« 九華公園にホシハジロのメス登場、カモは早くも33羽 | トップページ | 20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編) »

2018年10月26日 (金)

20181012近鉄ハイキング「こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!」へ(その2)……道の駅・菰野で「早春」を購入、大日本市博覧会を見て、庄部御旅所から東町商店街を経て無事菰野駅にゴール(完)

181012kintetsuhikingkomono1_2  10月12日の近鉄ハイキング「こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!」Img_7124c_2 のその2です。廣幡神社へ行った道を戻り、四日市菰野バイパスへ。菰野南交差点に戻ったところで2㎞。ここは高架橋で、近鉄湯の山線を越えます。高架橋を降りて、すぐに左折。

181012kintetsuhikingkomono2 湯の山街道の手前を曲がります。菰野保育園の南を通って道の駅・菰野に向かいImg_7130c_2 ます。保育園の園庭では、子どもたちが元気に遊んでいます。小さい子どもたちが元気に遊ぶ光景、見ているだけで楽しくなります。
Img_7131c この保育園の門、何やら昔のお城の門というか、お寺の門のような雰囲気でなかなかいい感じ。門前にはベンチもあって休憩できます。ちょうど木陰になっていて、いい雰囲気でしたが、まだ2㎞半も歩いていませんので、そのまま通過。
Img_7332c 2回目の今回は、気持ちを落ち着けて店内を一通り物色。何と、これを見つけてしまいました。早川酒造早春であります。これを見つけてしまってはいけません。早川酒造さんは、大正3(1914)年創業。鈴鹿山脈の霊峰・釈迦ヶ岳からの雪解け水で醸造しておられます。3種類を売っていたのですが、迷いに迷った結果、純米原酒を購入。この早春、最初の勤務先の先輩Mさんから教えられ、飲んでみたのです。その頃はまだ若くて、日本酒の良さを十分には理解していなかったのですが、「これは美味しい」と刷り込まれました。その後、見つけるたびに購入。¥1,700。道の駅には10時55分到着。小休止もとって、11時10分出発。
Img_7139c 湯の山街道を東へ。左の写真は、西の景色。鈴鹿の山並みが遠くに見Img_7144c えています。右の写真は、東の方角。四日市の方向です。右の写真に見えている交差点が、菰野交差点。ここを左折して、北に向かいます。
Img_7146c 北に向かうと、菰野町役場の方に行きます。このあたりに来ると、道路案内板に「関ヶ原」というのが見えてきます。国道306号線をこのまま進むと、50㎞足らずで関ヶ原に行けます。306号線は、津市から彦根市に至る国道。一部で、巡見街道と重なります。この日のコースは、菰野町役場の南にある、三滝川の手前で右折し、こもがく&大日本市博覧会が行われている町民センターに向かいます。
Img_7157c こちらが、大日本市博覧会の会場となっている体育センター。スタートかImg_7159c らは4㎞過ぎ、11時25分に到着。体育センターでは、「中川政七商店期間限定ストア」が出店されています。入り口には、顔出しパネルも。顔を出して、自分の写真を撮られるのは嫌ですが、顔出しパネルそのものを撮影するのは好きです。
Img_7172c 体育センターのエントランスには、萬古焼の鹿。この大日本市博覧会でImg_7175c は、中川政七商店のロゴに使用されている志阿kを開催地の作り手によって再現する「さんち鹿プロジェクト」が実施されているのだそうです。この鹿は、菰野の陶芸家、八幡窯の堀野証嗣が制作なさったもの。
Img_7164c 体育センターのフロアでは、中川政七商店の期間限定ストアの他、「東Img_7168c 海市」と題して、東海3県を中心に活躍する工芸メーカーやデザインプロダクトを扱うショップの出展エリアが設けられ、15店舗が出ていました。一通り見て回っただけで何も買わず。
Img_7180c 体育センターの東隣に町民センター。ここもこもがく&大日本市博覧会の会場なのですが、訪れた時は、とくにイベントは行われていませんでした。翌日の10月13日には「花と器」、14日には「工芸産地の未来」というテーマでトークイベントが開かれました。このときは、まったく気づかずに写真だけ撮ってきたのですが、歌碑が立っていました。
Img_7179c 昭和天皇の御製でした。「人びととうゑたる苗のそだつとき菰野のさとに緑満つらむ」と詠まれています。昭和55(1980)年に菰野町で、昭和天皇ご臨席のもと、第31回全国植樹祭が開催されました。そのときの御歌です。ちなみにそのとき、昭和天皇が尾上になったのはヒノキだそうです。この歌碑、侍従長であった入江相政氏謹書となっています。ちなみに、このときの植樹祭を記念して、三重県民の森がつくられました。
Img_7185c 町民センターの東には、菰野町商工会館。ここで右折181012kintetsuhikingkomono3 し、南に向かいます。菰野中学校のところを歩いていたら、神社らしきものがありました。
Img_7187c コースマップには何も書かれていませんが、神社であるなら立ち寄ってImg_7190c 見てこなくてはなりません(微笑)。神社オタクになってきていますから。朱塗りの鳥居の脇には、「昭和御大典祈念」という石碑も建っています。
Img_7195c 後からよく考えてみたら、鳥居をくぐらず、横から入ってしImg_7198c まったようでした(苦笑)。拝殿に参拝すると、菰野神社とありました。しかし、帰ってから検索すると、菰野神社は出てこず、廣幡神社のサイトが出てきました。よく考えれば分かったのですが、菰野神社は明治40年に廣幡神社に合祀されています(その1を参照)。ということは、ここには神様は常駐してはいらっしゃらないということでしょうか。
Img_7227c 境内を見て回り、ここで弁当を食べ、次に向かうときによく見て気づいたImg_7224c のですが、廣幡神社御旅所となっていました。御旅所は、神霊の渡御 (神幸) のとき、神霊を仮に安置するところです。普通は、神霊を輿に乗せますから、神輿所と呼ぶところもあるようです。神の旅といっても遠距離ではなく、本社から1~2km程度の地点に、それも村落内に1ヵ所設けられるのが原則だそうです。確かにここは、廣幡神社からは直線距離で1.2㎞ほどでした。「御旅所」の石碑は、昭和7(1932)年5月、梅村庄之助が寄進。
Img_7203c この廣幡神社御旅所の拝殿(といっていいのか、分かりませんが)には、絵Img_7207c 馬がたくさん奉納されていました(こちらを参照)。廣幡神社本宮と、この御旅所(地名は、庄部)を合わせて110点あり、種類も多岐にわたるといいます。
Img_7215c 拝殿の前にその説明板がありました。本宮とこの御旅所で、もっとも古いものは享保8(1823)年、東菰野村総氏子連が奉納した「大蛇退治」と「唐獅子」の2枚の額だそうです。このほか、算額も奉納されています。嘉永5(1852)年、中菰野の伊藤小兵衛によります。小兵衛は、桑名の和算家・中川泰職に入門し、その後、中菰野で塾を開き、そろばんを教えたといいます。
Img_7216c この庄部御旅所には、相撲場や、大きな常夜灯があります。常夜灯は、Img_7219c 天保12(1841)年、安政5(1858)年という年号が刻まれていました。
Img_7237c_2 鳥居脇には、井戸と手水場がありました。手水場のとこImg_7234c ろには、「御成婚祈念井」という石柱が立っています。碑陰には「大正13年1月26日 庄部両組」と刻まれていました。大正13(1924)年ですから、昭和天皇の御成婚を記念したものと考えられます。
Img_7254c ところで、この庄部御旅所に着いたのが11時40分。この先、コースマップを見ると、昼ご飯を食べられるところはありませんので、弁当タイムとしました。例によって例の如く、駅ナカ・ファミマの弁当。この日は、「お好み俵おむすびセット」(税込み¥378)。
Img_7256c 近くには、小生よりも高齢(たぶん70代)の男性が座って、休憩しておられました。最初は、コンビニで売っているチョコレートを食べていらしたのですが、そのうちに「プシュ」という音が聞こえました。そ~っと覗いてみると、缶チューハイを美味しそうに飲んでおられました。しかも、ストロング。アルコール分は9%でしょう。気持ちは分かりますし、ちょっと羨ましい(微笑)。
Img_7257c 昼食&休憩を終え、庄部御旅所を出たのは、12時15分。さらに南下しまImg_7260c す。御旅所を出てすぐ、道路の西側に湧水池。コースマップにありましたので、見落としませんでした。ただ、ネットで調べても、これという情報は出て来ません。菰野は、鈴鹿山脈の麓の街ですから、山からの水が湧き出るところはいくつもあるようです。いつぞや訪ねた四日市の智積養水の水源も、湧水のようですし(菰野町神森にある湧水池・蟹池の水)。
Img_7274c そのときも立ち寄って来ましたが、東町商店街の一角にある長松山瑞龍寺。臨済宗妙心寺派ですが、もとは天台宗のお寺。ご本尊は薬師如来。Img_7277c 菰野藩士たちの菩提寺でした。
Img_7278c 前回も地蔵堂の外見は見てきたのですが、お地蔵様はよくは見て来ませImg_7281c んでした。なので、この日はじっくりと拝観。8月の終わりには、地蔵盆が盛大に行われます。
Img_7289c 東町商店街をさらに東に向かって歩きます。左の写真のところは、札の辻。菰野道の終点です。かつて高札が立てられた場所ですから、「札の辻」といわれます。その昔は、菰野城下の人々がもっとも集うところでした。その1で触れた、洗心教団角の道標は、ここにあったとされます(10月25日 :20181012近鉄ハイキング「こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!」へ(その1)……菰野駅をスタート、西覚寺、忠魂碑・地蔵堂、道標を見て、廣幡神社へ)。文化11(1814)年、伊勢・伊賀路の測量に訪れた伊能忠敬一行も、3月19日にこの高札場前でその日の測量を終え、高札場から南に入った明福寺に泊まっているそうです。この辻の南側に、大正6(1917)年に建立された里程標があるという情報もありましたが、確認していません。
Img_7300c 札の辻から400mほどでこの日のゴール、近鉄湯の山線・菰野駅に到Img_7308c 着。5.7㎞、時刻は12時32分。スタートから2時間半。庄部御旅所からは思ったほど時間はかかりませんでした。今日歩いたのは5.7㎞ですし、高低差もあまりないところを歩きましたので、さほど疲れもせず。菰野駅を12時40分発の近鉄四日市行き普通電車に乗車。
Img_7313c 近鉄四日市駅には12時59分着。13時10分の近鉄名古屋線・名古屋行きImg_7340c 急行に乗り換え、桑名駅には13時22分着。¥470。自宅から桑名駅までの往復も含め、7.7㎞ほどでした。近鉄あみま倶楽部のスタンプは、この日で21個目。次の目標は、40個なのですが、現在の会員の有効期間が12月末まで。40個はちょっと難しいかというところ。

|

« 九華公園にホシハジロのメス登場、カモは早くも33羽 | トップページ | 20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

近鉄ハイキング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 九華公園にホシハジロのメス登場、カモは早くも33羽 | トップページ | 20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編) »