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2018年5月26日 (土)

20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編)

20180526jrc  またもや“20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ”の記事が終わっていないにもかかわらず、JRさわやかウォーキングへいってきてしまいました。「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」であります。松阪、行きたかったのです。松阪城跡と御城番屋敷を見たいと思って、出かけてきました。松阪撫子も、どんな花か興味がありました。コースマップでは、約7.4㎞となっていました。

Img_3448c  JRさわやかウォーキングなのに、どういうわけか近鉄の乗車券を買っています(苦笑)。JRの方にはナイショです。その理由は、近鉄で行けば¥940のところ、JRですと¥1,180するからです。近鉄急行では1時間10分ほど、JR東海の快速みえでは約50分と時間的には許容範囲。桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。松阪駅到着は、10時10分。
Img_4037c スタートは、JR松阪駅。JRの駅は西口側。8時半から受付なので、空いてい180526jrmatsusaka ました。駅前ロータリー公園には、国学者本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(七種鈴)」の一つである「驛鈴」と呼ばれるものを模ったオブジェがあります。10時15分にスタート。右のようなコースを歩いてきました。9.4㎞ほど。
Img_3473c 最初の立ち寄り先は、小津安二郎青春館。小津安二郎監督は、東京で生まれた後、9歳で松阪に住まいを移し、青春時代の約10年間を過ごしました。監督作品や永遠のテーマとなった「家族愛」などは、松阪での生活や体験と切り離せないものがあるとされています。この博物館は、青春真っただ中の小津青年にスポットをあて、その青春時代を彷彿させる品物や関係写真などで当時を再現するとともに、代表作品や関連資料を展示しています。
Img_3490c 次の立ち寄り先のなでしこ館(夢休庵)で、松阪撫子を見られました。ちょImg_3496c うど今日は、第12回松阪撫子どんな花?祭り開催中。松阪撫子は、松阪三珍花の一つ(他は、松阪花菖蒲、松阪菊)。江戸時代の武士が撫子を栽培中、花弁が深く切れ、垂れ下がったものを見つけ、改良したもの。第119代光格天皇もたいそう愛でられたとか。
Img_3543c こちらは、原田二郎旧宅。原田二郎は、紀州藩松坂領のImg_3558c 町奉行所の同心の家に生まれました。21歳のとき京都に上がり、更に23歳のとき、東京に出て英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。その時得た莫大な退職金、全財産をすべてつぎこみ、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました。
Img_3573c 次は、いよいよ御城番屋敷。今日ももっとも見たかったところ。このたたImg_3581c ずまいを歩いてみたかったのです。江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家屋敷です。このような組屋敷は全国でも大変珍しい上に、今も多くの人々がここで暮しているのです。西棟北端の一軒は内部を公開しています。
Img_3610c 御城番屋敷のすぐ西は、松阪城跡。ここも訪れたかったところ。石垣のImg_3619c 上から松阪の町や、御城番屋敷などを眺めたかったのです。が、その前にコース設定は、本居宣長記念館。記念館に行く途中、石垣のところに「捨て石」がよく分かるところがありました。捨て石をきちんと見たのは初めて。右の写真で、石垣の下、手前に敷かれているのがその捨て石。
Img_3631c 本居宣長記念館。公益財団法人鈴屋遺蹟保存会が運営管理する登録博物館で、江戸時代の国学者・本居宣長の旧宅「鈴屋」を管理して公開し、展示室では『古事記伝』などの自筆稿本類や遺品、自画像などを公開しています。
Img_3648c 本居宣長の旧宅「鈴屋」。宣長12歳から72歳で没するまで60年間にわたって暮らした家です。建物は元禄4(1691)年に松阪職人町に建てられた後、魚町に移築されました(魚町は、当時、宣長がいたところ)明治42(1909)年、保存のために松阪城跡の現在地に移築され、宣長当時の姿に復元し、公開しています。この建物の二階の書斎が「鈴屋」と呼ばれています。
Img_3700c 宣長の旧宅から松阪城跡へ。御城番屋敷を眺めます。いい眺め。これがImg_3762c 見えるところのベンチがあいていたので、ここで昼食。いい気分(微笑)。昼食休憩のあと、城跡を散策。本丸跡にある天守閣跡にも登ってきました。天正16(1588)年に蒲生氏郷によって築城されました。建造物はなく、豪荘な石垣が残るのみです。
Img_3777c 天正18(1590)年、氏郷が小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て若松城に移りました。その後、藩主の入れ替わりが何度かあり、元和5(1619)年、紀州藩の藩領となっています。松阪城はこのあたりを統括する城として城代が置かれました。天守は、正保元(1644)年に台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残ることとなっています。寛政6(1794)年、二の丸に紀州藩陣屋が建てられ、以後、紀州藩領として明治維新を迎えました。
Img_3795c 続いて、鈴の森公園へ。ここは、カネボウ綿糸工場の跡地。平成Img_3800c 5(1993)年に工場は閉鎖されました。そこを利用してつくられた公園。大正12(1923)年建築の赤レンガの綿糸倉庫を活用したギャラリーがあります。また、宝塚古墳から出土した船形埴輪を常設展示している文化財センター「はにわ館」もあります。ちなみに、鈴の森公園にある池では、チョウトンボが見られるという掲示がありました。
Img_3819c 阪内川沿いを歩いて、次の目的地である旧長谷川邸へ向かう途中、松阪肉で有名な、牛銀本店の前を通ります。創業明治35(1902)年。すき焼きなど、松阪肉の料理が食べられます。今の小生にとっては、縁遠い店ですので、写真を撮って通過(微笑)。
Img_3844c 旧長谷川邸。魚町通(参宮海道)にあるこの邸宅は、三井家・小津家となImg_3880c らぶ松阪商人を代表する江戸店持ちの商家、長谷川家の旧宅です。今まで知りませんでしたが、まさに豪商の邸宅。格子、霧よけ、妻入りの蔵、そしてうだつの上がった屋根など、落ちついたたたずまいの中に、当時の松阪商人の隆盛ぶりがうかがえました。右は、庭園。
Img_3892c 松阪もめん手織りセンターを見て、豪商ポケットパーク。三越にあるライImg_3899c オン像がありました。ここは、イベントなども行われるようです。他のあちこちにもありましたが、ここの松阪撫子、一段ときれいな感じでした。
Img_3912c 松阪商人の館へ行く途中に「三井家発祥の地」があります。豪商三井家Img_3905c の創業の祖は3代高利(たかとし)(1622~94)です。ここには白粉町来迎寺より移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑などがあるそうです(非公開)。また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があり、発祥の地の記念碑も建つといいます。三井家は、松阪本町から、やがて「江戸店持京商人(えどだなもちきょうあきんど)」となって天下に飛躍していきました。
Img_3919c こちらは、松阪商人の館。江戸で紙や木綿を手びろく商いしていた豪商、Img_3925c 小津清左衛門の邸宅です。格子と矢来のある概観は質素なのですが、内部は意外なほど広く、2つの土蔵も残っています。
Img_3968c
最後のスポットは、岡寺山継松寺。聖武天皇の勅願によって創建され、天Img_3980c_2 平15(743)年に行基菩薩が建てたと伝わる、日本最初の厄除観音の霊場です。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院といいます。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。3月の初午大祭が有名。ここも以前から一度は訪れてみたかったお寺です。
Img_4022c 継松寺から出て来たら、こちらの立派な建物が見えました。あの有名なImg_4017c 和田金です。説明するまでもないくらい有名な松阪肉寿き焼のお店。今も昔もまったく縁がありません(苦笑)。いつぞや、ここのお肉をいただいたことがあったような記憶もありますが、気のせいかも知れません。
Img_4039c 蒸し暑い中歩き回って、ゴールの松阪駅についたのは、14時25分。14時54分の、これまた近鉄急行名古屋行きに乗車して帰宅。桑名駅着は、16時2分。
Img_4041c_2 今までのJRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングの中でもっとも疲れた気がします。これからの蒸し暑い季節、歩き方を考えるなりしないといけません。松阪は、10数年ぶり。この前来たときは、家内の父親が入院した見舞いに来たとき。それ以前、仕事で家庭訪問や、障害のあるお子さんの親の会の仕事できたのは、30年かそれ以上前。ほとんど初めて訪れたも同様です。具体的な記事は、また、“20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ”が終わってからボチボチと書きましょう。

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コメント

おユキさん、おはようございます。

昨日の日曜日、岐阜へ行く用事があったので迷ったのですが、御城番屋敷、松阪城跡、岡寺山継松寺を尋ねたくて出かけました(微笑)。

小津安二郎作品は、BSなどで東京物語他いくつか見たことがあります。
なかなか面白く見られました。
映画のことはよく分かりませんが、小津さんの作品の特徴は独自の映像世界、映像美にあるといわれるようです。

松阪撫子は、私にはパッと見た印象では「これが撫子?」と思えました。
いずれもプランターなどでつくられていたのですが、たくさん咲いているとまた違った印象があるかも知れません。
それと、遠くから見るよりも、近づいて見た方が良い感じだという気がします。

御城番屋敷、明治維新後に、士族授産で得た資産を元手に住民士族が合資会社苗秀社を設立し、以来建物の維持管理にあたってきているそうです。
景観維持の配慮や、修復工事も行われています。
生け垣は、槙の木でした。

松阪は、おっしゃるとおり、豪商の町です。
尋ねた中では、旧長谷川邸などは屋敷も、庭園も広い上につくりも素晴らしいものがありました。
梶井基次郎も療養で姉のところを訪れ、しばらく滞在し、小説を書いています。
文化的にも優れたところですよ。

Myは、とうとう(微笑)刊行され、身近な人たち(家内の友人も含め)から「見た」という連絡が来たりしています(微笑)。
次のパネルは、管理人Oさんの相談役として準備中です。

投稿: mamekichi | 2018年5月28日 (月) 05時28分

mamekichi先生、こんばんは。

やはり、というかなんというか(笑)、行ってこられたのですね。
今回は、近代のエピソードも多くて、親しみがわきます。

小津安二郎監督の作品は、一度見てみたいと思いながら、なかなか観られないでいます。
山田洋次監督が、後を継いでいるような感じなのでしょうか。

松坂撫子、”ちりめん”と言う感じですね。
ちょっと泣きそうになりました(悲)。
元がなでしこなのですから、仕方がないのでしょうけれど、寂しいというか、ショボイというか・・・。
よくよく見ると、繊細で面白い花とは思うのですが、・・・これは、大きさの問題かもしれません。

御城番屋敷、行きたかった、と仰るのが、わかる気がします。
今もここで暮らす人がいる、と聞いてしまうと、どうしたら住めるのか、お家賃は?などと考えてしまいます(笑)。
植わっている木々の種類は違いますが、沖縄の民家が並ぶ風景と似ているように思います。

松坂というところ、よく聞く地名ではあるものの、よく知らないでいました(他所も大して知りませんが)。
牛だけでなく、豪商の町だったのですね。
(松坂牛のイメージが強すぎて、酪農が盛んな牧歌的なところと思っていました。)

『My』、刊行されたのですね。
奥様のことは声も存じ上げないのですが、「あまり目立つことはしてくれるな」という声が、聞こえてきました(笑)。
こうなると、次のシリーズも、期待されますね。

投稿: おユキ | 2018年5月27日 (日) 19時12分

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