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2019年2月 6日 (水)

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その3)……神宮会館の前を経ていよいよ内宮、大賑わいのおかげ横丁を通過

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 1月27日のJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのImg_0444c_2 おかげ参り」もその3となり、いよいよ内宮にお参りします。その2では、古市の町で麻吉旅館を見て、猿田彦神社にもお参りしてきました。猿田彦神社の先で右折し、旧・伊勢街道&国道23号線に出て、いよいよ内宮に向かいます。ここから1㎞ほどは下り坂をゆるゆると下っていきます。
Img_0450c_2 スタートから6.7㎞ほどのところに神宮会館があります。伊勢神宮崇敬会が運営する宿です。第59回神宮式年遷宮のとき、昭和28(1953)年秋に竣工しています。内宮まで徒歩約5分という利便性の高いところ。ちなみに、伊勢神宮崇敬会は、いわゆる「奉賛会」。第59回神宮式年遷宮の募財のため、戦後設立された「伊勢神宮式年遷宮奉賛会」を母体としています。
Img_0453c_2 その神宮会館の会議室棟の前に「国民総参宮」という幟が4本ほど立っていました。「国民総参宮」といえば、1月始め、話題になったことがあります。伊勢神宮を参拝するよう呼び掛けるのぼり旗6本を、伊勢市が昨年12月28日から市役所前に掲げていたことが、「政教分離の原則」に反すると指摘を受け、市が撤去したというニュースがありました(こちら)。幟旗を作ったのは市と伊勢商工会議所、市観光協会などが「御大礼奉祝委員会」。こちらの幟旗には、「平成感謝 国民総参宮」と書かれていました。神宮崇敬絵画するのはまったく構いませんが、市が関わる団体が市役所の前にこういうのぼり旗を掲げるのは、ちょっといただけません。というニュースを思い出したのです。
Img_0461c_2 などと重いながら、内宮前の交差点に到着。スタートの伊勢市駅からは

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7.1㎞、12時10分。ここは、11月に行われる全日本大学駅伝ゴール地点でもあり、また、国道23号線の終点でもあります。いよいよ念願の内宮です。昨年12月に外宮に来ましたが、内宮は久しぶり。
Img_0473c_2 内宮への入口、宇治橋前です。五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界と神聖な世界との境界。この大鳥居を眺めると、心が洗われる気がします。この宇治橋外側の鳥居は、ご遷宮の際、払い下げられて桑名にある七里の渡し跡の伊勢一の鳥居になります(こちら)。宇治橋外側の鳥居は、外宮正殿の棟持柱として用いられていた御用材。そこで20年間使われたものが宇治橋の鳥居になり、さらに伊勢一の鳥居として使われますから、都合60年に渡ってその役割を果たすのです。ちなみに、宇治橋内側の鳥居(こちらは、内宮正殿の棟持柱)は、関宿東追分の鳥居になります。
Img_0476c_4 いったい何年ぶりかよく覚えていませんが、いよいよ宇治橋を渡って内Img_0482c_2 宮の境内へ。子どもたちが小さい頃(小学校入学前後?)、家族できた記憶があります。その前は、鈴鹿で就職した年(昭和54(1979)年)の大晦日に年越し参りに来ています。今回訪れた1月27日は、まだ正月のうちで老人会、神社やお寺、さらには議員さんの後援会と覚しき団体なども多く、かなり賑わっていました。
Img_0492c_2 五十鈴川御手洗場です。ここでお清めをして行きます。五十鈴川は、「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名づけられたと伝わっています。内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、この御手洗場にいたります。ここの石畳は、元禄5(1692)年、徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)が寄進したといわれます。
Img_0495c 五十鈴川御手洗場のすぐ側には、瀧祭神(たきまつりのかみ)が御鎮座。御祭神は、瀧祭大神。内宮が所管する神社の一つ。五十鈴川を守護する水の神様。古来から社殿がない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神様です。
Naikuc_2 神宮で配布されているマップからお借りしました。この御手洗場や瀧祭神からは、別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)が近いのでそちらから行くことにします。ご祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)です。雨風は農作物に大きな影響を与えますから、神宮では正宮に準じて丁重に祀られています。
Img_0500c 風日祈宮です。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、まImg_0497c た五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈祭が行われます。風日祈宮に行くには、風日祈宮橋を渡ります。新緑や、紅葉の頃は素晴らしい景色が見られると思います。
Img_0516c 風日祈宮からさらに参道を奥へ。内宮正殿です。写真撮影は、階段下まImg_0517c でしか認められていません。外宮よりもはるかに賑わっています。改めて書くまでもありませんが、およそ2,000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮座しています。皇大神宮(こうたいじんぐう)は、皇室の祖先とされ、国民から総氏神のように崇敬される天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。無事にお参りでき、ホッと一息。
Img_0526c 内宮正殿のところで、忘れてはならないのがこちらに移っている蕃塀(ばんぺい)。蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれます。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明といわれます。「神道大辭典(第三巻)」(昭和12年臨川書店発行)によれば、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。」とあるそうです(上記リンク先から引用)。しかし、内宮では、蕃塀は参道の南にあって、参拝者から「隠蔽をなす」とは思えません。
Img_0546c 内宮正殿から北にある別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)。内宮に所属する十別宮のうち、第一の位にあります。殿舎の規模も、正宮に次ぐ大きさ。ご祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)。神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」というのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」といいます。積極的・進取的・活動的なご神霊が祀られているということです。
Img_0567c これで、正殿と内宮にある別宮2社をお参りしました。境内には、他に所Img_0572c 管社の子安神社(こやすじんじゃ、御祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと))がありますが、今回はパス。再び宇治橋を渡って、宇治橋前から次の目的地であるおかげ横丁へと進みます。
 次へ行く前に、余談というか、自分の記憶のためというか、神社の種類を整理しておきます(出典は、Wikipedia)。
  • 正宮(しょうぐう):皇大神宮 (内宮)と豊受大神宮 (外宮)の2宮
  • 別宮(べつぐう): 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされ、正宮に続き20年ごとに式年遷宮が行なわれる
  • 摂社(せっしゃ):『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある
  • 末社(まっしゃ):『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)
  • 所管社(しょかんしゃ):正宮・別宮・摂社・末社以外の神社
 伊勢神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれています。内訳は、内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42となっています。
Img_0577c 内宮を出たのが、13時5分。宇治橋を渡る手前で7㎞、お参りして出て来たところで9.3㎞。内宮の中で2㎞以上歩いたことになります。ここからは、おかげ横丁を通って行きます。ここでお昼を食べようと思っていたのですが、とんでもない賑わい(苦笑)。ラッシュアワーの駅のような感じです。赤福のお店でも並ばないとは入れないくらい。
Img_0579c 「こりゃぁ、ダメだ」と早々に諦め、内宮側の入り口に近いはんぺい屋さんで(何という店かは失念しましたが、若松屋さんだったような気がします)で、「エビマヨ」のはんぺんを1本買って、食べ歩き(苦笑)。¥350。結局、これ以外何も買わず、何も食べずでおかげ横丁は通過。
Img_0591c おはらい町へ入って行きます。9.8㎞地点の右(東側)には神宮道場という看板がある立派な建物。武道の道場かとも思ったのですが、調べてみると、神職を目指す方の研修施設でした。かつて明治天皇の行在所、また、昭和48(1973)年までは神宮司庁(いわゆる、伊勢神宮の社務所)としても使われた由緒ある建物だそうです。現在神宮司庁は宇治橋近くに移転されています。
Img_0592c 神宮道場のほぼ向かいにも立派な門がある、古そうな建物がありました。地図で見ると、神宮祭主職舎本館(じんぐうさいしゅしょくしゃほんかん)とあります。神宮祭主のための施設だそうです。本館は、明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿で、江戸前期の建築とみられています。慶光院は、臨済宗の寺院でしたが、本山を持たない単立寺院で、室町時代の創建とされる尼寺でした。明治維新とその後の神仏分離・廃仏毀釈の風潮に伴って、明治2(1869)年に廃寺となりました。その後、伊勢神宮によって買い取られ、明治5(1872)年に神宮司庁の庁舎となり、さらに、明治23(1890)年に神宮祭主職舎となったといいます。現在も宗教施設として使用されているため、普段は非公開だそうです。
Img_0597c おはらい町を抜けて、駐車場や観光案内所のある辺りを回って、内宮おImg_0603c かげ参道(地下道、左の写真)を通って、伊勢道路から、南勢バイパスを経て、御幸道路へと行きます。その途中、駐車場のところで、「宮城道雄記念碑」を見つけました。宮城道雄といえば、あの生田流箏曲家であり作曲家で有名。車が良く通る道を横断せねばなりませんでしたし、ゴール受付の時刻が気になっていましたので、見ては来ませんでした。昭和9(1934)年に宮城道雄は初めて伊勢参拝したのですが、神宮の神楽殿からの所望で『五十鈴川』『祭りの太鼓』の2曲を新たに作曲し、昭和23(1948)年4月に奉納初演することになったといいます。そういう縁があり、平成6(1994)年宮城道雄生誕100年を記念して、宮城会がここに記念碑を建てたようです。
20190127jrwalkingiseshi5_3  まだ先が長くなりそうですから、その3はここまでとします。内宮の手前からおかげ横丁辺りの実測ルートマップは冒頭に掲げたとおりです。内宮の中でけっこう歩いているのがお分かりいただけるかと思います。こちらは、おかげ横丁からおはらい町を経て、御幸道路へと進んだ道筋。御幸道路はこの辺り上り坂。少し上って、11.2㎞のところに内宮の別宮である月読宮があります。次回は、ここから。

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