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2018年12月15日 (土)

20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(その2)……田村寺、聖武天皇社、長興寺で「完」

20181208kintetsuhikingkawagoetomi_4  12月8日の近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観Img_5134c 音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」のその2です。その1では、鏡ヶ池まで来ました。蒔田の交差点からわずかに歩いたところが、旧・東海道です(法勝寺へ行くのに、一度横切っています;右の写真)。この道は、この先、三岐鉄道とJR関西線がクロスする手前で八風道と交差します。コースは、八風道を上って、富田方面に向かいます。

Img_5142c 八風道に入って200mほど進むと、弘法山田村寺があります。10時25分に到着。ここは、昨Img_5156c 年(平成29(2017)年12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で訪ねています。真言宗醍醐派のお寺で、三重四国八十八箇所の5番札所に当たります。冬至の時期に「中風封じ」法要が開かれ、ご祈祷を受けた参拝者にかぼちゃぜんざいが振舞われます。「かぼちゃ大師」の日として親しまれています。今年も、この中風封じにあわせてまた、近鉄ハイキングがあります(12月22日:巨大かぼちゃ「中風封じの田村寺」と垂坂公園を訪ねて!)。
Img_5144c  創立は江戸時代末期(1850年頃~)。寺伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂公が東征の帰途、この地で休息した際、村人のもてなしに感謝し、田村の姓を下賜され(それ故、この地区には田村姓が多いようです)、江戸時代に坂上田村麻呂公の霊を弔い、草庵を開いたといいます。明治時代、大慈遍照二世の大導師が弘法大師を信奉し、信徒ともに厄除け大師の恩恵に浴し、大師堂を建立。さらに真養大和尚により寺格を整え、弘法山・田村寺と称し、真言宗醍醐派に属することになった。(別の伝承もあります。こちらもご覧ください)。
Img_5147c 境内には地蔵堂があります。ここを覗いて驚きました。すでに大きなかぼちImg_5149c ゃが置かれていたのです。まさか去年のものということはないでしょうから、今年の中風封じの時に使うかぼちゃかと思います。
Img_5151c かぼちゃだけを撮影すると、こんな感じ。6個もの特大かぼちゃ。去年訪2604006d ねたときには、本堂にも大きなかぼちゃが置かれていましたし、参道にも右の写真のようにあり、皆さん撫でていました。
Img_5154c 境内には、こちらの碑があります。去年も気になったのですが、大混雑でImg_5158c 碑陰を見られませんでした。碑表には、「高野山開創千百五十年大法会記念 父母恩重碑」とあります。さらに細かい字で和歌らしきものが刻まれているのですが、あいにく読めないくずし字(苦笑)。「たらちねの」など部分的にしか読めませんでした。昭和42(1967)年2月に建てられています。4名の方の俗名と法名の他、一段と大きく、「田村将軍後裔 発願主 弘法山初代 田村眞養」とありました。「眞養」は、上に引用したように、明治時代にこの田村寺の寺格を整えた僧侶。今ひとつよく分かりませんが、田村眞養の名前で4名の方のご家族が建てたということでしょうか?
Img_5174c 疑問が解消し尽くせないまま、先に進みます。田村寺から南西へ。三岐Img_5178c 鉄道三岐線の高架を2回くぐり、また、南東へ進路を変え、さらに近鉄名古屋線をくぐって行きます。松原野球場の脇に出ます。この宮城は、近鉄名古屋線からもよく見えます。このときまた、「つどい」を目撃。本日2度目ですが、このときは運行中。近鉄名古屋駅から湯の山温泉駅へ向かっていました。
Img_5189c 田村寺を出て800mほどで聖武天皇社に到着。10時40分。その名の通Img_5184c り、御祭神は聖武天皇。例祭は7月16日で、これは松原の石取祭だそうです。旧社格は、村社で、松原の氏神様。
Img_5197c 「続日本紀」によれば、聖武天皇は、天平12(740)年の藤原広嗣の乱の際、伊勢に行幸されました。このとき、朝明郡衙(朝明郡の役所)に泊まったといいます。社伝では、神社の名称やこのあたりに樹木のあったことから考えて、松原村を朝明頓宮の跡として、鎌倉時代の安貞元(1227)年に聖武天皇社が創建されたといいます。
Img_5216c 境内には、聖武天皇の御製「妹に恋い 吾がの松原 見渡せば 潮干のImg_5222c 潟に 鶴鳴き渡る(いとしい人に焦がれて自分が逢うことを待っているという名の松原を見渡すと、潮の引いた遠浅の海に鶴が鳴いてずっと飛んでいくことだ)」という(万葉集に掲載)。ここに詠まれている松原をこの聖武天皇社付近と解釈する説があります。昭和30(1955)年に建てられています。揮毫は、鈴鹿の石薬師で幼少期を過ごした歌人佐々木信綱によります。
Img_5205c こちらは、白玉龍神社。龍神様を祀る神社はいろいろありますが、白玉Img_5210c 龍神はよく分かりません。名古屋市中村区太閤にも同じく、白玉龍神があるようです(こちら)。拝殿の前には右の写真のように石が2つ置かれていましたが、とくに説明はありませんでした。時々見かける「重軽石」のような気がします(持ち上げてはみませんでした)。
Img_5199c さらに「力石」も。説明によれば、800年の昔から若衆等が、ことある毎にImg_5203c 体力を試そうさんと競い合ってこの石を持ち上げたとあります。「健康の石」として松原村に保存されていたものを平成5(1993)年にここに移したということです。ちなみに、この富田地区の神社などには、こういう力石がたくさん残っています。
Img_5230c 石碑はもう1つありました。「聖武天皇社 造営基金芳名碑」で、大正Img_5246c 10(1921)年8月の建之。碑陰には、基金を寄せた方々のお名前が実にたくさん刻まれていました。これで、聖武天皇社の参拝も終え、境内も一通り見て回って来ました。
Img_5252c  聖武天皇社からは100mほどで国道1号線に出ます。イオンモール四日市北があります。ここにはかつて、東洋紡績(現:東洋紡)富田工場がありました。しかし、繊維業界の低迷を受けて、平成9(1997)年に閉鎖され、その跡地に平成13(2001)年1月にジャスコ四日市北ショッピングセンターとして開業しました。ここまで買い物に来ることもあります。
Img_5251c イオンモールの向かい側(北西)は、四日市北警察署があったところ。Img_5257c 「あったところ」というのは、最近、四日市市大字羽津に移転したからです。イオンモールの西はJR富田駅前交差点。ここには、JR関西線・富田駅の東口と、三岐鉄道の本社があります。三岐鉄道三岐線は、富田といなべ市の西藤原駅までを結んでいます。JR富田駅~三岐朝明信号場間は貨物列車専用で、旅客列車は近鉄富田駅~三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となっています。富田駅~東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っています。旅客列車は、主に西武鉄道の中古車両が使われています。このあたりでスタートから3㎞。
Img_5272c 富田三丁目の交差点を右折。国道1号線から離れ、富田の町へ入っていImg_5274c きます。300mほど入ったところに富田山長興寺。曹洞宗のお寺。養老6(722)年、泰澄大師が開基となって堂宇を創建。大師が寺前の大木を夜籠もりして彫刻した大日如来を本尊としたと伝わっています。伊勢西国三十三所観音巡礼第27番札所。弘仁8(817))年、弘法大師により再建されたといわれています。天文14(1545)年、この地の城主・南部甲斐守兼綱が菩提所として再興した際、真言宗から曹洞宗に改めています。その後、永禄11(1568)年、織田信長の伊勢侵攻の兵火により灰燼に帰しました。本堂は、明和3(1766)年に再建されたものの、安政元(1854)年の大地震で倒壊。明治11(1878)年になって再建されていますが、老朽化のため、平成15(2003)に現在の本堂が竣工。
Img_5277c この日は11時から法要が執り行われているということで、本堂への参拝Img_5291c や、ご本尊の拝観は叶いませんでした。ここまで来て、3.3㎞。このときは、3㎞あまりしか歩いていないことはあまり意識していませんでした。長興寺から100mほど、ちょうど寺の裏手に当たりますが、富田菓庵清華堂が最後の立ち寄りスポット。800円(税込)以上買うと、「鯨船ふやきせんべい」が1枚プレゼントされるということでしたが、申し訳ないと思いつつ、見て、写真を撮っただけで通過。
Img_5290c この富田菓庵清華堂の手前にある寺本商店(酒屋さん)の前には、里程Img_5281c 標があります。「津市元標へ拾里 三重郡富田町」と刻まれています。この里程標は、大正3(1914)年11月に三重県が建てたもの。向かって右側には「桑名郡桑名町大字桑名へ弐里弐拾町/員辨郡大泉原村大字楚原へ四里拾参町弐拾四間」と、また左側には「四日市市大字四日市へ壱里八町」とあります。
Img_5296c スタートから3.8㎞、11時7分に近鉄名古屋線・近鉄富田駅にゴール。多少寒かったものの、距離も短く、さほど負担ではありませんでした。午後からの伝馬公園遺跡発掘調査説明会は2時からですので、いったん帰宅することにしました。11時16分の名古屋行き急行に乗車。桑名には、11時22分着。¥260。
Img_5313c 先だって更新してきた新しいあみま倶楽部の会員証に1個目のスタンプ20181208kintetsuhikingkawagoetomi_2 を押してもらいました。また、今日のハイキングは、「近鉄あみま倶楽部KIPS対象ハイキング」。参加すると、KIPSポイント100ポイントがいただけました(微笑)。いわば「100円の駄賃をいただいた」ということ。桑名駅までの往復は、1.8㎞。都合ここまでで、本日は、5.6㎞。いつもの散歩並み(笑)。田村寺あたりからゴールの近鉄富田駅までの実測ルートマップは、右の画像の通りです。短い距離でしたが、聖武天皇に関わる旧跡、神社があって楽しめました。
Img_5066c ところで、その1で触れた宝性寺の参道入り口には、このような掲示が出ていました。東海道の表示と、龍王山宝性寺の説明、「伝承による昔の大矢知想像図」です。桑名、四日市への距離と時間も書かれています。四日市市内の旧東海道沿いには、「ここは東海道」という看板があちこちに掛かっています。また、名所・旧跡、寺社仏閣に、各地区の方がつくられた案内板、説明板が出ているのもよく見ます(教育委員会などの公的なものの他にも、ということ)。
Img_5067c こういうところを訪れる立場としてもありがたいものですし、地元を盛り上Img_5069c げるという点でも良いことと思えます。右の想像図には、現在地も示されています。桑名でもこういう活動があるといいといつも思うのです。

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