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2018年7月14日 (土)

20180609近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」(その3)……住吉神社(完)

 6月9日の近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」、その3です。住吉神社について、「完」というつもり。住吉神社は、ほぼ毎日、散歩でお参りしています。

Img_5509c ハイキング当日は、春日神社から九華公園を経て、七里の渡し跡を通り、Img_5545c 揖斐川の堤防を通って、住吉神社に向かいました。左の写真は、九華公園の入り口(西門)にある旧・桑名城の絵図。正保年間(1644~48)に作成された「勢州桑名城中之絵図」の一部です。右は、七里の渡し跡。奥に見えているのが、蟠龍櫓。
Img_5555c こちらが住吉神社。桑名は古くから伊勢湾や木曽三川を利用した舟運の拠点港として、「十楽の津」と呼ばれ、木材や米などの集散する自由活発な商業都市として発展してきました。住吉神社のある住吉浦は、廻船の舟溜まりで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。これらの人達によって航海の安全を祈り、正徳5(1715)年に摂津の国「住吉大社」より勧請してこの住吉神社が建立されました。
Shitiric 現在は、上の写真のようになっていますが、これは平成15(2003)年に揖斐川防潮堤が高潮対策として改修整備され、社殿が新しく建て替えられてからの様子。小生が25年前(平成5(1993)年3月に桑名に引っ越してきた当時は、この写真のようになっていました(山川出版社,三重県の歴史散歩より)。子どもたちを連れ、散歩がてら住吉神社に来て、写真にある石段を降りてカニを捕まえたりして遊んだ記憶があります。
Img_5557c 御祭神は、底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつImg_5566c のおのみこと)、表筒之男命(うわつつのおのみこと)のいわゆる住吉三神(すみよしさんじん)と、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。合祀されているのは、天照大神、住吉町・東太一丸神明社、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。天照大神と東太一丸神明社は、明治40(19079年に、また、倉稲魂命は玉重稲荷として祀られていたのを大正15(1926)年に合祀しています。桑名宗社(春日神社)の境外末社として、地元・西船場町が管理しています。
Img_5265  3枚目の写真をよく見ていただくとお分かりですが、石造の一の鳥居の奥に、木造の二の鳥居があります。さらに、すぐ上の写真でお分かりのように、拝殿のすぐ前にも小さな鳥居があります。これは他ではあまり見たことがない気がします。
Img_5268 狛犬は、平成15(1993)年の社殿新築に伴って新しくつくられてImg_5267 います(台座は、昔のもの)向かって左は、「子取り」のタイプ。しかし、向かって右は「玉取り」ではありません。何故でしょう? 分かりません。分からないことがたくさんあり過ぎ(苦笑)。なお、もともとあった狛犬は、明治中頃に備前・備中や阿波の国の廻船業者たちによって寄進されたものでした。
Img_5569c 神社前の石の鳥居や、石灯籠は、天明8(1788)年に江戸の材木商たちによって寄進されたものです。
Img_5559c 境内には詩碑と句碑とが、合計2つあります。こちらは、有本芳水(ありもとほうすい)の詩碑です。大正5(1916)年につくられた「桑名にて」という詩が彫られています。昭和38(1963)年10月、芳水詩碑建設期成会が建てています。有本芳水は、明治-昭和時代の詩人(明治19(1886)~昭和51(1976)年)。以下のように刻まれています:
揖斐乃ながれのしがらみに
にほいあせたる花うきて
波にうたひて波に去る
可もめよ何を鳴き行く可
150x150_square_71277611  ちなみに、桑名の和菓子屋さん「花乃舎」に「志がらみ」というお菓子があります。それは、この有本芳水の詩に因むものだそうです。羽二重餅にやわらかい薄紅の羊羹をはさんだ川波型のお菓子です。食べたこと、あったかなぁ?
Img_5562c 句碑は、山口誓子のもの。「水神に 守られ冬も 大河なり」という句が刻まれています。絲遊俳句会が昭和49(1974)年6月に建立。絲遊俳句会は桑名市内の俳人グループで、同会が誓子氏の指導を受けて10年の記念に建てました。山口誓子(やまぐちせいし)は、大正-平成時代の俳人。明治34(1901)~平成6(1994)年。
 山口誓子は、このブログにも頻繁に登場していますが、肋膜炎の療養のため、昭和16(1941)年、伊勢冨田(現在の四日市市天カ須賀)に移って療養しています。その後、昭和23(1948)10月から昭和28年(1953)年10月までは鈴鹿市鼓ヶ浦で療養を継続しています。天カ須賀にいるときはなかなか健康が優れなかったようですが、鼓ヶ浦では目に見えて健康が回復したと回想しています。こういう関係で三重県北勢地方に多くの句碑があると考えられます。
 住吉神社、我が家から440m。徒歩5分。氏神様がどこか知らない間は、勝手に「マイ・氏神様」に認定していました(その後、北桑名神社が氏神様であることが判明)。今でも、通常の散歩コースを歩くときには、まずここに立ち寄ってお参りしています。
1_2 「久波奈名所図会」には、住吉神社の絵はありませんが、左の画像のような文章での説明があります。
住吉社 太一丸の東にあり。祭日六月三十日夏越祓なり。本社東向。祭神四座。底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命、神功皇后。鳥居 額 住吉大明神 滋野井亜相公麗卿筆 石灯籠二基 當社は中古水主町御船役方より勧請あり。よって本社西向きなりしが、近年東向にして七里の渡口を正面とす。祭礼の節は船場町の川岸に遙拝所を設て、諸人小舟の渡しを越て参詣す。
 6月9日の近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」は、このあと、桑名七里の渡し公園と六華苑がコースでしたが、記事はこれにて完。
 今回の関連記事は、次の通り:

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コメント

makoさん、こんにちは。

猛暑になっていますが、いかがお過ごしでしょうか?

山口誓子の句碑は、北勢地方を歩いているとあちこちで見かけます。
桑名市内にも他にもあったと思います。

伊坂ダムにもあるんですか、それはリサーチ不足でした。
今日出かけてきましたが、この暑さであまり寄り道したり、あちこち見て回る元気はありませんでした(笑)。
今度の宿題にします。

花乃舎さん、わが家も最近はご縁がありません。
この志がらみも遠い昔食べた記憶があるような、ないような(笑)。

暑さ故、ご自愛ください。

投稿: mamekichi | 2018年7月14日 (土) 15時51分

こんにちは。

山口誓子の句碑、私も知っています。
井坂ダムにも。
あ、そう言えば、今日は井坂にいらしてるんですよね。

花乃舎さんは最近行ってないのですが、
日持ちのする羊羹を送っていたことがあります。

志がらみ、しかと、メモリました^^v


投稿: mako | 2018年7月14日 (土) 10時30分

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