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2019年2月11日 (月)

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける

 2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の続き、その2です。2月3日には笠寺駅のJRさわやかウォーキングに、また、昨日は後藤酒造場へ行く酒蔵みてある記にと出かけてばかりで、記事を書くのが追いついておりませんが、ボチボチとやります(微笑)。

190202kintetsuhikingchisato1 その1では、千里駅をスタート、上野神社と円光寺について書きました。円Img_1144c 光寺から300mほど行くと、次の目的地である伊勢上野城跡になります。ここは、現在は、本城山(ほんじょうやま)青少年公園となっています。公園には展望台があり、その2階には、伊勢上野城や、城に関わりがある人物についての資料が展示されています。
Img_1203c スタートから2.2㎞、10時30分に伊勢上野城跡に到着。円光寺から来た道をImg_1190c 曲がったところに左の写真の案内板。城は、東西約250m、南北約550mの規模で、主郭の周囲には土塁や堀切で区画された郭が取り巻き、主郭の東には幅20m近い空堀があったとあります。主郭の広さは、約30×45mで、その周囲には今も土塁が残っているところがあります。右の写真は、展望台2階の資料室にあったジオラマ。これを観ると、かなりの規模があったことがわかります。
Img_1148c 上の写真の看板のところを右折して、城跡の中を展望台へと進みます。左Img_1153c の写真、コンクリートブロックで覆われていますが、これも土塁の跡ではないかと思われます。現在は、右の写真のようになっていて、天守台跡に展望台、二の丸跡は遊具広場の他、グラウンド、日本庭園も整備されています。グラウンドの東に円光寺があります。
Img_1159c 天守台跡に建つ展望台。ここは、標高38mの台地です。Img_1176cので、城があった当時も眺望が利いたと思われます。3階にあった展望マップによれば、名古屋から伊勢まで、セントレア、渥美半島、知多半島なども含んで見渡せます。富士山も描かれていましたから、条件が良ければ見えるのでしょう。反対側(西側)には、鈴鹿山脈や、長谷山、経ヶ峯、青山高原もよく見えていました。
Img_1172c 左の写真は鈴鹿市方面を見たもの。右は、セントレアがあると思われるImg_1187c 方向を見たものですが、この日はセントレアはよく分かりませんでした。
Img_1161c 伊勢上野城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したもの。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包は豊臣秀吉によって改易されますが、光嘉は豊臣家の直参となり、伊勢上野城1万石を領し、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりました。元和5(1619)年、光嘉の養嗣子・光信は近江国大溝藩(現在の高島市周辺)へ移封となったため、廃城となりました。その後、津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。
 ところで、浅井長政お市の夫、三姉妹(茶々、初、江)の父;天文14(1545)~天正元(1573)年)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだのが、この伊勢上野城とされています。(天正元(1573)~寛永3(1626)年)は、0歳から7歳までを過ごしたことになります(こちら)。ただし、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。
Gochan  地元では、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(2011年放送)でお江の方が取り上げられて以来、それによって地域活性化が図られています。「ゴーちゃん」というキャラクターもつくられています(写真は、津商工会議所のサイトからお借りしました)。
190202kintetsuhikingchisato2 さて、伊勢上野城跡から次に向かいます。城跡のある台Img_1211c 地から降りて、右折し、再び旧・伊勢街道に入ります。
Img_1222c 城跡から700mほど行くと、輝雲山光勝寺があります。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。
Img_1231c ご本尊は、宝冠釈迦如来(お釈迦様は、普通は冠をかぶってはいません。冠をかぶったお釈迦様は珍しいそうです。このような冠をつけたお釈迦様は、鎌倉時代から室町時代、江戸時代にも多く作られたといわれています)。分部光嘉は、文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、7代の寂現和尚により光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。
Img_1234c 境内には、観音堂があります。道内には、聖観世音菩薩と馬頭観世音菩Img_1241c 薩が祀られています。馬頭観音が本尊であり、初午観音と呼ばれ信仰を集めています。光勝寺を出たのが、11時15分頃。旧・伊勢街道に戻って次へ進みます。
Img_1265c 津市立朝陽中学校の前までやって来ました。ほぼ4㎞地点。朝陽中学校Img_1260c は、三重K-ABCアセスメント研究会でお世話になっているG先生の前任校。この近くにかつて旧・河芸町役場がありました。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年、津市と合併)。役場の庁舎は平成12(2000)年に移転し、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。昔、鈴鹿で働いていた頃、労働組合の仕事で訪ねたことがあります。
Img_1304c 朝陽中学校前で左折、近鉄名古屋線の線路を越え、ほぼ4.6㎞地点に八雲神社があります。主祭神は、須佐之男命。相殿神は、倉稲魂命。旧社格は、村社。社殿によると、「三井家旧記に、弘治元年(1555)三井治郎左エImg_1286c 門高次長子高治が、江州佐々木四郎高綱の鎮守神である牛頭天王を勧請奉祀するとあり』とあります。佐々木氏の一統であった三井治郎左エ門高次と高治の父子は、一族郎党三十人余人を率いて紀州路を転戦の末、戦に負けて豊津の浜に辿りついたといいます。三井の残党はこの地に住みつくことになり、牛頭天王を勧請したそうです。
Img_1283c  この神社には、「ざるやぶり神事」が伝わっています。前述の三井治郎Img_1290c 左エ門高次長子高治とその一族郎党が、この地に着いた当時、家屋もまばらで殆ど人影もありませんでした。空腹に耐えかねた武士たちは、ザルに入れてあった「よまし麦(加熱し、柔らかくした麦を一晩放置したもの)」をむさぼり食い、そこへ家人が帰って争いとなったが、事情がわかって事無きを得、7月15日例大祭の宵、神前に供えたザルを裸男たちが奪い体をぶつけ合いながら破るという、勇壮な祭りがくり広げられるようになったというのです。地元の一色区自治会では、この伝統行事を末永く伝承するための保存会を結成し、保存と振興に努めています。
Img_1287c  ここ八雲神社では、宮司さんが待機していてくださって、お参りした参加者にお祓いをしてくださいました。これは、近鉄ハイキングでも、JRさわやかウォーキングでも初体験。私もありがたくお祓いを受けてきました。氏子の方もお二人いらして、八雲神社の手作りリーフレットを配っておられました。これもなかなかないことです。
Img_1294c 拝殿に向かって左奥にもお社がありますが、お稲荷さんではなさそうでImg_1296c す。お社に向かって左手には「山の神」という木札が建てられた丸い石があります。氏子の方に伺おうと思ったものの、すでにいらっしゃらず。宮司さんは、お祓いで忙しそうでしたので、断念。
 いつもより少し短いのですが、キリが良いのでその2はここまで。次はいよいよカニ汁の振るまいがいただける北山水産。

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