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2018年4月27日 (金)

20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その3、完)……走井山勧学寺、三猿、サンジルシ醸造、有王塚を経てゴール

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 遅くなった上に、途切れ途切れの記事になってしまっています。小人閑居しておりますが、なかなか思うとおりに行かないところもあります(苦笑)。走井山公園の途中まで来ました。実は、公園には、佐藤華山翁遺愛碑があるようなのですが、今回の記事を書くのにあれこれ調べるまで、その存在すら知りませんでした。この碑は、もとは愛宕山にあったもので、文政2(1819)年に門人が建てたそうです。佐藤崋山は、桑名藩の能筆で、桑名城の時の鐘(行田市に現存)の書丹者です。これは、次に行ったときの宿題。
Img_9218c 公園に隣接して、東側に走井山勧学寺があります。高野山真言宗のお寺。Img_9226c ご本尊は、千手観音立像(県文化財)。境内に名水「走り井」があったので、山号を「走井山」としたといいます。ここは、戦国時代、矢田氏の居城であった矢田城跡の一画。創立については、天平年間(729~749年、聖武天皇の御代)、行基の草創と伝わりますが、正確なことは不明。近世までは走井山(矢田城)北麓にあり、元和年間(1615~1624年)、桑名藩2代藩主本多忠政の家臣・半弥によって現在地へ移されたといいます。その後、7代藩主・松平定重(在職1657~1710年)の代に本堂が再建されています。市内に現存する寺社建築としては最も古いとされています。
Img_9221c 境内にある仏足石。仏像が出現する以前、インド初期仏教では法輪、菩提Img_9223c 樹、塔などを拝んだが、この仏足石も崇拝対象の一つだったといいます。この仏足石、説明板によれば、江戸時代末期の作で、珍しい様式だとか。市の文化財。
Img_9217c 境内には、太子堂もあります。この太子堂は、明和年間(1764~72年)、Img_9214c 聖徳太子への信仰が厚かった「桑名惣大工中」が建立したのが始まりだそうです。火災に遭い、平成3(1991)年、桑名建築組合が再建しました。
Img_9215c 地蔵堂もいくつかあります。こちらのお地蔵様は、鉢巻地蔵。鉢巻地蔵Img_9231c_2 は、太子堂のすぐ側。右は延命地蔵。他にも、水子地蔵もあります。
Img_9232c  JRさわやかウォーキングのコースはここから、三岐鉄道北勢線・馬道駅の方へ降りていきます。ここ走井山あたりは、実は、三岐鉄道北勢線の撮影スポットでもあります。勧学寺の鐘楼あたりからというアングルもなかなか。以前は何度か撮ったのですが、桜の季節ですと、桜の間から三岐のナロー電車がJR・近鉄をまたぐ跨線橋を通ってくるシーンなどが撮れます。
Img_9234c ちょうど、馬道駅を発車する下り電車がありましたので、ゆる鉄風に撮っImg_9250c てみました(苦笑)。あくまでも「俄撮り鉄」ですので、ご笑覧のほどを。この馬道駅へ下る階段の途中に、右の写真のように、「伝村正屋敷跡」という案内板があります。村正は、あの妖刀村正。桑名の刀工。室町時代中期以後、代々活躍しました。文亀・天文年間 (1501~55年) に同名の刀工が数代あるのですが、永正年間 (1504~21年) の作品に傑作が多いといいます。あくまでも「伝」ということですが、この東にあるマンションのところに村正の屋敷があったと伝わっています。地下水が豊富であったので、作刀に適していたのかも知れません。
Img_9251c 馬道駅西の踏切に降りるまでのところ、西側に鳥居があります。「お菊稲荷大神」という社名標。ここがお菊稲荷への参道の入り口ということになります。今度来たら、ここから上がっていってみることにします。何か別のものが見えるかも知れません。
Img_9258c この鳥居の下に、三猿の塔があります。予告編でも書きImg_9261c ましたが、これ、大のお気に入り。2005年5月、体調を崩してしばらくの頃、このあたりに気分転換に散歩に連れてきてもらって、見つけたのです。この日は、久しぶりに対面してきました。復職を試みていた頃、この三猿の写真を「魔除け」として、研究室のドアに貼っていたことがありました。左の写真でご覧いただけるかも知れませんが、台座には、「此の心 我れができぬは 人?はせよとハそれハむり志や ?てくだされハ ありがたし」と刻まれています。
Img_9271c 馬道駅のところ(この辺で4km)を過ぎると、濃州道を渡ります。この街道は、桑名市三ツImg_9273c 矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜などを経て、いなべ市藤原町山口で巡見道に合流します。いなべの方も桑名藩領でしたので、員弁郡下から桑名城下へと続く道として発展したところです。桑名では員弁街道ということが多いようです。
Img_9278c 近鉄名古屋線・益生駅の西を南下して、最終の目的地であるサンジルシ醸造へ向かいます。途中、ある会社の敷地内に稲荷社がありました。「末廣稲荷大神」という社名標が鳥居に掲げられています。この会社の「マイお稲荷さん」のように思えます。
Img_9317c 10時20分頃、サンジルシ醸造に到着。味噌、醤油などを造っています。Img_9299c その昔、桑名藩のご用商人として、回船問屋を営んでいたそうですが、文化元(1804)年、藩命を受けて「みそ・たまり醸造業」をはじめたそうです。サンジルシ醸造はまた、インスタント食品のはしりともいうべき固形みそ、粉末しょうゆを全国で初めて開発、販売したそうです。また、過去には「一・二・三のサンジルシ」のキャッチフレーズで一世を風靡しました。
Img_9300c サンジルシ醸造の社章は、伊勢湾に注ぐ、木曽三川(揖斐、長良、木曽川)を表すそうです。上記のように藩の御用商人として、廻船問屋を営んでいました。藩主の命によって、醸造業に進出したのですが、廻船問屋を営んでいた頃の船の旗印を社章として引き継いでいます。
Img_9283c 会社の正門を入ると、醸造用の大きな樽と、佐藤信之助の像が迎えてくImg_9284c れます。佐藤信之助は、昭和12(1937)年、祖父を継いで社業を発展させた人物。経済界だけでなく、社会公共分野で活躍しました。桑名商工会議所会頭の他、県の公安委員会の委員長、中京テレビ社長など、多くの役割を兼ねておられました。
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 サンジルシ醸造さんでは、味噌汁の接待をしていただきました。さすがにImg_9289c 醸造元、暖かいものを美味しくいただきました。社員の方が席まで運んでくださるというサービス。即売会も開かれていたのですが、何といっても地元の会社ですから、ここで買わなくてもいいかなと思って、パス(帰宅後、誉められました……苦笑)。
Img_9308c 味噌汁をいただいたあとは、味噌蔵を見学してきました。見せてもらえたImg_9309c_2 のは、「天然醸造蔵」。速醸室ではなく、自然の環境で味噌を熟成させるための蔵。熟成期間は、1年以上だそうです。味噌の香りが堪りませんでした(微笑)。このあたりは、基本的に豆味噌。小生の出身地である、愛知県西三河もそうでした。
Img_9310c 工場内にいくつも置かれていました。味噌樽などの重しに使うものだと思Img_9313c います。昭和47(1972)年に現地へ移転したそうですから、50年近くが経過します。さすがに50年経つと、工場や設備も由緒正しいものという印象が深まっていました。
Img_9320c コースマップでは、サンジルシ醸造が最終の立ち寄りスImg_9334c ポットでしたが、小生はせっかくだからと近鉄名古屋線・益生駅近くにある「有王塚 付 俊寬塚(ありおうづかつけたりしゅんかんづか)」を見てきました。あまり有名ではありませんので、ご存じの方は少ないと思います。ここも2005年5月に馬道あたりに来たときに初めて訪れました。ブラブラしていたら、俳句好きとおっしゃる男性が案内してくださったのです。
Img_9329c 「有王塚 付 俊寬塚」は、俊寬は平家物語に登場する伝説の塚です。俊寛僧都の侍童有王が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ねたものの、すでに師は亡くなっていたため、高野山に収めるべく師の骨を抱いて行脚をしていた途中、鎌倉時代にここにあった「りん(舟偏に侖)崇寺<りんそうじ>」(現在は、市内寺町にあります)の前で没したと伝わっています。大正時代に俳人天春静堂と桑名の俳人達によって修築保存されたといいます(大正10年2月11日)。このあたりで6㎞。
Img_9325c 有王塚の北にありました。これが俊寬塚だったかなと思ったのですが、13d61f22 2015年08月31日の散歩写真を見ると明らかに違いました(右の写真、撮影も2005年(平成17年)5月16日)有王塚も、写真にあるようにマンションが建っていますから、移転されていると思います。益生駅の方にも見に行ったもののの、見つけられませんでした。もう少し先まで行く必要があったようです。
Img_9340c 近鉄名古屋線・益生駅近くに戻り、近鉄名古屋線・JR関Img_9351c_2 西線の線路際を通って、桑名駅方面へ。三岐鉄道北勢線の高架橋の下を久具他ところで、吊りかけモーターの音が聞こえてきました。待っていたら、北勢線のレトロカラー電車が通っていきました。北勢線は、次の西桑名駅が終点で、折り返し運転のはず。このレトロカラー電車、阿下喜のお雛さんの近鉄ハイキングの時も見たのですが(3月3日;近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その3)……鈴鹿山脈を眺めながら、久保院、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道からいよいよ阿下喜の町へ(まだ続く))、もう少しよい写真を撮りたいと思っていました。
 時刻表(ハイキングに行くと、その駅の時刻表をもらってきています。それは、ハイキングセットの中に入れてあるのです)をチェックすると、10分後に折り返し運転(西桑名駅11時05分発)。近くにいた母娘連れの方も、「えっ!? そうなの? じゃぁ待っていようか」と。この娘さんに「何でそんな時刻表まで持っているの?」と不思議がられました(苦笑)。
Img_9380c どこから撮るか迷ったのですが、少し戻って、上2枚の写真にある高架橋の北東から撮ることにしました。町名でいうと、新矢田1丁目あたり。またもや、準備もなしの「俄撮り鉄」でしたから、こんな写真。見上げるアングルを試しました。
Img_9410c コースに戻り、線路沿いを桑名駅に向かいます。行きに渡った跨線橋をImg_9413c 再び登ります。右の写真は、この直前に通ってきたあたりを撮っています。向かって右手は、最近、住宅団地が開発されたところです。右から近鉄、JRの線路で、三岐鉄道北勢線は、向かって左手にあるマンション近くを走っています。
Img_9416c 桑名駅近くまで戻ってきました。 ゴールは、桑名駅ではなく、バス乗り場Img_9419c の北の端。ゴールは11時20分頃。スタートしたのが8時50分でしたから、2時間半。歩いた距離は、距離測βで見ると、6.6㎞。
Img_9420c こちら、いつもの完歩記念パネル。毎回Dscn6726c 同じとはいうものの、これがないと落ち着きません。スタンプはようやく4個目。先は長い。
 4月14日に行って以来、2週間近くかかって記事の方もゴールしました。皆さまに御礼申し上げます。23日(月)に行ってきた「勝手に近鉄ハイキング」もなるべく早めに着手したいと思ってはいますが、どうなりますか?

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コメント

こころんさん、重ねてありがとうございます。

地元にいらっしゃって、多生ともご縁がおありだった方ならではのお話だと思います。

この日行ったときには、幟はなかったように記憶しています。
今度、走井山に行く機会があったら、ゆっくり見てこようと思います。
また、あの会社のお稲荷さんは通りがかりに見ただけでたので、こちらも確認してみます。

お菊稲荷神社、何となく近寄りがたい雰囲気がありますね。
子どもの頃ですと、そういう感じがより強かったかも知れません。

ありがとうございました。

投稿: mamekichi | 2018年4月28日 (土) 21時01分

何年か前の正月に父と叔父が酒を飲みながら話してたのを
酒を飲みながら聞いてた話ですので確実とは言えませんが(^^;
祖父母が生きていたら確かな話に近づけたかもしれません。
そこの方が昔走井山の稲荷さんをお世話していたとか。
会社の稲荷と同一とか分祀とかそこまでは当事者ぐらいしかわからないと思いますが。
稲荷によく赤い旗が並んでますよね?
走井山の稲荷にそこの会社の名前の入った旗が並んでいたような微かな記憶があります。今は旗が無さそうですね。

稲荷にあまり近づかなかったので確かな記憶ではありません。
思い違いだったらすみません(^^;

投稿: こころん | 2018年4月28日 (土) 10時21分

こころんさん、おはようございます。

いつもありがとうございます。

お菊稲荷神社については、ネットで検索すると、訪れたが詳細は不明という記述ばかりでした。
情報をくださって、ありがとうございます。
途中で見た、あの会社と関係ありそうとは思ってもみませんでした。

また歴史案内人の方にも聞いてみようと思っています。

サンジルシの社章は、いわれてみれば確かにと思いますが、案外気がつかないものですね。
全身が廻船問屋さんだったというのも意外でした。

工場敷地内にはグラウンドがありました。
昔は、よその敷地で勝手に遊んでいましたし、それで怒られもせず、いい時代でしたね。
今では考えられません。

益生の線路をまたぐ歩道橋は、息子を連れて電車の写真を撮りに行ったことがあります。
おっしゃるように珍しいですよね。
石取りの祭車があそこの踏切を通る様子もなかなか面白そうですね。

この日のハイキングは予習をしませんでしたので、行き当たりばったり。
電車の時刻も予め調べておけば、走井山からのショットとか、もう少し工夫ができたのにと思っています。
レトロカラー電車は、矢田公園近くのところで撮りました。

三崎跨線橋まで戻るかとも思ったのですが、跨線橋の上からでは電車が大きく写らないと考え、あそこで撮りました。

カーブで電車がコケないかと心配なさったお話、よく分かります。
私は、川に架かる鉄橋(桁しかないところ)で落ちないかと怖がった記憶があります。

こちらこそ、いろいろと教えてください、お礼申し上げます。

投稿: mamekichi | 2018年4月28日 (土) 08時38分

おはようございます
ゴールおめでとうございます。
不確かな話ですが、稲荷を祀ってる会社と走井山の稲荷と関係あるようなことを聞いたことあります。昔チラッと聞いた戦争前後の話で自分が生まれてない時代なので不確かです^^;

♪1.2.3〜のサンジルシの三は木曽三川の三だったとは。
なるほどという感じです。
サンジルシの塀はけっこう高いのですが
子供の頃10人ぐらいで勝手に電柱から登って入り込み
中のグラウンドで野球して遊んだ記憶があります。
今思えば何をしてたんだという話で(笑)
そのくせ、帰りはバットを担いで堂々と正門から出てきて
守衛さんは見送ってくれました。いい時代(笑)

益生の陸橋は幼稚園から7年登り降りしました。
線路を跨ぐ陸橋は珍しくないですか?
石取祭りの試楽の時は立坂神社まで練り歩くんですが
上野の方から来てこの線路を山車が通ります。
11時前に北勢線と下の電車が交差する確率高そうですね。
北勢線を撮られた所は矢田公園の上の大きなカーブの所ですね。
子供の頃、乗っててこのカーブで電車がこけないか心配でした^^;

懐かしい景色を見せていただきありがとうございました(^^)

投稿: こころん | 2018年4月28日 (土) 08時11分

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