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2018年12月 8日 (土)

20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その4)……加佐登調整池を回り、加佐登神社を見て、JR加佐登駅で勝手にゴール(完)

20181202kintetsuhikinghiratacho3_2  近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」のその3がずいぶん長い記事になりました。設定されたコースでは、荒神山観音寺から来た道を戻って、鈴鹿中等教育学校・鈴鹿高校のところで「たいやきわらしべ鈴鹿店」に立ち寄って、近鉄平田町駅に戻ることになっていました。しかし、同じ道をそのまま戻っても面白くありませんし、懐かしいところをもう少し見て回りたいと思いましたので、ここから勝手にコースを変更し、ゴールもJR関西線・加佐登駅にしてしまいました。実際に歩いたルートマップに示しましたように、荒神山観音寺を出て、加佐登調整池沿いを東へ進みます。
Img_4603c 加佐登調整池は、水資源機構・三重用水管理所が管理しています。小生Img_4616c が、鈴鹿に来たのは昭和54(1979)年4月でしたが、ここのダムは、その前年・昭和53(1978)年3月に着工、昭和58(1983)年2月に完成しています。その3で、当時住んだ長屋の裏の林の向こうに加佐登調整池があると書きましたが、それがこれ。椎山川をせき止めています。総貯水容量は、3,047千立方メートル(想像が付きません)。堤の高さは、28.7m。
Img_4633c こちらがダムの堤本体を見上げた写真。加佐登神社の前から見ています。冒頭の実測ルートマップでは、9㎞地点のやや右上あたりから見たもの。ちなみに、加佐登調整池には、すぐ近くにある日本武尊(ヤマトタケル)伝説のある白鳥塚古墳に因み、「白鳥湖(しらとりこ)」という愛称がついていました(今回、初めて知ったのですが……)。
Img_4622c  これは、小生がその昔住んでいたあたりを、ダム湖の対岸から見た写真。写真中央に建つ家の向こう辺り。当時も裏手は林や草地で、イタチなどが出没しました。長屋の裏のドアを開け放していたら、イタチが食パンを咥えて逃げたとか、いろいろな経験をしました(笑)。
Img_4611c 荒神山観音寺のすぐ東には、鈴鹿フラワーパークが広がっています。Img_4619c 9.9haとかなり広い公園です。四季の花はもちろん、噴水や花の丘、桜の広場、野点広場などがあり、この日も家族連れで賑わっていました。小生が鈴鹿にいた頃はこの公園はまだありませんでした。
Img_4624c スタートから8㎞半くらいのところに、「白鳥陵(シラトリノミササギ)」があります。白鳥陵は、日本武尊の墓をいうのですが、調べると、伊勢国能褒野(のぼの)の陵、大和国琴弾原(ことひきのはら)の陵、河内(かわち)国旧市邑(ふるいちのむら)の陵の3か所をいうとあります。日本武尊は、死んで白鳥になったという伝説がありますが、この奥には、白鳥塚の古墳があります。
Img_4628c 白鳥塚古墳は、7基から成る白鳥塚古墳群の主墳で、正式には白鳥塚Img_4642c 古墳1号墳といい、三重県下最大の帆立貝式古墳です。墳長80m、高さ13mで、出土品には円筒埴輪があります。築造時期は、5世紀前半とされています。本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、ここを古事記にある日本武尊の能褒野陵墓と考え、明治9(1876)年、教部省は白鳥塚を日本武尊陵墓と治定しました。しかし、明治12(1879)年、宮内省はそれを覆し、丁子塚(現亀山市)を治定し、以後、丁子塚がヤマトタケル陵墓(能褒野王塚古墳)とされています。今回、白鳥塚そのものは見て来ていません。
Img_4629c 句碑は、俳人小林青波(鈴鹿市俳句連盟理事)による「白鳥座 能褒野の天に 懸りたり」という句が刻まれています。平成29(2017)年12月に「鈴鹿帆の会」の方々により建てられたばかり。
Img_4638c 加佐登調整池を回って、ダム本体の堤のところを降りてくると、加佐登神社の参道があります。ここも何度も来たところ。花見によく来ました。鈴鹿病院で働いていた頃は、野球部に所属していましたが、その野球部でよく焼き肉パーティーをしたのもここでした。
Img_4639c  日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられます。日本武尊を主祭神とし、古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていました。 境内には倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられます。明治6(1873)年に現社名へ改め、明治41(1908)年に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となるとともに、村社に列格しました。
境内の椎山川中世墓から出土した陶器などを展示する高宮資料館があります。 紫ツツジの名所でもあります。
Img_4635c 白鳥塚も、加佐登神社もお参りしてきたかったのですが、JR関西線・加佐登駅からの名古屋行きが、13時34分発でしたから、断念(加佐登神社に来たのが、13時過ぎでした。この時間帯、関西線名古屋行きは、1時間に1本)。表参道入り口から神社までは、階段を登って、450m。5分くらいですが、境内を見て回る時間はないと考え、断念。
Img_4653c  やむなく、加佐登駐在所前の交差点にやって来ました。あのだるまやさImg_4655c んの前です。県道をちょっと進み、向井酒店、サンケー電機など、昔もあった店を確認。このほか、病院での当直の夜など、出前をよくお願いした桂鮨もありましたっけ。
Img_4671c ここからは再び、加佐登商店街を通って、加佐登にもう一つあるお寺に。Img_4662c 高宮山光明院青蓮寺。開基・創建については不詳。もとは真言宗でしたが、中世、真宗高田派に転じました。大永2(1522)年、青蓮寺中興 宗順が本堂を建立。貞享3(1686)年、山号の印状を受けています。享保9(1724)年、第十世・潭道が本堂を再建。その後さらに、天保12(1841)年、第十三世・白道が本堂再建し、現在に至っています。この日は、報恩講のお勤めが行われていました。
Img_4692c そして、13時23分、勝手に変更したゴールである、JR関西線・加佐登駅Img_4695c に到着。スタートから10.4㎞。本来のゴールである、近鉄鈴鹿線・平田町駅までは、さらに3㎞あります。

Img_4696c

 加佐登駅、ご多分に漏れず、無人駅。自動の券売機もありません。同じImg_4706c ハイキングに参加していた女性から、「どこで切符を買うのでしょう?」と尋ねられました。明治25(1892)年2月に、関西鉄道の河原田~亀山間に高宮駅(たかみやえき)として開業。明治36(1903)年2月、加佐登駅に改称ています。平成24(2012)年10月から無人駅に。
Img_4708c 13時34分発の名古屋行き快速に乗車。亀山から来て、四日市までは各Img_4709c 駅停車。四日市から快速。桑名までは、¥500。桑名駅には、14時5分着。
Img_4712c この日のハイキングで、スタンプは25個をゲット。あみま倶楽部の踏破賞Img_4723c (シルバー会員)は、20個、40個が関門。今の会員資格が有効な今月中に40個を達成するのは不可能ですので、帰りに近鉄桑名駅に立ち寄って、踏破賞の賞品をもらってきました。駅長室に通していただき、銅賞のバッチと、近鉄の商品券¥1,000。これだけでも嬉しいものです。あみま倶楽部も、更新して、新しい会員証をもらってきました。次の1年、スタンプ40個ゲットを目標にやりましょう。
20181202stamp 庄野宿資料館で押してきたスタンプ。こういうスタンプ、子供だましのよう201812021 にも思えますが、実際に訪れて、スタンプがあると、押したくなります。毎度書きますが、桑名でもこういうものを準備してほしいところ。また、四日市や、庄野では地元の皆さん(各地区)でウォーキングや、案内のマップ、リーフレットをつくっています。桑名ではこれもありません。横並びが良いとは思いませんが、城巡り、街道歩きもブームですから、観光振興のためにも、桑名市でももっと積極的に対応して欲しいと思います。
 今回は、近鉄ハイキングの記録だけでなく、個人的なセンチメンタル・ジャーニーにもお付き合いいただき、いつも以上に恐縮しています。これに懲りず、今後ともよろしくお願い申し上げ、12月2日に参加した近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」もお陰様で無事「完」であります。

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コメント

おユキさん、こんばんは。

今日もまた近鉄ハイキングに行ってきました(笑)。
どうやらまったく懲りない性格だったようで、最近ようやく自覚しつつあります(笑)。

ちなみに、初めて参加した去年11月末からの1年間で近鉄・JRあわせて32回参加しました。

日本武尊の墓は、宮内庁認定は亀山の能褒野陵ですが、加佐登の白鳥塚という説もあります。
三重県には、杖衝坂で日本武尊の足が三重に折れたという話もありますので、身近です(微笑)。

加佐登神社の鳥居の注連縄、私は違和感がありませんでしたから、他でも見ているような気がします(あまり意識していませんでしたから、今度からはよく見ることにします)。

野球は、大学生の時も、昼休みに同級生とキャッチボールをしているところを指導教授からスカウトされ、研究室のチームに入りました。
近くの別の大学の心理学研究室の野球部との試合にも出ましたし、学部の研究室対抗ソフトボール大会にも出ていました。
病院の野球部では、「恐怖の下位打線」の一員として恐れられていました(爆)。
あとは、ご想像(妄想?)のままにどうぞ(笑)。

そうそう、そういえば、クルマはトヨタのスプリンタートレノGT Apexというスポーツタイプに乗っておりました。
マニアの間では、「86トレノ」といわれる伝説のクルマです。

ところで、私も昔のことを思い出すことはけっこうあります。
それはある意味大切なことと思うのですが、あまり囚われすぎないようにしています。

投稿: mamekichi | 2018年12月 9日 (日) 20時18分

こころんさん、こんばんは。

いつも恐縮です。

昔は、名古屋から直通の平田町行き急行が何本か出ていました。
今は、1本くらいのようですね。
受験の時に間違えるというのは、よほど緊張していて余裕がなかったのでしょうね。
伊勢若松駅から分かれて、4駅目が平田町です。

さて、加佐登には昭和54年から平成2年にかけて住んでいました。
病院には、その後平成4年まで勤めました。
日曜であったこともあって、町を歩いている人は、ハイキング参加者のみでした。
知人のお宅も何軒かあったのですが、住んでいる人が変わっていたりで、時間の経過を実感しました。
年を取るわけです(苦笑)。

弘法大師様というのは、スーパーマンのような方ですね。
日本各地で実にいろいろなことをしていらっしゃいます。
日本武尊についても、あちこちにいろいろと伝説が伝わっていますね。
加佐登神社近くの近くにある白鳥塚が墓だという話もあります。

加佐登駅から乗車した関西線の電車は、入り口が1つに決まっていて、そこに「乗車票(ワンマンバスの整理券と同じ)」を発券する機会がありました。
が、ワンマンのはずなのに、乗務員の方がすぐそこにいらっしゃり、桑名までの乗車券を買いました。
ちなみに、加佐登駅は私が勝手にゴールにしただけで、今回は近鉄ハイキングです(笑)。

JRさわやかウォーキングで高田本山に行ったとき、最寄りの一身田駅にはJRの方が出張してきて、車掌さんが持っている機械で切符を売ってくれました。

帰りに、桑名駅西口の近鉄の駅に寄ってきました。
改札で係の方にお願いしたら、駅長室に通してもらいました(笑)。
昔から、校長室とか、院長室、学部長室など「長」の付く方の部屋に入るのは緊張しました。

あみま倶楽部入会1年目は、スタンプ25個を集めないと同省になりませんが、2年目以降はシルバー会員(年齢ではありません)となり、20個でOKとなります。
向こう1年、無理せず、ボチボチと近鉄、JRのハイキング・ウォーキングに参加することにします。
それにしても、余談ですが、「あみま倶楽部」の「あみま」は、「歩く、見る、学ぶ」だそうです。
これ、自分のキャッチフレーズにしたいくらいよくできたコピーです。

桑名の観光施設には、たぶんこういうスタンプは置いていないと思いますが、遅れていると思います。
ラリーをするともっと良いと思いますが、今時、スタンプを奥くらいの予算をけちるようでは、観光都市としてはやっていけないと思います。
それと、もう一つは、四日市でも鈴鹿でも、地元の方たちが地域の盛り上げに積極的に参加しています。
行政からも予算が出ているようです。
このあたりも、何とかした方が良いように思います。

などとエラそうなことをいっておりますが、間違っても立候補はないでしょう(笑)。

投稿: mamekichi | 2018年12月 9日 (日) 20時08分

mamekichi先生、こんにちは。

ウォーキング・ハイキングへ次々と参加され、いつのことかが分からなくなっています(苦笑)。

記事を拝見して、とうとう、ヤマトタケルのお墓まで出てきてしまった・・(汗)と、少しゾッとしてしまいました。
私の中では、限りなく架空の人物なのです。

加佐登神社の鳥居に、注連縄が飾られていますが、鳥居に飾られているのを見るのは、珍しいような気がします。
割と普通のことなのでしょうか。

さてさて、センチメンタルジャーニー。
先生が野球部だったというのは、意外ですね。
今でも充分、溌剌とされていると思いますが、お若い頃はもっと行動的だったのかな、と、想像しながら読ませていただきました。

私もこの頃、過去のことを思い出す機会が多く、複雑な気持ちになってしまうことがあります。
私の場合、まだ「今のところ」かもしれませんが、年を取るというのは、あり難いことだなぁ、とかみ締めています(苦笑)。

投稿: おユキ | 2018年12月 9日 (日) 14時26分

ゴールおめでとうございます
高校の時に友達が三重大に試験に行くときに
間違って平田町行きに乗ってしまいギリギリに来てたのを思い出します^^;
だいぶ本線から逸れますよね。

昔住まわれた町を歩かれて、
時間は流れましたがその当時の方は見かけられましたか?
懐かしくて他のハイキングよりも楽しまれたのではと思います。

弘法大師さんが日本武尊を祀ったのですね。
こういうこともされるのかと読ませていただきました。
神霊を祀られることは他にもあったのでしょうかね。

加佐登駅に券売機が無いということは車内で
車掌さんから買うということでしょうか?
このようなイベントなどで乗客がたくさんいたら
廻ってきてくれるのかちょっと心配になりました(笑)

駅長室に通されたんですね。
なかなか入る機会も無さそうで貴重な体験ではないでしょうか?
商品券、いろいろ使えそうで嬉しいですね。
銅賞おめでとうございます!
1年に40個は更にハイペースになりそうですが
無理だけはされませんように(^^)

桑名も合併で広くなったし、スタンプラリーは面白そうですね。
財政難らしいですが、町中で歩く人の数を増やすことが
町の活気に繋がると思いますし…
達成者から半年に一度くらい抽選でスパーランドやなばなの里の入場券
を賞品にしたりと…
今度mamekichiさんが選挙に出られる時に
「スタンプラリー」が得票のキーワードになるかもしれません(^^)

投稿: こころん | 2018年12月 9日 (日) 11時01分

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