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2018年4月29日 (日)

20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その1)……津新町駅界隈、松菱百貨店、藤堂家墓所の寒松院

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 出かけた日から1週間近く経過してしまい、さらには、昨日(4/28)にも近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」に行ってしまいました(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。我ながら何をしているのかと思いますが、ボツボツと記事を書いていくことにします。ご用とお急ぎでない方にはお付き合いをお願い申し上げます。
20180423tsuwalk この日歩いたルートはこの地図の通り。ときどき寄り道をしたり、戻って見直しをしたりしましたが、左にある津新町駅をスタートし、反時計回りに一周して戻ってきています。9時50分にスタートし、津新町駅に戻ってきたのは、14時10分。4時間あまりかけて、8.8㎞を歩きました。
Img_2677c タイトル通り、この日のスタートは、近鉄名古屋線・津新町駅。Img_1961c 桑名を9時1分に発車する五十鈴川行き急行に乗って、9時48分に到着。¥750。一駅手前の津までは、¥690なのに¥60もアップ。津新町駅、昔々(最初の勤務先の時代ですから、30数年前から20数年前くらい)、何度か来ましたが、ずいぶんご無沙汰。
Img_1963c 駅前にあるビルも、建て変わっています。左は、改札を出て左手のビル。昔Img_1966c は、確か近鉄東海ストアがあったところ(こちら)。現在は、高層マンション。他にもボウリング場や、映画館(津東映)があったはず。右の写真は、駅正面。向かって左に建つビルは、産婦人科病院。いささかゆかりがありますが、病院名は変わっていました。「今は昔」という印象(笑)。
Dscn6823c この日、行きたかったところは、津松菱百貨店。ここもずいぶん前に1~2度来た覚えはあります。「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」が前週の金曜から、この日まで開かれていたのです。メダカを見ようというのと、スイレン栽培セットを見て、気に入ったら買おうと思ったのです。前日の研究会も終わり、依頼された仕事もほぼ一段落つきましたので出かけたのですが、ついでに近くを歴史散歩しようという算段。とはいえ、準備をまったくしておらず、「三重県歴史散歩(山川出版社)」の該当ページを出かける直前にコピーし、電車の中で読むという、泥縄。先行きが思いやられます。
Img_1970c 津新町駅の改札を出て東へ。すぐ側に交番がありますが、交番脇で右Img_1968c のような石柱を発見。このあたりの現在の町名は、「南丸之内」ですが、旧町名の「古河町」を表示しています。向かって右側には、由来が簡単に書かれています。古くは1㎞ほど南にあった衆楽のあたりを安濃川の旧河道が通っていたそうで、その旧河道に因んだ地名といいます。今日、このあと歩いた先々でこの旧町名を表す石柱がありました。石柱の反対側には新町名が刻まれています。なかなかよいアイデアと思います。
Img_1978c 駅そばの踏切を渡って、岩田橋に続く道に出ます。Googleマップや、距離測βでは、「伊賀街道」となっていますが(予告編では、これにしたがって、旧・伊賀街道と書きました)、「みえの歴史街道」によれば、伊賀街道は現在の三重会館からお城公園などの北を通って、安濃川に沿う道になっています(ここからさらに北)。昔は、アーケードのある商店街だった記憶があるのですが、確信はありません。すっかり景色が変わった印象。
Img_2005c 岩田橋の手前で、ちょっと気になって、右折(南へ)。昭和橋という橋が岩田川にかかっています。よく考えてみたら、この先にあるのは三重刑務所。我ながら不思議だったのですが、最初の勤務先時代、このあたりを何度か通っていて、記憶の片隅にあったのだと思います。もちろん刑務所には縁はありません。
Img_2000c 橋の手前には、地蔵堂がありました。たいそう立派な建物で、きちんと世Img_2003c 話がなされている様子です。どういうお地蔵様が祀られているのか気になるのですが、示されていないことがよくあります。ここには「光徳地蔵」と刻まれていました。ネットで検索すると、「光明功徳仏(ピンピンコロリ地蔵)」というものが出て来ましたが(こちら)、関連があるのかはまったく不明。あちこちにあるお地蔵様は、よほど有名なものでないとその情報は出て来ませんねぇ。
Img_2015c もとの道に戻って岩田橋を目指します。中部電力の支店Img_2022c 近くには、小生のイメージ通り、アーケードのある商店街がありました。しかし、いわゆる「シャッター通り」という感じ。昔、どこかで、先輩ノ高校時代行きつけのお好み焼き屋さんに入ったと思うのですが、すっかり忘却の彼方。
Img_2026c 1㎞半ほどで、岩田橋。江戸時代初期には木橋が架けられ、欄干が擬宝Img_2025c 珠で装飾されていたといいます。「参宮道中の橋に擬宝珠をつけたのは、瀬田の唐橋とこの岩田橋以外には天下にない」といわれたそうです。この岩田橋の北東にあるのが、松菱百貨店。本日の目的地。
Dscn6821c 県内には、百貨店(歴史的用語!)は、この松菱百貨店と四日市近鉄百Dscn6824c 貨店のみと思います。しばらく前までは、四日市に松坂屋があり、松阪には三交百貨店がありましたが、いれも撤退、廃業(と思います)。月曜日のためか、空いていました(笑)。大都会のデパートとは異なり、店内の売り場もゆったりとしていますし、お客さんも少ないのでゆっくり回れます。
Dscn6827c 「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」は6階催事場で開Dscn6837c 催。ただし、実際には、展示・即売会でした。この日が最終日で、お客さんはそれなりに。メダカは、高級品種がほとんど。たとえば、黒ラメ幹之 松井ヒレ長 1匹(税込)5,000円とか、三色ラメ 1匹(税込)6,000円とか。とても手が出ませんし、買ったとしても小生では、夜もおちおち眠れませんので、メダカは見ただけ(苦笑)。
02241626_58afe0429e8b5 結局、「このままスイレン栽培セット(ロイヤルパープル)」を1つお買い上げ(笑)。しかし、これでDscn6867c 予定通りなのです(写真は、ネットから借りました)。ネットでは¥1,300ほどで売っていますが、この日は¥980。現在は、右の写真のように、球根を水につけて、葉っぱが出てくるのを待っています。赤い小さな芽が出てきたところ。
Dscn6828c 余談が続きますが、松菱百貨店の6階催事場脇には、茶室があります。Dscn6831c 「松南軒」。江戸末期、京都に建てられ、西郷隆盛や、富岡鉄斎なども来たといわれます。百貨店創業者の方が移築なさったそうです。ネットで見ると、ここで実際にお茶会も開かれるようです(2年前の情報ですが、こちら)。
Img_2037c このあと、1回の食品名店街を覗くだけ覗いて(お買い上げはなし)、外Img_2039c へ。松菱滞在は、10時20分から30分ほど。外へ出て、次の目的地へ向かおうと思ったら、百貨店前に松尾芭蕉の銅像。側に箱がありますから、ここに俳句を投稿できるようです。芭蕉は、ご承知の通り、伊賀上野の生まれ。奥の細道の旅の後、大垣から桑名を経て伊勢に向かいました。その途中、津に立ち寄り、岩田川河畔から阿漕裏を眺め、「月の夜を 何を阿古木(あこぎ)に なく千鳥」と詠んだそうです。ちなみに、この芭蕉像は、丸の内商店街が平成10年(1998)年に行われた全国高虎サミットにあわせて設置したもの。偉人像として、他に藤堂高虎、谷川士清、西嶋八兵衛の像があります(こちら)。
Img_2052c  津に来る車中での泥縄予習にしたがって、松菱の後は、寒松院(藤堂家墓所)、浄明院、観音寺とまわり、千寿で天むすをゲットしお城公園でお昼にするつもりでした。寒松院は、松菱から東へ1㎞足らず。寒松院は、「津藩主 久居藩主 歴代墓苑」として津の史跡になっています。
Img_2073c 本堂ですが、これは、戦後、他所から古い堂を持ってきたものだそうで、Img_2074c 昔の寒松院をしのぶことはできません。実際、この御堂には、右の写真のように、「瀬日山 顛(?)王寺」と読める額がかかっていました。江戸初期には昌泉院といい、2代藩主藤堂高次(たかつぐ)公が、藩祖高虎公の霊をまつるようになってから、高虎公の院号をとって寒松院 というようになっています。それ以後、この寺は藩主の菩提寺とされました。
Img_2062c 左は、初代高虎公の五輪塔。右は、高虎夫人のもの。いずれも壮大なもImg_2067c ので圧倒されます。桑名で松平家や、本多家のお墓を見ましたが、これほど大きなものではありません。昭和20(1945)年6月26日の爆撃によって、7代高朗(たかあき)公の墓碑が欠けたそうです。北側には、津の支藩久居藩歴代藩主の墓塔が並んでいます。
Img_2064c こちらは墓所案内図。津藩主、久居藩主あわせて26基あります。久居藩主の墓は、津藩主のものに比べやや小ぶりになっています。墓石の形は、五輪塔のものと、板石のものと2種類。
Img_2088c いつものように、境内を探索。するとまずは、「明治天皇行在所跡」の石Img_2093c 碑を見つけました。明治13(1880)年、山梨県ご巡幸のあと、7月4日に津にいらっしゃり、3日間に渡って、県庁、裁判所、師範学校、中学校などをご覧になり、7日に伊勢神宮に御親謁され、その後、名古屋、大阪に向かわれたといいます。この日は、「昭和4年紀元節日建之」とあります。このご巡幸の前には四日市・富田でお休みになっています(2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2))し、伊勢神宮にいらした後は、一身田の高田本山にお泊まりになられました(2018年1月19日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その2)専修寺の境内を歩く(前半))。
Img_2072c こちらは「伊予松」。藤堂高虎公は伊予松山から移封されています。そのとき持参された松を伊賀上野服部河畔に移植しています。この松は、昭和52(1977)年に枯死。その後、2代目として今治から取り寄せ植えたものと同じ伊予末として、昭和57(1982)年にここにも植えたと、石柱の説明にあります。石柱には、伊勢柏翠の「こののちの幾秋風の松ならん」という句が刻まれていました(こちらを参照)。石柱は昭和59(1984)年10月に建之。
Img_2082c 御堂の東には、神社がありましたが、社名標などはありません。神社検Img_2084c_2 索(三重)にも載っていません。詳しい方にご覧いただくと、どの系統の神様が祀られているかお分かりになるのではないかと思いますが、小生の知識では判別不能。
Img_2098c このあと、寒松院の北東にある乙部公園脇を通って、フェニックス通りへ。乙部公園では、こんな木を発見。これ、実は藤の木。藤棚にしつらえないと、こういう風なんだとちょっと感心。
Img_2105c フェニックス通り。同じ名前の通りは各地にあるようですが、ここは、津市Img_2109c 中央から津市なぎさまちを結んでいます。もとは、近鉄道路より西が、昭和42(1967)年に開通し、その後、高速船ターミナル開業に伴い、近鉄道路から東へ延長されました。シンボルのフェニックスはかなり大きくなっています。
 本日は、ここまで。次は、江戸川乱歩の墓もある浄明院から。

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