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2018年11月 7日 (水)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完)

 10月27日のJRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」のその4。10日以上も経ってしまいましたが、今回でゴールインの予定。
181027jrwalkingnagoya3  中村公園前の交差点にある「中村の大鳥居」まで来ました。ここで、スタImg_9414c ートから7.1㎞。時刻は12時5分。この鳥居、とんでもなく大きいのです。高さ24m、笠木34m。京都市の平安神宮大鳥居と同じ高さだそうです。昭和4(1929)年の創建当時は、世界一高い鳥居だったといいます(こちら)。これを実は一度見てみたかったのです。ちなみに、ここに至る道路は、「鳥居通」。道路の名前になるだけのことはあります。
Img_9424c 鳥居、あまりの大きさに何度も見上げてしまいました。高Img_9419c さ24mといいますが、それ以上の威圧感があります。今年、台風21号、24号と9月に立て続けにやって来ましたが、大丈夫だったのかと心配になりました(苦笑)。大丈夫だったからこそ、この日も無事に立っていたのに(笑)。大鳥居から500mほどは、神社の参道になっています。「豊国参道」という名前が付いており、 「9」の付く日には朝市が立ち、「豊国参道 九の市」と呼ばれ、賑わうといいます。
Img_9431c
 中村の大鳥居から、豊国神社までは約500m。途中、地元の英雄であるImg_9434c 豊臣秀吉(天文6(1537)~慶長3(1598)年)と、加藤清正(永禄5(1562)~慶長16(1611)についての看板があります。秀吉も清正も、尾張中村の生れ。地元の英雄ということです。
Img_9445c  スタートから7.6㎞を歩いて、二ノ鳥居へ12時15分に到着。中村区区民まImg_9452cつりが開かれていて、大賑わい。二の鳥居をくぐると、祭りの山車がありました。「紅葉狩車((もみじがりしゃ)」とあります。中村区名駅5丁目にある氏名車の山車。建造時期は不明ですが、三之丸天王祭車楽に献灯する見舞車だそうです。彫刻は「紅葉」。大幕は猩々緋に金糸「紅葉狩」、左右と後方に猩々緋枠に白地で鹿。水引幕は金襴。からくり人形「平維茂」、「更科姫」、「従者」、「ざい振りの唐子」を搭載だそうです。なお、東隣に妙行寺というお寺があり、ここは加藤清正の生地です(今回は行っていません)。
 
Img_9459c  ここは中村公園という市営の都市公園ですなのですが、郷土の英雄に因んで、その愛称は「秀吉清正公園」。明治16(1883)年、地元有志が「豊公遺跡保存会」をつくり、豊臣秀吉を祀る豊国神社 を創建したことに始まります。明治34(1901)年、愛知県の所管となり、中村公園が設置されています。
Img_9463c  こちらが豊国神社。明治17(1884)年7月、地元崇敬者が当時の県令(県Img_9466c知事)国貞廉平に申し入れ、明治18(1885)年8月に創建されました。秀吉は農民の子に生まれ、後に天下人まで昇りつめたことから出世、開運、茶道、建設等の文化の神として親しまれています。
Img_9477c 公園には、神社を中心に整備された純日本風廻遊式林泉庭園がありまImg_9545c す。池の周りには、桐蔭茶席、香りの園などもありますし、藤棚もあって、ふじの名所でもあります。
Img_9491c 上左の写真に「大正天皇御手植之松」、「初代中村勘三郎生誕像」などImg_9497c の案内板があり、気になったので早速見に行くことにしました。歌舞伎の大名跡「中村勘三郎」の初代は、名古屋市中村区で生まれたとの説があるそうです。初代勘三郎は、江戸時代初めの歌舞伎役者。京都で大蔵流狂言を学び、寛永元(1624)年に江戸で初の常設芝居小屋を開いたとされます。江戸後期の随筆「甲子夜話(かっしやわ;平戸藩主・松浦静山著)」には、中村区が生誕地とする記述があるといい、18代目勘三郎も生前、中村区を「中村屋発祥の地」と大切にしてきたそうです。「中村区夢づくり実行委員会」が中心となって、寄付金2,000万円で2017年5月に建てました。高さ2.8m。
Img_9510c こちらが、大正天皇御手植之松。大正天皇は皇太子でいらした明治Img_9512c 43(1910)年11月、臨時第三第十五師団対抗演習をご覧のため愛知県下に行啓されました。その際、ここ中村公園に建設された迎賓館施設(現・中村公園記念館)で御休憩になり、公園の由来、豊公、清正誕生地の説明を受け、松をお手植えされたといいます。
Img_9508c こちらに説明がありますように、11月18日には、愛知物産組、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)、県立工業学校(現・県立愛知工業高校)、第八高等学校(現・名古屋大学)、県立第五中学校(現・県立瑞陵高校)、日本陶器会社(現・ノリタケカンパニー)、中村公園に行啓されています。
Img_9519c_2 お手植えの松の傍らには、大正天皇が中村公園でお詠みになった漢詩Img_9513c七言絶句)の詩碑があります。大正天皇は生涯に1,367首もの漢詩をお作りになったといいます。第3句「当年の旧宅」は、公園内にある秀吉の屋敷址、第4句の「「蓋世の英雄」は秀吉で、東隣の常泉寺にある秀吉の産湯井を念頭に置いた詩ということです。
一路 西風 日色 晴れ
中村の景物 最も情を牽く
当年の旧宅 今 何くにか在る
蓋世の英雄 此の地に生まる
Img_9499c こちらは「太閤しだれ桜」。秀吉は、慶長3(1598)年、京都伏見の醍醐寺Img_9503c で「醍醐の花見」を行いました。このときの桜の子孫「太閤しだれ桜」が今も醍醐寺に現存しており、それをクローン増殖したものがこのしだれ桜だそうです。同じ木が、大阪所内の豊国神社と、熊本城内の加藤神社(清正を祀る)にも植えられているといいます。説明板などによれば、今年植樹されたものです。
Img_9522c 中村公園記念館です。明治43(1910)年に、加藤清正没Img_9524c 後300年を記念して愛知県が地元住民の寄付を受け建築した迎賓館。上述のように、皇太子時代に行啓された大正天皇が休憩所として使用されたところ。名古屋市の明治時代に建築された公共木造建築物では最古。書院造の建物で、唐破風の玄関に特徴があります。玄関には、秀吉の馬印であるひょうたんの意匠が取り入れられているのだそうですが、残念ながら離れたところからはよく分からず。
Img_9535c 記念館の隣には、中村公園豊頌軒(なかむらこうえんほうしょうけん)といImg_9571c う茶室があります。もとは松林庵といい、明治初期に建築されたもの。昭和32(1957)年に祖父江町から中村公園内に移築されました。四畳半台目席と二畳席を持つ茶室だそうです。ここには、もう一つ、桐蔭(とういん)茶席という茶室もあり、そちらでは茶会を催すことができるそうです。たぶん右の写真が、桐蔭茶席。
Img_9537c  中村公園豊頌軒の前に高樹旭子(きょくし)の句碑。「藤の實乃 やうやく目立ち 梅雨深し」という句が刻まれています。「昭和18(1943)年12月加藤誠宏建」となっていました。句碑の傍らに立つ説明板には、「明治38年3月愛知高等小学校長毛利徹先生指揮の下にここに植えおきし藤の苗斯くも大きく育ちしを見るに及びて恩師を忍ぶの情切なるものありと云いければ高樹旭子氏に句あり 重善識」と書かれています。高木旭子(高樹としているところも在ります)については、よく分かりませんでしたが、養老句会・牡丹句会に属しており、養老公園にも句碑があるようです(こちらを参照)。
Img_9559c 公園内には八幡社もありました。八幡様ですから、御祭神は、応神天Img_9560c 皇。説明板によれば、加藤清正が出陣に当たって武運長久を祈願した社といいます。慶長15(1610)年、名古屋城天守閣建城の際、境内の楠の大木を棟木に使ったといい伝えられ、その後植えられた楠が今なお繁っているとあります。
Img_9562c  しかし、上記のリンク先の「名古屋神社ガイド」によれば、「尾張出身の戦国武将を代表するひとりである加藤清正生誕地ということで、清正と絡めて紹介されることが多い八幡社なのだけど、実際のところはいつ誰がどういういきさつで創建したのかよく分からない神社だ」とされています(こちら)。
Img_9550c  この八幡社の南の木陰に「忠烈碑」があります。「故海軍兵曹堅田君之碑」とされています。兵曹は、下士官を示します。碑文のはじめの方を読むと、日露戦争(1904~05年)に従軍して戦死された方と思われます。明治45(1912)年5月に建立。東郷平八郎が篆額(てんがく)をしたとあります(題字のところを書いたということ)。
Img_9575c さて、ゴールしてこなければなりません。ゴールは、名古Img_9576c 屋競輪場の西にある中村公園のスポーツ広場。名古屋競輪場がここにあるのは知らず、左の写真のところを通ったときは、いったい何だ?と思ったくらい。ギャンブルにはほとんど無縁で来ました。
Img_9583c こちらが今日のゴール。駅ではありません。ゴールインは12時40分。ここImg_9586c までの距離は、8.3㎞でした。JRさわやかウォーキングのスタンプは、これでようやく7個目。有効期間は1年で、この11月24日まで。10個達成は微妙ですが、まぁそれは結果ですから。
Img_9587c この日は、先着5,000名まで、「愛知デスティネーションキャンペーン×さImg_9592c わやかウォーキング三英傑コース」のバッジ(名古屋)がもらえました。スタンプラリーも行われているのですが、清洲は終了、このあとは、岡崎、長篠城、大高。他の予定もありますし、3ヶ所回るのはちょっと難しい。
Img_9599c
 無事にゴールしましたので、安心して昼の弁当にします。豊国神社の在Img_9603c る方に戻り、藤棚の下にあいているベンチを見つけました。円頓寺商店街で弁当を売っていませんでしたので、途中のファミマでいつもと同じものをゲットしてきました。「お好み俵おむすびセット(¥378)」であります。回遊式庭園を眺めながらの弁当。隣に、同じウォーキングに参加していたらしい男性が一人やって来て、ロングサイズの缶麦酒を取り出し、美味しそうに飲んで行かれました(微笑)。ちなみに、小生は、「麦酒でも飲んだらうまいだろうな」とは思うのですが、このあとまだ歩かねばなりませんので、途中ではアルコールはいただきません。
Img_9612c 13時10分に再スタート。地下鉄東山線の中村公園駅を目指します。中村Img_9620c 公園駅は、中村の大鳥居のところ。豊国参道を戻っていきます。途中、山車行列やまつりのパレード。戦国甲冑隊や、ユカタスガタの女性会の皆さんもスタンバイしておられました。
Img_9633c 13時27分に地下鉄東山線の中村公園駅3番出入口に到着。ここまでのトImg_9635c ータルが9.5㎞でした。ここ、今はアオキスーパーになっていますが、聞くところによれば、昔はジャスコだったそうです。13時31分発の地下鉄東山線高畑駅に乗って、八田駅まで行きます(13時34分着、¥200)。八田駅からは、JR関西線にも近鉄名古屋線にも乗り換えができるのです。
Img_9648c 地下鉄東山線八田駅からは、JR関西線八田駅の方が近いので、取り敢Img_9646c えずこちらへ。地下鉄から来るのには、ものすごく長いエスカレーターに乗ってきます。JR関西線は、13時54分に四日市行き普通電車がありましたので、JRで帰ることにしました。ちなみにJR関西線八田駅の回り、何もありません(何もないというと語弊がありますが、コンビニとかそういう店はないということです)。
Img_9651c JR関西線、名古屋から亀山(59.9km)はJR東海の区間。電化はされているものの、複線区間と単線区間とがあります。桑名~名古屋間で複線になっているのは、名古屋駅~笹島信号場間、弥富駅~桑名駅間に限られます。そのため、対向する電車を待つ(すれ違いとか、行き違い)こともよくあります。八田駅で電車を待っているときも、貨物が止まっていました。
Img_9658c その帰りの関西線の電車が、揖斐長良川鉄橋を渡り、上之輪新田に入ってきますと、先日何度も通ったコスモス畑が見えてきます。関西線は北側を通りますので、間に近鉄名古屋線の線路を挟み、ちょっと遠くなりますので、こんな風にしか見えません。
Img_9664c 桑名駅には、14時16分に到着。¥320。さわやかウォーキングで歩いたImg_9670c のは、9.5㎞。自宅~桑名駅の往復がほぼ2㎞で、合計11.5㎞。よく歩きました。右の写真は、名古屋駅前の高層ビル群。この日は、あのあたりをウロウロと歩いてきたということです。
181027jrwalkingnagoya こちらがこの日実際に歩いたコース。距離測で見たら、標高は1~5m。高低差4mと、ほぼ平らなところを歩いたということでした。長々とお付き合い下さり、御礼申し上げます。この勢いで11月3日の近鉄ハイキング“蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策”(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)も書かないといけません。

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コメント

こころんさん、こんばんは。

朱塗りの鳥居というと、お稲荷さんというイメージですが、おっしゃるように他にもありますね。
水銀と硫黄の化合物を丹といったそうです。
「たん」とか「に」と読むみたいですね。

今は多気町になっている「丹生」は水銀が採れたところだそうですね。
丹生は、「赤い(丹)土を産する(生)場所」の意味で、あちこちにあるみたいです。
松阪などでつくられた「伊勢白粉」は、この丹生で採れた水銀を使っていたと聞きますし、使い方によっては薬にもなったとあります。

昔は朱塗りには水銀が使われたのでしょうが、今はどうでしょうね?

「大仏建立の時代の疫病は水銀が原因」という説は知りませんでした。
大仏建立に使われた銅からヒ素が検出されたという話を何かで読んだ記憶があります。

空海と水銀の話は読んだことがあります。
高野山には銅や水銀が埋まっているとか、真言宗の霊場近くには、水銀の鉱床があるといいますね。

水銀には毒性があるものの、いろいろな用途に使えますから、重要な金属なのでしょうねきっと。

投稿: mamekichi | 2018年11月 8日 (木) 18時27分

こんにちは
そういえば、津島神社も朱塗りの鳥居でしたので
お稲荷さんに限ったことではありませんでしたね^^;
水銀=丹と呼んでたらしいですね。
たしかNHKの歴史ヒストリアだったと思いますが
奈良の大仏の金メッキに水銀が使われ
三重県の丹生村という所で採掘されたとか。
水銀が採れたから丹生村と呼ばれたのでしょうね。
朱塗りにも水銀は使われるのですね。
今の鳥居もペンキではなく体に害が無い方法で水銀を
使ってるのでしょうかね。
水銀は一方では公害の原因にもなりましたし
大仏建立の時代の疫病は水銀が原因じゃないかと考える人もいるようで
完成したら水銀を使わなくなり疫病が鎮まっていったという
大仏建立と疫病のタイミングもあったのではないかという仮説らしいです。
空海さんは水銀の鉱脈を知ってて渡航の資金にしたという仮説もあるようです。
水銀は大切な鉱物だったんですね。

投稿: こころん | 2018年11月 8日 (木) 11時51分

こころんさん、こんばんは。

いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。

円頓寺商店街は、西区那古野というところにありますね。
この界隈は、「清洲越し」の頃からの城下町です。

こころんさんのコメントをいただいて調べてみたら、西区は名古屋市制が施行されたときにできた4つの区の一つだそうです。
そして、西区の一部から分離して中村区ができたともありました。

ノリタケの森は、本当に良いところです。
歴史的な建造物も在りますし、緑も多く、広いので気持ちの良いところでした。
私もまた行きたいと思っています。
基本的には無料ですが、ギャラリーなど、有料のところもありました。

この鳥居は、本当に大きいですよね。

鳥居の色についても調べてみました。
お稲荷さんだけが朱塗りということではないようです。
朱の原材料は水銀=丹で、昔から木材の防腐剤として使われてきています。
また、朱色は、魔力に対抗する色とか、厄災を防ぐ色とされていますから、そういう関係かと思います。

豊国神社・中村公園は、他にもまだいろいろとあるようです。
庭園もきれいですし、一度お出かけになる価値はあると思います。

投稿: mamekichi | 2018年11月 7日 (水) 18時17分

ゴールおめでとうございます
今まで西区というのは名古屋駅の西にあると勘違いしてました^^;
円頓寺商店街はよくテレビで紹介されますが
駅からこちらの方向にあったんですね。
ノリタケの森はいい感じですね。
行ってみたいなと思いました。無料なんですよね?
豊国神社は一本道を間違えて前を通ったことがあって
大きな鳥居だなあとは思ってましたが創建当時は世界一だったんですね。
お稲荷さんじゃないのに赤い鳥居なんですね。
ここも行ってみたいと思いました。
祭りも見れて良かったですね。

投稿: こころん | 2018年11月 7日 (水) 17時53分

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