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2018年9月10日 (月)

20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ(その4)……菰野城跡に寄り道し、菰野駅へゴール、四日市近鉄百貨店で栗きんとんをゲット(完)

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 9月2日参加してきた、近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へも、その4です。前回は、菰野藩主の菩提寺である見性寺の話だけで終わりましたが、今日で無事ゴールの見込み。その3の最後に書きましたように、見性寺から菰野駅に向かう途中、駅の西の踏切で12時7分発の近鉄四日市駅電車が通過してしまい、次の電車まで30分あまり時間ができましたので、コースにはありませんでしたが、菰野城跡を見てくることにしました。来るとき、湯の山線の電車からなカモの駅の手前で、「薦野城跡」の石碑が見えたのです。
Img_4519c 菰野駅の西で、三滝川に架かる橋まで戻り左折(西へ)。川沿いを遡っていImg_4520c きます。このあたりからは、御在所岳がよく見えます。これらの写真では、向かって左手に三滝川が流れています。一本神にある橋のところから北へ。湯の山線をわたって、東町商店街の西へ出て、さらに西へ。
Img_4521c 途中、こんな看板がありました。地名が「藩内」であると書かれています。珍しい地名だと思って写真を撮ってきました。後で調べると、菰野藩の藩士が居住した区域がこのあたりで、そのために「藩内」という地名が残ったようです(こちら)。
Img_4535c 見性寺からほぼ1㎞で菰野城跡にやって来ました。菰野藩1万2,000石の大Img_4528c 名土方氏の代々の居城であったところです。現在は、町立菰野小学校の敷地になっています。菰野城跡の碑があるのは、藩邸の庭園の一部(西南の隅)です。石碑には、「薦野城址」と刻まれています。
Img_4523c 初代・雄氏公の頃の藩邸はきわめて簡素でしたが、2代・雄高公は城の中心部に館を建て、藩邸の整備を行い、領内の藩士を周囲に住まわせま、四日市街道沿いに東町、庄部、河原町などの街区を整え、城下町造りを行っています。3代・雄豊公が、万治3(1660)年、陣屋の全面修理を行いました。陣屋は大手門、玄関、対面所、御用部屋、書院、奥居間、納戸、台所などに間取りされ、その周りを馬小屋、兵糧庫、武器庫、中間部屋などが取り囲んでいたといいます。現在は、西側と北側に城壕に一部と築地が遺り、また、西南を流れる振子川に面して、角櫓跡があり、その東方に石積の遺構の一部が見られるのですが、電車の時間の関係で確認はしてきませんでした。
 ちなみに、菰野城は、初代・土方雄氏より12代雄永が、明治2(1869)年に廃藩に至るまでの約270年間、藩主の転封、移動もなく土方氏の居城でした。これは長い江戸時代を通じて見ても、希有な事例です。
20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen4 城跡を一回りできなかったのはちょっと残念ですが、これで一応城跡の石碑も確認できましたので、菰野駅12時40分発の近鉄四日市駅行き電車に乗るべく、菰野駅に向かいます。菰野地区コミュニティセンターの前を通って、再び東町商店街を通過。
Img_4545c 商店街の西で、桑名屋結納店という店を発見。商店会のサイトには載っImg_4548c ていないのですが、営業していそうな雰囲気でした。結納品や文房具を扱っているようです。「桑名屋」という名前が気になったのと、店頭に飾られていた右の人形に目が向いたのです。調べてみたら、高砂人形といい、結納の時に用いるようです。長寿と夫婦円満の縁起物ということです。なるほど。
Img_4551c 桑名屋結納店の先は、東町商店街に入っていきます。ちょっと気になっImg_4552c たので調べてみたら、東町商店街から菰野駅口の交差点、さらにその先、四日市方面の湯の山街道は、昔の巡見街道(または巡見道)でした。江戸時代初期、徳川家光が諸国に巡見使を派遣するため整備した街道で、亀山市で東海道と分かれ、菰野町、いなべ市の大安、北勢、藤原を経て岐阜県に入り、関ヶ原町の不破関で中山道と接していました。
Img_4556c 12時30分にゴールの近鉄湯の山線・菰野駅に到着。あちこち歩き回ったImg_4561c 結果、8.4㎞を完歩。12時40分発近鉄四日市行きの電車に予定通り乗車。近鉄四日市駅でいったん下車します(12時59分着)。
Img_1538c 8月30日に四日市市立博物館へ萬古焼展を見に来たときに近鉄百貨店Img_1549c 四日市店に立ち寄ったら(四日市市立博物館で萬古焼展)、9月1日から12月31日まで、「恵那寿や」が期間限定で出店して、栗きんとんを販売するのを知ったからです。6個入り¥1,500を無事にゲット(微笑)。東海地方では、「恵那川上屋」の栗きんとんも有名ですが、個人的には寿やの方が好みです。
Img_4568c 栗きんとんも無事ゲットし、13時10分発の近鉄名古屋線名古屋行き急行に乗車し、桑名駅着は13時22分。帰りは、途中下車したため、菰野-近鉄四日市が¥330、近鉄四日市-桑名が¥300で、合計¥630(行きは、通しで湯の山温泉まで¥520)。あみま倶楽部のスタンプはこれで合計17個。取り敢えずの目標である20個は達成見込み(今年12月までなのです)。
 ということで、久しぶりにきちんと歩いた近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”も無事にゴールできました。こちらに歩いたルートを「キョリ測」に描いたものがあります。
 以下は、今回のハイキングに関連した記事です:
 近鉄ハイキング、次回は、9月15日に「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」があります。この日は、諸戸氏庭園の修復工事現場見学会もあります。ちょっと迷っているのですが、くるべ古代歴史館に行きたい気持ちが強いところ。
【付記(9/10)】
180902kintetsuhikingroutmapc  最新の「キョリ測」を使ってみました。ルートの高低差も表示されるようになっていました。左側の中央にそれがあります。今回のコースは、標高100mあまりのところからひたすら下ってきて、ゴール地点は50m以上の高さでした。

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コメント

こころんさん、いつもありがとうございます。

湯の山温泉駅からは、千草交差点までは上りでしたが、それ以降はほとんど下り道でした。
逆コースであれば、歩くのも大変でしたが、下りですからさほど苦労はありませんでした。

開湯1300年はすごいですよね。
ただ、最近あちこちの温泉地は必ずしも昔の賑わいはないようで、それはちょっと残念な気がします。
家内の実家の榊原温泉も、万葉の時代からあり、清少納言が称えたといわれるのですが、最近はちょっと寂しい感じです。
温泉だけですと、人が集まらない時代なのでしょうね。
何か人を呼び込む工夫が必要と思います。

それにしても、菰野藩3代藩主の雄豊公は立派ですね。
今日の繁栄の基礎を築かれた訳ですから。

栗きんとんに限らず、最近は土産物や食べ物の写真も撮ります。
ひょんなことからインスタも始めてしまい、そちらに載せたりもするのです。
娘の指導を受けながら、食べ物写真を撮っています(笑)。

投稿: mamekichi | 2018年9月12日 (水) 05時44分

こんばんは
ゴールおめでとうございます
車でも商店街から湯の山駅まで距離を感じるのに
歩かれてすごいと思います。

開湯1300年はよく続いてますね。
鉄道や道路が整備された現在に比べて
鹿や猪が走り回ってたでしょうし、
あの山の中に人が集まってきた魅力があったんでしょうね。
なんとかこの先も開湯からの年数を重ねていってもらいたいです。
栗きんとんをお皿に置いて撮られたのはいいなと思いました。
僕なら包み紙を取ってパクリです(笑)

投稿: こころん | 2018年9月11日 (火) 20時13分

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