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2018年12月 2日 (日)

20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー

Img_4213c_3  今日は、予定通り、近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」に行ってきました。今回、このハイキングに出かけた最大の理由は、大学院を修了して、最初に就職した勤務先&住まいのあたりを通るということでした。大学院修士課程を修了して就職したのは、昭和54(1979)年4月。修了するまではそれなりに勉学に励んでいましたので、就職してからが、青春時代という感じでした(微笑)。もう一つは、東海道五十三次の庄野宿を訪ねるというのも魅力。冒頭の写真は、平田町駅のホーム。鈴鹿線は、ここで終点。
Img_4205c  今日のスタート&ゴールは、近鉄鈴鹿線・平田町駅。いつものように、桑名Img_4213c_2 駅を9時2分発の五十鈴川行き急行に乗車。乗り換えの伊勢若松には9時25分着。ここで、失敗。よく調べて行かなかったのですが、平田町行きは9時50分(笑)。桑名を次に出る松阪行き急行(9時22分発)でも十分間に合いました。平田町には、10時1分着。¥560。
Img_4218c 左は今日のコースマップ。平田町駅を出て、庄野宿資料館、荒神山観音寺20181202kintetsuhikinghiratacho に行って、往路のコースをそのまま戻り、たいやきわらしべ鈴鹿店を経て、平田町駅に戻るという、約11㎞。鈴鹿には昭和54年から13年近く住み、働いていましたので、マップを見れば、後は目をつぶっていても歩けるくらい(笑)。また、マップをもらって、考えていたことを決めました。同じ道を往復するのはつまらないということです。そして、実際に歩いたのは、右の画像の通り。荒神山観音寺までは、コースマップ通りに行ったのですが、帰りは、鈴鹿フラワーパーク、加佐登神社前を経て、ゴールは勝手にJR加佐登駅に変更(笑)。実際に歩いた距離は、10.4㎞。昔懐かしい場所を見て回ったこともあって、やや長目。桑名駅までの往復は、今日は2.4㎞。あわせて12.8㎞。
Img_4222c_2 近鉄鈴鹿線・平田町駅。建物は基本的には、昔と変わりませんが、きれいになっています。鈴鹿に就職したのは、上記のように、昭和54年4月16日でした。大学院修士課程を修了するとき、最初の勤務先のF院長が指導教授に「心理学をきちんと勉強した人が欲しい」と言ってこられ、小生に白羽の矢が立った(というとカッコ良すぎです。他に人がいなかったというのが真実)。この駅に降りたのは、F院長の後任、I院長の還暦パーティー以来。調べれば分かるのですが、現時点では、いつだったか不明。マップを受け取って、スタートは10時8分。鈴鹿で働いていたのは、昭和54(1979)年4月から平成4(1992)年5月の13年2ヶ月。浦島太郎状態というのが正解。
Img_4228c 平田町駅を出て、西へ。旭化成鈴鹿製造所などの前の道路を進みます。昔、このあImg_4234c たりは小生の縄張りでした。旭化成は、サランラップを作っている会社。桜並木も残っていました。焼き肉のみさき屋さん。昔も繁盛していましたが、今も大人気のようで、店舗もすっかり立派になり、駐車場もはるかに大きくなっていてビックリ。数え切れないほどの回数、ここへ通いました。
Img_4240c 平田二丁目南交差点を右折。北西へ。このあたりもよく来たところ。焼きImg_4242c 肉の大関屋。ここもお馴染みの店でしたし、その先、庄野東一丁目交差点の手前の店舗。ここもお昼ごはんやら、一杯飲みでよく来たところでしたが、天ぷら・ひごも、中華料理・紅南も閉店。ここに通っていたのは、30~40年前です。歳月の経過を痛感します。この近くにある寿司幸さんにもずいぶんお世話になりました。今日は、ルートからかなり外れますので、パスしましたが、今はどうしていらっしゃるか気になります。
Img_4253c 平田町駅から1㎞半ほどで、鈴鹿中等教育学校・高校。昔は、ここに鈴鹿Img_4254c 短大と鈴鹿高校がありました。本当に、今は昔という話。この学校の、道路を挟んだ向かいにもよく通った喫茶店があったのですが、住宅や商店に模様替え。鈴鹿中等教育学校・高校の前を少し西へ行くと、鈴鹿川を庄野橋で渡ります。
Img_4268c 庄野橋を渡り終えると、すぐに国道1号線。横断歩道橋で1号線を越え、Img_4277c 庄野町へ入って行きます。庄野は、東海道五十三次の45番目の宿場町。庄野橋を渡ってまっすぐ行ったところは、宿場の中央あたり。今日のコースでは、右の写真の突き当たりを右折して行くのですが、せっかくですから寄り道(笑)。
Img_4291c 上右の交差点を左折し、宿場の西の入り口(京の方角)まで行ってきました。そこには、庄野小学校の旧・門柱を利用した庄野宿を示す石標があります。本当は、このさらに西にある「女人堤防碑」や「従是東神戸領」と記された領界石も見たかったのですが、それは断念。この辺りは、鈴鹿川とそ の支流安楽川の合流点で、昔から水害が頻発していました。江戸時代、領民は神戸藩に何度も堤防の修築を願ったものの許されず、文政12(1829)年に女性たちが死罪を覚悟で堤防を補強したのです。彼女たちは、いったんは処刑場に送られたが、赦免の早馬が到着し、救われたといいます。
Img_4286c 庄野宿を示す石標から400mたらずのところに川俣神社。「川俣」というのImg_4300c は、その昔、鈴鹿川がこの地で二分し伊勢湾に流れ込んでいて、その二分になったところに当社を祀ったことによると言います。ただし、川俣はさらに川俣氏族により奉斎された神社である点も忘れてはならないそうです。この神社は、近世には貴船社として祀られていたといいます。明治40(1907)年、庄野村の川俣神社地七社、汲川原村の三社を庄野村大国神社へ合祀の上、川俣神社と単称して今に至っています。
Img_4302c 川俣神社には、「川俣神杜のスダジイ(県天然記念物)」があります。スダImg_4305c ジイは、暖地に自生するブナ科の常緑高木です。このスダジイは、樹高15m、幹回り5m以上という巨木。枝は東西に約19m、南北に約16mの広がりがあり、神社のご神木となっています。ちなみに、川俣神社は、鈴鹿川沿いにいくつかあり、そのうち3社は庄野宿にあります。ここはもと、貴船明神と賞にて
Img_4317c 庄野集会所のある交差点。このあたりには、本陣、脇本陣、高札場、郷Img_4281c_2 会所どがあったところ。高札は、古いものもの含まれています。高札は、5種類が残っていて、このあと訪ねた庄野宿資料館で見られます。
Img_4332c 庄野宿資料館。ここは、油問屋であった旧・小林家住宅(旧屋号・油屋)Img_4345c です。この建物は、「嘉永7(1854)年」の棟札があるそうです。館内には庄野宿の本陣・脇本陣や高札など、宿駅関係の資料が展示されています。平成10(1998)年に資料館としてオープンしました。ここでスタッフの女性としばらくおしゃべり。小生が昔、加佐登に住んで、病院で働いていたと申し上げたら、話で盛り上がってしまったのです。
Img_4352c 筧口山(けんこうざん)善照寺。真宗高田派のお寺。長禄年間(1457~Img_4358c 1460年)に平田地内筧口と称するところに、善正法師が善照寺を開基したといいます。初めは天台宗でしたが、高田派第十世・真慧上人の化導によって真宗高田派に改宗し、今日に至っています。入母屋造りの本堂は、寛政年間(1795年頃)に建立されました。
Img_4366c 庄野宿の東の入り口(江戸方面)にも、石標があります。徳川家康は、慶長6(1601)年、東海道五十三次の宿駅を定めました。庄野宿は、その23年後、寛永元(1624)年に45番目の粛として設けられました。宿の長さは、900mほど。本陣、脇本陣は一つずつ。しかし、江戸から伊勢参りの旅人は、日永の追分から参宮道に、また、上方からは関宿から伊勢別街道に入ります。通行量は多いとはいえません。その上、東海道を行き交う旅人は、七里の渡しを控えた桑名宿か、鈴鹿越えの東にある関宿に宿を求めましたので、決して豊かな宿場ではなかったようです。
Img_4377c 庄野宿を出て、JR関西線・加佐登駅に行くまでのところには、NC中日本Img_4392c コンクリート。電信柱をつくっています。小生が就職した頃にはすでにありました。昭和32(1957)年4月に創業しています。加佐登駅前を経て、加佐登の昔からの町並みに入って行きます。右の写真のクリーニング屋さん、今は廃業していますが、ここでクリーニングをお願いしたことも幾たびか。
Img_4418c 旧道に沿った加佐登商店街。ほとんどがシャッターを下ろしていました。Img_4652c 左の写真、手前は手芸店、向こうは文具店でした。右の写真に写っている「だるま屋」は、小生の就職当時から(もちろんそれ以前から)あります。就職した頃は、普通の大衆食堂でした。ここの支那そばは美味しかった記憶があります。食べに行ったり、宿直の夜に出前をお願いしたりしました。現役当時から、鴨料理を始め、今ではその専門店になっていました。
Img_4436c こちらは、小生が大学院を修了して就職した病院。懐かしくて、寄り道。昔は国立療養所。亀山陸軍病院としてスタートし、結核療養所から、重症心身障害、筋ジストロフィーの専門病院でした。就職当時は、時が止まったような印象の、まさに田舎の療養所でした。今は、国立病院機構の病院。隔世の感があります。
Img_4443c 病院に立ち寄ってから、さらに西へ。県道27号線の南の田舎道を進みます。この先、就職した頃住んでいたところの近くへ行きます。当初は、この道を自転車で病院に通ってきました。
Img_4451c いったん県道に出ます。このあたりに住んでいました。昭和54年4月、24Img_4450c 歳の頃から。美容室の向こうは、当時の大家さんの店(西口屋)。その道路を挟んだ反対側(右の写真)、この奥に当時住んでいた長屋というか、アパートがありました。
Img_4455c 見て来ました。全くの更地になっていて、建物はありません。奥にある家Img_4603c は、その頃はありませんでした。左手にコメリが見えますが、これも、当時はもちろんありません。森の向こうは、水資源機構の加佐登調整池。就職した頃は、工事中で、昭和58(1983)年に完成しました。
Img_4470c 昔懐かしいところを歩いて、6.5㎞。「高神山観音寺」の石標が見えてきました。ここは、花植木センターの交差点を入って、JR加佐登支店や、加佐登小学校があるあたり。ここまで来ると、荒神山観音寺まで500mほど。
Img_4487c 12時5分、スタートから1時間55分ほどで荒神山観音寺に到着。7㎞あまり。正式には、「高神山観音寺」ですが、通称は「荒神山」。真言宗御室仁和寺派のお寺。弘仁3(812)年に、弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像として祀り、神事山と称したのが始まりといいます。
Img_4504c その後、寛治元(1087)年に大和の国の法陵律師という聖僧が、神事山Img_4585c の観音大士のおつげにより当地を尋ね、檜の大樹の下に、十一面観世音菩薩がいらっしゃる姿を見い出して、御堂を建立安置したといいます。寺には、十一面観世音菩薩と日天、月天、地天の銅仏が安置してある本堂、春日局が寄進した梵鐘がおさめられている鐘樓堂などがあります。
Img_4521c 荒神山観音寺は、広沢虎造の浪曲「血煙荒神山」で有名。慶応2(1866)Img_4583c 年、この寺の裏山で起こった神戸長吉(かんべのながきち)と安濃徳(あのうのとく)との縄張り争いです。この争いで、吉良の仁吉が憤死しています。仁吉は、清水の次郎長一家と同盟関係にあったため、次郎長もこの喧嘩に関わっています。今も、仁吉を倒したとされている火縄銃や、三度笠、合羽が残っていますし、鐘楼の柱には弾痕があります。
Img_4591c お昼時でしたので、荒神山観音寺で弁当。今日も駅ナカファミマで買ってきた弁当。駅ナカファミマでは、KIPSポイントも使えますので、便利。今日は、幕の内弁当。コンビニ弁当が好みではありませんし、選択肢も限られますから、ご当地の弁当などがあればそれを選びたいのですが、贅沢はいえません。
Img_4611c さて、コースマップでは、荒神山観音寺から、往路をそのまま戻るというImg_4616c 駅伝競走のようなルートでした。それでは面白くありませんし、また平田町駅まで戻るのもどうかと思って、ここからは「勝手に近鉄ハイキング」と決め込んで、ルートとゴールを変更(笑)。加佐登調整池の北側、鈴鹿フラワーパークの方を回って来ました。
Img_4624c 鈴鹿フラワーパークを過ぎたところで、白鳥陵があります。このすぐ近くImg_4638c に、日本武尊を御祭神とする加佐登神社があります。その近くに白鳥塚古墳 があります。この古墳は、日本武尊命の墓といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説が残されています。ちなみに、加佐登神社は、日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座しています。尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。白鳥陵の石碑は、神社の奉賛会が建てています。
Img_4692c 加佐登神社にもお参りしたかったのですが、上右の写真の一の鳥居から、450mほど階段を登った上にありますし、帰りの電車の時刻が迫っていたので、断念。このあと、病院前に出て、来た道を戻って、JR関西線・加佐登駅に。近鉄鈴鹿線・平田町駅まで行くと、さらに3㎞以上歩かねばなりませんので、今日はここ加佐登駅を勝手にゴールに設定(苦笑)。13
時25分にゴール、ここまででスタートから10.4㎞。
Img_4706c 加佐登駅、ご多分に漏れず、無人駅。自動の券売機もありません。同じImg_4708c ハイキングに参加していた女性から、「どこで切符を買うのでしょう?」と尋ねられました。13時34分発の名古屋行き快速に乗車。亀山から来て、四日市までは各駅停車。四日市から快速。
Img_4709c 桑名までは、¥500。桑名駅には、14時5分着。今日のハイキングで、スImg_4723c タンプは25個をゲット。あみま倶楽部の踏破賞(シルバー会員)は、20個、40個が関門。今月中に40個を達成するのは不可能ですので、帰りに近鉄桑名駅に立ち寄って、踏破賞の賞品をもらってきました。銅賞でバッチと、近鉄の商品券¥1,000。これだけでも嬉しいものです。あみま倶楽部も、更新して、新しい会員証をもらってきました。次の1年、スタンプ40個ゲットを目標にやりましょう。
20181202stampc
 庄野宿資料館で押してきたスタンプ。こういうスタンプ、子供だましのようにも思えますが、実際に訪れて、スタンプがあると、押したくなります。毎度書きますが、桑名でもこういうものを準備してほしいところ。また、四日市でもそうですし、今日の庄野でもそうでしたが、地元の皆さん(各地区)でウォーキングや、案内のマップ、リーフレットをつくっています。桑名ではこれもありません。横並びが良いとは思いませんが、城巡り、街道歩きがブームですから、桑名市でももっと積極的に対応して欲しいと思います。今日は、桑名市会議員選挙の投票日でした。新しい議員さんたちには、新鮮な視点で桑名の発展仁尽くしてもらいたいところです。

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