« エナガ、今年初お目見え、そしてウメジロウに、今日は「シメ・デー」 | トップページ | 20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その2)……長谷神社、能部神社、後藤酒造場から星川駅にゴール(完) »

2019年2月18日 (月)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その1)……春日神社(稗田)、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡、教専寺から善徳寺へ

 2月9日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその1です。10日近く経って、ようやくここまで到達しました(苦笑)。去年も同じような企画があり、後藤酒造場を訪ねてみたかったのですが、予定が合いませんでした。

Img_2459c 近鉄ハイキングではありましたが、受付は、三岐鉄道北勢線・蓮花寺駅でしImg_2464c た。徒歩で三岐鉄道西桑名駅へ。北勢線は、JR・近鉄桑名駅の南にある西桑名駅からいなべ市北勢町の阿下喜駅まで20.4㎞を結んでいます。日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の1つで、鉄ちゃんには有名。大正3(1914)年4月、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが開業したことに始まります。軽便鉄道の名残です。三重県内には、四日市のあすなろう鉄道も、ナローゲージです。
Img_2468c 電車もご覧の通り、ミニサイズ。西桑名駅を9時40分に出る楚原行きに乗車。蓮花寺までは8分、¥170。乗車した電車は、レトロカラーにペイントされています。調べてみると、もとは三重交通モ4400形電車です。北勢線開業100周年記念(2014年)に作られた旧北勢線の復刻カラーとして、三重交通であった時代の塗装になっているのです。これに乗るのは初めて。
Img_2472c 車内はこんな感じで。ロングシートの間も狭い。足が長い人同士が向かいImg_2475c 合って座ったら、つかえそう。ちなみに、小生は大丈夫(胴長短足の典型的日本人体型なのです)。
Img_2486c この日のコースマップ。蓮花寺駅をスタートして、長谷神社、後藤酒造場で酒蔵見学、三岐鉄道・北勢線・星川駅がゴールという約8㎞のコース。ホームページには載っていなかったのですが、矢部駿河守の墓碑(薬師堂)も立ち寄り先になっていました。これら以外にも、稗田で春日神社(石取祭のある桑名宗社とは別)、桑部では2つのお寺、さらに、能部神社もコース沿いにあって立ち寄って来ました。
190209kintetsuhikingrengeji こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。桑名の上水道の水源である員弁川の南側を歩いています。桑部など古くからの町や、正和台という、少し前の新興住宅地を通ります。実際に歩いたのは、7.9㎞。員弁川(町屋川)を、桑部橋と、坂井橋の2回、渡ります。ゴールの星川駅の隣には、三洋堂星川店、さらに、時々買い物に出かけるMEGAドン・キホーテUNY星川店(以前は、ピアゴ星川店)があります。土地勘はあるようなないような、微妙な地域。
Img_2487c スタートの蓮花寺駅(れんげじと読みますが、地元では、「れんげいじ」といわれています)。受付は10時からでしたが、着いた時(9時48分)にはすでに数10人の方が並んでいました。酒蔵みてある記は、やはり人気。コースマップを受け取り、あみま倶楽部の会員証に捺印してもらって、歩き始めたのは、9時55分。
Img_2495c 蓮花寺駅を出てすぐ、市立在良小学校のところで、横断歩道橋を渡り、Img_2498c 西別所地内から、稗田へと進みます。ここで、年末の近鉄ハイキング(2018年12月8日:20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(予告編))で顔なじみになった男性と遭遇。四日市の富田にお住まいの男性と遭遇。近鉄益生駅から歩いてきたとおっしゃり(3㎞弱あります)、ビックリ。さらに、帰りは、後藤酒造場から歩いて帰宅する積もりだとも! 伊坂ダムなどちょっとした山を越えて、直線距離でも5㎞はあります。いろいろな方がいらっしゃいます。
Img_2502c  スタートして800mほど、桑名市稗田にある春日神社。石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)とは別です。創祀は伏見天皇(在位1287~1298)以Img_2504c 前とされます。奈良の春日神社より、春日神社(桑名宗社;中臣神社の方です)へ分祀される時、この春日神社に小休があったといいます。そのための仮殿から始まったのでしょう。御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ;鹿島神宮の祭神。伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神)、斎主神(経津主神(ふつぬしのかみ)、刀剣の神格化された神。建御雷神と共に,高天原からの最後の使者として出雲に派遣されて、大国主命に国譲りを承知させた)、天児屋根命(あめのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、姫大神(特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの)。
Img_2508c 境内にはもう一つお社がありましたが、何も説明はなく、不明。「第10回北勢線の魅力を探る~お地蔵さんを巡って、酒蔵へ~ 」を見ると、伊奈利社かも知れないと思います。詳しい方でしたら、お社の形から何系の神様かお分かりになるのかもしれませんが、まだそこまで勉強が至っていません。
Img_2510c 神社の隣の空き地には金ピカの仏像などがあります。こImg_2512c れも気になります。グーグル・マップなどを見ても、何も記載されていません。空き地の中央には、これは卒塔婆といって良いのでしょうか、「南無妙法蓮華経 奉」と書かれています。その下には、仏像が刻まれた板。裏側を見てくると、何かわかったかもしれません。ネットの検索では、限界があります。現地でよく見る、地元の方がいらっしゃれば聞いてみることが必須でした。
Img_2514c 春日神社のすぐ東辺りのお宅の玄関の屋根にこういうものが飾られていました。ハトをかたどったものです。私は初めて気づいたのですが、検索して見ると、こういうハト飾りをつくっている瓦会社もありました(タツミ)。ハトは、八幡神の神使とされてきたといいます。八幡神は軍神ですから平和とは結びつかず、武士の家紋ともなったそうです(Wikipediaの説明を参照)。「平和のシンボル」というのは、戦後入ってきた西洋的な価値観の影響。こういうハト飾りは「無病息災 子孫繁栄 招福の象徴」と書いているブログもありました(こちら)。このあたりで1㎞ほど。
Img_2522c 春日神社の先でグルッと回ると、薬師堂があります。正式には、宝増山薬王寺。室町時代に天台宗の寺院として建立されましたが、織田信長の北勢侵攻の際に焼失し、その後、江戸時代に法華宗に改宗してこの地に移転したと伝えられています(こちら)。
Img_2526c この薬師堂の境内に「史蹟矢部駿河守埋葬之地」という石碑があります。矢部駿河守定兼(寛政元(1789)~天保13(1842)年)は、江戸後期の旗本。天保12(1841)年、江戸南町奉行となりました。住民には思いやりのある名奉行だったものの、老中水野忠邦天保の改革を断行した老中)と対立。目付鳥居耀蔵(大学頭林述斎の子。甲斐守を名乗ります。旗本鳥居家の養子となった後、目付として蛮社の獄で洋学を弾圧し、老中水野忠邦の信任を得ました。天保12(1841)年、江戸町奉行となり天保改革を推進。厳しい市中取締りは江戸町人から妖怪(耀甲斐)と恐れられ、また反感を買いました)の画策により在任8カ月で罷免され、桑名藩へ永預け、改易の処分を受けました。これに抗議し、絶食して死んだといわれます(病死という説もあります)。
Img_2532c これは、石碑の碑陰の写真。「矢部駿河守定謙ハ幕府旗本ニシテ令名アリシガ天保ノ幕政改革に際シ鳥居甲斐守ノ讒ニ遭ヒ職ヲ追ハレ桑名藩ニ預ケラル、桑藩コレヲ吉之丸に置キ優遇セシガ定兼桑名着後自ラ食ヲ断チ憤死ス、顕本寺日顕上人コノ所ニ葬ル、法名隔雲院孤月日高大居士、 天保十三年七月廿四日歿、行年五十二」、さらに「小説『天保図録』作者松本清張氏ノ援助ヲ得テ建之」とあります。桑名市文化財調査委員会によって建てられたのは、昭和39(1964)年7月。
Img_2531c  矢部駿河守定兼が桑名藩に預けられてからのことについては、こちらに詳細な言及があります。天保13(1842)年7月に亡くなり、その後、顕本寺で日顯上人が葬儀を執り行い、薬王寺に埋葬されました。その後、許されて、遺族・家来が町屋川の河原で荼毘に付し、遺骨を持ち帰りました。跡地に村人がムクノキを植え、墓標代わりにしていたのですが、枯れてしまい、その跡に北勢史談会が木製の墓標を建てました(昭和25(1950)年8月)。昭和36(1961)年、作家・松本清張が訪れ、多額の寄付を寄せ、昭和39(1964)年9月、この墓碑が建立されています。松本が訪れたのは、歴史小説「天保図録」の取材のためです。「天保図録」は、天保の改革(天保年間 (1830~44) 年)を描いています。「天保図録」は1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで「週刊朝日」に連載された作品です。水野忠邦が、いわゆる天保の改革を着手する前夜(1841年)に政敵となる中野石翁・水野美濃守一派を追放した『かげろう絵図』の終わりから始まっていますが、その描くところは、商品経済の発展についていけなくなった徳川幕藩体制の崩壊プロセスといわれます。
 この「矢部駿河守定兼埋葬之地」も以前から、一度訪れてみたかったところでした。
Img_2538c 「矢部駿河守定兼埋葬之地」の石碑から、西へ3㎞半くらい。県道3号線との交差点の西に、鳥居が見えました。グーグル・マップなどを見ますと、「敷政稲荷神社」とありますが、鳥居と社号標が残るのみ。こちらのサイトに2016年12月2日づけ鳥居の写真が載っています。しかし、ネットではめぼしい情報は出て来ません。2年あまり前までは、神社としてあったと思われます。
Img_2543c このあと、員弁川を桑部橋で渡って、桑部に入っていきます。桑部橋をわたってすぐのあたりでスタートから2km。10時20分頃。桑部橋をわたってすぐに右折するのですが、直進して、コンビニ(セブンイレブン)や、コープみえ桑名センターの辺りは桑部城跡だったようです(こちらの文化財のサイトもご参照ください)。下調べが足らず、そちらには行きませんでした。
Img_2561c 桑部橋からは桑部の町へ入っていきます。200mほどで桑部小学校の北Img_2557c に至ります。昔からの町で、古い民家の壁には、昔の看板が残っています。桑名でよく見かける「結納品 宝石 羽田」、「結納 宝石 平岡」、「松岡電気」が揃っています。
Img_2563c 桑部小学校のすぐ西には、藤花山教専寺があります。浄土真宗本願寺Img_2565c 派のお寺。かなり立派なお寺なのですが、由緒書きや、説明板はありません。ネットではこれという情報はありませんし、「くわな史跡めぐり」などにも記述はありませんでした。
Img_2575c もう少し進むと、小学校の北西にも浄土真宗本願寺派の善徳寺がありまImg_2580c す。こちらも、教専寺と同じく、由緒書き葉見当たらず、また、ネット検索でも、「くわな史跡巡り」などの本でも言及されていません。
Img_2584c 善徳寺で印象に残ったのは、こちら。山門を入って右手に、戦死なさった方々の墓が多数並んでいたことです。おそらく、門徒の方で会ったと思われます。いずれにも花が手向けられ、今でも篤く供養されていることが窺われました。
190209kintetsuhikingrengeji1 ここまでの少し詳しい実測ルートマップ。蓮花寺駅から員弁川の南側に来て、歩いています。桑部橋の南にある「城山台」の辺りが、桑部城跡です。善徳寺までで約2.5㎞。その1はここまで。次は、長谷神社から。

|

« エナガ、今年初お目見え、そしてウメジロウに、今日は「シメ・デー」 | トップページ | 20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その2)……長谷神社、能部神社、後藤酒造場から星川駅にゴール(完) »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« エナガ、今年初お目見え、そしてウメジロウに、今日は「シメ・デー」 | トップページ | 20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その2)……長谷神社、能部神社、後藤酒造場から星川駅にゴール(完) »