面に向かう県道47号線が、JR関西線を越える高架橋。昔とあまり変わらない光景で、懐かしさを覚えます。鈴鹿で働いていたのは、昭和54(1979)年4月~平成4(1992)年5月。令和を迎えた今からすると、とんでもない昔のようです(笑)。

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 上田町に入ってすぐ、コース脇にある民家のところ(実測ルートマップで5㎞とあるあたり)に常夜燈がありました。石薬師魅力再発見委員会が設置した案内板には「山ノ原の常夜灯」と書かれています。明治の初め頃、伊勢神宮へ燈明を上げる目的で建てられたということです。各戸が回り番で油を持ち寄って燈明を上げ、伊勢神宮に向いて参拝したのですが、その後、燈明は伝統に変わり、街灯のような存在になりました。街灯も本格的に整備されるに至り、この常夜灯も当初の役目を忘れられ、眠りについています。

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 この先、加佐登神社の手前まではダラダラと上り坂が続きます。こういう登り坂は、普段平地しか歩いていませんので、けっImg_2766c こうハード(笑)。水田地帯から登るにつれて、植木農家が増えてきます。これは、昔から同じ。国道1号線を越えたところから2㎞ほど坂道を上り下りしてようやく加佐登神社の一の鳥居近くにやって来ました。

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 こちらが加佐登神社の一の鳥居。神社は、奥に見える丘の上にあります。この「丘の上にある」というのがなかなかのとImg_2767c ころ(苦笑)。右の案内図にありますが、階段を登って約450mも行かないといけないのです。これは昔と変わらず。裏からのルートは車も入れる道で、この日のウォーキングも裏から入ってくれると、あの階段を登らなくて済むのに、と思っていました。がそうそう甘くはありません。まあ歩きに来たのですから、覚悟して登り始めます。

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 こちらが表参道を登り始めたところ。参道は昔のままですが、階段の手前に「必要な方はお使いください」と、杖が置いてありましImg_2778c た。さすがにまだ杖のお世話にはなりません(爆)。450mの登りはやはり、さすがにキツい。途中、何度か休みつつ登って行きます。私が、境内に入ってお参りを済ませ、あちこち見てから一休みしていたら、70歳くらいと思われる男性が、息を切らし、汗だくで登ってこられました。

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 5分あまりかかったでしょうか、ようやく境内に上がってこられました。日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられ、また、 紫ツツジの名所としても知られています。日本武尊を主祭神とし、古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていました。境内には倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられます。明治6(1873)年に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41(1908)年に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となっています。

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 主祭神は、日本武尊。相殿神は、天照大御神豊受大神火之迦具土神気吹土主神(はらえどのかみ)、速玉之男命天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ;天照大神を天の岩戸からさそいだすために、文布(あや)をおった神)、大国主命伊邪那美神伊邪那岐神大雀命(おほさざきのみこと;仁徳天皇)、建速須佐之男命菅原道真品田和気命予母都事解之男神(よもつことさかのおのみこと)、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト;神功皇后)、大山津見神。上述のように16社を合祀したためか、たくさんの相殿神がいらっしゃいます。

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 拝殿には、「日本武尊」と書かれた大きな扁額が掲げられていますし、拝殿に向かって右(東側)には、日本武尊の石像があImg_2803c ります。この石像は、昔からあったように記憶しています。ヤマトタケル(生年不詳~景行天皇43年)は、第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたります。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄。伝説的英雄ですから、その姿は想像でしかあり得ませんが、ここの石像、ちょっとおっさんくさい(微笑)。

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 加佐登神社に着いたのが11時50分頃でしたから、ここで昼ご飯。この日は珍しく、おにぎりを作ってもらってImg_2818c 持参。鳥居の脇にあった東屋が空いていましたので、そこでムラサキツツジを見ながら昼食&休憩。ムラサキツツジは、4月7日に出かけた伊奈富神社でも見て来ました(2019年4月 7日:20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(予告編))。

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 12時20分、再スタート。白鳥塚古墳を見に行きます。加佐登神社の北西すぐのところにあります。7基から成る白鳥塚古墳群Img_2847c_1 の主墳。正式名称は白鳥塚古墳1号墳で、三重県下最大の帆立貝式古墳だそうです。帆立貝式古墳とは、円丘の一方に比較的小さな方形の付属物が付き、平面形がホタテガイに似た古墳です。ヤマトタケルの白鳥伝説(ここがヤマトタケルノミコトの墓といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説)から、白鳥塚と呼ばれています。本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、白鳥塚を古事記にあるヤマトタケルの能褒野(のぼの)陵墓として最有力視しました。明治9(1876)年教部省は白鳥塚をヤマトタケル陵墓と治定したのですが、明治12(1879)年、宮内省はそれを覆し、丁子塚(現亀山市)を治定しています。これ以後、丁子塚がヤマトタケル陵墓(能褒野王塚古墳)とされました。能褒野網津か古墳がヤマトタケル陵墓に治定された後、地元有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画され、明治28(1895)年に能褒野神社が建立されました。白鳥塚の周りを一周。直径67mだそうです。こんもりした丘という感じです。5世紀前半に築造されたとみられるそうですが、中世以降の戦乱による荒廃もあり、学術調査では複数の円筒埴輪が出土しているのみです。加佐登神社には、鈴鹿にいた頃何度も訪れていたのですが、白鳥塚は今回初めて。

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 白鳥塚南方に新しい句碑があります。俳人・小林青波(鈴鹿市俳句連盟理事)が、この地で吟行した時に詠んだ句、「白鳥Img_2854c 座 能褒野の天に 懸りたり」が刻まれています。平成29(2017)年12月に建立されています。句碑の近くには、神社の奉賛会が建てた「日本武尊 白鳥陵」という石碑もありますし、その上には、ナンジャモンジャと思われる木も。

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 以上で、加佐登神社、白鳥塚を見終え、加佐登調整池を回る道に出て、植木まつりが行われている鈴鹿フラワーパークに向かImg_2865c_1 います。フラワーパークは、白鳥塚のすぐ西。加佐登調整池は、私が鈴鹿に就職した頃は工事中で、昭和58(1983)年2月に竣功しています。フラワーパークは、私が鈴鹿にいる頃はまだなかったと思います。

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 フラワーパークは、9.9haもある広い公園で、家族連れなどに人気のスポットのようです。中に入るのは、初めて。パンジーImg_2873c やビオラ(一緒か?)、八重桜などが咲き誇っていました。この日は、天気もよく、青空で風も弱いという絶好の行楽日和。ウォーキングでなければ、ゆっくりしたいところ。

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 植木まつりは、フラワーパークの北西エリアで開催されていました。園芸や、植木には興味はありますが、いかせんマンショImg_2877c ン住まいで、庭はありません。庭があったとしても、何か購入しても駅まで歩いた上に、電車で持ち帰るのはどうも、という次第で、会場を見て、通過したのみ(笑)。飲食ブースもたくさん出ていましたので、ここでお昼にしてもよかったかも知れません。

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 この日最後の立ち寄りスポットは、荒神山観音寺。フラワーパークの西隣。ここは、去年12月の近鉄ハイキングで訪ねていまImg_2887c_1 す(2018年12月2日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー、2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ) 真言宗御室仁和寺派のお寺。9世紀の初期、嵯峨天皇の時代、弘仁3(812)年に、弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像としてまつり、神事山(こうじやま)と称したのが始まりです。また、この荒神山観音寺の裏山では、慶応2(1866)年に神戸長吉(かんべのながきち)と穴太徳(あのうとく、穴太の徳次郎;ちなみに、穴太は、桑名の隣、東員町の地名)が、荒神山の賭場の縄張り争いから大喧嘩をしたこともありました。詳しいことは、これらバックナンバーをお詠みいただければ幸いです。この日は、本堂にお参りし、少し休憩したのみ。荒神山観音寺を出たところで9.4㎞、時刻は13時近く。

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 荒神山観音寺から先は、昔懐かしいところ。高塚町、加佐登町を通って、昔の勤務先の前を通過し、ひたすら加佐登駅に向かImg_2940c_1 いました。13時34分の電車に乗ろうと思って、です。13時20分にJR関西線・加佐登駅に無事ゴール。明治25(1892年)2月6日に関西鉄道の河原田 - 亀山間に高宮駅(たかみやえき)として開業しました。ちなみに、高宮という地名は、古代、この地に景行天皇が行在所を置かれたという伝承があるからです。明治36(1903)年加佐登駅に改称。はじめに書きましたように、ここまでに11.5㎞を歩き通しました。加佐登駅は、平成24(2012)年10月1日に無人駅になっています。が、今日は大賑わい。売店も出ており、桑名からも安永餅、美鹿山荘も出店していました。

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 例によって、この「完歩記念パネル」を撮影(微笑)。ゴールの駅名が変わるだけで、いつも一緒のパネルではありますが……。

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 この日は、TOICAエリア拡大記念のさわやかウォーキングということで、ICカード利用者のうち、先着1,000Img_2954c_1 名に「フリクションペン」をいただけるということで、ありがたく頂戴して来ました。また、鈴鹿市からの記念品として、右の写真にあるようなキャラクターの入ったクリアファイルをいただきました。うえきぴーあーるキャラクターの「たまさぶろう」だそうです。

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 加佐登駅では、古いスタンプが置かれていました。これは、昭和57(1982)年にJR関西線が完全電化したときのもの(私がImg_2959c_1 鈴鹿で就職したのは、昭和54(1979)年4月。その頃は、非電化で、単線区間ばかりのため、名古屋から1時間半くらいかかっていました。とんでもないところに就職してしまったと思ったものでした)。今日の河曲駅も、加佐登駅も新たにICカードが使えるようになりました。加佐登駅でも、右の写真のように、ICカード用の、入場、出場をチェックする機械が設置されていました。

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 加佐登駅のホームにこんなにたくさんの人がいるのはなかなか見られません。13時34分発の名古屋行き快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅停車なのですが、それ以降は快速になり、四日市の次が桑名。その次はもう名古屋。便利です。¥500。

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 JRさわやかウォーキングの参加は、去年11月以来、この日でようやく5個目。JRさわやかウォーキングは、JRImg_2980c_1 東海のエリアのあちこちで行われますから、近くであるとは限りません。咲いて10個のスタンプを溜めないと賞品はもらえませんから、今後とも、精進を重ねないといけません。右は、本日のALKOOのデータ。ウォーキングの11.5㎞に桑名駅往復が1.8㎞。合計では、13.3㎞でした。

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コメント

こころんさん、こんばんは。

いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。
歩数もそれなりに伸びましたが、それよりも、この日のコースは、けっこうアップダウンがありましたのでキツかったです(笑)。
距離を測定している「キョリ測」というサイトでは、歩いた地点の標高が分かるのですが、改めて見てみたら、最高は60mでした。

佐佐木信綱さんが校歌を作詞なさったとはすごいですね。
私の高校は、旧制中学時代の卒業生の方だったような記憶があります。

加佐登神社は、正面の参道はかなりキツくなっています。
裏から行くと、クルマで境内まで行けるはずです。

フラワーパークでの植木市はけっこうな賑わいでしたよ。
我が家では庭がありませんので、眺めるだけで通過してきました。

投稿: mamekichi | 2019年5月 6日 (月) 19時47分

ゴールおめでとうございます
23,000歩はすごすぎます。
参加されてる方々もすごいですね。
佐々木信綱さんは、高校の校歌を作詞されてて
名前だけは頭に残ってます。
校歌の頭に「地球」が出てくるのでスケールの大きな歌でした^^;
能褒野神社も行ってみたいんですが
坂が続くのですね。
mamekichiさんの歩かれてる姿が浮かんできた感じがしました。

フラワーパークの植木市はよくニュースで見ますが
たくさんの人が植木を見に来てますね。

投稿: こころん | 2019年5月 6日 (月) 17時31分

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