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2018年5月21日 (月)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完)

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 4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」のその4です。その3では、舟着社と野志里神社の2つの神社を見てきました。野志里神社は、去年の歴史講座を聴いてから是非とも行きたかったところで、念願を一つ果たせました。野志里神社で、6.5㎞過ぎ、時刻はちょうど12時頃。この日は暑くて、いささかお疲れ(苦笑)。しかし、次の目的地を目指して、美濃街道を下ります。ここから先は、ちょうど養老鉄道の線路沿いになります。
Img_0855c_2 コース7㎞のあたりに養老鉄道の下野代駅があります。そこを過ぎたとこImg_0870c_2 ろに常夜灯があり、その台座に徳蓮寺の案内が出ていました。見ると、踏切があり、その向こうには階段が(微笑)。ここが徳蓮寺への入り口。2月27日に出かけた近鉄ハイキングでも、三岐鉄道北勢線の踏切を渡らないと行けない神社がありましたが、ここも同様(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))。
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 さて、踏切を渡り、100段ある階段を上って徳蓮寺を拝観に行きます。手Img_0881c_2 すりはあるものの、古くてけっこう急な階段を上って行くと、山の中腹にお寺がありました。眺めはよく、伊勢湾や、アルプスまで見えます。いただいたパンフレットによれば、冬には富士山も見えるとありました。古いお寺です。徳蓮寺(とくれんじ)は、真言宗東寺派で、無畏野山徳蓮寺といいます。 ご本尊が、弘法大師の作と伝わる虚空蔵菩薩であるため、「虚空蔵寺」あるいは「コクゾッサン」と呼ばれ親しまれています。ご本尊は秘仏で、7年に一度開帳されます。
Img_0863c_2 古くは、この地に三輪宗の中蓮寺という寺があったといいますが、壬申

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の乱(672年)の時に焼失しました。しばらく再建されることはなかったのですが、弘仁2(811)年、弘法大師が関東に下向された折、ここを訪れ虚空蔵菩薩を刻み、5つの寺院を建て、5座の神祠を勧請しこの地の守護としたと伝えられています。その後、明応7(1498)年の地震で大破し、元亀・天正年間の織田信長の兵火は免れたものの、天正13(1585)年の大地震でほとんどの堂塔が潰れ、弘法大師の遺物や縁起などすべてが土中に埋もれ、本尊の行方も分からなくなってしまいます。しかし、夜な夜な土中が光ることから、掘り返してみると、ナマズとウナギに守られた本尊が見つかりました。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公によって寺の由緒についての調べが行われ、寺領が寄進されて再興されました。慶安3(1650)年には大洪水で山崩れが起こり再び堂宇が倒壊するものの、万治2(1659)年に再建し、寺号も徳蓮寺と改められ、現在に至っています。現在、住職はご不在で地元の方々が護持しておられます。
Img_0887c_2 本堂には、252枚の絵馬が奉納されていますが、そのほとんどが、Img_0883c_2 上記のエピソードに因み、本尊をお守りしていたナマズとウナギの絵馬となっています。これらの絵馬は地震除けに奉納されたともいわれているそうです。
Img_0901c_2 古いものがたくさんありました。1枚ずつ確認するのは到底無理でしたImg_0897c_2 が、気づいた中で古かったのは、左の写真にある「天保6乙未十二月」と読めました。しかもこの絵馬の願主は、桑名宿の人です。他にも、桑名の人が奉納したものがたくさんありました。右の写真で下の方の絵馬には、「堤原 正木元治郎 正木助治郎」とあります。堤原は、今も拙宅近くにある地名。上の方の絵馬には、「今一色堤原 桶商」とあります。堤原のあたりは、昔は地名に「今一色」がついていました。
Img_0894c 絵馬は、他にも歌舞伎を描いたかと思われるものなど、ナマズ、ウナギImg_0885c_2 以外の図柄のものもあります。また、古いものばかりでなく、比較的新しいものも奉納されていました。右のものは、平成になってからのものだと伺いました。
Img_0910c_2 ナマズの絵馬がたくさん奉納されているからだと思いますが、秋篠宮殿下が徳蓮寺に平成17年にご来訪になっています。余談でありますが、ご来訪の2~3ヶ月後に長男悠仁親王のご懐妊が発表されたそうです。
Img_0926c_2 もう一つ、境内には、地震慰霊碑があります。「諸国大地震横死萬霊」と読めます。慰霊碑の下半分は地面に埋まっています。この碑、「嘉永七甲寅六月十四 十一月」ともあります(同様に、下の方は地中で読めず)。嘉永7年は、1854年。嘉永7年は、11月27日(グレゴリオ暦1855年1月15日)に安政に改元されていますが、その前に伊賀地震、東海地震、南海地震が起きています(こちらを参照)。日付から見て、これらの地震の被災者を慰霊するもののようです。今でも地元の方によって供養されているそうです。碑陰には、「當山住賢信」とあります。
Img_0935c_2 徳蓮寺には、この鐘にもエピソードがあります。この鐘は、安永4(1775)Img_0921c_2 年、桑名の鋳物師・広瀬与左衛門によって鋳造されています。鐘には、徳蓮寺の寺暦が刻まれています。昭和19(1944)年、第二次世界大戦の時、金属供出令によって供出されたのですが、終戦後、鳥居辰美氏と住職・井高長雅氏が、四日市の石原産業へ引き取りに行き、全国から集められたたくさんの鐘の中から探して、持ち帰ったものだそうです。
Img_0918c_2 閑話休題。野志里神社でも、ここ徳蓮寺でも、地元の「のしろおたから発Img_0864c_2 見隊」の方が説明してくださいました。そのユニフォーム(ベスト)がなかなかのものでしたので、お願いして写真を撮らせてもらいました。野志里神社にもありましたが、このおたから発見隊作の案内板があります。四日市でも地元の方たちによる案内板が各所にありますが、旧・桑名市内ではこういう活動はありません。見倣うとよいと思います。おなじくおたから発見隊の方がお作りになったパンフレットもいただいてきました。
Img_0868c_2 徳蓮寺の境内には他にもいくつか、興味深いものがありました。左の写Img_0867c_2 真は、階段の下にあった「松永先生頌徳之碑」ですが、詳細は不明。右は、「一榊 壱株 伯爵清浦奎吾閣下 御寄附」(ちょっと読みがアヤシい)とありました。清浦奎吾(きようらけいご)は、肥後の人で内務官僚の後、司法相、農商務相の他、枢密顧問官、総理大臣などを歴任。どういう関係があるのかは、ネット検索では不明。こういうことはよくあります。何かのつてをたどってお願いした、ということでしょうか? 分からないこと、多々あります。
Img_0941c 12時半頃、徳蓮寺を拝観して下に降りてきたところで、小生よりも年長の男性に遭遇。ここは何度目かということで、「上には上がりません」とおっしゃいます。しばらくお話しし、何となく気が合う方と思い、このあと、「同行二人(微笑)」。弘法大師が関わるお寺でお目にかかったのも何かのご縁ということ。桑名の大山田の方。飄々としておられ、いろいろとご存じでした。
Img_0948c この方とお話ししながら、徳蓮寺から1㎞余りを歩いて、明光寺へ。スタートからは、8㎞過ぎ。このImg_0951c 男性、近鉄ハイキングに参加なさるようになってもう10年以上と、大ベテラン。1㎞あまりがあっという間。旅は道連れ世は情けというのは、本当です。ここは、もう上深谷。明光寺は、浄土真宗大谷派。ここも踏切を渡って境内に入ります。
Img_0957c 本堂前で休ませてもらっていたら、踏切の警報器が鳴り始めました。これまた例によって、「俄撮り鉄(微笑)」。もうちょっと電車が手前で撮れた方がよかったかと思うのですが、素人撮り鉄としてはまあまあ。撮り鉄の方には、是非ともご助言をお願いいたします。
Img_0974c さらに1㎞弱、ほぼ9㎞地点。法光寺。高野山真言宗のお寺。深谷弘法大師とも呼ばれImg_0975c るようです。山号は、御砂山。このお寺の北、三砂川沿いに三砂城跡があったはず。市内の城跡巡りもしたいと思ってはいるものの、手つかず。やりたいことは多いものの、なかなか実現するのは難しいですねぇ。
Img_0979c この法光寺で珍しかったのは、稲荷社が併設されていたことです。江戸時代までは、神社とお寺が一緒に建てられていることが多かったことや、神仏習合、本地垂迹説などは知識としては知っていました。しかし、ここ法光寺のように、本堂と続きの建物にお稲荷さんが祀られているのは、初めて見ました。稲荷社には、神社名はありませんでした。
Img_0991c 深谷小学校を過ぎ、深谷郵便局の手前で右折。あとは、最終のポイントである雨尾山飛鳥寺を目指すだけと思っていたら、途中に西林寺というお寺がありました。浄土真宗本願寺派のお寺。山号は、北廻山。ここは、北廻城跡。室町時代、近藤右京亮家教の居城でした。織田信長の伊勢侵攻の時、滝川一益によって攻められ籠城。水が無くなったのを知られないため、馬を洗うのに、白米を用いたことから、「白米城」とも呼ばれたといいます。最後には攻め滅ぼされています。
Img_0989c  西林寺は、永正6(1509)年、禅宗の済林寺として創立しています。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人により、浄土真宗に改めました。その後、元禄8(1695)年に西林寺に改称しています。
Img_1002c 西林寺から桑名北高校の北側を通って、雨尾山飛鳥寺(あまおざんひちょうじ)へ。東寺真言宗。霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺」と名付けられています。十一面観世音菩薩をご本尊として、弘法大師、大日如来、善光寺如来、馬頭観音、千手観音、子安地蔵尊、不動明王、寺宝として弘法大師画像(桑名市文化財)等、多くの仏像を安置しています。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。真言密教の名刹でしたが、元亀2(1571)年、織田信長の兵火により、焼失。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主・松平定綱公が、この山に遊覧の折り往時を偲んで供料田を寄進、また、万治3(1660)年、同じく松平定重公より年々祈願料を寄進されています。
Img_1008c 高台にあり、木曽三川から、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽山が、一望できる、風光明媚なところにあります。左がその眺め。これ、昨年末にNHKで放送していた「マチ工場のオンナ」でよく出て来たところでした。「どこだろう、深谷あたりか?」と思っていたのです。
Img_1024c 飛鳥寺についたのは、もう13時半を回っていましたので、持参したおにぎりを食べて、その後、境内を見て回りました。左は、三吉稲荷社。由緒などはとくに示されていません。稲荷社によくある「正一位」の幟があったくらい。
Img_1028c もう一つのお社が。こちらも、社名標も由緒書きも何もなく、どういうお社かは不明。飛鳥寺のサイトにも説明はありません。
Img_1038c 今日のゴールは、こちら、養老鉄道・下深谷駅。飛鳥寺Img_1045c の境内から、すぐ東の下に見えています。ゴールは、14時ちょうど。スタートから4時間20分もかかりました。マップ上は、約9㎞ということでしたが、実測で11㎞を踏破(大げさな)。14時12分発で桑名まで。14時18分着。¥260。
 実際に行ったのが4月28日でしたが、完了まで3週間あまりかかってしまいました m(_ _)m お付き合い下さった皆様には篤く御礼申し上げます。これで、近鉄ハイキングでまだ書いていないのは、5月12日の“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”だけです。余り間を置くと、細部を忘れてしまいますし、雑になりますので、また時間を見計らって、なるべく早めに記事を書こうと思っています。書かないと、次にもいけませんし(苦笑)。

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