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2019年1月30日 (水)

20190126近鉄ハイキング“酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”へ……補遺編その2 伊勢三郎、河島御厨神明神社、西福寺(完)

 1月26日の近鉄ハイキング“酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”の補遺編その2です。

Img_9827c 今日はまず、伊勢三郎関係の話。伊勢三郎首塚は、川島町の田んぼの真ん中にあります。伊勢三郎(?~文治2(1186)年)は、これまでも書きましたが、源義経の家来で、四天王の一人。出身は伊勢とも上野(こうずけ:群馬県)ともいわれるようですが、ここの案内板には、「平安時代末期に三重郡郡司・俊盛の子として、菰野町福村に生まれた」とあります。三郎は、通称で、名は能盛とも書きます。戦に敗れて自刃した伊勢三郎の首を家臣の川島村の者が生地に持ち帰り首を埋めたとのことです。
Img_9913c この伊勢三郎について、去年来たときには、西福寺にある墓所を見忘れて いました。ここ三重郡川島村は、江戸時代初期には亀山藩領であり、藩主の石川昌勝の命によって慶安4(1651)年に、ここに伊勢三郎義盛の墓が作られたといいます。中には宝篋印塔(宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔,墓碑塔として建てられた)が納められています。義盛の命日である6月25日には、義盛をしのんで義盛忌の俳句会が行われているそうです(こちら)。

Img_6084c

 伊勢三郎についてあれこれ調べていたら、伊勢志摩の方にも、関連する場所があるようです。たとえば、鳥羽市答志島にある岩屋山の頂上に伊勢三郎砦跡があったという伝説が残っているといいます(こちら)。多気郡多気町には、伊勢三郎物見の松があるそうです(こちら)。さらに伊勢には、三郎地蔵があるようです。神宮巡々2というブログにその記事があります(ここ)が、読んでビックリ。何と、去年10月8日の宇治山田での近鉄ハイキングの時に見てきたところでした(20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。なんだかよく分かりませんでしたから、ブログには載せていませんが、勢田川沿いにある東邦ガスの伊勢サービスセンター前にあります。神宮巡々2の記事(こちらは伊勢三郎の墓石?(伊勢市船江))によれば、向かって右が伊勢三郎の墓石?となっています。石の奥に「三郎地蔵」と書かれた卒塔婆があるのだそうです。
 伊勢三郎(伊勢義盛)の生涯は、さまざまな物語にいろいろと描かれています。Wikipediaの説明では、次のようになっています:
『平家物語』では伊勢鈴鹿山の山賊、『平治物語』では上野国で義経が宿泊した宿の息子としている。『源平盛衰記』では伊勢出身で伯母婿を殺害して投獄され、赦免されて上野国で義経と出会い「一の郎党」となったという。義経が鞍馬山を出て平泉へ向かう途中でその家来となったとされるが、いずれも物語中での話であり実際の出自は不明。

 伊勢三郎については(も?)不明なことが多いのですが、これ以上追求しようと思うと、平家物語その他を読まねばならず、大変なことになりそうですから、止めておきます。
Img_9844c 河島御厨神明神社。川島には、2つの神社があります。「河島御厨神明神社」と、「御園川島神社」です。訪れたのは、「河島御厨神明神社」の方で、俗に「東の宮さん」と呼ばれているようです。この河島御厨神明神社については、去年の記事に詳しく書きました。境内社についても、市文化財に指定されている算額についても、そこに詳しく書いてありますので、去年1月30日の「酒蔵みてある記“銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”へ(その3)……河島神明神社、西福寺そしていよいよ松彦酒造へ(完)」をご参照ください。
Img_9859c 去年スルーしてきてしまったのは、拝殿脇にあるこちらの石碑。「廣田三郎翁頌徳碑」とあります。廣田三郎(明治14(1881)~昭和44(1969)年)は、もとは西福寺の門徒でしたが、ここ河島御厨神明神社の神主になった人です。河島御厨神明神社は、代々、赤堀城の子孫原氏が奉祀していたのですが、明治31(1898)年になって品川久雄氏に変わり、大正3(1914)年まで務めました。品川氏は“五鈴”と称する有名な日本画家でしたが、漢文・和歌にもすぐれた人であったといいます(志水雅明・発掘街道の文学2に記述があります)。その次に神主となったのが、廣田三郎です。廣田は、この神社の雅楽を創設し、また、「長春」と号して和歌を好んだそうです。碑陰は、かなり薄くなっていて私には判読が困難でした。
Img_9887c 伊勢三郎首塚や、河島御厨神明神社への参道から東へ200mほどのところに真宗大谷派の永角山西福寺があります。創立年代は不明ですが、もとは金剛寺といい、浄土真宗大谷派に改宗して西福寺というようになったそうです。こちらには、「一度焼かれたともいわれるものの、実際のことかどうか分からないとありました。
Img_9892c 山門前には、「秦野浅右衛門之碑」がありました。去年はパスしていました。まだハイキング/ウォーキング初心者で余裕がなかったためとしておきます。碑文によれば、秦野は、明治10(1877)年に生まれ、幼くして学を好み、明治30年(1897)、三重県師範学校に入学。南牟婁郡神木尋常小学校や、三重郡神前崎村他三個村組合高等小学諸校などを歴任。明治42(1909)年に亡くなったとあります。碑は、大正6(1917)年3月、釋現尊が識しています。秦野浅右衛門については、ネット検索では情報はありませんでした。
Img_9899c 境内には、石碑が2つ。去年は、写真を載せただけで宿題として、「古いものや、小生には容易には読めないものばかり」という屁理屈で、そのまま放置していました(苦笑)。
Img_9902c まずは、向かって右。平成元(1898)年3月1日に建てられたもので、碑陰Img_9911c には、「青風院釋宣 十三回忌法要記念 當山第十五世 釋宣空 新発意 釋宣章」とありますが、碑表が読めません(涙)。あれこれ調べたところ、「梅志ろし 青風弥陀乃弟子になり」と刻まれていることが判明(こちら)。青風院は、西福寺十四世・伊藤青風(本名 宣麿;1907~1977)。寺務の傍ら、句作をしていたようです。青風が昭和15(1940)年に発意して、義盛忌が始まったといいます(義盛は、伊勢三郎)。義盛忌は、戦後途絶えていたものが、昭和38(1963)年に777年忌として再開されています。平成元(1989)年は、既述の如く、青風の十三回忌法要が催され、そのときにこの句碑が建立されています。筆を執ったのは、四日市馬酔木会会長の田中七草。
Img_9905c 向かって左、これまた私には難しい。「永禄元正年中 三河○○師旧石Img_9908c 碑 ○番○○○書」とあります。碑陰も読みにくい。こんなことなら、現地でもっとしっかりと見てくれば良かった(という反省を他も含め、何回したことか! サル以下であります)。このとき、すでに酒蔵の方へ意識が向きすぎていたのかもしれません(苦笑)。
Img_9897c さらにここ西福寺には、墓地に忠魂碑があります。去年も見忘れ、今年はまったく意識していませんでした(苦笑)。明治39(1906)年3月に建てられたものです。忠魂碑があるのは、「明治二十七年三十七年戦」の「記念康休園」(明治39(1906)年3月)であったことを示す門柱があります。門柱は、去年、確認してきています。明治27(1894)年は日清戦争、明治37(1904)は日露戦争が始まった年。
 ということで、補遺といいながら、何とも中途半端。また来年出かけて、確認する?
Img_9922c 余談も少し。川島町のように、それなりに古い団地には、古い看板、案内板が残っています。町内案内板ですが、地図部分は、道筋はわかるもののそれ以外は不鮮明でわかりません。上の看板にある歯科医院は今もあるようです。その他、すべて調べたわけではありませんが、今も続いているところもありました。
Img_9927c 桑名、四日市およびその周辺ではたくさん見られます。「結納品 宝石 羽田」の看板。以前、このブログでは店はもうないと思われると書きましたが、「有限会社羽田結納店」として四日市市富州原町にあるようです(最終的に確認はできていません)。こちらをご覧ください。
Img_9879c もう一つ、河島御厨神明神社から西福寺に行く途中、看板がたくさん残っImg_9881c ているお宅がありました。ここで私の目を引いたのは、右のもの。「みどり衣装店」のものですが、気になったのは「扇會舘専属」というところ。扇会館は、鎮国守国神社の隣にあった結婚式場。現在は、柿安本社ビルになっています。みどり衣装店は、現在も営業しているようです(たとえば、こちら)。
 ということで、調べが尽くせず、なんともはや中途半端感満載で、1月26日の近鉄ハイキング“酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”の補遺編を終えます m(_ _)m

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