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2018年5月12日 (土)

20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その4)……お城公園、高山神社を見て完

20180423tsuwalk  ずいぶん間が開いてしまいました。これも、遊んでばかりはいられない状況になったがためです。5月2日以来ですが、“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”のその4です。その3では、津観音から、大門商店街のディープな稲荷社を見て、蜂蜜まんを土産に、また、千寿の天むすを昼ご飯にゲットし、いよいよお城公園にというところまででした。地図では、中央あたりにお城公園があります。お城公園でほぼ7㎞。

Img_2476c お城公園に入る前に1ヶ所、立ち寄り。お城前公園に石碑が2つありましたのImg_2472c で、それを見てきました。まずは、向かって右。「しらはたや 花さく山の 一備へ 高虎」とあります。藤堂高虎公入府四百年記念俳句会が2008年に建立したとあります。高虎公が60歳の頃、関ヶ原の戦いを思い出して詠んだ句なのだといいます(こちら)。
Img_2473c 向かって左に立つのは、「古城址の池 くれなづむ 花あかり」という、内藤まさをの句(三重の句碑はこちら)。昭和43(1968)年12月に津史跡名勝保存会、三重俳句社が建立したもの。内藤まさをは、昭和23年に三重俳句社を創設、主宰した方のようです(こちらを参照)。文部大臣賞や、三重県教育文化功労者を受賞。内藤まさをの句碑は、三重の句碑によれば、県下9ヶ所にあります。
Img_2463c さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ津城跡、お城公園へ。ここで告白Img_2483c しますが、小生、以前は、このお城公園と津偕楽公園との区別がしっかりとはついていませんでした。津偕楽公園の方は、昔は「御山荘山」といい、津藩第11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)公が、安政年間(1855~1860年)に別荘を営んだところでした(微笑)。
Img_2478c お城公園は、津城の跡。津城は、織田信包(信長の弟)が天正8(1580)Img_2518c 年に築城。その後、藤堂高虎が、四国伊予の今治から移封、 慶長16(1611)年に大規模な改修を行っています。高虎は、城や城下町の整備を行うとともに、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。 明治維新まで、津は32万石の城下町として栄えてきました。公園入り口の脇には、丑寅櫓が再建されています。本丸の東北隅に位置し、層塔型三重三階。戌亥櫓とともに城内で最大の櫓であったと考えられています。
Img_2494c それはさておき、この時点で13時10分を過ぎていましたので、まずは腹Img_2499c ごしらえ。藤堂高虎公の像がある広場のベンチで、千寿で買ってきた天むすを広げます(微笑)。天むすというと、名古屋名物というイメージがありますが、この千寿さんが発祥のお店。
Img_2503c 5個で650円なり。天むすは、海老の天ぷらを具にしたおにぎり。千寿はもともと天ぷら定食店で、1950年代にまかない料理として考案されたもの

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だそうです。初代水谷ヨネが忙しくて夫の昼食を作る暇がない折に、車えびの天ぷらを切っておむすびの中に入れたのがきっかけ。その後、味付などを試行錯誤し、常連客向けの裏メニューとして振舞うようになったといいます。好評を得たため、天むすは「千寿」の正式なメニューとなり、1959年(昭和34年)頃に天むす専門店となったといいます。
Img_2514c 腹ごしらえを済ませてから、お城公園を散策。入り口に戻り、丑寅櫓に登っImg_2527c てきました。
Img_2533c  階段を上っていくと、ちょっと恐ろしい感じImg_2529c もするのですが、石垣の上に出られます。左の写真は、北西の方を見たところ。右は、東の方。大きなビルは、百五銀行本部。百五銀行の向こうに国道23号線が通り、その向こうを午前中歩き回ってきたということです。
Img_2553c 本丸の跡と思いますが、立派な高虎の騎馬像があります。この像は、津Img_2556c 青年会議所創立35周年事業として発案され、市民の浄財によって、市制100周年の年である平成10(1998)年に建立されました。
Img_2541c お城公園の中を散策。北側には、聱牙土井先生詩碑があります。土井Img_2544c 聱牙(どいごうが;文化14(1817)~明治13(1880)年)は、江戸後期~明治時代の儒者。津藩儒医土井橘窓の次男。藩校有造館の助教・講官をつとめ、佐幕を主張。明治2(1869)年、督学。この市は、彼が40歳の時、「書生に示す」という題でつくったもの。七言絶句。たくさんの書物を読んだ人が聖人、賢人であり、それは、読書という後天的努力によって先天的素質を補うからである。それ故、朝夕、あなたの二つの目を十分に活用し、精神を集中して灯火に向かって、たくさんの書物を読破しなさいという意味。
Img_2549c
 西側へ行くと、「西鉄門虎口(にしくろがねもんこぐち)」の碑が。図面を見Img_2551c ると虎口の左側には伊賀櫓という二重櫓が建っていたようですが、今はその土台の石垣ごとありません。碑の脇から向こうは、右の写真のような眺め。
Img_2558c 南へ回ると、津市傷痍軍人会が昭和56(1981)年10月に建てた「平和の碑」がありました。戦争の悲惨さを身をもって体験したものとして、後生にこれを伝え、世界平和を願望するために建てたとあります。傷痍軍人 というのは、今ではほとんど歴史的用語になっていると思いますが、小生が子どもの頃など、お祭りに傷痍軍人の方が数名いらして、楽器を弾いたりしていたのを思い出します。ちなみに、日本傷痍軍人会は、法人化時(昭和30(1955)年)には35万人であった会員数が、平成25(2013)年には約5000人まで減少したため、この年の11月末をもって解散しています。平成も来年で終わりますが、昭和はまさに遠くなりにけりです。
Img_2574c お城公園から西に向かうところ。堀に花菖蒲園がありました。このさらにImg_2601c 西には、津市役所が堀端に立っています。
Img_2581c 花菖蒲園のある少し西には、本丸跡の日本庭園へ続く入り口がありまImg_2585c す。左の写真で突き当たりを右へ(東へ)曲がります。曲がった先の日本庭園入口には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存しています。文政3(1820)年、津藩10代藩主・なった藤堂高兌(たかさわ)公は、藩士やその子弟の教育機関として、有造館を創設しています。「入徳門」の名称は、「大学は諸学徳に入る門なり」ということばから来ているといいます。有造館は、明治4(1871)年には行こうになったものの、その後創設された小学校第一校、師範学校、津中学校などの正門として使われてきました。昭和46(1971)年、現在地に建てられています。
Img_2591c 左は日本庭園の一部。右は、旧・西の丸の門にあった津城跡の説明文。これがもImg_2583c っとも包括的で、よく分かりました。
Img_2594c この西の丸の跡のところには、左の写真のような小高い場所が残っていて、古い石段で登れます。櫓の跡かという気がしますが、確認できていません。こういうところを見ると、古くさい!といわれるでしょうが、三橋美智也「古城」という歌謡曲の歌詞が思い出されます。
Img_2631c お城公園を出て、高山神社に向かいました。藤堂高虎公を祀ります。津Img_2615c 発展の礎を築いた開祖として、「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」という法号で、「高山公」と通称されることに由来します。主祭神は、藤堂高虎霊。相殿神として、品陀別命大雀命大国主神八重事代主神大山祇命木花佐久夜毘賣命建速須佐之男命表筒之男命中筒之男命底筒之男命大物主命
Img_2620c 従来、津藩主藤堂家において藩祖藤堂和泉守高虎朝臣の霊を津城内に奉斎していたものを、明治維新の後、神社創建の議が起り、明治9(1876)年9月、神社創建となっています。明治10(1877)年8月、現在の津偕楽公園内に神祠を建立。明治34(1901)年12月、現在地に仮遷座。正式にここに移られたのは、明治36年4月。
Img_2608c 社務所の南にあった常夜灯。面白いことに、「古着屋仲間」が建立したとImg_2609c ありました。建立年は、風化などのためよく読めませんでしたが、「○○年乙丑」とあるようです。創建以降、「乙丑」の年は、大正14(19259年ですから、この年かと推測しています。
Img_2621c 境内にある「百度石」。碑陰には、「文久元辛酉年十二月吉展」とあるようでした。文久元年は、1861年。江戸も末の時期。ということは、神社の創建以前のものですから、どこか他にあったものなのでしょうか?
Img_2639c 境内には稲荷社もあります。この城山稲Img_2637c 荷神社は、もともと宇治山田町浦口に二八稲荷社として祀られていたもの。2月と8月の毎日、それ以外の2と8の日には地元町民よりも津市から御商工業者や、一般市民の参詣者が長蛇の列をなしたといいます。津市民の信仰が厚い現状に鑑み、明治44(1911)年、津市長から宇治山田町長(当時)へ懇請し、二八稲荷社をお社ごと、この高山神社へ移し、「城山稲荷神社」と改称し、津市の商工業は、産業育成の守護神としたと御由緒にあります。ちょっと驚くような話。百度石もこのときに来たのかと勝手に想像しています。
Img_2646c この城山稲荷神社は、お稲荷さん特有の赤い鳥居が続いた奥に鎮座しImg_2644c ておられます。ところが、稲荷社につきものであるはずの狐さんがいらっしゃいません。代わって、普通の神社にあるように、狛犬が赤鳥居脇に鎮座。ちょっと不思議な光景。
Img_2647c_2 鳥居のまわりを見回すと、裏側にこの左の写真のようなものがありましImg_2650c_2 た。それも一対になっています。水滴のようにも見えますが、それでは訳が分かりません。ネットで検索してみたら、こちらに言及されていましたが、どうやら宝珠の一種のようです。いやぁ、神社はワンダーランドとときどき書いていますが、本当にそうです。ちなみに狐様は、拝殿に祀られていました。
Img_2652c もう一つよく分からなくて、調べがついていないのは、こちら。城山稲荷神Img_2654c 社の西にもう一つ、赤鳥居の参道があり、その奥に2つのお社というか、祠というか。片や赤煉瓦造りで、中に小さな赤い鳥居。こちらもお稲荷さんに関係したものなのでしょうが、詳細は不明。社務所で尋ねればよかったと反省。
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 その他には、境内の一角に山の神様が集められていました。鳥居の奥に、「山の神(あるいは山神)」と刻まれた石碑が三体。ちなみにこの山の神様の脇からも、お城公園に続く道があります。さらに「針塚」も。針塚の方は、平成6(1994)年2月に日本和裁士会三重県支部が建てています。近鉄ハイキングで訪れた鈴鹿の江島若宮八幡神社にも針塚がありました。
Img_2668c 高山神社の余談。拝殿にあげられていた薦被りは、「高虎」というお酒でした。お酒の名前になるほど、津では高虎公が愛されているということでしょう。「高虎ドッグ」というのも有名。小生も2度ほど食べたことがありますが、種類も豊富で美味しくいただきました。ただし、大人気で、賑わっていますし、人気商品はすぐに売り切れご免。
Img_2677c さて、これで目的のところもすべて訪ね終え、高山神社から南へ。朝、津松菱百貨店に向かった道に戻って、1㎞半ほど歩いて津新町駅へ。9時50分にスタートし、津新町駅に戻ってきたのは、14時10分。4時間あまりかけて、8.8㎞を歩いてきました。案外たくさん歩いたのに自分でも少々驚き(苦笑)。14時13分に名古屋行き急行があったのですが、改札を通ったところで発車して、乗れずじまい。14時35分の名古屋行き急行で、桑名まで。桑名には15時22分着。片道¥750。
 4月23日に行ったのに、ここまで引っ張ってしまいました。4月28日には、近鉄ハイキングで「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」に行っていますし、昨日(5/12)にはさらに、近鉄ハイキングで“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”に参加しています。何を考えているのか、懲りないのか、どちらも本編を気長にお待ちください(笑)。
 なお、この“20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”の過去記事(予告編からその3)は、次の通りです:

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コメント

おユキさん、こんばんは。
そうそう、接近-接近型のコンフリクトです(微笑)。
このコンフリクトは、どちらを選んでもプラスですから、さほど迷わなくて済みます。

天むす、お待たせしましたが、ようやく登場です。
名古屋にも千寿からのれん分けしたお店があるようですよ。
前の勤務先の近くにも多香野という天むす屋さんがあり、評議会のお昼御飯に出たりしました。
多香野のものも、しっぽが出ていましたね。

丑寅櫓は、誤解を招きましたが、櫓そのものには入れませんが、その目の前までいけます。
石垣の上に登れるのですが、柵がありませんからけっこうスリルがありました。

常夜灯、そちらに反応なさいましたか?
やられました(苦笑)。
お寺や、庭園などにはけっこうありますよね。
お隣の諸戸氏庭園にもあります。

宝珠はおっしゃるとおり、橋の欄干についているものです。
ただし、実際にあの大きさのものを見ると、一体何だ?となりました。
赤レンガの祠のようなもの、面白いでしょう?
たしかにペンキで色を塗ってあったようです。
載せませんでしたが、この手前にも煉瓦でかこったものがあり、それはたぶんロウソクに火をつけるための風除けではないかと思えました。
それにしても、神社というところはいろいろ、思わぬものがあって、退屈しません。

投稿: mamekichi | 2018年5月14日 (月) 18時23分

mamekichi先生、こんにちは。

接近-接近のコンフリクトに苛まれた結果、こういう事態になってしまったのですね(笑)。
(ウォーキングとハイキングで迷ったり、のことです。)
幸せなことかと思いますので、これはもう、笑うしかありません。

そうなのです、前回は天むすがお預けのまま、「続く」となっていましたので、やっと本家の天むすにお目にかかることができました(笑)。
名古屋では、地雷也さんのものが、ポピュラーな気がします。
「エビちゃん、入ってるよ」と言わんばかりに、ご飯から尻尾が出ています。
千寿さんのは、えび天が隠れているのですね。
久しぶりに、天むすを食べたくなりました。

丑寅櫓、登れるのですね。
見晴らしも良いのでしょうが、何より、建物の中に入れるというのは、それだけでトキメキがあるように思います。

「古着屋仲間」と彫られた常夜灯。
私には、神社なのにフェニックス?!と、常夜灯の前に植えられている木々にワンダーを感じました(笑)。

宝珠、って、橋の欄干に付いているアレですよね。
私は、お写真で拝見したので、宝珠にしか見えませんでしたが、直に見ると、知っている宝珠とは大きさも佇まいもまったく違い、何だろう?となるのでしょうね。

赤レンガの祠?のようなもの。
面白いですね。
まるで絵本の中に迷い込んでしまったような感覚になりました。
赤いので赤レンガとしか言いようがないのですが、「いわゆる赤レンガ」とは少し違い、ペンキで塗ったような赤、というのも、ファンシーな感じがします。

お疲れさまでした(微笑)。

投稿: おユキ | 2018年5月14日 (月) 17時01分

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