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2018年9月10日 (月)

20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ(その3)……見性寺、菰野藩主の菩提寺

20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen3  20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄Img_4422c 豊(かつとよ)公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ、その3です。いよいよハイキングのメイン・イベントが行われている見性寺です。西覚寺を見て、近鉄湯の山線の踏切をわたって南へ。踏切の先に見性寺が見えてきます。

Img_4425c 真如山見性寺は、臨済宗妙心寺派。菰野藩主・土方氏の菩提寺として、寛Img_4426c 永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。開山の三霊和尚は臨済初期の高僧で、後に孝明天皇より紫衣と禅師号を賜わっています(こちら)。なお、菰野藩は外様、1万2,000石。
Img_4431c 寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保Img_4438c 11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。山門は豪壮で、大名の菩提寺にふさわしい、立派なものでした。
Img_4453c 書院の玄関は菰野出身の名工・高木藤造の作です。高木藤造は、菰野Img_4456c の城下の川原町、新池の西に屋敷を構え、藩の御用大工を勤めていました。文化5(1808)年の生れ。その一代に見性寺をはじめ石榑の照光寺、中上の遍崇寺、 大強原の随法寺など、多くのお宮、お寺の建築にたずさわった宮大工です。
Img_4450c 本堂は禅宗の方丈建築様式です。方丈は、もとは1丈 (約 3m) 四方の部Img_4478c 屋の意で、禅宗寺院の住持や長老の居室をさしました。方丈建築様式は、分かりやすく書けば、「多目的建造物」といえそうです。次の6つの部屋からなるのが基本的な方丈建築といいます(こちら)。ちなみに、右の写真はこの建物に掲げられていた額(「方丈」とあります)。
  1. 寺院の住職がお勤めをする室中(しっちゅう)
  2. 一般の方の応接間である礼の間(らいのま)
  3. 檀家用の応接間である檀那の間(だんなのま)
  4. 師匠から弟子に法を継ぐ衣鉢の間(えまつのま)
  5. 仏像や祖師像、位牌を祀る仏間(ぶつま)
  6. そして住職の日常の生活の場である書院
Img_4458c 上記の区分によれば、こちらは仏間。「土方雄豊公 開湯1300年記念祭」の行事の一つとして、11時から土方雄豊(かつとよ)公の供養が行われたのですが、ここに着いたのは11時45分。すでに終わっています。掛け軸は、藩主・土方家三代の肖像画。これらは、菰野町指定の文化財。なお、土方雄豊公は、菰野藩3代藩主で、湯之山温泉の復興に努めました。
Img_4460c_2 この写真で向かって左の掛け軸に描かれた方が、藩祖・雄氏公。父とともに豊臣秀吉に仕えましたが、秀吉没後の慶長4(1599)年、徳川家康の暗殺計画の容疑で父子ともに追放されています。慶長5(1600)年、関ケ原の戦いの際に許され、同年、菰野藩初代藩主になっています。掛け軸には、貞享4(1687)年の賛文があり、3代藩主・雄豊公が描かせたものです。向かって右の掛け軸は、9代・義苗公の肖像画。菰野藩中興の名君と言われています。
Img_4464c こちらが、3代・雄豊公の肖像画です。画面上部に、宝永7(1710)年の賛文があり、4代藩主・豊義公が描かせたものであることが分かります。貞享4(1687)年、湯の山温泉の復興を企画します。慶長の頃から廃泉となって寂れていた温泉を、壺屋権七がこの復興を藩庁に願い出てきたのでこれを受け、沿道に桜、楓を植えさせ、温泉の開発、浴室の工事等の後援を行い、8戸の湯宿を建設させるなど温泉として設備を整えました。
Img_4480c 方丈のとなりには、大師堂があります。また、しっかり見てこず、写真もないのですが、雄豊公夫人寄進の梵鐘があるそうです。この鐘は、寛文3(1663)年、京都の鋳物師近藤丹波掾藤久の作になるもので、鐘銘は2世住職越伝の撰文です。戦争中の供出にも危うく難を免れて保存されているといいます。
Img_4484c 境内には土方家歴代藩主の墓があり、ここにもお参りしてきました。寺のImg_4489c 本堂の左手、階段を上ったところに墓所があります。
Img_4487c こちらは、階段を上がった正面にある、2代藩主・雄高公のお墓。藩祖である雄氏(かつうじ)公の墓碑は、京都北山の功運院にあります(こちら)。これは、雄氏公が、京都に住んでいたためと思われます。また、土方家の墓地は東京湯島の麟祥院と高野山奥の院にも存在する。なお、12代雄永は神葬の為、墓地はありません。外様大名で、これだけの大きい藩主の墓碑が残るところは珍しいといいます(こちら)。
Img_4433c ところで、見性寺では、ハイキングのテーマにもあるように、この日、開湯1300年記念祭 が開かれていました。クイズラリー、縁日遊び、ポンポン水・僧兵餅の振る舞いなどが行われていました。これらには、時間が合わなかったり、先着順に入れなかったりで、残念ながら不参加。近鉄ハイキング参加者には、冷たい麦茶の接待があり、一息つくことができました。
Img_4515c 見性寺に着いたのは11時45分で、この手前でスタートから6㎞。12時過20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen4 ぎまで見性寺におり、湯の山線の踏切まで戻っていきます。が、踏切まで来たところで、警報器が鳴り始め、近鉄四日市行きの、菰野駅12時7分発の電車が通過(嘆息)。次は、12時40分でしたので、ちょっと歩いて戻ることになりますが、菰野城跡を見てくることにしました。そのため、このあたりでクルクルと回るように歩いてきたという次第。右のマップに詳しいルートを描いてみました。
 このあと、菰野城跡を見て、近鉄四日市駅で途中下車して……となります。長くなりそうですので、今日は見性寺のみにて。その4へ続きます。

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