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2018年12月25日 (火)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その1)……久居駅を出発、陸上自衛隊久居駐屯地を見て、光明寺へ

Img_6933c 12月23日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」の本編、その1です。これで、今年のウォーキング/ハイキング納めです。今年1月からの累計で、近鉄ハイキングには27回、JRさわやかウォーキングには6回、合計33回参加しました。

Img_6936c 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーImg_6931c キング/ハイキング納めということもあり、エイヤッと出かけました。受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記はいつも大人気。私が受け取ったコースマップの番号は、何と619番でした。
Img_6939c こちらがこの日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛181223kintetsuhikinghisai 隊の久居駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。久居駅からは南のあたりを歩きます。家内の実家が津市榊原町にありますが、このあたりの土地勘はほとんどありません。右は、この日、実際に歩いたルートマップ。あまり余分に立ち寄りませんでしたので、7.4㎞でした(立ち寄り先の中で歩いた分は割愛)。
Img_6945c 久居駅東口駅前広場のところには、「緑の風公園」があります。ここは、旧・国立津病院の跡地(三重中央医療センターのサイトのここに沿革があります)。旧・国立療養所鈴鹿病院に勤務していた頃、労働組合の用事などで何度か来たことがありました。津病院は、明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊の設置に伴い、津衛咸(えいじゅ)病院として創立され、戦後、国立津病院として平成10(1998)6月までここにありました(その後は、旧・国立療養所静澄(せいちょう)病院(現在の津市白山町二本木にありました)と統合され、国立三重中央病院から、国立病院機構三重中央医療センターになっています)。それ故、ちょっと懐かしいところ。ですが、病院があった面影はすっかりなくなっています。
Img_6951c この公園の一角に「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。Img_6949c 「ハチ公」は、あの忠犬ハチ公です。ハチ公の飼い主の東京帝国大学教授・上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6944c 銅像のすぐそばには句碑がありました。平成26(2014)年12月に「久居藩初代藩主藤堂高通公・俳聖松尾芭蕉 生誕370年記念」ということで建てられた「任口、芭蕉 久居句碑」だそうです。藤堂高通公と松尾芭蕉は、ともに寛永21(1644)年生まれで、この年に生誕370年を迎えることを記念してNPO法人俳句みえが建てています。「任口(にんこう)」は、高通公の俳号。です。生誕地のつながりで、任口の俳句を前葉泰幸津市長が、芭蕉の俳句を岡本栄伊賀市長が揮毫しました。
  • 詠(なが)むるや 江戸にはまれな 山の月 芭蕉
  • はなむけぞ 江戸紫の 菊の枝 任口
 芭蕉の句は、延宝4(1676)年、芭蕉33歳の時の作。二度目の帰郷のとき、伊賀上野で見た月を、江戸の濁った月と比較しての感慨を詠んだもの。この句には、「久居藩開祖藤堂高通公(任口)に挨拶」と添えられています。任口の句の方には、「武蔵野かたへゆくものにつかわしける」と。「伊勢久居藩史」にも芭蕉が松尾宗房・桃青時代より、藤堂高通とは京都の俳諧宗匠北村季吟の同門であったとの記述があり、江戸から伊賀上野へ帰郷の際には、久居藩にたびたび立ち寄ったようです(こちら)。
 ちなみに、「久居」の地名は、藤堂高通公がこの地に永久に鎮居するといったことに由来するといいます。
Img_6925c スタート前から余談が過ぎていますが、もう少しご容赦を。上に「明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊が設置されたのに伴い、津衛咸病院も創立された」と書きました。久居駅東には、陸上自衛隊久居駐屯地があります。主力部隊は、第33普通科連隊です。
Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地(Img_6926c 兵第51連隊)として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。現在駐屯する陸上自衛隊第33普通科連隊は、この旧・大日本帝国陸軍歩兵第33連隊の連隊番号を継承していることになります。
181223kintetsuhikinghisai1 さて、長々と余談を書き連ねましたが、ようやくスタートします。スタートしたのは9時43分。久居駅から南下し、すぐに右折(東へ)。自衛隊久居駐屯地の間の道路を歩いて行きます。この道路の北側は駐屯地で、さまざまな建物が建ち、また車両などが置いてあります。南側は訓練場。
Img_6968c 駐屯地の正門。「写真を撮って大丈夫か?」とちょっとビビったので、こんImg_6966c な風(笑)。すでに門松が立っていました。右は、訓練場の様子。またもや余談になりますが、久居の花火大会(サマーフェスタインひさい(久居花火大会))は、この訓練場で開催されます。昔(久居市だった頃)からそうで、結婚当初、見に来たことがありました。
Img_6972c 訓練場の東の方に、こういうものが見えました。気になります(苦笑)。そImg_6973c ばに寄ってよく見ると、「大正天皇御野立所御手植之松」という石柱が立っています。この訓練場は、旧・陸軍津練兵場でした。大正天皇は、皇太子時代に何度か三重県に行啓しておられます(下記参照。こちらを参照)。内容から推測するに、明治39年か、45年の行啓の際に立ち寄られた可能性が高い気がします。なお、この石碑は、昭和31(1956)年1月10日、時の久居駐屯地司令により建立されました。
  • 明治33(1999)年5月23~6月2日:伊勢神宮・神武天皇陵などに結婚奉告のため三重、奈良、京都を10日間初巡啓
  • 明治38(1905)年11月:陸海軍少将に進級、戦勝報告の為に伊勢神宮を参拝
  • 明治39(1906)年10月:名古屋を訪れ、愛知・三重・岐阜三県で行われた陸軍大学校参謀旅行演習を見学。はじめての本格的な軍事行啓
  • 明治43(1910)年9月:三重、愛知を巡啓
  • 明治45(1912)年4月22日から:滋賀県と三重県を舞台にした参謀本部参謀旅行演習の見学
Img_6979c 最初の立ち寄り先の来迎山光明寺までは、2㎞あまり。その間、立ち寄るImg_6980c ところは設定されていませんので、ひたすら歩きます。久居駐屯地を過ぎて、1㎞地点で県道24号線から右折。住宅地や、畑などのあるところがつづきます。1.3㎞ほどで津市立久居東中学校前を通過。10時ちょうど。
Img_6983c 少し歩いて右折。このあたりには、梨畑があります。久居は、梨の名産地なのです。幹線道路沿いの直売店などで販売されます。8月中旬~下旬にImg_6984c は「幸水」、9月初旬は「豊水」が採れます。
 これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6992c  スタートから2.1㎞で来迎山光明寺に到着。10時10分。天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。天台真盛宗については、よく知りませんでした。天台系仏教の一派であることは推測が付いていました。総本山は、戒光山西教寺(滋賀県大津市)。ここのご本尊は阿弥陀如来。開基は聖徳太子とする伝承もあるそうですが、判然としません。室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛(しんせい)が入寺(文明18(1486)年)してから栄えたお寺です。真盛は、伊勢の出身。
Img_6999c  光明寺については、創建などについての情報が得られませんでした。しImg_6990c かし、地蔵菩薩立像には、「正和三年(1314)甲寅八月廿四日 願主 沙弥道観」と一行の刻銘があります。沙弥道観は、光明寺の僧で、建長2(1250)年生まれ、石仏がつくられた正和3(1314)年には64歳でした。この頃には、すでに光明寺はあったということです。
Img_7007c こちらが、その地蔵菩薩立像。本堂に向かって左手にある薬師堂に安置Img_7010c されています。説明板によれば、高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りに像が彫られています。像そのものの高さは、1.4m。砂岩に彫られています。右手に錫杖、左手に宝珠を持っておられます。
Img_6996c 光明寺には、地蔵菩薩立像の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります(本堂内の撮影は不可)。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_6997c 境内には、もう一つの地蔵堂があります。こちらについては、詳細は不明。内部には2体のお地蔵様がいらっしゃいます。
Img_7016c 上の写真の地蔵堂にいらっしゃるお地蔵様。説明もありませんし、ネットImg_7018c で検索しても何も出て来ません。久居の郷土史についての本を見れば、何か記述があるかもしれません。
Img_7012c こちらは、庚申塔。「庚申」という文字と、その上部に何かが彫られているのですが、私には不明(梵字かという気もしますが、全くの当て推量)。
Img_7013c 墓所の側には石碑が2柱。向かって右のものには「故陸軍歩兵一等卒小玉(?)京蔵君碑」、左は「故陸軍歩兵上等兵小玉(?)久雄君碑」と読めます。碑陰にはそれぞれ法名があり、また、右側には明治38(1905)年の日付がありますから、おそらく日露戦争に従軍された方の碑と思われます。
Img_7024c 光明寺を出て、次の目的地である宝樹寺へ向かいます。光明寺を出たとImg_7031c ころにもお地蔵様。3体いらっしゃいましたが、何も説明もありません。宝樹寺へは、近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞。今日は、ここまで。その2で宝樹寺から、桃園三地蔵の続きも。
181223kintetsuhikinghisai2 その1で触れた光明寺から、次の立ち寄り先あたりの実測ルートマップは、左の画像の通りです。

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