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2019年3月 2日 (土)

20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞

 今日は、ほぼ半月ぶりに近鉄ハイキングに行ってきました。「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」です。名鉄とのタイアップ企画となっていました。

Img_4636c 近鉄名古屋線・塩浜駅がスタート。川尻公園、采女城跡、上品寺、小松神Img_4638c_2 社、中山寺、采女八幡社、四季菜(JAみえきた)、内部地区市民センター、うつべ町かど博物館を経て、杖衝坂、芭蕉句碑、日本武尊血塚社を回り、四日市あすなろう鉄道・内部駅がゴールという、コースマップ上約14㎞。内部駅からは、四日市あすなろう鉄道にのってあすなろう四日市駅へ。
Img_4641c 塩浜駅での受け付けが、9時20分からでしたので、桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。9時18分に到着。コースマップをもらい、今日は、近鉄あみま倶楽部KIPS対象ハイキングでしたので、KIPSポイント100をプレゼントされ、9時半にスタート。
190302kintetsuhikingsiohama_2  こちらが実際に歩いたルートマップ。立ち寄り先の細かい移動はカウントせずに、15.6㎞を歩きました。今年1月27日に出かけたJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」の時が、15.5㎞でしたImg_5156c ので、それにほぼ匹敵する距離。ただし、今日は、城跡や杖衝坂へ登る等、アップダウンがかなりあり、難儀しました(笑)。先日からスマホを使っていますが、そのアプリ(ALKOO(あるこう)という、ナビタイムが提供するウォーキングアプリ。詳しい説明は、こちら)では、右の写真のような結果になっていて、ビックリ。まだ生活リズム計では歩数をチェックしていませんが【28,411歩でした(3/3追記)】、30,000歩オーバーなら新記録。距離は、どのようにカウントしているか未確認(GPSも使っている模様)。
Img_4650c 塩浜駅を少し南に行ってから、西に向かいます。四日市あすなろう鉄道Img_4653c の線路を越えるまでは、コンビナートの工業地帯を通っていきます。最初の立ち寄り先である川尻公園は、スタートから2.1㎞。この公園は、昨年(2018年)6月2日の近鉄ハイキングで一度来ています(「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ(完))。なので、写真を撮ってほぼ通過。そのまま西へさらに1.5㎞。
Img_4668c 四日市市小古曽地内。これから行く「小許曽(おごそ)神社(実測ルートマップでImg_4676c は、小古曽神社と表記しました」の石柱と、慈現山(じげんざん)観音寺があります。このお寺は、ネットでは情報がほとんど出てきません。黄檗宗のお寺。歴史的に明らかになるのは、元文2(1737)年、黄檗宗の僧が四日市で一泊した折、夢のお告げでここに新しく寺を建て、観音寺としたといいます。
Img_4695c 観音寺にお参りして、小古曽神社へ。延喜式内社。延喜式には、「小許曽神社」として載っています。創立年代は不詳。由緒書きによれば、元来、東の宮と西の宮とがあったのですが、明治39(1906)年の合祀令を受けて、西の宮(現・小古曽神社)に合祀されました。
Img_4700c 大日霊貴尊(オオヒルメノムチ)、天宇受売命(アメノウズメノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト;高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子)をはじめとして、13柱の神様が祀られています。今日と明日は、「御鍬祭(田祭の一種で、鍬形を神として崇め、農事を祈るもの)」が開催されていました。
Img_4747c 小古曽神社からいったん国道1号線へ出て、その後、内部川の左岸を上流へ上っていきます。今日は、天気もよく、暖かくてハイキング日和。川沿いを気持ちよく歩けます。
Img_4760c ほぼ6㎞地点で、采女城跡に来ました。ちょうど11時。後藤伊勢守基秀Img_4766c が分応元(1260)年に築城し、織田信長の伊勢侵攻で永禄11(1568)年に落城するまで、約300年間にわたり栄華を極めたといいます。遺構として9つの郭(くるわ)、空堀、土疊、深井戸、虎口があり、県下では第1級の歴史的遺産と評価されています。内部東小学校の西300mほどの所にあります。
Img_4772c せっかく来ましたので、城跡へ登ってみることにしたのですが、これがけImg_4779c っこう大変でした。城跡は、30~50mほどの高さのところにあるのです。虎口、五の郭跡を経て、足はがくがく、息は絶え絶えで一の郭跡へ。これだけ上がってくると、見晴らしもよいもの。城跡は、東西200m、南北250mに及びます。
Img_4782c 上右の写真で中央に写っている、囲われたところが、深井戸跡。織田信長の侵攻で落城するとき、城主後藤藤勝は討ち死にし、その奥方と千奈美姫は、この深井戸に身を投げて父のあとを追ったといいます。後世、この古井戸から「夜な夜な女のすすり泣きが聞こえる」とか、「馬のいななきや、女人の悲鳴が細く尾を引く」などと語り継がれているそうです。哀れな話です。
Img_4802c 采女城跡を降りて、さらに西へ。スタートから6.8㎞。開徳山上品寺があります。ここは、真宗高田派のお寺。内部(うつべ)地区貝家(かいげ)町にありますが、その地名は、上品寺の門階の下に位置する階下(かいげ)に由来するといわれています。嘉祥2(849)年、土師宿禰岩次(はじすくねがんじ)が建立した成保寺が始まりと伝え(開山:澄順法師)、寛正元(1461)年天台宗から浄土真宗になり、元和元(1615)年現在地に移り、延宝7(1679)年上品寺と改名しています。
Img_4818c 成保寺の本尊であった釈迦如来像(10世紀、像高99cm、市指定文化財)は、江戸時代の初めに上品寺に移されたといわれ、現在も上品寺に引き継がれ、市指定文化財となっています。樟の木を用い、頭部と胴体を同じ木材で作る一木の像。この像は、体の内部に大きく開いた洞(うろ)があります。干割れを防ぐために人工的に彫られたものではなく、仏像を作る前からそのような状態であったと考えられています。おそらく、霊木で造ったためといわれています。今日は、ハイキングに合わせて特別に開帳されていました。
Img_4837c 続いて、小松神社。ご祭神は、建速須佐之男命(タケハヤノスサノオノミImg_4839c コト)、大山祇命(オオヤマツノミコト)。三重県郡家・土師辿馬手の嫡子に小松という人があり、聖武天皇天平3(731)年、前杵開発田一二町をなし、この領土の名により小松村と号したが、この頃、産土神として小松神社を創建したことに始まるといいます。明治41(1908)年、波木にある加富(かふ)神社へ合祀されましたが、崇敬者の熱意により昭和17(1942)年に分祀されています。合祀された名残か、境内には大正12(1923)年に建てられた「加富神社遙拝所」がありました。
Img_4861c 続いて、南小松町にある月見山中山寺(がっけんざんちゆうざんじ)。真Img_4867c 宗高田派のお寺。高田本山専修寺第十世真慧(しんね)上人開基の旧跡寺院です。寛正2(1461)年、小松中山(今の北小松町)に建立されたのですが、法難にあって炎上し、弟子蓮蔵坊慶林が南小松に移転再建し、現在に至っています。真慧上人の御遺物として、山門に掲げる「月見中山」の扁額や上人の身の危険を告げて動き出したと伝えられる「歩行石」があります(歩行石は見てきませんでした)。
Img_4882c 中山寺には、四日市市の天然記念物に指定されているモッコクがあります。本堂裏西北方、書院廊下の西側に聳えています。根元周囲は6.9m、胸高周囲3.8m、樹高は13.2mで、樹齢は300年を超えるといわれています。「超古木」、「大径木」として、全国でも有数の大樹で、県下では先に出るものがないそうです。このモッコクはその再建時(1500年以前)に植えられたと伝えられていますので、樹齢は450年以上と推定されています。ちなみに、モッコクは暖地に分布する常緑の樹木で、樹形が良く、葉が枝先に輪生状について見栄えが良いので、庭木として珍重されているそうです。
Img_4896c 中山寺を出たところで12時を過ぎていましたので、近くのコース沿いにある南小松子ども広場・運動広場でお昼にしました(9.5㎞地点)。広くて、日当たりのよい運動広場のベンチです。今日は、ファミマの「バラエティおかず&おむすび」弁当(税込み¥368)。リュックに入れているうちに、偏ってしまいました(苦笑)。味には変わりありません。ここからは、昔済んでいた笹川の公団住宅も見え、懐かしく思いながら弁当&休憩をしてきました。
Img_4917c 12時半に再スタート、途中で普賢菩薩を見ましたが、南小松子ども広場・Img_4927c 運動広場からほぼまっすぐ東へ。国道1号線の手前を南に入って、スタートから11.3㎞のところに采女八幡社があります。ご祭神は品陀和気命、建速須佐之男命、金山毘古神、大日孁貴命など19柱。由緒書きには、堀河2(1188)年、鎌倉時代に創建されたとありました。明治42(1909)年に波木町の加富神社に合祀されましたが、大正15(1926)年に分祀され、元の通りに地元の氏神として祀られることになっています。
Img_4923c この采女八幡社、高台にある、この写真のような階段、2つを登って行かないと拝殿に出られませんでした。コースマップにも、「急な階段に注意」とあったくらい。今日のコースは、かなりアップダウンや、山登りがありますので、難儀しました(苦笑)。普段ほとんど平地を歩いているツケが回ってきたようです。
Img_4943c 13時10分、四日市市内部地区市民センターへ到着。ここImg_4947c で「うつべめし」のふるまいがあります。「なくなり次第終了」とあったので心配したのですが、「報恩講汁」をいただけました。少し甘みのある、大根の味噌汁です。このあたりの真宗のお寺で、報恩講のときに振る舞われてきたものだそうです。
Img_4952c 市民センターではさらに、先着400名に四日市あすなろう鉄道のオリジナImg_4950c ルマグネットをプレゼントとありました。心配したのですが、十分先着400名には入れました。ここには、四日市市のゆるキャラであるこにゅうどうくんも登場。市民センターの手前で12㎞を越えています。
Img_4973c 市民センターから出て、少しだけ国道1号線を歩き、采女の町へ。このあImg_4993c たりは旧・東海道こちらにコースマップがあります)。「うつべ町かど博物館」へ立ち寄ります。内部地区からの古代の出土品、庶民の生活用品等、歴史と文化を伝える展示がされていました。
Img_4995c うつべ町かど博物館のすぐ先からが杖衝坂となります。東海道では箱Img_4997c 根、鈴鹿峠に次ぐ難所の一つといわれます。景行天皇の41(111)年、日本武尊が東征の帰りに極度の疲労のため、腰の剣を杖にして登ったという急坂です。確かにかなりキツい登りになっています。古事記には、「吾足如三重勾而甚疲(わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)」とあります。すなわち、私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れたということで、これが「杖衝坂」と「三重」の名前の由来といわれます。
Img_5055c 杖衝坂には、昭和4(1929)3月に三重県が建てた「史跡 杖衝坂」というImg_4999c 石碑が建っています。ここは、上述のように三重の名前の起源にもなったところで、昔から一度訪れてみたいと思っていたところ。ようやく念願が叶いました。
Img_5058c_2 常夜灯を挟んで、向かって右には、松尾芭蕉が当地で詠んだといわれている句碑が残されています。貞享4(1687)年、松尾芭蕉が江戸から伊賀への帰途、この急坂で落馬してしまい、そのときに詠んだ句です。「歩行(かち)ならば 杖衝坂を 落馬かな」 宝暦6(1756)年、村田鵤州が坂の中ほどにこの句碑を建てたのですが、明治の初期、坂ノ下の屋敷の庭園に移されました。しかし、その後、所有者の厚志により再びもとの地に移設されています。
Img_5040c
Img_5036c この先、杖衝坂を登りきったところに日本武尊御血塚社があります。ここは、日本武尊が出血した足を洗い流したところと伝えられています。鳥居の奥にある血塚の祠は日本武尊の血で染まった石を集めて葬ったと伝えられています。余談ですが、江戸時代には、この血塚社の前に、名物の饅頭屋があったといいます。坂を登って来たら、ここで一息つきたくなります。その気持ちはよく分かります。これですべてコンプリート。血塚社で13.7㎞、13時45分でした。
Img_5084c 釆女が丘のニュータウンを回り、内部橋で内部川を越え、四日市あすなろう鉄道の内部駅を目指しました。ゴールは、14時15分。15.6㎞を歩いてきたことになります。次の四日市行きは、13時35分。会社の名前は、未来への希望(明日にむかって)と、運行する内部線および八王子線が軌間762mmという狭軌(ナローゲージ)であることに由来します(こちら)。
Img_5138c ナローゲージですから、三岐鉄道北勢線と同じくらいの、小さな車両。あImg_5091c すなろう四日市駅までは、¥260。ローカル鉄道ですから、ゆったりした旅。四日市あすなろう鉄道は、近鉄からの移譲により、平成27(2015)年4月から運行を開始。
Img_5104c 車内はこんな風。これは新しく導入された車両で、しかもシースルー列Img_5106c 車。1両の床面に、縦約16cm×横約67cmの強化ガラス窓3枚を設置し、枕木や道床、車輪が動く様子が見られるようになっています。あすなろう四日市駅には、14時58分着。四日市で、四日市近鉄百貨店にある丸善に立ち寄って、文庫本を1冊購入。四日市発15時28分の名古屋行き急行で桑名まで。15時40分着、¥300。
Img_5153c これであみま倶楽部のスタンプは、9個目をゲット。ボチボチ増やしていきましょう。
 ところで、今日は15時からNTNシティホールで講演会がありましたが(「~会津の「義」と戊辰戦争~」というテーマで、会津松平家14代当主の松平保久氏がお話しなさる)、結局、帰宅が16時頃で間に合いませんでした。「あぶはち取らず」というか、「二兎を追う者は一兎をも得ず」というか(苦笑)。読みが甘かったといわざるを得ませんが、残念。
 記事の本編は、また明日以降、少しずつアップしていきます。

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