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2018年12月14日 (金)

20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(その1)……宝性寺、御厨神明神社、長明寺から鏡ヶ池へ

Img_5031c 12月8日(土)、朝はご覧のように、真冬の空という印象でした。空を見て少し迷ったのですが、近鉄ハイキングに行ってきました。迷ったというのは、天候のこともあったのですが、この日は、午後2時から、市内の伝馬公園で「遺跡発掘調査説明会」もあり、少々キツいかと思ったからです。しかし、この日の近鉄ハイキングは約5㎞と案内に書いてありましたし、何とかなるだろうとまずは、ハイキングに出かけることにしました。結局は、どちらも参加しました(微笑)。

Img_5048c  この日の近鉄ハイキングは、名古屋線・川越富洲原駅が受付で、「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」というテーマ。近鉄ハイキングでは、シリーズで伊勢20181208kintetsuhikingkawagoetomi_2 西国三十三所観音巡礼が行われていますが、その最終回ということでした。左は、コースマップ。ネットでは約5㎞となっていましたが、マップでは約4㎞。「ファミリー向き」とありましたから、これくらいなのでしょう。これはありがたい。伊勢西国三十三所観音巡礼は、宝性寺と長興寺の2つのお寺。川越富洲原駅をスタートして、龍王山宝性寺、聖武天皇神社、富田山長興寺から、富田菓庵清華堂に立ち寄って、名古屋線・近鉄富田駅がゴールです。右が実際に歩いたルートマップ。立ち寄り先でウロウロと見て回った分は省いてあります。3.8㎞でした。
Img_5052c  川越富洲原駅での受付は、9時45分から10時45分。桑名駅を9時9分の津Img_5040c 新町行き普通に乗車。川越富洲原までは、3駅です。9時17分に到着。¥260。すでに30名ほどの方が並んでいました。定刻までコンコースで待機。
Img_5034c いきなりの余談で恐縮ですが、川越富洲原駅に着いたとき、上りホームImg_5042c に「つどい」が停車していました。湯の山温泉開湯1300年のイベント列車。電車に足湯があるのです。普段は、白塚電車区に留置されていて、運航日の朝、名古屋まで回送されます。乗ってみたいと思うのですが、前売りでかなり売れているようです。
20181208kintetsuhikingkawagoetomi_3 川越富洲原駅をスタートしたのは、9時45分。左は、歩いたルートの前半部分。川越富洲原駅は、川越町の南の端にあり、少し歩くと四日市市になります。川越富洲原からまずは、北西へ進み、龍王山宝性寺に向かいます。約1㎞。
Img_5058c 宝性寺までは住宅街を縫っていきます。途中、暁小学校の前を通りましImg_5055c た。暁小学校は、四日市大学や、暁中学、暁高校と同じく、暁学園の学校。暁学園は、平田漁網製造(後の平田紡績)株式会社の宗村佐信社長が、当時の四日市市長吉田勝太郎氏等と相諮り、「文化国家の建設は次代を担う国民の教育の振興にあり」との信念の下に、1946(昭和21)年3月財団法人暁学園を創立したことに始まる、歴史のある学園です。当初は、暁幼稚園と暁女子専門学校でスタートしました。などということを書いたのは、小生が学んだ大学の研究室の初代教授が、戦後、この暁女子専門学校で教鞭を執っておられたからです。
Img_5062c 最初の立ち寄り先である龍王山宝性寺には、10時3分に到着。ここは、伊勢西国三十三所観音巡礼の第28番札所。ご本尊は、十一面観音菩薩像。それを安置している本堂が市指定文化財です。享保4(1719)年の棟札が残りますが、現在の本堂は、鬼瓦の銘から文化11(1814)年の建立と推定されます。宝性寺は、実は2回目去年(平成29(2017)年11月9日に「旧・東海道ウォーク」をしましたが、そのときです(2017年11月10日:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。
Img_5093c_2  天平12(740)年、聖武天皇が朝明行宮の際、摩伊多の里に野立されたImg_5083c 地で、勅願により建立されたのが創建とされています。ちなみに、現在地の西方300mには、宝性寺、堂前の地名が残っているそうです。創建時は、樹木が鬱蒼とした敷地28,000㎡の中に七堂伽藍の荘厳なお堂が立並んでいたと伝わっています。御本尊の十一面観世音菩薩像は、江州(滋賀県)石山寺を開基した良弁僧正(689~773)による一刀三礼の彫刻になるものだそうです。
Img_5081c その後、永禄11(1568)年の春、織田信長の家臣滝川一益の長島一揆Img_5085c 攻略の戦火に遭遇して焼失しました。のちに現在地に小堂が建立されたのですが、正徳元(1711)年の冬、火災により再度焼失してしまいます。享保4(1719)年6月、桑名藩第6代藩主・松平忠雅公の寄進によって再興されたのが現在の本堂です。御本尊とともに「蒔田観音」と愛称され、今日まで広く信仰されています。もとは天台宗でしたが、現在は、住職はいらっしゃらず、蒔田第一自治会が所有しています。それ故、特定の宗派には属さず、いわゆる単立寺院です。
Img_5101c 前回訪れた時には気づかなかったのですが、本道の南には阿弥陀堂がImg_5103c ありました。この阿弥陀堂については、案内板にも触れられていませんし、ネット検索でも情報は出て来ませんでした。
Img_5071c ところで、この宝性寺の参道には鳥居もあります。2度目ですのでヘンにImg_5065c は思わなかったのですが、初めてご覧になると不思議に感じられるかもしれません。8枚前の写真の右手に「御厨神明神社」という、神社の社号標があります。
Img_5108c 宝性寺の本堂の北東にこの御厨神明神社があります(リンク先の神社検索(三重)のサイトでは単に神明神社となっています)。左の写真で、右端に半分くらい社殿が移っています。
Img_5087c 御祭神は、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ;豊受大神の異称)。大山祇命(おおやまつみのみこと;山の神)、応神天皇(おうじんてんのう)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)も祀られています。創建年代は不明でImg_5090c すが、伊勢神宮の御厨の地に建てられ、蒔田村の氏神として信仰されました。明治41(1908)年、三重郡大矢知村蒔田字古屋敷の山神社を合祀しました。拝殿近くに右の写真のように、「山神」の石碑がありますが、これが合祀された山神社を示すものかもしれません。
Img_5074c 宝性寺の境内で見てきたもの。こちらは、「奉建立十一面観世音菩薩専祈」と刻まれています。さらにその下に「國家安穏 村内隆昌」と小さくありました。いつものように碑陰を見たかったのですが、柵で囲われていて裏側には入れませんでした。 
Img_5095c こちらは前回も見て来ましたが、「舟止石」だそうです。約Img_5097c 60㎝。変形した穴が通る硅灰岩(珪灰石か?)で、この穴に縄を通し、海中に投入して、船の碇にしたと説明されています。この寺の本尊と、近江国石山寺の開基である良弁上人の縁によって石山寺から運ばれたものと考えられているそうです。寄進者は、羽津庄屋・伊藤源衛門。
Img_5113c 宝性寺と御厨神明社のすぐ南にもお寺があります。朝明殿長明寺です。Img_5111c ここも、昨年11月、訪ねています。浄土真宗本願寺派。立派な山門があるのと、寺の周りが、素掘りの環濠で囲まれています。環濠に囲まれているのは、ここは文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が居城した、蒔田城(まいた)跡といわれるからです。宗勝は、平安時代の末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めました。もともとは、寿永年間(1182~1185)に伊勢平氏の一族である平家資(たいらのいえすけ)が、富田館と同時期にここに築城したものに始まると説明板にありました。その当時、外堀は南にある鏡ヶ池(後で触れます)まであったそうです。
Img_5126c 創立年代、開基などは不明ですが、寺誌によれば、もとは真言宗潮音寺といい、近郷の豊田村(川越町豊田)にあったと考えられています(字長恩寺という地名があるといいます)。文明17(1485)年、画像本尊を下付されたといいますので、その頃、真宗に改宗したと考えられます。慶長9(1604)年、現在の寺号を公称し、のち慶安4(1651)年、領主松平隠岐守(松平定綱公と思います)から現在の寺地を賜り、翌年寺基を移したといいます。
Img_5118c 山門脇に、「文化三年丙寅二月」と刻まれた石碑が建っています(文化3年は、1806年)。何の石碑かと思ったのですが、よく分かりませんでした。ネットで検索してみて、こちらのブログに橋に関わるものだと書かれていました。新しい、白い橋の下に古い橋があるのだそうです。さすがにそこまで気が回りませんでした(笑)。橋の親柱なのでしょうか。
Img_5132c_2 長明寺を出て200mあまりのところに「鏡ヶ池」があります。ここも2度目。東海道が、八風街道と交わるところの少し手前。ここは、聖武天皇ゆかりの地です。聖武天皇の伊勢行幸の際(天平12(740)年11月23日に朝明郡の頓宮にお着きになったといいます)、このあたりで天皇の笠が風で飛んで池に落ちたのを洗濯をしていた娘が拾い上げたそうです。翌日、旅立つ天皇と見送る娘の姿が池に映り、それが鏡のようだったとして鏡池と言うようになったと伝わっています。なお、この鏡ヶ池は、旧・東海道に面しています。
 その1はここまで。今回は、2回で終えられそうです。

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