水鏡と花筏に挑戦……とんでもなくすごい爺様に遭遇した余談も











3月23日に行ってきた“近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ”のオマケ(補遺)です。四日市港で見たものを1つ書き忘れていましたし、諏訪神社で新たに見つけたものもあります。さらにもう1つは、諏訪公園で、前回行ったときに見つけた「五箇条のご誓文碑」を詳しく見てきたのです(2017年11月28日;またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。相変わらずの屁理屈、講釈で恐縮に存じます。
暖かくてよい天気。朝、散歩に出るときは寒い感じもしたものの、日中は16℃。今日は、春先にしては珍しく、ほぼ終日、木曽御嶽山がハッキリと見えていました。8時半前から、例によって住吉神社、九華公園、貝塚公園、NTNシティホール、寺町と6.6㎞の散歩。
お寺には、真慧上人の筆による「野袈裟(のげさ)」(棺に掛ける長方形の布。六字名号(南無阿弥陀仏)が書かれた葬具の一種)があります。野仏、野袈裟については、高田本山専修寺のサイトに説明がありましたので、以下に引用しておきます。第41話 野仏と野袈裟(のぶつとのげさ)中興上人(ちゅうこうしょうにん)と仰がれている真慧上人(しんねしょうにん)(第10世)は伊勢の地を精力的にご巡教(じゅんきょう)されて、沢山の寺院や念仏道場を作られました。そして布教の重要な手だてとして「野仏」と「野袈裟」という葬儀式の要具を下付けされました。「野仏」は今でも「野仏さん」と敬称されている阿弥陀如来のお軸で、死者の枕元にかけ、葬列のときには箱に入れて棺の前を歩く習わしになっていました。このことは、阿弥陀如来のお導きでお浄土に往生するということのお示しです。また「野袈裟」が使われる以前は死骸を村境の墓地に置いてくるだけで、せいぜい土をかぶせる程度だったので、腐乱した死体を鳥獣がつつく光景が人々に地獄を実感させました。真慧上人はこれでは、死者に申し訳ないことと、真宗の教えから「野袈裟」を遺骸の上にかけ、やすらかな死後の往生を念じられたのです。当時の「野袈裟」は縦1メートル20センチ、幅40センチの絹3枚を横につないだ大きさで、その中央に「南無阿弥陀仏」、その周囲に経文を記したものでした。このように「野仏」も「野袈裟」も阿弥陀如来さまは、亡くなった方に、どこどこまでもついて離れず、お浄土までお導き下さるということを形をもってお示し下さっているのです。この伝統は高田派だけに遺されているもので、念仏者の願いを如実に具現化してくださった真慧上人のご功績であります。ひとくち法話No41 ―高田派7― より
や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って「鯖大師」と呼び、弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに、商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説があります。とくに徳島の伝説としているサイトもあります(こちら)。林性寺の鯖大師については、右の写真のように説明がありました。以下に引用します:魚をもつ「鯖大師」像には、以下のような説明が書かれていました。右手に魚 左手に数珠を持つ石仏「鯖大師」-右は昭和五十五年四月 当山無縁塚の中から三重県文化財審議委員の平松令三龍谷大学教授によって発見された。東海地方で発見されたのは初めてであることのことである。平安時代から鎌倉、室町時代に建てられたものと推定されている。旅の安全、無病息災霊験あらたかである。鯖大師発見に当たっては榊原郵便局長増田晋作氏の多大のご助力を賜ったを付記する昭和六十一年三月吉祥日
台石には、この歌が刻まれていたそうです。「大坂や八坂さの斗 鯖 ひとつ 大師にくれで馬のはら病逢ひて 馬のはら止」であります。この意味は、次のところに載っているものではないかと勝手にお借りしています(こちらも参照)。
塩鯖を馬の背に乗せて八坂峠を越えようとした行商人に、身なりのよくない僧侶が「その鯖を一つくれ」と言ったが、行商人は「ダメだ」と断って行き過ぎようとしたところ、僧侶は『大坂や八坂さかなか鯖ひとつ 大師にくれで馬の腹やむ』というと、突然馬が腹痛を起こし動けなくなったのです。困った行商人はその僧侶に「何か言いましたね、鯖を上げますから治してもらえませんか」と鯖を渡しました。僧侶は『くれで』を『くれて』に直し、『腹病む』を『腹止む』と読み替えました。すると動けなくなっていた馬が元に戻り、元気に歩き出したという。
3月4日に出かけたJRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」のその1です。「老舗造り酒屋」は、山田酒造さんです。近鉄ハイキングの酒蔵みてある記でも、2月18日にあったのですが(歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」)、前日に伊藤酒造に行きましたので持ち越しという次第。お断りしておきますが、大酒飲みでもありませんし、山田酒造さんだけが目的ではありません。今回のコースには、蟹江城址など興味のあるところも含まれています(微笑)。
近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”のその2です。「その1」では、スタートして、いきなり楚原神社に寄り道し、その後、ねじり橋・めがね橋で三岐鉄道北勢線のナロートレインを撮影したところまででした。距離にして、1㎞あまりしか進んでいません。電車が来るのを待っていたりしましたので、10時にスタートして、撮影が終わった時点ではもう10時55分でした。
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