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2018年5月

2018年5月25日 (金)

Myというタウン誌に記事を載せていただきました……「桑名の城跡47 九華公園のパネル展示」

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 4月19日に「今日は、とある取材を受けました……余談は、今年も歴史講座受講できます」という記事を書きましたが、それを掲載していただいたKuwanavi Myという無料タウン誌の5月号が発行され、届けていただきました。このMyというタウン誌は、桑名市・東員町およびその周辺に配布されていますし、アピタ桑名店、イオンモール桑名、イオンモール東員などでも入手できます。
 記事は、「桑名の城跡47 九華公園のパネル展示」と題するものです。現在、九華公園で展示していただいている「桑名の城跡・47」のパネルの紹介や、過去に展示した「九華公園の野鳥たち」「九華公園を楽しく歩こう」のことも触れていただいています。3つとも、管理事務所のところに資料が置いてありますので、ご覧いただけます。九華公園は、良くいらっしゃる方でも案外お気づきでないもの、ことなどがあると思います。
 ちなみに記事の左上の写真は、パネル展示の前で撮っていただいたものです。また、「この時期に見られる野鳥の写真を」とライターの方からご要望があったのですが、あいにく野鳥が少ない時期。九華公園でよく見られたり、人気があったりする野鳥の写真をお示しし、冬の渡り鳥ではあるものの、ユリカモメの写真も載せていただきました。

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溜池巡りでしたが、鳥果はなし

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 たまには目先を変えようと思い、いなべ市、東員町方面へ。「溜池巡り」でした。8時半出発、12時少し前に帰宅。いなべ公園万助溜公園山田溜公園と3ヶ所を回って来ました。が、野鳥は、声はすれども姿は見えず、というのが大半(苦笑)。冒頭の写真は、いなべ公園。
Img_4996c 野鳥目当てと、いつもは平地ばかり歩いていますから、たまにはアップダウンのあるところで鍛えなくてはと、色気も出した次第(微笑)。いなべ公園は、けっこうキツい上り下りがあるのです。冒頭の写真で左上に見えているのは、シンボルタワー(お寺の塔ではありません)。ここに行くのにかなり登ります。信頼できる数値がなかなか見当たりませんが、標高100mのところに建っているといいます(ただし、下の駐車場も海抜はけっこうあるので、100mも登ってはいないでしょう)。
Img_5017c こちらがそのシンボルタワー。木製のように見せていますが、コンクリートImg_5009c 製。3階までしか登れませんが、遠くまで見渡せます。右は、西の藤原岳の方角を、超望遠コンデジの広角21mmで撮ったもの。多度山などももちろんよく見えます。しかし、ここに登ってくるのはけっこう大変でした。
Img_5019c 冒頭の写真で写っているのは、員弁大池。もともとは、潅漑Img_5025c 用水専用のダムとして昭和3~9(1928~34)年に和波久衛氏の指導者のもとにつくられたものです。アースダムという形式で、堤高は、15mとダムとされる基準を一応クリアするくらいだそうですが、それでも55万トンの水をたたえているそうです。この員弁大池のまわりも一周。
Img_3416c 公園内各所で、ウグイスの鳴き声がよく聞こえたものの、姿は見られず。Img_3418c その他、コゲラ、カワラヒワ、シジュウカラ、カルガモを見たくらい。鳴き声は他にはキジバトも。池ではブラックバスもつれるようです。
Img_5054c 次いで、万助溜公園へ。ここはいつも、梅雨の時期にチョウトンボを見にImg_3423c 来るところ(2017年7月7日:万助溜公園でチョウトンボ、蓮の花、そしてカワセミ……余談はライギョ)。ハスもありますし、運が良いと、カワセミにも会えます。ただし、今日はまだまだどれも時期尚早。花菖蒲でしょうか、3種類くらい咲いていました。
Img_5062c イトトンボや、シオカラトンボは飛んでいましたし、こちらのイトトンボは交Img_3429c 尾中。せせらぎのあるところでは、カワラヒワが水浴び中。
Img_3444c スイレンが一輪。浮御堂のある池にハスが咲くのですが、そこにこのスイレンだけ。あとは、大きな鯉がけっこうたくさんいます。鳥は、他にはヒヨドリくらいでした。
Img_5069c 最後に山田溜公園。ネオポリスという住宅団地の南にあり、3つの溜池からなる大きな公園ですが、時刻が11時を回っていましたので、南の方だけ見てきました。ここも鳥はほとんど見えず。
Img_3420c ということで鳥見としては成果なしでしたが、員弁公園でしっかり運動してきました(苦笑)。明日は、松阪でJRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングがあり、行きたいと思うのですが、江戸橋方面の講義準備もありますし、日曜は岐阜まで行かねばならず、思案中。

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2018年5月24日 (木)

九華公園に巣立ったツバメのヒナが登場

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 昨日とは打って変わって(苦笑)、天気はよく、気温も上がり、風も吹いてまぁまぁ気持ちの良い日になりました。公園の緑も青々としています。プチ遠征もとは思ったのですが、この風では鳥もいないかと思い直し、いつも通り、8時半過ぎから住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と歩いてきました。
Img_3348c 九華公園でシジュウカラの鳴き声がしたので、探しに行ったら、シジュウカラImg_4962c は見つからなかったものの、ツバメの巣立った雛が3羽来ていました.土俵のあるところの西の堀の上。電柱を支えるケーブルで親が来るの待っている様子。それぞれにあちこち見上げていますが、親を探しているようでした。
Img_3318c シルエットになってしまいましたが、親が来ると飛び立って、写真のように空中でエサをもらっています。ヒナなののに飛翔能力は、かなりのものがあり、驚かされます。
Img_3365c ツバメつながりで、巡回している巣の様子を。左は、京町の呉服屋さんのImg_3377c 巣。異変があったようで、何度確認しても、この1羽しか見えません。今日はこのお宅の方にはお目にかかれませんでしたので、詳細は不明。親はエサを運んできていました。
Img_3371c 同じ京町のマンション駐車場では、4羽が健在。親がときどきエサを運んImg_3390c できていました。一方、田町の商店にある巣は、不在。しばらく見ていましたが、親は来ず、ヒナの姿も見えずでした。
Img_3391c 田町のもう一つの巣も、2羽が元気にいました。ここも親がやって来ますImg_3397c が、その親は巣のあるお宅の屋根で休んでいることが良くあります。ということで巣立ったヒナがいる一方、京町の呉服屋さんのように、ヒナが減ってしまった巣もあります。
Img_3190c さて、九華公園の花菖蒲は、少しずつ増えてきています。管理事務所南Img_3186c のところは、花菖蒲祭の頃には見頃を迎えられるかという気がしてきました。左は、「曲水の詩(肥後系)」、右は、「青柳(伊勢系)」です。
Img_3250c こちらは、本丸跡のところ。左は、「万里の響(江戸系)」、右は、「麗月(肥Img_3252c 後系)」。本丸跡のところは、花菖蒲の背丈が短く、生育は余り良くないように見えますが、何種類かは咲き始めてきています。
Img_4977c ところで、昨日の講義のQ&A書きは、今日になって完成(微笑)。夜なべ仕事をすれば、昨日中にできましたが、まぁそこまで頑張らなくても良いかと勝手に思った次第。新しい科目についても、来週の分は準備は終えています。再来週以降も2~3週分はほぼできていて、再確認、微調整が必要というところです。また明日以降、取り組む予定。
Img_4978c 最後の2枚の写真は、5月20日に載せた、京町近くのお宅のアジサイ(5月らしい陽気……花菖蒲はボチボチ)。青い方は少し色づいてきました。

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2018年5月23日 (水)

昨日の写真の正解はこちら

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 アタマまでヘロヘロになってしまい(苦笑)、失念していました。これは、どうも支援が必要な状況かも知れません。お知り合いの皆様には、何卒よろしくお願いいたします。という冗談なのか、本当なのか、よく分からない与太話はさておき、引いて撮ると、次のようシーンになります。
Img_4889c 正解はお稲荷さん(九華稲荷社)の参道の赤鳥居が並んでいるところで撮ったものでした。切り取り方によって、見え方や、印象はまったく変わりますね、という好例と思ったのです。芸術的な写真を目指す、というのは多分にあいませんし、小生の能力を超えております。あくまでも遊びの一つ。

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承知はしていたものの、午前中2コマ、3時間はやはり大変(笑)

Dscn6965c 予報通り、雨。出勤の途中、鈴鹿を過ぎたあたりからぽつぽつと雨粒が落ちてきました。江戸橋方面へ出勤するときには雨が多い気がします。心がけが悪いのか、単なる巡り合わせか、それとも僻みか(苦笑)?今日からは、1コマ目、2コマ目と10分休憩を挟んで、2科目・3時間コース。別々の科目ですが、同じ教室、受講する学生たちもかなり重複。承知の上で引き受けたものの、やはり大変でした(笑)。が、学生たちのコメントは、どちらの科目もおおむね好評で、それに助けられました(微笑)。
 朝の電車も、7時半というのは、津方面に向かうとはいえ、かなり混んでいました。これは、多少お金を使っても何か、対策を考えたいと思っています。ヘロヘロとはいいませんが、けっこう疲れて帰宅。しかし、考えようによっては、週1回くらいはこういう機会があった方が良いのかも知れません。
Dscn6966c  帰宅後は、いつものように、出欠チェックと、出席票のコメント・質問の確認、Q&A書き。ただし、受講登録者は、2科目合計で110人とほぼ倍増。先週までは、夕方には作業を終えられたのですが、さすがに今日の分は、明日に一部持ち越しせざるを得ません。
 準備するものも増えた結果、忘れ物、忘れたことも出来してしまいました。4月から担当している科目の補足説明のパワーポイントファイルを更新し忘れたのと、印刷をお願いしてくるのを1種類失念していたのです。これも、チェックリストをつくるなり、対策を考えないといけません。
 写真は、いずれも帰るときに撮ったキャンパス風景。雨に濡れて、それがかえって良い感じでした。

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2018年5月22日 (火)

御礼 190万アクセス達成

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 お陰様で本日、190万アクセス(PV)を達成できました。このブログをお読み下さる皆様に厚く御礼申し上げます。最近(5月に入ってから)は、1日あたり100~200PVで推移しています。一頃は、1,000PVに近いアクセスをいただいていたことを思うと、減ってはいますが、これだけの方にお読みいただいているかと思うと、感謝の一言しかありません。勝手気まま、自分の趣味のままのブログではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。
 なお、ブログにも表示していますが、@nfityのブログ容量の制限によって、2005年10月26日のブログ開始当初から、2018年2月4日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」(Livedoorブログ)に移行しました。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2015年1月以降の記事を残し、2014年12月以前の記事は削除しました(2015年1月から2018年2月4日の記事は、両方にあります)。
 バックナンバーを検索していただいて、ご覧になれない記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」(Livedoorブログ)をご確認いただければ幸いに存じます。
 ちなみに、最近は、Instagram、Facebookにも手を広げてしまっています。「しまっています」というのは、手を広げすぎたかと反省しているのですが、新たな方々との交流も生まれ、しばらくはこのままで行こうと考えています。Instagram、Facebookとも、ブログとほぼ同じ写真が載っていますが、ご覧ください。個人的には、このブログが、本来の場所と思っています。

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アジサイで遊んでみました

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 5月らしい天候も今日までで、明日は朝から雨という予報。どうも、江戸橋に出かけるときには天気に恵まれないという巡り合わせ(苦笑)。しかも、明日は、8時50分の1コマ目からの授業。いやはや……とぼやいていても仕方ありません。今日は、皆早く出かけてしまいましたので、8時15分から散歩。早く帰ってくるつもりが、こういうときに限って知り合い、それもたまにはお目にかかって話をしたいと思う方に出会います。結局,11時を回って帰宅。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.5㎞。午後からは、ブログを書くだけでなく、江戸橋方面の授業準備にいそしんでおりました。
Img_4899c2 いつも通りの散歩コースですが、多少とも変化をと思ってカメラのアングImg_4909c ルや、注目するところを変えてみました。とはいえ、一気に激変とは行きません。アジサイは、ヒガンバナの応用で,逆光+下から見上げるアングルにチャレンジ。Instagramでは好評をいただきました(微笑)。右は、ここで写真を撮っているときに女性が通りかかりましたので、勝手に撮らせていただきました。個人的には気に入ったショットです。
Img_3052c こちらは、このブログにて初公開。さてどこで、どのように撮ったと思われるでしょう? 正解は、明日のブログで公表することにいたします。
Img_3057c このように遊んでいるということは、鳥はあまりいなかったということの証明であります(苦笑)。九華公園では、スズメやドバト、キジバトなど以外には、シジュウカラくらい。このシジュウカラさん、5~6羽で揃って移動中。ファミリーかという気がしますし、さらにはヒナかなぁ?と思っています(ただし、確信はありません)。
Img_3016c 話題は脈絡がありませんが、スズメや、キジバトさん。スズメは、今日はImg_3045c 余り見かけませんでした。一方のキジバトさんは、巣材を集めているようでした。これから繁殖というカップルもいるようです。ゆっくりand/orよく見て回ると、それなりの写真が撮れるということかも知れません。ささやかな喜び、楽しみを見つけることがよさそうです。
Img_3047c その他、九華公園で見たもの。ミドリガメたちは、あちこちに上陸して来ています。左は、本丸跡、野球場の西側で見つけたもの。産卵場所を探して歩いていたようです。昨日、九華招魂社の脇でも卵を産む穴を掘っていたカメがいましたが、今日見たら、しっかりと埋めてありました.カラスに掘られないことを祈ります。
Img_4887c こちらはドクダミ。鎮国守国神社の拝殿前に咲いています。子どもの頃、これを干して煎じたものを「毒消し」として飲まされた記憶が鮮明に残っています(苦笑)。
Img_3094c ツバメの巣も巡回してきました。左は、京町の呉服屋さんの巣。ここは、3Img_3096c ヶ所の巣があり、1ヶ所でヒナが生まれ、現在4羽がいます。この奥にもう1組のカップルが営巣するかと思っていたのですが、ややこしい事情が生じているようでした。子育て中のカップルの他に、1組がやって来るのですが、その子育てカップルが必死に追い払おうとしているようなのです。ヒナたちは、我関せずで、元気にエサをねだっています。
Img_3141c その近くのマンション駐車場。昨日、ヒナがいるようだと書きましたが、今日は、4羽を確認。見ている間に親はやって来ませんでしたが、覗きに行くと、ご覧のような反応。親でなくとも、何かが近づくと、このように「エサ頂戴」アピールをするのかも知れません。
Img_3155c あちこちでスイレンが咲いているという話が聞かれますので、桑名別院本統寺を見てきました。一輪だけが咲いていました。わが家の「このままスイレン」は、植えるのがちょっと早かったかも知れません。説明書をよく読んだら、「最低気温が20℃を超えたら」とあったのですが、「最高気温が20℃を超えたら」と勘違いしていました。どうなるか気になるところ。
Img_4853c  明日は、朝7時半頃の電車に乗って出かけようと思っています。新しい行動パターンを習慣化するには、少し時間がかかるかも知れません。この写真は、江戸町にある歌行燈本店の前にあるアジサイ。去年もみましたので(2017年6月11日:歌行燈本店のアジサイ)、今年の様子を見てきたという次第。さすがにまだ早かったようです。

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20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その1)……冨田一本松と四日市港ポートビル、うみてらす14

Img_3873c ようやく5月12日に行ってきた近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”の本編に取りかかれます(微笑)。この日のコースは、近鉄富田駅がスタート。四日市港ポートビルを見学し、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くのばんこの里会館と萬古神社も立ち寄りスポットで、ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅。マップのサブタイトルに、「萬古焼の始祖 沼波弄山(ぬなみろうざん) 生誕300年記念」とありますが、沼波弄山は、桑名の豪商。元文年間(1736~1741年)、当時、桑名藩領だった、現在の朝日町小向に窯を構えたのです。今では、萬古焼というとすっかり四日市のイメージで、個人的には「お株を奪われた」と思っています。それはまた、後ほど触れるかも知れません。

20180512 いただいたコースマップには、約8㎞とありました。ほとんど寄り道するところがありませんでしたので、距離測βで確認しても、8.8㎞でした。左が、実際に歩いたコースと距離。今回行きたかったのは、四日市港ポートビル(うみてらす14)と、萬古まつり、萬古神社です。いずれも、近いのに今までいっていないところ(微笑)。
Img_3877c 受付は9時40分から11時。ポートビルが10時からのため。桑名駅を。9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。スタートの富田駅には、到着時、すでに100名以上が列をなしていました。受付は予定より早くから行われ、9時40分にはスタートできました。富田駅から東南へ。国道1号線を目指します。
Img_3879c 富田駅から200mほど、北側にお稲荷さんが見えました。道路の右(南側)を歩いていましたので、今回はパス。後で調べたら、吉玉稲荷というお稲荷さんでしたが、詳しいことは不明。ちなみに、この吉玉稲荷と、近鉄富田駅の間にある市立富田幼稚園のあたりは、旧・富田城跡だそうです(ただし、遺構は何も残っていません)。
Img_3881c 吉玉稲荷の隣に三重銀行富田支店があり、その先で、旧・東海道とクロImg_3880c スします。左の写真が、朝日、桑名方面、右は四日市方面。ここの東海道は、去年(2017年)12月22日の“近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」”で歩いています。このときは、川越富洲原駅からスタートし、中風封じの田村寺、茂福神社や垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まででした。こうして実際に歩くと土地勘ができ、それが次第にアタマの中でつながって来ます。
Img_3889c 国道1号線に出て、近鉄富田駅口の信号で南下。少しだけ1号線を歩き、Img_3893cJR関西線の跨線橋の手前、東富田町と富田浜元町の境あたりで脇道にそれて行きます。このあたりではスタートして間もないので、参加者がずらり。
Img_3900c コースマップにはありませんが、脇道に入ってすぐのところに「富田一本松」があります(東富田町)。市指定記念物(史跡)になっています。東富田Img_3895c_2 付近が波打ち際であった頃に、伊勢湾の内海航路の船、伊勢湾の漁船の目印となっていたといいます。「伊勢軍記」によれば、永禄3(1560)年の茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた2代目の松だそうです。
Img_3905c 一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかImg_3903c_3 の 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句は、山口誓子自筆の書で刻まれています。句碑に向かって右には、同じく山口誓子の書による「史跡 一本松の碑」があります。昭和49(1974)年9月に富田文化財保存会が建てたもの。碑陰には、「碑の謂われ」が刻まれています。茂福合戦のことや、安永9(1780)年の富田大火にも類焼せず「瑞祥の松」として崇められたことが記されていました。なお、この一本松のすぐ南を十四川が流れています(予告編の記述には誤りがありました)。
Img_3917c  一本松のすぐ先に赤煉瓦の塀があり、その内側にはレトロな建物が見えます。赤煉瓦塀はマップにも載っていまImg_3920c した。網勘製網株式会社という看板が掛かっています。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造業。富田漁港があったことから、富田地区は漁業に使用する漁網作りの製網が江戸時代から盛んだったといいます。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区で、モダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々の目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。
Img_3921c 漁業の衰退に合わせて事業を多角化し、現在の社名は、アミカン (平成12(2000)年に変更しています)。製網だけでなく、スイミングスクールを運営するスポーツ事業などにも参入しているそうです。
Img_3930c  富田浜の町を進み、富田浜病院がある交差点を左折し、東へ。国道23号Img_3938c 線を富田浜交差点で渡り、そのまま国道23号線を浜園緑地に沿って南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。
Img_3948c 霞大橋は、国道23号線や、東名阪道の四日市東インター、北勢バイパスImg_3950c の斎宮西インターから霞埠頭への入り口。これまでのコースのところどころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、わが家からも遠望できるのですが、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
Img_3963c 四日市港ポートビル四日市港管理組合の所有。四日市港の開港100Img_3979c 周年を記念して、平成11(1999)年8月に開館しました。 14階建てですが、13~14階までの間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは、地上100mですが、これでも三重県内で最も高いビルです。今日は、近鉄ハイキング参加者は、コースマップを提示すると、無料で入れました(微笑)。10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。
Img_3983c ポートビルの14階は、展望展示室になっています。愛称は「うみてらすImg_4007c 14(フォーティーン)」。地上90mからの眺望が楽しめますし、四日市港について学べるような展示があります。昼は、鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せますし、夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できます。夜景も見てみたいと思いますが、それはまたいずれ。
Img_3984c この日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。左の写真では、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見えます(写真中央)。うみてらす14の西側。写真の右端から左に伸びているのが、国道23号線。霞大橋から右上に向かうラインが、北勢バイパスや、東名阪道につながる道。写真の左端が、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。
Img_3986c 左の写真は、南側の眺め。霞地区のコンビナート風景。夜眺めると、絶Img_3999c 好の夜景でしょう。向かって右が、霞大橋(西)。右の写真は、東側の景色。東ソー、中電、東邦ガス、コスモ石油などがあるところです。ガントリークレーンや、コンテナも見えています。この方向の先に、あの(苦笑)セントレアが見えるはずですが、肉眼ではよく分かりませんでした。
Img_4002c そこで、だいたいこの方角と思われる方向を、エイヤッと超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。
Img_4013c こちらは北の眺め。霞埠頭から北に向かって伸びている、新しい道路は、4月1日に開通したばかりの「四日市・いなばポートライン(臨港道路 霞4号幹線)」です。霞埠頭と、伊勢湾岸自動車道・みえ川越インターチェンジを結んでいます。
Img_4019c 上にも書きましたが、この四日市港ポートビル、わが家からも見えますのImg_4290c で、うみてらす14からも拙宅マンションが見えるかもと思って、これまたテキトーにエイヤッと撮ってみました(苦笑)。肉眼では分かりませんでしたが、超望遠コンデジ+パソコンのお陰で何とか判別できました。左の写真のとおりです。ちなみに、帰宅後、わが家のベランダから撮った四日市港ポートビルの写真は、右の通り。
Img_4045c ここうみてらす14は、展望展示室になっていると書きました。中央には、Img_4046c 四日市港の大きなジオラマがあります。左の写真で、中央からやや右が、ポートビルのある霞地区。その部分をクローズアップしたのが、右の写真(ちょっとピントが甘い)。
Map_kouwan2015 それにしてもさすがに広い。左の画像は、四日市港管理組合のサイトからお借りしたものですが、これが四日市港の全体像(左上のジオラマとは逆向き)。川越から塩浜まで広がっています。この画像で「四日市地区」とあるあたりは、いわゆる「旧港」と呼ばれ、これまでの近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングで訪れたことがあります(去年11月25日(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)と、今年3月23日(近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)と2回訪れています)。
Img_4057c 展示も一通り見てきました。左は、港のあゆみコーナー。稲葉三右衛門Img_4051c_3 の港づくりなどについて勉強できます。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました。このほか、港のやくわり、港ではたらく、港にしたしむといったコーナーがあります。スタンプがおいてあり、また、いただいたリーフレットにスタンプ欄がありましたので、4つすべて押してきました(微笑)。
Img_4067c 無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日のImg_4068c ハイキングの主要目標は達成してしまいました(笑)。四日市港ポートビルにいたのは、10時50分過ぎまで。滞在移管は約30分。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下、三滝公園に立ち寄ったあと、萬古まつりの会場を目指します。

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2018年5月21日 (月)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完)

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 4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」のその4です。その3では、舟着社と野志里神社の2つの神社を見てきました。野志里神社は、去年の歴史講座を聴いてから是非とも行きたかったところで、念願を一つ果たせました。野志里神社で、6.5㎞過ぎ、時刻はちょうど12時頃。この日は暑くて、いささかお疲れ(苦笑)。しかし、次の目的地を目指して、美濃街道を下ります。ここから先は、ちょうど養老鉄道の線路沿いになります。
Img_0855c_2 コース7㎞のあたりに養老鉄道の下野代駅があります。そこを過ぎたとこImg_0870c_2 ろに常夜灯があり、その台座に徳蓮寺の案内が出ていました。見ると、踏切があり、その向こうには階段が(微笑)。ここが徳蓮寺への入り口。2月27日に出かけた近鉄ハイキングでも、三岐鉄道北勢線の踏切を渡らないと行けない神社がありましたが、ここも同様(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))。
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 さて、踏切を渡り、100段ある階段を上って徳蓮寺を拝観に行きます。手Img_0881c_2 すりはあるものの、古くてけっこう急な階段を上って行くと、山の中腹にお寺がありました。眺めはよく、伊勢湾や、アルプスまで見えます。いただいたパンフレットによれば、冬には富士山も見えるとありました。古いお寺です。徳蓮寺(とくれんじ)は、真言宗東寺派で、無畏野山徳蓮寺といいます。 ご本尊が、弘法大師の作と伝わる虚空蔵菩薩であるため、「虚空蔵寺」あるいは「コクゾッサン」と呼ばれ親しまれています。ご本尊は秘仏で、7年に一度開帳されます。
Img_0863c_2 古くは、この地に三輪宗の中蓮寺という寺があったといいますが、壬申

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の乱(672年)の時に焼失しました。しばらく再建されることはなかったのですが、弘仁2(811)年、弘法大師が関東に下向された折、ここを訪れ虚空蔵菩薩を刻み、5つの寺院を建て、5座の神祠を勧請しこの地の守護としたと伝えられています。その後、明応7(1498)年の地震で大破し、元亀・天正年間の織田信長の兵火は免れたものの、天正13(1585)年の大地震でほとんどの堂塔が潰れ、弘法大師の遺物や縁起などすべてが土中に埋もれ、本尊の行方も分からなくなってしまいます。しかし、夜な夜な土中が光ることから、掘り返してみると、ナマズとウナギに守られた本尊が見つかりました。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公によって寺の由緒についての調べが行われ、寺領が寄進されて再興されました。慶安3(1650)年には大洪水で山崩れが起こり再び堂宇が倒壊するものの、万治2(1659)年に再建し、寺号も徳蓮寺と改められ、現在に至っています。現在、住職はご不在で地元の方々が護持しておられます。
Img_0887c_2 本堂には、252枚の絵馬が奉納されていますが、そのほとんどが、Img_0883c_2 上記のエピソードに因み、本尊をお守りしていたナマズとウナギの絵馬となっています。これらの絵馬は地震除けに奉納されたともいわれているそうです。
Img_0901c_2 古いものがたくさんありました。1枚ずつ確認するのは到底無理でしたImg_0897c_2 が、気づいた中で古かったのは、左の写真にある「天保6乙未十二月」と読めました。しかもこの絵馬の願主は、桑名宿の人です。他にも、桑名の人が奉納したものがたくさんありました。右の写真で下の方の絵馬には、「堤原 正木元治郎 正木助治郎」とあります。堤原は、今も拙宅近くにある地名。上の方の絵馬には、「今一色堤原 桶商」とあります。堤原のあたりは、昔は地名に「今一色」がついていました。
Img_0894c 絵馬は、他にも歌舞伎を描いたかと思われるものなど、ナマズ、ウナギImg_0885c_2 以外の図柄のものもあります。また、古いものばかりでなく、比較的新しいものも奉納されていました。右のものは、平成になってからのものだと伺いました。
Img_0910c_2 ナマズの絵馬がたくさん奉納されているからだと思いますが、秋篠宮殿下が徳蓮寺に平成17年にご来訪になっています。余談でありますが、ご来訪の2~3ヶ月後に長男悠仁親王のご懐妊が発表されたそうです。
Img_0926c_2 もう一つ、境内には、地震慰霊碑があります。「諸国大地震横死萬霊」と読めます。慰霊碑の下半分は地面に埋まっています。この碑、「嘉永七甲寅六月十四 十一月」ともあります(同様に、下の方は地中で読めず)。嘉永7年は、1854年。嘉永7年は、11月27日(グレゴリオ暦1855年1月15日)に安政に改元されていますが、その前に伊賀地震、東海地震、南海地震が起きています(こちらを参照)。日付から見て、これらの地震の被災者を慰霊するもののようです。今でも地元の方によって供養されているそうです。碑陰には、「當山住賢信」とあります。
Img_0935c_2 徳蓮寺には、この鐘にもエピソードがあります。この鐘は、安永4(1775)Img_0921c_2 年、桑名の鋳物師・広瀬与左衛門によって鋳造されています。鐘には、徳蓮寺の寺暦が刻まれています。昭和19(1944)年、第二次世界大戦の時、金属供出令によって供出されたのですが、終戦後、鳥居辰美氏と住職・井高長雅氏が、四日市の石原産業へ引き取りに行き、全国から集められたたくさんの鐘の中から探して、持ち帰ったものだそうです。
Img_0918c_2 閑話休題。野志里神社でも、ここ徳蓮寺でも、地元の「のしろおたから発Img_0864c_2 見隊」の方が説明してくださいました。そのユニフォーム(ベスト)がなかなかのものでしたので、お願いして写真を撮らせてもらいました。野志里神社にもありましたが、このおたから発見隊作の案内板があります。四日市でも地元の方たちによる案内板が各所にありますが、旧・桑名市内ではこういう活動はありません。見倣うとよいと思います。おなじくおたから発見隊の方がお作りになったパンフレットもいただいてきました。
Img_0868c_2 徳蓮寺の境内には他にもいくつか、興味深いものがありました。左の写Img_0867c_2 真は、階段の下にあった「松永先生頌徳之碑」ですが、詳細は不明。右は、「一榊 壱株 伯爵清浦奎吾閣下 御寄附」(ちょっと読みがアヤシい)とありました。清浦奎吾(きようらけいご)は、肥後の人で内務官僚の後、司法相、農商務相の他、枢密顧問官、総理大臣などを歴任。どういう関係があるのかは、ネット検索では不明。こういうことはよくあります。何かのつてをたどってお願いした、ということでしょうか? 分からないこと、多々あります。
Img_0941c 12時半頃、徳蓮寺を拝観して下に降りてきたところで、小生よりも年長の男性に遭遇。ここは何度目かということで、「上には上がりません」とおっしゃいます。しばらくお話しし、何となく気が合う方と思い、このあと、「同行二人(微笑)」。弘法大師が関わるお寺でお目にかかったのも何かのご縁ということ。桑名の大山田の方。飄々としておられ、いろいろとご存じでした。
Img_0948c この方とお話ししながら、徳蓮寺から1㎞余りを歩いて、明光寺へ。スタートからは、8㎞過ぎ。このImg_0951c 男性、近鉄ハイキングに参加なさるようになってもう10年以上と、大ベテラン。1㎞あまりがあっという間。旅は道連れ世は情けというのは、本当です。ここは、もう上深谷。明光寺は、浄土真宗大谷派。ここも踏切を渡って境内に入ります。
Img_0957c 本堂前で休ませてもらっていたら、踏切の警報器が鳴り始めました。これまた例によって、「俄撮り鉄(微笑)」。もうちょっと電車が手前で撮れた方がよかったかと思うのですが、素人撮り鉄としてはまあまあ。撮り鉄の方には、是非ともご助言をお願いいたします。
Img_0974c さらに1㎞弱、ほぼ9㎞地点。法光寺。高野山真言宗のお寺。深谷弘法大師とも呼ばれImg_0975c るようです。山号は、御砂山。このお寺の北、三砂川沿いに三砂城跡があったはず。市内の城跡巡りもしたいと思ってはいるものの、手つかず。やりたいことは多いものの、なかなか実現するのは難しいですねぇ。
Img_0979c この法光寺で珍しかったのは、稲荷社が併設されていたことです。江戸時代までは、神社とお寺が一緒に建てられていることが多かったことや、神仏習合、本地垂迹説などは知識としては知っていました。しかし、ここ法光寺のように、本堂と続きの建物にお稲荷さんが祀られているのは、初めて見ました。稲荷社には、神社名はありませんでした。
Img_0991c 深谷小学校を過ぎ、深谷郵便局の手前で右折。あとは、最終のポイントである雨尾山飛鳥寺を目指すだけと思っていたら、途中に西林寺というお寺がありました。浄土真宗本願寺派のお寺。山号は、北廻山。ここは、北廻城跡。室町時代、近藤右京亮家教の居城でした。織田信長の伊勢侵攻の時、滝川一益によって攻められ籠城。水が無くなったのを知られないため、馬を洗うのに、白米を用いたことから、「白米城」とも呼ばれたといいます。最後には攻め滅ぼされています。
Img_0989c  西林寺は、永正6(1509)年、禅宗の済林寺として創立しています。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人により、浄土真宗に改めました。その後、元禄8(1695)年に西林寺に改称しています。
Img_1002c 西林寺から桑名北高校の北側を通って、雨尾山飛鳥寺(あまおざんひちょうじ)へ。東寺真言宗。霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺」と名付けられています。十一面観世音菩薩をご本尊として、弘法大師、大日如来、善光寺如来、馬頭観音、千手観音、子安地蔵尊、不動明王、寺宝として弘法大師画像(桑名市文化財)等、多くの仏像を安置しています。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。真言密教の名刹でしたが、元亀2(1571)年、織田信長の兵火により、焼失。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主・松平定綱公が、この山に遊覧の折り往時を偲んで供料田を寄進、また、万治3(1660)年、同じく松平定重公より年々祈願料を寄進されています。
Img_1008c 高台にあり、木曽三川から、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽山が、一望できる、風光明媚なところにあります。左がその眺め。これ、昨年末にNHKで放送していた「マチ工場のオンナ」でよく出て来たところでした。「どこだろう、深谷あたりか?」と思っていたのです。
Img_1024c 飛鳥寺についたのは、もう13時半を回っていましたので、持参したおにぎりを食べて、その後、境内を見て回りました。左は、三吉稲荷社。由緒などはとくに示されていません。稲荷社によくある「正一位」の幟があったくらい。
Img_1028c もう一つのお社が。こちらも、社名標も由緒書きも何もなく、どういうお社かは不明。飛鳥寺のサイトにも説明はありません。
Img_1038c 今日のゴールは、こちら、養老鉄道・下深谷駅。飛鳥寺Img_1045c の境内から、すぐ東の下に見えています。ゴールは、14時ちょうど。スタートから4時間20分もかかりました。マップ上は、約9㎞ということでしたが、実測で11㎞を踏破(大げさな)。14時12分発で桑名まで。14時18分着。¥260。
 実際に行ったのが4月28日でしたが、完了まで3週間あまりかかってしまいました m(_ _)m お付き合い下さった皆様には篤く御礼申し上げます。これで、近鉄ハイキングでまだ書いていないのは、5月12日の“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”だけです。余り間を置くと、細部を忘れてしまいますし、雑になりますので、また時間を見計らって、なるべく早めに記事を書こうと思っています。書かないと、次にもいけませんし(苦笑)。

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ハクセキレイのヒナ登場……アジサイも

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 最高気温25.3℃。平年並みだそうです。散歩していても、日向ですと若干汗ばむ感じですが、やはり5月はこういう気候でなくてはと思う1日でした。例によって例の如く、8時半スタートで、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と6㎞。11時半まで。冒頭の写真は、住吉神社と、揖斐川の堤防。多度山などが見えています。
Img_4797c 今日は、まずはこちら。ハクセキレイのヒナです。親鳥が2~3羽連れてきてImg_2936c いました。体は親並になっていますが、まだエサをもらっていました。ただし、エサをやるところは、遠くてうまく撮れませんでした。ハクセキレイ、春先からしばらく見ませんでしたが、繁殖して戻ってきたということです。
Img_2945c ヒナといえば、ツバメさん。京町の呉服屋さんの巣を見に行ったら、此のおImg_2958c 宅のご主人が出てこられ、話を伺いました(毎年、1度はお目にかかっています)。ここには6羽のヒナがいたはずですが、4羽に減ってしまっていました。「弱いヒナは落とされる。拾って巣に上げてもまた落ちてくる」そうです。自然の摂理とはいえ、厳しいものです。親鳥は、ときどきエサを運んできては、すぐにまたエサ探しに出かけていきます。
Img_2962c こちらは近くのマンション駐車場の巣。一瞬ヒナの姿が見えたように思ったImg_2972c のですが、その後は、しばらく見ていても現れません。親も不在。エサ探しでしょうか。右は、田町の商店にある巣。ここはまだ親がずっと巣に就いていますから、雛は孵っていない模様。
Img_2979c 田町にもう1つある巣、先日見たように、ヒナはやはり2羽。しかし、このアImg_2980c ングルで見ると余計にそう思うのですが、ヤンキーのようなヘアスタイルが笑えます。2羽だけですが、元気いっぱい。
Img_4805c 九華公園、季候はよいのに、散歩する方はあまりありません。この時期、Img_2914c 毎年こういう風ですが、よい季節なのに、もったいない。ミドリガメは、何匹も産卵のため上陸して来ています。今日は、九華招魂社の脇でかなり穴を掘っているカメをしばらく見ていたのですが、まだ卵を産みそうではありませんでしたので、残念ながら撤退。代わりに、アクロバットのような甲羅干しを載せておきます。
Img_4794c 花菖蒲園の様子。管理事務所南のところは、ボチボチ。3ヶ所あるうち、Img_2871c ここがもっともたくさん咲いてきています。右は、「和田津海」という江戸系の品種。
Img_2887c 本丸跡の花菖蒲園は、花菖蒲の背が全般に低いのですが、2種類ほどImg_2893c が咲いてきています。左は、「万里の響」(江戸系)。右は、伊勢系の「朝日空」。とエラそうに名前を書いていますが、皆、名札が頼りなのです(微笑)。
Img_4812c あちこちでアジサイが咲いてきています。左は、九華公園の南のお宅にImg_2967c て。アジサイか?と思っていたのですが、葉っぱはアジサイそのものと思えます。右は、寺町商店街に咲いていたもの。

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2018年5月20日 (日)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社

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 近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(4/28)180428kintetsuhikingtado2 のその3です。その2では、多度大社を見て回りました。その後、多度大社前から東へ、またもや上り坂を経て、養老鉄道を越えたところで地道、竹藪の中を通り抜けてきました。前方に林というか、森が見えてきました。
Img_0748c コースに含まれてはいませんが、神社でしたのでここは立ち寄らざるを得まImg_0750c せん(微笑)。「村社 舟着社」という社名標が立っています。「舟着社」というからには、このあたりに舟が着いたということ。これは是非ともお参りし、見てこなくてはなりません。
Img_0752c 社伝によれば、多度神社別宮の一目連大神が度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。御祭神は、表筒男神(ウワツツノオノミコト)、中筒男神(なかつつのおのみこと)、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山の神)、火之迦具土神(かぐつちのかみ;火の神)、底筒男神(そこつつのおのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと;多度大社の御祭神、天照大神の子)、気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと;祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一神。払戸大神とは、神道において祓を司どる神で、祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神)。表筒男神、中筒男神、底筒男神は住吉大社に祀られている御三神、住吉神(すみのえのかみ)。気吹戸主命とは、初めて知った神様。
Img_0754c 尋ねたとき、ちょうど氏子の方がお祭りの準備に来ていらっしゃり、説明をしてくださっただけでなく、本殿の方まで案内をしてくださいました。こういう出会いは、嬉しいものです。
Img_0763c 境内の一隅には、この石碑。「奉献 船置神社」と刻まれています。碑陰を確認するのを忘れてしまいましたが、社伝を裏付けるような石碑と思います。
Img_0765c 帰り際に、最初に見た社名標の碑陰を確認したところ、「国幣大社 御旅所」とありました。寄進したのは、水野英三郎というかた。国幣大社は、多度大社ですから、多度大社の御旅所ということ。5月5日の多度大社神輿渡御の折りには三基の神輿が奉安されるそうです。ちなみに、この記事を書くのにあれこれ調べていたら、日本武尊が東征において、この地から尾張国に向けて船を出したことにちなむという話もあるようです(こちら)。いやぁ、ここは立ち寄ってよかったと思います。このあたりは多度町肱江。肱江川を越え、さらに1㎞ほど進みます。
Img_0798c 美濃街道に面して野志里(のじり)神社があります。延喜式に名を列ねる古社。ここは、今回のハイImg_0801c キングで是非とも訪ねたかったところ。垂仁天皇の御代の創祀と伝えています。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるとこなのです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。
Img_0803c 想像していたよりも、質素なお社でした。しかし、荘厳というか、由緒があることを十分に感じさせる雰囲気です。主祭神は、当然ながら、天照大神。相殿神は、たくさんおられます。建御雷神(タケミカヅチノカミ)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)、経津主神(フツヌシノカミ)、姫神(不明)、大山咋神(オオヤマクイノカミ)、速玉之男神(はやたまのおのかみ)、事解之男神(コトサカノオノカミ)、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(ヤチマタヒメノカミ)、衝立久那戸神(ツキタテフナドノカミ)、火之迦具土神(カグツチノカミ)、火之夜芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、大山津見神(オオヤマツミノカミ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)、白山比売神(しらやまひめのかみ)です。すでにおなじみの神様も多いのですが、ここで初めて名を目にする神様も多数。
Img_0796c 神社から美濃街道を挟んで東側の社地には、「伊勢神宮御旧蹟野代Img_0793c の宮」という石碑が建っています。一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたという話があるそうです。
Img_0791c 同じく東側の社地には、この「天照大神御𦾔跡式内野志里神社」という石碑もあります。明治Img_0835c 26(1893)年10月に建てられています。揮毫は、三重県知事・成川尚義(なりかわなおよし)。この石碑の上部にある「天照大神」の文字、よくよく見ると普通とは異なっています。「照」という文字のれっか(連火)の部分が「火」になっています。「照」の旧字だそうです。
Img_0820c 野志里神社の社殿の北西には、「千人塚」があります。これは、長島一Img_0822c 向一揆の時、法泉寺の空明は、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明は戦死者の首を集めて,篤く葬ったのが、この千人塚だそうです。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたそうです。
Img_0826c 野志里神社の境内には、まだ見るべきものがあります。左は、由緒を書Img_0830c いた石碑。大正13(1924)年3月に有志の方が建之したと碑陰にはありました。この記事の6つめのパラグラフに書いたような内容が刻まれています。右は、社務所の前に置かれていた「奉力石」。「大正ロマンの石」という副題があり、重さは36貫(150㎏)だそうです。「大正初期此石を肩迄上げた力自慢の面々」として、前野三エ門、前野与三郎他4名の方々のお名前が説明板に記されていました。
Img_0841c ところで、この野志里神社が面しているのは、旧・美濃街道。桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道です。桑名市川口町を起点とし桑名市多度町を通り岐阜県へと続く街道で、養老鉄道とほぼ平行して通っています。わが家近くの三崎見附を通っているのも、この美濃街道。神社で案内して下さっていた「のしろおたから発見隊」の方の説明によれば、関ヶ原の戦の時、ここを薩摩藩兵が通り、そのため、野志里神社の境内地が二分されてしまい、現在のようになったということでした。
Img_0844c 野志里神社を参拝し、見学を終えたのはもう12時少し前。この辺でスタImg_0845c ートからは6㎞半くらい。さらに南に、美濃街道をたどります。神社からすぐのところには、「前野先生頌徳碑」がありましたが、詳細は不明。碑陰を見てきませんでしたし、ネットでも情報は出て来ません。
Img_0848c この頌徳碑のすぐ目の前にはこのような道標がありました。「御衣野員辨道」とあります。御衣野は多度町内の地名で、下野代や下深谷の西あたりを指します。員辨(員弁;いなべ)は、現在の北勢町員弁。その3は、ここまでとします。ほぼ6.5㎞の地点。その4では、お寺の話が続きます。次に訪れた徳蓮寺は、ナマズの絵馬がたくさん奉納されていますし、秋篠宮殿下もいらっしゃったところです。

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5月らしい陽気……花菖蒲はボチボチ

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 5月らしい陽気という日でした。判で押した如く(苦笑)、いつものように散歩であります。8時半出発、住吉神社、九華公園、京町、寺町(体験学習で大賑わい)、三崎見附、田町と5.4㎞。11時半帰宅。距離が短めですが、九華公園でお二人と話し込んでいたからであります(微笑)。
Img_4755c 鳥も少ないこの時期、気になるのは、九華公園の花菖蒲。「去年の今頃はもっと咲いていた」と記憶に頼って書いていましたが、昨年の今頃のブログを見ると、今年の方がまだ咲いている花菖蒲の数は多くなっていました。記憶よりも記録です。どこかの政治家や、お役人さんにもよく伝えねばなりません(笑)。1枚目は、管理事務所の南、2枚目は本丸跡の、それぞれ花菖蒲園の様子。
Img_4726c こちらは、管理事務所の前にあるプランター栽培の花菖蒲。一昨日から咲いているそうです。今日は、久しぶりに管理人のSさんがご勤務で、話し込んでしまいました。公園のこと、桑名の歴史その他昔話などです。春先に入院、手術をお受けになったのですが、元気にカムバックなさり、嬉しい限りです。
Img_2797c 九華公園の外周の遊歩道には、近所の方が植えたアジサイがあちこちにあります。今日、見て回ったら、こんな感じ。まだつぼみというのがほとんどでしたが、こちらは花が咲きそうな印象(正確には、花ではなく、萼が大きく発達した装飾花)。
Img_2802c 京町近くまで行ったら、こんな光景が。葉っぱはアジサイと同じ感じですImg_2807c から、これ、アジサイでしょうか? 右の写真も同じお宅にありました。
Img_2740c さて、鳥さんはいません。見事にいません。スズメ、ドバト、ムクドリ、カラImg_2786c_2 スは目にしますが、あとはカワラヒワや、シジュウカラを少し見るくらい。左のスズメ、たまたまジャンプしているところが撮れましたが、写真としては不出来。
Img_2811c 京町の呉服屋さんのツバメ。ヒナは、この間は6羽いたと思うのですが、Img_2833c 今日見たときは4羽。親ツバメも巣に1羽いました。巣の掃除か手入れをしていたようです。
Img_2854c 田町の商店の巣には、まだヒナは孵っていませんでした。親もどこか、外Img_2843c 出先から帰ってきました。もう1つ、田町にある巣には、ヒナ2羽と親1羽。
Img_2762c 一昨日(5/18:ツバメのヒナは6羽……花菖蒲は少しずつ増えていまImg_2788c す)、九華公園にミドリガメが上陸して来ていることを書きましたが、今日は、穴を掘って卵を産もうとしているらしきシーンに遭遇しました。小1時間あとに見に行ったら、穴はあったのですが、卵は見当たりませんでした。穴は他にもありましたし、他にもカメがウロウロしていました。
Img_2747c 九華公園のカメといえば、このシーン。甲羅干しスポットは、今日も大賑わい。公園に来る子どもたちには大人気ですし、公園をあまりご存じでない大人の方たちも興味深そうに見て行かれます。
Img_2736c 今週から、江戸橋方面は、1回に2コマの授業が始まります。どうなることやら(笑)。8時50分開始で、10分休憩で2コマ連続授業。教室は、同じところを割り当てていただきましたが、体力的に持つのでしょうか? まぁ、あれこれいわずに取り敢えず今週、チャレンジであります。

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近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……バードウォッチングのオマケ

 昨日の近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」では、途中、何羽かの野鳥を見られましたので、それを載せておきます。

Img_4607c まずは、楠中央緑地公園の手前、楠町北五味塚あたりの水田。ケリの鳴き声がしていましたので、超望遠コンデジをリュックから取り出し、探したのですが、いたのはこちら。ダイシャクシギかと思うのですが、シギ類の判別には自信がありません。まともに撮れていた写真がほとんどなく、これでマシな方(微笑)。肝心のケリは、鳴き声はすれども姿は見えず、でした。
Img_4674c 続いてはアオサギ。吉崎海岸でハマヒルガオを見てから、磯津漁港からさらに奥に入ったあたり。江川橋のすぐ東のところ(楠町吉崎)の川が広くなったところ。エサを探しながら、少しずつ移動していました。
Img_4682c 鈴鹿川、磯津橋の上流には、ダイサギと思われる姿。近くにもう1羽いて、Img_4686c それも大きさからするとダイサギのように見えました。鈴鹿川沿いでは、ずっとオオヨシキリの鳴き声が聞こえていたものの姿は確認できません。代わって、ホオジロがところどころで見られました。
Img_4696c 同じく、鈴鹿川、塩浜小学校の南あたりで、これもダイサギらしき姿が3羽ほImg_4700c ど見えました。以上、備忘録として。このコース、冬の渡り鳥シーズンにも来なくてはなりませんねぇ。

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2018年5月19日 (土)

近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完)

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 心配した雨も、目が覚めた5時過ぎには上がっており、7~8m/sという強風が吹いているものの、絶好のハイキング日和(微笑)。これはもう出かけるしかありません。今日は、「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」というテーマ。
Img_2453c 本日のスタートは、近鉄名古屋線・北楠駅。9時50分受付開始ということで、Img_2456c 桑名駅を9時9分発の津新町行きの普通電車に乗車、9時49分着。¥400。ここでコースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプをゲット。コースは、右の写真の通り。約9㎞とありました。
20180519kintetsuhikingkitakusu こちらが実際に歩いたルート。コースは、北楠駅から、楠中央緑地公園を経て吉崎海岸へ。ここでハマヒルガオを見て、鈴鹿川沿いを歩いて御薗神社に立ち寄って、名古屋線・塩浜駅がゴールです。いつもより立ち寄りポイントが少なく、ひたすら歩くイメージ。
Img_2470c 北楠駅を9時55分にスタート。遠くにコンビナートを眺めながら、田園地帯をImg_2476c 東へ。県道6号線を歩いて楠中央緑地公園を目指します。10時10分過ぎに公園に到着。スタートから1.5㎞足らず。遠くからも、公園にある中州の山が見えていました。
Img_2478c 高いところがあると、登りたくなります(苦笑)。風が強くて煽られそうでしたImg_2481c_2 が、負けずに登って行きます。まわりに高い建物もありませんから、眺望がよく効き、気持ちの良いところ。これで風が強くなければ、いうことはありません。右は、桑名方面を眺めたもの。
Img_4616c 名駅方面の高層ビル群も見えます。今日は、デジイチと、超望遠コンデImg_2488c ジの2台を持って行きましたので、こちらは超望遠コンデジの画像(今日の写真、2000番台のナンバーはデジイチ、4000番台は超望遠コンデジ)。てっぺんにある東屋の周りを一周して、「下山(大げさな)」。
Img_2511c 県道6号線に戻ってさらに東へ。2㎞半あまりのところで海岸道路に突きImg_4633c 当たり、北へ。堤防には、子どもたちが描いたと思われる絵があります。途中、堤防の切れ目から見ると、セントレアが遠くに見えました。管制塔上空を旅客機が通過していきます。セントレアには1回しか行ったことがありませんが、わが家からも見えますし、こういう海沿いに行くとついつい「見えるかな?」と気になるのです。
Img_2516c 海岸道路沿いにもハマヒルガオが咲いていました。これは、気分が高まImg_2565c ります。吉崎海岸では、一面に咲いているだろうと、想像が広がります。その吉崎海岸は、磯津漁港への入り口近くにあります。
Img_2522c 漁港入り口から吉崎海岸までは、さらに数百m。吉崎海岸は、四日市でImg_2530c も数少ない、埋め立て堤防ではなく綺麗な砂浜があるところです。ここは、ハマヒルガオだけでなく、ウミガメやシロチドリなどの貴重な生き物が見られる、自然海岸です。
Img_2527c 吉崎海岸には、10時55分頃到着。木道が整備されていて、ここを歩くよう指示されていまImg_4646c_2 す。広々としていて気持ちの良い空間が広がっています。が、しかし、肝心のハマヒルガオが広がる光景は……?? ありません(苦笑)。あちこちにハマヒルガオは咲いてはいるものの、一面に咲きそろっているというのは、勝手な妄想でした(苦笑)。近くにいらした、カメラを持った男性も、ガッカリしておられました。今日は、女性の参加者がいつもより多かったのですが、ハマヒルガオを期待した人は多数だったはず。
Img_2532c ウミガメはもちろんいませんし、人がたくさん歩いていますから、野鳥の姿もありません(苦笑)。やむなく、眺めを楽しんできました。今日は、実はバードウォッチングの下見というつもりもありましたから、まぁよし。コアジサシが来るという情報もありますし、冬になると渡り鳥も来るでしょう。左の写真は、南の方角。陸地の先端は、伊勢の朝熊山あたり。
Img_4657c 吉崎海岸からもセントレアの写真を(微笑)。私が体調を崩した平成17(2005)年に、このセントレアが開港しています。リビングのソファに座りながら、セントレアを離発着する飛行機をボンヤリ眺めていたことが思い出されます。あれからもう13年も経ってしまいました、などと思うことがあります。
Img_2571c 吉崎海岸から西へ。最初に立ち寄った楠中央緑地公園が見えるところまImg_2576c で戻り、北へ向かいます。写真は、スタートから5㎞ほどの地点。時刻は、11時20分を過ぎた頃。この先は工場地帯の中。地名でいうと、磯津、塩浜あたり。その先で磯津橋で鈴鹿川を渡ります。西には鈴鹿の山並みが見えています。
Img_2579c こちらは、鈴鹿川の下流方向。四日市市塩浜町のコンビナート地帯。石Img_2598c 原産業や、昭和四日市石油などの工場があるところ。この磯津橋を渡りきったところでちょうど6㎞。11時40分くらい。橋を渡って左折、鈴鹿川左岸を西へ。
Img_2610c 距離にして7㎞を過ぎたところ、小倉橋のところで右折。県道6号線、このImg_2613c あたりは塩浜街道と呼ばれる道へ入り、北へ。JRの引き込み線を越えて行きます。JR貨物の塩浜駅からの昭和四日市石油専用線です。
Img_2690c 御園町一丁目の交差点から西へ100mあまりのところに、御園神社があImg_2633c ります。12時を少し過ぎた時間に到着。神社検索(三重)のサイトによれば、創祀年代は不明ですが、もともと神宮の御園として御贄塩を納めていて、塩田の守護、住民の繁栄祈願のため外宮の御薗を社名に冠して創祀したと考えられています。
Img_2657c 主祭神は、天照大御神。相殿神は、天手力男神(アマノタヂカラオノミコト;天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、万幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと;織物の神)、豊宇賀能売神(トヨウケビメノカミ;豊受大神(とようけのおおかみ)の異称)、天津日高日子番能迩迩芸能命(あまつひこひこほのににぎのみこと;一般には、邇邇芸命(ニニギノミコト)、農業の神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、布刀玉命(フトダマノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れた際、天児屋命とその出現を祈請し、また、天孫降臨に五伴緒神(いつとものおのかみ)の一として随従した)、豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ、豊受大神の異称)、応神天皇大山祇命(オオヤマツノカミ;山を司る神)、火之迦具土神(かぐつちのかみ;火の神)、天目一箇命(あまのまひとつのみこと;製鉄・鍛冶の神)、建御名方神(タケミナカタノカミ;武神)、大己貴命(おおなむちのみこと;大国主の別名)、事代主命(コトシロヌシノカミ;大国主命の子)、綿津見神(わたつみのかみ;海を司る神)の15柱。いやぁ、調べるのに大変でした。それにしても、たくさんいらっしゃるのと、豊受大神が重複しているのは、なぜでしょう?
Img_2669c 摂社・末社はありませんでしたが、ここの境内にもいろいろなものがありImg_2672c ました。まずは、「神武天皇遙拝所」。西に向かって拝むようになっています。紀元二千六百年に建てられたとあります。紀元二千六百年は、昭和15(1940)年。この年は、神武天皇が即位して2600年目の年で、日本国内で様々行事が行われました。11月10日には国をあげて大式典が執り行われ、各地の神社ではそれにあわせて神武天皇の陵墓、神武天皇を祭神にした橿原神宮がある奈良県橿原市の方角に向けて遥拝所を作ったといいます。
Img_2684c 境内の西側には、「忠魂碑」がありました。塩浜地区遺族会が、昭和終戦Img_2686c までの塩浜地区内全英霊を祀ったものです。書は、陸軍中将大久保春野によるとあります。大久保は、日清、日露の両戦争に従事した後、明治33(1900)年陸軍中将、その後教総参謀長などを務め、明治41(1908)年に陸軍大将になりました。碑陰も見てきましたが、そこには明治時代に亡くなられた方々のお名前が刻まれていましたので、元々は,日清・日露の戦没者の忠魂碑であったものと思われます。
Img_2636c 社名標の側には、「陸軍歩兵一等兵勲八等岡本熊吉碑」がありました。Img_2674c 詳細は分かりませんが、碑陰には「明治20……」とありましたので、日清戦争に従軍された方の碑と思われます(かなりすり減ってしまっていて、十分には判読できません)。もう一つ、右の写真は、「卯野精忠君祈念碑」というものもありました。碑陰には、日清戦争に従軍し帰国後亡くなった旨が記されているものの、建立年、建立者、改修等の経緯は不明です(こちらも参照)。
Img_2646c その他、あちこち見て回ってきましたが、神社入り口の鳥居のところにあImg_2643c った、この灯籠に興味深いものを見つけました。裏に寄進者の名前が記されていますが、正目から向かって右のものには、「昭和十一年十月 朝鮮京城本町三 伊藤米松 伊藤佐喜松」とありました。朝鮮京城は、ソウル。日本は、明治43(1910)年、併合に関する条約を締結して韓国を完全な植民地としましたが、その時代のもの。向かって右の灯籠裏には「伊藤與宗松」とありました。似た名前ですので、兄弟か、親戚かと思えます。
Img_2682c 新しいものとしては、こちらの「平和の礎」があります。こちらは、平成Img_2680c 4(1992)年2月に「大東亜戦争に御英霊を捧げた戦友の皆様 安らかに御眠り下さい。永遠の平和を 御誓い申し上げます」ということで、氏子一同の名とともに、寄進者として永田政成というお名前が刻まれていました。
Img_2694c 御園神社からゴールの近鉄・塩浜駅はすぐそこでしたが、南側にお寺らImg_2697c しき建物が見えましたので、確認だけしてきました。お寺は二つ。まずは、浄土真宗本願寺派の光耀山西願寺(左の写真)。もう一つは、浄土真宗大谷派の生浦山専福寺。
Img_2706c 少しだけ寄り道をして、ゴールの近鉄名古屋線・塩浜駅に着いたのは12Img_2719c 時33分。あまりたくさん歩いた感じはなく、「9㎞も歩いたか?」と思ったのですが、帰宅してチェックしたら、8.8㎞ほど歩いていました。12時46分に名古屋行き急行がありましたので、これに乗車することにしました。
Img_2721c 塩浜駅に隣接して、近鉄塩浜検修車庫があります。近鉄の車両検査をImg_2723c 行うほか、車庫周辺には資材センターなどもあるそうで、名古屋地区における近鉄の拠点になっています。ここでは、「きんてつ鉄道まつり」が開催されます。子どもたちが小さい頃、連れてきたこともあります。小生は、鉄ちゃんではありませんが、興味はあります。今日も、車庫内に「はかるくん」が止まっていましたので、1枚撮ってきました。電気検測車で、近鉄版ドクターイエローといえる電車です。養老鉄道なども走っているようです(こちら)。
 桑名駅到着は、13時04分。¥350。ハイキングで8.8㎞、桑名駅往復で約2㎞、合計10.8㎞ほど歩きました。今日は、6月以降の近鉄ハイキングのパンフレットもいただけました。あとで確認して、予定を立てようと思っています。「あるく みる まなぶ」という近鉄あみま倶楽部のキャッチフレーズというか、理念は、よく考えられていると思います。日頃のウォーキングと、JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングへの参加、歴史の勉強、続けましょう。もちろん、ご依頼があれば本業(どっちが?)の方も(心理アセスメント、心理学、心理検査などなど)。
 なお、今日の近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」の記事は、これで完了であります。4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」は、「その3」がまだ途中ですので、続きます。そして、5月12日の近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”は、多度編が終わったら、記事を書きます。

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2018年5月18日 (金)

ツバメのヒナは6羽……花菖蒲は少しずつ増えています

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 今日も朝から、というより昨晩から引き続き、蒸し暑くなっています。散歩で出会った皆さんとも、「朝から暑くて、参るね」と言葉を交わすくらい。いつも通り、8時半から住吉神社、九華公園、京町を経て、寿町で用事を済ませ、末広町、堤原を通って帰宅。6.1㎞。さすがに暑くて汗をかなり掻き、疲れました。29.4℃だそうですが、湿度が高いのが参ります。
Img_2384c 京町の呉服屋さんにあるツバメの巣、先日(5/15:午前中は仕事、午後から散歩でツバメのヒナを確認)、1羽が孵ったばかりでした。
Img_2388c 今日、確認したら、ヒナは6羽。狭い巣が大賑わい。親がやって来ると、大騒ぎ。押し合いへし合いして、落下するのではないかと見ていて心配になるくらい。
Img_2424c ずっと見ていたら、親から「カメラ目線」をいただきました(微笑)。不審人物Img_2399c と思われたかも知れませんが、このとき、知り合いの鳥好きの方と一緒になって見ていたのです。皆、もう目は開いていましたが、産毛がまだまだ残っていて、なかなかユーモラスな感じを呈しています。
Img_2433c このお宅、実は3ヶ所、ツバメの巣があります。ヒナが6羽いるのは、手前のImg_2429c 向かって右ですが、その奥のところにも今日は、ツバメがやって来ていましたし、その下に糞が落ちています。2ヶ所同時に営巣となる可能性が高いと思います。
Img_2397c この近くのマンションの駐車場にある巣は、今日も親ツバメが座っていました。こちらもヒナが待たれます。今日は、田町方面の巣は確認していません。
Img_2341c さて、散歩コースあたり、鳥はいません。見事にいないのです(苦笑)。三Img_2371c の丸水門でヒバリ1羽。九華公園では、スズメ、ムクドリなどの他は、シジュウカラ1羽。暑さが余計に身に応えます。
Img_2345c 九華公園の花菖蒲は、、いつもよりペースが遅い気がしますが、少しず

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つ花が増えてきています。こちらは、管理事務所南の花菖蒲園。今のところ、3品種くらい。
Img_2346c このピンク色の花菖蒲は、曲水の詩というもの(肥後系)。もう少し南、奥Img_2365c 平屋敷跡へ入るところでも、白い花菖蒲が咲き始めました。他の花芽も出て来ていますから、これから増えていくものと思います。
Img_2356c ところで、奥平屋敷跡では、ミドリガメが上陸してきていました。そろそろ産卵のシーズンかという気がします。去年6月17日に産卵を見ています(ミドリガメの産卵シーン)。

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2018年5月17日 (木)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その2)……多度大社

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 4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」、その2です。今回は、多度大社のお話し。何度も書いていますが、目の前までは来たことがあったものの、お参りするのは今回が初めて。式内社(名神大社)で、旧社格は国幣大社。よく調べていかなかったのですが、この鳥居に向かって左に、上げ馬神事が行われる「上げ坂」があったのでした。また、ここに写っている鳥居は、諸戸精太が寄付したもの。諸戸精太は、諸戸家初代・諸戸清六の次男(西諸戸家)。諸戸精太は、初代諸戸清六の屋敷(現在の諸戸氏庭園)を相続しています。
Img_0615c 主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第3子)。天津彦根命は、このあたりの豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われています。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あまのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称されます。
Img_0631c こちらがその本宮。神代の昔から御鎮座になり、雄略天皇の御代に神殿がImg_0620c 創建されたとあります。なかなか厳かな雰囲気で、陽の光の当たり方も絶妙という感じがしました。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていました。天平宝字7(763)年、僧・万願によって神宮寺が創建されています。中世には国司・北畠氏が保護していたのですが、元亀2(1571)年、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失しました。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝により再建されています。それにしても、三重県の北勢地方では、この織田信長と長島一向一揆については大きな影響があるものです。
Img_0629c 別宮・一目連神社です。天目一箇命は天津彦根命の子、桑名首の祖といImg_0618c われます。また、我が国金属工業の祖神でもあります。この社には、神の出入りを容易にするために、古来、扉がなく御簾が掛けてあるのみです。ちなみに、桑名市西鍋屋町にも一目連神社がありますし、赤須賀神明社にも天目一箇命が相殿神として祀られています。
Img_0599c 境内には摂社、末社がいくつか祀られています。まずは、雨宮八幡社。Img_0601c 御祭神は、天水分神(アマノミクマリノカミ;水の分配をつかさどる神で、豊作の神として信仰された)、國水分神(クニノミクマリノカミ;水分神、天水分神とともに、豊作の神として信仰されました)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)。古くは水分社と八幡社の二社であったものが、大正6(1917)年に合祀されています。
Img_0605c こちらは、多度招魂社。明治10(1877)年の西南の役以降、出征、戦没さImg_0609c れた桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県下出身の方々を奉斎しています。創建されたのは、昭和27(1952)年、サンフランシスコ条約発効後だそうです。
Img_0612c 次いで、女性の皆様には見逃せないと思います。美御前社(うつくしごぜImg_0613c んのやしろ)。御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。耳、口、鼻、のどの諸病や、婦人の帯下の病の治癒、良縁、子授け、安産に御神徳があるといいます。常に美しくありたいと願う女性の参拝が多いそうです。
Img_0621c 本宮、別宮の近くにあるのは、神明社。神明社ですから、祀られているのImg_0624c は、天照大神。案内板の下には、「於伊勢さんとお多度さんはは親子の神様です」という説明が追加されています。
Img_0644c さて次は、ちょっと珍しい。「神馬」と書かれたお社。白馬舎(はくばしゃ)

Img_0647c

といいます。白馬伝説に因んだ白馬が納められています。多度大社には、昔から「白馬伝説」が伝わっています。多度山は昔から神がおられると信じられ、人々は暮らしの平穏や家族の幸せを祈り続けてきたのですが、その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが、白馬なのです。
Img_0649c このお社の前に「歯ぎしり除け豆」を授与していただくとこImg_0651c ろがありました。歯ぎしり除けとはあまり見かけませんが、馬は非常に歯の丈夫な動物と言うことで、これにあやかった『歯ぎしり除けの豆』が頒布されています。無病息災ともあり、初穂料が100円でしたので、この「御神馬の豆」をいただいてきました(微笑)。
Img_0662c こちらは、新宮社。御祭神は、天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことさImg_0665c きみたま)、天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことさきみたま)です。幸魂(さきみたま)、小生は知りませんでしたが、神道の一霊四魂(いちれいしこん)という考え方によるもので、人を幸せにする神霊のことだそうです。江戸時代、多度大社が復興される際、両宮の御祭神は美濃国赤坂山より、まず当社に還御になられたといいます。
Img_0666c 神馬舎(じんめしゃ)であります。鳥居をくぐったすぐのところ、西側にありImg_0677c ます。生きた神馬、「錦山」号が飼育されています。生きた神馬がいる神社は珍しいと思います。初穂料100円で、人参を与えることができます。
Img_0653c こちらは、参道脇にあった「切支丹灯籠」。江戸時代、キリスト教が禁じられていた時に、ひっそりと拝まれていた灯籠を切支丹灯籠といいます。形が十字架に似ているので、拝まれたといいますが、パッと見たところでは十字架に似ている感じはしません。
Img_0656c 切支丹灯籠の南には、筆塚がありました。さすがにこのロケーションでImg_0660c は、碑陰は確認できませんが、碑像マップによれば、明治百年記念で建てられたようです。さらに、切支丹灯籠の前、筆塚との間には右の写真のような奉寄進碑がありました。碑文などは、こちらを参照。天明3(1783年)、北勢桑名郡長嶋新田中が建てたと考えられます。
Img_0699c  これで境内は見て回ったと思ったのですが、帰宅してから調べてみたら、Img_0694c 摂社・末社は他にもありました(苦笑)。こちらの境内案内図をご覧ください。藤波社、皇子社、一挙社、鉾立社などです。 他にも、文学碑、句碑などもたくさんあります。松尾芭蕉句碑もあります。「宮人よ 我が名を散らせ 落葉川」と詠んでいます。芭蕉が多度を訪れたのは、元禄2(1689)年で、この句は多度大社を参拝した折に詠んだものだそうです。ということで見落としたところがまだたくさんありますので、これはもう一度参拝がてら確認してくる必要があります。
180428kintetsuhikingtado2 多度大社を参拝し、南へ。多度川を渡って、多度大社南の交差点を東にImg_0710c 向かいます。ここから、さらにきつい上り坂が、桑名市多度地区市民センターあたりまで続くのです。この坂道は、この日最大の難所(笑)。普段、平らなところを散歩していますから、ちょっと苦労。
Img_0717c こちらが多度地区市民センター。この前が、坂道のピーク。ここからは、Img_0720c 国道258号線方面へ下り坂。やれやれというところ。
Img_0724c 途中、ミカン畑越しに多度山を見ながら、Img_0729c 養老鉄道をまたぐ高架を過ぎるところまで進みます。右の写真は、高架橋から見た多度駅。ほぼ一周してきたことになります。
Img_0733c このすぐ先に、多度大社の大鳥居が立っています。この鳥居の下をくぐっImg_0736c て、南へ。地道を通って、竹藪を抜けていきます。右の写真のようなところを通ると、いかにもハイキングという感じがしてきますが、歩きながら、この道で間違いないのか? と若干不安になっていました。
Img_0742c 竹藪では、育ちすぎたタケノコがあちこちにニョキニョキ。市内の播磨あたりでもタケノコが名物なのですが、最近は世話をする(世話ができる)方が減って、タケノコを採らずに放置してあるところも多いと聞きます。いずこも同じようです。
Img_0743c ようやく竹藪を抜け、美濃街道が見えるあたりまでやって来ました。これImg_0745c らの写真を撮ったあたりで、5㎞直前。このあたりで時刻は、11時10分を過ぎたくらい。右の写真で、前方に見えている道が美濃街道。鎮守の森らしきものも見えてきました。ここが、実は面白い神社でしたが、今日はここまで。

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弥富のサギ山でアオサギのヒナ……三ツ又池公園のカイツブリはまだ抱卵中

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 今日は、29.1℃と、たぶん桑名では今シーズンもっとも暑くなっています。寒ければ寒いと、暑ければ暑いと文句をいいたくなりますが、困ったもの(苦笑)。今日は、久しぶりに弥富野鳥園にほど近いサギ山の様子を見てきました。あちこちにアオサギのヒナたちの姿が見られ、大満足。カワイイといえるかどうか、分かりませんが……(笑)。
Img_2214c 細長い林がサギ山になっています。Google Earthで見ると、林に転々と白いImg_2180c スポットが見えています。とても数は数えられませんでしたが、中央部は、写真のような状態。アオサギがほとんどですが、今年は、ダイサギの姿も結構増えていて、去年より多いと思います。
Img_4362c また去年はいなかったと思いますが、ゴイサギもわずかに混じっていましたImg_4351c し、なぜかホシゴイの姿までありました。ホシゴイがここに何用があるのでしょうか? 付き添ってきた? よく分かりません。
Img_4386c ここには1月下旬くらいからアオサギが集まり始めます。卵を産むのは、4~5月で、1回に3~5個の卵をうむといいます(Wikipediaの説明)。抱卵期間は23~28日、ヒナは孵化してから50~55日で巣立ち、生後2年で成熟します。左の写真のように、ヒナというにはずいぶん大きくなったものも見られました。早くに卵から孵ったものと思います。
Img_4441c 左のヒナたちも、孵ってから少し日数が経っているように見えます。いやぁ、この時期のここは、パラダイスであります。しっかり楽しめます。難を言えば、上には湾岸高速、目の前は県道71号線で名古屋港を出入りするトラックや、トレーラーなどがビュンビュン走り抜けること。この県道越しに南から観察せざるを得ないのです。
Img_2256c アオサギや、ダイサギはときどき飛び回っています。100mほど先を飛びImg_2212c ますので、けっこう迫力があります。9時過ぎに到着したのですが、エサを咥えているところは見られませんでした。ダイサギは、まだ巣作りor補修をしている個体もいて、枝を咥えているものもいました。
Img_4427c こちらのダイサギ夫婦は、巣作りor補修中。右の写真のダイサギ夫婦Img_4420c は、眼先が緑がかっており、これは婚姻色。飾り羽を広げている方がオスで、求愛のポーズかなという気がします。これ、けっこう美しいシーンと思います(自画自賛ですから、気になさらずに)。
Img_4458c あっという間に30分以上の時間が経ってしまいました(笑)。アオサギさんの、この変なポーズもゲットできましたので、次の目的地に向かいます。次は、三ツ又池公園です。カイツブリの様子と、オオヨシキリを見るのが目的。
Img_4492c ここは、宝川の遊水池を利用した公園。水面と空が大きく開けた、この空間はいつ来ても気持ちの良いものです。スッキリ晴れていればいうことはありませんが……。
Img_2289c 到着してすぐに、駐車場の西でコアジサシを見つけたのですが、残念ながらこのような証拠写真しか撮れませんでした。小魚を咥えて、南の方へ飛び去っていきました。今年、コアジサシたちは、どこでコロニーを作っているのでしょう?
Img_4552c カイツブリは、合計20羽を確認(公園を一周していますので、重複がありImg_2301c 得ます)。前回ほど、さえずりの声は聞こえませんでしたが、巣に就いているところは、7ヶ所と、前回(5/11)に比べ、プラス1。
Img_4542c 巣を離れたところも見てみたのですが、卵までは確認できませんでした。Img_4501c 巣はいずれも、岸からはけっこう離れています。右の写真のように、巣作り中というカップルも1組ありました。カイツブリの抱卵期間は20~25日といいます。前回も巣に就いていたカイツブリがいましたから、今月下旬にもう一度確認に行くと、ヒナがみられるかも知れません。
Img_4518c オオヨシキリは、合計4羽を確認。元花菖蒲園(蘆が生い茂ってしまっています。花菖蒲園の看板も撤去されています)の中や、周囲の街路樹で3羽。左の個体は、その花菖蒲園から街路樹に出て来たもの。もう1羽は、前回同様、蓮田にいました。多だし、声はすれども姿は見えず、でした。
Img_4484c このほか、三ツ又池公園では、オオバンが1羽、西の水田にある電柱にモズの姿も1羽見えていました。この時期、このあたりでオオバンを見るのは珍しい。
Img_2318c 蓮田では、スイレンが数輪咲き始めていました。しかし、ここの遊歩道は、日陰があまりありませんので、暑いこと。しっかり汗を掻いてきました(笑)。とうとう、散歩が難行苦行になる季節になってきてしまいました(苦笑)。ヒナを見られるのを楽しみに、乗り越えなければなりません。
Img_2321c しかしまぁ、三ツ又池公園も楽しめました。左の写真のカイツブリ、向かって右はやや小さいのですが、去年生まれ? カイツブリは、生後1年で性成熟するそうですから、去年生まれとしても、もう繁殖可能ということでしょうね。
Img_2336c オシマイは、ミドリガメの甲羅干し。三ツ又池公園にて。大きさがずいぶん違います。「親亀の背中に子亀を乗せて……」といいますが、親が目の背中にひ孫亀が乗ったような感じ。

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東海地区K-ABC研究会 平成30年度 総会・講演会のお知らせ

 東海地区K-ABC研究会から、平成30年度の総会・講演会のお知らせをいただいています。講演会では、山形大学教職大学院で特別支援教育を担当しておられる三浦光哉先生をお招きし、「KABC-Ⅱ等の検査結果を生かした個別の指導計画の作成と指導の実際」についてお話ししていただきます。
1.日 時:平成30年5月27日(日)
 12:30~ 受付
 13:00~13:30 総会
 13:40~15:40 講演会
 *非会員の方は総会はオブザーバーとなります
2.場 所:岐阜大学教育学部附属特別支援教育センター 2F 研修室
3.参加費:会員は無料、 非会員は当日会場にて1,500円をお支払いください。年度会員になる方は年会費3,000円をお支払いください
4.定 員:70人(定員になり次第〆切、参加不可の場合のみ連絡します)
5.事前申込:氏名,所属,メールアドレスをご記入の上toukai14kabc@yahoo.co.jp までお申込下さい(@マークは、迷惑メール防止のため全角サイズにしてあります。メール送信の際には、半角サイズ(@)に修正願います)
6.申込〆切:平成30年5月23日(水)
7.講演内容・講師
「KABC-Ⅱ等の検査結果を生かした個別の指導計画の作成と指導の実際」
 講師:三浦光哉先生(山形大学教職大学院 特別支援教育分野教授)
 講演内容(予定):本講演は、山形大学教職大学院で特別支援教育を担当しておられる
三浦光哉先生をお招きしました。新学習指導要領に基づく、これからの特別支援教育の在り方のお話に加え、「主体的・対話的で深い学び」を実現するための授業改善の視点とされている「アクティブラーニング」のことについても触れて頂く予定です。
 次のところから案内文書(pdfファイル)をダウンロードして、必ず内容をご確認ください。このブログでは情報提供のみを行っています。

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2018年5月16日 (水)

江戸橋は5回目を終了……久しぶりの当選に、ブログ掲載の写真を桑名宗社の紹介に使っていただいたお話し

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 久々の「祝! ご当選」です。昨日届きました。地元・中日新聞のサンデー版に載っている「クロスワード」に正解したごほうび。図書カード¥1,000分です。ブロ友のこころんさんにみならって、毎週コツコツと応募した成果が出ました。このクロスワード、当選は2回目。
 さて、今日は5回目の江戸橋方面への出勤。好天でやや湿度が高く、暑いくらいでした。今日で1/3となりました。受講登録者の名簿をもらったのですが、今まで1度も出て来ていない名前もあります。ということは、5回すべて欠席という強者(?)。5回欠席していると言うことは、すでにリミット一杯に達していて、こちらが心配になるくらい(6回以上欠席すると、試験受験資格がなくなるのです)。
 来週からは、1コマ目(8時50分開始!)も担当することになっています。早くに出かけないといけないのと、2コマ連続で授業という、超久しぶりの体験(前職の時代、まだ30代後半だった頃、教養部の授業で連続2コマという経験がありました。そのときは、心理学概論という科目の同じ内容を、2コマ連続で別の学生に講じていたのです。老体にむち打って(爆……誰がむち打つのか?という疑問はありますが)、やることにしましょう。
 帰宅後は(12時20分の電車に乗れれば、13時15~20分くらいに帰宅)、出欠チェックと、Q&A を書きます。出席票にコメントや、質問を書いてもらっています。すべて2~3回目を通し、質問には回答を、誤解していると思われるコメントには補足説明を書きます。この作業にだいたい3時間を要します。こちらの意図通りに理解してくれるとは限りませんので、個人的にはこの補足説明資料をつくって、次の時間に解説するというのは必須のお仕事。来週からは、これも倍の時間&労力となることでしょう。
Dscn5640c  ところで、今年1月8日にイオンモール桑名に出かけた記事を書きました(イオンモール桑名へ……桑名宗社イオンモール分社に参拝し、野帳を購入)。そのときに桑名宗社イオンモール分社にも参拝させていただいたのですが、とあるご縁で、桑名宗社を紹介するWebサイトにその写真を使っていただきました(写真は、1月8日撮影)。桑名宗社(春日さん)には、娘が高校生時代に奉仕させていただいていたというご縁もあります。桑名宗社の宮司様は、お若いのに、熱心に取り組んでいらっしゃいます。こちらにその紹介記事がありますので、是非ともお読みいただくとともに、機会がおありでしたら御参拝くださるようご案内します。

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2018年5月15日 (火)

午前中は仕事、午後から散歩でツバメのヒナを確認

Dscn6955c 26.8℃と暑いくらいになりました。午前中は、予定通り、市役所にて特別支援教育の関係の会議に出席してきました。どこの自治体も予算が厳しい状況ですから、知恵を出し合い、子どもたちのためになる方策を考えなければなりません。微力を尽くしたいとは考えているのですが、どうでしょう?

Img_2092c 午後からは迷ったものの、歩かないことにはスッキリしないと、いつもと逆回りに、田町、京町、九華公園、住吉神社と4.3㎞。暑くて汗を掻いてきました(微笑)。汗を掻いただけの成果がありました。京町の呉服屋さんのツバメの巣で、ヒナを確認できました。15分ほど見ていたのですが、1羽のみのようです。この1羽、まだ目が開いていないようですから、孵って間もないと思われます。
Img_2127c 親ツバメは、この間1度やって来て、エサを与えたりしたようですが、ちょうどImg_2106c 隠れてしまい、そのシーンは確認できていません(右の写真)。抱卵日数は13~17日。その後の巣内での育雛日数は20~24日ということですから(Wikipediaの説明)。6月の上旬くらいまでは巣にいると思われます。しかし、1回目の繁殖の巣立ち率は概ね50%程度と推定されるそうです。まだ何羽いるか分かりませんが、皆無事に巣立って欲しいところ。
Img_2129c 余談のようなお話し。この巣を見ている間に、親ツバメがもう一度、エサを運んできました(左の写真)。しかし、この直後、エサを咥え直そうとしたときに、大失敗。落としてしまったのです(さすがに写真は撮れません)。慌てて拾おうとしたものの、うまく行かず。こんなこともあるんだ、というシーンを目撃しました。
Img_4328c 九華公園では、早くもツツジの刈り込み作業が行われていました。左の写真は、朝日丸跡。きれいに剪定されています。これで夏にかけて、来年の花芽が出て、またきれいに咲いてくれることが期待できます。
Img_2154c 管理事務所南の花菖蒲園、橋は、合計5輪ほど咲いていました。見ていImg_4331c ると、周囲の株の生育が今ひとつ。居合わせた造園業者さんに伺うと、まわりの松の根が張ってきているところはよくないということですが、それ以外のところは原因不明だそうです。もっとも強い原種の野花菖蒲も、今ひとつでした。ちなみに、今日もさらに追加して植える作業が行われていましたが、去年ここで咲いた花菖蒲を株分けし、業者さんが保管していたものだそうです。
Img_4332c いつも冗談半分、本気半分で書いていますが、九華公園でもっともよく育っている花菖蒲は、管理事務所の前のプランターに植えられているもの。これらは、管理人さんが丹精を込めて世話をしておられるのです。
Img_2134c 明日は、江戸橋方面での非常勤、5回目。天気は良さそうですが、暑いかも(苦笑)。なかなか思うようには行きません。プラスアルファは、来週からと聞いていますが、いろいろと確認してこなくてはなりません。この茶虎猫たち、気持ちよさそうでした。今日は、こういうスタイルが良さそうな日です。

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2018年5月14日 (月)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その1)……多度駅から、鯉料理大黒屋、宮川清めの池、地蔵堂、多度稲荷神社を経て、多度観音堂へ

 JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加するほか、さらには勝手に近鉄ハイキングなるものまで催してしまい、記事が遅れています。半月ほど遅くなっていますが、4月28日に行ってきた近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」の記事に着手します。ボチボチと参ります。
Img_0478c  この日は、桑名駅から養老鉄道に乗って多度駅へ。多度駅をスタートし、多Img_0479c 度の町並みを眺めながら、伊勢西国三十三所観音巡礼第33番・多度観音堂へ。美濃街道を通って野志里(のじり)神社、徳蓮寺、第32番・雨尾山飛鳥寺を経て、養老鉄道・下深谷駅がゴールという、マップ上約9㎞のコース。コースには多度大社もあります。桑名に住んで25年以上になりますが、まだお参りしていません。また、野志里神社は、倭姫命が天照大神を奉じて桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地に滞在されたところと伝わっており、是非とも一度は訪れたいと思っていたのです。また、美濃街道は、七里の渡しから東海道を200mほど南下した、川口町と江戸町の境から、わが家近くの三崎通、堤原を抜けて美濃、多度へ向かっていますので、これにも興味があります。
Img_0461c
 養老鉄道は、以前は近鉄養老線でした。近鉄の子会社で、平成19(2007)Img_0464c_3 年10月1日付けで近鉄から養老線の運営を引き継ぎました。桑名駅は、4番線から発着。近鉄桑名駅には、今は5番線はなく、同じホームの反対側は6番線(名古屋線下り、四日市、津方面)です。9時25分発大垣行きに乗車。多度駅には、9時38分着。¥310。受付が9時40分からですのでちょうどよい時刻。
Img_0471c 多度駅で見たかったものがありました。それは、こちら「ご当地駅名標」です。写真のように多度大社の馬をイメージしたもの。事業形態の変更に伴って、今年1月1日から設置されています。大垣駅、養老駅など全7駅にそれぞれ独特のものがあるそうです。多度大社は上げ馬神事で有名ですし、境内に神馬もいます。
Img_0473c スタートの多度駅。養老鉄道には乗ったことはありますが、降りるのは初180428kintetsuhikingtado1_2 めて。受付は予定より早くから行われたようで、到着時点では参加者の行列はありませんでした。受け取った地図は、#115。初めに載せましたように、裏表2ページ。これを見ると、歩き通せるのかと若干心配になります。歩いたコースの全体像は、右の画像の通り。縮尺の関係でたいしたことがないように見えますが、実際に歩いたのは、11㎞を。まさに「踏破(大げさな)」であります。
180428kintetsuhikingtado4 スタートから5㎞ほどまでの拡大地図は、こちら。多度駅から北に向かImg_0491c い、多度川を多度橋で渡ったところで、左折し、西へ。地図では分かりませんが、多度大社に向かうこの道、上り坂(苦笑)。この日はけっこう暑かったので、多度大社につくまでに汗ばんでいました。多度山を見ながら歩きます。道沿いで、そこかしこからウグイスのさえずりが聞こえ、また、ツバメが飛び交うという、恵まれた環境でした。
Img_0504c 鯉料理の大黒屋。江戸時代中期に多度大社の参詣者のための旅籠としImg_0509c て創業し、幕末に近くの木曽三川で獲れる天然の鯉を使用して鯉料理を始めています。庭園は、多度山を背景になかなか風流な感じ。仕入れた鯉を清流の中で数か月、餌を与えず飼育することで鯉特有の臭みを完全に消しているそうです。鯉料理は、信州に行ったときにご馳走になったことがありますが、まったく個人的には、海の近くで育っていますので、川魚料理はどうもなぁと思ってしまいます。しかし、こちらのサイトによれば、食べた人が「え、これが鯉!?」と驚くほど、洗練された味と食感の鯉料理とか。
Img_0506c こちらは、庭園への門。大黒屋の名前の通り、門の屋根には、大黒様がImg_0507c 鎮座。建物、お庭はもちろん店も歴史を感じさせるものがあります。機会があれば、鯉料理を味わってみたい気がしますが、今回は先を急ぎました。
Img_0513c 鯉料理の大黒屋の西隣には、西大黒屋さんがあります。多度名物のImg_0514c 壺豆を製造販売しています。大豆を軸にきな粉を練り合わせ、白砂糖で包みこんだ豆菓子で、多度土産として有名で、他にもいくつか店があります。わが家の近くでも、寺町商店街の町の駅で売っています。
Img_0521c 西大黒屋さんのほぼ正面、南側に「宮川清めの池」があります。ここは、Img_0516c 多度川の伏流水を利用した、垢離・掻池(みそぎ池)です。多度大社の参拝者は、ここで手を洗い、口をすすいで身を清めたといいます。いまでも、多度祭には、この池の水で御旅所行列の途中、各御厨(奉仕地区)の祭馬にそれぞれに水を飼い、足を清めるそうです。覗いてみると、確かにきれいな水をたたえていました。
Img_0536c 清めの池から西へ140mほど行くと、宮川常会集会所の脇に地蔵堂があImg_0533c ります。「半跏延命地蔵尊」「薬師如来」という看板が掲げられています。由来は明確ではないものの、半跏像(片足を組んだ像)は、作風からは室町末期から江戸初期(1500年代~1600年代初め)のものとされます。江戸時代から延命地蔵として、ここ柚井(ゆい)の人々の信仰を集めたそうです。並祀されている薬師如来の由来も不明のようですが、地元の方たちからの信仰が厚く、ここに併せ祀られています。
Img_0545c この日のコースのあちこちには、ご覧のように、タケノコの無人販売所がありました。時期的にはちょっと遅いと思います。というのも、並んでいるタケノコが皆大きめ。値段は、販売所によって異なりましたが、だいたい1個¥300~600でした。
Img_0552c 地蔵堂から500m弱で、多度稲荷神社に到着。次のスポットである多度観Img_0555c 音堂や、多度大社の門前に並んでいますが、多度大社の摂社や、末社ではなく、独立した神社です。御祭神は、宇迦之御霊大神。元治元(1864)年、多度の庄屋が伏見稲荷大社に参拝したときに御分霊を拝戴してここにお祭りしたといいます。
Img_0557c この神社、婚活に力を入れているようで、社務所に右のような掲示が出Img_0560c ていました.きちんとした写真を撮ってきませんでしたが、入り口には黄色い「婚活守り」と書いた幟が立っています。必要な方は、御神徳があるかも知れません。
Img_0563c 多度稲荷神社のすぐ北に多度観音堂があります。多度山法雲寺。御本Img_0565c 尊は、千手観音。伊勢西国三十三観音霊場第三十三番札所。宗派は、真言宗です。明治に至るまでたびたび洪水に出会い、元の御堂の位置は定かではないそうですが、明治34(1901)年の本堂再建以来、この場所にあります。本堂は、昭和38(1963)年に改築されています。ご本尊は、平安時代前期の作と推定され、多度神宮寺に関わりがあると考えられています。多度神宮寺は、天平宝字7(763)年に満願(まんがん)禅師が建てたといいます。
Img_0566c 石段を登った上に御堂があり、ご本尊の千手観音と、十一面観音菩薩立Img_0577c 像が祀られています。十一面観音菩薩立像は、南北朝時代前後の作と考えられ、これも多度神宮寺に関係があると推定されています。ちなみに、開基した満願禅師像もるそうですが、それには気づかず(苦笑)。
Img_0576c 梵鐘は、宝永2(1705)年、加賀金沢の鋳物師・平井与兵衛尉永能が鋳造したもの。第二次世界大戦の際、供出された歴史からみて、残されているのはとても珍しいということです。
Img_0580c 境内には石碑がいくつかあります。まずこちらは、「華山翁瘞遺物碑」とあります(ここを参照)。「享和癸亥」とありますから、これが建てられたのは、享和3(1803)年と思われます。あの渡辺崋山は、寛政5(1793)年~天保12(1841)ですので、この石碑の崋山翁葉、渡辺崋山とは思われませんが、これ以上は不明。碑文をしっかりと読めば分かるかも知れません。
Img0584c もう一つは、「満願禅師碑」でした。こちらは新しく、昭和5(1930)年8月と碑陰にありました。さらに、境内には「鱗魚供養之碑」があったのですが(こちら)、これら2つの石碑と、石段を挟んで反対側にあり、見逃してしまいました。
Img_0593c 多度青少年会館との間には、大きな「平野翁頌德碑」が建っています。平野武平という方を顕彰する碑で、昭和7(1932)年3月の建立。こちらに碑文があります。漢文で書かれていますが、ざっと見ると、村長を務めるなど、地元のために多大な貢献をなさった方のようです。ネット検索では詳しい情報は出て来ません。題額は、拓務政務次官加藤久米四郎 。加藤は、三重県桑名郡大山田村(現在の桑名市)出身で、衆議院議員を務め、犬養内閣で拓務政務次官に任じられています。
Img_0596c 多度観音堂の西隣が多度大社。はじめに書きましたが、まだお参りしたことがありませんでしたので、立ち寄っていくことにしました。ただし、観音堂から行きましたので、鳥居をくぐってきちんと参道を進むのではなく、横から入ってしまいました(苦笑)。次は、多度大社のお話し。多度大社の中で、出発から約2㎞。時刻は10時20分。

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九華公園の花菖蒲は3輪……スズメの親子連れも

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 昨日は、よく降りました。終日蟄居して、増えた仕事の準備をしようとは思ったものの、能率は上がりませんでした(苦笑)。午前中は、やや風が強かったものの、好天の空を見ては散歩に出ざるを得ません。8時半前から11時にかけて、いつも通り、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.8㎞。その後は、クルマで銀行、文房具屋を回って来ました。午後からは、江戸橋方面の、増えた仕事の準備に大車輪(笑)。今日の方が仕事は進みました。
Img_2008c 九華公園の花菖蒲園、5月10日に1輪咲いていました(九華公園で花菖蒲一輪開花……スズメのヒナと、鳥の巣が落ちているのも発見)。間が開きましたのImg_2002c で、もっと咲いているかと期待していったものの、3輪しか咲いていませんでした。左は、5/10にも咲いていた「筑紫路」という品種。右は、「曲水の詩」。いずれも肥後系の品種です。
Img_4304c こちらは、管理事務所の南にある花菖蒲園。ここで3輪咲いています。他にImg_4313c もつぼみが出ているものはあるのですが、全体として、生育状況は芳しくありません。右は、本丸跡のもの。ここはさらに生育状況はよくないように見えます。3ヶ所ある花菖蒲園は、造園会社に委託して、手入れはなされているのですがねぇ。連作障害のような現象が起きるとか、堀に入っている水が揖斐川のもので、塩気があるからよくないとか、皆さんいろいろとおっしゃるのですが、素人にはよく分かりません。
Img_2021c この時期、やむを得ないのですが、定例の散歩コースには鳥影は少なし。Img_2052c そういう中、先週くらいからスズメのヒナが姿を見せてくれます。これらの2枚はいずれも、九華公園の北門の近くで撮ったもの。中には3~4羽の子スズメをつれている親もあり、エサを与えるのが大変そうです。
Img_2055c いつもより警戒心は弱いようなのですが、親がエサを与えるシーンは、なかなかうまく撮れません。左の写真、ヒナが3羽もいます。親が移動すると、ヒナたちは後追いをしていきます。親はたぶん自分の餌を食べる暇もないくらいではないでしょうか。子育ては皆大変です。
Img_4318c こちらは、田町のツバメの巣を見に行ったとき、近くのお宅から鳴き声が聞こえてきたので、それを手がかりに見つけたスズメのヒナ。この直前には親が来てエサを与えていました。ヒナは、全体に色が淡く、頬の黒斑や喉の黒斑がはっきりしないので、成鳥と区別できます。
Img_2063c ツバメの巣もチェックしてきました。今日のコースで卵があると思われるImg_2067c 巣は4ヶ所。しかし、そのうち2ヶ所で親は留守。先週までの観察ですと、一時的に留守にしているだけと思われますが、今日は散歩後出かけようと思っていましたので、じっくりとは見てきませんでした。京町のマンション駐車場と、田町の商店ではたいてい親が巣に就いています(これらはその写真)。
Img_1983c オマケ。柿安コミュニティパークでツバメが何羽も飛んでいましたので、飛翔シーンにチャレンジ。しかし、あえなく惨敗。風に煽られて、スピードが出ていなかったので、何とかなるかと思ったのですが、ダメでした。
Img_4301c 午後からは、江戸橋方面でのピンチヒッターで増える仕事の準備にいそしんでいました(5月9日:江戸橋、4回目……ピンチヒッターでお仕事が増えます)。科目は、人間関係論。昔のパワーポイントファイルを引っ張り出し、全部印刷して見直し、修正中。取り敢えず、3回分くらいは仕上げました。
Img_1993c 明日午前中は、市役所で教育委員会の関係の仕事。午後は散歩に行きたいのですが、授業準備もありますし、どうしようか思案中。上の写真は、サツキ。ほぼ満開。こちらは、アオスジアゲハ。いずれも九華公園にて。

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2018年5月13日 (日)

三重K-ABCアセスメント研究会第24回研究会のお知らせ

 三重K-ABCアセスメント研究会から第24回研究会のお知らせをいただきました。次の要領で開催されます。
1.日 時:平成30年6月17日(日) 13:30~16:30
2.場 所:津市河芸公民館第1会議室(〒510-0314 三重県津市河芸町浜田742)
3.内容・講師:
1)講演「認知特性がわかる疑似体験」~学校の勉強では測れない優れた能力がわかります~
(講師)ディスレクシア協会名古屋 吉田優英先生
2)事例研究「継次処理優位な中学生への学習支援」
(講師)津市立南が丘中学校 教諭 後藤勝弘
4.参加費:会員は無料、当日会員は1,000円(当日、会場受付でお支払い下さい)
5.参加申込:必要事項(①お名前、②ご所属、③職種、④連絡先住所、⑤連絡先電話番号、⑥E-mailアドレス)をご記入のうえ、E-Mailで平成30年6月13日(水)までに下記メールアドレス宛にお申込下さい
*お断りをせざるを得ない場合以外は返信は差し上げません
6.申込先:mie.kabc.goto@gmail.com(後藤勝弘先生)(なお、左記の@マークは、迷惑メール防止のため全角サイズにしてあります。メール送信の際には、半角サイズ(@)に修正願います)
 このブログでは、情報提供のみをしています。正式な案内文書を次からダウンロードして、内容を必ずご確認ください:

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2018年5月12日 (土)

20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その4)……お城公園、高山神社を見て完

20180423tsuwalk  ずいぶん間が開いてしまいました。これも、遊んでばかりはいられない状況になったがためです。5月2日以来ですが、“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”のその4です。その3では、津観音から、大門商店街のディープな稲荷社を見て、蜂蜜まんを土産に、また、千寿の天むすを昼ご飯にゲットし、いよいよお城公園にというところまででした。地図では、中央あたりにお城公園があります。お城公園でほぼ7㎞。

Img_2476c お城公園に入る前に1ヶ所、立ち寄り。お城前公園に石碑が2つありましたのImg_2472c で、それを見てきました。まずは、向かって右。「しらはたや 花さく山の 一備へ 高虎」とあります。藤堂高虎公入府四百年記念俳句会が2008年に建立したとあります。高虎公が60歳の頃、関ヶ原の戦いを思い出して詠んだ句なのだといいます(こちら)。
Img_2473c 向かって左に立つのは、「古城址の池 くれなづむ 花あかり」という、内藤まさをの句(三重の句碑はこちら)。昭和43(1968)年12月に津史跡名勝保存会、三重俳句社が建立したもの。内藤まさをは、昭和23年に三重俳句社を創設、主宰した方のようです(こちらを参照)。文部大臣賞や、三重県教育文化功労者を受賞。内藤まさをの句碑は、三重の句碑によれば、県下9ヶ所にあります。
Img_2463c さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ津城跡、お城公園へ。ここで告白Img_2483c しますが、小生、以前は、このお城公園と津偕楽公園との区別がしっかりとはついていませんでした。津偕楽公園の方は、昔は「御山荘山」といい、津藩第11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)公が、安政年間(1855~1860年)に別荘を営んだところでした(微笑)。
Img_2478c お城公園は、津城の跡。津城は、織田信包(信長の弟)が天正8(1580)Img_2518c 年に築城。その後、藤堂高虎が、四国伊予の今治から移封、 慶長16(1611)年に大規模な改修を行っています。高虎は、城や城下町の整備を行うとともに、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。 明治維新まで、津は32万石の城下町として栄えてきました。公園入り口の脇には、丑寅櫓が再建されています。本丸の東北隅に位置し、層塔型三重三階。戌亥櫓とともに城内で最大の櫓であったと考えられています。
Img_2494c それはさておき、この時点で13時10分を過ぎていましたので、まずは腹Img_2499c ごしらえ。藤堂高虎公の像がある広場のベンチで、千寿で買ってきた天むすを広げます(微笑)。天むすというと、名古屋名物というイメージがありますが、この千寿さんが発祥のお店。
Img_2503c 5個で650円なり。天むすは、海老の天ぷらを具にしたおにぎり。千寿はもともと天ぷら定食店で、1950年代にまかない料理として考案されたもの

Img_2508c

だそうです。初代水谷ヨネが忙しくて夫の昼食を作る暇がない折に、車えびの天ぷらを切っておむすびの中に入れたのがきっかけ。その後、味付などを試行錯誤し、常連客向けの裏メニューとして振舞うようになったといいます。好評を得たため、天むすは「千寿」の正式なメニューとなり、1959年(昭和34年)頃に天むす専門店となったといいます。
Img_2514c 腹ごしらえを済ませてから、お城公園を散策。入り口に戻り、丑寅櫓に登っImg_2527c てきました。
Img_2533c  階段を上っていくと、ちょっと恐ろしい感じImg_2529c もするのですが、石垣の上に出られます。左の写真は、北西の方を見たところ。右は、東の方。大きなビルは、百五銀行本部。百五銀行の向こうに国道23号線が通り、その向こうを午前中歩き回ってきたということです。
Img_2553c 本丸の跡と思いますが、立派な高虎の騎馬像があります。この像は、津Img_2556c 青年会議所創立35周年事業として発案され、市民の浄財によって、市制100周年の年である平成10(1998)年に建立されました。
Img_2541c お城公園の中を散策。北側には、聱牙土井先生詩碑があります。土井Img_2544c 聱牙(どいごうが;文化14(1817)~明治13(1880)年)は、江戸後期~明治時代の儒者。津藩儒医土井橘窓の次男。藩校有造館の助教・講官をつとめ、佐幕を主張。明治2(1869)年、督学。この市は、彼が40歳の時、「書生に示す」という題でつくったもの。七言絶句。たくさんの書物を読んだ人が聖人、賢人であり、それは、読書という後天的努力によって先天的素質を補うからである。それ故、朝夕、あなたの二つの目を十分に活用し、精神を集中して灯火に向かって、たくさんの書物を読破しなさいという意味。
Img_2549c
 西側へ行くと、「西鉄門虎口(にしくろがねもんこぐち)」の碑が。図面を見Img_2551c ると虎口の左側には伊賀櫓という二重櫓が建っていたようですが、今はその土台の石垣ごとありません。碑の脇から向こうは、右の写真のような眺め。
Img_2558c 南へ回ると、津市傷痍軍人会が昭和56(1981)年10月に建てた「平和の碑」がありました。戦争の悲惨さを身をもって体験したものとして、後生にこれを伝え、世界平和を願望するために建てたとあります。傷痍軍人 というのは、今ではほとんど歴史的用語になっていると思いますが、小生が子どもの頃など、お祭りに傷痍軍人の方が数名いらして、楽器を弾いたりしていたのを思い出します。ちなみに、日本傷痍軍人会は、法人化時(昭和30(1955)年)には35万人であった会員数が、平成25(2013)年には約5000人まで減少したため、この年の11月末をもって解散しています。平成も来年で終わりますが、昭和はまさに遠くなりにけりです。
Img_2574c お城公園から西に向かうところ。堀に花菖蒲園がありました。このさらにImg_2601c 西には、津市役所が堀端に立っています。
Img_2581c 花菖蒲園のある少し西には、本丸跡の日本庭園へ続く入り口がありまImg_2585c す。左の写真で突き当たりを右へ(東へ)曲がります。曲がった先の日本庭園入口には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存しています。文政3(1820)年、津藩10代藩主・なった藤堂高兌(たかさわ)公は、藩士やその子弟の教育機関として、有造館を創設しています。「入徳門」の名称は、「大学は諸学徳に入る門なり」ということばから来ているといいます。有造館は、明治4(1871)年には行こうになったものの、その後創設された小学校第一校、師範学校、津中学校などの正門として使われてきました。昭和46(1971)年、現在地に建てられています。
Img_2591c 左は日本庭園の一部。右は、旧・西の丸の門にあった津城跡の説明文。これがもImg_2583c っとも包括的で、よく分かりました。
Img_2594c この西の丸の跡のところには、左の写真のような小高い場所が残っていて、古い石段で登れます。櫓の跡かという気がしますが、確認できていません。こういうところを見ると、古くさい!といわれるでしょうが、三橋美智也「古城」という歌謡曲の歌詞が思い出されます。
Img_2631c お城公園を出て、高山神社に向かいました。藤堂高虎公を祀ります。津Img_2615c 発展の礎を築いた開祖として、「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」という法号で、「高山公」と通称されることに由来します。主祭神は、藤堂高虎霊。相殿神として、品陀別命大雀命大国主神八重事代主神大山祇命木花佐久夜毘賣命建速須佐之男命表筒之男命中筒之男命底筒之男命大物主命
Img_2620c 従来、津藩主藤堂家において藩祖藤堂和泉守高虎朝臣の霊を津城内に奉斎していたものを、明治維新の後、神社創建の議が起り、明治9(1876)年9月、神社創建となっています。明治10(1877)年8月、現在の津偕楽公園内に神祠を建立。明治34(1901)年12月、現在地に仮遷座。正式にここに移られたのは、明治36年4月。
Img_2608c 社務所の南にあった常夜灯。面白いことに、「古着屋仲間」が建立したとImg_2609c ありました。建立年は、風化などのためよく読めませんでしたが、「○○年乙丑」とあるようです。創建以降、「乙丑」の年は、大正14(19259年ですから、この年かと推測しています。
Img_2621c 境内にある「百度石」。碑陰には、「文久元辛酉年十二月吉展」とあるようでした。文久元年は、1861年。江戸も末の時期。ということは、神社の創建以前のものですから、どこか他にあったものなのでしょうか?
Img_2639c 境内には稲荷社もあります。この城山稲Img_2637c 荷神社は、もともと宇治山田町浦口に二八稲荷社として祀られていたもの。2月と8月の毎日、それ以外の2と8の日には地元町民よりも津市から御商工業者や、一般市民の参詣者が長蛇の列をなしたといいます。津市民の信仰が厚い現状に鑑み、明治44(1911)年、津市長から宇治山田町長(当時)へ懇請し、二八稲荷社をお社ごと、この高山神社へ移し、「城山稲荷神社」と改称し、津市の商工業は、産業育成の守護神としたと御由緒にあります。ちょっと驚くような話。百度石もこのときに来たのかと勝手に想像しています。
Img_2646c この城山稲荷神社は、お稲荷さん特有の赤い鳥居が続いた奥に鎮座しImg_2644c ておられます。ところが、稲荷社につきものであるはずの狐さんがいらっしゃいません。代わって、普通の神社にあるように、狛犬が赤鳥居脇に鎮座。ちょっと不思議な光景。
Img_2647c_2 鳥居のまわりを見回すと、裏側にこの左の写真のようなものがありましImg_2650c_2 た。それも一対になっています。水滴のようにも見えますが、それでは訳が分かりません。ネットで検索してみたら、こちらに言及されていましたが、どうやら宝珠の一種のようです。いやぁ、神社はワンダーランドとときどき書いていますが、本当にそうです。ちなみに狐様は、拝殿に祀られていました。
Img_2652c もう一つよく分からなくて、調べがついていないのは、こちら。城山稲荷神Img_2654c 社の西にもう一つ、赤鳥居の参道があり、その奥に2つのお社というか、祠というか。片や赤煉瓦造りで、中に小さな赤い鳥居。こちらもお稲荷さんに関係したものなのでしょうが、詳細は不明。社務所で尋ねればよかったと反省。
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 その他には、境内の一角に山の神様が集められていました。鳥居の奥に、「山の神(あるいは山神)」と刻まれた石碑が三体。ちなみにこの山の神様の脇からも、お城公園に続く道があります。さらに「針塚」も。針塚の方は、平成6(1994)年2月に日本和裁士会三重県支部が建てています。近鉄ハイキングで訪れた鈴鹿の江島若宮八幡神社にも針塚がありました。
Img_2668c 高山神社の余談。拝殿にあげられていた薦被りは、「高虎」というお酒でした。お酒の名前になるほど、津では高虎公が愛されているということでしょう。「高虎ドッグ」というのも有名。小生も2度ほど食べたことがありますが、種類も豊富で美味しくいただきました。ただし、大人気で、賑わっていますし、人気商品はすぐに売り切れご免。
Img_2677c さて、これで目的のところもすべて訪ね終え、高山神社から南へ。朝、津松菱百貨店に向かった道に戻って、1㎞半ほど歩いて津新町駅へ。9時50分にスタートし、津新町駅に戻ってきたのは、14時10分。4時間あまりかけて、8.8㎞を歩いてきました。案外たくさん歩いたのに自分でも少々驚き(苦笑)。14時13分に名古屋行き急行があったのですが、改札を通ったところで発車して、乗れずじまい。14時35分の名古屋行き急行で、桑名まで。桑名には15時22分着。片道¥750。
 4月23日に行ったのに、ここまで引っ張ってしまいました。4月28日には、近鉄ハイキングで「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」に行っていますし、昨日(5/12)にはさらに、近鉄ハイキングで“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”に参加しています。何を考えているのか、懲りないのか、どちらも本編を気長にお待ちください(笑)。
 なお、この“20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”の過去記事(予告編からその3)は、次の通りです:

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近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(懲りずに予告編か?)【一部訂正しました(5/22)】

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 JRさわやかウォーキングの“「朝市、三滝川慈善橋市場」と「四日市萬古まつり」を満喫しよう”と、近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ”とで若干迷ったものの、結局、近鉄ハイキングに参加してきました。どちらも萬古まつりがコースに含まれていたのですが、近鉄に軍配を揚げたのは、四日市港ポートビルに行けるからでした。冒頭の写真は、本日のスタートである、近鉄名古屋線・富田駅。桑名を9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。受付は9時40分開始予定が若干早め。到着時にはすでに100名以上が列をなしていました。
Img_3873c 左の写真は、今日のコースマップ。富田駅から、四日市港ポートビル、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くに20180512 は、ばんこの里会館萬古神社があります。ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅まで。約8㎞。右は、距離測βに描いた、実際に歩いたルート。約8.9㎞ありました。今日は、ほとんど寄り道はしていません。というよりも、ほとんど四日市港や、その周辺の緑地を歩きましたので、立ち寄るところがなかったのです(苦笑)。
Img_3880c 近鉄富田駅を9時40分にスタートし、東南へ。300mほど行ったところで、旧・東海道とクロスしまImg_3881c す。左の写真は、下り方面(南西)。右は、上り方向。旧・東海道のこのあたりは、昨年12月22日にも近鉄ハイキングで歩きました(近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))。
Img_3895c 800mほど歩くと、今度は国道1号線に出ます。しばし下り方向に歩き、富田浜元Img_3898c 町で脇道に入るのですが、そこに富田一本松がありました。「伊勢軍記」による永禄3(1560)年の茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた二代目の松だそうです。
Img_3905c 一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかの 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしImg_3903c ばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句碑に並んで、やはり山口誓子による「史跡 一本松の碑」が立っています。こちらは、昭和49(19749年9月、富田文化財保存会が建てたもので、碑陰には「碑の謂われ」が刻まれています。
Img_3917c 冨田一本松の先には、赤煉瓦の塀があります。網勘製網株式会社といImg_3920c う看板が掛かっていますが、現在の社名は、アミカン。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造をする会社。現在は製網事業意外にも進出しています。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。ここは瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区でモダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。
Img_3930c_2  富田浜の町を進み、Img_3938c 富田浜病院のある交差点を左折し、東へ。国道23号線を富田浜交差点で渡って、浜園緑地沿いの国道23号線を南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。
Img_3948c 霞大橋を渡ると、霞埠頭に入っていきます。これまでのコースのところどImg_3950c ころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
Img_3963c 四日市港ポートビルには、10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。今日のImg_3979c 近鉄ハイキング参加者は、無料入場券がもらえ、ラッキー(微笑)。このビルは、四日市港の開港100周年を記念して、平成11(1999)年8月5日に開館。14階建てですが、13~14階の間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは地上100mで三重県内で最も高いビルです。
Img_3983c 14階の展望展示室は、愛称「うみてらす14(フォーティーン)」。地上90mImg_3984c で、昼は鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せます。夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できるスポットです。今日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。右は、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見える、西側。写真の左端あたりが、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。
Img_3986c 左の写真は、南側の眺め。コンビナート地帯です。ここの夜景が素晴らしImg_3999c いのです。右の写真は、東側の眺め。伊勢湾の向こうには、細い筋のように、知多半島が見えています。セントレアも見えるはずなのですが、肉眼ではハッキリしませんでした。
Img_4002c そこでエイヤッとだいたいこの方角と思われる方向を、超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。
Img_4028c 北側の眺め。右上に見える高い煙突があるところは、中部電力川越火力発電所。霞埠頭の先(ガントリークレーンの左あたり)に橋が見えます。こImg_4013c の橋は、4月1日に開通したばかりの愛称「四日市・いなばポートライン」です。伊勢湾岸自動車道の「みえ川越IC」から9分で来られるといいます。
Img_4019c わが家から、この四日市港ポートビルのうみてらす14あたりが見えますImg_4290c ので、逆も可能と思って探しました。これまた肉眼ではよく分からなかったものの、写っていました(微笑)。左の写真の通りです。ちなみに、わが家のベランダからは、右の写真のようにポートビルが見えています。ポートビル脇の2本の煙突は、中部電力四日市火力発電所のもの。
Img_4045c 中央は展示室になっており、四日市港のジオラマがあります。また、周囲Img_4057c には、四日市港の歴史などの紹介がされています。右の写真は、稲葉三右衛門の港づくりを紹介したもの。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました(現在、旧港とよばれるエリア;ここも去年11月25日(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)と、今年3月23日(近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)と2回訪れています)。
Img_4082c 無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日のImg_4092c ハイキングの主要目標は達成してしまいました。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下します。左の写真は、霞ヶ浦緑地脇にある「ロングビーチ通」。
Img_4097c ここですごいものを発見(微笑)。他の参加者は、どなたも気づいておらImg_4098c れなかったと思います。これは、おそらく「環水平(かんすいへい)アーク」。太陽と同じ方向に現れ、水平の帯の形状をしています。大気光学現象の一種で、太陽の下46度の水平線上の薄雲に虹色の光の帯が見えるもの出そうで、たぶん条件を満たしていると思います。過去に2回、見ています(2013年4月23日:これも虹?……「環水平アーク」という珍しい虹でした、そして、市博物館の”五霊硯と酔李白図”展……テレビロケで写ったかも!?、2017年5月15日:「環水平アーク」再び……ムクドリのバトルと、ツバメの巣の巡回結果も
Img_4119c その後、ずっとひたすら歩きました。霞ヶ浦緑地には、運動施設がたくさImg_4125c ん集まっています。これら2枚の写真は、四日市ドーム。内部は、人工芝のアリーナと観客席。サッカーなどのスポーツの他、各種展示会、フリーマーケット、コンサートなどが行われます。家内はここで行われた小田和正のコンサートに行ったことがあります。
Img_4128c 野球場も2つあります。夏の甲子園の予選の一部もここで行われます。Img_4131c 今日も、アナウンスなどが聞こえていましたので、第一球場をちょっと覗いたら、少年野球の試合が行われていましたが、暑かったので、先を急ぎました。
Img_4134c 霞ヶ浦緑地公園の先には、海蔵川。ここにかかる橋が、霞ヶ浦パークブImg_4138c リッジ。ブロ友のひらいさんが冬にバードウォッチングに来られるところ。来シーズンからは、小生もと思います。今日は、コサギ1羽と、カルガモ2羽の姿がありました。
Img_4157c このあとしばらく、国道23号線の一本東の道を歩きます。中部電力四日Img_4161c 市火力発電所の脇に、こんな空き地が。マサカ、ケリや、コチドリはいないよなと思ったのですが、あるものですねぇ、そのマサカが(微笑)。コチドリの親子を発見。何やら動くものが見えたので、超望遠コンデジで撮影したら、写っていました。このあたりで出発から6.2㎞。時刻は、11時50分頃。
Img_4187c 暑い中を歩いてきましたので、汗も掻き、いささかお疲れ。国道23号線をImg_4193c 渡り、三滝公園へ。正面入口に噴水があるそうです。テニスコートがたくさんあって、スポーツも楽しめるようですが、そのまま前を通過し、北西へ。8㎞地点で、国道1号線・川原町交差点を渡ると、いよいよ萬古まつりの会場に到着します。
Img_4196c 今日、明日と萬古まつりが開催中。好天とあって、人出もかなりありまImg_4199c す。萬古焼は、今では、四日市の代表的な地場産業になっています。耐熱性の特長を活かした紫泥の急須や土鍋が有名で、とくに土鍋の国内シェアは、7~8割を占めるといわれます。また、豚の形の蚊遣器「蚊遣豚」も有名です。ただ、小生は買い物の予定は、残念ながらありません。
Img_4200c 露店などを見ながら、ばんこの里会館へ。萬古焼は、もともと桑名の豪Img_4263c沼波弄山(ぬなみろうざん)が、元文年間(1736~1740年)に朝明郡小向(あさけぐん おぶけ、現在の三重郡朝日町小向;当時は桑名藩領)で創始したものです。弄山が、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を押したのが、名前の由来です(弄山の時代の作品は、現代では古萬古と呼ばれます)。弄山の没後、一時途絶えたものの、天保年間(1830~1843年)に森有節(本名は与五左衛門)らによって再興されました(桑名萬古焼)。四日市萬古焼は、山中忠左衛門の尽力によって興り、阿倉川や末広に最初の窯が建ったといいます。ちなみに、今年は沼波弄山生誕300年です。
Img_4268c ばんこの里会館の正面には、萬古神社があります。昭和10(1935)年にImg_4213c 創設されています。主祭神は、埴安彦神(はにやすひこのかみ;土を司る神)、埴安姫神(はにやすひめのかみ;土器・陶器の女神)、罔象女神(みずはのめのかみ;水の神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。沼波寿山も合祀されています(沼波弄山命(ぬなみろうざんのみこと))。焼き物に関する御神徳があるとされます。
Img_4249c 境内にはいろいろな石碑などもあったのですが、まず目を引いたのは、Img_4261c こちらの灯籠。茶色をしています。陶器製に間違いありません。さすがというしかありません。また、右の写真にありますように、四日市萬古焼の礎となった山中忠左衛門(やまなかちゅうざえもん)を顕彰する碑もありました。山中忠左衛門は、幕末から明治の陶工。伊勢末永村(現在の四日市市)の人で、嘉永(1848~54年)の頃、森有節の万古製法をまねて急須などを製作し、その製品は新万古焼とよばれたといいます。碑は、昭和40(1965)年6月に建てられています。
Img_4212c さほど広くない境内は、イベントも行われていて大賑わい。いささか高齢Img_4247c のフラガールのダンスや、歌なども行われていて、なぜか小生もしばし見てしまいました(苦笑)。他にも句碑、石碑などがありましたが、今日のところは割愛。萬古神社についたのは、12時20分頃。露店では何も買いませんでしたが、ここで持参のコンビニおにぎりを1つ食べて、腹を満たしました。
Img_4272c ゴールの近鉄名古屋線・河原町駅。近鉄四日市駅から1駅名古屋方向。Img_4280c 12時40分到着。約8.9㎞。ホームの駅名表示板には、「萬古焼の郷」とあります。ウ~ム、もともと桑名発祥の萬古焼なのに、すっかりお株を奪われています。12時54分発の名古屋行き準急に乗車。桑名着は、13時11分。¥300。
Img_3875c あみま倶楽部のスタンプは、今日で11個目をゲット。今日は、お土産も、食レポもありません。それにしてもしかし、4月28日のの“20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」”どころか、4月23日の“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”も記事を書き終えていません。我ながら困ったもの(苦笑)。まぁ、慌てない慌てない(微笑)。
Dscn6951c それから、こちらも。うみてらす14のスタンプ。リーフレットの裏が台紙になっています。うみてらす14内の、各説明コーナーにありましたので、押してきました。あちこちの観光地や、お寺などにこういうスタンプがありますから、けっこうよく押してきます。ちなみにいつも行く九華公園にはこれがないですね。作ってもらいたいと思います。

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2018年5月11日 (金)

河口堰でコサギの漁、三ツ又池公園でカイツブリの巣とオオヨシキリ【注記あります(5/12)】

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 5月3日以来になりますが、長良川河口堰、三ツ又池公園などへ遠征してきました。弥富の野鳥園近くにあるサギ山にも行きたかったのですが、そちらは時間切れでまた今度ということにしました。8時20分に出発、九華公園の管理事務所に立ち寄って、河口堰到着は8時50分。
Img_3678c こちらは、長良川左岸(東)、堰の上流側の魚道。白い点々が4つ見えますが、すべてコサギ。中央やや右上にポールが見えます。いつもなら「アユのぼり」が掲げられているのに、今日は、上がっていません。忘れたのでしょうか?
Img_3669c コサギさん達は、いずれもエサ取り中。魚道ですから、魚が往き来しているImg_3676c はず。ですが、このときは、エサをゲットしているコサギはいませんでした。左のコサギさん、目元がピンクですから繁殖期のサイン。右のコサギは、普通の姿。それにしても、足の大きいこと。
Img_3683c 河口堰の管理橋を西へ。アオサギさんの姿はなし。魚道の上流側には、コImg_3686c サギの姿が3羽ほどありました。この西側には、揖斐川と長良川の中洲が広がっていて、オオヨシキリの鳴き声が聞こえてくるのですが、悲しいかな老眼では見つけられません(苦笑)。親水広場の入り口まで降りたところで、Uターン。
Img_1837c 再び左岸の上流側の魚道に戻ってきました。コサギにも漁の上手・下手がImg_1853c あるのでしょうか、管理橋に最も近いところにいたコサギさんは、まさに「入れ食い」状態(笑)。左は、2匹の小魚を一度にゲットしたところ。右は、別のコサギですが、まさにエサを飲み込む直前。
Img_1864c 左は、小魚の尾を咥えたところ。このあと上手に加え直し、徐々に嘴の先Img_1798c から奥へと移動させ、飲み込みます。ごまだらちょう右は、オマケ。ゴマダラチョウ。管理橋の上に止まっていて、あまり動きませんでした。
Img_1884c このあと、河口堰近くの某所へ。5/3にケリと、コチドリが抱卵しており、コImg_3708c アジサシを確認したところ。今日確認できたのは、ケリ1羽が抱卵していたのと、コチドリ2羽(巣にはいませんでした)。ヒバリ1羽。ケリは、じっと動きませんでしたので、卵があるのは確実と思います。
Img_1896c コチドリはなかなか見つからず、飛び出すのを見たのみで、写真は撮れませんでした。ヒバリさんは別々のところで、計2羽を目撃。先日は、コチドリが抱卵していたのに、今日は確認できませんでした。
Img_3735c このあと、弥富の三ツ又池公園へ。10時10分に到着。そろそろカイツブリImg_3716c が巣を作っているのではないか、また、オオヨシキリが見られないかと思ってです。ここは、芝桜の名所ですが、ほとんど終わっていました。
Img_1905c 歩き始めてすぐ、目の前をアオサギさんが通過していきました。これは幸Img_3720c 先がよいサイン、と勝手に決めて公園の周囲を時計回りに歩き始めます。あちこちから、カイツブリのさえずりが聞こえて来ます(リンク先で聞くことができます)。かなり遠くまでよく響きます。今日、見たカイツブリは合計17羽。
Img_3732c すでに巣を作り、巣に就いているカイツブリも見られました。卵があるのImg_3743c かどうかは、ちょっと確認できません。巣は6ヶ所。中には、すでに親が巣に就いているところに近寄っていき、追い払われているペアもありました。ここは、ご覧のように発泡スチロールが浮いており、カイツブリはそこに巣を作っています。発泡スチロールが足りないのかも知れません。
Img_3749c こんな貫禄のあるカイツブリの親も(笑)。「肝っ玉母さん」の雰囲気。抱Img_1958c 卵期間は20~25日といいます(Wikipediaの説明)。雛は泳げますので、孵化して約1週間で巣から出るようになります。また、去年のように雛が親の背中に乗っているところを見たいので、ときどきチェックに来なくてはなりません。
Img_3781c さて、オオヨシキリの鳴き声は、元花菖蒲園から聞こえて来ました(「元」Img_1922c というのは、ご覧のように花菖蒲は絶滅しているからです)。「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」とか、「ケケス ケケス カイカイシ」などと聞こえる大きな声です。どんな大きな鳥かと思いますが、全長は18.5cm。探すのに苦労します。ときどき、遊歩道の側の木に移動しています。元・花菖蒲園には3羽くらい、少し南の蓮田近くにも1羽がいました。
Img_1946c その蓮田の脇には、アオサギ。先程、ここに来たときに飛んできたアオサギかと思います。嘴の色を見ると、ピンク色はほとんどありません。もう繁殖期は終わった個体かと思います。
Img_3836c 中之島の西あたりの遊歩道脇にはモズが2羽。ちょっと距離があり、しかも逆光。よく分かりませんが、行動を見ていると向かって左が親、右は子どものように思いました。エサをねだっているように見えたのです【注記参照】。
Img_3846c 最後に中之島の南にあるカイツブリの巣と、カイツブリを確認して、本日Img_1958c_2 の遠征も11時を回って、終了時刻。最初に書きましたが、このあと弥富のサギ山もと思ったのですが、時間切れ。また改めて行くことにします。
Img_3681c 新しい授業のシラバス(授業計画など)は、作り終えて昨日送ったのですが、これから肝心の授業内容の準備をしなくてはなりません。ところが、明日は、四日市でJRさわやかウォーキング。“「朝市、三滝川慈善橋市場」と「四日市萬古まつり」を満喫しよう”と、近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ”とがあります。萬古焼はもともと桑名の沼波弄山が、当時は桑名藩領だった現在の三重郡朝日町小向で始めたものです。今ではすっかり四日市の地場産業となってしまっています。余談はともかく、萬古まつりは行ったことがありませんし、萬古神社もありますから。しかし、JR、近鉄、どちらに行きましょう? ポートビル、魅力的ですが、近鉄は約8㎞、JRは6.1㎞。明日の朝、エイヤッと決めましょう(微笑)。
【注記(5/12)】 2羽のモズは、求愛中ではないかというご指摘をいただきました。向かって左のメスに向けて、右のオスが求愛しているということです。確かに、右のモズは、子どもにしては大きい感じがします。この写真を撮った後、2羽とも飛び去ってしまいましたので、成り行きは未確認です。

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2018年5月10日 (木)

九華公園で花菖蒲一輪開花……スズメのヒナと、鳥の巣が落ちているのも発見

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 九華公園の花菖蒲園で、1輪咲いていました。「筑紫路」という品種です(肥Img_3623c 後系)。ここは、管理事務所から奥平屋敷跡へ行くところにある菖蒲園。つぼみも少しずつでてきてはいるものの、全体としては、生育はあまり芳しくないように見えます。
Img_3626c 左は、奥平屋敷跡にある鳥小屋の北側の菖蒲園。ここは、かなり青々としImg_3649c てはいるものの、つぼみはまだ見られません。右は、本丸跡南の菖蒲園。品種によるのか、場所によるのかよく分かりませんが、西側(奥)はまだよいものの東側(手前)は、貧弱な感じがします。今年の花菖蒲、どうなるのでしょう? 気になるところです。
Img_3619c 九華公園にはツツジが550本ほどあるといわれます。それらの季節は終わってしまいましたが、代わって、少数ながら、サツキが咲き始めています。ツツジほど気にしてみる人が少ない気がして、ちょっと残念。
Img_3603c さて、今日は、朝から北西の風が数m/sとけっこう強く、寒く感じます。空をImg_3641c 見ても、冬のような空で、多度山の方から雲が流れてきています。8時半過ぎから散歩。いつものように住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と6㎞。11時半過ぎに帰宅。九華公園にある鎮国守国神社で仙台宮司の奥様から、フキをたくさんいただきました。葉っぱも食べられ、葉の方が美味しいという方もあるそうで、葉っぱ付き。
Img_1647c 住吉入江あたりで、久しぶりにハクセキレイが登場。一時、姿を見なくなImg_1661c っていたのですが、戻ってきたようです。九華公園などでも見るようになっています。揖斐川沿いでは、ヒバリ1羽。ただし、ピンぼけ写真でした(苦笑)。代わりにムクドリ。
Img_1663c 九華公園は、相変わらず鳥の姿は少ないものの、公園内のあちこちでシImg_1700c ジュウカラを見ます。夏の鳥がもう少し来てくれると張り合いもあるのですが、これまでの実績からすると、通りがかりに立ち寄るくらいです。
Img_1719c ヒヨドリはほとんどおらず、スズメとドバトの天下(苦笑)。スズメも、近くまImg_1737c で寄ってきます。今日、よく見ていたら、スズメのヒナがすでにいました。まだ、数羽くらいしかいません。風が強くて寒いのか、冬のように、「ふくら雀」状態になっています。
Img_1740c あちこち追いかけたり、待ったりしてようやく2羽並んだところも撮ることがImg_1744c できました(微笑)。小雀の姿を見ていると、思わず「頑張れよ」と応援したくなります。
Img_1711c ところで、知り合いの、野鳥好きの女性から教えていただいたのですが、Img_3636c 本丸跡に鳥の巣ら敷物が落ちていました。昨日お気づきになったそうです。松の木から落ちてきたように思われます。直径10cmほど。このあたりの松の木にはカワラヒワがよく出入りしています。カワラヒワの巣は、主に針葉樹の枝上、枯草、細根、蔦などを使った椀状で、産座に獣毛、羽毛などを敷いてあり、外径約11×10cmといいます(大阪市立自然史博物館の実物日本鳥の巣図鑑)。条件にほぼ当てはまるようには思いますが、確信は持てません。
Img_1771c このあと京町へ。京町公園のところで、エナガを5羽ほど目撃。「こんなところで!?」と思ったのですが、移動の途中だったようで、南から来て北の方へ。
Img_1774c 京町から田町で、ツバメの巣チェック。左は呉服屋さん、右はマンションImg_1778c 駐車場の巣。どちらも最初に見たときは、留守で、しばらくたってもう一度見ると親が巣にいました。卵はあると思うのですが、一時的に留守にするというのは、けっこうよくある現象なのかも知れません。
Img_1788c 左は、田町の商店にある巣、右はその近くの空き家にある巣。いずれにImg_1785c も親がいました。ツバメの抱卵は、主にメスの仕事といいますが、今日の4枚の写真で見ると、いずれも尾が短いので、メスが巣にいるようです。抱卵日数は13~17日といいますから、もうしばらく。

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2018年5月 9日 (水)

江戸橋、4回目……ピンチヒッターでお仕事が増えます

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 雨を気にしましたが、出かける頃にはほぼ上がり、近鉄で四日市あたりからは晴れてきました。ホッと一息であります。江戸橋駅からは10分ほど歩いて行かねばならないからです(苦笑)。まったく我ながらどうかと思うのですが、雨降りですとテンションは今ひとつ。
Ts3v0121c 前回まで60人教室で58名というすし詰め状態でしたので、大きな教室に変更していただきました。しかし、連休明けのせいか、9名欠席(微笑)。パッと見て、「えっ? 少ないぞ」と思ったら、こういう状態でした。昨日書いた話に関して、授業前に学生部長さんが控え室を訪ねてこられ、丁寧に状況をお話しくださいました。正式決定に至る手続きはこれから進めていただきますが、今のところ今月23日からは、水曜の1・2限にもう1科目担当することになります。ということで、大わらわでシラバスをつくり、授業準備にも着手という次第です。新しい科目は、現職当時にも同じ名前のものを担当したことがありますが、当然、内容をバージョンアップしなくてはなりません。2コマ連続というのも、ずいぶん久しぶり。朝8時50分から授業というのも、けっこう大変という状況でウロウロしていますが(7時半頃の電車に乗るかと思案中)、これもまたお役目。微力を尽くすことにします。
Dscn6938c 今日は教室が変わったこともあり、授業前の準備に手間取ったり、ついつDscn6930c い詳しく説明したところがあったりして、予定のところまで進みませんでした(苦笑)。しかし、学生諸君はほぼきちんと聞いてくれています。終了後、学生が話しに来たり、後片付けに手間取ったりで、いつもより1本遅い電車。江戸橋駅前を歩いていたら、右の写真のお店、Kitchenにっこう亭の3階あたりに「学生のミカタ Hatena-Cafe」、「大学生・短大生専用無料カフェ 学生証ご提示でFREE」とあるのを発見。いやぁ、学生さん、いいですねぇ。ただし、利用するのかどうかは不明。愚息も学生時代、この駅を利用していた時期がありましたが、そういう話は聞いたことがありませんでした。
Dscn6942c 余談ばかりで恐縮(苦笑)。帰り、桑名駅のコンコースにこんな看板があDscn6943c りました。現在、駅前広場など工事中ですが、その概要が示されています。東西を結ぶ自由通路ができますし、それに伴い、JR、近鉄、養老鉄道の桑名駅は南に80m移動だそうです。近鉄桑名駅の西には、近鉄の保線、電気関係の建物があったのですが、それも移動工事をしています。平成32年度まで工事が行われ、駅が移転した後、33年度に現在の駅舎などが取り壊されるとありました。
Dscn6944c こちらに自由通路の、東西昇降部のイメージ画があります。今の駅舎や、昇降部はかなり年数がたっていますので、イメージも一新されます。三岐鉄道・北勢線の西桑名駅も移動すれば、乗り換えなどに便利なのにと思いますが、たぶん敷地が得られなかったのでしょうね。西桑名駅の移設は書かれていませんので、それはなしと思われます。
 さて、今週中にはシラバスを仕上げて送ろうと思います。講義に関連した推薦図書も選んで連絡しなければなりません。「遊んでばかりいてはいけません」ということなのでしょう(微笑)。

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2018年5月 8日 (火)

鎮国守国神社で猫の欠伸を撮影(笑)……鳥はいません

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 ブログのタイトルそのまま、「猫の欠伸」であります(笑)。撮影したのは、鎮Img_1602c 国守国神社の境内社の一つ、高竈(たかおかみ)神社のところ。たまたまこの黒猫さんがお社にいるところを撮ったら、欠伸してくれたという次第。ブログは「猫の欠伸研究室」ですが、別に猫の欠伸そのものについて、調べているわけではありません。ブログのタイトルの下に示しましたように、“チベット・ラサの僧侶曰く、「人の生涯は猫の欠伸のようなものだ」”という逸話にしたがっているだけです。
Img_1566c 午前中は雲は多かったものの、雨は降りませんでした.いつも通り、8時20分くらいから、住吉神社、九華公園、貝塚公園、春日神社、京町、寺町、田町、桑名七里の渡し公園と、7.5㎞を歩いてきました。昨日の分も、という気もあって少し長め(微笑)。
Img_1568c 揖斐川と長良川の中洲からは、オオヨシキリの鳴き声がよく聞こえてくるようになりました。もちろん、揖斐川の右岸からはまったく見えません。河口堰に行っても、なかなか見つけられません。町屋川や、三ツ又池公園に行くと見られることがあります。
Img_3559c 三の丸水門では、ヒバリ。今日はこの1羽。揚げ雲雀も見せてくれましたのImg_1577c で、オスと考えられます。ここへ来るまで、住吉入江にも、揖斐川にも、七里の渡し跡にも鳥の姿はありません。時期的にやむを得ないのですが、やはり張り合いはありませんねぇ。
Img_1583c 少し前にも描きましたが、今時分もっともよく見るのは、スズメ。雑食性の鳥ですが、今頃は虫などを捕まえて食べているところをよく見ますし、人の近くにも寄ってきます。写真は撮れませんでしたが、九華公園のベンチで休んでいたら、「エサをくれ!」といわんばかりに、小生の座っていたベンチに降りてきました。ちょっとビックリ。
Img_1594c スズメ、ドバト、ムクドリ、カラス、キジバト、カワラヒワ以外に九華公園で見たのは、シジュウカラ。数羽の群れで、あちこちにいました。エナガは、鳴き声はしていたものの、一瞬見ただけ。「エナガ団子」は、見られないままシーズンを終わるのかという気がしてきました。
Img_1632c 貝塚公園でも成果がなく、京町と田町でツバメの巣をチェック。卵があるImg_1610c と思われるところ4ヶ所を重点的に見てきました。左は、田町の商店にある巣。ここは、たいてい親が巣に就いています。この写真を撮った直後、交代していました。右は、京町のマンション駐車場。ここも常時、親がいます。
Img_1620c ところが、京町の呉服屋さんの巣は、ときどき留守になっています。今日も、最初に見たときは親はいませんでした。他を見てから、もう一度確認したら、戻ってきていました。卵があっても、巣を留守にすることがあるようです。田町近くのパン屋さんの向かいにある巣でも同様の現象を観察しています。
Img_3584c あまりにも鳥が少なく、話題もありませんので、閑話休題のようなお話。Img_3589c 寺町商店街、今日は三八市でしたので、けっこう賑わっていました。市がないと、休日でも閑散としています。右は、桑名七里の渡し公園。せせらぎに水がありません。公園の拡張工事に伴って、今日からせせらぎの水が流れなくなっているのです。鳥たちの水浴びを見るのは当分お預け(7月末までの予定)。
Img_3575c ところで、“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”の記事がその3で止まっていますし、4月28日に行ってきた“20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」”も予告編だけになっています。まだ正式には、決まっていないのですが、連休前から、江戸橋方面でお仕事が増えそうな雲行きとなり、急遽その準備を行っているのです。まさに「怠け者の節句働き」のような様相(ことわざ本来の意味からはずれて使っています)。
 明日は、その江戸橋方面で講義。4回目ですが、先週が、授業回数調整でお休みでしたので、調子を取り戻さなくてはなりません(笑)。

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2018年5月 7日 (月)

雨の今日、市民大学講座開講……「戊辰戦争150年、それぞれの戦い」

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 終日雨。気温もほぼ16℃くらいで、肌寒く感じます。午後3時過ぎには一時的にかなり降りました。時間雨量50mmに相当する雨が降るという警報メールが来たくらいです。
Dscn6918c さて、今日から市民大学講座・ゼミナール郷土史学科が中央公民館で開講。テーマは、「戊辰戦争150年、それぞれの戦い」です。世間的には、「明治150年」といわれていますが、旧・桑名藩は、戊辰戦争では、いわゆる朝敵とか、賊軍といわれる立場になってしまいましたので、個人的には素直に明治150年と喜ぶ気にはなれません(たいそうな思想的背景はありません。念のためにお断りしておきます)。会津、庄内など奥羽越列藩同盟に属した藩の方々なども同様ではないかと、勝手に推測しています(微笑)。
Dscn6920c それはともかく、今日から毎月第1月曜の午後は、市民大学講座に参加であります。今日は、鎖国から大政奉還までの概論のお話。幕府の力がいかなる経過や、状況の下で衰えていったか、その一方で朝廷の権威がどのように盛り返したかなどなど。ワーキングメモリーと、処理速度を精一杯使って勉強してきました。また、去年のように、ノートを整理しつつ復習するとともに、関連することがらについても調べようと思っています。そうそう、「ゼミナール」と銘打つだけに、早速、今日は宿題が出ております(苦笑)。

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2018年5月 6日 (日)

九華公園、キンクロさんは帰った模様、エナガのヒナは?

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 連休も最終日。いつも通り、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.5㎞の散歩。九華公園は、休日とは思えないくらい閑散としていました。鳥もいませんし、散歩の方もほとんどありません。ツツジは、場所によってはまだ花が残っていますが、ほぼ終盤。あと半月足らずで花菖蒲が咲き始めると思います。
Img_1507c 常駐のカルガモさんは、今日も奥平屋敷跡でご休憩。キンクロハジロは、昨日はいたという話を聞きましたが、今日は不在。さすがにもう帰っていったのでしょう。したがって、小生としては、最終的に確認したのは、5月4日ということになります。また近いうちに、今シーズンの九華公園でのカモ、ユリカモメの数のまとめをします。
Img_1516c 本丸跡でエナガが数羽。あちこち忙しく移動しながら餌をとっていましたが、Img_1529c どうもヒナではなさそうです。ヒナは、4月26日に見たものの(モフモフのエナガのヒナ!……ツバメも卵を産んだ様子、九華公園のツツジは満開)、「エナガ団子」も見たいと思っていたのですが、ちょっと難しいかも知れません。
Img_1535c エナガといえば、先日、鎮国守国神社の宮司さんの奥様に伺ったところ、鎮国さんの境内の森で、ヒナが落ちていることが何度かあったそうです。といことは、鎮守の森で巣を作っていたと思われます。Wikipediaの説明では、ヒナがきちんと育つ確率は低いようです。
Img_3538c さて、連休もオシマイ。今週からは、また、江戸橋方面の非常勤が始まります。授業回数の調整で、1回お休みになったのはよいのですが、調子が狂った感じあります(苦笑)。明日は、市民大学講座ゼミナール郷土史学科の第1回、開講式もあります。今年度は、第1月曜午後。天気は悪そうですが、張り切って出かけることにしましょう(4月19日:今日は、とある取材を受けました……余談は、今年も歴史講座受講できます)。

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2018年5月 5日 (土)

オシドリ発見、歴史散歩と高田本山専修寺へも……家内の実家へ(5/4、5)

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 5月4日午後から5日にかけて、家内の実家へ行っておりました。ゴールデンウィークですから一泊。山間にある温泉地です。すでにあちこちの水田では、ほとんど田植が終わっていました。自分の住まいにいるよりもゆったりとした時間が流れ、居心地のよいところです。
Img_3362c この2日間で最大のニュースは、こちら。オシドリのペアを見つけたことでImg_3370c す。5日午前中、散歩中に実家近くの川にいたのです。川の景色を写真に撮っていたら、向こうが驚いて飛び立って見つけられました(微笑)。実物は初めて。オスは本当にきれいですし、この質感やフォルムも美しい。
Img_3319c 実家のあたりには、ツバメがたくさん飛び交っています。実家前の道路の電Img_3322c 線や、引き込み線にもやって来ます。オスは盛んに「チュビチュビチュビチュルルルル」というようなさえずりを聞かせてくれます。
Img_3263c 実家の玄関先には、数年前のツバメの巣がそのまま残っています。ツバメたちは、この巣を何度も確認に来ているのですが、今のところまだここで子育てをするとは決めていない様子。義母は、何とかここで子育てをしてくれないかと願っています。
Img_3295c 夕方になると、実家近くにはホオジロのオスがやって来ます。電線や電柱Img_3347c の上でさえずっています。トビもよく見ます。超望遠コンデジしか持参しませんでしたので、飛んでいるところを撮るのは、なかなか難しい。このほか、ウグイスもよく鳴いていて、5日の朝は、ウグイスの鳴き声で目が覚めるという贅沢(微笑)。
Img_3326c 5日の午前中は、散歩。町内一周で、2.8㎞ほど。左は、地区(垣内(かいImg_3328c_2 と))の山の神様。庚申塚牛頭天王(インドの祇園精舎の守護神。除疫神)なども祀られています。鳥居に向かって右にある「御神」には、「文政六未十二月 花掛垣内」とありました。文政6年は、1823年。
Img_3396c 実家での散歩では、いつも氏神様の射山神社にお参りします。主祭神Img_3394c は、大名貴命と少名彦命。延喜式神名帳にも載っています。境内の裏手にある湯之瀬川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹八合目に御社殿が残っているそうです。この境内は拝殿御旅所とされていましたが、天正16(1588)年3月、現地に遷座されています。
Img_3429c この3月に涅槃図のご開帳を拝観した林性寺の近くにある、湯元誓願寺観音堂にも立ち寄って来ました。駐在所の正面にあります。湯元は地名のようです。一志郡内三拾三所第30番札所といいます。ご本尊は、十一面観世音菩薩ですが、この他に近くにあった十王堂から閻魔さまが、また湯治場にあった観音堂から33体の観音様と大所帯です。無住職で、地元自治会が管理しておられます。
Img_3448c 「不動さん」で親しまれている、古井谷(ふりだん)のお不動さま。この存Img_3450c 在は、以前から知っていたのですが、きちんと拝観してきたのは、初めて。常夜灯が側にあり、大日さん(大日如来)、山の神さんも境内に祀られているそうです。中央にいらっしゃる、石に刻まれたお像が不動明王様。このお不動さん、榊原にお城があったころからの不動堂で、縄張り図(お城の図面)にも記されているそうです。
Img_3519c 午後からは、一身田の高田本山専修寺へ。ここには義父のお骨が納めImg_3518c てありますので、義母と家内、娘でお参り。もう少し賑わっているかと思ったのですが、空いていました。ゆっくりとお参り。
Img_2982c ここで、家内の希望もあり、1月16日の「勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その1)一身田寺内町に入り、聖俗の結界を超えるまで」のリベンジ(微笑)。京林堂さんで、カレー焼その他をゲット(写真は、1月16日のもの)。お客さんは小生達夫婦のみ。焼置きはしないということで、20分待ちでした。
Img_3305c 昨晩(5/5)は、国道23号線の渋滞を避けようと、夜9時過ぎに出発。四日市に入るまでは順調でしたが、蔵町交差点あたりから大渋滞。途中で国道1号に抜け、11時を大幅に回って帰宅。この記事も、5/6に、5/5の日付で遡って投稿しました。

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2018年5月 4日 (金)

居残りキンクロは2羽、ツバメの抱卵は順調、カワラヒワの水浴び

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 金魚まつりも無事に終わり、九華公園も、鎮国守国神社も静かでした。人もImg_1460c 少なく、鳥も少なく、です(苦笑)。ただ、お客さんや、露天商の人が残したゴミがかなりあり、管理事務所の方や、清掃のシルバー人材センターの皆さんは大わらわ。思い出とともに、ゴミも持ち帰っていただきたいところです。
Img_3218c さて、今日も8時半過ぎから11時頃まで、いつも通り、住吉神社、九華公園、Img_1449c 京町、寺町、田町と6.1㎞。晴れてはいたものの、風がやや冷たく感じました。揖斐川あたりも鳥影は少なく、三の丸水門まで来てようやくヒバリが2羽。風が強いので、中洲からのオオヨシキリの鳴き声も聞こえてきません。
Img_1456c 九華公園では、ホシゴイが1羽。成鳥たちはコロニーに行っているのでしょImg_1468c う、たぶん留守番。スズメがあちこちに出て来て、エサ探し。もう卵を抱いているのではないかと思いますが、どうでしょう?
Img_1477c_2 九華公園のキンクロさん、相変わらずこのペア1組がいます。居残るつもりなのかどうかは分かりませんが、5月に入ってからもいるのは、珍しいことです。
Img_1481c ツバメの巣も巡回してきましたが、今年抱卵していると思われる4ヶ所は、Img_1492c そえぞれ親が巣に就いていて、無事のようです。左は、京町のマンション駐車場、右は田町の商店。このまま頑張って卵を温め、ヒナを育ててほしいものです。
Img_3239c 帰宅前に桑名七里の渡し公園にも立ち寄って来ました。スズメや、カワラImg_3253c ヒワが水浴びにやって来ます。散策する方や、犬の散歩、六華苑と諸戸氏庭園の往き来に使う人など、いつもより少し賑わっていました。午後からは、家内の実家へ出かけていきます。

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2018年5月 3日 (木)

長島町内プチ遠征と、金魚まつり……楽翁公百年祭記念宝物館一般公開も見てきました

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 雨は上がりましたが、曇天。午前中は蒸し暑い感じ、午後からは風が出て来ました。さてどうしようと思ったのですが、午前中は長島町内へプチ遠征。ブロ友のひらいさんが教えてくださったケリの巣、ヒナとコチドリの巣を確認に行ってきました。ついでに河口堰にも。午後からは、鎮国守国神社の金魚まつりを見てきました。金魚神輿の練り込みは、今まで見たことがありませんでしたので。冒頭の写真は、長島町内某所にて見つけたコアジサシ。ここにいたのは1羽だけ。去年は、弥富市内に広い営巣地があったものの、そこには建物が建ってしまい、コアジサシが今年どこに来るか、気になっています。
Img_1294c さて、長島で、まずはケリの巣を見に行ったところ、近くで飛んでいました。Img_3127c ここでは、ひらいさんの情報通りのところに巣がありました。しかし、少し近づいたところで、親は巣から離れてしまいました(右の写真)。
Img_1297c 左は、巣に就いていた親ケリ。100m以上離れていたのに、警戒されたのかImg_3130c も知れません。威嚇はしてきませんでしたが、水田のあぜ道の近くから、警戒の鳴き声が続きました。ちなみに、この近くにあったというコチドリの巣は、残念ながら、見つけられず。
Img_1325c コチドリの巣は見つかりませんでしたが、近くでは、コサギが飛んでいたり、Img_3149c アオサギが水田にいたりしました。長島の水田、恐るべし(微笑)。
Img_3150c さらには、水田にカルガモさんが1羽。浮いていられるほど水はないようImg_1331c な気もするのですが、このような姿。ケリの雛が3羽いたというあたりでは、ケリの巣だったと思われるものを見つけたものの、周囲を回ってもケリの姿はありませんでした。
Img_3158c  長島の別の場所へ移動。ここでは、ケリが合計2ペア。そのうち、1組のペImg_1343c アのうち1羽は、ずっとこのように座っていました。おそらく、ここが巣でしょう。すぐ近くには、別のケリ。この2羽がペアと思います。昨年も、この場所でケリの雛を撮影しています。
Img_1333c 数10m離れたところに、別のケリのペア。こちらは、左のケリが座っていImg_1339c たものの、近づいたら立ち上がりました。右は、もう1羽。こちらは、威嚇もしてきませんし、警戒音も発しませんでしたので、営巣はしていないと思います。
Img_3163c さらにここでは、コチドリの巣がありました。左の写真、超望遠コンデジでImg_1362c 撮りましたが、睨まれているようです(苦笑)。何をしたのかよく分かりませんが、右のようなシーンも見られました。ここでは、去年もコチドリの雛を見ていますから、今年も期待できそうです。
Img_3170c このあと、長良川河口堰へ。時間も11時に近かったので、期待しませんImg_3193c でしたが、予想通り(苦笑)。コサギを6羽ほど見ただけ。右のコサギさん、もう繁殖期を示すピンク色は呈していません。
Img_3197c 西側の魚道や、親水広場にカルガモ2羽。こちらの姿を見ると、魚道~親Img_3206c 水広場を移動します。まだ目元や足先がピンク色で、繁殖期のコサギもいました。
Img_3203c あまりにも鳥がいないので、アオスジアゲハと、(たぶん)モクズガ二。いImg_1405c ずれも、親水広場にて。遠くにトビも見えたものの、的真名写真にはなりませんでした。
Img_3213c 久しぶりにアクアプラザながらにも行ってきました。展示は変わりませんが、この訪問者数を確認(微笑)。今年初めが、900,000人でしたから、4ヶ月ほどでプラス2,400人となります。
Dscn6907c 午後からは、2時過ぎに九華公園、鎮国守国神社へ。金魚まつりをきちDscn6886c んと見たことがなかったので、金魚神輿の練り込みを見てこようという次第。これまで見たことがないほど賑わっていました。
Dscn6878c 金魚神輿の練り込みは、すでに13時40分から20分間格でスタートしていImg_1432c ました。こちらは、吉之丸の練り込み。小さな子ども達が元気よく金魚神輿を操っています。
Dscn6901c こちらは拝殿前の様子。鳥居の前で練り込みをしたあと、拝殿前で宮司Img_1438c さんからお祓いをしていただくようでした。神輿は、各町内それぞれに工夫されたものが出ていて楽しめます。右は、外堀町内の金色のらんちゅうを模したもの。
Dscn6902c 練り込みを見てから、せっかくの機会ですから、鎮国守国神社にある「楽翁公百年祭記念宝物館」の一般公開を拝観。¥300なり。ここは、昭和9(1934)年に建ち、昭和33(1958)年に改修されています。鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺で、国の登録有形文化財。松平定信(楽翁)公を顕彰する記念宝物館で、定信公に関わるもの、定綱公や、歴代桑名藩主に関わるもの(甲冑、書画)の他、定信公が発意し、編集出版された文化財目録である「集古十種」の版木、桑名藩の藩校立教館二課か悪者などが収蔵されています。一般公開は、金魚まつりにあわせ、年1回、5月2、3日のみ。

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2018年5月 2日 (水)

20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その3)……津観音から、蜂蜜まん本舗、千寿で天むすをゲットし、お城公園へ

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 勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」のそ20180423tsuwalk の3です。津観音の途中です。右のマップでは、中央やや右上、スタートの津新町駅からは5㎞ほどのところ。時刻は、ちょうどお昼を過ぎた頃。
Img_2352c こちらは、境内の西にある護摩堂。Weblioの説明では、元は寛永18(1641年)年に創建されました。津観音は、昭和20(1945)年7月28日の夜、アメリカ軍による空襲によって、市街建造物の大半と共に一夜にして灰になっています。観音堂は、昭和43(1968)年に再建。この護摩堂は、平成6(1994)に再建されています。
Img_2362c 護摩堂の北隣には、地蔵堂と、お地蔵様が数体いらっしゃいます。さらにImg_2363c その北には、三十三ヵ所の観音さん巡りと思いますが、設けられていました。北端には、「弘法大師降誕千二百年 昭和48年6月15日」と台座に刻まれた弘法大師像があります。ただ、よく確かめて来ませんでした。
Img_2328c 境内には、「東町 三社宮」も祀られています。東側にあります。御堂の傍らImg_2330c には、「火守神 猿田彦神社 秋葉神社 阿多古神社」という立て札があります。秋葉さんは火除けの神様ですが、猿田彦神は、道案内の神様。阿多古神社は、愛宕神社(あたごじんじゃ)と思われます。愛宕神社は火伏せ・防火に霊験のある神社。3社のうち2社が火除けの神様ですから、「火守社」でまぁ、いいか。「東町」というのは、町名変更(昭和45(1972)年5月))までは、「津市大字大門字東町」というのがあったようですから、それと関係があるかも知れません(こちら)。
Img_2336c 三社宮のすぐ北には、「小津安二郎記念碑」があります。小津安二郎(1903Img_2334c ~63)については説明の要はないと思いますが、映画監督で、旧制・宇治山田中学の卒業。なぜ小津の碑がここにあるかというと、母方は代々旧一志郡竹原村の名家で、祖母・津志が、この津観音の近くに嫁いでいます。小津は、若い日の10年間三重県で育ったのですが、津観音境内の映画館にもなじんだからという縁があったためです。碑は、平成27(2015)年3月に建てられています。裏には協賛者名が示されていました。
Img_2342c こちらは、「清雲院於奈津の方顕彰碑」です。於奈津の方は、徳川家康の側室。伊勢北畠家の旧臣であった長谷川藤直の娘。慶長2(1597)年に17歳で二条城の奥勤めとなり、当時56歳であった家康の側室となりました。家康没後は、落飾し清雲院と号します。晩年は、唯一生存している家康の側室として大事にされたそうです。伊勢国山田(現在の三重県伊勢市山田)に清雲院を創建しています。万治3(1660)年、死去。享年80。この碑は、於奈津の方の母方の子孫の方が昭和56(1981)年3月に建てたとありました。
Img_2367c 境内の北西隅には、津八幡宮御旅所がありました。御旅所(おたびしょ)は、神霊の渡御 (神幸) のとき、神霊を仮に安置するところ。津八幡宮は、津市藤方にあります。応神天皇を祭神とし、藤堂藩歴代の崇敬が厚かった神社です。津観音も、明治維新までは、藩主や将軍家から保護されていました。津まつりのとき、八幡宮のご神体がこられます。
Img_2384c こちらは、本坊ともいうべき蓬莱山大宝院。以前は六大院と称し、後花園天皇以来、歴代天皇の勅願寺。また、その第9世長尭上人は、尾張出身で豊臣秀吉の手習学問の師をつとめた人です。現在は、観音寺の寺務所として境内西側に位置し、芭蕉の句碑や什物を収めた収蔵庫などがあるのですが、ここは前を通過したのみでした。
Img_2382c 大門商店街そのものが、昭和の雰囲気たっぷりのところなのですが、津Img_2389c 観音の境内西側には、その典型といえるところがあります。一つは、大門駐車場。家内曰く、「昔のまんま」であります。もう一つは、大門シネマ。ただし、2009年7月20日に閉館。前身は東宝系の封切館だったようです。閉館していたのをある方が借り受けて営業していらしたようです。大門シネマと同じビルに入っている喫茶サンモリッツ(ここも歴史があるようです)は、営業していました。
Img_2396c ここから平治煎餅の本店前を通って、国道23号線へ。出たところのややImg_2401c 南には岡三証券津支店。津は岡三証券発祥の地で、大正12(1923)年の創業以来の歴史があるそうです。1階には三重テレビのスタジオもありますし、4階には神楽洞夢というプラネタリウムまであるのです。
Img_2404c 23号線を少しだけ南に行くと、蜂蜜まん本舗があります。蜂蜜まんじゅうで有名。津のソウルフードの一つといってもよいでしょう。水谷養蜂場ゆかりの初代が「蜂蜜をもっと身近に」との想いから生み出した名物饅頭。焼き立てをほおばると皮はパリッ、中のこしあんはアツアツ、そしてほんのり蜂蜜の風味が広がる。1個60円。10個入りをゲット。
Img_2407c 蜂蜜まんを勝手から、お昼御飯にしようと思った千寿の天むすを探してImg_2410c ウロウロ。記憶では、蜂蜜まん本舗のすぐ東にあったと思ったのですが、通りの筋が違っていました。千寿にたどり着く前に、稲荷社を発見。大門西の交差点から東に入ったところ。お参りする人はあるようですが、何やら異界に入っていくような、ちょっと怖い雰囲気。
Img_2413c 勇気を出して入っていくと、このようなお社がありました。灯りもともっていImg_2408c ますし、お参りする人もあって、それなりに世話がされているようでした。一の鳥居をくぐったところには、日露戦争(明治37(1904)年、二○三高地で残り少なくなったという砲弾があります。「二八榴砲弾」とあります(リンク先のWikipediaでは、二十八糎榴弾砲(にじゅうはちせんちりゅうだんほう)となっています。朱く塗られ、無造作に置いてある感じで、ちょっと驚きます。
Img_2417c 稲荷社を出て、少し、無事に千寿を見つけ、天むす5個セImg_2419c ットをテイクアウト。お店でも食べられますが、お城公園でお昼にするつもりでした。右の写真は、千寿の手前で電柱にあったもの。「千寿 めいふつ 天むす」とある脇に「5m先」とあって、笑いました。確かにそうでした。
Img_2427c 国道23号線にもどって、津センターパレスビル のところで、国道を横断。センターImg_2432c パレスには、市民活動センターや、公民館、ホールなど公共施設が入っていますし、隣には都ホテルがあります。センターパレスビルから、23号線を隔てたところにあるのは、三重会館。みずほ銀行、三重交通などが入る合同ビル。以前は、津中央郵便局も入っていたのですが、今は、隣に独立したビルになっています。昔、ここには「三重会館のメリーさん」と呼ばれる女性が、1階にバス待合所のベンチに、毎日、赤い服を着て一日中座っていたという伝説があります。三重会館が改修(平成12(2000)年)される前の話です。
Img_2426c ここ三重会館前の交差点の南西角には百五銀行の本部もあります。明治11(1878)年11月に第百五国立銀行として創業。明治30(1897)年、普通銀行に改組、百五銀行として発足しています。
Img_2435c 百五銀行本部の前には、谷川士清の像が立っています。丸の内商店街が歴史モニュメントとして設置したもの(こちら)。松菱百貨店前の松尾芭蕉像もその一つ。谷川士清は、本居宣長と並び称される、伊勢の生んだ二大国学者の一人。宝永6(1709)年、八町で町医を営む谷川義章の長男として生まれました。享保15(1730)年頃から約5年間京都に遊学し、医の宗家福井丹波守に学び医師免許を受け、享保20(1735)年8月、津に帰郷。
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 父の跡を継いで医者となり、医業のかたわら学問にもうちこみ、宝暦元(1751)年には日本書紀の注釈書「日本書紀通証」(全35巻)を完成させています。また、わが国最初の五十音順にならべられた国語辞典、「和訓栞」(全93巻)もまとめました。
Img_2451c またこの百五銀行本部のすぐ北には、旧・津城の石垣が保存されていまImg_2444c す。津城は天正8(1580)年頃、織田信長の弟・信包が築城。この場所は、津城内堀の北東隅にあたります。発掘調査でみつかったもののうち、もっとも状態のよい約5m分を解体し、移築、復元整備したものだそうです。
Img_2463c ここまで来ると、津城跡のお城公園までは、ほぼ100m。このお城公園もImg_2527c 一度は訪れてみたかったところ。地元の桑名城跡・九華公園は、櫓も石垣もほとんど何も残っていませんので、こういう石垣や、再建されたとはいえ、櫓があるところにはあこがれます。
 というところで、切りがよいので、本日はここまで。

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金魚まつりには無情の雨……鎮国守国神社に「桑名の100神社と郷土の文化財」という展示

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 朝9時にいつものS理容院さんで散髪。終わって雨が降っていなければ、そのまま散歩へというつもりで出かけました。散髪終了は10時。近くの田町にある商店のツバメの巣を見て、京町の巣から九華公園へと回りました。公園内を歩いて、さあ宝物館を見ようかと思った、10時半過ぎくらいから降り始めました。やむなく撤収(苦笑)。歩いたのは3.6㎞。
Img_3115c こちらは、鎮国守国神社の拝殿。氏子の方々がまだまつりの準備途中でしたが、無情の雨。明日にかけてよく降るという予報です。桑名では、金魚まつりで雨が降ると、多度まつりは晴れというように、どちらかで雨が降るといわれます。
Img_3100c 今日の露店の様子。昨日よりかなり増え、金魚屋さん1軒、金魚すくい2軒の他、串カツ、ボールすくいなどの店が出ていました。保育園の子ども達も保育士さんと見学。しかし、今日、S理容院の大将に伺ったところ、「自分たちが子どもの頃は、ここに2重に円を書くほど露店が出ていた」そうですから、隔世の感というところでしょう。
Img_3081c 公園に入るとき、三之丸町を通ったのですが、道路脇には、このような手製Img_3086c の行灯が並んでいました。イラストはオリジナルで一つ一つ異なっていますし、なかなかユーモラスなものも。灯街道のイベントもこれに習うところがあってもよいと思います。
Img_3120c このオブジェも三之丸町自治会のもの。雨に濡らしてしまうのは、もったいない気がするほどの力作。
Img_3103c ところで、鎮国守国神社の参道の両脇には、左の写真のような展示物がありました。「明治戊申-桑名藩士義勇150年祈念 桑名の100神社と郷土の文化財」というテーマです。こちらは、拝殿に向かって左側。
Img_3111c これは、拝殿に向かって右側の展示。「う~む、これはひょっとして、あのImg_8700c 『桑名の城跡・47』に対抗したものか、触発されたものか」と思って、写真を撮ってきました。鎮国守国神社の氏子総代の方とは知己を得ておりますし、この方は歴史案内人のお一人。今日は撤収してきましたので、お目にかかっておりませんが、これは、負けていられませんねぇ(微笑)。
Img_3109c 一部をご紹介します。左の写真は、「桑名市内の延喜式内社」というもImg_3114c_2 の。延喜式は、平安時代の法令集。延長5 (927) 年完成。この巻9、 10の神名式は、『延喜神名帳』ともいわれ、全国の神社が国郡ごとに連記されています。今の社名でいうと、多度大社、桑名宗社(春日神社)、野志里神社、北桑名神社、尾野神社、立坂神社など、桑名郡に15座あります。地区別の神社の一覧や、それに関わる文化財の説明もあります。右は、長島地区のもの。神社のリストの他、八幡社の獅子舞行事、長島三町石取祭が紹介されています。展示の説明にもありますが、神社は地域社会の文化拠点ともいえる存在です。
Img_3091c さて、九華公園のお堀。なぜか、キンクロハジロが5羽に増えていましたImg_3077c (笑)。オス2羽、メス3羽です。公式カウントを止めてから増えるとは、これ如何に。巡回しているツバメの巣、これまでに卵があると思われた4ヶ所は、きちんと親が巣に就いていました。

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2018年5月 1日 (火)

20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その2)……乱歩の墓のある浄明院、阿漕平治に関わる上宮寺、西来寺、大門商店街から津観音

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 “勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”、20180423tsuwalk ゆるりと進んでおります(苦笑)。その1では、松菱百貨店から藤堂家墓所の寒松院を見て、フェニックス通りまで来ました。まだまだ序の口。先行き不透明ではありますが、なるべく余分な話は割愛しつつ進めましょう。
Img_2113c 出発から3㎞、フェニックス通り沿いに浄明院(じょうみょういん)があります。Img_2115c 津藩・3代藩主・藤堂高久が藤堂家の菩提所としました。入り口から東には、右の写真のように、祠がいくつも建っています。四国八十八ヶ所をこれで再現していたと思われますが、必ずしも良好な状態ではありませんでした。
Img_2131c 「三重県の歴史散歩」で紹介されていたのは、この花崗岩でできた「石造Img_2135c 篋印塔(ほうきょういんとう)」です(県文化財)。宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔だそうです。笠の四隅に「角(つの)」と呼ばれる突起があり、屋根に何段かの造り出しがあるのが特徴といいます。基壇には「文保2(1318)年」の銘文が刻まれ、鎌倉時代の作です。
Img_2121c 浄明院の鐘は、第2代津藩主・藤堂高次公が江戸で造った寺にあったものを、第3代藩主・高久公が貞享元(1684)年、ここに移したものとされます。作者は、江戸初期に活躍した津の鋳物師・辻越後守陳種(のぶたね)。銘文には慶安2(1649)年鋳造とありますが、他の資料から考え合わせると、貞享元(1684)~2(1685)年頃の作と思われるということです。
 ちなみに、津城下では鋳物師・辻家が発展していますが、これには初代・高虎公が、「方広寺鐘銘事件」に関わって幕府から罪人扱いされていた初代越後守家種を津城下に住まわせて守ったことに始まります。有力者が寺院に寄進する、仏像や梵鐘、燈籠などの銅製品の注文は代々の辻氏が請け負ったことから、津城下には江戸初期の辻一族の作品がいっぱいあるのです。このあと訪ねた津観音の銅製の燈籠もそうですし、1月に行った高田本山専修寺にも灯籠などがあります。
Img_2222c 浄明院墓地には、探偵小説で有名な江戸川乱歩が建てた平池祖先代々の墓があります。江戸川乱歩は、現在の三重県名張市生まれ。本名は、平井太郎。乱歩の祖先は、津藩士で、ここが菩提寺。この墓は、乱歩が昭和26(1951)年に建てました。ここには、乱歩の骨も分骨されているといいます。実は、最初に浄明院に行ったときには、見忘れ(というか、墓所そのものを見なかったのです)、西来寺で思い出し、戻りました(苦笑)。
Img_2212c もう一つ、ここ浄明院は、津藩の歴代藩主の生母が眠っています。「浄明院」は、津藩第3代藩主・藤堂高久の母(多羅尾光誠の娘)の甥・拙堂和尚のために延宝8(1680)年、創建された寺です。高久公の母の死後、その法号浄明院を寺号としています。
Img_2145c 「三重県の歴史散歩」の記述に従い、浄明院からフェニックス通りを西へ。西来寺というお寺に向かったのですが、津フェニックスビルのある交差点を右折(北へ)したところで、この看板を発見。浄土真宗高田派・上宮寺(じょうぐうじ)なのですが「あこぎ平治の寺」と書いてあるではありませんか! 「阿漕平治(あこぎへいじ)」といえば、津の伝説。「阿漕な」ということばの語源でもあり、津名物「平治煎餅」にもその名が残っています。これは見逃してはならじと、戻って拝観。
Img_2140c こちらが上宮寺の山門(というか、門)。浄土真宗高田派のお寺で、山号Img_2147c は太楽山。縁起によれば、推古天皇の時代に朝廷の許しを得て創建され、聖徳太子が紫雲寺と命名、後に舒明天皇から上宮寺の号を賜ったとあります。これが事実であれば、東大寺や唐招提寺より古い、飛鳥時代からあったお寺となります。これによって、「津市最古のお寺」とされています。
Img_2175c あまり知られていない気がしますが、毎年8月16日には、ご住職が旧知の境内・阿漕塚に出歩して、読経念仏をしていらっしゃるといいます。禁漁区の阿漕裏で漁をしたため、平治は死罪になったのですが、その霊は成仏できず、海をさまよっていたそうです。当時の西信律師(さいしんりっし)はお経を書いた石を海に沈めて、平治の霊を成仏させ、塚(阿漕塚)を築いて、平治を弔いました。
Img_2153c もう一つは、江戸初期の僧・清韓のお墓があります。清韓(文英清韓)はImg_2157c 伊勢国三宅(鈴鹿市)の生まれ、臨済宗の僧。豊臣秀吉の庇護を受けて、慶長5(1600)年東福寺の第227世となり、同9(1604)年には南禅寺(世代不明)に昇住しています。同19(1614)年、豊臣秀頼に請われて方広寺の鐘銘を書したのですが、これが史上有名な「国家安康」の銘文なのです。徳川方の怒りを買い、大坂の陣を引き起こす原因となったとされています。
Img_2151c 「伊勢の海阿漕が浦に引く網もたび重なれば人もこそ知れ」という古歌の歌碑もありました。これも、阿漕平治に関わるもの。裏を見てくるのを忘れました m(_ _)m 謡曲にも「阿漕」というものがあります。世阿弥作と伝わりますから、室町時代前期のもの。そうだとすれば、阿漕平治の話は相当古い。謡曲は、旅僧が、阿漕ヶ浦で密漁をして海に沈められた漁師の霊から懺悔物語を聞くというストーリーだそうです。
Img_2182c 続いて、すぐ北隣の西来寺(せいらいじ)へ。ここは、天台真盛宗別格本Img_2201c 山。天台真盛宗、小生はよく知りませんでしたが、宗祖は室町時代中期の天台僧・真盛上人(1443~95)、総本山は大津市坂本(比叡山・横川の麓)にある西教寺です。西来寺は宗祖真盛上人が伊勢の地に来られ、安濃津で初めてご説法なされ、不断念仏道場が建立されたのを開基としています。延徳2(1490)年4月のことです。
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 別格本山ということで、慶大にはいくつもの塔頭があります。こちらは、元三大師堂元三大師は、平安中期の天台宗の僧、良源。比叡山第17代の座主で、比叡山中興の祖。寛和元(985)年正月3日に没したのでこのように呼ばれます。
Img_2233c 西来寺で、「三重県の歴史散歩」のコピーを見直して、浄明院の墓地や、Img_2239c 江戸川乱歩の墓を見忘れたのに気づき、引き返して確認してきました。その後、またフェニックス通りを経て、いよいよ大門商店街へ。三重県在住39年にして初訪問でした。津観音(恵日山観音寺、日本三大観音の一つ)を中心に発達した商店街と飲食店街とが複合した地域。以前は、津を代表する繁華街でしたが、アクセスの不便さなどによって、最近は衰退しているといわざるを得ません。訪れたのは月曜で、定休日という店も多くて、閑散としていました。
Img_2256c 大門商店街を北へ向かうと、津観音に行き当たります(恵日山観音寺)。

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本尊は聖観音菩薩。日本三大観音の一つとされます(ちなみに他の2つは、浅草観音、大須観音)。ここも以前から、来てみたかったところ。真言宗の古刹。和銅2(709)年の建立とされ、室町時代の永享2(1430)年に、将軍足利義教が勅命を奉じ境内に三重塔や恵音院を建立したり、延徳2年(1490)には天台真盛宗の開祖、真盛上人が山内不動院に滞在し、観音堂に於いて説法され天台真盛宗を広められたといいます。
Img_2263c 仁王門には、当然お二人の仁王様。仏教護持の神像。忿怒の相で、一Img_2270c_2 体は口を開き、一体は口を閉じ両者で「阿吽(あうん)」の相をなしています。本来は、金剛力士とするものなど諸説があります。左の写真は、商店街から向かって左、阿吽の「吽」。右の写真は、仁王門の境内側におわす狛犬。これも向かって左のもの。
Img_2267c 仁王門の中央には、「撫で石」がありました。四国八十八ヶ所の中でもっとも難所と言われる第六十番札所「横峰寺」からもたらされたもの。石を撫でた手で、身体の悪いところをこすると、よくなると伝えられています。「口が悪い」のも直るのでしょうか(苦笑)?
Img_2286c 正面参道の中央には、銅燈籠が1基あります。これは、浄明院の鐘と同じく、津の鋳物師であった辻一族がつくったもの。初代・家種の二人の息子、重種・吉種の作。銘文によれば、寛永5(1628)年のもの。写真を撮り忘れたのですが、ここの銅鐘も、辻家種、重種、吉種の作です。銅鐘の方は、元和3(1617)年のもの。
Img_2292c こちらが観音堂。階段の左右には、抜苦与楽(ばっくよらく)地蔵が対になっておられます。抜苦与楽とは仏・菩薩が衆生を苦しみから救い、福楽を与えるという意味です。真の楽を得るためには、まず苦を抜くという考えを元にしています。慈悲に相当する言葉で、抜苦とは悲に、また、与楽とは慈に相当します。
Img_2303c 観音堂の内部。天井には、右の写真のような彩色画が描かれていましImg_2315c た。ご本尊でもある観音様でしょうか、秘仏とされる阿弥陀様でしょうか? 小生の知識では判別不能。
Img_2346c 左は、丈六地蔵尊。ひときわ大きなお地蔵様。丈六というのは、調べてImg_2355c みたら、仏像の像高の規準の1つで、立像の高さが1丈6尺(約4.8メートル)ある仏像のことだそうです。座像の場合は、立てば丈六ということで、半分の8尺(訳2.4メートル)の像を丈六像と呼びます。独り言ですが、知らないこと、多々あります。右は、五重塔。三重県下初の純木造五重塔で、平成13(2001)年5月に落慶。内部は、Googleのインドアビューで見られます(https://goo.gl/maps/B1FqHJqmDuB2)。見てみたら、内部の荘厳は素晴らしいの一言。
Img_2290c 津観音の境内では、ちょうど桐の花が咲いていました。桐の花は初めてで、現地ではなんだか分からず、帰って調べて、判明。
 津観音の主なところは見てきましたが、このほか、小津安二郎の碑などまだまだあります。今日のところは、タイムアップ。その3へ続きます。

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散歩というより、おしゃべりに行ってきました(微笑)……明日から金魚まつり

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 天気予報では最高気温29℃という予報でしたが、15時までのところでは、26.6℃です。しかし、午前中からけっこう暑く感じていました。散歩で出会う人は皆、「暑くなるぞ」とか「今日は暑い」とおっしゃいます。いつも通り、8時半から住吉神社、九華公園と出かけたのですが、11時半まで九華公園に滞在(苦笑)。時間切れとなって、そのまま引き返してきました。歩いたのは、3.8㎞にとどまっています。珍しい野鳥がいたということではありません。鎮国守国神社でお茶をご相伴に預かり、大奥様とついつい話し込んでしまったというのが、真相(苦笑)。明日からの金魚まつりの準備の休憩にお邪魔してしまったのです。
Img_3058c その金魚まつりは、鎮国守国神社の例祭で、この日近郷の金魚屋がそれぞれ自慢の金魚を持ち寄り、境内いっぱいに店を出して参拝者を楽しませたといいます。散歩友達の皆さんが、子どもの頃は、境内一杯に金魚屋や露店が出るだけでなく、公園の西の三之丸町内あたりにも店があふれていたといいます。最近は、店は激減してしまっています。今日の様子は、この写真の通り、寂しい気がします。ちなみにリンク先には、「境内には金魚の露店をはじめ多くの店が所狭しと並び……」とありますが、これは昔のお話。
Img_3026c 氏子の皆さんは、各町ごとに金魚みこしを担いで、神社に練り込みます(左Img_3061c の写真に今年の練り込み順があります。4/30に撮影)。と書いていますが、その様子はまだ見たことがありません(苦笑)。けっこう、天候が悪かったり、都合があったりするのです。今年は、芳しくない予報ですが、金魚まつり期間に限って、楽翁公百年祭記念宝物館が一般公開されますので、これには出かけたいと思っています。この宝物館は、4年前に一度見ています(2013年5月2日:
79d7e135 ちなみに、こちらは、3年前(2015年)の金魚まつりのとき(15/05/03)に撮った金魚神輿の一つ(記事は、こちら)。鎮国守国神社の本来の例祭は、5月13日と伺っています。この日には、茶道松尾流の献茶式があります。
Img_3057c ところで、カレンダー上、今日は平日ということもあってか、九華公園は静か。年配の方や、小さなお子さんを連れた方が三々五々歩いていらっしゃるくらい。帰り際にはあちこちで弁当を開いている方の姿もありましたが、残念ながら、つつじは盛りを過ぎています。
Img_1274c 野鳥はいないと思って出かけたのですが、こういう日に限って期待は裏Img_1260c 切られませんでした(笑)。たまにはということで、常駐のカルガモさん達。奥平屋敷跡の木陰でお休み中。他には、シジュウカラ。キンクロハジロは、昨日と同じく2羽がまだ滞在。
Img_1286c 七里の渡し跡には、オオバンが3羽。今頃までいるのは、珍しいことでImg_3046c す。そして、三の丸水門近くの揖斐川の堤防では、ヒバリが2羽。ここ2~3日姿を見ませんでしたが、まだいるようです。ただ、草が伸びてきたので、見つけにくいだけなのかも知れません。
Img_8700c 今日もたくさんの知人と出会ったのですが、久しぶりにこの「桑名の城跡・47」パネルを作ってくださったOさんにも遭遇。次のパネルについて相談しているのですが、桑名市内の東海道の案内でもという話が出ています。マイブックスに載せた「ちゃんと歩ける東海道五十三次:西袋井宿~京三条大橋」という本も出ていますし。

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