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2018年11月11日 (日)

20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る

 11月3日に出かけた近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」のその3です。八雲神社、愛宕山龍泉寺にいろいろとありましたので、遅々として進んでいません(苦笑)。進みが遅い上に、調べが付かないことも多々あります。本来であれば、ネット検索だけでなく、本、パンフレットなど印刷された資料を調べるべきなのですが、それを始めると収拾が付かなくなる恐れがありますので、それなりというところでご容赦を願います。

20181103kintetsuhikingmatsusaka2 愛宕山龍泉寺を出てわずかに国道42号線を歩いて、愛宕町西交差点を右20181103ujistomatsuri2 折。旧伊勢街道へ入り、北西へ。ここも氏郷まつりが開催されているエリア。
Img_0619c 小生が通ったときには、忍者ショーが行われていましたImg_0628c。日野町の交差点まで来たら、ベルタウンの近くで見かけた「松阪しょんがいソーラン」の方たちと再遭遇(11月 8日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……))。ここが中央ステージ。パンフレットによれば、10時35分から11時15分が出番で、ちょうど終わったところでした。ここでスタートからほぼ2㎞。
Img_0631c 日野町交差点には、見逃せないものがあります。ここにあるヒシナカ薬Img_0637c 局の前に道標が立っているのです。大賑わいで、苦労したものの何とか写真を撮ってきました(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)。「左 さんぐう道 八雲神社 右 わかやま道」と刻まれています。ここで旧伊勢街道から旧和歌山道が分かれるのです。ちなみに、「日野町」という地名は、蒲生氏郷が近江国日野から移転してきた際、日野から連れてきた商人や住民がいたことから、町名になったといわれます。
Img_0639c 日野町交差点から100mほどの左手に樹敬寺(じゅきょうじ)があります。和歌山街道に面しています。今年5月26日に来たときも入り口あたりは見たものの、その日は蒸し暑くて、疲れており、ここにある本居宣長墓所へ行くのを諦めていました(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)。この日はリベンジ。
Img_0644c 浄土宗、山号は法幢山。京都知恩院の末寺にあたり、建久6(1195)年、俊乗坊重源上人によって開かれました。ここは、代々、本居一族の菩提寺です。天正16(1588)年、蒲生氏郷の松坂城下建設に伴い、松ヶ島城下より現在地に移ったといいます。本堂は、明治35(1902)年に再建されました。1枚前の写真に写っていますが、明治天皇が、明治13(1880)年7月7日、三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧され、伊勢陣国御参拝になっていますが、ここ樹敬寺にて昼食を摂られたということです(詳細は、上記のJRさわやかウォーキングのリンク先にあります。
Img_0648c_2 前回は、この案内図を見て、本居宣長墓所がとてつもなく遠く感じたのでImg_0646c す(苦笑)。この日は、何が何でも行ってみようと思ってきています。樹敬寺山門には、どう見ても三ツ葉葵紋がありました。紀州藩領であったことが関連するのかと思うのですが、詳細は不明。
Img_0650c 境内にはかつて8つの塔頭(たっちゅう)がありました。山門を入ってすぐImg_0655c 左手にあったのは、嶺松院。ここは、宣長歌会の会場だったといいます。歌碑には、「しめやかにけふ春雨のふる言をかたらん嶺の松かけの庵 舜庵」とあります。「舜庵」は宣長の雅号の一つ。院は明治の大火で焼失しました。
Img_0660c こちらが樹敬寺の本堂。俊乗坊重源上人によって開かれImg_0663c たと書きましたが、上人は治承4(1180)年、法然上人の推挙により、東大寺の大仏殿復興大勧進の職を拝命され、大仏殿落慶供養された方です。上人は、この功徳をもって国中に7ヶ所の念仏同所を建立され、樹敬寺はその中の一つです。文化財もあります。これから行く本居宣長・春庭墓は国指定の史跡、木造地蔵菩薩立像は県指定文化財。
Img_0669c 樹敬寺の裏手、市道を渡ると墓所があります。門があり、そこには「鈴屋大人月参墓」と、「原田二郎翁墓所」という看板があります。「鈴屋大人」は、本居宣長。宣長は、自宅の鈴屋(すずのや)で門人を集め講義をしたことから「鈴屋大人(すずのやのうし)」と呼ばれたといいます。原田二郎は、5月26日のJRさわやかウォーキングでも訪ねましたが、(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)、。原田二郎は、紀州藩松坂領の町奉行所の同心の家に生まれたのですが、英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。その後、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました。
Img_0676c  こちらが、本居宣長墓所。宣長は72才で生涯を閉じる前年、遺言書をしImg_0681c たため、墓所と戒名を定めています。「高岳院石上道啓居士(こうがくいんせきじょうどうけいこじ)」を刻んだ墓石が、子の春庭の墓と背中合わせに並んでいます。左の写真では、「史跡 本居宣長墓」の石柱に向かって左側に宣長の墓があります。これで5月26日以来の念願というか、宿題というかようやく解決した感じです。
Img_0678c ちなみに、こちらが宣長の息子の春庭の墓。小生はまったく知らなかったのですが、春庭も国学者です。ただ、32才で失明し、鍼術を業としたといいます。家督を父の養子・大平に継がせ、自らは宣長の学問を受継ぎ、『詞のやちまた』『詞乃通路』等、語学研究上の名著を出し、国語学史上不朽の貢献をしたそうです。知りませんでした。常日頃、「知っていること藩でも知ってるが、知らないことは何も知らない」と嘯いていますが、本当にそうでした。これからは、もっと謙虚にしなければなりません。春庭は、文政11(1828)年歿、享年66。
Img_0673c こちらは、原田二郎翁墓所。原田二郎の業績は、上述のように、大蔵省や、第74国立銀行での活躍の他、退職後に原田積善会を設立しています。原田積善会は、公益財団法人に模様替えし、設立から98年を経過した現在もその事業を続けています。驚くべきことです。
Img_0695c 和歌山街道に戻り、新町交差点で右折して北西へ。歌ーとから3㎞を過Img_0693c ぎると、左手(南側 )に松阪工業高校のグラウンドがあります。ここで右折して、松阪工高の方に入るのですが、その前に、グラウンドの隅に「三重県立松阪商業学校 松阪商業高高等学校跡」という石碑がありました。松阪市殿町のここに、大正9(1920)年4月に三重県立松阪商業学校創立が創立されたのです。その後、いくつかの経緯を経て、昭和27(1952)年4月に県立松阪商業高校になり、昭和43(1968)年10月までここにありました。
Img_0699c グラウンドのところを入って行くと、県立松阪工業高校の正門に出ます。Img_0850c このあたりでスタートから約3㎞、11時40分頃。明治35(1902)年創立。当時から木造校舎の外壁は実験に用いる硫化水素の影響を受け黒変することがないようにと朱色に塗装されていました。それ故、創立早々から「赤壁(せきへき)」と呼ばれ、地元で親しまれてきました(右の写真、松坂城跡から御城番屋敷越しに見たもの)。
Img_0703c 松阪工高の西を回ると、松阪神社へ。ここも、5月26日にJRさわやかウォImg_0706c ーキングで来たときは、一の鳥居だけを見て、参拝は断念。この日はリベンジ・シリーズなのです(笑)。二ノ鳥居(左の写真)まで来て、一の鳥居(御城番屋敷の端にあります)を見ると、武者行列が来たようでした。これは見逃す手はないと思い、急いで見に行きました。
Img_0708c 松坂城跡を11時にスタート、御城番屋敷あたりは11時40分~45分で、ここが絶好の撮影ポイントとあったのです。蒲生氏郷や冬姫には間に合いませんでしたが、武者行列の一部を撮影できました。その3は、キリが良いのでここまで。次は、松阪神社、本居宣長ノ宮、松坂城跡。

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