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2019年3月30日 (土)

20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その3)……「国寶元三大師道」道標、多度神社、三ツ谷一里塚跡、法泉寺を回り、嶋小餅店でみたらし団子を食べ、三滝川を渡る

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 3月24日に行ってきた、近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」Img_8263c のその3です。旧・東海道は、羽津町の先でいったん国道1号線に合流します。なが餅で有名な笹井屋の支店から150mほど行ったところで、旧・東海道はまた左に逸れていきます。

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 その分岐点に「国寶元三大師道」の道標があります。これは、垂坂山観音寺への道を示すもの。元三大師(がんざんだいし)は、平安時代の天台宗の僧・良源(りょうげん、延喜12(912)~永観3(985)年)。垂坂山観音寺は、御本尊に良源をまつり、「垂坂山のお大師さん」「元三さん」として信仰を集めており、約1,100の歴史がある天台宗のお寺。この道標から、北西へ直線距離で約3.5㎞のところにあります。この碑は、大正4(1915)年7月に三ツ谷の森太吉という方が建立しています。碑の右側には、「垂坂山観音寺是より二十三丁」と記されています。23丁は、約2.5㎞。

Img_8279c  「国寶元三大師道」の道標のすぐ先には、多度神社があります。この神社は、その名の通り、桑名・多度にある多度大社から分Img_8284c_1 祀された神社。それ故、主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)。創立は、明治18(1885)年。明治40(1907)年、海蔵神社へ合祀されましたが、昭和25(1950)年に復興再建され、現在に至っています。ここも、この脇の国道1号線を来るまで通る度に見て、一度訪ねてみたかった神社。

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 境内には、拝殿の東に南に向いて「慰霊」碑がありました。海蔵地区遺族会が建てたもので、戦没者57柱と戦災没者3柱を祀っています。昭和40(1965)年3月の建立。筆は、当時の田中覚・三重県知事。

Img_8305c_1  多度神社の、これまたすぐ先(100m足らず)、海蔵川の土手を登る途中の左側に三ツ谷一里塚跡の石碑があります。東海道Img_8297c_1 の三ツ谷には、かつて一里塚がありました。しかし、その場所は昭和20年代に海蔵川が拡幅された際に、川の中に取り込まれてしまいました。「東海道分間之図」(元禄3(1690)年)によると、三ツ谷の一里塚は東海道が海蔵川に突き当った辺りに記されています。このため、平成13(2001)年、東海道宿場・伝馬制度制定四百周年を記念して、海蔵地区地域社会づくり推進委員会がこの場所に一里塚跡の石碑を建てて、後世に伝えることにしたのです。三ツ谷一里塚は、日本橋からは99里。

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 旧道には橋がありませんので、国道1号線の海蔵橋に迂回します。海蔵川の堤防は、桜の名所です。この日、桜(ソメイヨシImg_8309c ノ)はまだ咲いていませんでしたが、すでにぼんぼりがつるされ、橋の上流側の左岸堤防には露店多数が出店していました。旧・東海道には、海蔵橋を渡り、すぐ左折します。海蔵橋を渡りきったところでスタートから4.5㎞、時刻は10時55分。

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 海蔵橋から300mほど行ったところ、四日市市京町にあるのが、法泉寺。真宗本願寺派のお寺。四日市にあるのですが、ここImg_8327c_1 は桑名の歴史を語る上では、外せないところです。明治元(1868)年、鳥羽伏見の戦いで敗れた桑名藩は恭順を決め、1月23日に先代藩主・松平定猷の嫡子・萬之助(後の松平定教)は家老を引き連れて、四日市の新政府軍陣営(真光寺)に出頭したのですが、Img_8351c_1 実際に幽閉されたのは、ここ法泉寺です。萬之助は、法泉寺に100日間謹慎蟄居して恭順の意を表しました。当時の遺品が残り、寺宝となっているそうです。この時、萬之助はまだ12歳でした。法泉寺では人々の出入りが禁じられましたので、檀家も参詣できずに困ったといいます。法泉寺でスタートからは4.8㎞。

Img_8340c  法泉寺を過ぎたあたりからは、四日市宿であったところの中心部に近づいていきます。5㎞を過ぎたところの右手(西側)にImg_8338c は、宝来軒本店という菓子屋さん。「フランス菓子 モンパー」ともありますように、ここは和菓子、洋菓子両方取り揃えている。おすすめは四日市名物、大入道せんべい350円~だそうです。店頭にも、大四日市まつりに登場する大入道のオブジェがありました。

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 宝来軒本店と目と花の先には、立ち寄りポイントに設定されている嶋小餅店。創業は、文政年間(1818~1830年)」というImg_8346c_1 古い店です。事前のリサーチで、「みたらしは、昔風の香ばしい焼団子」とありました(微笑)。私の好みのタイプのみたらし団子。立ち寄って、みたらし団子を1本。¥90。確かに、昔風で香ばしい。それにお値打ち。店先でいただいてきました。マイベストである、郷里の「天王の団子」の次にランクインと思えるくらいです。

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 嶋小餅店の先で三滝川を渡ります。橋は、三滝橋。このあたり、道幅は結構広くなっています。この三滝橋、江戸時代は、東Img_8362c 海道を往還する人馬でにぎわう土橋でしたが、明治10(1877)年に板橋(長さ42間、幅2.5~3間)に架け替えられ、さらに大正13(1924)年6月には、鉄構橋(長さ約72m、幅6.3m)になっています。橋梁の歩道には、萬古焼陶板で作られた祭の絵や古地図などがあります。

Tokaido43_yokkaichi   ちなみに、歌川広重が「東海道五十三次」で描いた四日市宿は、この三滝橋あたりとされます。絵では、旅人が笠を飛ばされて慌てている光景が描かれています。遠景に船の帆柱らしきが立っていますので、上流側から見ていて、左が桑名宿の方と考えられています。土橋(どばし、つちはし、つちばし)は、一般には丸太を隙間なく並べて橋面を作った木の橋の橋面に土をかけてならした橋だそうです(城における土橋はこれと異なり、堀を横断する通路として設けられる土の堤)。江戸時代まで、日本の川にかかる橋のほとんどは土橋でした。広重の絵は、これとは違ったものになっていますが、実際にはどうだったのでしょう?

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 実測ルートマップは、その4の範囲に来ています。三滝川を渡ったここからがいよいよ四日市宿の中心部となります。三滝川を越えたところで、スタートから5.4㎞、時刻は11時15分。この先、せっかく来たからと、コースマップには示されていない、本陣、脇本陣などの跡も探して歩きました。ここで切りがよいのと、その4の分量が多くなりそうですから、その3の記事はやや短めですが、ここまで。

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