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2019年3月21日 (木)

20190316JRさわやかウォーキング「早咲きの「桜みちまつり」を抜け「旅まつり名古屋2019」へ」へ(その2)……三菱UFJ銀行貨幣資料館、文化のみち二葉館、山吹谷公園、橦木館へ

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 3月16日のJRさわやかウォーキング「早咲きの『桜みちまつり』を抜け『旅まつり名古屋2019』へ」のその2です。JR中央線・大曽根駅を9時35分にスタートし、最初の立ち寄り先である徳川園に50分ほど滞在し、庭園を楽しんできました。徳川美術館と蓬左文庫は、またいずれ訪れることにします。徳川園を10時40分に出て西へ。徳川町、山口町を経て、国道19号線赤塚交差点から南下。三菱UFJ銀行貨幣資料館を目指します。
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 赤塚交差点に来ると、この建物が見えてきます。ここが三菱UFJ銀行貨幣資料館。旧・東海銀行の時代からこの貨幣資料館はありました。ここもずいぶん前から一度訪ねたかったところです。この日のJRさわやかウォーキングの少し前、東海テレビの「ぐっさん家」でも山口智充さんが訪ねていました(19/01/26放送、ぐっさん!歴史と文化が残る白壁お散歩旅!)。スタートから3.5㎞、10時55分に到着。
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 三菱UFJ銀行貨幣資料館に到着したものの、決して大きな資料館ではありませんので、ウォーキング参加者で大混雑。内部は人いきれで暑いくらい。できればこういう混雑する日ではなく、平日の空いたときにゆっくり見たいところ。日本だけでなく、世界各国の貨幣約1万点が常設展示され、和同開珎、大判、小判から現代の紙幣まであります。中には、世界最古の貨幣「殷の貝貨」、エジプト「クレオパトラ女王の銀貨」など珍しいものも展示されています。大賑わいでゆっくり見られないということもあろうかと思ったわけではありませんが、事前の予習で見逃してはならないものを3点決めておきました(笑)。予習にはやはり意味があります。
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 その一つが、江戸時代の両替屋を復元したモデル。両替屋は、時代小説や、テレビの時代劇でもよく登場しますから是非とも見たかったのです。両替屋は、江戸時代に金融機関の役割を果たしました。庶民にはほとんど用事はなかったようですが、大名や商人を相手に預金・貸し付けを行うとともに、金・銀・銅の三貨幣藩札などの両替や、遠隔地との商取引に伴う為替業務も行っていました。
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 この両替屋の復元モデルでは、当時実際に使用されていた道具類が展示されています。左の写真では、銀貨秤や、大福帳、銀Img_6774c貸帳などが見えます。右の写真には、千両箱、秤、大きなそろばん、舟箪笥などが写っています。

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 見たかったものの2つめは、天正沢瀉(てんしょうおもだか)大判(天正大判についてはこちら)。世界最大の金貨で、豊臣秀Img_6805c吉がつくらせたもの。現存するのは3枚だそうです。裏面中央に沢瀉(おもだか、池や沼に生える植物)の紋が打たれています。裏にある墨書きは所持人を示し、秀吉から大名に下賜され、手形の裏書きと同様に、人手に渡る毎に名前や花押が記されたそうです。重さ165グラム、金は73%となっていました。
Img_6807c 3点目は、万両箱。千両箱は、時代小説や、時代劇でもなじみがありますが、万両箱となると珍しいものです。その名の通り、一万両の大金を保管する金庫。ここに展示されている万両箱は、江戸時代から明治維新の時まで、京都二条城の御金蔵に格納されていたと伝わるもの。外側は鉄帯で絡められ、内部には一面に厚い南蛮鉄が厳重に貼られているそうです。重量は、万両箱だけで何と約150㎏もあります。安政小判では、1,000枚で9㎏あるそうですから、一万両では90㎏。したがって、万両箱に一万両を入れると、240㎏にもなります。これでは盗むにしても、とても運べません。
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 ちなみに千両箱も展示されており、こちらは持ち上げてみることができました。千両箱自体が6㎏。上述のように、安政小判でImg_6787cは1,000枚で9㎏ありますから、合計15㎏。時代劇では、盗人がヒョイと担いで、走って逃げますが、よほどの力持ちで、体力がないとできない気がします。持ち上げてみましたが、けっこうズッシリときました。千両箱の隣には、1億円の札束(ただし、本物ではないそうです)。こちらも持ってみることができましたが、重量は10㎏!
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 その他、あれこれ見て来たのですが、とても紹介しきれませんし、最初に書きましたように大賑わいでゆっくり見て回れませImg_6791cんでした。左の写真は、一分金。一分金4枚で一両。換算は単純ではありませんが、一両=75,000円としますと、一分金は、18,750円。おおざっぱに言えば、2万円弱。上にある慶長一分金は、重さ4.43グラム、金86%、銀14%だそうです。右は、慶長小判。重さ18グラム、金86%、銀14%です。


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 この日は、広重の東海道五十三次(保栄堂版)の展示もされていました(5月12日まで)。パラミタミュージアムや、四日市市博物館などでも見ていましたが、もう一度と思ったものの、このコーナーも大賑わい。宮、桑名、四日市、庄野など我が家近くの宿場のものだけ、ざっと見て来ました。三菱UFJ銀行貨幣資料館は、入館無料、9~16時(入館は15時半まで)、月曜・祝日・年末年始休館。一見の価値ありと思います。

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 三菱UFJ銀行貨幣資料館で15分ほど見て回り、10時55分。ここから国道19号を南へ。平田町で右折、飯田町Img_6824cで左折し、文化のみちへ。徳川園から名古屋城にいたるエリアは、江戸、明治、大正と名古屋の近代化の歩を伝える多くの建物など、貴重な歴史的建造物が残っており、「文化のみち」と名づけられています。余談ですが、その途中、横断歩道橋には、「徳川一丁目」という地名がありました。

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 貨幣資料館から1㎞あまり、11時20分に二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)に到着。ウォーキングのテーマにあるように、早咲Img_6845cきの桜(オオカンザクラ)が満開で、「桜みちまつり」が開催されていました。二葉館もイベントが行われていて大賑わい。建物の玄関に行列があって、入れるのか?と心配になります。止めようかとも思ったのですが、この機会を逃すと、こられないかも知れないと思い直し、¥160を払って入館。

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 ちょうど11時から11時半は、大広間でソプラノ歌手の方のコンサートが行われていて、そのために賑わっていました。ここ二葉館は、Img_6856c日本初の女優といわれた川上貞奴と、電力王と称された福沢桃介が大正から昭和の初期にかけて暮らしていた邸宅を移築、復元したものです。貞奴に関わる資料の展示と、名古屋にゆかりのある文学資料が保存、展示されています。
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 川上貞奴(さだやっこ;明治4(1871)~昭和21(1946)年)は、美貌の芸者として知られ、明治24(1891)年俳優で興行師の川上音二郎と結婚。明治31(1898)年渡米。欧米を巡業し、この頃から貞奴を名乗っています。欧米では「マダム貞奴」として知られています。川上音二郎亡き後(明治44(1911)年)、福沢諭吉の娘婿である福沢桃介が彼女を助けたため、世間から批判もされたといいます。福沢桃介(ももすけ;慶応4(1868)~昭和13(1938)年)は、相場師としてなと財をなし、電力事業に力を注いでいます。大阪送電(大正9(1920)年、大同電力と改称)などを設立し、木曽川で水力発電を開発しました。旧姓・岩崎。写真の左側に写っているのは、唯一現存する貞奴の舞台衣装と「深山の美人」の舞台で貞奴が使用した小道具(薙刀)のレプリカ。衣装は、花魁の打ち掛け。右側は、ドイツ人画家ミュッラーが1900年頃に描いたポスター
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 二葉館の外観は、前の写真にありますように、オレンジ色の洋風屋根が目立ちます。内部では、ステンドグラスから光がこぼImg_6877cれてきます。和室もあり、落ち着いた感じも味わえます。左の写真は、1階の展示室1(旧食堂)のステンドグラス。右の写真は、1階の展示室4(旧書斎)。貞奴が使った書斎でしょうか。


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 1階廊下の奥には、巨大な配電盤が残っていました。大理石でできています。電力王といわれた福沢の邸宅だけあって、建築投Img_6891c書から電気はかなり使われていたようです。主な部屋には呼び鈴が付いていて、親機は事務室に設置されていたようです。呼び鈴を押すとベルが鳴るとともに、番号が表示され、どの部屋で呼ばれているかすぐ分かるようになっていました。

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 1階の廊下には、創建当初の煉瓦基礎が見られるようになっています。当初の基礎を大きなままで解体して、再び同じ位置に設置してあります。底盤部分は、煉瓦1枚半積みで、立ち上がり部分は1枚積みとなっています。全体の高さは約80cm、床下に表れている高さは約47.5cm。

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 2階廊下、東側の窓。実は、この二葉館移築の際に、建物の向きを90度回転しています。この窓は、建築当初は北向きで、当時はこの窓からアルプスの山々が見えたといいます。またこのガラス窓、はめ殺しになっています(雨戸のように戸袋には格納できるということです)。建築は大正9(1920)年。もとは東区白壁三丁目1001番地にあったものを、平成12(2000)年から17(2005)にかけて工事をし、現在の東区橦木町三丁目23番地に移転しています(詳細はこちら)。
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 2階の展示室には、坪内逍遙城山三郎小谷剛江夏美好春日井建など、名古屋を中心とする文学者やその作品などが紹介Img_6901cされています。個人的には、城山三郎さんの書斎の再現展示がもっとも興味があり、しげしげと見てきました。複写ではありましたが、城山三郎さんの「男子の本懐」の手書き原稿もありちょっとコーフン(微笑)。諦めずに、見て来てよかったと思った次第。
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 二葉館からは200mほどで、山吹谷公園。その名の通り、山吹の名所なのですが、花の時期(4~5月)にはまだ早い。この日は、桜みちまつりのイベント会場となり、マルシェが行われていました。ちなみに、「尾張名所図会」には、「暮春の比は遊蕩の諸人、酒さかなを携え来り、山吹の花を愛でつつ歌ひ舞ひなどせし地なるが、いつしか武家の宅地となりて、今なほ山吹のところどころに残れるは昔のおもかげぞかし」とあります。一通り見て、公園の目の前にある橦木館へ。
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 こちらが橦木館(しゅもくかん)。ここは、輸出陶磁器商の井元為三郎によって大正末期から昭和初期に建てられたもの。井Img_6972c元為三郎(明治7(1874)~昭和20(1945)年)は、愛知県出身。明治30(1897)年、名古屋で陶磁器販売の井本商店を創業。後、アメリカ、東南アジアにも進出しています。和館、洋館、二棟の蔵、茶室、庭園が残っています。ここは、約600坪肉割りされた、江戸時代の武家屋敷町の跡。広い敷地と、陶磁器の産地で有名な瀬戸・多治見の両街道や、堀川にも近く、船積みにも便利だったため、明治に半ばには陶磁器の絵付け・加工業者などが集まったところ。橦木館は、周囲の古い邸宅の多くが取り壊される中、平成8(1996)~平成14(2002)年にかけて5組の店子が入り、一般公開や各種文化的なイベントを催していました。その後、いったん閉鎖されたものの、平成16(2004)年には市民団体が管理を初め、平成19(2007)年に名古屋市が取得し、修理を行い、平成21(2009)年7月からオープン。
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 徳川園を見た直後ですから、庭園はさほど立派にも思えないかもしれませんが、そもそも比べる対象ではありません。和館、洋館、茶室をつなぐ、緑豊かな庭園とImg_6932cなっています。右の写真は、和館の廊下からガラス窓越しに見たお庭。なかなか風情がありました。


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 橦木館の1階には、大きな和室が2部屋。訪れた日は、ちょうど落語会が始まるところでした。1階にある洋室には、名古屋のImg_6944c陶磁器産業の歴史を伝える資料が展示されています。その他、台所、浴室なども残っており、当時の生活を垣間見ることができます。左右の写真は、2階の展示室(旧娯楽室)に展示された陶磁器製品。井元為三郎が扱ったもの以外にも多数あります。井元商店の製品は主に輸出向けでしたので、国内にはあまり残っていないそうです。右の写真のカップ&ソーサーはアメリカに輸出され、長年使用された後に里帰りした大変珍しいものということでした。

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 ステンドグラスは、玄関ホール他、洋室の各所に使われています。左の写真は、2階の展示室にあったもの。ボランティアの案内人の方は、戦時中は倉庫かどこかにしまわれていたので、金属供出などにされなかったとおっしゃっていました。右の写真は、同じImg_6948cく2階の展示室の西側の窓。写真ではよく分かりませんが、気泡の入ったガラスが使われていました。
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 井元為三郎は、大正に入ると、陶磁器以外に医薬品や雑貨も扱うようになり、大正13(1924)年には名古屋陶磁器貿易昇降同業組合の組合長に就任。陶磁器業界の重鎮として活躍します。こうして蓄えた富を背景に井元邸(橦木館)が建てられました。為三郎の処世訓は「幸福は我が心にあり」で、好きなことを存分に行った、豪放磊落な人物であったといいます。2階の展示室にあったこの写真では、ダチョウに乗っています。彼の処世訓を象徴するような気がします(昭和3(1928)年、ロサンゼルスで撮影されています。井元為三郎48歳のとき)。
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 橦木館は、二葉館ほどではありませんでしたが、けっこう賑わっていました。1階にはカフェもありますから、空いていて天気Img_6929cがよければお茶でも楽しむとよいでしょう。橦木館も、二葉館同様、JRさわやかウォーキングのコースマップを呈示して、団体料金(¥160)で入館できました。


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 この日は、「桜みちまつり」も開催され、また、名古屋市営地下鉄の駅ちかウォーキング「千種区巡る「ちくさんぽ」から、東区「早咲き!桜みちまつり」コース」も開催され、大賑わいでした。近くには他に、陶磁器貿易商として成功した春田鉄次郎の旧邸や、発明王・豊田佐吉の弟で佐吉を支えた実業家豊田佐助の旧邸宅もあります。この地区(白壁・主税・橦木地区)は、
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名古屋城の東にあり、築城の際につくられた町の一部。江戸時代には、中級の武士の屋敷が並んでいたところですが、その後は、大正~昭和の名古屋の発展を支えた実業家たちの邸宅が並ぶエリアになりました。イベントがない日にじっくりと楽しみたいエリアです。

 その2は、ここまで。その3では、名古屋市市政資料館、清水街園(気になっていた石碑があります)から、コースミスをして大回りしましたが、名古屋城の外周へと進みます。

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コメント

おユキさん、こんばんは。

貨幣資料館は、面白いところでした。
東海銀行の時代からあったんですよ。
私は前から一度行って見たいところでした。
両替屋の復元モデルも、万両箱も、千両箱の持ち上げ体験も楽しめること請け合い。

二葉館は、オレンジ色の屋根が印象的ですが、建物もなかなか雰囲気があります。
書斎は、小さくて何もない方がよいかも知れませんね。
私など、リビングに居候していますから、落ち着きません。

写真が拡大できないものがありますね。
@niftyの仕様変更で、投稿するときに、写真をクリックしたらどうするかという選択肢がなくなりました(記事でのサムネイルのサイズだけが指定可)。
そのため、たぶんココログの側の不具合が残っているのだろうと思います。

それはともかく、春になって来ましたので、お時間をつくってお出かけください(微笑)。

文化のみちには、他にも見所がたくさんあるようです。
他も是非とも見てみたいと思います。

投稿: mamekichi | 2019年3月23日 (土) 18時36分

mamekichi先生、こんにちは。

山口町なんて、イヤほど行っていたのに、貨幣資料館があるとは知りませんでした。
両替屋といえば、朝ドラ「朝が来た」にも出て来ましたね。
千両箱ならぬ万両箱があるなんて、びっくりぽんです。

二葉館の外観、まるでムーミンの家のようだと思いました。
書斎、こうして見ると、やはり狭くて何もないのが良いのかなぁ、と思います。
良いなぁ、と思いつつ、自分だったら、あっという間に物で溢れてしまいそう、とも思います(笑)。

貞奴の舞台衣装のお写真、拡大できなくて泣いています。
他にも何点かのお写真が見れないのですが、「直接行って、みておいで」と言われるのでしょうねぇ(苦笑)。

東区白壁三丁目から、今の場所に移したとのこと。
地図で確認したら、ほんのちょっと、ズラしたくらいの距離なんですね。

今回回られた場所以外にも、たくさんの見所があるんですよね。
意図的に作られた、○○パークではないので、地図を見て、きちんと予習をしていかないと、後悔しそうです(笑)。

投稿: おユキ | 2019年3月23日 (土) 13時32分

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