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2019年2月 2日 (土)

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編)

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 2月に入り最初の土曜日、もちろん、ハイキングであります(微笑)。今日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」です。場所は、津市河芸町。近鉄名古屋線・千里駅が受付、上野神社、伊勢上野城跡、光勝寺、八雲神社、(株)北山水産、痔神社を回って、近鉄名古屋線・白塚駅がゴール。
Img_1016c 受付の千里駅。普通電車しか止まりません。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時32分に到着(なのですが、途中、ちょっとしたハプニングで3分遅れ。それは最後に)、9時36分発津新町生き普通に乗り換えて、9時42分着。¥560。
Img_1022c 受付でいただいた本日のコースマップ。千里駅から白塚駅まで、ほぼ国道190202kintetsuhikingchisato 23号線に沿って、ところどころは旧・伊勢街道(参宮街道)を歩くという企画。コースマップ上は、約7㎞ということでしたが、実際に歩いた距離を測ると、8.5㎞でした。今日は、自宅から桑名駅往復が、2.1㎞でしたから、歩いたのは合計10.6㎞。伊勢のJRさわやかウォーキングの記事もまだ始まったばかりで、先行きが不安ではありますが、今日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の予告編。
Img_1031c 近鉄・千里駅を出て、国道23号線を渡り、少しだけ旧・伊勢街道を歩きまImg_1036c す。その後、田中川に沿って西へ。その後、上野小学校の方へ南下していきます。上野小学校の先、スタートからほぼ1.5㎞で、上野神社に到着しました。
Img_1053c 上野神社です。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられています。応永13(1406)年の棟札があるそうで、そこには上野正八幡と記されています。永禄年間(1558~1570年)、織田信長が太刀鎧等奉納しています。慶長6(1601)年、分部光嘉が、社領5石を寄進し、慶長16(1611)年、分部光信が社殿を造営したといいます。元和5(1619)年に分部氏が、近江・大溝に移封された後は紀州領となりましたが、社領5石は変らず、城主・領主の崇敬がありました。
Img_1066c 主祭神は、誉田別尊。相殿神は、建速須佐之男命、稲田比売命、天児屋根命、宇迦御魂神、市寸島比売命、伊邪那岐命、伊邪那美命、金山比古神、火産霊神、大山津見神。明治時代、神社制度確立により八幡神社と称し、明治6(1873)年、村社になっています。明治41(1908)年、上野・久知野・中瀬の神社35社を合祀して、上野神社と単称しています。
Img_1079c 境内には、橿原神宮遙拝所と、皇居・神宮遙拝所がありました。橿原神Img_1081c 宮遙拝所は、もちろん西を向いて建っていますが、皇居と神宮(伊勢神宮)遙拝所は東を向いています。皇居と神宮の遙拝所が一つになっているのは、初めて見ました。方角も、かなり違うと思うのですが、よく分かりません。昭和11(1936)年に建てられています。この年は、二・二六事件があった年。紀元2600年は、この4年後。
Img_1094c 上野神社の参拝を終えて、南側の参道に出て振り返ると、お稲荷さんがImg_1103c あるのに気づきました。八幡稲荷神社とあります。見つけたからにはお参りしなければなりません(微笑)。ただ、神社検索(三重)の上野神社のところには特に言及がありませんし、ネットでざっと見ても何も出て来ません。お社の中には、若宮八幡社、宇気比神社、春日社、菅原社という扁額も架かっていました。謎であります。
Img_1114c 本来の次の目的地は、伊勢上野城跡なのですが、上野神社の先ほんの100mほどのところにお寺があり、しかも「江姫ゆかりの寺 紅葉と沙羅双樹の寺」という看板が目に入りましたので、これも立ち寄らなければなりません(微笑)。萬松山円光寺。臨済宗東福寺派のお寺です。
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 開創は、室町時代初期の延文3(1358)年。後光厳天皇の勅願寺として、現在の津市栗真中山町に開創されたと伝えられています。ご本尊は、釈迦牟尼。元亀年間(1570~1573年)、分部光嘉公がここに居城と寺を移したといいます。ひっそりとした趣深い山寺という感じ。紅葉の頃、山門にそびえる紅葉が一斉に色づく様は圧巻だそうです。分部光信が、近江大溝藩主に転封となったとき、円光寺も同時に近江に移ったのですが(滋賀県高島市に存続、大溝藩主・分部氏の菩提寺)、残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続しています。なお、「徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名」というのですが、今までのところの調べでは、具体的なゆかりは不明。
Img_1138c 境内の墓地には、分部光高公、分部光嘉公、その室、分部光勝公(光嘉Img_1132c の息)の墓が並んでいます。また、お稲荷様もありました。が、鳥居のところにあった幟には、「玉宝吨枳尼尊天」とあります。不思議に思って、調べたら、吨枳尼天王は、「右手に剣を持ち、左手に玉を捧げ、白狐に乗った稲荷大明神」だそうです。知らないことがたくさんあります。こちらのリンク先、王地山稲荷社(篠山市)のところに言及がありました。
Img_1156c スタートから2㎞あまりで、伊勢上野城跡へ。織田信長の弟、信包(のぶImg_1153c かね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したのが伊勢上野城。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包が近江へ改易になると、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりますが、元和5(1619)年、光嘉の養嗣子光信は近江国大溝藩へ移封となったため、廃城となりました。その後、廃城となり、後に津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。浅井長政(お市の夫、三姉妹の父)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだお城とされます。江は0歳から7歳までを過ごしたことになります。ただ、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。
Img_1187c 城跡は、標高38mの伊勢街道沿いの台地にあり、ここからは、伊勢湾やImg_1176c 鈴鹿連峰が一望できます。現在は、天守台跡には本城山青少年公園展望台があり、その2階は資料館となっています。天気が良いと、名古屋から伊勢まで望めるといいます。富士山も描かれていますが、条件が整えば見えるのでしょう。
Img_1190c 資料室にはジオラマも展示されていました。二の丸はアスレッチクの設備がある広場となっています。本丸と二の丸以外はグランドや駐車場が作られているため、どこまで城跡かは定かではありません。本丸の周囲には土塁が残っていたり、南東の角には櫓台の土塁が一段高くなっていたりします。城跡ということは十分偲べます。
Img_1211c 伊勢上野城跡からは、再び旧・伊勢街道に出ます。700mほど行くと、輝

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雲山光勝寺があります。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。
Img_1231c ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。
Img_1234c 境内には、観音堂があり、そこに祀られている馬頭観音は初午観音と呼Img_1241c ばれ信仰を集めています。
Img_1304c 光勝寺から旧・伊勢街道を通って、旧河芸町役場や、朝陽中学校前を通Img_1286c って、国道23号線を東へ渡ります。近鉄名古屋線を越えて、1㎞弱行くと、八雲神社があります。主祭神は、須佐之男命。相殿神は、倉稲魂命。旧社格は、村社。社殿によると、「三井家旧記に、弘治元年(1555)三井治郎左エ門高次長子高治が、江州佐々木四郎高綱の鎮守神である牛頭天王を勧請奉祀するとあり』とあります。佐々木氏の一統であった三井治郎左エ門高次と高治の父子は、一族郎党三十人余人を率いて紀州路を転戦の末、戦に負けて豊津の浜に辿りついたといいます。三井の残党はこの地に住みつくことになり、牛頭天王を勧請したそうです。
Img_1283c この神社には、「ざるやぶり神事」が伝わっています。前述の三井治郎左Img_1290c エ門高次長子高治とその一族郎党が、この地に着いた当時、家屋もまばらで殆ど人影もありませんでした。空腹に耐えかねた武士たちは、ザルに入れてあった「よまし麦(加熱し、柔らかくした麦を一晩放置したもの)」をむさぼり食い、そこへ家人が帰って争いとなったが、事情がわかって事無きを得、七月一五日例大祭の宵、神前に供えたザルを裸男たちが奪い体をぶつけ合いながら破るという、勇壮な祭りがくり広げられるようになったというのです。地元の一色区自治会では、この伝統行事を末永く伝承するための保存会を結成し、保存と振興に努めています。
Img_1287c ここ八雲神社では、宮司さんが待機していてくださって、お参りするとお祓いをしてくださいました。これは、近鉄ハイキングでも、JRさわやかウォーキングでも初体験。私もありがたくお祓いを受けてきました。
Img_1319c 八雲神社から800mほど。まっすぐ東に向かい、海岸に出て少し南下するImg_1340c と、北山水産。創業は大正元(1912)年。年末には3日間、蟹祭が開かれます。一昨年(2017年)は、13トンの売り上げがあったそうです。この蟹祭の時には、我が家にも新聞の折り込み広告が入ります。
Img_1331c ここでは、「かに汁の振る舞いがあります」ということで、楽しみにやってImg_1328c 来ました。まさかカニの身は入ってないとは思いましたが、その心配は無用でした(笑)。かにの味噌汁をカップ1杯いただきました。ちなみに、カニはさすがにいい値段。何も買いません(笑)。
Img_1323c 北山水産には、驚くべきものがありました。「UFOキャッチャー」ならぬ、Img_1335c 「北山キャッチャー」。1回¥300、2回¥500とあります。2台あります。1台には、ワタリガニが入っていました(右の写真)。まさにUFOキャッチャーのような感じです。
Img_1345c もう1台には、エビが入っていました。この大きさですと、伊勢エビでしょうImg_1352c か? いやぁ、ビックリ。なかなか面白いところでした(微笑)。
Img_1372c 北山水産を出てすぐ右折、西へ。近鉄の線路を越えて、国道23号線の1Img_1377c 本東の道へ。ここは、また旧・伊勢街道。国道23号線・中瀬交差点。北山水産から1.8㎞ほど。気になる看板があります。「痔神大明神」です。今日最後の立ち寄りポイントであります。
Img_1381c 中瀬交差点を左折して、200mほどのところに鳥居。ここをくぐって行くと、Img_1383c 右手に痔神社がありました。痔の神様など、全国的に珍しいのではないかと思います。スタートから7.5㎞、時刻は、12時18分。
Img_1386c 明治40(1907)年頃は45㎝位の小さな祠だったようですが、大正末一身田森の女人が痔疾が治癒したお礼にと大きい祠を奉納しました。その後、改築が繰り返され現在にいたっています。古来『痔病に霊験あり』と言われるという話も伝わっていますが、この社の起源は不明で、由来についても様々な口伝があり、真実は不明です。しかし、遠くからも参拝者が訪れ、毎年4月3日の祭礼日には名古屋、大阪方面、県内の信者が列をなして参詣し、大いに賑やかだそうです。昔は中瀬、小川地区の人が守っていましたが、現在は中瀬地区で守られています。
Img_1391c ご神体は海から渡ってきた白蛇であるといわれています。上記のように、由来などは明らかではありませんが、土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説もあります。私自身は、今は大丈夫ですが、きちんとお参りしてきました。
Img_1429c 痔神社からゴールの白塚駅は比較的近く。1㎞ほど。12時32分に無事ゴール。白塚駅も普通電車しか停車しません。すぐに(12時37分)四日市行き普通が来ましたので、それに乗車。白子駅に12時49分着。これまたすぐに名古屋行き急行が来ました(12時51分)。桑名には、13時22分着。¥620。
Img_1441c 白塚駅には、駅の北側に近鉄の車庫(正式名称は知りません)があり、電車が留置されています。あの「足湯列車」の「つどい」も運行される日、時間帯以外はここに置かれているのを見ています。昨日も普通や急行の車両以外に、団体専用車両が2編成置かれていました。
680c 桑名駅では、西口に出て、近鉄桑名駅に行ってきました(いつも利用する東口はJR桑名駅なのです)。近鉄の近鉄四日市~桑名間が開業90周年を迎えることから、1月30日から記念入場券セットと記念グッズが販売されているはずなのです。「行先表示板キーホルダー(¥600)」が欲しかったのです。しかし、あいにく、すでに売り切れ。桑名駅販売分は、200個。残念。
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 あみま倶楽部のスタンプは、会員証更新後5個目。地道に努力することにしましょう。
 ちなみに、明日(2/3)、節分の日は、JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」に行きたいと思っています。笠寺観音に行ってみたいのです。さぁ、計画通りに運ぶでしょうか。
 1月27日のJRさわやかウォーキング(伊勢市)の記事もまだ本編は、その1。なのに、こんなにハイキング/ウォーキング三昧で大丈夫なのでしょうか。我ながら思いやられます。伊勢の記事を早めに片づけて、今日のハイキングについて、ボチボチと書くことにします。期待せずにお待ちください。
Img_1013c  はじめの方にハプニングがあって、電車が3分遅れたと書きました。桑名駅を出て、次の駅の益生駅の手前2つめの踏切で急停車したのです。私は、前から2両目の前方に乗っていました。確かに踏切内に普通乗用車が停止。私より年配の男性が運転者のようでした。近鉄とJRが並行して通っているところで、両者の踏切の間に押し出したようでした。他人事ではありません。気をつけましょう。写真はその踏切を通過するとき、ドア越しに撮ったもの。

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コメント

ひらいさん、おはようございます。

ハイキング・ウォーキング三昧です(笑)。
先日の伊勢ではよく歩きました。
昨日は、マップでは7㎞ですから、普段の散歩の延長線という感じです。

千里駅のすぐ東に河芸マリーナがありますし、田中川が伊勢湾に注いでいます。
私は何十年か前に釣りに来たことがあったはずです。

白塚駅の車庫、つどいなども止まっていますね(昨日は不在)。
江戸橋方面の仕事の時や、ハイキングに行くときに今日は何がいるか楽しみに見ています。

サギ山、すでに集まっているんですね。
また一度様子を見てきます。

投稿: mamekichi | 2019年2月 3日 (日) 05時39分

mamekichiさん、こんばんは!

本日もハイキングですね、殆どのハイキングは10km前後と、良い運動になりそうです。千里駅は一度行った事が有りますが、行った理由を忘れました。(笑) 白塚駅は一度車庫が見たいと思っておりますが、中々行けず仕舞いです。この辺りの海岸沿いも多くの野鳥達が集まってそうでワクワクします。
先週のコメントで名前を入れ忘れて申し訳有りませんでした、知り合い用にセットアップしていたWin10マシンでお試ししていたので、名前が自動で入りませんでした。
本日、名古屋へ行った帰りに湾岸弥富のサギ山を見て来ました、30羽程のアオサギが木の上に集まっておりましたよ、これから子育てが始まるんだなぁ~と思うと、ちょっと感動でした。また秋までのお楽しみです。

投稿: ひらい | 2019年2月 2日 (土) 21時04分

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