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2018年7月 7日 (土)

20180609近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」(その1)……走井山勧学寺

Img_5266c  6月9日に桑名で行われた近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に参加しました。概要編は、当日、記事を書きました(今日は桑名で近鉄ハイキング……桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る(概要編))。勧学寺、春日神社、住吉神社について、少し詳しく書いておこうと思います。今日はまず、走井山勧学寺

20180609kintetsuhikingkuwana こちらは当日、実際に歩いたルートマップ。勧学寺は、走井山公園に隣接しています。スタートの近鉄名古屋線・益生駅からは北西に直線距離で400mほど。三岐鉄道北勢線・馬道駅のすぐ側。公園内には、コースにも設定されていた「伝村正屋敷」もあります。
Img_5314c 現在、走井山公園になっているあたりには、矢田城がありました。室町時代に毛利氏の家臣山内俊行の子俊元が、国司北畠氏に属してこの地に築城して、矢田俊元と称しています。永禄年間(1558~1570)、織田信長の伊勢侵攻の際に落城し、天正2(1574)年に滝川一益が長島城主となると、矢田城は杉山左衛門・野呂孫右衛門に守らせています。天正11(1583)年、羽柴秀吉が滝川一益を北伊勢に追った時に矢田城も落城しました。
A7a1fb06s 公園の案内板に「伊勢湾を望む風景は絶景〉とありますが、まさにその通り。戦国時代、城を築くには好適の地だったと思います。左の写真は、2014年4月3日に桜を見に行ったときに撮ったもの(上野浄水場と走井山の桜、そして三岐鉄道北勢線)。勧学寺の鐘撞堂に上がって撮りました。東の方を見ています。赤い橋は、国道23号線の揖斐長良大橋。北勢線の電車を入れて撮りたかったのですが、あいにく時間が合わず。
Img_5324c こちらが勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。走井山矢田城主の矢田市郎左右衛門は、この観音様を深く信仰していたといわれます。その後の経緯はよく分かりませんが、桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。この写真ではわかりにくいのですが、久松松平家の家紋である梅鉢紋が屋根瓦に残っています。三重四国八十八箇所の第3番札所伊勢西国霊場の第31番札所。
Img_5344c  ご本尊は、千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)。平安時Img_5337c 代後期のものとされています。像高165.3cmの樟の一木造り、三重県文化財。秘仏だったのですが、保存状態が悪かったため、昭和39(1964)年に京都国立博物館内美術院国宝修理所で解体修理し、復元しました(こちら)。右の写真は、ご本尊修復に際して、修復奉賛会が掲げた説明板。
Img_5326c 本堂天井に描かれた「水飲み龍」です。『桑名の伝説・昔話』(近藤杢・平岡潤編、昭和40年9月発行)の中に、勧学寺の天井に描かれた龍について「走井山観音堂附近の井戸に、或る夜、堂の天井に描かれている龍が動き、抜け出して、井戸の水を飲みに来た。そこで龍の目に大きな釘を打ちこんだと言い、今にその釘が残っている。名画や名工の作品によくある伝説の一つである。」と記されているそうです(こちら)。ただし、現在は釘は残っていません。
Img_5328c 桑名市教育委員会の文化財のサイトには「船絵馬や俳諧札、算額などImg_5334c が本堂に奉納されている」とあります。左の絵馬?には、「元禄六年」とあります(元禄6年は、1693年)。
Img_5331c
 一通り写真は撮ってきたものの、説明はなく、よく分からないというのが、Img_5347c 正直なところ。こちらのサイトには、「奉納された『大絵馬』伝説なども知られている」とあるのですが、この伝説は、ネット検索では不明。
Img_5340c 左の写真のようなものなども掲げられていますが、読めません(苦笑)。崩し字の読Img_5346c み方を習いたいと思いつつ、そのままですし、分かりません。最後の文字は、「畏」でしょうか? 右の写真は、天女のように見えますが、何でしょう? 知らないこと、分からないことばかりです。
Img_9214c 太子堂です(写真は、今年4月14日のJRさわやかウォーキングの時に撮影したもの)。本堂横にあります。もとは、明和年間(1764~1772年)に桑名惣大工中が寄進したものです。しかし、平成2(1990)年2月、火災のため焼失。平成3(1991)年、市建築組合の手によって再建されています。
Img_5325c 左の写真は、鐘楼。4枚目の写真は、ここに上がらせてもらって撮りまし2b57ecf3 た(微笑)。右は、仏足石(2013年4月2日に撮影:走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔)。江戸末期の作で、分類上「勧学寺様式」ともいわれる特殊な福輪相図(足裏の絵)が精密に刻まれていて珍しいとされます(市指定民俗資料の説明板による)。
Img_9215c  勧学寺境内には、地蔵堂もいくつかあります。左の写真のお地蔵様は、鉢巻地蔵。鉢巻地Img_9231c_2 蔵は、太子堂のすぐ側。右は延命地蔵。他にも、水子地蔵もあります。
Hashirizan2  江戸時代の地誌「久波奈名所図絵」にも

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走井山が載っています。走井山については、「当山は寺内に桜の木数株ありて、花の時幽艶なり。桑城の地境纔(わずか)に離て山に傍て清閑の地なる故、雅客来て常に吟詠す。七月十日の縁日には暁天より四来の参詣年々に増加せり。(俗に十日参りといふ)」と記しています。
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