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2018年11月12日 (月)

20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その4)……松阪神社、本居宣長ノ宮

20181103kintetsuhikingmatsusaka3  近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策(11月3日)」のその4です。その3では、松阪神社の前まで来て、武者行列を御城番屋敷のところで見ました(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る)。御城番屋敷も見たかったのですが、武者行列が通過するまでは、入れませんので、松阪神社へ。

Img_0713c  松阪神社も5月の時は、一の鳥居だけを見て、参拝はしていません。神社Img_0715c由緒書きによれば、古来「意悲神社」(おいじんじゃ)と称し、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。氏郷は、また、この鎮守社に新たに武士尊崇の神である「正八幡様」を勧請して、祭り神として祀り「八幡宮」と唱えています。明治41(1908)年には、市内各所に祀られていた17神社が、ここに合祀せられ、社名を「松阪神社」して、今日に及んでいます。
Img_0703c 松阪工高の西、御城番屋敷入り口にある一の鳥居から100mあまりのところImg_0727c にある二の鳥居(その3にも載せました)。由緒書きにあったように松坂城跡の南の丘で、ここから登って行きます。鳥居に向かって右脇に「本殿遙拝所」と刻まれた新しい石柱があり、気になります(坂がけっこうキツい予感)。
Img_0731c 実測ルートを描くときに調べたら、一の鳥居のところが標高17mほど、松阪神社の拝殿前でImg_0733c_2 30m近くになります。数値的には大したことはないのですが、実際に登るのはなかなか。ご覧のような階段を登って三の鳥居へ。境内が見えてきました。
Img_0758c 正面に拝殿。拝殿の背後にあるご本殿は、昭和5(1930)年の遷宮の際、伊勢の豊受大神宮の三御殿の中の一つである、西宝殿をそのまま下附されたものがもとです(こちらに写真があります)。神明造の本殿であったものに、千木鰹魚木・銅板屋根の部分を新しくしたという由緒のある本殿です。豊受大神宮の西宝殿の拝戴は、このあたりでは松阪神社だけで、江戸時代以来、20年毎に下附を受け、昭和5年の時は第8回目。
Img_0760c 御祭神は、主祭神が誉田別命と、宇迦之魂神。合祀されている神様は、以下の33柱。明治に17神社を合祀したために多いと思われます。
天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、建速須佐之男尊、豊受大神、思兼神、大山祗命、火霊神、金山彦命、蛭子命、猿田彦命、大国主命、少彦名命、熊野久須毘命、天御柱命、国御柱命、雅日女命天棚機姫命拷幡千々姫命、安徳天皇、多紀理毘売命高木大神因幡素莵神(こちらの白兎神社のサイトもご覧ください)、多岐都比売命市岐島姫命天之忍穂耳命天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、八百万神、事代主命、上筒男神、中筒男神、底筒男神
 なお、すべてを調べ、リンクを示すのは大変な手間ですので、独断と偏見により、初見もしくは小生の記憶があやしい神様についてのみ、リンクしてあります。
Img_0736c ご神木は、楠の大変古い巨木。鳥居を構え、注連縄が巻かれています。Img_0739c このご神木は、氏郷が松坂城をつくった頃すでに、この位置に500年を経過した木としてあったといいます。それ故、樹齢900年以上。樹高25m、胸高周囲7mで、木下には、深さ3mの穴があり、太い根が穴の上にまたがって生えています。
Img_0748c 境内社としてあるのは、少彦名命社。これは、松阪市愛Img_0752c 宕町から昭和38(1963)年2月に松阪神社境内に造営鎮座祭が斎行され、できたお社です。少彦名命は“一寸法師”の童話のモデルともいわれています。また、薬や酒を造ったとされ、特に病気平癒に御利益があると、信仰を集めています。
Img_0751c この少彦名命社を囲む塀のところには神様のお名前を刻んだ石柱が並Img_0755c んでいました。向かって左には建速須佐之男命、右には山の神2柱と少彦名命。朱塗りの小さな鳥居も置かれています。合祀された神社のものかと思いますが、詳細は不明。
Img_0766c 拝殿に向かって左には、神輿殿。神輿が2基。雨龍神輿と、八重垣神輿。Img_0769c いずれも立派なもの。7月中旬に祇園祭が催行され、そのときに使われるものかと思います。
Img_0746c 拝殿に向かって右手、手前には立派な神楽殿もありました。このほか、Img_0773c 筆塚もありますが詳細はよく分かりません。まだ新しいものでした。
Img_0788c 松阪神社のすぐ北隣には、本居宣長ノ宮があります。ただし、両方の神社は、無Img_0792c 関係。主祭神は、秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、相殿神は神霊能真柱大人(平田篤胤)。本居宣長を神と祀る世論は早くからあったようですが、明治8(1875)年3月、川口常文等が主唱し、旧山室村(現・松阪市山室町高峰)の大人奥墓の傍に社宇を建て、山室山神社と号しました。その後、現・松阪市役所所在地を経て、昭和6(1931)年に現在地に遷座。昭和21(1946)年に社号を本居神社と改称。平成7(1995)年4月、本居宣長ノ宮と称しています。合格祈願・学業成就などの御利益があるとされます。
Img_0778c 本居宣長ノ宮には、本居宣長の歌碑があります。「志きしまの やまとこImg_0784c ころを 人とはば あさひににほふ 山さくら花」という宣長61歳(寛政2(1790)年)の時の自画像に添えられたもの。この自画像は、本居宣長記念館のサイトにあるこの画像と思います。
Img_0794c 境内社として、末廣稲荷大神がありました。この稲荷社Img_0798c は、昭和4(1929)年4月、興和紡績松阪工場の前身である松阪木綿株式会社が、伏見稲荷から勧請したものです。同工場が閉鎖されるにともない、平成11(1999)年4月にここに御遷座。御祭神は、宇迦之御魂大神。
Img_0804c JR松阪駅前にもこの「驛鈴」のモニュメントがありましたが、本居宣長ノ宮Img_0813c にも石でつくられた驛鈴がありました。後で調べたら、「七種鈴をあしらった石灯篭もある」ということでしたが、まったく気づかず(苦笑)。表参道へ出ると、右のような景色。
 その4はここまでとします。残りは松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館とそこで開催されていた「開館40周年記念特別企画 松坂城1588-2018 ~天下人も認めた武将 氏郷の城~」という展覧会、そしてゴールへ。次回で完結の見込み。

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