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2018年7月16日 (月)

20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その1)……吉玉稲荷、十四川堤、伊藤手延製麺所と長倉神社【長倉神社について付記しました(7/17)】

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 7月14日に出かけた近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂180714kintetsuhikingtomida1 ダムを訪ねて」の本編、その1です。連日の猛暑の中、この日も正午過ぎには、35℃を超え、熱中症警報メールが来る状況。少し迷ったものの、今月、まだ近鉄ハイキングに行っていないということもあって、参加してきました。ちなみに、JRさわやかウォーキングは、7、8月はお休み。さすがに「さわやか」とは行かないからでしょう(笑)。この日の近鉄ハイキングも、果たして「湖面を渡る風が心地よいか?」という根本的疑問もあったものの、途中の亀屋佐吉を楽しみに歩くことにしました。
Img_9108c スタートは、近鉄名古屋線・近鉄富田駅。9時20分から受付ということで、桑Img_9102c 名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。9時8分に到着。¥260。駅前にはすでに数10人の方が集まっていました。それも、小生よりも高齢と覚しき方が大半。皆さんお元気です。
Tomidastation マップをもらい、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい、スタート20180714kintetsuhaike は9時25分。ここで、いきなり躓きました(苦笑)。コースを誤ったのです。左の地図で、赤い矢印のように駅からすぐ右折すべきところをそのまま直進してしまったのです。コースマップをよく見れば、百五銀行の先をすぐに曲がるように書いてあるのですが、見逃しました。が、そのお陰で、以前から気になっていた吉玉稲荷を見てこられました(苦笑)。その後、旧東海道との交差点まで進んでミスに気づき、引き返したという次第。念のため書いておきますが、小生だけでなく、曲がり角を間違えてウロウロしていた方、多数でした。
Img_9109c こちらが、数ヶ月前からの課題であった吉玉稲荷。「富田地区まちづくりImg_9113c 協議会」が平成29年度に発行した「とみだまちあるきマップ」によれば、「吉玉祭事・宇迦之御魂命稲荷神社」とあります。明治39(1906)年に伏見稲荷大社から勧請してつくられました。「とみだまちあるきマップ」には、この神殿に“三種の神器「別格大々祀式」の書簡”があるといいます。
 この「別格大々祀式」は、神社の格式と思われます。「大々祀式」については、こちらに言及がありました(以下、引用)。
万延元年の伏見稲荷での分祀に関しての式料と供物代がありましたのでご紹介します。大々祀式料20両(供物3両)、大祀式料7両2分(供物1両)、本祀式料3両(供物3分)、中祀式料2両(供物2分)、小祀式料1両(供物1分)、略祀式料3分(供物2朱)、大略祀式料2分(供物2朱)の7段階で、それぞれの神璽(印鑑もそれぞれ大きさが異なっている)を捺したお札を分祀してもらっています。

 要するに勧請する(分祀してもらう)にあたって、どれだけの式料、供物料を収めたかによるランクづけでしょう。万延元年は、1860年。桜田門外の変が起きた年。
Img_9115c 社殿の西には、小さいお社が2つありましたが、こちらは詳細不明。まImg_9110c た、境内には「天地龍神」の石碑があります。龍神は、龍宮に住むと伝えられる龍で、水神や海神として各地で祀られています。この石碑は、大正15(1926)の建立。コース間違いをしたお陰で吉玉稲荷について、ある程度分かったという次第。ケガの功名(笑)。
 旧東海道のところまで出て、コース間違いに気づきました。というのも、コースマップでは、富田幼稚園、富田小学校の北西側を通ることになっているのに、東海道から行くと南東側を歩くのです。一応、マジメに150mほど戻って正規ルートへ。
Img_9118c 近鉄富田駅南西の踏切。ここから十四川堤沿いを進みます。左の写真Img_9124c でも見えていますが、桜並木が続くのです。十四川は、四日市の花見スポットの一つ。1.2㎞ほどに渡って、桜並木が続きます。十四川の桜は、近鉄電車からは何度も見ていますが、花見に来たことはありません。
Img_9126c 近鉄富田駅の西、十四川に沿って県立四日市高校があります。「四高(しこう)」と呼ばれています。文武両道の名門校。明治32(1899)年4月、
三重県第二中学校として創立して以来、今年で119年。進学実績は素晴らしいものがありますし、昭和30(1955)年には甲子園で優勝しています。丹羽文雄や、藤田敏八など著名な文化人その他を輩出しています(こちら)。小生の学生時代にもここの出身の同級生がいましたし、最初の勤務先では入院している子どもたちが、通信制の教育を受けさせてもらっていました。卒業式にも付き添ったりしましたので、四高には親近感があります。
Img_9127c などと思いながら、十四川堤を進みます。1㎞半足らずですが、この時点で相当暑い! このあたりは、茂福。昨年12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で、茂福城跡や、伊賀留我神社、天武天皇迹太川御遥拝所跡を訪ねていますが、それらは、この日歩いたところのやや南西あたりにあります(2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)、12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完))。冒頭2枚目の歩いたルートマップにも、伊賀留我神社の名前が見えますし、そのすぐ北あたりに天武天皇迹太川御遥拝所跡があります(地図には記載なし)。こうやって歩くと、アタマの中の地図もよくつながって来ます。
Img_9134c 茂福から大矢知へ、2回ほど右折して、国道1号線北勢バイパスを目指し

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ます。北勢バイパスが近づいたところに久留部官衙遺跡があります。おおよそこのあたりにあるだろうというのは知っていましたし、一度来てみたいところです。奈良時代に伊勢国朝明郡の役所があったところ。国指定の史跡。最近、この遺跡を紹介する施設「くるべ古代歴史館」もオープンしましたので、一度見たいと思っています。
Img_9139c 北勢バイパスをくぐってしばらく行くと、この日最初の立ち寄りポイントで180714kintetsuhikingtomida2_2 ある伊藤手延製麺所。このあたりの大矢知地区は、手延べ素麺が名産。約200年前(江戸時代)より農家の副業として生産されるようになっています。旅の僧侶が朝明川畔の農家に一夜の宿を乞い、親切なもてなしに大変喜び、お礼として麺の作り方の秘伝を授けたと言い伝えられているそうです。ここ伊藤手延製麺所さんの製品は、「金魚印」。素麺、個人的には買いたいと思っていたのですが、「買ってこなくてよろしい」という指示で泣く泣くスルーしてきました。
Img_9140c 伊藤手延製麺所の向かいに長倉神社の鳥居があり、昇格記念参道という石柱が立っていました。由緒は不詳ですが、大矢知村の産神で八幡と称されていました。明治6(1873)年村社、明治41(1908)41月に式内桜神社を合祀。昭和6年9月御祭神は応神天皇木花之佐久夜毘売神大山祇命高おかみ神天照大御神倭姫命宇迦能御魂の6柱の神様が合祀されています。ただ、神社はこの鳥居からさらに200mほど奥にあるようで、そこまで寄り道する元気、意欲がありませんでした。
 ちなみにこの長倉神社、桜神社、斎宮神祠などを合祀しているようです。斎宮神祠(いつきのみやしんし)は、天武天皇迹太川御遙拝所跡にあったといいます。また、境内には境内に 「宮城遥拝所」 の碑があるといいます(こちら)。
 
 本日は、出かけていましたので、時間切れ。ここまで。次は、大矢知村旧役場跡の記念碑などから。

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