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2018年10月 5日 (金)

20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その3)……大黒屋光太夫らの供養碑、若松緑地の光太夫漂流記壁画、2代目開国曙光碑、春日神社

20180924kintetsuisewakamatsu2  9月24日に行ってきました近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」、その3です。その2では、大黒屋光太夫記念館近くの心海寺、小川神社、宝祥寺について書きました。まだスタートから2.5㎞ほどです。宝祥寺にいたのは11時10分過ぎ。

Img_3754c 宝祥寺から堤防道路に出たところに山の神が祀られていました。「山の神」と刻まれた石と、鳥居があるだけで、詳細、由緒などは不明。ここから住宅街に入っていくと、光太夫らの供養碑があります。場所はちょっとわかりにくいところでした。
Img_3759c こちらが大黒屋光太夫らの供養碑。大黒屋光太夫以下17人が乗り組んだImg_3757c 神昌丸は、天明2(1782)年12月13日、白子の湊を出帆し、遠州灘沖で暴風雨に遭い、行方不明になります。神昌丸は、紀州藩の廻米、木綿、瓦、紙などを積んでいたそうです。漂流すること7ヶ月あまりでアリューシャン列島にあるアムチトカ島に漂着します。
Img_3764c 上左の写真では、2基の墓が並んでいます。向かって右がこれ。こちらは、Img_3765c 傍らにある説明によれば、「亀屋一門の墓」です。大黒屋光太夫は、亀屋に生まれ、大黒屋に行ったという説が有力です。これは、亀屋(緑芳寺過去帳には南亀屋)の墓碑。正面には、光太夫の法名(釋久味)が刻まれています。
Img_3761c 3枚目の写真で向かって左に建つのがこちら。これは、説明板(上右の写真)によれば、大黒屋光太夫らの供養碑です。これは、そうなから三回忌にあたる天明4(1784)年12月に神昌丸の荷主であった木綿問屋・長谷川家によって建立されたもの。正面には「釋久味例 南無阿弥陀仏 俗名 光太夫」と刻まれています。
Img_3778c こちらは供養碑の背面。「維持 江戸大伝馬町一丁目 天明四甲辰年十二月 施主 太物店行司頭 長谷川次良兵衛 長谷川市左衛門」とあります。この長谷川家は、三重県松阪市出身の伊勢商人です。「丹波屋」という屋号で寛永12(1635)年、一族の者である布屋市右衛門が日本橋大伝馬町で木綿売買を始めています。その旧宅は三重県松阪市に現存しており、平成25(2013)年4月に長谷川家から松阪市に寄贈されています。この長谷川家旧宅は、今年5月のJRさわやかウォーキングで訪ねています(2018年5月26日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編)、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。江戸時代、松阪も白子も紀州藩の領地であった時代があります。その関係かと思いますが、思わぬところで歴史はつながっているものだと感心。ここでも大黒屋光太夫顕彰会の方が詳しく説明をしてくださいました。
 前回も書いたかも知れませんが、磯吉のご子孫が今もこの近くにお住まいだそうです。顕彰会の方から伺いました。
Img_3787c 光太夫らの供養碑から300mほどで千代崎港へ。ここには、若松緑地がImg_3785c あり、その堤防に大黒屋光太夫の漂流記が壁画になっています。200mほどに渡って壁画がいくつも並んでいます。壁画といっても、金属板に描かれたもの。ただ、台風のあとだったためか、飛んできた枝や葉っぱが散乱して、足下がアブナイ。一通りは見て来ました。
Img_3817c 事前の予習では、ここに光太夫らを乗せ、ロシア最初の遣日使節アダImg_3810c ム・ラクスマン一行が乗ってきたという帆船エカテリーナ号をイメージした遊具があるはずだったのですが、最近、撤去されてしまったようでした(こちら)。この若松緑地で11時半、まだ3㎞半ほど。
Img_3823c ということで、まだ先の方が長そうでしたので、ここ若松緑地でお昼にすることにしました。来るときに桑名駅の駅ナカコンビニで買ってきた「ガパオライス」。好き好んでこれにしたのではありません。ハイキング/ウォーキングの時は、あまりたくさん食べるとそのあと、歩くのに差し障りがあります。少なめの弁当を探したら、これしかなかったのです(苦笑)。もともとはタイ料理とか。ガパオ炒め、ブロッコリー 炒め、パッタイ風春雨炒めと目玉焼き風オムレツがトッピングしてありました。税込¥360。今日は、コースにコンビニはなく、あらかじめ買っておいてよかった(微笑)。ちなみに「ガパオ」とは、料理の名前ではなく、ハーブなのだそうです(こちら)。
Img_3832c 昼ご飯を終えて、12時に若松緑地を再スタート。近くの電柱で、イソヒヨドImg_3858c リのメスを見つけました。金沢川を渡って、千代崎海水浴場へ。ここは、波が穏やかで家族連れに大人気だそうです。伊勢湾では県内で最も北に位置する海水浴場。
Img_3865c
 観光案内所の脇に2代目の開国曙光碑があります。初代の碑が、昭和Img_3874c 9(1934)年に室戸台風により倒壊したため、ここ千代崎海岸に再建されたもlのです。しかし、この2代目の碑も昭和34(1959)年には、伊勢湾台風により上部が欠けてしまいまいした。そのため、3代目の開国曙光碑が昭和51(1976)年に建立されています。開国曙光碑の碑も、光太夫と同じく、波乱万丈な経過をたどっているのです。
Img_3877c 2代目開国曙光碑を見てからは、南若松町の住宅街の細い道を歩いてImg_3884c 行きます。開国曙光碑から1㎞弱。道沿いに春日神社という神社があります。ここはコースにはなっていませんが、当然(笑)、立ち寄ります。
Img_3897c 春日神社の御祭神は、天児屋命(あめのこやねのみこと)。天照大神がImg_3902c 天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神様です。創祀年代は不詳。明治41(1908)年に南若松の小川神社へ合祀されましたが、昭和26(1951)年、 氏子の総意により元の鎮座地へ分祀され今に至っています。
Img_3904c 境内には稲荷社もありました。稲荷社の建物は古そうでしたが、社の中Img_3907c は、新しい感じ。眷属の狐さんも新しい印象でした。
Img_3891c ここで一つ失敗。山の神様も祀られていたのですが、確認をし忘れました(苦笑)。こちらのサイトにあります。
 まだこの先がありますので、今日はここまで。次回は、徳川家康公船出の浦、江島若宮八幡神社などから。もう1回で「完」のはず。

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