« 呉服屋さんのツバメの巣は満員御礼 | トップページ | 京町の呉服屋のツバメのヒナは巣立っていました……博物館の巣でもツバメのヒナ誕生 »

2019年5月19日 (日)

20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(予告編)

  本日は、近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ行ってきました。午前中は曇りがち、途中、県立美術館を出て総合博物館へ行くまでは小雨に降られ、その後は晴れてくるという天候に恵まれました(苦笑)。例によって、今日のところは予告編を。

Img_6084c 今日の受付は、近鉄名古屋線・津新町駅。4月28日にもここからのハイキングに来ています(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策』へ(予告編))。受付は、9時半から10時半ということでしたので、桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。9時48分に到着。¥750。受付開始からすでに20分ほど経っていますから、もう混雑はしていません。慌ててくる必要はありませんし……。

Img_6080c  今日のコースマップ。津新町駅を出て、谷川士清旧宅、谷川神社、國魂神社を回って津偕楽公園へ。その後は、三重県立美術190519kintetsuhikingtsusinmachi 館、三重県総合博物館、三重県総合文化センターから高田本山専修寺。ゴールは、近鉄名古屋線・高田本山駅という、マップ上は10.4㎞。右は、実際に歩いたルートマップ。今日のコースあたりはほとんどなじみがあるところや、何度か来ているところですので、幸いコースミスはしでかしませんでした。谷川士清旧宅や谷川神社は、以前から訪ねてみたかったところ。このあたりや、國魂神社が初めて訪れるところです。9時56分にスタートしました。

Img_6095c  最初の立ち寄りポイントである谷川士清旧宅は、旧・伊賀街道沿いにあります。左の写真は、津新町駅から県道163号線を経て、伊賀街道に入ったあたり。伊賀街道は、伊勢・伊賀二国の大名・藤堂高虎が移封された後、津(本城)と上野(支城)をむすぶ最も重要な官道として整備された、全長約12里(約50㎞)の街道。この道は上野経由で伊勢に向かう参宮客だけでなく、津方面から水産物や塩が、伊賀方面から種油や綿などが運ばれた伊賀・伊勢両国の経済・生活の大動脈でもありました。

Img_6116c  こちらが谷川士清旧宅。谷川士清(たにがわことすが;宝永6(1709)~安永5(1776)年)は、伊勢の生んだ二大国学者の一人で、本居宣長と並び称される学者です。八町で町医を営む谷川義章の長男として生まれ、幼い頃から家業を継ぐため勉学に励み、さらに一人前の医者になるため享保15(1730)年頃から京都に遊学しています。享保20年(1735)、津に帰郷、父の跡を継いで医者となり、地域・近郊の人々の信頼を受けていました。医業のかたわら学問にもうちこみます。士清自身の研究による著書として、宝暦元(1751)年には20年あまりかけて研究した日本書紀の注釈書「日本書紀通証(ニホンショキツウショウ)」(全35巻)を完成させました。特に第1巻附録の「和語通音」は動詞の活用図表で(現在の五十音表)、それを見た本居宣長はその学識にうたれ、以後手紙を交わして交友が始まりました。また士清の偉業に、わが国最初の五十音順にならべられた国語辞典、「和訓栞」(全93巻)をまとめたことが挙げられます。谷川士清は、本居宣長に比べその知名度は今ひとつです。これは、彼が、水戸光圀が編集した「大日本史」の誤りを一つ一つ指摘した『読大日本史私記』を書いたがため、日ごろ士清を快く思っていなかった幕府に格好の弾圧の口実を与えることになったからだといいます。幕府の圧力は、津藩を通して一気に強まり、士清は「他参留(たさんどめ)」(津藩領国からの出国禁止)、長男士逸(ことはや)は「所払い」(津領内への入国禁止)の処分を受けました。

Img_6124c  谷川士清旧宅から300m足らずのところに谷川神社があります。主祭神は、谷川士清命、古世子大明神。玉むしの森と呼ばれ、士清が日々祈念していた古世子明神ゆかりの地に社殿を構えています。谷川士清の功績を後世に伝える事を目的に、明治末頃から地元の有力者が中心になって、神社の創建を国に請願し、大正14(1925)年に創立許可されました。その社殿は「石をこよなく好んだ」士清翁に因み1メートル程に積み上げられた石の上に建てられ、昭和8(1933)年1月6日、士清の御霊代を鎮めて現在に至っています。境内地は、旧来の古世子大明神が長保2(1000)年創祀と伝えられる由緒のある地です。

Img_6161c  境内には、谷川士清の「反古塚(ほごづか)」があります。士清が、晩年(安永4(1775)年)、自ら築き、建立の日から3日続けて玉虫が姿を現したことから「玉虫塚」の名もあります。後世に自分の説が誤って伝わることがないように、これまで自分が書いて不用になったメモや下書き(反古)を埋めたといわれています。市指定史跡。

Img_6169c  谷川神社の北隣にあるのが、福蔵寺。臨済宗妙心寺派のお寺なのですが、ボランティア・ガイドの方によれば、現在は無住Img_6142c で、檀家の数も少ないようです。元々、谷川家の菩提寺だったといいます。墓域内には士清と孫の士行(しこう)、父の義章の3人の墓があります。もとは、勅願寺で、寺域もかなり広大であったそうです。右は、士清の墓。正面に「淡斎谷川士清之墓」と刻まれています。国の史跡に指定されています。士清は幼い頃から、このお寺で住職・浩天和尚に様々なことを学んだといいます。

Img_6186c  谷川神社から800mあまり。県道42号線沿いにあるのが、國魂神社。昔から「くにたまさん」「八王子さん」(はっちょいさImg_6197c ん)「宮さん」といって、氏子の方々から親しまれました。國魂神社は天地造化の神、八柱の神を祀り、八王子社と稱し、延喜(901)以前にすでに存在していた非常に古い神社です。慶長13(1608)年、藤堂高虎公の城郭拡張の際、全村西に移され現在の地に鎮座し、宝暦9(1759)年、後桜町天皇より神階正一位の勅額を賜っています。明治4(1871)年、八柱神社と改称、更に同41(1908)年3月國魂神社と改称され、同年9月に近在の村社八社、無格社及び境内社等27柱を合祀し、祭神35柱を奉斎することになりました。主祭神は、国狭槌尊(くにさづち)、豊斟渟尊(とよくもぬ)、泥土煮尊(ういじに)、沙土煮尊(すいじに)、大戸道尊(おおとのじ)、大戸邊尊(おおとのべ)、面足尊(おもだる)、惶根尊(かしこね)のいわゆる「造化神」八柱。神様調べは、また本編を書く際に行います。

Img_6261c  県道42号線をさらに東へ。新町大橋を渡って、三重県庁方面へ。県庁西の信号を過ぎた左手(西側)にあるのが、津偕楽公園。昔は「御山荘(ごさんそう)」、または「御山荘山」といい、津藩第11代藩主・藤堂高猷(とうどうたかゆき)公が、安政Img_6363c 年間(1854~60)に別荘を設けたのが始まり。偕楽園の名は高猷公の俳号からきています。明治23(1890)年に津市の公園となり、約5.5haの園内は、自然の丘陵や谷の趣が生かされ、春には桜や紫つつじ、秋には紅葉などが楽しめるところです。春は、花見の名所。

Img_6353c  園内には、江戸藩邸から移築した灯籠や、天保元(1830)年」の年号がある常夜灯(塔世橋南詁から四天王寺薬師堂前を経て移築;左の写真Img_6276c )のほか、漢学者で津藩校有造館督学・斎藤拙堂(右の写真)や、津出身の針術創出者・杉山検校、「伊勢新聞」の創始者・松本宗一の碑などが建っています。見所満載でしたので、かなり高低差のある公園内を30分ほどかけて一周。そのお陰で、私の前後には、ハイキング参加者の姿がほとんど見えなくなりました(笑)。偕楽公園をでたあたりで4.6㎞を歩き、時刻は12時。まだ半分も来ていませんので、先を急ぎます。

 公園を出て北へ。津駅西の交差点を左折し、西へ。三重県立美術館を訪ねます。Img_6389c現在、「没後200年記念 増山雪斎 展」が開催Img_6379c されているのです。増山正賢(ましやままさたか;宝暦4(1754)~文政2(1819)年)は、伊勢長島藩第5代藩主にして、書画に長けた文人大名として、「雪斎(せっさい)」の号で知られているのです。山水人物から花卉草虫に至るまで、数多くの作品を遺しました。とりわけ、虫類を真写した博物図譜、花鳥画にみられる表現の精緻は、高く評価されてきました。桑名市博物館で展覧会を見たことはあるのですが、この展覧会も何とか見てみたいと思っていましたので、絶好のチャンス。今日は、家庭の日ということで、通常¥900のところ、¥700で入場できました。

Img_6395c  展覧会を見て出て来たら、12時45分でしたので、美術館の前庭で昼ご飯。例によって、駅ナカファミマの弁当。本当は、高田本山専修寺で食べようと思っていたのですが、谷川士清旧宅、谷川神社とここでゆっくりしすぎました(苦笑)。このペースでは、弁当を食べられるのは14時過ぎになりそうでした。弁当を食べている間にヤバい事態が(笑)。雨がポツポツと……。まぁ仕方ありません、行けるところまで行って、ダメならバスに乗って津駅に行こうと、次の目的地である三重県総合博物館を目指します。幸い、バスが通る道。途中、バス停で雨宿りしつつ行きます。13時に再出発。

Img_6398c  三重県総合博物館。13時20分着、スタートからは6.7㎞。今日はここでも見たいものがありました。それは、「第23回企画展『ボタニカル・デザイン -植物のかたち、その観察-』」です。こちらも家庭の日ということで、¥800のところを¥640で入Img_6409c ることができました。展覧会は撮影可でしたので、本編のときには、多少とも紹介できると思います。三重県総合博物館では初めての植物をテーマにした企画展。植物のさまざまな「かたち=デザイン」に焦点を当てて、その意味や、おもしろさが紹介されていました。また、第2会場ではさまざまな形の植物を集めたミニ植物園も開催されています。

Img_6444c  ところで、前回行ったとき見逃してきたものがありました。それは左の写真。オオサンショウウオです。旧三重県立博物館時代から、飼育展示されていたオオサンショウウオの「さんちゃん」です。2階の飲食休憩コーナー側に設置された水槽にいます。さんちゃんは、名張市でケガをしていたところを保護され、それ以来20年以上にわたって博物館にいます。博物館の約42万点を数える収蔵資料のうち、唯一生きている資料です。博物館で見学していたのは、30分ほど。外へ出たら、雨も上がって、青空も見えてきました。13時50分、出発。三重県総合文化センターはパスして、その東を抜け県道10号線を北西へ。8㎞を過ぎて右折し、高田本山専修寺に向かいます。

Img_6487c  ようやく一身田の町を経て、高田本山専修寺に到着。スタートから9.3㎞、14時25分になってしまっていました。当初の予定Img_6502c では専修寺でお昼を食べようと思っていたのですが、谷川士清旧宅、谷川神社、津偕楽公園、三重県立美術館、三重県総合博物館とそれぞれ見たいところばかりでしたので、こんな時間になってしまったのです。左は、一身田寺内町に掲げられていたフラッグ。専修寺の御影堂と如来堂が国宝に指定されたのは、一昨年11月。右は、山門。御影堂の正面にあり、間口20m、奥行き9m、高さ15.5mという立派なもの。

Img_6508c  左の写真は御影堂。宗祖・親鸞聖人の木像が安置されています。間口42.72m、奥行き33.5m。725畳敷きで、全国の木造建Img_6511c 築物の中でも5番目に大きいもの。延宝7(1679)年の建立。右は、如来堂。ご本尊の阿弥陀如来様がいらっしゃいますので、教義の上ではこちらが本堂になります。間口25.66m、奥行き26.62m。寛延元(1748)年の建立。これらの2つのお堂が国宝。

Img_6526c  ハイキングのコースで立ち寄ったのですが、家内の父親のお骨が収めてありますので、まずは、そちらへ行き、お参りしてきDscn1061c ました。専修寺へは、今年初めて。家内の父にもずいぶんご無沙汰してしまっており、叱られたかも知れません。ゆっくり手を合わせてきましたので、勘弁してもらいましょう(微笑)。土産に本当は、桜おこしが欲しかったのですが、11~3月の季節限定でしたので、境内の茶所(ちゃじょ)にある売店で煎餅を買ってきました。茶所は、本来は湯茶の接待所。ここにも仏壇があります。土産は、家内の母にもお裾分けの予定。

Img_6581c  高田本山専修寺を14時55分に出て、毛無川沿いにゴールの近鉄名古屋線・高田本山駅を目指します。駅の手前で1本早く曲がってしまったのですが、大勢に影響はありませんし、距離も変わりません。15時18分にゴールイン。ハイキング/ウォーキング参加史上、もっとも遅いゴール。スタートが9時56分でしたから、5時間20分あまりを要したことになります。実測ルートマップ上、12㎞を歩いてきました(実際には、立ち寄り先であれこれ歩き回ったりしていますので、+αがあります)。高田本山駅15時34分発の名古屋行き普通電車に乗って、白子駅に15時49分着。ここで15時51分発の名古屋行き急行に乗り換え。桑名駅到着は、16時22分。¥690。

 ちなみに、これまでにもっともゴールインが遅かったのは、2019年1月27日のJRさわやかウォーキング(伊勢市)でした(20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))。新春のお伊勢さん参りのウォーキングでしたが、伊勢市駅を9時50分にスタートして、ゴールしたのが14時半でした。15.5㎞を4時間40分で歩いています。今日は、12㎞を5時間20分ですから、このときの記録をはるかに凌駕しています(何の自慢にもなりませんが……)。

Img_6601c  今日のハイキングで、あみま倶楽部のスタンプは18個目。よいペースです。無理をせず、着実に積み重ねましょう。ALKOOImg_6617c のデータは、右の写真の通り。20.5㎞歩いたというのは、やはり過大評価。歩数は、26,811歩に達していました。1月27日のJRさわやかウォーキングの時は、27,351歩(NINTEDOのDSの生活リズム計による)。今日歩いたのは、ハイキングで12.0㎞、桑名駅までの往復が1.8㎞ですから、合計13.8㎞。

Dscn1063c  DSの生活リズム計のデータでは、歩数は、24,202歩となっていました。「朝方のチータータイプ」に認定されましたが、チーターになったのはたぶん初めて。途中風が強かったり、雨に見舞われたりしましたが、見るべきところも多く、楽しめました。以上、予告編本編は、また少しずつ書いていくことにしますので、いつも通り、ホドホドにご期待ください m(_ _)m

 オマケ。相変わらず@niftyのココログは、動作が不安定。この記事も、かなり書いたところで「Webページが反応しません」というエラーが何度も出ました。ブラウザをCromeからFirefoxに戻して確認しても同じ現象がおきます。ということは、@niftyのココログ側にエラーの原因があると考えられます。写真が拡大しない現象は、理由は分かりませんが、回避するスキルが身につきましたので、たぶん大丈夫と思います。今月28日にメンテナンスが行われる予定ですが、しっかり不具合を解消してもらいたいと思っています。

|

« 呉服屋さんのツバメの巣は満員御礼 | トップページ | 京町の呉服屋のツバメのヒナは巣立っていました……博物館の巣でもツバメのヒナ誕生 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 呉服屋さんのツバメの巣は満員御礼 | トップページ | 京町の呉服屋のツバメのヒナは巣立っていました……博物館の巣でもツバメのヒナ誕生 »