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2019年3月20日 (水)

20190316JRさわやかウォーキング「早咲きの「桜みちまつり」を抜け「旅まつり名古屋2019」へ」へ(その1)……大曽根駅をスタートして、徳川園

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 3月16日に出かけたJRさわやかウォーキング「早咲きの「桜みちまつり」を抜け「旅まつり名古屋2019」へ」の本編(その1)です。この日は、風はあったものの、気温は14℃を超え、絶好のウォーキング日和でした。受付は、JR中央線・大曽根駅で8時半から11時。いよいよ、ハイキング/ウォーキングも、JR中央線に進出です(微笑)。
Img_6535c 桑名駅を8時38分発のJR関西線名古屋行き普通電車に乗車。名古屋着Img_6538c は、9時9分。いったん改札を出て、名古屋駅発9時16分の中央線・神領行きに乗り換え。大曽根駅には9時28分到着。料金は、¥350+¥200=¥500なり。左は、名古屋駅・中央線ホームに停車中の神領行き電車。右は、大曽根駅のホーム。名古屋で開催されるJRさわやかウォーキングは、参加者がたくさん。
Img_6543c JR大曽根駅の北口の改札を出たところで、コースマップが配布されていまImg_6552c した。右がそのコースマップ。この日のコースは、大曽根駅をスタートして、まずは徳川園へ。その後、三菱UFJ銀行貨幣資料館に立ち寄って、文化のみちエリアへ。二葉館、山吹谷公園、橦木館を経て、名古屋市市政資料館。そのあと、名古屋城外周、テレビ塔を見て、久屋大通公園がゴール。コースマップ上は約6.8㎞となっていました。
Img_6546c 大曽根駅をスタートしたのは、9時35分。大曽根駅は、現在、耐震補強工事Img_6550c と、リニューアル工事が行われていて(こちら)、外の駅名表示が確認できませんでした。
Img_6548c 実は、ここ大曽根駅あたりは、あまり来たことがありません。2016年3月29日にナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズの開幕戦を見に行った帰りにこの駅からJRに乗って帰ったと思います(2016年中日ドラゴンズナゴヤドーム開幕戦)。左の写真は、駅の西側。大曽根といえば、「OZモール」とか、一時騒がれましたが、その後どうなったのでしょう? と思って調べたら、平成元(1989)年に竣工したのでした。さらにその後、私は知らなかったのですが、「オズガーデン」という地下街もつくられたようです。「今浦島太郎」です(苦笑)。
190316jrwalkingoozonec こちらが実際に歩いた、実測ルートマップ。実は、名古屋市市政資料館190316jrwalkingoozone1 を出た後、清水橋を越えたところで、曲がるべき矢印を見逃して、コースミスをしでかしてしまいました。そのお陰で、1.5㎞ほど余分に歩く羽目に。正しいルートは、朱い矢印を入れたものでした。徳川園で、庭園を見るのに歩き回ったこともあって、最終的に地下鉄・矢場町駅に着いたときには、11.7㎞ほど歩いていました(苦笑)。右は、大曽根駅から徳川園、三菱UFJ銀行貨幣資料館あたりの詳しい実測ルートマップ。
Img_6560c スタートの大曽根駅から南下、徳川園へ。スタートから1㎞足らず。北駐車場側のImg_6569c 入り口から入ります。ここは、いわば裏門。敷地内に徳川園徳川美術館蓬左(ほうさ)文庫があります。すべて一度来てみたかったところ(こういうところ、たくさんあります。いつも書いていますが、近くで知っているのに行ったことのないところがたくさんあります。こういう機会でもないと、自分ではなかなか出かけられません)。本来であれば、すべて見て回りたいところですが、ゴール受付時間も設定されていますので(15時まで)、今日は、庭園だけを拝観することに決めていました。
Img_6583c 徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩2代藩主・光友が、元禄Img_6574c 8(1695)年に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたといわれています。光友没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22(1889)年からは尾張徳川家の邸宅となりました。
Img_6658c 池泉回遊式の日本庭園です。江戸時代の主な大名庭園と同じ様式となImg_6660c っています。清流が滝から渓谷を下り、海に見立てた池へと流れる様子は、日本の自然景観を象徴的に凝縮しているといわれます。さらに徳川園では、大きな高低差のある地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を体感できるようになっています。
Sansaku_map 庭園を見るのは好きなのですが、いったいどのように見たらよいのかまではよく分かっていません。地泉回遊式ですから、池の周りを回りながら楽しめばよいかということで、とにかく一通り見て回ることにしました。左は徳川園のサイトからお借りした散策マップに歩いたコースを入れたもの。南勢にある出入口(黒門口)から入って、矢印のように回りました。瑞龍亭のところでは一回り。観仙楼では、その前で結婚式が催されていて通れませんでしたので、龍仙湖の西側を通って、観仙楼の東にある龍門の瀧を見てきたという次第。その順序にしたがって見ていきます。
Img_6579c 黒門口で料金¥300を払って庭園内へ。直進すると、この「虎仙橋(こせんImg_6581c きょう)」。檜造りの橋で、「虎の尾」に架かっています。5m下に虎の尾の渓流が見下ろせます。下流(向かって左)には、「龍仙湖」が望めます。右の写真は、龍仙湖の方を見下ろしたもの。
Img_6586c 虎仙橋を渡ってまっすぐ行くと、「四睡庵」の手前に梅の木が4本ほど植Img_6588c えられていて、ほぼ満開。写真を撮る方多数。梅の木の西、サンシュユの花が咲くそばに浅野梨郷(あさのりきょう)の歌碑。「宇つりつつ 静かに色をかへてゆく 登与波多雲の 空のたなび起」と変体仮名で刻まれています(うつりつつ 静かに色を かえていく 豊旗雲の 空のたなびき)。浅野梨郷は、名古屋出身の明治~昭和期の歌人で、「アララギ」の創刊にも関わったといいます(明治22(1889)年~昭和54(1979)年)。東京外国語学校卒後、日本交通公社主事、名古屋市観光課長などを歴任。歌碑は、昭和54(1979)年に浅野がなくなる直前に建立されています。
Img_6594c 「四睡庵(しすいあん)」。梅や桃の木に囲まれた休み処です。リーフレッImg_6601c トには、隠れ里のような風景の中にぽつりと立っています」とありますが、まさにその通り。「四睡」とは、豊干(ぶかん)・寒山(かんざん)・拾得(じつとく)の三人が虎とらと寄り合って眠っている図で、禅の境地を示すのだそうです(私のような凡人には残念ながら到達できないでしょう)。
Img_6597c 四睡庵の脇には、水琴窟がありました。手水鉢の前の地下に穴を開けたImg_6599c 常滑焼の甕を逆さにして埋め込んであります。その水琴窟のところをよく見たら、三ツ葉葵のご紋が入った、これは瓦なのでしょうか、焼き物が4つ置かれていました。こういうささいなというか、どうでもよいというか、そういうところに目が向いてしまうというのは、凡人の証明です(苦笑)。「四睡」の境地には到底到達しません。
Img_6607c 「大曽根の瀧(おおぞねのたき)」です。四睡庵の南にあります。「虎の尾」がここから発しています。落差6mの三段の瀧。段によって岩の組み方が異なるため、水しぶきの様子も違います。瀧の背後の山は徳川園の中でもっとも高く、龍仙湖の水面とは約11mの標高差があるといいます。ちなみに、大曽根というのは古くからの、このあたりの地名だったそうです。Wikipediaによれば、「曽根」という地名は城下町から一里離れた地点に付けられることが多く、ここがあと一里で名古屋城下に至る場所であったことによるとみられるといいます。また、河川(矢田川)の磯根・底根の意であるとの説もあるそうです。
Img_6614c 大曽根の瀧から龍仙湖に流れるのが、「虎の尾」。なかなか風流な景色を為しています。深山幽谷とリーフレットでは形容。初夏に訪れれば新緑が、また、秋には紅葉が楽しめそうです。流れる水が、虎の尾のような形をしているように見えます。また、「虎の尾を踏んではいけない」ことから、「川に足を踏み入れてはいけない」ことを連想させるとも、リーフレットにはありました。なるほど。
Img_6617c 虎の尾の途中に橋がかかり、その先、流れが広くなってImg_6621c 池のようになっているところがあります。まったく予想もしなかったのですが、ここにマガモの姿があり、驚きました。すぐ近くから見ているのに、逃げる様子はありません。思わぬところでバードウォッチングができました(微笑)。
Img_6633c 虎の尾に沿って進むと、最初に渡った虎仙橋をくぐって、「龍仙湖(りゅうせんこ)」に行けまImg_6643c_2 す。左の写真では、奥の方から手前に進んできています。右が、その龍仙湖。大曽根の瀧から、虎の尾を流れた水が、ここに注ぐわけですが(地下水を水源にしているようですが)、海に見立てられています。
Img_6646c 地泉回遊式庭園ですから、龍仙湖の水面の回りに見所が配置されていImg_6712c ることになります。「観仙楼(かんせんろう)」の北に松が植わった小島がありますが、これなどたぶん観るべきポイントの一つだろうと思います。
Img_6658c_2 龍仙湖の北側、大曽根口のところには、船小屋がある渡し場になっていImg_6675c ます(左の写真)。また、「瑞龍亭(ずいりゅうてい)」の下(東)には、砂州を模したと思われる通路が設けられています。広い池、周りは緑に囲まれ、市街地のビルなどもあまり見えないようになっていますし、この日のように晴れていると、ゆったり歩くのがとても気持ちの良いところです。
Img_6641c 龍仙湖の北東側には、「西湖堤(さいこてい)」があります。白楽天、蘇東坡など、古くからの文人の憧れの景勝地である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したものだそうです。異国情緒を取り入れたものとされ、小石川後楽園(東京都)や、縮景園(広島県)など、現存する大名庭園にもある様式といいます。
Img_6680c 西湖堤を渡り、渡し場を通り、牡丹園の南から西側に渡ると、瑞龍亭に至ります。瑞龍亭には、南側から入れます。入って行くImg_6682cと、瑞龍亭の前にこれはたぶん休み処。休み処と瑞龍亭との間に、鹿威しや灯籠。鹿威し、何だか気になります。改めて調べてみたら、「添水(そうず)」ともいうようです。もとはその名の通り、田畑を荒らす鳥獣を音で脅す仕掛けだったものが、庭園などに設けられ、その音を楽しむようになったといいます。今回も、動画を撮ってきました(ココログが更新されて、動画の挿入方法がまだ分かりません)。
Img_6701c こちらが瑞龍亭。尾張徳川家2代藩主・光友公の諡號「瑞龍院」から名づけられた茶室。龍仙湖の西の高台にあり、龍仙湖の彼Img_6688c方に西湖堤を眺望できるところにあります。織田有楽斎を始祖とし、かつては尾張徳川家で重用された尾州有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れているそうです。織田有楽は、安土桃山・江戸前期の武将。織田信秀の11男。関ヶ原の戦では家康にしたがっています。晩年は茶道に親しみ、千利休の高弟の一人。

Img_6684c 鹿威しの手前には、「関守石(せきもりいし)」があります。私自身は、ここで見るまで知らなかったのですが、茶庭で路地
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の飛び石の岐路において、通行止めの標識とする石だそうです。蕨縄(わらびなわ)や、棕櫚縄(しゅろなわ)で十文字に結ぶものだといいます。瑞龍亭から、観仙楼の前を通って行きたかったのですが、この日は、観仙楼で結婚式が行われていて通れませんでした。
Img_6688c そこで瑞龍亭の東にある、おそらく砂州に見立てられたところを通って、牡丹園のところから、渡し場、再び西湖堤を渡りまImg_6671cした。ボタンはまだこれから。それにしても、この龍仙湖の回りの景色、なかなかのものです。私自身、こういう水があって広々とした空間が好きで、落ち着くのですが、ここはその中でもベストワンになるくらいと思います。
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 瑞龍亭を砂州のところから見上げた写真。なかなかの景色と思います。新緑の季節や、紅葉の季節にまた来て見たいと思わせられます。
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 龍仙湖の東側を戻り、観仙楼のそばへ。ここからは虎の尾の西と、「龍門の瀧(りゅうもんのたき)」からのImg_6719c流れの間の石段を登っていくことにしました。龍門爆ともいわれ、鯉が滝を登り切ってりゅうとなったという龍門伝説に基づく瀧の形式の一つだそうです。尾張家江戸下屋敷にあった瀧の石を使って再現したものです。尾張家江戸下屋敷は、戸山屋敷ともいわれ(現在の東京都新宿区戸山町あたり)、平成10(1998)年、早稲田大学の敷地内で江戸時代の大規模な石組みが見つかり、調査の結果、戸山屋敷にあった龍門の瀧の以降であることが確認されたといいます。伊豆石といわれる安山岩で、徳川園はこれを譲り受け、戸山屋敷の龍門の瀧を蘇らせたのだそうです。
Img_6724c これで庭園はほぼ一通り見て回りました。黒門口の南にある「徳川園ショップ葵」を覗いて、他へ回りました。このショップImg_6651cには、地元の名産品などのお土産の他、伝統工芸品、和菓子などいろいろなものを売っていましたが、今回はお買い上げなし。そうそう、龍仙湖にはたくさんの鯉がいました。中でも目だったのは、右の写真にあるような金色の鯉。さすが尾張徳川家などと思ってしまいました(微笑)。
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 左の写真、正面が徳川美術館。ここも見たいところでしたが、今回は、JRさわやかウォーキングでゴール時間に制限(15時)がありましたので、泣く泣く諦めました。4月7日までは「尾張徳川家の雛まつり」という展覧会が開催されています。その他、名品コレクション展示として、武家のシンボル(刀剣、武具)、大名の数寄(茶道具)、室礼(書院飾り)などの常設展示もありますから、また是非とも来て、見てみたいと思っています。
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 こちらは、名古屋市蓬左文庫。蓬左文庫は、尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵しています。現在の蔵書Img_6728c数は、約11万点にものぼるといいます。書籍以外にも、尾張徳川家に伝わる絵図、2,000枚以上を所有しています。蓬左文庫は、尾張藩の御文庫に始まります。御文庫は、元和2(1616)年、徳川家康が亡くなったことにより、その遺品の多くが、尾張、紀伊、水戸の御三家に分譲され、後に駿河御譲本と呼ばれる家康の蔵書3,000冊が尾張徳川家に送られたことに始まるといいます。蔵書は拡大され、幕末期には約5万点になったと推定されています。
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 その他、徳川園内にあるものを見て回ってきました。この写真は、釣瓶井戸。黒門の内側、南にあります。石造の井戸で、木造切妻杉皮葺の屋形があります。明治33(1900)年頃につくられています。国の登録有形文化財です。井桁が1.95m角の花崗岩、釣瓶の高さが2.4mという大きなものです。
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 徳川園黒門。木造、瓦葺き。これも登録有形文化財。間口は3.6m。潜戸が付いています。明治32(1899)年に建てられています。黒塗りの旧徳川家大曽根堤の表門です。薬医門。2本の柱の背後に控え柱を立て、切妻屋根がかけてあります。三ツ葉葵の紋の瓦が載っています。装飾は謙虚ですが、いかにも大名屋敷の門という風格があります。
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 脇長屋。黒門に連続してその南側にあります。木造平屋建て、瓦葺き、建坪は127平方メートル。明治33(1900)年頃に建てられ、その後2回改修されています。桁行」19.6m、梁間6.6mで入母屋造。西側は、連続する塀に合わせて、腰を下見板張り、上部を白漆喰塗りとしてあります。武者窓もついています。ここは、徳川園の管理事務所になっているようです。
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 徳川園の塀。これは、黒門東の蘇山荘のところ。木造瓦葺き。総延長は84m。潜り戸があります。明治33(1900)年頃につBunka05くられ、平成16(2004)年に改修されています。この写真の辺りは、傾斜地になっていて、階段状の塀です。蘇山荘は、昭和12(1937)年に名古屋市が開催した「名古屋汎太平洋平和博覧会」の折りに迎賓館として建てられたもの。昭和22(1947)~平成8(1996)年までは名古屋市の公営結婚式場として使われ、その後、平成16(2004)年からは喫茶室として活用されています。写真は、徳川園のサイトからお借りしました。
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 これで徳川園の見学終了。時刻は10時40分。徳川園を出たところで、スタートから2.6㎞。徳川園内をよく歩きました。ちなみに、このあたりは名古屋市東区徳川町。徳川が地名になっているのです。ここから次は、三菱UFJ銀行貨幣資料館へ向かいますが、それはその2にて。ココログのメンテナンス、トラブルを経て、ようやくJRさわやかウォーキング(大曽根)の本編その1がアップロードできます。投稿画面がかなり変わり、まだ十分習熟していません。それに、今のところコピー&ペーストをどのようにするか不明で、ちょっと苦労しています。その2以降もなるべく早く投稿しようと思っています。

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コメント

おユキさん、こんばんは。

長い記事を読んでくださり、恐縮です。
徳川園、たぶん一日でもいられます(微笑)。

ある日思いついたら、お出かけください。
たぶんそれしかありません。

学生時代、牡丹園にいらしたんですね。
大曽根口からお入りになったのではないでしょうか。
学校行事ならば、学校で入場料を払ったとか。

ここは近ければ、四季それぞれに訪れたいと思いますが、たぶん近いと行かないでしょうね(爆)。

投稿: mamekichi | 2019年3月21日 (木) 19時28分

mamekichi先生、連投です。

徳川園、これだけ見所があると、半日くらい居座る覚悟が必要ですね。
この季節には、茶会なども催されているはずですが、これもなかなか行けません(苦笑)。
何かと理由をつけて、行けば良いのにと、我ながら思います。

学生のころ、牡丹園へスケッチに行きました。
が。お金を払ったのかどうか、牡丹以外のことを殆ど覚えていません。
徳川園の最果てにあるので、裏側(表通りではなく、という意味です)からこっそりお邪魔したのではないか、と思えてなりません(笑)。

秋にはまた、紅葉の話題でニュースでも取り上げられます。
先生がこれだけ気に入ったと仰るのですから、是非、行くべきですね。

投稿: おユキ | 2019年3月21日 (木) 10時40分

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