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2019年2月15日 (金)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その1)

 ようやく2月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」の本編その1に到達しました(苦笑)。このところ、3週連続で、週末は近鉄ハイキングか、JRさわやかウォーキングに行っております。そのせいで、バックオーダー山積。現役の頃も、いろいろ頼まれたり、与えられたり、無理強いされたりして、仕事の山でしたが、それを思い出します。ぼやいていても始まりません。現役当時は、やむにやまれず頼まれ仕事を引き受けたand/or引き受けざるを得ませんでしたが、現在はすべて自己責任であります故。
Img_1465c この日は、JR東海道線・笠寺駅がスタート&ゴール。今回は、マジメにJRでImg_1460c 出かけました。桑名駅を8時38分の名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には、9時9分着。いったん改札を出ますが、そうすることによって桑名~名古屋、名古屋~笠寺ともに近郊区間料金が適用されるのです。9時18分の東海道線・岡崎行き普通に乗って、笠寺着は、9時29分。¥350+¥200=¥550。
Img_1467c スタートは、JR笠寺駅東口。ここは、日本ガイシホール(旧・レインボーホーImg_1902c ル)の最寄り駅。ずいぶん昔、ユーミンのコンサートなどに来たことがあります。ガイシホールは、駅の西側。
190203jrwalkingmapc こちらがコースマップ。JRさわやかウォーキングでは、コースに矢印の案内が掲出されますので、マップはおおよそのものが配られます。この日訪れたのは、笠寺駅の北東側。節分でしたので、笠寺観音がメインです。笠寺駅をスタートして、富部神社、呼続公園、長楽寺から旧・東海道を少し歩いて、笠寺観音。そして、見晴台考古資料館。資料館のある笠寺公園と、そこに移植されたきんさん桜・ぎんさん桜、笠寺の一里塚、七所神社を経て、笠寺駅に戻るという、マップ上約6.8㎞のコース。
190203jrwalkingkasadera こちらは実際に歩いたルートマップ。7.4㎞でした。スタートしたのは、9時半。受付は8時半から始まっていますが、驚くことに、私がスタートする時点ですでにゴール受付をしている人たちが20~30名もいるのです。今日のマップ上の距離6.8㎞は、1時間では歩けません。この人たちには、「JRさわやかジョッギング」か、「JRさわやかランニング」だとしか思えません。それに立ち寄り先にはたぶん立ち寄らず、とにかく回って来たのではないかと思えて仕方ありません。まぁ、他人様のことはともかく、きっちりと歩くことにします。
190203jrwalkingkasadera1_2  この日のコース、その1。笠寺観音は、一度はお参りしたいと思っていたお寺。今年は恵方観音ではないので、空いていると勝手に決めてかかったいたのですが、予想は見事外れ。大賑わい。コースを見失いそうになりました。しかし、これもまた楽し。
Img_1473c 笠寺駅を出て東へ。すぐに左折して、名古屋高速3号大高線の下を北に向かって歩きます。都会でのウォーキングは、三重県内で歩いているのとは、まったく景色が違いますし、参加者も桁違いという印象。900mほどいったところで右折。呼続という辺りに向かいます。名古屋市南区の北側エリアです。学生時代、名鉄電車で名古屋に通っていましたが、「呼続」という地名は何となく不思議だなと思っていました。このウォーキングを機会に調べてみたら、「『よびつぎ』は『よび・つぎ』で、よぼよぼ(よびよび)の傾斜地と平地とのつぎ目(継ぎ目)を表す地形地名で、現地はかつて『呼続浜』と呼ばれた海岸で、丘陵状の土地が平地に落ちる所につけられた地名だ』という説がありました(こちら)。鎌倉時代の笠覆寺文書にも「呼続の浦」とあるそうで、古くからある地名と考えられます。地形的には山崎川を挾んで瑞穂台地と笠寺台地の間の低地を呼続の浜と呼んでいる(ここをご覧ください)。
Img_1482c スタートして20分、9時50分頃最初の目的地、富部神社に来ました。慶長8(1603)年、愛知県津島市に鎮座する津島神社から牛頭天王を勧請したもので、「戸部天王」とか、「蛇毒天王」とも呼ばれたそうです。「蛇毒神(あるいは蛇毒気神((ダドクケノカミ)」というのは私にとっては初見。京都の八坂神社に祭られているそうで、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が変化したものとも言われています。神様の世界も奥が深い。
Img_1495c  その後、慶長11(1606)年、清洲城主・松平忠吉(ただよし)(徳川家康四男)が、病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。ここは名古屋市南部の笠寺台地の上。古代、この周辺は海で、「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれます。万葉集では、「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。
 ちなみに、清洲の藩主だった忠吉がなぜここまで来て祈願したのでしょう?津島神社の方が近い気がします。
Img_1503c_2
 御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。相殿神は、田心姫命(タゴリヒメノミコト;記紀神話の神。宗像三女神の一柱。天照大神と素戔嗚尊との誓約(うけい)の際生まれた)、湍津姫命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;こちらも、天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、菊理媛神(ククリヒメノカミ;伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされているものの、そのとき菊理媛神が何を言ったかや、出自なども不明の神様)。田心姫命や湍津姫命の名前は初めて。なぜここに宗像大社の三女神が祀られているのでしょう? わからないことがたくさんあり過ぎです。ちなみに、相殿神は明治11(1878)年に合祀されています。回廊は改築されていますが、本殿と祭文(さいもん)殿(写真のもの、拝殿はなく、祭文殿がその役割を果たしています)は造立当時のものです。本殿は一間社流造、桧皮葺で、正面の蟇股、破風、懸魚、等桃山時代の建築様式をよく伝えており、昭和32(1957)年、国の重要文化財に指定されています。
Img_1549c 富部神社でもう一つのお宝は、こちら。享保12(1727)年に造られた山車(高砂車)。名古屋市指定有形文化財。本体屋根の上に社檀(神を祀るとImg_1556c ころ)と呼ばれる屋形を飾り付け、そこに高砂尉と姥の人形が飾られていますので、「高砂車」と呼ばれています。全高8mの車楽は(鳥居よりはるかに高い!)、昭和12(1937)年まで、祭礼時(戸部天王祭)には東海道を曳行されていたといいます。現在は上部の社檀を外し、2階造の屋形の状態(全高4m)で収蔵庫に納められ、10月の大祭日に一般公開されています。この日は、特別に収蔵庫を開けていただけました。
Img_1483c 境内社もみておきましょう。まず、一の鳥居の脇には、秋葉社が祀られています。Img_1486c秋葉社が祀られた経緯その他は、神社のサイトにも説明はなく、よく分かりません。
Img_1514c 拝殿に向かって左(西)には2つのお社。1つは、八王子社と居森社。八王子社は、素戔嗚尊の八柱の御子神を祀る神社です。八王子宮、八柱神社(やはしらじんじゃ)などとも呼ばれます。また、居森社は、素戔嗚尊幸御魂(すさのおのみことさきみたま)を祀るお社で、「幸御魂」は「幸福な働き」。八柱社、居森社ともに津島神社にもあります。というよりも、牛頭天王を津島から勧請したときに一緒に来られたのかもしれません(想像です)。由緒書きには触れられていません。
Img_1517c もう1つは、富部龍王社。こちらも由緒書きにはありませんので、よく分からないというのが正直なところ。
Img_1546c さらに混迷を深めるようなものを見つけました。イチョウImg_1544c の木なのですが、右の写真のような掲示があります。「お葉つき銀杏」だそうで、茨城県笠間市にある天然記念物・親鸞上人御手植えの「お葉つき銀杏」の子木だということで、寄贈された方がその実を育て、昭和43年に寄附されたとあります。神社に親鸞聖人御手植えの銀杏というのは、ちょっと不思議な感じもします。ちなみに、お葉つき銀杏は、銀杏の変種で、葉の上に実を結ぶ、または葉上に(やく)を付けるイチョウのことをいい、全国に約20本ほどの存在が知られているそうです。
 これで富部神社も一通り見たと思って、隣の呼続公園に行ったのですが、後で調べたら、境内末社にさらに金毘羅社もあったようです(こちら)し、鳥居付近には石碑もあったようですが、いずれも見逃しました(苦笑)。下調べが不十分。
Img_1569c 富部神社の北から北西に呼続公園があります。次はこの公園内を通っImg_1576c て、神社北東にある長楽寺へ向かいます。野球場や、噴水のある曽池があります。この曽池では、バンを目撃。初見です。この曽池のほとりには、頼朝公旗かけの松があるというのですが、コース沿いには見当たりませんでした。源頼朝公が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を 取ったといわれる松だそうです。源頼朝が上洛したのは、建久元(1190)年。その前年、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、10年にも及ぶ戦乱の世に終止符をうっています。ということは、800年以上の樹齢の松、どんなふうなのでしょう?
Img_1592c 呼続公園からすぐに稲荷山長楽寺(ちょうらくじ)。曹洞宗のお寺。寺伝では、弘仁Img_1631c 12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。「吨枳尼天」は、今まであまりよく知りませんでしたが、前日の近鉄ハイキングで行った円光寺にも祀られていました。右の写真は、その「鎮守清水叱枳眞天」が祀られている稲荷社。「清水稲荷大明神」とあります。その後、寺は一山十二坊を有する大寺になりましたが、文明の頃(1470年頃)に衰微してしまいます。 それを稲荷山2世の義山禅師が再興し、宗派も曹洞宗に改宗し、第1世の明谷禅師を中興の開祖として、寺名を現在の長楽寺と改めましました。
 富部神社のところでも書きましたが、慶長8(1603)年、清洲城主松平忠吉が、長楽寺境内にあった素盞鳴尊を祀る祠に病の平癒を祈願し、回復したことから、慶長11(1606)年にこの祠を東に移して富部神社とするとともに、書院、客殿等の諸堂を建てたとも伝わっています。
 ここで先に告白しておきますが、よく調べずに行ってしまったこともあり、本堂に参拝してくるのを忘れました。ウロウロしていたら、あるだろうと思ったのですが、本堂の方だけ行かず仕舞い。失態です(苦笑)。
Img_1603c 長楽寺という名前はどこかで見たことがあったと思っていたのですが、最近は、ペット・動物の火葬・葬儀・供養で有名でした(長楽寺動物霊園)。我が家の近くにも大きな看板が出ています。寺には、礼拝堂・葬儀場・納骨堂・個別仏壇(室内墓)・写真供養棚・位牌棚があり、火葬場・合同慰霊碑を併設されています。ペットロスの相談も受けているそうです。この日も、礼拝堂では、ペットの葬儀が執り行われていました。左は、盲導犬の慰霊碑。有名な盲導犬・サーブの墓もあるそうです。
Img_1594c  大木の陰になってしまっていますが、左の写真は、立木観音堂。このお堂は、平成21(2009)年に再興されたもの。珍しい名前のお堂ですが、由来があります。かつて境内には、樹齢600年余りの松の木があり、寛政10(1798)年に17世・智海和尚が、その下に観音石像を安置して霊木としていました。その後、木が枯れかかった時、一人の老人に弘法大師の夢告があり、それを基に、立木のまま十一面観世音菩薩像が彫刻されたといいます。現在は、尾張三十三観音・東海百観音の第四番霊場となっています。
Img_1637c_2 こちらは、行者堂。扁額には「役行者」とありました。詳細は不明。礼拝堂Img_1617c の隣に、老犬と犬小屋。よく分かりませんが、かなりの老犬(と見受けました)も飼われており、「勝手に散歩させないでください」とあり、微笑。
Img_1624c こちらは、予習の成果(笑)。「境内には、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷が残っている」とありました。案内板などは見つけられませんでしたが、これがそうだと思います(こちらも参照。また、ここにも言及があります)。
Img_1649c 長楽寺を出たのが10時半頃。2.5㎞ほど歩きました。長楽寺から少し先Img_1650c、150~60mで旧・東海道に出ます。ここを南下、名鉄名古屋本線・本笠寺駅の手前で左折(この先も東海道)し、笠寺観音に向かいます。その1は、ここまで。

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