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2018年7月 3日 (火)

桑名市内旧東海道を歩く(その1)……伊勢両宮常夜燈から一目連神社まで

Img_8554c

 相変わらず蒸し暑い天候が続きます。いつもの散歩コースは鳥がいませんし、そろそろ九華公園に展示しているパネルの次のバージョンを仕上げなければなりません。ということで、天気も良さそうでしたから、桑名市内の旧東海道を歩いてきました。
2c 今度の九華公園のパネル展示は、東海道にしようということになっていま1c す。基本的な参考文献は、マイブックスにもあげてありますが、「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西袋井宿~京三条大橋」です。この桑名市内のところを取り上げようということです。いつものOさんとの「企み」(微笑)。このマップに取り上げられた名所旧跡、寺社仏閣をパネル化しようということです。いつものようにパワーポイントでパネル原稿を作り始めているのですが、市内の東海道を歩き通したのはずいぶん前。チェックと、写真撮影を兼ねて、町屋橋跡から上ってきました。三交バスで城南口まで行き、京町見附跡あたりまで歩いてきました。本当は、七里の渡し跡まで行く予定でしたが、時間切れ。朝駅前のバス停まで歩いたのも含めると、8㎞。画像は、「ちゃんと歩ける東海道」の本の該当ページ。左の「伊勢神宮常夜燈(正しくは、伊勢両宮常夜燈(かように本には間違いもありますので、そのチェックも含め))」から右の画像の「京町見附跡」まで歩いて、その後は寺町を通り、帰宅。
Img_8005c 左は町屋橋。町屋川(員弁川)にかかる、国道1号線の橋。旧・東海道の町Img_8021c 屋橋は、ここより約100mに上流(向かって右)に、寛永10(1635)年に掛けられたといいます。右は、旧・東海道筋にある伊勢両宮常夜燈。文政元(1818)年に東海道の道しるべとして、また、伊勢神宮への祈願を兼ねて、桑名・岐阜の材木商が寄進したもの。向かって右に建つのは、里程標。町屋川の中央から北が桑名郡であること、三重県庁・桑名郡役所までの距離が刻まれています。里程標は、明治26(1893年)の建立。「三重縣廰拾一里丗甼余」、「桑名郡役所丗三町余」とあります。桑名郡役所は、現在の総合福祉会館です。
 常夜燈からすぐのところに玉喜亭があります。このあたりは安永立場の跡で、玉喜亭の本宅で安永餅が売られていました。その話は、6月24日に書きましたので、そちらをご覧ください(20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」
Img_8071c 国道258号線を地下道でくぐり、しばらく行くと、西側(左手)に晴雲寺があImg_8100c ります。浄土真宗大谷派、山号は清浄山。右は、城南神社。倭姫命が皇祖神天照大神の鎮座地を求めて巡行なさったとき、この地で休息したとの言い伝えがあります。晴雲寺、城南神社ともに、“20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」”に詳しく書きました。
Img_8142c 日立金属桑名工場の東あたりは、今ではまったく面影はありませんが、江戸時代は家はなく、松並木が続いていたところ。鈴鹿山脈もよく見えたといいます。6月24日は、ここで時間切れとなっていました。
Img_8146c 城南神社から300mほど進みますと、了順寺に出ます。桑部山と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。戦国時代の桑部城主・毛利秀重の孫・秀元が出家して元和7(1621)年に創建した寺。写真に写っている山門は、桑名城の門を移したものといいます。
Img_8175c 神戸岡神社。「ごうどおかじんじゃ」なのか「かんべおかじんじゃ」なのか、不明(資料によって読み方が違うのです)。縁起は不詳。このあたりに伊勢神宮の領地があり、古地図には「神戸岡」とあるそうです。明治には、立坂神社に合祀されたものの、昭和35(1960)年に現在地に再建。
Img_8195c 矢田の火の見櫓跡。文政8(1825)年、町方からの願いによって火の見櫓Img_8223c が建てられています。現在のものは、東海道宿駅制定400年を記念して復元されたもの。矢田には立場があったのですが、それは、国道1号線の矢田町西にある善西寺のあたり。右がその善西寺。山号は走井山。浄土真宗本願寺派のお寺。善西寺を検索したら、ご住職は、名古屋大学大学院理学研究科修了の理学博士。生命科学の研究者でいらしたそうです。なお、「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西袋井宿~京三条大橋」では、この火の見櫓跡に「浄土真宗」という説明が付いていますが、これは明らかな誤り。善西寺に付ける注釈ではないかと思います。
Img_8215c 矢田立場、善西寺の西にある竹内家には、馬をつないだ輪が今も街道Img_8218c に面して残っています。前にも見た記憶があったのですが、場所の記憶があやふやで、もっと火の見櫓跡に近いかと思って、ウロウロ(笑)。
Img_8236c 善西寺のすぐ東が、国道1号線矢田町交差点。写真は、朝日町方面を向いて撮ったもの。よくご覧いただくと、左右に建っている建物が、対称なのです。左側は和菓子屋さんの「(かず)」です。右側は呉服屋の「にし眞」ですが、もう営業はしていないようです。和の最中は絶品。
Img_8249c 矢田町交差点からさらに東海道を上ります。交差点のすぐ東には、中川Img_8250c 梵鐘店(中川鋳造所)。全国各地の梵鐘を手がけておられ、永平寺、名古屋の日泰寺、三河の鳳来寺などもここがつくったものだそうです。店に並んでいる鐘は音色などの点で納得できず、出荷しなかったものだといいます。
Img_8254c こちらは、教覚寺。浄土真宗本願寺派のお寺。文明3(1471)年、深谷部Img_8267c の地主・紀伊氏の一族紀伊直行が出家して正玄と名乗り、町屋に道場を開いたのが始まりとされます。右は明圓寺。山号は瑞瑋山。浄土真宗大谷派のお寺。開基は不明ですが、戦国時代に香取(多度)の安田空明の家臣・伊藤孫右衛門が出家して再興したといいます。
Img_8277c 続いて、一目連神社。多度大社の別宮で、天目一箇命を祀っています。Img_8287c 天目一箇命は、古くから金属工業の神として知られ、鍛冶や鋳物を生業とする人から信仰を集めました。ここ鍋屋町には、鋳物師が多く住んでいたことから、勧請されたと思われます。境内に徐風庵の句碑「名いろいろ定まる夏の木げ 可南」があり、さらに、道路の向かい側には明治20(1887)年建立の道標があり、「左東海道渡船場道、右西京伊勢道」と刻まれています。
 まだ続きますが(こんなのばかりで、途中で止まっている記事が山積しています)、今日は、ここまで。

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コメント

おユキさん、おはようございます。

雨で散歩に出られないということもあって、途中になったままのJRさわやかウォーキング・松阪や、近鉄ハイキング・桑名をすっ飛ばしたまま、こちらを書きました。
九華公園の展示パネルの新しいものが、この市内東海道ウォークがテーマだということもあります(作業が遅れているのです)。

東海道案内本は、この「ちゃんと歩ける東海道」と「ホントに歩く東海道」の2種類があります。
カラー印刷で見栄えがよいのは前者、情報がしっかりしていて説明文もあって、内容が充実し、読み応えがあるのは後者という感じです(あくまでも私見)。
どちらもミスはありますが、桑名及び近辺を見る限りでは、後者の方が正確で、ケアレスミスが少ないようです。

さて、火の見櫓。
江戸時代、七里の渡し跡から、この先大福村(了順寺)あたりまでは、寺や家などが建ち並んでいたそうです。
このあたりは平屋が多かったのでしょうね。

中川梵鐘店はその道ではけっこう有名な店のようです。
ここから先、廣瀬鋳物工場跡あたりまでは、鋳物師さんが多く住んでいたところ。
それ故、地名も「鍋屋町」(桑名は、まだこういう昔の町名が残っていますので、分かりやすい)。

一目連神社もそのためにここに勧請されたといわれます。
一目連は天候(風)を司る神ともされるようですね。
きちんとお参りしてきましたから、怒りを買うようなことはないと思っています(微笑)。

投稿: mamekichi | 2018年7月 6日 (金) 07時46分

mamekichi先生、こんばんは。

「桑名市内旧東海道を歩く」、駆け抜けましたねぇ。
もっとゆっくりお書きになるかと思っていました。

「ちゃんと歩ける東海道・・」の著者は、八木牧夫さんと仰るのですか。
どうか、間違いを指摘してくださって、ありがとう、と思ってくださる方でありますように(笑)。

火の見櫓、この高さということは、当時の建物は、平屋が多かったのでしょうか。
高いところがあると、昇ってみたくなります。
とくに、このようなアスレチック要素があると(笑)。

中川梵鐘店さん、このような店が、こんな街中(?)にあるんですね。
もっと山の中とか、鋳造の原料調達と製造施設にとって、都合の良い場所にあるものだと思っていました。

一目蓮神社。
なんとタイムリーなことでしょう。
少し調べたら、台風を象徴しているとも言われているとか。
刺激して来ていませんよね?(笑)。

投稿: おユキ | 2018年7月 5日 (木) 18時58分

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