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2018年10月 4日 (木)

20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その2)……心海寺、小川神社、宝祥寺

 9月24日(月・振替休日)に行ってきた、近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」のその2です。大黒屋光太夫については、その1に簡単な説明を書きました(2018年10月1日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その1)……伊勢若松駅をスタートして、緑芳寺、開国曙光碑、大黒屋光太夫記念館、若松小学校の光太夫像と道標)。このその1では、大黒屋光太夫記念館と、若松小学校にある光太夫像(二宮金次郎ではなく)まで見て来ました。その2では、この近くにある心海寺、小川神社からスタートします。

20180924kintetsuisewakamatsu1 スタートの伊勢若松駅からはまだ2㎞足らず、開国曙光碑、大黒屋光太夫記念館、若松小学校と、心海寺、小川神社はすぐ近くにあります。小川神社は、コースにはなっていませんが、心海寺の目の前にあり、気になったのでお参りしてきたという訳です。
Img_3676c まずは、心海寺。記念館からすぐ南。真宗高田派のお寺。山号は、松生Img_3677c 山。元禄16(1703)年に現在地より東に約300メートルの場所に創建されました。しかし地盤沈下などで本堂の床下まで浸水するようになり、明治23(1890)年にここに移転されました。大黒屋家と、光太夫と共にロシアから戻った磯吉の菩提寺です。磯吉(明和3(1766)~享保14(1729)年)は、大黒屋光太夫の神昌丸乗組員。このあと訪れた光太夫らの供養碑で、地元の方に伺ったところ、磯吉の子孫の方が今もいらっしゃるそうです。
Img_3687c ここでも大黒屋光太夫顕彰会の方が説明して下さいました。左の写真は、本堂。心海寺の当時の住職・実静が、帰郷した磯吉から聞き取った見聞録をまとめた「極珍書(ごくちんしょ)」というものが保存されているそうです。光太夫の帰国後、桂川甫周(かつらがわほしゅう:幕末の蘭方医で、幕府の医官)が聞き取ってまとめたものに「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」があります。これは、いわば公式記録であるのに対して、「極珍書」の方は、少しも拘束を受けぬ私的な陳述書で、磯吉の若さからくる新鮮な観察が随所にみられるとされます(吉村昭「大黒屋光太夫」新潮文庫版のあとが気にあるそうです。こちら)。さらに、「魯西亜国漂舶聞書」という磯吉の陳述記録もあるそうで、これら2編はいずれも、顕彰会が発掘したものだそうです。
Img_3683c ところで、この心海寺は大黒屋の菩提寺であると書きました。境内Img_3684c には、「寄進者・大黒屋銀太夫、同彦太夫」の名が刻まれた御手洗石(享保14(1729)年)があります。享保14年ですから、光太夫が生まれる前(光太夫は、宝暦1(1751)年生まれ)。ご先祖ということになります。
Img_3693c 心海寺に行く前に気づいていましたが、小川神社。寺社、気になりますImg_3694c (微笑)。しかも延喜式内社とあっては、これは立ち寄らねばなりません。それにしても、この日このあと行く江島若宮八幡神社も、勝速日神社もそうなのですが、一の鳥居からの参道が一直線で長いこと(約100m)。地域による特徴があるでしょうか?
Img_3699c
 それはさておき、由緒書きによれば、平安時代、大同Img_3697c 4(809)年、第52代嵯峨天皇の御代に現在の中野地区に創建されたといいます。天明6(1786)年の棟札によれば、社殿倒壊のため長らく春日社の相殿であったそうです(こちらによれば、安永6(1777)年に社殿が大破したため春日社(春日社は南若松町西裏所在の小川神社という、現社地より南東150mの小川神社か?)。また、元の鎮座地は現在地の北方約500mのところと伝わっています。明治40(1907)、明治42(1909)年の2度に渡って村内の神社を合祀。明治42(1909)年に村社、明治44(1911)年に現在地に奉斎されました。
Img_3705c 主祭神は、弥都波能売神(みつはのめのかみ)。水の神様。相殿神は、合祀を繰り返したためか、たくさImg_3713c んいらっしゃいます。以下にリストアップしておきますが(神社検索三重のサイトにある順で、右の写真の順とは異なります)、拝殿近くには、右の写真のような一覧表があったくらい。氏子の方でもたぶんこれをご覧にならないと、覚えていらっしゃらないかも。
  • 宇気母知神(うけもちのかみ)…食物の神、女神と考えられています
  • 大国主神 (おおくにのぬしのかみ)…出雲大社の御祭神、医療・まじないの法を定めた
  • 木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)…富士山の神とされ、浅間(せんげん)神社に祭られる
  • 大山津見神(オオヤマツミノカミ)…山の神
  • 天児屋命(アマノコヤネノミコト)……中臣(なかとみ)氏の祖神。天の岩屋戸の神話では、うるわしき称辞を読み上げて天照大神を引き出すことに成功。枚岡(ひらおか)、春日の諸神社に祭られた
  • 迩迩芸命(ににぎのみこと)…天照大神の孫。天孫降臨の主役の神。木花佐久夜毘売命を妻とした
  • 市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)…福岡県の宗像(むなかた)大社の辺津(へつ)宮の祭神、神に斎(いつ)く島の女性の意味をもつ
  • 伊邪那美命(イザナミノミコト)…伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった
  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ)……太陽神であり、また、皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られている
  • 迦具土神(カグツチノカミ)…伊弉諾尊・伊弉冉尊の子。火の神
  • 品陀和気命(ホンダワケノミコト)…第15代応神天皇
  • 菊理比売命(くくりひめのみこと)…黄泉国からにげる伊奘諾尊と、伊奘冉尊が争ったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した神。仲介の神様
  • 瀬織津比売命(セオリツヒメノミコト)…神道の大祓詞に登場する神、祓い浄めの女神
  • 上津綿津見命(わたつみのかみ)…伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた。底津綿津見、中津綿津見、上津綿津見の3神は、海をつかさどる神
  • 中津綿津見命(ナカツワタツミノミコト)
  • 底津綿津見命(そこつわたつみのみこと)
  • 大山咋命(おおやまくいのみこと)…大津の日吉(ひえ)神社、京都の松尾神社などの祭神
  • 宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)…穀物の神。伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている
 ということで、主祭神以下19柱の神様がいらっしゃいます。
Img_3708c 拝殿は、平成28(2016)年10月に竣工したばかりです。拝殿脇には、力石Img_3711c と思われる、「力」と刻まれた石が置いてあります。拝殿新築前の写真を見ますと、「若人の力比べ石」と台座にありましたが(こちら)、今はそれは見当たりませんでした。
 
Img_3717c 小川神社の境内には、弁財天も祀られています。これについて、神社検Img_3719c 索三重の小川神社のところには言及はありません。由緒書きでも触れられていません。弁財天は、貧困を救い財物を与える天女で、七福神の一人。
Img_3721c この弁財天には、拝殿の中に金の狛犬が鎮座。狛犬なのでしょうね。いやぁ、驚きました。ちなみにネットで「狛犬 金色」で検索すると、他にもあるようですし、風水の関係で縁起物として売られていました。小川神社の境内でスタートから2㎞。時刻はほぼ11時。
Img_3745c
 続いて、宝祥寺へ。小川神社からは、記念館と心海寺の間を通って500mImg_3738c_2 ほど。宝祥寺は真宗高田派。ここは、光太夫とともに帰国した小市の菩提寺です。光太夫と帰国できたのは、この小市と磯吉だけでした。しかし、小市は、根室に到着して約半年後の寛政5(1793)年4月2日に根室で亡くなってしまい、伊勢には戻れませんでした(享年46)。この寺には、小市の供養碑があります。
Img_3733c こちらがその「小市之供養碑」です。上で述べたように根室でなくなったたImg_3736c め、根室にも供養碑があり、毎年4月2日の命日には供養が行われているそうです(こちらをご覧ください)。ここ宝祥寺の供養碑は、小市之さらに安らかな眠りを願い、また後世に伝えるために平成17(2005)年10月に建立されています。
Img_3731c 宝祥寺の境内には、地蔵堂があります。その説明板には、光太夫や小市は、このお堂の付近で生まれ育ち、幼少のこれからこの境内で遊び、お参りしたと伝えられているとあります。
Img_3740c 地蔵堂はこちら。延命地蔵となっています。上記説明板によれば、本堂の東、100mの海岸(通称なべのはな)から不思議に光る地蔵菩薩の石像が漁夫によって引き上げられ、村人が宝祥寺計第貳個の御堂を建てて安置、供養したといいます(建久元(1190)年)。このお地蔵様は、海出山延命地蔵菩薩として、海に出て業をなす人の安全や、多くの人々の無病息災を願って信仰されてきました。
Img_3742c ここにも光太夫顕彰会の方が待機しておられ、いろいろと説明して下さいました。地蔵堂には大きな数珠があり、行事の際には、掲げられた真言を唱えながら、皆でそれを回すということでした。お堂入り口に「おん かかか びさんまえい そわか」が、その真言。「かかか」は、呵々大笑(カカタイショウ)と同じく喜び笑う声。お地蔵様がありがたいご利益をたくさん授けてくださることを願い、感謝もしつつ唱えるものです。「びさんまえい」とは、珍しい、不思議なといった意味です。「おん」は帰依します、また、「そわか」は成就しますようにという聖語です。全体では、「すべての人々が喜悦する不思議霊妙なご利益をお授けくださる地蔵菩薩へ帰依します。その成就あらしめたまえ」となります。なお、真言は意味の理解もさることながら、唱えてこそその意義が発揮されるそうです。
 
 長くなりそうですから、その2はここまで。その3は、千代崎漁港近くにある大黒屋光太夫らの供養碑や、若松漁港の若松緑地堤防に描かれた「漂流記壁画」から。

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