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2018年11月 8日 (木)

20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……)

 10月27日のJRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」の記事、遅ればせながら怒濤の勢いで書き終えました(笑)。「やればできるじゃん」という突っ込みがあり得ます。その勢いに乗って、11月3日の近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」に突入します(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。

20181103ujistomatsuri 松阪へは、5月26日にJRさわやかウォーキングで行っていますが(20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編))、そのときと多少異なる立ち寄りポイントも設定されていましたし、5月に見逃したところもありましたので、行ってきました。ちょうどこの日は、ハイキングのテーマにもありますように、松阪では氏郷まつりが開かれていて、大賑わいでした。
Img_0367c 松阪駅での受付は、9時半から11時ということでしたので、近鉄桑名駅を9Img_0364c 時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車、近鉄松阪駅には10時10分着。¥940。松阪駅は、JRと近鉄の共用駅で、北口が近鉄となっています。いきなりの余談ですが、「松阪」は「まつさか」と読みますが、私の知っている範囲では、「まっさか」と発音する人も多い印象があります。
Img_0372c こちらがこの日のコースマップ。松阪駅をスタートして、八雲神社、愛宕山龍泉寺、松阪神社、本居宣長ノ宮、松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館、旧長谷川邸を経て、松阪市観光情報センターで抽選会があり、ゴールは再び松阪駅(JR側、南口)という約5㎞コース。このうち、松坂城跡や、旧長谷川邸は、5月に訪れています。松阪市立歴史民俗資料館は、そのときは疲れてパスしましたが、現在、「開館40周年記念特別企画 松坂城1588-2018 ~天下人も認めた武将 氏郷の城~」という展覧会が催されていますので、是非とも見てこようと思っていました。
20181103kintetsuhikingmatsusaka これが実際に歩いたルートマップ。上記の、定められたコースの他に、本居宣長の墓所がある樹敬寺に立ち寄りました。また、5月のJRさわやかウォーキングで行った旧長谷川邸などはパスしました。5.8㎞です。実測ルートは、こちらでご覧いただけます(うまく開けなければ、「経路を開く」から「20181103近鉄ハイキング(まつさか)」を選んでください。
Img_0376c この日のコースは、松阪駅から見ると、南西~西側の市街地。北口(近Img_0378c 鉄側)からどうやって行くのかと思っていましたが、地下通路(松阪駅横断通路)がありました。これが結構長い。100m以上はありました。どうでも良いことや、ささいなことが気になる質ですので、ご容赦あれ。
Img_0385c 地下の横断通路を通って、南口(JR側)へ。駅前には、本居宣長ゆかりImg_0388c の遺品「七古鈴(しちこれい)」の一つである「驛鈴」を模ったものが飾られています。駅鈴は、令制の駅制で、公務出張に際し朝廷から与えられた鈴。宣長は、それを松平康定から頂きました。「唐金の大きなる形、隠岐国造の家に古くつたはりたる形を鋳させて、松平周防守殿よりおくられたるなり」(春庭書付・但し現存せず)ということです。寛政7年8月13日、石見浜田(今の島根県浜田市)藩主・松平康定侯(1747~1807)が参宮の途中松坂に泊り、宣長の『源氏物語』講釈を聴講したのですが、主君来訪に先立ち、臣・小篠敏が色紙を添えた「駅鈴」を持参したといいます(こちら)。この日は、氏郷まつりの看板も掲げられていました。
Img_0393c 駅前の通りを南西へ。ベルタウンのところから歩行者天国。今思えば、Img_0396c 「ベル」は鈴。本居宣長にゆかりがあるということでした(苦笑)。昭和55(1988)年に近代化事業が完成したといいます。露店はたくさん出ていますが、気になったのは、スマートボール。1回¥300。子どもの頃やりましたねぇ。残念ながら、景品をとった記憶はありません。その昔はコリントボールといったそうです。
Img_0400c このベルタウンの近く、中央ステージとされているあたり。「松阪しょんがいソーラン」の方たちが、出番待ち。ハイキングコースは、ベルタウン の信号交差点を左折し(南東)八雲神社に向かいます。
Img_0404c スタートから700mほどで八雲神社の入り口に来たのですが、危うく通りImg_0410c 過ぎそうになりました。というのも、ご覧のように、神社は通りから奥まっています。神社入り口に「鍛冶町」という歴史地名の表示板。現在は日野町に含まれていますが、天正16(1588)年に松ヶ島から移った町。鍛冶職人が多かったために名付けられています。桑名も、旧市街地では昔の地名がそのまま残っていますが、こういう「歴史地名表示板」があるといいですね。
Img_0419c 蒲生氏郷(がもううじさと)によって松ヶ島城から遷社されました。松坂(元々は、このように表記)は、天正12(1584)年、豊臣秀吉の臣・蒲生氏郷が、近江日野(おうみひの)から松ヶ島城(松阪市)12万石の城主に着任してできた町です。松ヶ島は、良港があり街道沿いの要地ですが、地形上片寄りすぎるため、4年後に四五百森(よいほのもり)という西方丘陵に築城し、地名を松坂、城を松坂城と命名し、楽座楽市を採用し城下町を造成しています。
Img_0448c 平安時代に松ケ島に創建された天王社が起源だとされます(こちら)。上Img_0413c 記のように、蒲生氏郷の松坂城築城の際に松ケ島から当地に移されたと伝えられていることもあって、松阪市内の中心部にありながら、松阪市の海岸部のほうまで氏子の区域となっているそうです。社号標には、正面に「縣社 八雲神社」とあるほか、「松阪総産神」と刻まれていました。「産神」は「うぶがみ」で、 出産の前後を通じて、妊産婦や胎児・生児を守り、また、出産に立ち会い見守ってくれるとされている神。「産土神」と同じ。
Img_0416c 「八雲神社の文化財」という市教育委員会が設置した看板によれば、牛頭天王スサノオノミコトの本地仏と説かれ、除疫神。京都八坂神社、愛知津島神社に祀られる。)を祀り、江戸時代は隣接する弥勒院善福寺(真言宗)が別当寺だったといいます。
Img_0508c 一方、神社の入り口には、御祭神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)とありました。「八百万の神」は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、品陀和氣命(ホンダワケノミコト)、八柱神(ヤハシラノカミ)とあります。神社に由緒書きがあればもっとはっきりするのですが、見当たりませんでした。ネット検索ではあまり情報が出て来ません。「神社検索(三重)」にも載っていません。ということは、神社庁には所属していない神社と考えられます。
Img_0455c こちらは拝殿。3枚前の引いて撮った写真でも分かると思いますが、ちょImg_0453c っと変わった造り。神社建築には詳しくはありませんが、参拝するところの両側に舞台のようなものがあります。さらに扁額には「感神殿」とありました。拝殿には多数の絵馬が奉納されていました。
Img_0458c 参拝を終え、拝殿に向かって右(南東側)を見ると、さらに鳥居があり、おImg_0460c 社が続いています。境内社というか、摂社・末社というか、多数あり、驚きました。左の写真の正面には、福徳稲荷、八幡社、多賀社。
Img_0464c さらにその隣に、住吉大明神、熊谷稲荷と続きます。右手に回ると、桜木Img_0475c 社、蛭子社、大國社、薬祖神、浅間神社、開運稲荷神社、天満宮、猿田彦社と続いています。
Img_0492c 境内の南側へ回ると、そこには水天宮があります。福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)が総本宮で、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)を祀ります。水の守護神として、また、安産・水難よけの神として知られています。
Img_0477c 水天宮の脇には、山の神様が集められていました。これImg_0478c は神社でよく見られる光景。しかし、よく見ると、「大日」と刻まれているものや、「木霊碑」というものもあります。
Img_0493c そして、個人的にはちょっと驚きましたが、「神宮遙拝所」。驚いたというImg_0496c のは2つの点でです。1つは、松阪という伊勢から近いところにも神宮遙拝所があるのかということ。もう1つは、これまで見た神宮遙拝所は、石柱が立っているのがほとんどでしたが、ここは立派なお社になっており、しかも伊勢神宮にあるようなスタイルの社だということ。
Img_0439c このほか、神馬舎もあり、明治7(1874)年に伊勢神宮外宮(豊受大神宮)から遷されたとあります。神馬舎は、もともと明治35(1902)年に建立し、その後平成10(1998)に改築されたといいます。
Img_0432c  こちらは楼門から拝殿に向かう途中、左手(北側)にある句碑(と思われます)。写真を撮っておいて、調べたら分かると高を括っていたら、ダメでした(苦笑)。三重県のサイトに「俳句のくに・三重」があり、県内の句碑が検索できるのですが、載っていませんでした。「翡翠 神宮乃 伊勢の陣より お?がみぬ」と読めますが、アヤシい(苦笑)。ネット検索しても不明でした。
Img_0446c もう一つ、これも句碑と思われます。拝殿近く。「初空とな??し 杉乃秀の星よ 春水子」と読めますが、これも自信なし。両者とももっと近くに寄って確認してくるか、社務所で聞いてくれば良かったと反省中。「初空」は、新年の季語と思います。「春水子」は、これを詠んだ人の名前と思いますが、あれこれ検索したものの、不明。自らの不明を恥じております(笑)。
Img_0500c
 八雲神社という名前になったのは明治になってからという話もあります。明治の一村一社政策で合祀をした結果、たくさんの神様がいらっしゃるのかも知れません。社務所にいって、パンフレットを探すか、あれこれ伺ってくれば良かったと反省。その1は、不出来なままここまで。予告編で危惧したとおり、調べは難航しました(11月4日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。めげずに続けます。その2では、愛宕山龍泉寺(真言宗)からなのですが、ここがまた難しそう。神仏習合の色合いが濃かったり。

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