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2018年9月20日 (木)

20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(その2)……くるべ古代歴史館と長倉神社の一の鳥居

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 9月15日の近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へのその2です。その1では、霞ヶ浦駅をスタートし、浄恩寺、浄恩寺道標、荒木十兵衛頌徳之碑、天武天皇迹太川御遥拝所跡を訪ねました。天武天皇迹太川御遥拝所跡からは700mほど、11時5分に到着。
Img_5287c  次は、いよいよ、小生にとって、今日のメインの目的地である「くるべ古代歴史館」に行きます。実際に歩いたルート(キョリ測に描いたもの)は、こちらでご覧いただけます。くるべ古代歴史館は、四日市市大矢知町で見つかった久留部(くるべ)官衙遺跡の中に、今年3月25日にオープンしています。
Img_5282c 大矢知町は四日市市北部にあり、伊勢湾を望む丘陵の東先端部に「久留倍遺跡」という弥生時代から室町時代にかけての遺跡があります。久留倍官衙遺跡は、この久留倍遺跡に含まれています。国道1号線北勢バイパス建設の事前調査によって、古代の役所跡が発見され、それが国指定史跡久留倍官衙遺跡となっています。「久留部」は地名(訓覇とも書くようです)、「官衙 」は役所ですから、久留部にあった役所の跡ということです。古代、このあたりは「朝明郡」と呼ばれましたので、「朝明郡役所跡」という意味になります。
Img_5284c   左の写真で、下の方を左右に北勢バイパスが通っています。北勢バイImg_5285c パスの下に駐車場や、くるべ古代歴史館があります。史跡に指定された範囲は、北勢バイパスの上(北西側)に広がっています。ここに、正殿(せいでん)・脇殿(わきでん)・東門(八脚門(はっきゃくもん)などを備える東を向く政庁(せいちょう:役所の中心)の跡が見つかったのです。周囲には、官衙関連施設と考えられる多くの建物も見つかっています。この久留倍官衙遺跡は、また、壬申の乱や聖武天皇の東国行幸などの史実との関連も注目されていて、 考古学のみならず古代史や万葉集研究にも一石を投じる重要な遺跡と考えられています。
Img_5289c くるべ古代歴史館を入ったところにあるパネルと人形。発掘調査は平成Img_5291c 11(1999)年に始まりました。平成18(2006)年には、伊勢国朝明郡の郡家(ぐんけ、ぐうけ、官衙)跡である可能性が高いということで国の史跡に指定されています。朝明郡は、現在の四日市市北部を中心とした地域です。
Img_5293c 館内には、学習展示室があり、久留倍官衙遺跡の変遷Img_5294c や、古代朝明郡のこと、壬申の乱や聖武天皇東国行幸、万葉集との関わりを、イラストや建物の模型、映像、出土遺物で解説されています。
Img_5297c 壬申の乱のことも詳しい展示があります。このとき、大海人皇子(のちの天武天皇)は、672Img_5299c 年6月24日、吉野を出立し、翌25日までに吉野、宇陀、榛原、室生、名張、伊賀、柘植(加太越え)、鈴鹿(伊勢国司が出迎え)、河曲、采女と100km以上を進んでいます(河曲、采女は現在の四日市市)。さらに、26日には、朝明郡家から桑名郡家へ入りました。このとき、「迹太川」のほとりで天照大神を遙拝し、戦勝祈願をしたとされます(日本書紀)。これが、天武天皇迹太川御遥拝所跡とされます。
Img_5300c 壬申の乱については、去年のくわな市民大学の講座(桑名の重要事件Img_5301c を探る)でも話を聞き、勉強していますが、よい復習になりました(微笑)。ちなみに、「桑名」の名前が文献に現れた最初が、この日本書紀の記述だそうです。つまり、大海人皇子が壬申の乱のとき、桑名郡家に宿泊したという記述です。ただし、桑名郡家がどこにあったかは、分かっていません。壬申の乱のと氏、現在の桑名市街地は海中にあったと考えられています。桑名郡家の所在地については、①多度説、②播磨説(桑名北高校あたり)、③額田説(在良と星川の間あたり)の3つの説があります。
Img_5306c 学習展示室の床には、航空写真をもとにした地図がありました。左の写Img_5307c 真で赤丸をつけたところが、久留部官衙遺跡。黄色い丸をつけたのが、近鉄四日市駅。ということで、くるべ古代歴史館の見学を終えます。遺跡公園は、平成31年度に整備完了予定ということです。
Img_5313c くるべ古代歴史館を出て、北勢バイパスの下をくぐり、長倉神社の方へとImg_5315c 向かいます。ここは、7月14日の近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」の時のコースと少しだけ同じところ(20170714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(予告編)……猛暑でしたが、10㎞あまりを完歩!)。道ばたに祠があり、お地蔵様がおられましたが、7月14日の時は気づきませんでした。
Img_5320c 500mほどで長倉神社の一の鳥居にやってきます。この向かいに伊藤手Img_5322c 延製麺所があります。ここは、7月14日のハイキングで立ち寄ったところでしたが、長倉神社はそのときはコース外。蒸し暑く、まだ先が長かったので、神社にはっていません。神社はここから坂道を300mほど登ったところにあります。
Img_5324c 旧社格は郷社。延喜式内神社ですから、古いのですが、Img_5327c 由緒は不詳。また、右の写真にありますように、ここだけでなく境内にも「昇格記念」と刻まれた石碑が多数ありました。昭和6(1931)年に、郷社に昇格し、その年、神饌幣帛料供進社に指定されています。氏子の方々にとっては、この昇格や、神饌幣帛料供進社指定は、相当喜ばしいことだったのだと思えます。
 長くなりそうですので、長倉神社の話の途中ですが、いったんここで区切りとします。

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コメント

こころんさん、こんにちは。

北勢バイパスの工事のときに見つかったのが、この久留部官衙遺跡です。
奈良時代から平安時代の朝明郡の役所跡と考えられています。

くるべ古代歴史館の展示は分かりやすく、おっしゃるように壬申の乱などこのあたりにも関わりの深い歴史がよく分かるようになっています。
天武天皇迹太川御遥拝所跡も近くにあります(壬申の乱の時、天照大神を遙拝されたといいますが、実際には近くにある斎宮という地名のあたりとも)。

くるべ古代歴史館は一度ご覧になるとよいかも知れません。
古事記、日本書紀の時代のことが展示されています。

投稿: mamekichi | 2018年9月23日 (日) 17時41分

こんにちは
四日市で何か出土したようなことを聞いてましたが
建物が建てられて展示してあるのですね。
一度覗いてみるのも面白そうですね。
壬申の乱は日本史に出てきましたが
この辺りが関係あったとは。
そういうことを授業で聞いてたらもっと身近に感じてたかもしれませんが
授業で深く掘り下げるのは難しいでしょうね。

投稿: こころん | 2018年9月23日 (日) 16時29分

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