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2018年3月

2018年3月31日 (土)

水鏡と花筏に挑戦……とんでもなくすごい爺様に遭遇した余談も

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 「春に三日の晴れなし」といいますが、今年は好天続きです。来週後半までよい天気のようです。九華公園は、朝から大賑わい。散歩の帰り、寺町交差点を通ったら、吉之丸コミュニティパークの駐車場からそこまで渋滞(苦笑)。こんなことは今の時期しかあり得ません。散歩コースの桜もかなり楽しみましたが、あとは水鏡と、花筏。こちらの写真は、九華公園の二の丸跡で堀に浮かんでいたソメイヨシノの花。スズメかヒヨドリかが落とした花でしょう。
Img_7035c 8時半前から12時前まで、いつものコースを回って来ました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と6km。NTNシティホールの薄墨桜が終わりましたので、若干短めになりました。こちらは、住吉神社の前から、揖斐・長良川を挟んだ対岸にあるなばなの里。桜が咲いているのが見えます。
Img_7027c 今日も三の丸水門近くの堤防には、ヒドリガモが40羽ほど集まってきていまImg_7029c した。昨日もそうでしたが、8時半過ぎくらいにどこかから集団で飛んできます。
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 はじめに書きましたように、水鏡と花筏に挑戦してきましたが、う~んというImg_0071c ところ。左の写真は、二の丸橋の南側のたもとのところ。右は、外周の遊歩道の南から朝日丸跡を撮ったもの。いずれももうちょっとという感じです(苦笑)。
Img_9893c 二の丸橋の南側のたもとは、東の方からも撮ってみたものの、やはりイImg_9902c マイチ。水面がやや波立っているのです。右は、野球場の南にあるしだれ桜のところを朝日丸跡から見たもの。これがもっともよく撮れているかも知れません。
Img_0066c 続いて花筏。昨日の強風でわずかに散った花びらが浮いています。左の写真は、二の丸堀の南東隅(外周遊歩道の南)あたり。ここは、揖斐川からの導水の流れや、風の具合で集まりやすいところ。
Img_0105c もう1ヶ所。堀の南西の端、立教小学校の体育館の裏のところでもトライ
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。場所を少し変えてもう1枚。水鏡同様、なかなか自分でも満足するものが撮れません。これは再挑戦というか、リベンジというか、また明日にでも(苦笑)。あまりムキにならない程度にやりましょう。
Img_7042c ところで、バードウォッチングの成果。九華公園も桜の咲いているところは人出が多くて、鳥もいません。むしろ、鎮国守国神社の境内が穴場。まずは、社務所の裏。いつぞらゴイサギが6羽飛び立ったのですが、その後少し戻ってきたのか、今日は4羽を確認。しかも左の写真で左上をよくご覧ください。ホシゴイの姿もあります。
Img_7043c ここで、ホシゴイはずいぶん長い間見ませんでしたが、いたということでImg_9866c す(苦笑)。ゴイサギ&ホシゴイには、翻弄され続けています。右の写真は、左上の写真に写っているゴイサギさんです。お休み中のようです。
Img_7062c 鎮国守国神社の手水場近くでは、シロハラさん。こういうあまり明るくなImg_9934c い、木陰が好み。右は、カワラヒワ。社務所の玄関前の電線にて。
Img_0026c ユリカモメは3羽。二の丸堀の東にもいたのですが、この写真は、野球場のライト側フェンスの支柱の上。カモたちは、18羽とさらに減少(今日は写真はありません)。ハシビロガモのメス1羽とキンクロハジロ。
Img_7110c そして、花とおじさんではなくて、花とオオバン。オオバンは、堀めぐりのImg_7135c 船が動き出しても、逃げていきません。花筏のところにもやって来て、何かを一所懸命食べています。右の写真のエナガは、拙宅マンションの小公園にて。諸戸氏庭園からやって来ました。
Img_0037c 桜を楽しんでいるのに、気が早いといわれること必至ですが、九華公園Img_0039c でツツジが咲きそうになっているところを見つけてしまいました(苦笑)。知事とお話ししていて、ふと見たら何やら赤いものがある! と思ったのです。いやぁ、この春の気候はいったいどうなっているのか?
Img_7068c 気が早いついでに(微笑)、九華公園の藤棚の様子。こちらも早くもこんな風。例年、ソメイヨシノが終わって、4月中旬くらいに開花しますが、早く咲き始める可能性大と思えます。
Img_7051c オマケ。九華公園で見た光景。モンシロチョウが、桜の蜜を吸っていました。ほとんど見ない気がします(気づかないだけかも知れませんが……)。
Img_0140c さらなる余談。散歩を終え、マイソメイヨシノが見えるところまで来たら、スポーツタイプの自転車で、小生より高齢の男性がやってこられました。住吉入江の堤防にヒョイと飛び乗って桜の写真を撮っておられます。何となく話し始めて、いろいろ伺ってビックリ仰天。名古屋から自転車で来て、九華公園をまわり、これから弥富の鍋田側堤の桜を見て帰るとおっしゃいます。御年82歳(5月で83歳とか)。足は筋肉質。この10年で自転車で走った総距離が10万㎞に達したとか、自転車利用日帰りであちこちに写真撮影に行くが、1回、平均60~70㎞を走るとか、以前は時速20㎞出せたが最近は15キロくらいに落ちてきたので、ギアを大きくして負荷を掛けるようにしたとか、知多新四国八十八ヶ所は10数回も回ったとか。まさにアングリでした。来月は、根尾谷の薄墨桜を自転車で見に行くともおっしゃっていました。目立たないところですごい方はいらっしゃるものです。

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2018年3月30日 (金)

桜、さくら、サクラ

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 晴れてはいますが、朝から割と強めの風が吹いています。散歩コースやその近くでも、早いところは桜の花びらが舞っていました。今日は、いつもの住吉神社、九華公園、貝塚公園コース。寺町に寄って6km。冒頭の写真は、七里の渡し跡あたりから、桜堤防の並木と多度山を撮ったもの。多度山も山腹に桜が点在しているのが見て取れます。
Img_9661c 左は、三の丸公園の桜並木。西側のところ。ここはなかなか見事。右は、蟠Img_9672c 龍櫓と桜。この景色は自分好みで、毎年桜の季節になると、飽きずに必ず撮影しています。一昨日の夜桜のうちの1枚もここで撮っています(月28日;夜桜見物に行ってきました……九華公園、蟠龍櫓、七里の渡し跡、5枚目)。
Img_6859c 三の丸水門のすぐ下流側の堤防には、ヒバリの夫婦がいます。時々姿を見ないこともありますが、このところたいていは同じところで見かけます。ここで繁殖してくれるのでしょうか? 期待しています。
Img_6876c その三の丸水門のところ(左の写真は、水門の川の側)、今日もまたヒドリImg_6891c ガモが40羽以上集まっていました。帰るに当たっての集合場
所ではないかと思っています。小生が覗き込んだのをきっかけに、下流側の堤防に皆上陸。このあと、草を食べ始めました。
Img_9692c たまにはということで、吉之丸コミュニティパーク入り口におわす本多忠勝Img_9703c 公の銅像を撮影して、九華公園に入ります。早い時間帯から散策や、花見の方多数。家族連れ、年配のご夫婦、カメラをもった方などさまざま。
Img_9731c いつもとは違ったアングル、視点でと思うのですが、なかなかうまく行きまImg_9739c せん。この吉之丸堀にある東屋を入れて桜をと思うのですが、北から南を撮ることになりますので、どうしても逆光気味。
Img_6956c 個人的には、二の丸橋の南側のたもとのところが、ボリュームがあってImg_9764c 好みなのですが、これまた南を向いて撮らねばならず、なのです。風がなく、水面が穏やかですと(堀めぐりの船が動く、10時より前にという条件もあります)、ここを水鏡で撮るといい景色になるのですが、今日はあいにくの強風。
Img_6950c 花見で賑わうこともあり、また、冬鳥も帰り始めていることもあり、鳥は少Img_6942c なめ。今しか撮れないショットは、カモと桜のコラボ写真。しかし、カモたちが桜の花の近くにいてくれるとは限らず、難しい。今日のカモは、27羽。ヒドリガモのペア1組、ハシビロガモのメス1羽とキンクロハジロたち。行燈が浮いていない堀の東の方に集まっています。船が動くと、揖斐川方面に飛んで行ってしまいます。
Img_9713c ユリカモメは、4羽が飛来。過去のデータでは、3月末頃までやって来ます。今日も、「ガングロ」ユリカモメが1羽含まれていました。夏羽になるとこんな風に変身するのは知られておらず、皆さんにお教えするとビックリされ、ウケます。
Img_6932c 他には、カワラヒワ(左の写真)や、ヒヨドリ、ムクドリなどしかいません。鳥見としては、早く花見シーズンが終わってくれないかなどと、密かに願っています(苦笑)。
Img_9772c 京町交差点近くでしばらく待って、ツバメを確認。この交差点近くには、把握しているだけで3ヶ所の巣があります。4月後半から卵を産み、5月に入ると雛の姿が確認できると期待しています。
Img_9781c 寺町商店街の河津桜は、すっかり葉桜。商店街には、新しく雑貨&カフェのお店が昨日(3/29)オープン。MAGO7(マゴヒチ)というお店。以前は、お菓子屋さんだったところ。写真を撮っていたら、お店の方から「またぜひお立ち寄りください」といわれました。
Img_9783c 桑名別院・本統寺さんにお参り。ここの桜も満開。山門前の桜、1ヶ月くらImg_9788c い前でしたでしょう、かなりの老木だったのが伐採されてしまい、ちょっと残念。さぁ、気を取り直して、来月からの非常勤の講義資料のバージョンアップ作業に取り組むことにしましょう(微笑)。

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2018年3月29日 (木)

懲りずに夜桜見物

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 2日連続で夜桜見物としゃれ込みました(微笑)。ただし、わが家近くの諸戸氏庭園前と、住吉入江あたり限定です。冒頭の写真は、諸戸氏庭園前の桜並木。住吉入江に泊めた船からライトが当たっています。それを南側から撮影。
Img_9569c 場所を少し東に移動して、別のカメラで同じあたりを撮ったもの。かなり違います。我ながらビックリ。この写真、向かって左端が、マイソメイヨシノです。最初の写真はコンデジ(Nikon coolpix S7000)、2枚目は超望遠コンデジ(Canon SX60 HS)。
Img_9620c 次は、拙宅マンション前(東側)の住吉入江の景色。正面左の大きな建物は、住吉ポンプ場。入り江の護岸や、散策路にライトが点在していますが、これは毎晩点灯しています。
Img_9516c 住吉入江南、三崎見附近くに設置された和傘のオブジェ。裏からライトアップするという話でしたが、それはまだでした。このオブジェ、マンションの掲示板に掲示があり、灯街道のイベントに協賛して4月10日までだそうです。
Img_9543c 桜は、玉重橋から南の住吉入江沿いで撮ってきました。夜なのに三脚も使Img_9548c わず、手持ちでしたので、ブレブレ写真を量産してきました(苦笑)。

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播磨中央公園で花見&鳥見……イワツバメも寄り道してみてきました

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 今日は、こちら、播磨中央公園などに行ってきました。桜がけっこうよいといImg_9431c うのをどこかで見たのと、冬鳥を観察しに行って以来、しばらくご無沙汰していたからです。桜はご覧の通り、調整池のまわりにソメイヨシノが植えられていて、満開で見事でした。散歩や花見の方もけっこう歩いておられました。公園内を3.5㎞ほど歩き回ってきました。
Img_9380c  前回(2018/01/20;播磨中央公園でカワセミと、カイツブリの暴走(笑)……大山田川には鳥影少なし)行ったときには、調整池には、カワセミ、カルガモ6羽、カイツブリ4羽がいたのですが、今日は、カイツブリ1羽と、カワウ1羽のみとちょっと寂しい(苦笑)。公園内を回り始めるときと、帰る前と2回見たものの、メンバーは変わらず。
Img_9373c 調整池のすぐ北側の広場には、ムクドリと、ハクセキレイ。両方ともにこのImg_9378c あと、公園内のあちこちで出会いました。播磨中央公園でもっともポピュラーな鳥といえる気がします。
Img_6609c 公園の北、陽だまりの丘4丁目にある調整池も覗いてきましたが、ここにはImg_9388c カルガモ2羽と、カイツブリ2羽。どちらもペアのように思われます。
Img_9397c 再び播磨中央公園に戻ってきて、子供広場の近くでは、ホオジロ。左のImg_9404c 写真はメスですが、オスも近くにいました。このあたりでは、他にツグミや、キジバトなども見られました。
Img_6618c 子供広場と公園の調整池の間には雑木林が残されています。いつもそImg_9421c の中も見ていきます。しかし、見つけたのはコゲラのみ(写真は撮れず)。散策路を通って陽だまりの丘2丁目の住宅街の端っこに出て来ます。そこにいたのは、ホオジロ。住宅街の端、防災倉庫がある広場に来ると、ヒバリが1羽エサ探し。ペアの相手は見えませんでしたが、このあと「揚げ雲雀」が聞こえていました。
Img_6639c ジグザグの通路を調整池の方へ降りてくる途中、アオジや、ジョウビタキらしき鳥を見かけたものの、写真には撮れず。かなり降りてきたところで、ホオジロのオス。前回もホオジロはよく見かけました。
Img_9438c 思ったほどの鳥は見られませんでしたが、ここはかなりアップダウンのあImg_6643c る公園で、普段よりも運動になった気がします(苦笑)。トレーニングという意味では、いつもの散歩コースよりもよいかも知れません。このあと、去年、御衣黃を見に行った藤が丘デザイン公園にも立ち寄って来ました(2017/04月/18;御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)。しかし、まだ早すぎました。普通は4月下旬に開花ですから、いくら暖かいからといっても、気が早すぎ(苦笑)。
Img_6655c もう1ヶ所は、大山田川にかかる新宮西橋をチェック。ここは、イワツバメImg_6688c が営巣しています。家内からの情報で、ずいぶん前からたくさん来ているということで気になっていたのです。イワツバメはリンク先をご覧いただきたいと思いますが、普通のツバメよりもずんぐりむっくり(微笑)。本来、その名の通り、岩に巣を作るのですが、最近はこういう端など人工物を利用するようになっています。橋桁の裏に巣を作っています。
Img_6668c 近くの土手に降りたって巣の材料にするのでしょうが、枯れ草を集めたImg_6806c り(左の写真)、大山田川に降りて泥を咥えていったりしていました(右の写真)。どちらの写真も、証拠写真レベルで、今ひとつハッキリしません。再挑戦が必要です。
Img_6739c 時々川の護岸のコンクリートにも降りてきていました。割れ目に嘴を突っImg_6771c 込んでいるように見えたのですが、何をしていたかは不明。ツバメですので、飛ぶスピード速く、なかなか写真には撮れません。なかなかかわいらしいのですがねぇ。
Img_6696c 巣は繰り返し使っています。毎年修復を繰り返しているImg_6697c ようです。このあと、以前、イワツバメが営巣していた近くの養老鉄道の高架橋も見に行ったのですが、そちらにはイワツバメはいませんでした。ここは、イワツバメの巣をスズメが使っていたりしたのですが、スズメも見られず。
Img_9478c 本日のマイソメイヨシノ(微笑)。見事です。今晩から、ライトアップが行われるそうですから、また見に行かないと。ライトアップは、住吉入江に浮かべた船からだそうです。

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2018年3月28日 (水)

夜桜見物に行ってきました……九華公園、蟠龍櫓、七里の渡し跡

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 夜8時過ぎから思いついて、ブラッと夜桜見物に行ってきました。昼間、九華公園に行ったら満開だったからです。一つ前の投稿の写真とも比べていただければ幸いです。こちらは、九華公園・奥平屋敷跡から見た二の丸跡。ライトアップの仕方もなかなかのもの。
Dscn6518c 左は、二の丸橋のたもと、東側のソメイヨシノ。もっともボリュームがあるとこDscn6532c ろ。二の丸橋から撮っています。右は、吉之丸堀にある東屋から見た二の丸跡。昼間とはまったく違った眺めです。
Dscn6538c 九華公園の北門を入ったところにあるソメイヨシノ。なかなかの枝振りの木です。夜桜見物の方もたくさん、写真を撮っていました。今風にいえば「インスタ映え」する景色なのでしょうか?
Dscn6546c 左は、三の丸公園から見た蟠龍櫓と、ソメイヨシノ。桜の木の左からライトが当たっていますが、桜の影が蟠龍櫓の壁に投影されていて、なかなか面白い景色になっています。
Dscn6549c 七里の渡し跡にある伊勢一の鳥居。この鳥居も、鳥居の下からライトアッDscn6552c プされています。ここは、山桜の木がありますが、まだ咲き始め。満開になるとまたよい景色になります。右は、七里の渡し跡から撮った蟠龍櫓と、三の丸公園のソメイヨシノ。
Dscn6578c 昼間見てきた三崎見附の日傘のオブジェ。写真を撮っていたら、タイミンImg_9181c グよく設置された方に遭遇。明日は、オブジェを設置した足場を布で覆って隠した上、後ろからライトを当てるそうです。また、諸戸氏庭園前の桜も、住吉入江に浮かべた船からライトを当てるそうです(右の写真)。明日も夜桜見物に行かなくっちゃ(微笑)。

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桜も満開、堀めぐりも始まり、花見気分も満開……ガングロのユリカモメ(笑)とツバメも

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 2日ぶりに九華公園に来たら、桜は満開。今日からは堀めぐりの船の運航も始まり、花見気分も満開。散歩、花見の人も多数。知り合いにもたくさん出会って、話にも花が咲きました。8時半から12時まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、NTNシティホール、寺町と7㎞を歩いてきました。
Img_9184c 住吉神社の前から揖斐川の上流を眺めた写真。遠くはさすがに霞んでいまImg_9188c す。伊勢大橋、多度山もボンヤリ。奥の方にわずかにピンク色が見えていますが、これは桜並木。ズームアップすると、右の写真の通り。伊勢湾台風まで桜並木があり、「桜堤防」と呼ばれたものを復活したのです。
Img_6380c 揖斐長良川の対岸、長島町側を見ると、なばなの里の桜も見えます。右Img_9197c は、蟠龍櫓。三の丸公園側から撮ると、このように桜とのコラボになります。ここの桜、満開にはもう少しですから、満開になったときにもう一度チャレンジしましょう。
Img_6521c こちらは九華公園のお堀にやって来たユリカモメ。念のため書いてImg_6519c おきますが、3羽ともユリカモメです。ガングロになってきているのは夏羽にモデルチェンジ中なのです。例年、3月末には来なくなりますので、九華公園でここまでガングロになったのを見るのは珍しい。
Img_6573c そして、ツバメ。3月14日に初めて見たのですが、なかなか写真に撮れずにいました。今日は、とうとう、京町で撮影に成功。まだ巣作りはしていませんが、飛び回って、時々電線で休んでいます。また近いうちに、ツバメの巣の巡回も始めないといけません。
Img_9314c 冒頭に書きましたように、九華公園のソメイヨシノも満開。今朝の新聞のImg_6542c 「桜だより」では5分咲きとなっていましたが、ちょっと情報が遅い気がします。左の写真は、二の丸橋のたもと、東側。ここのソメイヨシノはボリューム満点。右の写真は、同じあたりを東から見たもの。
Img_9219c 吉之丸コミュニティパーク入り口にある本多忠勝公の銅像も、桜とのコラボ写真。一段と凜々しさが増している気がします。
Img_6405c さて、九華公園、さすがに人出が多くて野鳥は少なめ。そImg_6428c れでもカワラヒワはたくさん出て来ていました。見ていると、巣材を集めているものがけっこういました。カワラヒワは、これから巣作り、繁殖となるような印象です。
Img_9267c  不出来な写真ですが、エナガ。羽毛を咥えています。すでに卵を抱いているエナガもいるのですが、繁殖にはやはり個体差があるようで、こちらはこれから巣作りに入ると思われます。花見のピークが過ぎた頃には、雛が見られないかと期待しています。
Img_6431c その他には、シジュウカラと桜。さえずっていました。ツグミはまだあちこImg_9266c ちで見られます。例年、このあたりでは4月末までいます。今年は暖かいのでどうなるでしょう。
Img_6436c カモは、今日は30羽。ハシビロガモのメス1羽の他は、キンクロハジロばImg_6540c かり。ただし、堀めぐりの船が動き始めたら、一斉に飛び立って揖斐川の方へ去ってしまいました。これも毎年のことで、まだ帰ってしまわないと思います。
Img_9263c ジョウビタキは、オスもメスもまだ1羽ずつ確認しました。オスの方は、ピンぼけ写真でしたし、メスもこんな写真しか撮れませんでした。
Img_9293c スズメが落としたと思われる桜の花、九華公園と、内堀公園とで確認してImg_9326c きました。右の写真、内堀公園で撮ったものですが、ありがたかっていました。他のものをなめてみたら、わずかに甘い感じ。やはり蜜を吸ったのかという気がします。虫眼鏡を持参して詳しく見ないといけません。
Img_9341c 帰り道、三崎見附から住吉入江に進んでくると、ご覧のような光景。日傘Img_9349c が並べてあります。何かのオブジェ? 一昨日はありませんでした。まわりにはどなたもいらっしゃらず、詳細は不明。しかし、桜とのコラボ写真に最適でした。

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2018年3月27日 (火)

神湯館の糸桜を見に家内の実家へ……猛禽類について付記しました(3/28)

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 暖かい日が続き、あちこちで桜が満開になりつつあります。今日は、家内の実家へ。いつものように、あれこれ用事をしつつ、夕方には散歩をしてきました。まず見たかったのは、神湯館という旅館にある「糸桜(イトザクラ)」です。しだれ桜の一種ですが、この名前で呼ばれています。神湯館は80年余り前に榊原温泉復興シンボル旅館として開業しました。西隣には温泉の神を祀る射山神社があります。
Img_9050c もう少し早い時間に行けばよかったのでしょうが、都合で夕方5時頃になっImg_9047c てしまいました。夜にはライトアップがされるそうです。「吾作の榊原温泉たより」のブログでも紹介されています(早くもイトザクラ満開です)。
Img_8989c 榊原は山里。山に囲まれていますが、その山にも桜の木があります。もう少Img_9120c し早くて、明るい時間に撮っていればもっときれいに見えたと思います。想像力をたくましくしてご覧くだされば、幸いです(微笑)。九華公園のようにたくさんの桜が並んでいる景色もよいのですが、こういう山に桜が点在しているのもまた一興という気がします。
Img_8976c 16時半から小1時間、2㎞あまりを歩いてきたのですが、予想外にたくさんの鳥に出会いました。まずは、こちらの猛禽類。タカの仲間? ハヤブサ? そんなに大きくはありません。電柱の上に止まったところ。
Img_9092c 山里にいるのか、とも思うのですが、イソヒヨドリのオス。以前もこのあたりで見ています。どの図鑑を見ても「海岸や岩山などで多く見られる」とあります。家内の実家のあたりは、津市の海岸(たとえば、ほぼ真東にある阿漕浦)からは、13㎞以上あります。
Img_8962c もっともたくさん見たのは、ホオジロ(左の写真)。あちこちに出て来ます。Img_9010c さえずっていました。エナガは梅の花に出て来ていました。同じあたりには、シジュウカラもいました。
Img_8999c こちらはヤマガラ。九華公園や、諸戸氏庭園など散歩コースでは、この2~3年見なくなっていました。本当に久しぶり。「ビィービィービィー」と鼻にかかった地鳴きの声が聞こえて来て、あたりを探し回りました。
Img_8949c 今日は実家の裏から東に掛けて流れている沢の掃除。冬の間に溜まった落ち葉を掻き出し、山から流れてきている石をどけてきました。慣れないことで疲れました(苦笑)。まぁ、いつもはやらないことをやれたというのは、目新しく、それなりに楽しめたのも事実ですが……。
Img_9156c 夕方、日没の前後、西の青山高原の景色。風力発電の大型風車がゆっくりと回っていました。
【付記(3/28)】 猛禽類は、pnさんのご教示でサシバと思われます。サシバは、渡りをするタカとして有名で、愛知県伊良湖岬などでは群れで飛ぶことが知られています。日本へは夏鳥として渡来し、里山の代表種とされます。

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2018年3月26日 (月)

もう春本番です……桜はかなり咲き、ホオジロ、イソヒヨドリなどを見る

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 諸戸氏庭園前にある「マイソメイヨシノ」であります(微笑)。このところの暖Img_8808c かさでかなり咲きました。「マイソメイヨシノ」は、勝手に認定しているだけですが、皆様もご自身の好みの桜の木をお持ちになると、この季節よりいっそう楽しくなること請け合いであります。
Img_8927c こちらは、住吉入江の三崎見附近くにあるソメイヨシノですが、これ、「マイソメイヨシノ2」にしたいくらい気に入っています。手前と奥と2本あるのですが、セットで認定したいと思っています(微笑)。ちなみに、諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノも、こちらのマイソメイヨシノ2候補も、マンション9階の拙宅からよく見えます。
Img_8898c あちこちから桜の開花情報が届き、満開も近いという話があふれています。Img_8879c 九華公園は、新聞の「桜だより」では、咲き始めとなっていますが、今日はこんな風になっています。左は、外周の遊歩道の南(キッチン寿さんの裏)から見たもの。右は、本丸跡の時計塔の近くの様子。2~3日もすれば満開でしょう。
Img_8896c 野球場の南にあるしだれ桜は、もうこんなに咲いています。さくらまつりは、Img_8846c 4月1日からですが、「堀めぐり」の船は、明後日・28日から運行ということです。「夜桜舟めぐり」もあります。右の写真の通りです。
Img_8889c 九華公園にいらしたら、管理事務所の南、昔はクジャクなどが飼われていた鳥小屋であったところに「桑名の城跡・47」のパネルが展示されていますから、これも是非ご覧ください。というのは、PRであります m(_ _)m 小生と前管理人Oさんの合作です。
Img_8802c さて、今日はよく晴れて、最高気温は20℃。散歩日和といいますか、しっかり汗を掻いてきました。歩いたのは、6.9㎞。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園からNTNシティホール、寺町と回って、鳥見&桜見であります。
Img_8827c カモは減ってきたものの、ホオジロやイソヒヨドリのメスなども見られましImg_6282c た。ホオジロは、三の丸公園にて。さえずっていました。近くには、イソヒヨドリのメスの姿もありました。先日来、住吉ポンプ場のあたりでも見ていましたが、同じイソヒヨドリのメスのように思います。
Img_6274c 三の丸水門の東、揖斐川の上をアオサギが上流の方へ飛んでいきました。逆光気味だったので真っ黒。娘に「クロサギか?」といわれてしまいました(苦笑)。繁殖期ですから、コロニーに行くのでしょうか?
Img_6297c 九華公園、二の丸跡ではコゲラ。エナガも出て来たのですが、きちんとしImg_6320c た写真は撮れずじまいで、残念。メスはまだ尾曲でしたから、巣で卵を抱いていると思います。ジョウビタキのオスは、朝日丸跡にて。このほか、シロハラ、ツグミも見たものの、こちらも写真は失敗。
Img_6335c カモたちはずいぶん減りましたが、まだ27羽が滞在中。ほとんどはキンクロハジロですが、ハシビロガモのメスも1羽混じっています。桜が咲き始めましたから、桜とのコラボ写真が撮れます。
Img_6266c 今日、散歩コースでもっともたくさん見たのは、カワラヒワ。左は 桑名七里Img_8904c の渡し公園にて。右は、貝塚公園で。ペアや、小集団で出て来ていました。カワラヒワの繁殖はこれからなのでしょうか。エナガもそうですが、カワラヒワの巣も見てみたいのですが、これまでは見つけられていません。
Img_6343c 左は貝塚公園で見たツグミ。ツグミは、まだまだ三の丸公園や、九華公Img_6346c 園でも見ます。右も貝塚公園にいたシロハラ。シロハラも、九華公園でも見られます。
Img_6363c 寺町商店街の河津桜は、かなり散ってきています。スズメがやって来ていましたが、スズメは桜の花を丸ごと落としてしまいます。蜜を吸っているのか、花の根元にある何かを食べているのか? 明日以降、確かめてみようと思います。
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 他にもあちこちで桜を見てきました。この季節、恒例です。左は、九華公
Img_8918c 園のが異臭遊歩道の南にある山桜。九華公園にある山桜はこれ1本だと思います。咲き始めています。右は、NTNシティホールの薄墨桜。よく見ると、鼻が傷んできていますから、そろそろ散り始めるかも知れません。
Img_6352c こちらはその薄墨桜のクローズアップ写真。薄墨桜は、散り際には特有の薄墨色になるといいます。それを確認したいと思っていますが、どうでしょう?
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 諸戸氏庭園前まで戻ってきて、煉瓦蔵とソメイヨシノ。煉瓦蔵は、三重県文化財。今年の春の特別公開は、4月21日~6月10日の予定だそうです(こちら)。
Img_6369c オマケ。拙宅前の住吉入江には、まだキンクロハジロのオスが2羽常駐。オオバンも1羽はいます。キンクロハジロ、今日は、珍しく上陸して身繕い。久しぶりに見かけました。
Img_6300c さらなるオマケというか、勝手にお知らせ。九華公園で知り合ったMさんが、今年も「桜ライブ」を開催されます。奥平屋敷跡にあるステージで、4月1日と8日、いずれも日曜、11時~14時頃の予定。去年、聞かせてもらいましたが、なかなか良い感じでした。お近くの方、この日に花見を予定していらっしゃる方、ぜひお越しください。

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20180323近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ(オマケ)……四日市旧港の「波止改築記念碑」、諏訪神社の伊勢神宮遙拝所、諏訪公園の「誓文御柱」

Img_5348c  3月23日に行ってきた“近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ”のオマケ(補遺)です。四日市港で見たものを1つ書き忘れていましたし、諏訪神社で新たに見つけたものもあります。さらにもう1つは、諏訪公園で、前回行ったときに見つけた「五箇条のご誓文碑」を詳しく見てきたのです(2017年11月28日;またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。相変わらずの屁理屈、講釈で恐縮に存じます。

Img_5576c 四日市旧港の稲葉翁記念公園近くで見たのは、この「波止(なみどめ)改築Img_5575c 記念碑」です。この裏のプロムナードの方から来ましたので、「何やら石が立っている」と思って、こちらへ回ってみたら、「波止改築記念碑」でした。これは、防波堤改築を記念して明治27(1894)年に作られた碑です。稲葉三右衛門君彰功碑、潮吹防波堤とともに国の重要文化財に指定されています。潮吹防波堤に近づいていける突堤の根元に立っています。前回来たときは(2017年11月25日、どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)、突堤の方へは来ず、気づかなかったものです。
Img_5691c 続いて、諏訪神社と諏訪公園。ここも去年(2017年)11月28日に来ています(またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。諏訪神社は、鎌倉時代初期の建仁2(1202)年に、信州の諏訪大社から勧請し、創祀されています。御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)。四日市の歴史とともに歩んできた総産土神とされます。
Img_5679c 境内社は、山津見神社、政成稲荷神社、天神社の3社。前回は、まださImg_5702c ほど神社を詳しく見る習慣がありませんでした。今回、このうち、山津見神社(右がその拝殿)で「お約束の場所」を見つけたのです。
Img_5710c それは、こちら、伊勢神宮遙拝所。山津見神社の拝殿に向かって、右手Img_5711c に建てられていました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行くようになってからの印象ですから、きわめて限られた経験に基づいて書けば、四日市市内の神社には、こういう遙拝所が多いような気がします。ただし、これはさらに調べを続けなくてはなりません。
Img_5735c なお、去年来たときにもブログに書きましたが、諏訪神社の境内には、明治神宮遙拝所が設けられています。昭和9(1934)年1月に建てられたものです。
Img_5757c そして、こちらは諏訪公園内になると思いますが、「五箇条のご誓文碑」。まわりを何度も回った上で、登ることができるようになっていましたので、登ってきました(微笑)。五箇条の御誓文は、慶応4(1868)年4月6日に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。
Img_5747c
 台座の南側には、このように「誓文御柱」と刻まれていました。したがっImg_5744c て、この石碑は、南が正面だと考えられます。この上に石柱が載せられています。石柱のすぐ下のところには、菊の御紋章、さらにその下には、「彌榮」などのことばがそれぞれ入れられています。
Img_5742c 左の写真は、南および南東側の石碑に刻まれた五箇条の御誓文。左にImg_5748c は「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」と、また、右には「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ」とあります。右の写真は、西側から撮ったもの。2つめの文が刻まれています。五箇条の御誓文は、下に引用するとおりの内容ですから、南を正面にして時計回りに御誓文が刻まれていることになります。
  • 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
  • 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フべシ
  • 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
  • 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
  • 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ
Img_5752c 5つの面、すべて確認してきました。上述の通り、南の面から順番にご誓Img_5753c 文が刻まれています。
Img_5759c この「誓文御柱」は、四日市で肥料・製Img_5763c 油・石炭・運送などの事業を手がけた村山清八氏により、市民壇(今は南部丘陵公園に移築)・国旗掲揚塔とともに私財を投じて昭和9(1934)年3月につくられたものです(こちら)。村山清八氏は、明治17(18849年、宇治山田に生まれ、縁あって村山家を継いだといいます。
 

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2018年3月25日 (日)

近鉄ハイキング「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ

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 最高気温18℃。風はなく、いささか暑く感じるくらいですが、ハイキング日和(微笑)。一昨日に続いて、今日も近鉄ハイキングに行ってきました。今日は、「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ。近鉄名古屋線・高田本山駅から伊勢鉄道の廃線跡を巡って、同じく江戸橋駅まで歩く、約5kmコースです。このあたりは、非常勤の講義にも行っていますし、高田本山へも行きましたので、なじみではあるのですが、伊勢鉄道の廃線跡を巡るというのは、魅力的です。伊勢鉄道とはいっても、現在の伊勢鉄道ではなく、明治44(1911)年、三重県四日市市に設立された鉄道会社で、現在の近畿日本鉄道名古屋線・鈴鹿線、養老鉄道養老線を作り上げた会社です。伊勢電気鉄道として知られています。
Img_5953c いつもより1本早く、桑名駅を8時42分発の松阪行き急行に乗車。白子駅にImg_5956c 9時14分着、ここで9時15分の津新町行き普通に乗り換え。高田本山駅には、9時30分に到着。¥690。
Img_5962c 受付は9時半から10時半のはずですが、駅前は空いていました。小さい駅Img_5960c で、駅広場も狭いので早くから受付をしたようです。ここで係の方からコースマップをいただき、あみま倶楽部の会員証にスタンプをもらいます。右がコースマップ。右上の①横川橋脚跡から左中央、さらに中央下へと少し太めの破線が描かれていますが、当時の伊勢電鉄が走っていたルートです。これ沿いにいくつか廃線跡があり、それらを訪ね歩くという企画でした。
20180325takadahonzan 実際に歩いたルートを距離測β上に描いたものです。高田本山駅から反時計回りに一周弱したところから南下して、江戸橋駅に向かいました。江戸橋駅南東の江戸橋常夜燈と江戸橋を見て、ゴールインであります。
180325takadahonzan1 実測ルートを拡大し、訪れた場所と距離とを入れたものです。4km地点までこの範囲に含まれています。
Img_5970c 高田本山駅を9時36分にスタート。近鉄名古屋線の線路Img_5978c を横切って南東に向かい、志登茂橋で志登茂川を渡ります。志登茂川の左岸から支流の横川沿いを遡っていきます。
Img_5982c 横川のすぐ西には、来るときに乗ってきた近鉄名古屋線の線路が見えまImg_5983c す。向かって右が四日市・桑名方面、左が高田本山・江戸橋・津方面。ちょうど難波行きのアーバンライナーが通過していきました。上流方向に目を向けると「沈下橋」があります! マップによれば、この橋を渡ることになっています。
Img_5992c 最近はこういう橋を渡ったことはありません。天気もよく、水量も少ないのImg_6001c で、どうということはありませんが、雨が降っていたり、増水していたりすると、ちょっとスリルがありそうです。このあと、県道410号線をくぐり、すぐに近鉄名古屋線の踏切を渡ると、最初の目的地である横川橋脚跡になります。余談ですが、県道410号線は、1月に行った真宗高田派の専修寺(高田本山)の方に通じています。
Img_6004c 県道410号線の北側の道路から少し入ったところに横川橋脚跡がありまImg_6010c す。いきなり余談ですが、この道沿い、ツクシの宝庫(微笑)。橋脚跡そっちのけでツクシ取りに熱中していらっしゃる女性の方もありました。本論に戻りますと、左の写真に写っている道、コースマップによると、廃線跡と思われます。大正4(1915)年に白子駅~一身田町駅(高田本山駅の前身)が開通した時のもので、昭和30(1955)年、高田本山駅~江戸橋駅のルート変更の際に廃線になったところと思います。
Img_6015c こちらが横川橋脚跡です。左の写真で、男性の右手、川の中にある、石Img_6008c のようなものがそれ。右は、クローズアップした写真。小生のような、ほとんど素人はいわれてみないと、わかりません。水量が少ないともっとよく分かると思いますが、煉瓦を積んだもののように見えました。
Img_6018c 県道410号線沿いの道から、県道に出て北西へ。北部運動場&三重武Img_6026c 道場の前を通って伊勢鉄道の高架をくぐり、再び志登茂川を渡り(平野橋)、志登茂川右岸にコースをとります。右の写真は、この橋から北を見たもの。丘陵地には一身田豊野の住宅団地や、高田短期大学があります。
Img_6034c 先程くぐった伊勢鉄道の高架をまたくぐります。JRの特急・南紀や、快速Img_6041c みえが四日市から津へショートカットするためこの路線を通りますので、第三セクターの路線としては列車は頻繁に通ります。左の写真は特急のワイドビュー南紀 。このすぐ南には、伊勢鉄道・東一身田駅が見えます。
Img_6043c 200mほど歩いて行くと、皆さん堤防の上に上がって行っているようでしImg_6045c た。堤防の上をさらに行ったところに、志登茂川橋脚跡があります。ここは先程横川橋脚跡とは違って、かなり完全に近い形で橋脚が残っています。
Img_6046c 志登茂川の中に2基、レンガ造りの橋脚が、ほぼ完全に残っています。Img_6053c 橋脚をよく見ると、上流側は三角形になっているのに対して、下流側は四角になっています。これはもう素人でもわかります(微笑)。流れの圧力を弱めるためでしょう。
Img_6051c 川の右岸堤防の南には、橋台 が残っていました。ここにも細い水路があったように思われます。同じ橋台は、左岸側にImg_6065c も残っています(上の2枚の写真を参照)。そして、この右岸側の橋台から南を見ると(右の写真)、水田の形が線路跡のようになっている気がします。
Img_6065c2 上右の写真の中央部を拡大したものが、この写真。人が立っているところと、そのさらに先にレンガ製の構造物らしきものが見えます。これが次のポイントである水路橋脚跡なのです。ということは、やはりここ志登茂川橋脚跡からまっすぐ線路が続いていたということになります。このあたりでおおむね2km。時刻は10時過ぎ。
Img_6069c さてこれから、堤防を降りて先程見えた道を進むことになります。志登茂Img_6076c 川橋脚跡から見えたのは、右の写真の水路橋脚跡。
Img_6082c 横から見るとこのようになっていますから、この間に細い水路があったということかと思います。もう一つ奥に見えた水路橋脚跡も同じような造りで、間に細い水路が流れていました。
Img_6078c この水路橋脚跡から先程の志登茂川橋脚跡の方を見たのが、左の写Img_6094c_2 真。線路跡が一区画の水田になっているように思えます。ここで、スタートの高田本山駅から反時計回りに3/4周くらいしてきました。高田本山駅から専修寺に向かう道に出てすぐ、「これがハイキングコース?」と思えるような田舎道を通って、次のポイントへ。
Img_6105c それがこちら。現在は、中部電力一身田変電所になっていますが、ここが、一身田町駅跡なのです。しかし、気づかずに通り過ぎて行く人も多数。大正4(1915)年、白子~一身田町が開通したときに、高田本山専修寺の最寄り駅として開業しました。その後、大正7(1918年)に高田本山駅と改称しています。
Img_6117c  ここから次の水路橋脚跡あたりは、旧・伊勢鉄道線路跡と、現在の伊勢鉄道の線路とがもっとも接近しているところ。左は、この付近を走る現在の伊勢鉄道のレールバス。ワンマンカー。伊勢鉄道イセIII形気動車という形式のようでが、まだ新しくて快適です(2013年06月08日、今日は、伊勢鉄道に初めて乗って、研究会へ:2016年05月14日、三重K-ABCアセスメント研究会へ……実は伊勢鉄道に乗りたかったのかも(苦笑)、トンボ初見)。
Img_6126c 3kmの手前で毛無川に行き当たります。この毛無川は、上流に行くと、一Img_6130c 身田寺内町の環濠になっています(2018年1月12日、近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺:2018年1月18日、勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その1)一身田寺内町に入り、聖俗の結界を超えるまで)。ただし、1月に2度行ったときは調べ方がたらなかったようです。というのも、毛無川の名は、上流に高田本山専修寺があることから“坊主=毛が無い”という説と、“毛”には“稲”の意味もあり、稲作または二毛作をできないほど氾濫した川だからという説があるようです(こちら)。右の写真、中央に小さく、専修寺の御影堂などの屋根が見えています。
Img_6133c 三度、伊勢鉄道の高架をくぐり(ちなみに、伊勢鉄道はほぼ全線高架でImg_6139c 踏切は、鈴鹿~玉垣間にある一ヶ所だけ)、高架沿いにしばらく、南西へ。このあともう一度高架をくぐります(ここでマップのルートより手前で曲がって、高架をくぐってしまったのですが、結果的には事なきを得ました)。右は、伊勢鉄道を通っていく快速みえ。
Img_6146c_2  3ヶ所目の水路橋脚跡。ここも細い水路をまたいでいます。現在もこの水Img_6149c 路は使われていました。そして、この水路橋脚跡、延長線上に線路跡(盛り土だったと思われます)が続いています。写真を撮る向きが一貫しなかったのですが、右の写真は、左の写真では向かって左手に続く方向(南西側)。
Img_6145c こちらは、北東側。マップ、実測図でいうと、毛無川や一身田町駅跡が写真の右手奥の方向にあります。線路が通っていた盛り土の跡と思えます。昭和30(1955)年にルート変更されて60年以上ですから、よく残っていたという気がします。
Img_6154c この先、旧・伊勢鉄道の線路跡は道路になっています。2枚の写真は、住Img_6153c 所でいうと一身田平野と一身田中野の境目あたり。左の写真はハイキングコースで向かう方。この二股になっているところで、右に向かう道は旧・伊勢別街道。左に行く方が、線路跡。右の写真は同じところから反対(北西方向)を見たもの。こちらも二股ですが、向かって右が旧・伊勢別街道。ちなみに、伊勢別街道は、関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田を通り、伊勢街道と合流する江戸橋まで。
Img_6156c_2 ここは、1月11日に行った近鉄ハイキング(2018年1月13日、近鉄ハイキImg_6158c ング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」)でも通ったところですし、ごく近くに「江戸橋通い」をしている非常勤先もあり、勝手知ったるなんとやら。五六川を渡ります。
Img_6160c 三重高等自動車学校や、津市立三重短期大学のところを通っていきまImg_6167c す。この先、おぼろタオルがありますが、今回はこういうところはポイントには設定されていません。
Img_6171c 緩やかなカーブを過ぎると、近鉄名古屋線の線路が間近になり、踏切がImg_6173c 見えてきます。この踏切の手前で、右奥から来る旧・伊勢別街道と合流。旧・伊勢鉄道の線路跡は、この踏切のところ付近で、現在の近鉄名古屋線の線路と同じルートになります。右の写真は、旧・伊勢別街道。
180325takadahonzan2  実測マップその2です。もうゴールの近鉄名古屋線・江戸橋駅の近くでImg_6178c_2 す。最終のポイントは、江戸橋常夜燈。ここでちょうど5km。江戸橋常夜燈は、小生はもう何度も見ていますが、せっかくですから確認していくことにしました。右は、江戸橋駅近くの旧・伊勢別街道。生活道路になっていて、人もクルマもたくさん通ります。
Img_6188c 江戸橋常夜燈。この常夜燈がある江戸橋の西詰は、伊勢街道(参宮街Img_6185c 道)と伊勢別街道の分岐点に当たります。常夜燈には、安永6(1777)年の銘があり、津市内最古の常夜燈です。常夜燈と並んで、高田本山への道標が立っています。「左 高田本山道」と刻まれています。これは、明治22(1889)年に再建されたもの。詳細は、“近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」”に書きました。
Img_6190c ここまで来ると、個人的にもう一つのお約束があります(笑)。それは、

志登茂川にかる江戸橋の工事の進捗状況の確認。1月11日のときとあまり変わらないように見えました(上記のリンク先にあります)。橋にまつわる話もそちらにあります。
Img_6250c 江戸橋駅には、11時に到着。コースマップでは5.1kmでしたが、実測は5.4km。今回は1度ルートを間違えたのみですし、寄り道は江戸橋確認だけでしたから、差がありません。所要時間は1時間25分ほど。効率的でしたねぇ(笑)。駅の外観の写真は、もう何度も見ていますので、取り忘れました。そもそも撮ろうという意識がなかった気がします。
Img_6212c ホームで名古屋行き急行を待っていたら、ちょうどタイミングよく、賢島へImg_6206c 行く「しまかぜ」が通過していきました。一度くらい乗ってみたいですねぇ。と思いつつ、11時20分発名古屋行き急行に乗車。桑名着は12時3分。¥690。いつもより短い距離のため短時間で歩けましたが、なかなか楽しい経験でした。
Img_6258c ちなみに、今日のハイキング参加で、あみま倶楽部のスタンプは、9個目をゲット。あと1回参加すると10個になり、参加賞「銅賞」がもらえますが、賞品はバッチ。20個貯めると、バッチ&商品券(¥1,000)。頑張って20個を目標にしましょう(微笑)。

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2018年3月24日 (土)

九華公園では桜の開花ボツボツ進み、花見気分が高まってきました

Img_5803c 暖かくてよい天気。朝、散歩に出るときは寒い感じもしたものの、日中は16℃。今日は、春先にしては珍しく、ほぼ終日、木曽御嶽山がハッキリと見えていました。8時半前から、例によって住吉神社、九華公園、貝塚公園、NTNシティホール、寺町と6.6㎞の散歩。

Img_5823c 暖かいので、九華公園の桜は、ソメイヨシノ(左の写真)も、しだれ桜(右のImg_8733c 写真)も開花が進んでいます。さくらまつりは4月1日ですが、来週半ば頃には、満開を迎えそうな気がします。
Img_8694c 今日はもうけっこうたくさんの露店が開店準備をしていました。九華橋近くImg_8707c や、本丸跡、北門を入ったところなど10店舗以上です。最盛期にはもっと増えます。奥平屋敷跡へ行くところには、堀めぐりの看板も。こうなってくると、否が応でも花見気分が高まります。いつもは散歩、鳥見だけですが、今年は、花見酒でも楽しみましょうかねぇ? どなたかお付き合いいただけるといいのですが……。
Img_8745c こちらは、私と前管理人Oさん合作の「桑名の城跡・47」のパネル。Oさんが花見、灯街道イベントに合わせて、城跡の名称と場所を入れた行燈を作ってくださいました。さくらまつりや、灯街道イベントのときには、ここに明かりを灯すと思います。
Img_8687c 揖斐川、三の丸水門のあたりではヒバリ。今日はあまり鳴き声は聞かれませんでした(左の写真)。1羽だけでエサ探しに霧中。ヒドリガモは、今日は揖斐川にオスが2羽いただけ。ひょっとして、この間集まっていたグループに置いてけぼりを食らったとか(写真はありません)。
Img_5832c 九華公園は、散歩の方も多く、また、露天商の方は出店準備、堀めぐりの方たちも諸々の準備と賑やかで鳥はいないかと思ったのですが、予想以上にいてくれました。まずは、シロハラ。写真は奥平屋敷跡。このほか、二の丸跡でも見かけました。
Img_5839c 二の丸跡では思いがけず、ジョウビタキのメスと、モズのメスに遭遇。ジョImg_8722c ウビタキはもう帰ってしまったかと思っていましたし、モズも山の方へ移動したかと考えていました。親しい友達に久しぶりに遭遇したという感じです。
Img_5866c エナガは公園内のあちこちで見ます。「ジュルル」というような感じで鳴いています。写真のエナガは、尾曲のようです。早くひなが誕生してくれ、並んでいるところが見たいものです。
Img_5864c カモは、ハシビロガモのメス1羽を含み、30羽。ハシビロさん以外はキンクImg_5908c ロハジロばかり。ユリカモメは、3羽が飛来。そろそろ夏羽にモデルチェンジ中。4月以降になる、頭部の前の方が「ガングロ」になります。
Img_5891c シメ。一昨日、吉之丸コミュニティパークでも見たのですが、すぐに逃げらImg_5876c れています。こちらは、九華公園の本丸跡。たぶん同じシメ。本丸跡では、ウグイスの地鳴きも聞こえましたので、探して追いかけました。が、一筋縄ではいかない相手です。地鳴きをしながら、茂みを移動。けっこう頑張ったのですが右のような写真しか撮れませんでした。
Img_8781c
Img_5923c 貝塚公園では、シロハラ3羽、ツグミ3羽を目撃。他にはカワラヒワ、ヒヨドリなど。モンシロチョウもあちこちでひらひらと飛んでいるのを見かけるようになりました。ツバメも来ているはずですが、今日は見かけませんでした。大山田川のイワツバメは先日から、新宮西橋あたりを飛び交っているようです。これも見てこなくてはなりません。
Img_8785c NTNシティホールの薄墨桜。まだまだ満開で頑張っています。薄墨色にImg_5935c なるのを確かめたいのでもう少し頑張ってもらいたいところ(微笑)。4月からの講義の準備などもあるのですが、明日はまたもや近鉄ハイキングに行こうと企んでおります(苦笑)。「旧 伊勢鉄道廃線跡めぐり」です。近鉄名古屋線・高田本山駅から江戸橋駅まで、廃線跡を訪ねます。約5km。
 

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近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その5)……白子港、伊勢型紙資料館、龍源禅寺、勝速日神社などを経てようやくゴール(完)

20180317kintetsuhiking2

 とうとうこれまでの近鉄ハイキング&JRさわやかウォーキングの記事の中で最長、その5まで来てしまいました。今回の“近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」”も、今日で完了の予定。前回の江島若宮八幡神社でほぼ6km、神社を出て来たら12時を回っていました。
Img_4656c 神社を出て南へ。松の木も生えていますが、海岸にほど近いから。旧・伊勢Img_4662c 街道の一本東の道です。ここをしばらく歩いて、白子港へ。途中、地元の方から「頑張って歩きなよ!」など、複数の声援をいただきました(微笑)。初めての経験です。
Img_4673c ここ白子港は、金沢川(かなさいがわ)や、伊勢湾の沿岸流によって形成された砂嘴(さし)が堤防のはたらきをなす天然の良港として古くより利用されてきたところ。平安時代には、市が立っていたそうです(古市)。後白河天皇の御代(1156年)、伊勢平氏はここに水軍を置いたといいます。闇夜でも識別できるよう白布を身につけていたため、「古市の白児(子)党」と呼ばれました。
Img_4671c_2 江戸時代、白子港は紀州藩の恩恵を受け、伊勢だけでなく各地の物産を江戸に運び出す港として栄えていました。天明2(1782)年12月、若松村(現在の南若松町)の大黒屋の船頭・大黒屋光太夫 ら乗組員17名は、正月用食料を江戸に運ぶため紀州藩廻米350石などを積んで出港しました。1年過ぎても消息がわからないため弔いも行われたものの、10年後、寛政4(1792)年10月ロシアから帰国したのです。
Img_4676c ちなみに、ここからはほぼ正面(東)にセントレアや、そこを発着陸する飛Img_4679c 行機も見えます(左の写真に小さく写っています)。漁港にはわずかにホシハジロ、ユリカモメ、カワウ、ハクセキレイの姿も。白子港緑地には、大黒屋光太夫の記念碑も会ったのですが、今回はパス。
Img_4687c ハイキングコースにしたがって、白子港の奥まったところで右折(北西Img_4688c へ)。先程通った旧・伊勢街道を渡り、白子小学校のところまで来ました。ここで右折し、北東に向かうのですが、小学校敷地にこんなものを見つけてしまいました(苦笑)。これは見て来ざるを得ません。
Img_4692c 2つあります。一つは「表忠碑」。南に向いて立っています。三重県遺族Img_4693c 会のサイトによれば、白子寺家地区が昭和5(1930)年5月に建てた、英霊303柱を祀る碑ということです。碑表の台座には、右の写真にあるプレートも取り付けられていました。「あなたの熱は静かな寶石の如く光っている 昭和弐十九年十月 鈴鹿市長杉本龍造撰」とあります。標柱碑との関連は不明。杉本龍造氏(大正2(1913)年~平成9(1997)年)は、昭和21(1946)年に鈴鹿市の2代目市長に就任後、29年間市長を務めた方。
Img_4700c もう一つは、北向きに立っています。こちらは上記の三重県遺族会のリストにはありません。かなり黒ずんでいますし、逆光で、側には行けません。文字の判読は困難。こちらのサイトに台座部分の文字が載っていますが、すべてではなく、どういう意味の文字か今ひとつよく分かりません。左から「氏安○○」とあるように見えます。
Img_4706c 判読を諦めて次の目的地である伊勢型紙資料館へ向かImg_4708c います。途中、資料館の手前に神社。鳥居と灯籠の奥に建物があり、その中に「愛宕神社」と書かれた額がかかっています。詳細は、ネット検索では不明。
Img_4711c さぁ今度こそ伊勢型紙資料館と思ったのですが、すぐにまた寄り道スポ

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ット発見。浄土真宗高田派のお寺、成等山林昌寺。明応の頃(1492~1500年)越前から真慧上人(しんねしょうにん;室町後期の浄土真宗の僧。伊勢専修寺第十代)に随従してきた佐々木盛祐が建てたもの。
Img_4715c
 お寺には、真慧上人の筆による「野袈裟(のげさ)」(棺に掛ける長方形の布。六字名号(南無阿弥陀仏)が書かれた葬具の一種)があります。野仏、野袈裟については、高田本山専修寺のサイトに説明がありましたので、以下に引用しておきます。
第41話 野仏と野袈裟(のぶつとのげさ)
 中興上人(ちゅうこうしょうにん)と仰がれている真慧上人(しんねしょうにん)(第10世)は伊勢の地を精力的にご巡教(じゅんきょう)されて、沢山の寺院や念仏道場を作られました。そして布教の重要な手だてとして「野仏」と「野袈裟」という葬儀式の要具を下付けされました。
 「野仏」は今でも「野仏さん」と敬称されている阿弥陀如来のお軸で、死者の枕元にかけ、葬列のときには箱に入れて棺の前を歩く習わしになっていました。このことは、阿弥陀如来のお導きでお浄土に往生するということのお示しです。
 また「野袈裟」が使われる以前は死骸を村境の墓地に置いてくるだけで、せいぜい土をかぶせる程度だったので、腐乱した死体を鳥獣がつつく光景が人々に地獄を実感させました。真慧上人はこれでは、死者に申し訳ないことと、真宗の教えから「野袈裟」を遺骸の上にかけ、やすらかな死後の往生を念じられたのです。
 当時の「野袈裟」は縦1メートル20センチ、幅40センチの絹3枚を横につないだ大きさで、その中央に「南無阿弥陀仏」、その周囲に経文を記したものでした。
 このように「野仏」も「野袈裟」も阿弥陀如来さまは、亡くなった方に、どこどこまでもついて離れず、お浄土までお導き下さるということを形をもってお示し下さっているのです。この伝統は高田派だけに遺されているもので、念仏者の願いを如実に具現化してくださった真慧上人のご功績であります。
ひとくち法話No41 ―高田派7― より
Img_4723c このあと、ようやく伊勢型紙資料館へ。この資料館は、江戸時代末期のImg_4726c 建物で、型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館したところです。寺尾家は江戸時代から伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商していたといいます。寺尾家住宅は、型紙関係の商家、また、町家建築の代表例として、市史跡に指定されました。ここでは、型紙資料などが収蔵・展示されています。帰宅後パンフレットを見ていたら、「地震小屋」があると書かれていました。安政の大地震後、庭につくられたものでした。知っていたら見てきたのにと、後の祭りというか、後悔先に立たずというか。
Img_4735c コースにあったポイントは以上でしたが、他に2つ立ち寄って来ました。そImg_4737c の一つは、瑞雲山龍源寺。伊勢型紙資料館の角を曲がって100mほどのところにあります。臨済宗妙心寺派のお寺ですから、禅寺。
Img_4739c 開創は平安時代と伝わっているものの、由緒は不詳。しかし、境内にはImg_4758c_2 平家ゆかりの「青葉の笛(平敦盛秘蔵の笛)」に関わる旧跡「青葉の竹林」が伝承されています。また、鎌倉時代の「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」なども所蔵しているそうですから、800年の歴史があると思われます。こちらに寺の由緒があります。
Img_4744c 山門脇には、竜現地に伝わる文化財などの説明が並んでいます。小生Img_4750c がここへ立ち寄ろうと思ったのは、白隠禅師(貞享2(1686)~明和5(1769)年)、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)が来たことがあったということから。東嶺禅師(とうれいぜんじ)は、龍源寺で修行した後、白隠の弟子。
Img_4763c  こちらは地蔵堂。地蔵菩薩、天神、弁天、閻魔様、弘法Img_4746c 大師、お稲荷さん、摩耶夫人が祀られています。このうち、地蔵菩薩は、右の写真にもありますように、嘉慶2(1388)年の墨書銘があり、南北朝時代の作と考えられているもの。鈴鹿市の指定文化財。
Img_4769c さすがに禅寺。枯山水のお庭もありました。説明板には「南庭枯山水」とあります。山から湧き出た水が大海に流れ行く様を表しているそうです。灯籠は鎌倉時代の作とありました。
Img_4780c そして最後の寄り道は、勝速日神社(かつはやひじんじゃ)、通称は、「勝手さん」だそうです。近鉄白子駅の北東にあり、すぐ裏を近鉄名古屋線が通っています。以前から気になっていた神社。
Img_4783c 神社の由緒書きによれば、文明年間(1469~1486年、室町時代)の創建Img_4793c といわれ、創建時には八重賀岐神社として素戔嗚尊(スサノオノミコト、牛頭天王)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)が祀られていました。寛永11(1671)年、八重垣神社の神域に龍源寺の境内に祀られていた勝手明神(天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)、天御蔭命(アマノミカゲノミコト)の2柱を遷し、元禄に至るまで2社を並べて祭祀していました。元禄以降、一社殿としています。さらに、明治41(1908)年、春日神社他附近の小祀6社を合祀しています。
 ただし、こちらには、寛永11(1634)年に紀州藩の別邸と代官所を創設するとき時、久留真神社を移転したが、その氏子が南北の二派に別れ、北側の住民が栗真にあった「八重垣神社」と「勝手明神」を遷して一社にし、現在の地にこの「勝速日神社」をつくったとあります。文政4(1821)に産神たる福徳天王社と和田の勝手明神との間に式内の久留真神社を争う訴訟があり、紀州藩の裁決によつて天王社の方に決定された(現・久留真神社)とも記述されています。由緒書きに書かれていないことがありますし、その3(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その3)……同心屋敷跡、道標を見て久留真神社、大徳屋長久山で土産をゲットし、まちかど博物館などへ)の久留真神社のところで述べたことと一致しない部分があります。もう少し調べ、整理する必要がありますが。しかし、神社の由緒書きがすべて正しいとも限らないでしょうし難しいところでもあります。
Img_4798c 主祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト。この神様は、天之忍穂耳命と同じで、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれています。その他祀られているのは、次の神様たち。
  • 天御蔭命(アマノミカゲノミコト)
  • 素戔嗚尊(スサノオノミコト、牛頭天王)
  • 稲田姫命(イナダヒメノミコト)
  • 武甕槌命 (タケミカヅチノカミ)……伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。鹿島神宮の祭神
  • 経津主命 (フツヌシノカミ)……磐筒男神(イワツツノオノカミ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた
  • 天児屋根命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)……天児屋命の妻
 ところで、この神社がある鈴鹿は、鈴鹿サーキットがあり、F1も開催されるモータースポーツの聖地。レース関係者がこの神社の名前と、御祭神に注目して、必勝祈願に訪れるそうです(たとえば、こちら)。
 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、稲穂の神、農業神として信仰されることがおおいようですが、「正勝吾勝(マサカツアカツ)」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「勝速日(カチハヤヒ)」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられています(Wikipediaから)。「忍穂耳(オシホミミ)」は威力(生命力)に満ちた稲穂の神の意です。
Img_4807c 拝殿の北に境内社が一社ありました。赤い鳥居が立っていましたので、単純にお稲荷さんかと思ったのですが、そうではないようです。千本鳥居もありませんし、御祭神に宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)もいらっしゃいません。未確認です。
Img_4801c 拝殿前の狛犬は、「子取り・玉取り」のスタイルでした。拝殿に向かって左Img_4799c が子取り、右が玉取りです。
Img_4815c 以上で、すべて回り終えました。勝速日神社から近鉄名古屋線・白子駅は2分ほど。到着は、13時13分。スタートから3時間半もかかりました(爆)。コースマップでは約6kmとありましたので、2時間もあれば余裕でゴールと思っていましたが、何事も思った通りには行かないものです(自分のせいですが)。13時29分発の名古屋行き急行に乗車。桑名には、14時3分着。¥490。
 長々とお付き合いくださり、御礼申し上げます。神社や神様についてはもっと勉強が必要です。

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2018年3月23日 (金)

近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる

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 前回の近鉄ハイキング(3/17)の「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」の記事がまだ終わっていないのですが、今日はまた次のハイキングに行ってきてしまいました(微笑)。今日は、「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」であります。東海の自然歩け歩け大会を兼ねています。コースは、名古屋線・塩浜駅をスタートし、海山道神社、臨港橋、末広橋梁、稲葉翁記念公園、相生橋、諏訪神社を経て名古屋線・近鉄四日市駅がゴール。マップ上は、約8kmのコースでした。
Img_5351c 近鉄塩浜駅までは、桑名から急行で3駅。9時1分発の五十鈴川行き急行に乗って、9時18分着。¥350。塩浜駅は橋上駅。コンコースで9時半から受付でしたが、到着時点ですでに100名以上が列をなしていました。今回は、参加者にKIPSポイントが100ポイントもらえるからかも知れません。あみま倶楽部のスタンプは、今日で8個。
20180323shiohama1 こちらが今日実際に歩いたコース。2枚の画像は、一部重複しています。実20180323shiohama2 は、昨年11月25日、鉄道会社主催のハイキング・ウォーキングイベントに初めて参加した「どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」とほぼ同じコース。と申しますか、ほとんど逆回り。今日参加したのは、海山道稲荷がコースに含まれていたからです。ここも前から一度行って見たかったところなのです。この地方では、節分のときに行われる「狐の嫁入り神事」で有名。コースの後半は、JRさわやかウォーキングと同じですので、今日のところは、海山道稲荷を中心にして、JRさわやかウォーキングで行ったとことはほとんど割愛します。「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」の完結編は、また明日にでも。ちなみに、今日は寄り道はしておりません。というよりも、予習する時間がなく、寄り道ポイントを確認できなかったのです(苦笑)。
Img_5360c 塩浜駅西口から近鉄塩浜検修車庫の西を通って北へ向かいます。塀越Img_5372c しに覗くと、特急車両が入庫しているのが見えました。塩浜検修車庫へは、子どもが小さい頃きんてつ鉄道まつり(リンク先は20174年のもの)に来たことがあります。さらに線路沿いを行くと、塩浜一・六・三・八市場の前を通ります。
Img_5384c 1.5kmほどでこちら、洲崎濱宮神明神社(すざきはまみやしんめいじんじImg_5386c ゃ)へ到着。今は、海山道稲荷の方が大きくて有名ですが、本来はこちらが本社で、海山道稲荷は境内社だというこです(海山道稲荷の由緒)。天照大神を祀る、氏神様です。
Img_5395c 御祭神は、拝殿の扁額によれば、次のように12座で、ほImg_5400c かに不詳2座とありました。初めて目にする神様の名前もいくつかあります。
  • 面足尊(オモダルノミコト)……初めて目にしましたが、 神世七代(かみのよななよ)のうち第6代にあたる神で、伊奘諾尊(イザナギノミコト)、伊奘冉尊(イザナミノミコト)の2神の1代前に生まれた、身体と容貌の完備した最初の神
  • 天照大神
  • 惶根神(カシコネノミコト)……神世七代中の第6代の神。男神の面足尊とともに生まれた女神
  • 仁徳天皇
  • 建速須佐之男命 (タケハヤスサノオノミコト)
  • 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
  • 大山祇神(オオヤマツカミ)
  • 火之迦具之土神 (ヒノカグツチノカミ)
  • 菅原道真公
  • 火産霊神 (ホムスビノカミ)……火之迦具之土神と同じはず
  • 保食神 (ウケモチノカミ)……五穀をつかさどる神
  • 倭姫命(ヤマトヒメノミコト)……垂仁天皇の皇女。天照大神の社を伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられる。また、日本武尊の東征の際、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授けて難を救ったという
 調べるたびに思いますが、神様の名前や関係は、難しい。
Img_5390c 境内には、靖国神という石柱がありました。拝殿から南東のところ。鳥居Img_5392c をくぐって右側(東側)。名前からして、あの靖国神社に関わると思いますが、また失敗をしでかしました。碑陰を見なかったのです。方向としては、靖国神社の方ではありません。
Img_5410c 続いて、海山道稲荷へ。神社検索(三重)によれば(こちら)、往古からのImg_5409c 郷土鎮守としてのお社で、創立年代は不詳であるものの、伝記によると清和天皇貞観18(876)年の創立とあるといいます。また、現存する棟札には正親町天皇天正13(1585)年、御宮退転に付き建立とあり、文禄年間の古地図には、附近には民家が無くただ社殿のみがあったと記されているそうです。
Img_5429c 御祭神は、神社検索(三重)によれば、上記の洲崎濱宮Img_5437c 神明神社と同じになっています。海山道稲荷のサイトには、次の4柱とされています。
  • 倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)
  • 大己貴命(オオナムチノミコト)
  • 太田神(オオタノカミ)……Googleで検索するとWikipediaの「稲荷神」がヒットします
  • 保食神(ウケモチノカミ)
  • 大宮能売神(オオミヤノメノカミ)……天の石窟から新殿にうつった天照大神につかえる神
Img_5434c 海山道稲荷で驚いたのは、境内の広さとともに、境内社の多さです。交Img_5432c 通安全祈願所や、筆塚なども含むと、30社以上ありました。神社に行くと、境内社、摂社、末社など一通りお参りしてくるのですが、さすがにここでは諦めました(苦笑)。多すぎます。こちらに一覧と境内案内があります。
Img_5447c 祈願内容に応じた境内社があるのですが、あまりの多さに圧倒され、呆然としていました。あとから思えば、この天神様だけでもお参りしてくればよかったかと反省しています。しかし、商売繁盛もかなえてくださるのがお稲荷さんですが、海山道稲荷そのものが商売上手のように思えます(罰当たりな発言ですが)。
Img_5449c 境内で気になったのは、こちら。橿原神宮遙拝所であります。橿原神宮Img_5450c 遙拝所は、2月17日にやはり近鉄ハイキングで訪ねた椿岸神社にもありました(20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(予告編)20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その3)……椿岸神社の続き、智積養水そして西勝寺)。
Img_5424c そうそう、境内には、例の(微笑)「神宮遙拝所」もありまImg_5427c した。伊勢神宮の方を向いて遙拝するところ。そういえば、「近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編)」で訪ねた、久留真神社にも、江島若宮八幡神社にも遙拝所はありませんでした。地域性があるのでしょうか? 色々と疑問は尽きません。
Img_5454c 拝殿前の広場には、「節分祭舞台 お祓い標嫁入儀式場」があります。いわゆる「豆まき舞台」ですが、常設とはすごい。狐の嫁入り神事もここで行われます。
Img_5420c 一の鳥居の前の狐さん。けっこう厳しい顔つきのような気がします。先Img_5421c 日、江島若宮八幡神社の稲荷社にいた狐さん(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その4)……芙蓉館から江島若宮八幡神社へ(まだ続きます))とは大違い(微笑)。表情、スタイルだけでなく、サイズも大違い。こちらはトンでもなくビッグサイズでした。
Img_5470c 海山道稲荷は、東の参道から外に出ました。ここは、近鉄名古屋線・海Img_5462c 山道駅のすぐ目の前。境内で「近鉄ハイキングにいらした方ですか?」と声を掛けられました。「今日のスタートはどこでした?」と。どうも、海山道駅がスタートと勘違いなさったようでした(かくいう小生も、昨日、再確認するまで同様の勘違いをしていましたが……)。
Img_5510c このあとは、はじめにも書きましたように、11月25日の「どういうわけか、Img_5521c JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」とほぼ同じところをほとんど逆回り。はしょっていきます。左は、臨港橋。右は、末広橋梁
Img_5558c ボード・ウォークとプロムナードを通って、稲葉翁記念公園へ。稲葉翁とImg_5568c は、四日市港の祖、稲葉三右衛門。右の写真は、稲葉三右衛門の業績を顕彰した碑(稲葉三右衛門君顕彰碑)。明治30(1897)年に建てられています。重要文化財。
Img_5583c 港内には、明治26(1893)年、服部長七によって築かれImg_5584c潮吹き防波堤があります。長七は波の力を弱めるため堤防の腹部に穴をあける工夫を凝らし、強度な人造石を発明し、堤防を造ったのです。
Img_5597c 稲葉翁記念公園には、この潮吹き防波堤のレプリカがあり、実際に波がImg_5605c 立つよう作られています。防波堤は、大小2つの堤があり、その間は溝になっています。波の力を弱めるための二重構造です。外海からくる波は、外側にある小堤で緩衝され、次に大堤で受け止めて、いったん中間の溝に流し込みます。そして溝に流し込んだ海水を、潮吹穴から内側(泊地)に排出するというものです。
Img_5680c 稲葉翁記念公園からは、次の目的地である諏訪公園・諏訪神社に向Img_5691c け、北西へほぼ一直線。2kmあまり。諏訪公園・諏訪神社は、以前来ています(2017年11月28日;またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。前回きちんと確認しなかった「五箇条の御誓文」が刻まれた石碑や、他にも気づいたものがありますが、長くなりましたので、それはまた改めて「補遺」として書きます。
Img_5781c ゴールの近鉄名古屋線・近鉄四日市駅には、12時11分に到着。今日は寄り道をしていませんので、2時間半あまりで歩きました。12時28分の名古屋行き急行で桑名へ。12時40分着。¥300。コースマップでは約8kmでしたが、距離測βで調べると、8.9kmを歩きました。自宅から桑名駅往復が2.2kmですから、合計11.1km。よく歩きました。明後日(3/25)は、津で「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」があります。名古屋線・高田本山駅~江戸橋駅、約5km。これも行きたいと思っています。遊んでばかりいて……という気もしますが(苦笑)。

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2018年3月22日 (木)

九華公園のソメイヨシノ、勝手に開花宣言です!……九華公園のゴイサギは6羽でした

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 九華公園のソメイヨシノ、新聞の「桜便り」では、まだ「つぼみ」となっていますが、時計塔のあたりで数輪以上咲いているのを見つけました。そこで、勝手に九華公園の桜の開花を宣言します(笑)。毎年、勝手に宣言していますので、ご容赦ください。
Img_8627c 九華公園ではこの他、野球場の南にあるしだれ桜も咲き始めていました。Img_5191c このしだれ桜、毎年ソメイヨシノよりも少し早めに先、長持ちします。オマケにピンク色が濃くて、良い感じです。
Img_8643c ついでに今日見てきた桜のオンパレード(微笑)。NTNシティホール(市民会Img_5316c 館)の薄墨桜。満開です。樹勢は一時に比べると衰えましたが、手当の甲斐あって、少し回復。薄墨桜は、つぼみはピンク、満開で白い色、散り際に特有の薄墨色を呈するといわれます。散り際も見に行かなくては。
Img_8645c 寺町商店街の河津桜。散り始めています。寺町堀に水が入っていると、「花Img_8653c 筏」が見られたのにと思いますが、残念。寺町交差点近くの広場の写真(右の写真)は、早くから咲いていて、長持ち。
Img_5068c こちらは、昨日も見てきた船津屋の裏手で咲いていたソメイヨシノ。やはり、曇り空の元よりも、晴れているときに見た方が良いですね。
Img_8579c さて、バードウォッチング。住吉ポンプ場近くでは、イソヒヨドリのメス。桑名七里の渡し公園から出て来ました。オスは青とオレンジで鮮やかですが、メスは地味。
Img_5072c 七里の渡し跡では、今日もヒドリガモが20羽ほど。ほとんどが堤防に上Img_5074c がって草を食んでいました。帰る前にしっかりと食べておくということかと思います。
Img_8603c 九華公園のゴイサギ、見た限りでは3羽でしたが、今日は新事実が発

Img_5223c

覚。公園内を半周して再確認に行ったら、いきなり6羽が飛び立ってきたのです。写真は6羽一度には撮れませんでしたが、今まで最多で5羽と思っていたのに、一体何を見ていたのでしょう(爆)?
Img_5150c エナガはまだまだ抱卵中のようです。ペアを2組見ました。この写真のエImg_5157c ナガ、尾曲ですからメス。カモは、今日は18羽。本当に激減。ヒドリガモ1ペアの他はキンクロハジロ。ハシビロガモも見られなくなりました。行燈に慣れたら戻ってきてくれると良いのですが、帰ってしまったとしたら残念。
Img_5237c 貝塚公園へも回りました。シロハラや、ツグミを確認。シロハラは2羽、ツImg_5251c グミは3羽。
Img_5253c ウグイスの声が2ヶ所から聞こえていましImg_5275c た。あちこち探していたら、小型の野鳥が出て来ましたので、「ウグイスか!?」と色めきだったのですが、メジロでした(苦笑)。咲き始めたソメイヨシノに出て来ました。
Img_5293c 貝塚公園では、コゲラも。エサ探し中。ウグイスが鳴いていたと書きましたが、まだ修行中という感じでした。2ヶ所から聞こえ、さがしたものの、姿は見られませんでした。
Img_8617c ということで、久しぶりの好天で、住吉神社、九華公園、貝塚公園からImg_8616c NTNシティホール、寺町商店街と6.7kmを歩いて、桜と鳥を見てきました。明日は、近鉄ハイキングで「東海の自然歩け歩け大会 港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」があります。コースにある臨港橋、末広橋梁、稲葉翁記念公園、相生橋、諏訪神社は行ったことがありますが、海山道稲荷は行っていません。一度はと思っていますので、近鉄ハイキングに行きたいと思っています。

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近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その4)……芙蓉館から江島若宮八幡神社へ(まだ続きます)

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 その3でやっと5㎞半のところまでたどり着きました。地図では、寿善寺や江Img_4527c 島神社社標と書き入れたところです。右の写真が、「江島神社」と刻まれた社名の標柱(大正15(1926)年10月に建てたとあります)。実際には、この標柱のところを右折して、次の目的地である「芙蓉館・勢松丸(せいしょうまる)資料館」に向かわねばなりません。コースマップをよくよく見れば、わかるのですが、パッと見た限り曲がった先にもそれらしいところは見えず。
Img_4532c 他の参加者の方もウロウロ。やむなく近くのガソリンスタンImg_4540c ドで尋ね、解決。やはり、標柱を右折し、少し行ったところにある駐車場の奥にありました。江戸時代に廻船業をしていた旧松野家の土蔵(寛政10(1798)年の建物)を改装したミニ美術館です。電灯や梁などは当時のまま使っているそうです。江戸から明治・大正時代の陶磁器、ガラス器、浮世絵、漆器、雛飾りのほか、当時の持ち船の一つである「勢松丸」船額、おしろい製造販売の看板「芙蓉館」などを展示していました。ここ、87歳のおばあちゃんがやっておられ、その元気に煽られ、建物の写真を撮り忘れ(苦笑)。
Img_4534c この写真にある雛人形、文化10(1813)年と書かれていました。展示品は季Img_4542c 節に応じて、2ヶ月毎に入れ替えているそうですが、訪れたときはひな人形がたくさん飾られていました。右の写真で、中央にあるお雛様には、「享保雛」という説明がありました。享保というと、1716~1736年です。すごい! ちなみに、ここでは、沖縄の薬草茶、純黒糖や牛窓の化粧品、バージンオイルも売られています。
Img_4557c  さてもう一度旧・伊勢街道に戻り、江島本町の交差点を右折(東へ)し、江島若宮八幡神社へ向かいます。交差点を渡って、北側の歩道を歩いていたら、道を挟んだお宅に何か看板と石柱があるのが見えました。見逃してはなりません(苦笑)。クルマが来ないのを確認して、道を横断し見てきました。
Img_4560c 「元愛宕神社参詣道標」でした。「愛宕大権現 富士浅間社 参詣道 安Img_4562c 政三年(1856年)」と刻まれています。説明によれば、この道標は北の端の地蔵堂境内南西のコンクリート橋から北江島町の愛宕山(神社)に向かって近鉄線路を斜めに横断してあった幅約2mの道の中間(北江島町1-5付近)に建っていたもの」だそうです。「北の端」がどこの北の端なのかなど、よそ者には要領を得ない説明です。北江島町1-5は、近鉄名古屋線白子駅から名古屋駅方向に1.2kmほど行ったあたり。ここに昭和17(1942)年、三菱航空機製作所の住宅を建てるため道がなくなるので、撤去を告げられた当時の宮司が、自宅の庭に持ち帰って建てておいたものだそうです。
 第二次世界大戦当時の鈴鹿市は、軍の施設が集中しており、旭が丘や玉垣(当時は河芸郡白子町玉垣)あたりには、鈴鹿海軍航空隊がありました。戦後、この施設は、わかもと製薬、電電公社(当時)の電通学園、そしてその後は、鈴鹿医療科学大学のキャンパスとして利用されています(こちらを参照)。鈴鹿海軍航空隊は昭和13(1938)年に置かれ、第一、二鈴鹿海軍航空基地と航空機を供給する第二海軍航空廠鈴鹿支廠、また、三菱重工業三重工場ができました。
Img_4566c 余談が過ぎました(苦笑)。講釈や屁理屈が好きですので、ご勘弁ください m(_ _)m いよいよ江島若宮八幡神社に到着。もう11時50分を過ぎており、6km近く歩いてきました。主祭神は、大鷦鷯命(オオササキノミコト;仁徳天皇)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト;神功皇后)です。平安時代初期、禁中(内裏)に奉祀せられていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の御分霊)を第60代・醍醐天皇(在位 897~930年)が、神意に問いて伊勢神宮の戌亥(いぬい、北西)の方であるここに奉遷せられたということです。相殿神は、以下の通り、14柱おられます。明治42(1909)年5月に近隣の大宝天社、湊守社、稲荷社、風の宮、愛宕社を合祀したためと思われます。本能寺の変の時には,、この神社の前の浜から徳川家康が知多に脱出したといわれています。
  • 建速須佐之男命 (タケハヤスサノオノミコト、素戔男尊)
  • 大己貴命 (オオナムチノミコト;大国主命)
  • 稲田姫命 (クシナダヒメ;八岐大蛇(やまたのおろち)の生け贄となるところを、素戔男尊(スサノオノミコト)によって助けられ、その妻となった)
  • 軻遇突智命 (カグツチノミコト;火の神。イザナギとイザナミとの間に生まれた神。出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまい、その後、怒ったイザナギに殺された)
  • 豊受姫命 (トヨウケビメノミコト;食物の神。皇大神宮の御饌都(みけつ)神として豊受大神宮(外宮)に祀られている)
  • 多紀理比売命 (タキリビメンミオト;天照大神と素戔嗚尊の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱)
  • 市寸島比売命 (イチキシマヒメノミコト;同じく、「宗像三女神」の一柱)
  • 多岐都比売命 (タギツヒメノミコト;同じく、「宗像三女神」の一柱。
  • 大山祇命 (オオヤマツカミ;山をつかさどる神)
  • 猿田彦命 (サルタヒコノミコト;天孫降臨の際、天上天下を照らしていた神)
  • 級長津彦命 (シナツヒコノミコト;風の神。記紀には男女神として記されていないためか、「級長津彦神、級長津姫神」や「級長津彦命、級長戸辺命」と、男女の神として祀られることが多いという)
  • 級長津姫命
  • 菅原大神 (菅原道真、天神様)
  • 人丸大神(柿本人麻呂、人麻呂を祭神とする柿本神社がある)
 独り言。いやぁ、これだけ調べるのは手間がかかりましたし、まだ十分理解し切れていません(苦笑)。
Img_4571c 江島若宮八幡神社は、地元では、特に海上安全と安産の神様として信Img_4582c 仰されているそうです。江戸時代、白子は湊町で廻船業が発展しており、そのため、海上の安全、商売繁盛、家内安全塔を祈願した絵馬が多数奉納され、その図柄も、馬、恵比須大黒、七福神、廻船、武者図など多岐にわたっています。現在保存されている絵馬は120面あまり。昭和50(1975)年3月のそのうち71面が「江島若宮八幡神社絵馬群」として県の文化財に指定されました。承応元(162)年頃からの絵馬があり、もっとも多いのは、江戸時代初期の寛文年間(1661~1673)年のものだそうです。絵馬は、白子のまちかど博物館として、宝物殿に保管されていて、その拝観は予約制。残念ながら実物は拝観できませんでした。こちらのサイトには説明があります。
Img_4609c 境内はとても広く、鈴鹿市内では椿大神社に続いて、2番目の広さだそうImg_4645c です。右の写真でその広さがご想像いただけると思います。松の木もたくさんあります。拝殿には、絵馬の写真、鏝絵のレプリカ、大黒様などいろいろありましたが、今回は割愛。
Img_4611c 上述のようにいくつかの神社を合祀していますが、境内社としてあったのImg_4630c は、稲荷社のみ。この稲荷社、なかなか面白い。左の鳥居は、拝殿の脇にあるもの。これはごく普通。ところが、右の写真をご覧ください。赤い鳥居ですが、石造なのでした。これは初めて。
Img_4616c さらに、拝殿も石造ですし、賽銭箱までもが石で作られていました。これImg_4614c はなかなかありません(微笑)。嬉しくなって、お賽銭をはずんでお参りしてきました。
Img_4618c もう一つ。左上の写真にも写っていますが、拝殿の脇に控えている狐さImg_4617c んが、かわいくて、絶品。お稲荷さん、あちこちで見ていますが、こういうカワイイ狐さんは初めて。こちらも思わず微笑んでしまいますが、何かよいことがあったのかと思いたくなりますし、それをお裾分けしてくれているようにも見えます。
Img_4625c 稲荷社の南には、針供養碑があります。碑陰には、「昭和五拾七年建Img_4628c 立 宮司前川栄次」とあり、33名の女性のお名前と2団体の名称、さらに蘇鉄を奉納なさった方の名前も刻まれています。
Img_4637c 江島若宮八幡神社の南、海産物問屋・伊勢昆布 の白子店があります。Img_4638c その脇に、一対の常夜灯。「若者中」と読めますが、最初の文字はちょっとアヤシい。
Img_4649c その南にはさらに大きい常夜燈があります。この常夜燈Img_4652c は、文政3(1820)年初秋、白子から江戸に出帆する廻船問屋の船、また江戸から白子に来る船の航海安全を祈願して、江戸にあった大伝馬町組と白子組の船荷取扱い関係者(江戸橋)が寄進したものです。その頃、この常夜燈の東南は、港の入江の「小浜」と呼ぶ波打ち際で、灯台の役目を果たしていたといいます。
 というところで、まだ残りがありますが、神様調べで力尽きました(苦笑)。今回は、その5まで行って、そこで完了の予定です。次は、白子港や、白子小学校にあった表忠碑他の話から。

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2018年3月21日 (水)

冷たい雨の中、ソメイヨシノ開花

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 雨続きで、気温も上がらず、寒いです。真冬並みとか。しかし午後、2時を過ぎて、雨が上がってきたので、近所を散歩して来ました。住吉神社から七里の渡し跡を見て、住吉入江。寺町で河津桜を見て帰るという2.2kmコース。やはり歩かないといけません(微笑)。ほとんどビョーキ。冒頭の写真は、住吉入江の南側から諸戸氏庭園を見たもの。
Img_8496c 諸戸氏庭園前のソメイヨシノ。寒くて、雨が続いたのに、つぼみがかなり膨らんできていました。このソメイヨシノの木、勝手に「マイサクラ」に認定しています(笑)。かなりの老木ではありますが、毎年見事に咲きます。
Img_8511c 住吉神社から揖斐川の堤防を通って、七里の渡し跡に行く途中、船津屋Img_8513c 裏手を通ります。ここは、昔の大塚本陣。明治8(1875)年からその跡地に料亭旅館 船津屋として営業してきましたが、最近は、ランチ、ディナー、パーティーからウェディングまでと営業内容もリノベーション。ここの裏には、今はユキヤナギが咲いています。
Img_8516c ユキヤナギを撮っていたら、何と、桜、たぶんソメイヨシノが咲き始めているのを見つけました。寒い中、健気にもと思ってしまいます。こちらも寒い中、出て来た甲斐がありました(微笑)。しかし、やはり天気のよい日に見たいものです。明日以降に期待です。
Img_8536c 雨は大丈夫そうでしたから、寺町商店街にも足を伸ばして、河津桜を見Img_8555c てきました。けっこう葉っぱが出て来ていましたが、まだまだ鑑賞に堪えます。
Img_8549c さすがにメジロの姿はありませんでしたが、ヒヨドリがけっこうたくさん蜜を吸いに来ていました。しかし桜にヒヨドリですと、私にはどうしても「花とおじさん」というイメージが浮かんできます。

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近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その3)……同心屋敷跡、道標を見て久留真神社、大徳屋長久山で土産をゲットし、まちかど博物館などへ

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 “近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ”もその3になりました。その2では、鈴鹿市伝統産業会館までやって来ましたが、左の地図でお分かりの通り、スタートの鼓ヶ浦駅からぐるっと回ってきた感じで、あまり進んではいません。
Img_4389c 伝統産業会館からじきに旧・伊勢街道に出ます。1kmほど伊勢街道を上っImg_4399c ていきます。街道沿いには、連子格子がある古い町屋もけっこうたくさん残っています。道幅は昔のままと思われる狭いところ(クルマのすれ違いが難しいくらい)もあれば、拡幅されたところもあります。
Img_4393c 途中、魚要(うおよう)さんという旅館の前で、ミツマタと、たぶんサクラが咲Img_4392c いているのを見つけました。このミツマタ、枝も太く、花も立派。桜の方は、何でしょう? ここで一緒になった女性3人組の方とあれこれ話したものの、よく分かりませんでした。わからないこと、知らないことばかりです。
Img_4405c しばらく行くと、住所が「寺家(じけ)」から「白子(しろこ)」に変わります。白Img_4403c_2 子2丁目20番地で、東側に空き地があり、「同心屋敷跡」の看板が立っていました。時代劇にも出てくるあの「同心」です。奉行(代官)-与力の下に就く、下級役人。伊勢街道を挟んで東西両側に5軒ずつ建っていました。
20180317kintetsuhiking2_2  さて、ここからは、こちらの地図をご覧いただきます。「同心屋敷跡」は、左下に青い矢印をつけたあたりです。次に見た「道標」のところでいったん旧・伊勢街道を離れます。
Img_4421c さらに250mほど行ったところに道標があります。伊勢街道はここで東へImg_4419c 曲がります。このあたりの道は曲がり角が多いため、ここの和田さんの先祖が昔道標を建てました。しかし、それは再三再四倒されたそうで、昭和12(1937)年3月に再び、和田甚一郎さんが現在も残るこの道標を建てています。当時は高さ3m。ところが昭和30年代にまたこれが倒されたので、今のように建て直したそうです(現在の高さは2mあまり)。
Img_4424c 道標の西側には「👉 さんぐう道」、北側には「👈 神戸四日市道」とそれぞれ刻まれています。ここで、魚要さんのところで出会った女性3人組と再度遭遇。その中のお一人が、「こうべ? よっかいち? どういうこと?」と首を捻っておられました。実は、鈴鹿市内にも「神戸」というところがあるのですが、これは「かんべ」と読みます。「かんべじゃないですか」と申し上げたら、「あっ、そうそう」と。実は、この女性、鈴鹿市内にお住まいなのに、ボケをかまされたようです(笑)。周りにいた10にくらいの方と大爆笑! 忘れられないエピソードになりました。
Img_4430c それはさておき、道には迷わず無事に右折して、東南へ進みます。曲がImg_4429c ったところにあるのは、山中山唯信寺。浄土真宗高田派のお寺。ネット検索ではこれということはわかりませんでした。
Img_4432c 唯信寺から100mも行かないところに久留真(くるま)神社があります。延喜式内社、旧・県社。創祀年代は不詳。大己貴尊(オオナ

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ムチノミコト)と須世理姫命(スセリヒメノミコト)の2柱を、通称「伊勢の森」という神奈備(神域)に「福徳さん」として奉斎していました。大己貴尊は大国主命の別名。素戔嗚尊の子(またはその6世とも)で、出雲大社の祭神。須世理姫命は素戔嗚尊の娘で、大国主命の妻(なんだかややこしい)。
Img_4434c_2 第21代雄略天皇(5世紀後半に在位したとされる)の御代に呉の国の漢織、呉織、衣縫兄姫、弟姫などが来朝し、勅命によって伊勢国の民に紡績や衣縫など文明技術を伝授したといいます。その功績が実に偉大であったため、永遠にこれを称えようと、漢織姫命(アヤハトリヒメノミコト)を当社に合祀して、福徳の女神と仰ぎ奉ったと伝わっています。その昔、このあたりの地名を「栗真荘」と呼び、栗真荘で祀る福徳の(機織りの)車の女神というのが社号の由来になっているといいます。

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 元は白子小学校の東に福徳天王社としてありましたが、寛永11((1634)年、そこが白子代官所となり、現在地に移転しています。江戸時代に勝手明神との間に式内の本社を争う訴訟がありましたが、この移転の際、勝手明神を合祀しています。その後、文政4(1821)年12月に「福徳之宮久留真神社」と改称しました。
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 第30代敏達(びだつ)天皇(538~585年、在位は572~585年)の御代(580年頃)に、漢織姫命を淡路国(淡島)へ分祀し、現在も淡路市久留麻町に別宮伊勢久留麻神社として鎮座しているそうで、それがこの看板に書かれていました。ただし、この別宮の方は、現在は御祭神は大日孁貴尊 (オオヒルメノムチ;天照大神の異称)となっていました。
Img_4445c ご神木にもいわれがあります。大已貴尊と須世理姫尊の2柱の神様を福徳さんと称え奉っていた頃には、そのまわりに樹齢一千年以上の「福徳の松」が天に聳えていたといいます。寛永11(1634)年の御遷座の際に、初代、追って二代目の福徳の松が植樹され現在に至ったと神社検索(三重)のサイトには説明がありました。現在のご神木は、三代目。
Img_4472c ここには、境内社が4社あります。まず、拝殿の北西に四柱神社。御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、事代主神(コトシロヌシノカミ;大国主命の子)、宇迦神(ウカノカミ;穀物の神で、お稲荷さんとして広く信仰されている)、大山祇神(オオヤマツカミ;山の神)の4柱。
Img_4451c 拝殿の西(裏)に3社。拝殿に近いところから、稲荷神社。鳥居には、「稲Img_4452c 荷大明神」とあります。お社はまだ新しい感じでした。
Img_4455c 次いで、石神神社。ここに祀られているのも、大山祇神(オオヤマツカミ)Img_4456c で、いわゆる山の神様。
Img_4459c もう1社は、護国神社。御祭神は、護国の英霊となっていました。護国神Img_4461c 社の西には、「忠勇」碑。明治39(1906)年8月建立ですから、日清、日露の戦争の後。三重県遺族会のリストにはありませんでした。裏側に回りたかったものの、よその土地で入れませんでした。
Img_4469c 神社西側の鳥居脇には、古い社名標がありました。表側Img_4465c は、木陰になってしまっていることもあり、全体を確認するのは難しい状況。「延喜式内 久留真神社」とあるようです。碑陰は、よく分かります。ここには、「文政四辛巳年十二月吉日」と刻まれていました。1821年。上述のように、このとき、「福徳之宮久留真神社」と改称しています。
Img_4474c 最後に狛犬を確認して、久留真神社は終了です。狛犬は、子取り・玉取り様式ではありません。また、比佐豆知神社もそうでImg_4475c したが、ここにも、神宮遙拝所などはありませんでした。
Img_4481c 久留真神社から300mほど歩くと、再び伊勢街道に戻ります。次の立ち寄Dscn6388c りポイントは、街道沿いにある小原木本舗大徳屋長久さん。鈴鹿でよく知られた「小原木(おはらぎ)」という和菓子の元祖のお店。大徳屋長久(屋号)の竹口家は、元々、白子の廻船問屋。当時の白子は、紀州徳川家の領地で代官所近くには、紀州藩の御浜御殿もありました。竹口家は藩御用商人として特に目をかけられ、紀州候の上洛に同行することもあったそうです。京都の八瀬小原に出かけた紀州侯は、八瀬小原を訪れた記念に菓子を作るよう、傍らにいた竹口久兵衛に命じてできたのが、この「小原木」。「木」は、不断桜を意味するといいます。
Img_4852c 久兵衛が菓子作りを始めたのが享保年間(1716~1735)でしたから、こDscn6397c ちらでは久兵衛を菓子屋初代とし、その創業年を享保元年(1716)としているのだそうです。現在の当主は、15代目。小生が大学院を修了して最初の職場が鈴鹿市にあり、「小原木」は休憩時間に何度もいただいた記憶がある、懐かしいお菓子です。今回は是非ともゲットしようと思ってきました。小原木を無事購入した上に、かりんとう饅頭も美味しそうでしたので、買ってしまいました(微笑)。
Img_4487c 大徳屋長久さんのあとは、3軒連続して「まちかど博物館」ツアー。まずは「語らい館よこた」。明治18(1885)年に造られた町屋づくりの家を、間取りを変えずにリフォームし、天井が低い、レトロなミニギャラリーになっています。「横田材木店」という看板が出ているように、本業は木材、住宅用建材販売。館内には、ひな人形や、つるしびなが飾られ、また、古道具、木モノ、着物、古布などレトロ雑貨も売られていました。
Img_4495c 次のまちかど博物館に向かって歩いて行くと、東町児童公園に「旧河芸Img_4498c 郡役所跡」の石柱と看板が見えました。明治になって県政がしかれて以来、悟真寺の薬師堂が仮事務所として使われていましたが、明治26(1893)年4月、地元町民が土地を提供し、資金を負担して河芸郡役所の新庁舎が建てられたのがここです。郡制が廃止される大正12(1923)年4月まで郡役所として使われ、その後は残務整理のため団体事務所の役割を果たします。整理完了後は、家事裁判所が置かれていましたが、昭和28(1953)年7月、火災で建物は焼失。現在は、東町児童公園になっています。
Img_4503c 東町児童公園や鈴鹿白子本町郵便局の北の伊勢街道は、このように枡形(といってよいのか確信がありませんが)になっています。白子は城下町ではありませんが、紀州藩領で代官所もありましたから、街道もこのようになっているのかという気がします。
Img_4507c こちらは「伊達家 油屋忠兵衛」。長らく無住であった古民家「伊達家 油屋忠兵衛家」を地元の有志が清掃し、2013年秋から地域のイベントなどに活用しています。油屋忠兵衛家は、仙台の伊達一族を先祖に持ち、油屋を営んでいた歴史ある町屋です。築100年以上。廻船問屋も営んでいたといいます。明治時代には伊勢湾に迷い込んだ鯨を捕獲し、その耳石や髭を江島若宮八幡神社に奉納したという話も伝わっています。
Img_4514c 油屋忠兵衛から街道を少し上った、左手(西側)に鈴鹿市白子コミュニテImg_4517c ィセンターがあり、その前に「安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡」という看板がありました。明治になって私有財産権が認められ、土地等の登記に必要な行政機関として各地に置かれた役所が治安裁判所です。白子には、明治21(1888)年10月に置かれました。その後、明治25(1892)年に役所が新築され、名称も登記所となり、さらにまた、法務局に変わっています。現在、津地方法務局鈴鹿出張所は、市内神戸にあります。
Img_4523c コミュニティセンターのほぼ斜向かいの清水屋さんの店頭に「江島陣屋Img_4521c 跡」の看板がひっそりと立っていました。このあたり、住所は江島本町に入っています。江戸時代初期(正保年間、1644~1648年)まで江島村は天領でしたが、その後、紀州藩旗本の領地となり、享保の頃(1716~1736年)には小笠原肥前守の知行地になり、ここに陣屋を建てたといいます。明治2(1869)年3月14日には明治天皇が伊勢神宮参拝(3月12日)の帰路、この陣屋で小休止なさったとありました。
 江島陣屋跡で時刻は、11時35分頃。歩いてきた距離は、5km半あまり。まだ先がありますが、今日はここまで。次は、江島神社社名の標柱から。ここで、次の目的地がよく分からず、ウロウロ。ガソリンスタンドで聞いて行ったという話から。

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2018年3月20日 (火)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ

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 その1がずいぶん長くなりました。子安観音寺、スタートの鼓ヶ浦駅からは200mあまりしか進んでいません(苦笑)。この先どうなるやら、我ながら思いやられます。くだらない与太話は避けたいと思ってはおりますが……。
Img_4256c 子安観音寺の次は、いきなり寄り道をしました。子安観音寺の南隣に比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています。大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。
  • 大屋津姫命 (オオヤツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 抓津姫命 (ツマツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 少彦名命 (スクナビコノナノミコト)……山や丘の造物者であり、命名神
  • 天照大神 (アマテラスオオミカミ)
  • 伊弉冉尊 (イザナミノミコト)……伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった
  • 誉田別尊(ホンダワケノミコト)……応神天皇
  • 天児屋命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 速玉男命 (ハヤタマノオカミ)……絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神
  • 事解男命(コトサカノオノミコト)……伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神
Img_4252c 創立年代は不明ですが、延喜式神名帳(延喜5(905)年から編纂された)に載った式内社ですから、その頃にはあったと思われます。江戸時代は、観音寺の境内(南側)に木館神明社(木立神明社)、神明社(3社)、熊野権現、天満宮、富士権現として祀られていたといい、木館神明社が比佐豆知神社となったのは明治になってからです(神社でいただいた説明文書による)。明治40(1907)年に比佐豆知神社、神明社(3社)、熊野権現(熊野神社)の3社が合祀され、比佐豆知神社となっています。上記のように多くの神様が祀られているのは、この明治の一村一社政策によるわけです。なお、左の社名標は、明治12(1879)年9月に建てたとあります。
Img_4264c 拝殿の北側には、もう一つのお社がありました。こちらは、二柱神社(にはしらじんじゃ)。一村一社政策のとき、4社の山神社と、八雲神社(牛頭天王社)が合祀されたものです。
 ちなみに「比佐豆知」はすなわち「久土」であり、皆親しむという意味があるといいます。土に親しむ心を持って生物増産する意味を含めて「久土」と名づけ、これと同じ意味を持つ「比佐豆知」の文字を当てたと、昭和初期の神社誌にあるといいます。さらに余談。「比佐豆知」と呼ばれる神社は、ここの他に津市鳥居町には、同名の比佐豆知神社が、また、津市安濃町の京ヶ峰登山口近くに比佐豆知菅原神社があるそうです。
Img_4266c 二柱神社の脇には、もう一つ社というか、祠というかがあります。こちらImg_4269c は、庚申塚でした。「庚申」と刻まれた石に注連縄が張られていました。写真は割愛しますが、狛犬は、子取り・玉取りではないタイプでした。
Img_4261c このほか境内にあったのは、この国旗掲揚塔の台座(といってよいのか?)。「出征軍人家族中」とあり、昭和12(1937)年12月に建てられていました。この年には盧溝橋事件などが起こり、日中戦争が始まっています。 
 
Img_4283c 次も寄り道。子安観音寺の南東すぐにある西方寺です。真宗高田派。境Img_4288c 内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。
Img_4290c この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。
Img_4293c 西方寺を出て、旧・伊勢街道へ出る途中に「昭和湯」というお風呂屋さんImg_4297c_2 の建物を発見。リンク先には、2002年12月に利用したという記録がありました(何事についても、調べている方があるものです)。今は廃業したように見えました(こちら)。昭和湯からすぐ(50m)でようやく旧・伊勢街道に出ました。とはいえ、スタートからは、寄り道分を除いて400mほど(苦笑)。南西に向かいます。
Img_4300c 堀切川排水機場への途中、たばこ屋さん(南部商店)の脇に「楳荘(ばいそう)翁Img_4298c 碑」。儒者・別府梅荘(文政10(1827)~明治28(1895)年)。河芸郡上野村に生まれ、寺家(このあたり)に住んだといいます。絵をよくし、生け花、煎茶にも優れたといいます。明治29(1896)年12月建立。富岡鉄斎の撰並びに書。
Img_4309c 堀切川排水機場の前に石碑と道標があります。石碑は、鼓ヶ浦海水浴Img_4313c 場のところにも同じものがありましたが、「鼓ヶ浦」と刻まれています。道標には、「右 いせみち ひたり ○みち(○は、小生には判読不明でした)」とあります。ここは、逢来橋の北のたもと。伊勢街道を行くには橋を渡って右折します。左は今日のハイキングコース。鼓ヶ浦海岸に出るはず。
Img_4327c 逢来橋からしばらくは堀切川の右岸堤防を歩きます。川には、ヒドリガモ、カルガモ、ユリカモメの姿も見えましたが、持参したデジイチには18~55mmのレンズをつけており、野鳥撮影は断念。川に入って貝を捕っているらしい人もいました。
Img_4332c 鼓ヶ浦海岸に出ました。左の写真は南の方を見たもの。松林のすぐ左にImg_4339c は、津市の南部が見えます。その先は、松阪から伊勢の方です。右は正面(東)。こちらは知多半島が見えます。名古屋港などに入港する大型の船の姿もあります。
Img_4349c 無理矢理トリミングしたり、コンデジ画像を用いたりしていますので、きれDscn6375c いではありませんが、このあたりセグロカモメかと思われるカモメがたくさんいました。
 
Img_4361c 堤防道路を350mほど行くと、鼓ヶ浦海水浴場があります。大正9(1920)Img_4365c 年開設。白砂の浜に美しい松、遠浅の海。夏の海水浴シーズンにはたくさんの人でにぎわうそうです。昭和62(1987)年には、「日本松の緑を守る会」により、「白砂青松100選」に選定されました。今でも海水浴客は多いようです。この日は、近くの鼓ヶ浦中学校の生徒さんたちが何かの活動をしていました。
Img_4363c 更衣室から海岸に降りたところにあったのは、服部憺風(たんぷう)(慶応3(1867)~昭和39(196)年)の漢詩碑。憺風は、愛知県弥富の生まれで、漢詩や書で有名。昭和28(1953)年に日本芸術院賞を受賞。桑名付近に門下で漢詩に長ずる人が多く出たといいます。こちらに石碑に刻まれた漢詩の詳しい内容とその説明があります。鼓ヶ浦をたたえる詩でした。この写真の右下に「招仙松」という石柱が見えます。「招仙松」はここにある(あった?)松のようで、憺風が命名しています。
Img_4178c これは、その1に載せた、鼓ヶ浦駅前の観光案内板。「招仙松」も描かれImg_4357c ていました。しっかり意識していませんでしたので、現地でも確認しなかったのですが、たぶん右の写真に写っている、半ば切られた松がそうではないかという気がします(ネット検索では調べきれませんでした)。
Dscn6378c 海水浴場を出て、再び堀切川を鼓橋で渡り、鈴鹿市伝統産業会館へ向Dscn6385c かいます。橋の上から、アオサギや、マガモ、ヒドリガモ、コサギの姿が見え、ちょっとバードウォッチング気分(微笑)。
Img_4383c こちらが、鈴鹿市伝統産業会館。ここまでで約1時間、実際に歩いたのImg_4378c は、2.7kmほど。鈴鹿市の伝統工芸は鈴鹿墨と伊勢型紙で、ここにもこれらが展示されています。ギャラリーやショップもありますし、型紙教室なども開催されています。
Img_4381c 鈴鹿墨の発祥は、延暦年間(782~806年)ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。しかし、現在も墨を作り続けているのは進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1,000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。
 本日は、ここまで。このあと少し歩いて、また伊勢街道に戻ります。

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2018年3月19日 (月)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】

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 3月17日(土)に出かけた“近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道と2018317kintetsuhiking おひなさまめぐり」”の本編その1です。風はややあったものの、よく晴れて、絶好の行楽日和(微笑)。学校を卒業して最初の就職先が鈴鹿市内にあり、白子駅は出張でよく利用しましたが、今回のハイキングコースあたりは行ったことがありませんでした。コースマップでは、約6kmとなっていましたが、距離測βで見ると、実測8.9㎞。
20180317kintetsuhiking1 左は、実際に歩いたルートを、、距離測βで調べ、描いたもの。赤丸をつけImg_4175c た、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅が今回のスタート。桑名駅を9時2分の五十鈴川行き急行に乗り、白子駅で普通電車に乗り換えて、9時38分に到着。¥560。受付は9時半から始まっており、この時間さほど並んではいませんでした。「酒蔵みてある記」でないと、空いているのかも知れません(苦笑)。マップをもらって、9時42分スタート。
Img_4178c 鼓ヶ浦駅前にあった鼓ヶ浦海水浴場の案内板。一応写真に撮っておこうと思っただけでしたが、帰宅後よく考えたらもっとしっかり確認すべきでした。というのも、山口誓子の句碑を始め、文学碑が6つもあるのでした。とくに鼓ヶ浦海水浴場には5つもあるのでした(苦笑)。
Img_4185c 最初の立ち寄りスポットは、鼓ヶ浦駅から200mあまりの白子山観音寺。地Img_4193c 元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。
Img_4189c 上左の写真にある「仁王門」は、三重県指定文化財(昭和47(1972)年にImg_4199c 指定)。仁王門は、元禄16(1703)年に建立されたもので、正面両脇に鎌倉様式の金剛力士が配されています。江戸時代の楼門の典型とされる、堂々とした構えです。高さは12.37m、桁行は7.42m、本瓦葺の立派なものです。
Img_4226c こちらが本堂。中央に写っているのは、マスコットキャラクImg_4212c ターでしょうか。中に入ると、「子安」と大書された大きな提灯が頭上に下がっています。
Img_4214c 正面の上には、「白子山 観音寺大聖院 ご本尊 白衣観音」などと描かImg_4210c れた額が掲げられていました。また、お祈りするときの注意事項というか、唱えるべきことばも示されています。ちなみに「おん しべてい しべてい はんだら ばしに そわか」と三遍乃至七遍唱えるようにとありました。ご真言というのだそうです。
Img_4207c 境内の中央にあるのが、三重県指定有形文化財の「銅燈籠」。です。寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作です。辻越後は、藤堂高虎の頃、近江から津の釜屋町に来た鋳物師。高田本山専修寺には、その三代目である辻越後守陳種が作った銅燈籠がありますし(2018年1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺)、初代・家種の作になる梵鐘が津観音にあるそうです(こちら)。
Img_4233c 境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されていま
Img_4235c
す(大正12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。この不断桜の葉の虫食い跡をみて伊勢型紙を思いついたというエピソードも残っています。
Img_4243c 不断桜の周囲には、いくつか石柱、石碑、説明板があります。左の写真の石柱は、不断桜が天然記念物に指定された記念として建てられたもので、「天然記念物白子不断桜 内務省」と刻まれています。大正12(1923)年4月1日に建設。正面に向かって左側には、「史跡名勝天然記念物保存法ニ依リ 大正十二年三月十日 内務大臣指定」とありました。
Img_4205c こちらは、智慧の塔。三重塔で、広く人々の苦難を救われる観音様の功徳を求め、ご縁の深い皆様の御安泰と子孫繁栄を祈念し、併せて寺門興隆の悲願を込めて建立したといいます。塔内には、金剛界大日如来(真言密教の教主)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ、普通には普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左脇に侍し、智慧を司る菩薩として信仰されている)、普賢菩薩(ふげんぼさつ、仏陀の実践的理性を司る菩薩で、文殊菩薩と並んで釈迦仏の二脇侍として知られる)の三尊が祀られています。建築様式は、鎌倉時代様式を取り入れたものだそうです。
Img_4275c 本堂の前には、こういう立派な幟が立てられていました。山門を入ったとImg_4190c ころに右のような看板がありました。ここに出てくる「大幟」がこれかという気がします。浅沼一道(あさぬま いちどう)は、書家。こちらに紹介がありました。
Img_4228c これもよく見てくればよかったと反省しています(反省だけならサルでもできるといわれそうですが……)。「永代常夜燈」です。こちらを見ると、対になっているということでしたが、片方しか気づきませんでした。裏側には「尾州 名古屋 木綿問屋」と刻まれていました。「天保三年壬辰冬」とあります(天保3年は1832年)。この頃は、白子の木綿問屋が衰退し、名古屋の問屋が勢力を増してきた頃だそうです。ちなみにもう一つの永代常夜燈には、「白子 川合氏」とあるといいます。白子の川合氏は、積荷問屋・河合氏(江島在住)。
Img_4227c 境内には、山口誓子の句碑が2つあります。その一つには、「虹の環を以て地上のものかこむ」とあります。昭和46(1971)年10月建立。子安観音寺は、誓子が白子居住時に時折訪れ親しんだ地だそうです(こちら)。ちなみに、山口誓子(明治34(1901)年~平成6(1994)年)は京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和15(1940)年に病気療養のため四日市市富田に転居。昭和22(1947)年からは鈴鹿市白子で5年間過ごし、体調も順調に回復したといいます。鈴鹿市には、誓子が詠んだ11の句碑が建てられているそうです。
Img_4278c もう一つがこちら。「寺の古び月夜のけふのごときはなし」とあります。三重の句碑のサイトにも、当然ながら載っていました(こちら)。昭和57(1982)年6月の建立。
Img_4221c 子安観音寺には他にも句碑がいくつかあります。まず、こちらは、「花の香のたえぬ恵みの御堂かな」という坪田(五老井)梥雄(まつお:「梥」は「松」の古い字といいます)の句が刻まれています(こちら)。梥雄は森川許六(江戸前・中期の俳人。彦根藩士)を祖とする五老井八世(明治40(1907)年、五老井八世を嗣号)で正風俳諧継承者の一人。万延元(1860)年滋賀県に生まれ、無々庵とも号して全国各地で俳句に遊び、全国の有名な地に句碑36基を建設し、その一つがこれだそうです。梥雄の句碑は県下では二見浦にあるものとで2基現存するそうです。この句碑は、大正2(1913)春建立。
 以下は、追記です(3/19)。昨日の時点(3/18)で調べがついていなかったものです。まずは、不断桜のところにあった石碑。
Img_4238c 「不断櫻」と刻まれています。右から文字が刻まれていますし、いかにも古びていますから、相当前のもの。「不断櫻」とある下には、漢文が刻まれています。気楽に、写真があればわかると思ったのが間違いの元。ネットで検索したところ、こちらにありました(喜)。何事もきちんと調べる方がいらっしゃるものです。桑名藩士であった山田松齋(文化6(1809)年~明治29(1896)年)によるものだそうです。松齋は奥州白川に生まれ、父に従い桑名へ来ています。文武両道を極めた人で、後に津藩に仕えています。文末に「仝戌辰春相議建之」とあります。「」は「同」の古字とされます。直前に「慶應丙寅……」とありますから、ここでの「仝」は「慶應」と考えられます。したがって、「慶應戌辰」(慶応4(1868)年、ただし、この年に明治に改元されています)にこの石碑が建てられたということです。内容は、上記のリンク先(こちら)をご覧ください。
Img_4240c もう一つはこちらの句碑。上の写真の石碑と並んで不断桜の前にありました。これまた写真に撮っておけば大丈夫と高を括ったのでした(苦笑)。これも、上の石碑と同じサイトに説明があり、助けられました。「養老舎梥琳句碑」で、「波音を鼓に寺の桜かな」と刻まれているようです。この句碑は、五老井門人が大正8(1919)年5月に建立したもの。「五老井門人」は、芭蕉の門人である五老井許六(きょりく)を一世とする俳諧の系統。五老井許六は、宝井其角の手引きで芭蕉に入門しています。六芸に通じているという意味で許六と号し、芭蕉に画報を伝授したといいます。以上2つの石碑&句碑の説明は、天明元年大宝転社絵馬というサイトによります。
Img_4249c これで子安観音寺の最後。境内の南側、塀際に立っています。「寄附者姓名」と読めます。その下には、寄付をしたと思われる方々のお名前が多数刻まれています。裏側は未確認。
 以上、昨日のその1の記事の加筆修正で、今日(3/19)は終わってしまいました。まだ先は長いので、お時間がおありでしたら、気長にお付き合いを願います。次は、寄り道した比佐豆知神社から。
 かなり加筆修正しましたので、投稿の日付を3月19日に変更しました。ご了解下さい。

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微妙な天候でウロウロ

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 実に微妙な天気でした(苦笑)。予報もこれまた微妙で、迷わされました。結局、ネットで雨雲レーダーを見て、大丈夫だろうと思っていったんは散歩に出たのですが、小雨がぱらついてきて、やむなく撤収してきたという結末。住吉神社へお参りした後、わが家近くの住吉入江のまわりを一回りしてオシマイ。1.3kmでした。
Img_8458c 住吉神社の前から三の丸水門の方を眺めたら、今日もヒドリガモが集まっているのが見えました。写真に写っている範囲で70羽以上。昨日よりも増えています。帰る前の集合場所であることは間違いなさそうです。無事に帰って、また冬になったら元気な姿を見せてほしいものです。
Img_5033c 住吉入江にいるキンクロハジロのオス1羽と、オオバン3羽の他に見た鳥Img_5035c は、ドバト3羽と、ツグミ1羽だけ。近所を回っただけですから、まぁこんなものでしょう。ドバトは住吉水門近くの手すりにいたもの。ツグミは、玉重橋の南でエサ探し中かと思います。
Img_5037c その他には、住吉入江脇のお宅で咲いているモクレンを見てきました。ここのモクレンは、紫色の花ですから、シモクレン(紫木蓮)というのだと思います。
Img_8461c 住吉入江は、住吉神社近くの住吉水門から、拙宅前を経て、寺町商店街Img_8468c にほど近い三崎見附のあたりまで続いています。左は、水門から入ったところ。東から西に向いて撮っています。大きな建物が住吉ポンプ場。右は、三崎見附から北を見た写真。中央奥に玉重橋があり、そのさらに奥に諸戸氏庭園がありますが、それはこの写真ではわかりません。満潮を1時間ほど過ぎた時刻で、かなりたくさんの水が入っていました。
 帰宅後は、おとなしく、依頼された仕事に取り組んでいました。午後は、なばなの里の花市場へ買い物。伊勢大橋を渡るとき、川の上空をツバメが飛んでいました。ツバメは、3月14日にも見ているのですが、未だ写真は撮れていません。

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2018年3月18日 (日)

さくらまつり、堀めぐりの準備も進み、ソメイヨシノも咲きそうになっています……ヒドリガモは集まって、帰る準備か

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 吉之丸コミュニティパーク近くでソメイヨシノのつぼみがずいぶん膨らんでいましたので、九華公園の中を丁寧に見て回ったところ、本丸跡の西側でもうじき咲きそうなものを見つけました。ウロウロしているうちに、今日はもう彼岸の入りですから、さもありなんという感じです。
Img_8379c 九華公園の入り口、先日、堀めぐりの幟が立ちましたが、今日は看板も設2018horimeguri 置されていました。あちこちにポスターも貼られておりましたし、九華公園の管理事務所でもパンフレットが置いてありました(右の画像)。4月1~15日に運行(サクラの開花状況により変更あり)、大人500円、小人200円。夜桜舟めぐりも、4月5(木)~8日(日)までだそうです。
Img_8395c さくらまつりと、舟めぐりも近づいたということで、九華公園の堀には、行燈がImg_4920c 浮かべられていました。これ、カモたちにとっては脅威の源。近づきません。カモは今日は41羽いたのですが、行燈が浮かんでいない、二の丸堀の南端とか、吉之丸堀の東の端に集まっていました。ハシビロガモのオス、メスがそれぞれ1羽と他はキンクロハジロのみ。キンクロハジロは、例年、ゴールデンウィーク前くらいまでいますが、この行燈や、堀めぐりの舟が大嫌い。
Img_4909c 九華公園内にも、ランタンが並べられていました。昨年に続いて、灯街道のイベントが4月5日から8日にかけて行われますから、そのためということもあるのでしょう。しかし、行燈も、堀めぐりも、ライトアップも、鳥など生き物たちにとっては迷惑な話。異を唱えるわけではありませんが、とくに灯街道のイベントは、「東海道」をもじっているのですから、吉之丸コミュニティパークや九華公園ではなく、七里の渡し跡から旧・東海道で開催した方がよいと思っています。
Img_4863c さて、散歩とバードウォッチング。蟠龍櫓の東側の揖斐川には、ヒドリガImg_4870c モがたくさん集まっていました。その数、60羽以上。ここ何年か、今の時期恒例で、北へ帰る準備かと思います。ついこの間やって来たばかりという気もしますし、寂しい限り。
Img_4877c 三の丸水門の南側(下流側)には、このところずっとヒバリが居着いていImg_8372c ます。今日は、3羽いたのですが、うち2羽がトラブっていました。オス同士の縄張り争いかと思います。左はペア。右は、そのうちの1羽。エサを啄んでいるような、巣作りの材料を集めているような、判然としません。うっかりしていると、どこにいるか見逃しそうでもあります。
Img_4901c 九華公園では、冬鳥の姿を見るのが減っているような気がします。が、ゴImg_8384c イサギは、3羽が健在。この頃は、よくいる鎮国守国神社社務所裏のクスノキにいました。最近は、木の高いところにいるのをよく見かけます。
Img_4913c 奥平屋敷跡では、シロハラ1羽と、カワラヒワを見たくらい。しばらく前にここによくいたビンズイや、ジョウビタキのメスは見なくなりました。このシロハラさん、警戒音を発して、木の枝を移動。地面には降りてきませんでした。
Img_8399c 鎮国守国神社の境内でカワラヒワが地面に降りてエサを探していましたので、カメラを向け、シャッターを切ったら、何とシロハラが乱入。ご覧のような写真になりました。カワラヒワも、ほとんどペアで行動しています。
Img_4972c もうじき帰ってしまうでしょうから、載せておきます。ハシビロガモたち。左Img_4975c はメス、右はオス。一時期は、オス3羽、メス2がいましたが、最近はこの2羽のみ。ペアなのでしょうか。つかず離れずでいるように思えます。
Img_4939c 鎮国守国神社には、梅の他に椿も何種類か植わっています。左は乙女Img_4943c 椿。去年より1ヶ月以上も遅く開花。右も椿だと思いますが、名前はわかりません。普通に見かける椿は、早くから咲いていましたが、寒さが厳しく霜にやられて、開花早々から花が傷んでいました。
Img_4980c 貝塚公園にも回ってみたのですが、静かなもの(苦笑)。エナガが2羽、ツImg_4982c グミが3羽、シロハラ1羽。メジロや、ウグイスは影も形もなしでした。ジョウビタキのオスは一瞬だけ顔見せしてくれたのですが、その後行方不明。
Img_4984c シロハラもずいぶんと追いかけたのですが、こんな証拠写真しか撮れず(苦笑)。今シーズン、貝塚公園は冬鳥が少なく、残念でした。梅も、白梅はもう終わって、紅梅が咲き始めましたが、手入れ(施肥や、剪定)がキチンとされていませんので、花はだんだん貧弱になって来た印象があります。
Img_8416c 帰り道、NTNシティホールと、寺町に回って来ました。シティホールの薄Img_4991c 墨桜はほぼ満開。一時よりも樹勢は衰えましたが、それなりに見られます。薄墨桜は、つぼみのときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になります。今度は、散り際を見なくてはなりません(微笑)。
Img_5015c 寺町商店街の河津桜も満開。一部、葉っぱが出て来ていますから、見頃Img_8432c ですが、明日からは雨の予報。昨日は、商店街のイベントがあり、今日は三八市でした。商店街で露店も出していて、賑わっていました。
Img_4854c 散歩の行き帰りに、拙宅前の住吉入江を確認します。カモやオオバンがImg_4859c いるか、気にしています。ここ数日は、オスのキンクロハジロ1羽とオオバンが1羽だけになってしまいました。

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2018年3月17日 (土)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編)

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 風はややあったものの、よく晴れて、絶好の行楽日和(微笑)。「この写真、どこだ?」と思われるでしょう。鈴鹿市の鼓ヶ浦海岸です。海水浴場になっています。とはいえ、海水浴ではないのはもちろん。今日は、近鉄ハイキングで「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ。残念ながら、今回は、酒蔵みてある記ではありません。
Img_4172c 近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅から、子安観音寺、鈴鹿市伝統産業会館、大徳屋2018317kintetsuhiking 長久(和菓子屋さん)、語らい館よこた、油屋忠兵衛、芙蓉館(以上3ヶ所は、まちかど博物館)、江島若宮八幡神社、伊勢型紙資料館を回って近鉄名古屋線・白子駅がゴールというコース。最初の就職先が鈴鹿にあり、白子駅は出張でよく利用しましたが、このあたりは行ったことがありませんでした。コースマップでは、約6kmとなっていましたが、例によって寄り道、道草のお陰で、実際に歩いたのは約8.9kmでした(苦笑)。右は、距離測βで描いた、実際に歩いたルート。一部は、旧・伊勢街道で、昔の雰囲気や情緒も味わってきました(伊勢街道のウォーキングマップはここにあります)。今日は、いつも通り、予告編ということで、全体について。
Img_4175c スタートは、こちら鼓ヶ浦駅。桑名駅を9時2分の五十鈴川行き急行に乗り、白子駅で普通電車に乗り換えて、9時38分に到着。¥560。受付は9時半から始まっており、この時間さほど並んではいませんでした。マップをもらって、9時42分スタート。
Img_4187c 最初の立ち寄りスポットは、白子山観音寺。地元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。その昔、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われて現れたといい(鼓に乗って現れたという記述もあります)、安産にご利益があるとされています。
Img_4233c 境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されています(大正Img_4235c 12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。
Img_4256c 早くも道草を食うのですが、子安観音寺の南に比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。神社検索(三重)の説明では、「社伝によると、聖武天皇天平勝宝年間旧刹たる白子山子安観音寺と神域を共にし観音寺南側に位し」たそうで、「子安観音寺の地主神として 崇敬されてきたのではなかろうか」とあります。津市鳥居町にも同名の神社がありますが、そちらの御祭神は、火之迦具土神 (カグツチノカミ)ですから、関連性はないかと思います。
Img_4283c さらに道草を重ねます。ここは、西方寺。真宗高田派。境内に山口誓子Img_4290c の代表作「海に出て 木枯かえる ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。
Img_4297c 西方寺から突き当たったところを右折(南へ)。ここは、伊勢街道。堀切川Img_4353c 排水機場のところまで伊勢街道を進みます。次の目的地は、鈴鹿市伝統産業会館なのですが、そこに行くまでに大回り。冒頭の写真に載せたように、鼓ヶ浦の海岸沿いの堤防道路を進みます。鼓ヶ浦は、大正9(1920)年に開設された海水浴場で、白砂の浜に美しい松、遠浅の海。海水浴シーズンにはたくさんの人でにぎわいます。昭和62(1987)年には、「日本松の緑を守る会」により、「白砂青松100選」に選定されるほどの絶景の地です(こちらを参照)。津市街や、知多半島、セントレアもよく見えます。
Img_4383c 鈴鹿市伝統産業会館です。ここまでで約1時間、2.7kmほど。鈴鹿市の伝統工芸は、鈴鹿墨と伊勢型紙がその代表。鈴鹿墨の発祥は、延暦年間ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。現在も墨を作り続けているのは、進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。
Img_4399c 鈴鹿市伝統産業会館から少し歩いて、また伊勢街道に戻ります。今度Img_4421c は、北に向かって行きます。このあたり、昔ながらの連子格子の家がまだけっこうたくさん残っています。唯信寺や、久留真神社近くの曲がり角に道標が残っています。このあたりは曲がり角が多いため、参宮客などが迷わないようにということで、道標を和田さんという方が建てたのだそうです。何度も倒され、立て直しを繰り返した結果、現在は(昭和30年代以降)、高さ2mあまりとなったそうです(説明板による)。
Img_4430c 道標のところを右折(東へ)すると、山中山唯信寺があります。真宗高田Img_4429c 派のお寺。ネットで検索する限り、特にこれという情報は出て来ませんでした。一応中に入って、本堂を拝見してきました。鉄筋コンクリート造りの立派な本堂です。
Img_4432c 唯信寺のすぐ近くにあるのは、久留真神社(くるまじんじゃ)。主祭神は、大己貴尊(オオアナムチノカミ)、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称だそうです。往昔は大已貴尊と須世理姫尊(スセリビメノミコト、大国主命の妻)の2柱の神さまを通称伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)という神奈備(神域)にお祀りして福徳さんと称え奉ったそうです。
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 元は福徳天王社と称し、白子小学校の東付近にあったのですが、寛永Img_4440c 11(1634)年、その地が白子代官所となったため現在地に移転しています。江戸期に和田の勝手明神との間に式内の本社を争う訴訟があり、文政4(1821)年に「福徳の宮久留真神社」と改称しました。淡路島に別宮(伊勢久留麻神社)がありますし、境内社が多数あり、なかなか興味深い神社でした。
Img_4481c 久留真神社の先に「大徳屋長久」さんがあります。今回、Img_4852c ここは是非立ち寄って、あるものを買おうと決意してきたのです(微笑)。それは、右の写真にある「小原木(おはらぎ)」というお菓子。最初に就職したのが鈴鹿と書きましたが、懐かしいお菓子なのです。休憩時間にいただいたことたびたび。1個¥100。
Dscn6388c 大納言小豆が使われています。甘さは控えめ。何と、300年変わらないImg_4847c 味だそうです。早速今日のおやつに家族揃っていただきました。娘にも大好評。ちなみに、娘が好きなのは、かりんとう饅頭。これも、大徳屋長久さんの名物。今日は、本来1個¥120のところ、¥100でしたので、ちょっとだけ奮発してこちらもゲット。「娘孝行」であります(爆)。
Img_4487c ここからは、3軒連続して、まちかど博物館ツアー。まず左の写真は、「語らい館よこた」。明治18(1885)年に造られた町屋づくりの家を、間取りを変えずにリフォームし、天井が低い、レトロなミニギャラリーになっています。「横田材木店」という看板が出ています。
Img_4507c 続いては、「油屋忠兵衛」。長らく無住であった古民家「伊達家 油屋忠兵衛家」を地元の有志が清掃し、2013年秋から地域のイベントなどに活用しています。油屋忠兵衛家は、仙台の伊達一族を先祖に持ち、油屋を営んでいた歴史ある町屋です。築100年以上。廻船問屋も営んでいたといいます。
Img_4532c 最後は、こちら「芙蓉館・勢松丸資料館(ふようかん・せいしょうまるしりょImg_4534c うかん)」。旧松野家の土蔵を改装したミニ美術館で、江戸から明治・大正時代の陶磁器、ガラス器、浮世絵、漆器、雛飾りのほか、「勢松丸」船額、おしろい製造販売の看板「芙蓉館」などを展示していました。右の写真にある雛人形、文化10(1813)年と書かれていました。ここ、87歳のおばあちゃんが、やっておられ、その元気に煽られ、建物の写真を撮り忘れ(苦笑)。
Img_4645c 続いて、江島若宮八幡神社へ。ここは、鈴鹿市内で2番目に広い境内を持つ神社(最も広いのは、椿大神社です)。主祭神は、大鷦鷯命(オオササキノミコト、仁徳天皇)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)となっています。
Img_4609c 平安時代初期、禁中(内裏)に奉祀されていた若宮八幡宮(京都石清水八幡宮の御分霊)を醍醐天皇が、神意に問いて伊勢宗廟(皇大神宮)の戌亥の方なる当地に奉遷なさり、息長帯比売命、品陀和気命、大鶴鷯命を主祭神に、17柱の神々を祀っているといいます。
Img_4587c 明治42(1909)年5月に大宝天社・湊守社・稲荷社・風の宮・愛宕社が合祀されています。上述のように境内は広く、多数の松の木があります。多数の絵馬が奉納されており、そのうち、江戸時代の71面は三重県指定有形民俗文化財です。弁財天、武者絵、町絵図、帆前船などの図柄のものに、廻船業で賑わった白子湊の繁栄と信仰が繁栄されているといわれます。まちかど博物館を兼ねていますが、絵馬がある宝物殿の拝観は予約制でした。
Img_4616c 境内には、稲荷社がありましたが、お社が石造りという珍しいものでしImg_4617c た。また改めて載せますが、稲荷社といえば、朱塗りの鳥居となりますが、それも石造のものがあったのです。お社の前に控えていた、眷属の狐さん、右の写真のように、これまたあまりお目にかかれないタイプでした(微笑)。
Img_4723c 江島若宮八幡神社からは、海沿い、白子漁港沿いの道を歩き、白子小学校の方へ戻ります。途中いくつか興味深いもの、ところはあったのですが、今日のところは割愛。次の目的地は、こちら、伊勢型紙資料館。江戸時代末期の建物で白子屈指の型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館したものです。寺尾家は江戸時代から伊勢型紙の生産から販売までを行ったそうです。寺尾家住宅は、型紙関係の商家としてまた町家建築の代表例として、市史跡に指定されています。
Img_4735c 伊勢型紙資料館の先を右折して、また寄り道(東へ)。瑞雲山龍源寺Img_4744c す。ここは、臨済宗妙心寺派の禅寺です。ご本尊は、拈華釈迦如来像(ねんげしゃかにょらいぞう)。開創は平安時代と伝わっています。ここは、平家ゆかりの「青葉の笛」に関わる旧跡[青葉の竹林]が伝承されていたり、臨済宗中興の祖・白隠禅師(はくいんぜんじ)が訪れたといわれたりで、訪ねてみたかったのです。枯山水のお庭もありました。
Img_4780c 最後の道草スポットは、ゴールの近鉄名古屋線・白子(しろこ)駅のすぐ近く、勝速日神社(かつはやひじんじゃ)です。通称、勝手さん(かってさん)。すぐ裏を近鉄名古屋線が通っていて、前からずっと気になっていた神社なのです。主祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命 (マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミミノミコト)。なんだかややこしいお名前ですが、日本神話で、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父で、「天忍穂耳尊」でも良さそうです。
Img_4798c 社伝によれば文明年間(1469~1486)の創建といわれ、「勝手大明神」と「牛頭天王」の2神を2社に祀っていたのを、元禄の頃(1688~1703)、勝手明神を主神とし他を椙殿の神とし、勝手大明神と称したと伝わっています。寛永11(1634)年、紀州藩の指示によって社地を移転以降、現在地に奉祀したといいます(当時、白子は、紀州藩領でした)。勝手神社と称したのは、寛文11(1671)年と伝えられている。参道が大変長い神社でした。
Img_4815c ようやくゴールイン(苦笑)。近鉄名古屋線・白子駅です。特急も停車し、鈴鹿サーキットなどの玄関口。到着は、13時13分。3時間半もかかりました(爆)。約6kmとありましたので、2時間もあれば余裕でゴールと思っていましたが、何事も思った通りには行かないものです(自分のせいですが)。13時29分発の名古屋行き急行に乗車。桑名には、14時3分着。¥490。
Img_4349c ハイキングで歩いたのは、約8.9km。自宅から桑名駅までの往復が2.2kmですから、合計11.1km。道草、寄り道のせいもあるのですが、よく歩きました。予告編がこんなに長くなると、先が思いやられますが、また色々と調べながら、少しずつ本編を書く予定です。写真は、鼓ヶ浦にたくさんいたカモメ。

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2018年3月16日 (金)

九華公園のカモは20羽

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 予報通り、午前中は雨。午後からは上がったものの、曇りで強風。寒くなっています。最高気温は14.7℃なのですが、夜中に記録し(0時5分)、その後次第に低下。今のところ(17時)、最低は、16時の9.0℃。2時過ぎから、住吉神社、九華公園と歩いてきました(5km)。しかし、この天気では鳥も、知り合いもいません。
Img_4005c 七里の渡し跡にヒドリガモが5ペア(左の写真)、蟠龍櫓東の揖斐川には、Img_4021c 同じく15ペア以上の姿がありました(右の写真)。この時期によく見られる光景。北帰行の準備かと思っているのですが、確信があるワケではありません。
Img_4015c 蟠龍櫓近くの三の丸水門脇では、ヒバリ2羽。先々週くらいまでは、5羽くらImg_4019c いが一緒にいましたが、このところペアで行動しているようです。
Img_4028c 九華公園。カモは激減して、20羽。管理人さんに伺うと、午前中はもう少しいたということでした。ハシビロガモのオス1羽、メス1羽の他、キンクロハジロ。強風を嫌がったと思うのですが、わかりません。ゴイサギは2羽。アオサギはここしばらく見ていません。
Img_4047c 二の丸跡では、エナガ6羽ほどと、コゲラ2羽。エナガは、松の大木から出てImg_4072c 来て、またそこへ戻っていきます。この松の木に巣があるように思うのですが、見上げてもわかりません。コゲラ2羽もペアのように思います。
Img_4083c 腹減らしのヒヨドリ、今日は、鎮国守国神社で梅の蜜を吸っています。このあと、実は、ナイショでカモとユリカモメにエサをやっていたのですが、上に放り投げたエサをヒヨドリが横から来て取って行ってしまいました。なかなかの運動能力で、感心しました。
Img_4137c そのユリカモメ、今日は20羽ほど。奥平屋敷跡へ入るところでカモに餌をImg_4162c やろうとしたら、乱入してきました(笑)。そこへ、ヒヨドリ、ドバト、旅ネコなども(苦笑)。みんな、エサの確保に大変なようです。
Img_4079c 九華公園の野球場の南にあるしだれ桜。先日から、ほのかにピンク色に見えていたのですが、今日は、つぼみが膨らみ、赤くなってきていました。明日は、近鉄ハイキングに出かけようか思案中。

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2018年3月15日 (木)

今シーズン4回目の町屋川遠征……帰りにNTNシティホールの薄墨桜の開花を確認

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 早く行かないと、カモたち渡り鳥がいなくなると思ってやきもきしていましたがImg_3841c、干潮の時を狙っていきたいということもあって、ようやく今日、実現。今シーズン4回目の町屋川遠征です。いつものように、桑名駅前9時10分発のバスで、日の出橋まで行き、ほぼ2時間。帰りは日の出橋を11時34分に出るバスで帰宅。日の出橋バス停から、伊勢湾岸自動車道の高架橋下あたりまでを往復。帰り道、NTNシティホールの薄墨桜を見てきました。歩いたのは、トータルで6.5km。
Img_3862c 伊勢湾岸自動車道の高架橋下をくぐり、ナガシマスパーランドがよく見えImg_3846c るあたりまで行きました。今日も20℃を超える暖かさで、堤防にしばらく腰を下ろして、カモメやサギ、カモを眺めてきました。今日は潮が大きく引いたのか、潮干狩りをする人たちが多数。春霞なのか、霞んでいますが……(右の写真)。
Img_8278c さて、バードウォッチングについて。日の出橋から遠く、国道23号線の町屋川橋の下にもアオサギがいるのが見えましたが、こちらは日の出橋の下流にいたアオサギさん。アオサギが見られれば、バードウォッチングの目的のかなりの部分は達成されたようなもの(微笑)。
Img_3838c 野鳥の数は、前回来たとき(2月6日:町屋川でウミアイサ……町屋川遠征3回目は、川越町へ進出)に比べると、激減という感じでした。左の写真は、町屋川右岸(川越町側)です。前回は堤防の下に数え切れないくらい多数のカモがいたのですが、今日はほぼゼロ。手前の干潟にいるのは、カワウ、コサギ、ホシハジロ。
Img_8286c 桑名市福地地内あたりでは、コチドリが3羽。ただ、このときは距離があImg_8324c ったので、あまり鮮明な写真は撮れませんでした。右は、帰り道に同じあたりで撮ったもの。多少はマシ(微笑)。コチドリもよく動きますので、なかなか決まりません。
Img_8308c あちこちにけっこうたくさんいたのは、カルガモと、コガモ。コガモは、ペアでImg_3956c 行動しているものが多いように見えました。
Img_3826c こちらは、オカヨシガモ。逆立ちしているのは、たぶんエサ取り中。右の写Img_3833c 真も大半はオカヨシガモですが、ヒドリガモも混じっています。ヒドリガモはまだけっこういました。
Img_3900c セグロカモメと思います。蟹を捕まえて食べていました。が、そこへカラスImg_3906c が乱入。蟹を横取り(苦笑)。セグロカモメの方が、図体は大きいように思うのですが、カラスの方が強いということでしょうか。
Img_3821c ユリカモメもまだ数10羽いました。あちこちに散らばっていて、川面に浮Img_3922c いたり、餌をとったり、干潟になったところで休んだりと思い思いに過ごしているように見えます。右の写真では、セグロカモメらしき大型のカモメも混じっています。
Img_3917c アオサギの他にもあちこちにサギの姿が見えていました。その大半は、Img_3937c コサギでした。浅瀬を移動しながら、エサ探し。その他、あちこちでハクセキレイもいます。中には、オス同士でトラブっているものもあったりしました。繁殖期に入るのでしょうから、縄張り争い?
Img_3983c 帰りは、桑名駅前まで行かず、桑名シティホテル前でバスを下車。NTNシImg_3971c ティホールへ回って、薄墨桜が咲き始めたのを確認してきました。「一気に開花した」という感じです。このあたりでは、薄墨桜が開花して、1週間ほどするとソメイヨシノが咲き始めます。
Img_8304c 今日は、1つ失敗をしでかしました(苦笑)。超望遠コンデジの予備バッテリーをもっていくのを忘れたのです。こういうときに限って、超望遠コンデジ、歩き始めてじきにバッテリー切れ(爆)。昨日、実家に行ったとき、違うバッグに入れ替え、そのままにしていたのです。我ながらイヤになります。きちんと確認する習慣づけをしなくてはなりません。

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2018年3月14日 (水)

林性寺の涅槃図を拝み、稲荷大師堂も拝観

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 20℃を超え、さらに暖かい日でした。午前中は、いつものように住吉神社、Img_8176c 九華公園、NTNシティホール、寺町と散歩に行き、午後からは久しぶりに家内の実家へ出かけてきました。実家の庭では、もうアリたちが活動していてビックリ。カメムシを巣に運び込もうとしていました。
Img_8243c 久しぶりに家内の実家に行ったのは、左の写真にありますように、涅槃図Img_8239c のご開帳があったのでそれを拝観しに行ったのです。2年前から3年連続です。去年の記事は、「林性寺の涅槃図を再び見に行く(2017.03.14)」です。 大龍山林性寺は、かつてこの地を治めていた榊原氏の菩提寺として、天正16(1588)年に開基されました。天台真盛宗のお寺です。このお寺には日本に3しかないといわれる室町時代の画僧兆殿司による涅槃図があります。開帳期間は毎年3月14~16日です。以下、2つのパラグラフは、昨年の記事(林性寺の涅槃図を再び見に行く)とほぼ同じです。
Dscn5988_800x600 左が涅槃図の全体像です。この涅槃図は、室町時代のもの。津市指定文Dscn5970_800x600 化財で、絹本着色の掛軸になっています。画面巾は、2.50m、立2.59m、総軸巾2.82m、立3.79mという立派なもの。涅槃像は、お釈迦様入滅の様子を描いた絵で、そのお慈悲を受けて救われた生き物(人類だけでなく、鳥・獣・魚な ど全て)が、ご臨終に会おうと駆けつけ、悲しむ姿が描かれてい ます。 しかし、唯一、猫だけは仏縁がなく、間に合わなかったために、描かれていないのが通例だそうです。しかし、林性寺の涅槃図には、日本に3幅だけ猫が描かれている珍しい涅槃図の一つがあります。
Dscn5969_800x600 猫は、この左の写真の中央に、青色と白色とで描かれています。猫が描かれているのは、お釈迦様の頭の下あたりです。一昨年の記事(2016/3/15:林性寺へ涅槃図を見に行く【涅槃図の写真(猫も写っています)へのリンクを追加(3/17)】)もご参照ください。
Img_8187c 今日は家内の母親の名代として(というと大げさですが)、お参りしてきまDscn6372c した。お参りに当たっては、左の写真にあるように、「涅槃像供養米」を納め、そのかわりに右の写真のようなお守りと、甘酒をいただいてきました。
Img_8193c この林性寺には、本堂に向かって左手(西側)に稲荷大師堂という建物があります。過去2回(その他にも、散歩の時に訪ねたときも含め)、この稲荷大師堂が開いていたことはなかったのですが、今日は、自由にお参りできるようになっていました。
Img_8201c 「稲荷大師堂」というのはちょっと不思議な名前だと思っていたのですが、中を拝観して納得。中央には、お稲荷さんが祀られていますが、その左右には、弘法大師様と、鯖大師様が鎮座していらっしゃったのです。
Img_8209c この稲荷大師堂は、古くから「釈迦堂」と称して、あったようですが、永年の風雪に耐えかねて老朽甚だしく、崩壊寸前に至ったところを大修理を施し、お稲荷さん、鯖大師様、弘法大師様を祀って「稲荷大師堂」と改めたとあります。昭和61(1986)年3月のことです。
Img_8202c 中央には確かにお稲荷様が祀られています。神棚というか、お社というか、中央には「正一位稲荷大明神」と書かれたものがあります。階段の両側には、狐。ご存じの通り、狐はお稲荷さんの眷属。向かって右端には、大黒様と思われる方もいらっしゃいます。向かって左は、侍のように見えます(詳細は不明)。
Img_8211c お稲荷様に向かって左には弘法大師のお像。台座には「第二十一番 施主宮田伴次」とある他、神主さんが履く「浅沓(あさぐつ)」と思われる絵と、水差しか銚釐 (ちろり)か何かのような絵も描かれています。
Img_8219c 向かって右側にあるのが、この鯖大師様。古い街道筋の要所である坂Img_8216c
や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って「鯖大師」と呼び、弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに、商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説があります。とくに徳島の伝説としているサイトもあります(こちら)。林性寺の鯖大師については、右の写真のように説明がありました。以下に引用します:
 魚をもつ「鯖大師」像には、以下のような説明が書かれていました。
右手に魚 左手に数珠を持つ石仏「鯖大師」-
右は昭和五十五年四月 当山無縁塚の中から三重県文化財審議委員の平松令三龍谷大学教授によって発見された。
東海地方で発見されたのは初めてであることのことである。平安時代から鎌倉、室町時代に建てられたものと推定されている。旅の安全、無病息災霊験あらたかである。
鯖大師発見に当たっては榊原郵便局長増田晋作氏の多大のご助力を賜ったを付記する
昭和六十一年三月吉祥日

Img_8221c 台石には、この歌が刻まれていたそうです。「大坂や八坂さの斗 鯖 ひとつ 大師にくれで馬のはら病逢ひて 馬のはら止」であります。この意味は、次のところに載っているものではないかと勝手にお借りしています(こちらも参照)。

塩鯖を馬の背に乗せて八坂峠を越えようとした行商人に、身なりのよくない僧侶が「その鯖を一つくれ」と言ったが、行商人は「ダメだ」と断って行き過ぎようとしたところ、僧侶は『大坂や八坂さかなか鯖ひとつ 大師にくれで馬の腹やむ』というと、突然馬が腹痛を起こし動けなくなったのです。困った行商人はその僧侶に「何か言いましたね、鯖を上げますから治してもらえませんか」と鯖を渡しました。僧侶は『くれで』を『くれて』に直し、『腹病む』を『腹止む』と読み替えました。すると動けなくなっていた馬が元に戻り、元気に歩き出したという。

 この稲荷大師堂、家内も家内の母親もその存在は知ってはいたものの、中に何が祀られているかは知らず、拝観したこともなかったそうです。今日は、出かけていったお陰で珍しい、とても興味深いものを見られました。

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2018年3月13日 (火)

九華公園でウグイスの初鳴き

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 天気予報通り、14時前には17℃。散歩で少したくさん歩いたら、汗を掻きました。今日は8時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、シティホール、寺町といつものところを、少し違った道を通って歩いたら、7.1km。ちょっと歩きすぎ(苦笑)。
Img_3576c 暖かい日が続き、NTNシティホール前の薄墨桜、つぼみも昨日以上に膨らImg_8085c み、今にも咲き出しそうな感じでした。右は、桑名別院・本統寺にある梅。梅も色々と種類がありますが、小生にはそれは判別できません。しかし、ちょっと変わった感じの梅です。これも満開。
 今日のトピックスは、九華公園でウグイスの初鳴きを聞いたことです。今まで「地鳴き」は何度か聞いていましたし、ツツジの植え込みの中を移動するところを見たりはしていましたが、あの「ホーホケキョ」は、今日が今シーズン初。ただし、遠いところでしたので、小さくしか音が入っていません。耳を澄ませていただくか、音量を上げていただくか、お願いします。
Img_3483c さて、順番に行きましょう。住吉神社前の揖斐川では、カンムリカイツブリ。羽も、夏モードに変わりつつあるようです。真冬の頃は、川のあちこちに10羽近くが浮いていましたが、この頃は1羽を見るか、見ないかくらい。揖斐川には、他に中洲近くにヒドリガモの群れが24羽。七里の渡し跡には、コガモ5羽と、ヒドリガモ8羽。
Img_3495c 三の丸水門の上空には、「揚げ雲雀」。今日は、このほかにも1羽のヒバリがいました。このあたりに巣があるとすれば、散歩コースですから観察もしやすく、楽しみになります。
Img_3497c 九華公園に入り、土俵の先まで来たところで2羽のカワラヒワがいましImg_8044c た。ちょっとわかりにくいのですが、どちらも枯れた草の茎のようなものを咥えています。巣の材料を集めているようです。
Img_8069c ゴイサギ、今日は2羽。クスノキと、北側とに1羽ずつ。ほぼいつもの定位Img_3503c 置。
Img_3508c 暖かい日続きで、このところカメの姿もよく見ます。あの「甲羅干しスロープ」にも、今日は、4匹。このまわりにも数匹が泳いでいましたし、石垣にとりついているカメも見られました。ミドリガメがほとんどですが、イシガメかと思うものもまれに見ます。
Img_3524c 今日も、「尾曲エナガ」を狙っていったのですが、そうそううまくはいきません。このエナガは二の丸跡で見ました。尾が乱れていますが、曲がっているような、今ひとつハッキリしないような……。
Img_8054c その他には、ツグミと、ジョウビタキのオス。これらは、朝日丸跡で見たもImg_8059c の。このほかにも、ビンズイがいたように見えたのですが、知人と話をしていて、しっかりとは確認していません。
Img_8072c カモは合計46羽。ヒドリガモのオスが1羽、ハシビロガモのオス2羽、メス1Img_3565c 羽の他は、キンクロハジロ。そして、今日は、実に久しぶりにユリカモメが3羽やって来ていました。まだお見限りではなかったと、少し安心(微笑)。
Img_8074c ところで、昨日は、NTNシティホールにある「鑄造報国」の石碑を載せましたが、もう一つ、ブロンズ像もあります。シティホールが耐震改修される前には、もう少し建物に近いところにありました。昭和42(1967)年3月に桑名ロータリークラブが寄贈したというプレートが、正面に向かって左側に取り付けられています。
Img_8078c 像の左下には、「今日わ」と刻まれたプレートがついています。これがテImg_8081c ーマなのでしょう。サインと落款らしきものもあるのですが、小生には判読不能(苦笑)。シティホールの東側に建っています。

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2018年3月12日 (月)

ハクモクレン咲き始め、薄墨桜のつぼみ膨らむ……春本番近し?【「鋳造報国」の石碑について付記あります(3/13)】

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 ハクモクレンが咲き始めました。京橋町にあるお宅で撮らせていただきましImg_8003c た。最高気温も16℃を超えて、いよいよ春本番かと思えてきます。寺町商店街の河津桜も、一部は満開。河津桜を撮影する人も多数。
Img_3461c こちらは、NTNシティホール(市民会館)の前にある薄墨桜。毎年、ソメイヨImg_3467c シノより1週間~10日ほど早く、花が咲きます。つぼみが膨らみピンク色になっていました。もうじき咲きそうな感じです。
Img_7876c 8時半からいつも通り散歩。コースは住吉神社、九華公園、貝塚公園から、NTNシティホールを経て、寺町商店街。寄り道をしたので、6.6㎞。昨日、歩き足らなかったので、ちょっとだけプラス(微笑)。天気はよかったものの、鳥は少なくて、ちょっと残念。
Img_3375c 今日は、尾曲のエナガを狙ったのですが、なかなか思うとおりには行きまImg_3406c せん。九華公園の朝日丸跡でつがいがいて、かなり追いかけたものの、これはというものは取れずじまい。左右の写真は、同じエナガのメスです。
Img_3322c さて、七里の渡し跡では、コガモ7羽とヒドリガモのペア1組。写真は、左がコガモImg_3325c のオス、右がメス。コガモも、ヒドリガモも石垣に着いた藻を食べているようでした。
Img_3320c 揖斐川の堤防では、船津屋の裏手と、三の丸水門のところでツグミを見ただけ(左の写真は、船津屋の裏にいたツグミ)。先週毎日のように見たヒバリは、2~3日前からいなくなりました。堤防のあたりでは巣が作れないのかと思ったりします。
Img_7894c 九華公園のゴイサギは、3羽を確認。一時は、5羽がいたのですが、どうなったかはよく分かりません。繁殖のため、どこかへ移動したのかという気もしますが、確認する術はありませんので、地道に観察であります。また時期を見て、東名阪道の蟹江インターチェンジあたりのサギ山も見に行きたいと思っています。ちなみに、アオサギは今日もいませんでした。
Img_3434c シメ、ビンズイ、ジョウビタキのメス、コゲラ、シジュウカラなども見当たりません。カワラヒワはチラッと見ただけ。このジョウビタキのオスは、二の丸橋の南側のたもとで撮ったもの。このとき、すぐ側にもう1羽、ジョウビタキのオスがいました。しかし、縄張り争いのようなことにはならず、一方がすぐに飛び去りました。
Img_7920c 九華公園にある鎮国守国神社。宮司さんから、梅の花を入れて、天守台Img_7938c 跡(左)や、拝殿(右は、九華招魂社)などの写真を撮って欲しいというご依頼。小生に頼んで大丈夫かと思いつつ、あれこれ撮ってみました。いざとなると、なかなか難しいものがあります。梅の木がもっと元気で、花がたくさん着いていると見栄えのする写真も撮りやすいのですが……。
Img_7980c 九華公園の入り口2ヶ所には、「桑名水郷舟めぐり」の幟が立てられていました。あと半月もすれば花見シーズン到来のはず。今年も、堀巡りの船が出るのでしょう。ちなみに、ネット検索をしたのですが、まだ今年のスケジュールは出ていませんでした。昨年は堀巡りの他に、船頭平閘門巡り、長良川遊覧お花見ツアーの船が出ました。
Img_7982c NTNシティホールへ行ったついでに、「鑄造報國」の石碑を見てきました。桑名に住み始めた頃からこの存在は知っていましたが、きちんと見たのは初めて。左下には、「臨雲豊」とあります。最近は生産高は減ってはいるものの、桑名はもともと鋳物産業が盛んなところです。
Img_3468c こちらは碑陰。「鑄都桒名之功勞者」とあり、その下に鋳物産業に従事したと思われる方々のお名前が8名刻まれています。「昭和十七年 先輩ノ功勞ヲ偲ヒ建之 三重鑄物工業組合有志」とありました。太平洋戦争が始まったのが、昭和16年12月8日ですから、そういう状況と関連して之ものと思われます。
Img_7988c この「鑄造報國」の石碑、今では見ていく人もほとんどないようですが、シティホールの北東側に建っています。
【付記(3/13)】 この「鑄造報國」の石碑については、日本鋳造工学会の「鋳物の散歩道 » ぶらり鋳物の旅 » 桑名市」のところにも言及されています。

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2018年3月11日 (日)

ウィルあいちで支援員養成講座の講師……終わって市政資料館で留置場を見て、名古屋ウィメンズマラソンにも遭遇

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 絶好の散歩日和のもと(微笑)、今日は予定通り、こちらウィルあいちへ行ってきました。午前中、10時から12時まで、子ども支援室カシオペアとディスレクシア協会名古屋主催の「特別支援教育支援員(学習支援員)養成講座」の講師を務めてきました。
Dscn6232c この講座は、年に2回開催されていますが、毎回、受講してくださる皆さんはDscn6247c 熱心で、質問もたくさんありますので、やりがいのある講座です。特別支援教育の支援員を目指す方とともに、ご自身が発達障害などのお子さんをお持ちの方も受講者の中にいらっしゃるからでしょう。テーマは、「心理検査でわかること 検査結果の支援への活かし方」です。ここで小生の話を聞いてくださったことをきっかけに、個別の相談につながることもあります。PRになりますが、個別相談のご希望がおありでしたら、桑名発達臨床研究室のサイトをご覧いただき、メールでご連絡ください。
Dscn6260c さて、お世話くださるNさん、Yさんとお昼をいただいてから、ウィルあいちの向かいにある名古屋市市政資料館へ行ってきました。以前にもウィルあいちでこの講座があったときに訪ねたのですが(2016年10月6日:支援員講座のあと、名古屋市市政資料館へ……旧・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所)、そのとき1ヶ所、見忘れたところがあったのです。今日は、そのリベンジ(微笑)。
 ちなみに、この名古屋市市政資料館の建物は、大正11(1922)年に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設されて以来、昭和54(1979)年に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸一丁目に移転するまでの60年近い間、中部地方の司法の中心としての役割を果たしてきたということです。現在は重要文化財となっています。
Dscn6268c リベンジ対象は、こちら「留置場」でした。1階の奥まったところにあるのでDscn6273c す。上記のリンク先の記事にも書いたのですが、隠れた人気スポットなのだそうです。前回はどういうわけか、ここだけ見落としてしまったのです。
Dscn6275c 入っていくと右手に「独房」が4つ並んでいます。「第貳號」から番号がつDscn6277c いていましたが、「4号」は欠番となっています。やはり縁起が悪いのでしょうか。「第貳号」は、室内が見られるようになっています(右の写真)。窓は大きく、明るい感じですが、決してこういうところに入らねばならないような事態には陥りたくはありません。
Dscn6288c 独房に向かって左手、奥には「雑居房」が1つあります。Dscn6291c ここが「第壱号」の部屋。こちらは、パッと見た感じ独房の3倍くらいの広さのスペースでした。裁判所の留置場ですから、警察署や刑務所のそれとは違って、裁判を受けに来たときに、いわば待機する部屋なのだろうと思いますが、さすがにあまり気持ちの良いところではありませんでした。
Dscn6252c 赤い煉瓦と白の花崗岩が組み合わせられた、荘重で華やかなネオ・バロDscn6305c ック様式の外観や、ステンドグラスがあろ、漆喰塗り、マーブル塗りなど高度な技術が使われた中央階段室(右の写真)、また復原された会議室など、見所は多くなっています。上記のリンク先もご覧いただければ幸いです。
Dscn6304c 中央の階段を上ったところのステンドグラスがこちらの写真。秤がデザインされており、いかにも裁判所という雰囲気が醸し出されています。
Dscn6315c 留置場を見られましたので、これで満足(微笑)。地下鉄の市役所駅へ向Dscn6324c かいます。建物の南側には、大寒桜(オオカンザクラ)が6~7分咲きでした。ヒカンザクラとオオシマザクラの雑種だそうです。
Dscn6334c 地下鉄の市役所駅までは700~800mほど。市政資料館から名古屋拘置所の東を通り、清水東交差点までやって来ると、ご覧のような様子。今日は、名古屋ウィメンズマラソン。この西にある市役所交差点をランナーが通過していきますので、交通規制が敷かれていました。
Dscn6343c 市役所交差点まで来ると、大津通の北から多数のランナーがやって来Dscn6347c て、右折。出来町通へと進んでいくところに遭遇。しばらく見ていましたが、途切れることなく、実にたくさんのランナー。こんなにフルマラソンを走る人がいるんだと感心します。この交差点、コースマップを見ると、35km地点の手前くらい。ランナーの皆さん、まだまだ頑張らねばならないあたりでしょう。
Dscn6355c お巡りさんは、自転車でパトロール。「交通機動隊」と書いてあったような気もしましたが、さすがに今日は自転車。この自転車も、警察車両なのか? などとどうでもよいようなことを考えながら、市役所駅から地下鉄に乗って帰宅(苦笑)。
 子ども支援室カシオペアのNさんと、ディスレクシア協会名古屋のYさんには、いつものようの大変お世話になりました。また、受講者の皆さんの熱意にも支えられ、どうやら無事に終えられたという1日です。

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2018年3月10日 (土)

エナガはすでに卵を抱いているのか?……桑名市博物館で「刀剣日和-村正とその仲間たち」を見る

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 風はやや冷たいものの、日差しは春のものです。散歩に出る頃は風が強かったため、遠征(町屋川あたり)や、イベント(国指定重要文化財「末広橋梁」と港の線路跡を巡る見学会)に出かけるのは止めたのですが、次第に風も収まりましたので、ちょっと惜しいことをしたかも知れません。8時半からいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、博物館、寺町と6.3㎞を回って来ました。
Img_3224c まずは、エナガ。先週くらいから巣材を集め、運んで、巣作りをしているような様子が見られていました。今日であったエナガは、ご覧のように、尾が曲がっていました。これは、メスで、巣に就いていることを示してます。エナガの巣は、丸くまとめた袋状のものです。こうした巣に就いているため、尾が曲がってしまうのです。ということは、すでに卵があるのでしょう。抱卵期間は12~14日といいますから、うまくいくとそのうち雛が見られるかも知れません。
Img_3195c この時期おなじみの「ウメジロウ」。九華公園では、管理事務所の南にある白梅の木にペアでよくやって来ています。鎮国守国神社にはたくさんの梅がありますが、公園の方はこの一本しかありません。
Img_3203c このウメジロウを追いかけていたら、そのうち松の木に移動しました。見てImg_3239c いると、枝が出ている、又になった部分や、葉っぱの根元などに嘴を突っ込んでいます。松の木にもメジロが食べるものがあるということなのでしょうか? 引き続きよく見てみることにしましょう。
Img_3137c さて散歩ルートには、ほぼいつものメンバーが揃っていました。ツグミは、Img_3140c 旅館・山月の裏の堤防にて。ヒドリガモは、住吉水門の内側に1ペア、七rの渡し跡に4ペア。今日は、ヒバリは鳴き声も聞かれませんでした。
Img_3142c ゴイサギは、鎮国守国神社の社務所の裏に合計3羽。やはり思わぬところに隠れていますので、今日も危うく見逃すところでした。よくいるところだけでなく、いろいろなところをしっかりチェックする必要があります。
Img_3188c 今日のカウントボード。カモは合計48羽。ハシビロガモのオス1羽と、ヒドImg_3146c リガモ3ペアの他は、すべてキンクロハジロ。9時頃はまだ「保温体制」で休憩していますが、10時近くになると活発に動き始めます。ホシハジロは来なくなりましたし、ハシビロガモもオス2羽、メス2羽はいなくなりました。ユリカモメの姿は、このところ見ていません。
Img_3156c 奥平屋敷跡では、ジョウビタキのメス。外周の遊歩道から飛んできたのに気づいたものの、いったんは見失いました。が、花菖蒲園のところに再び登場。まるで「写真を撮って」といわんばかり(微笑)。
Img_3167c 奥平屋敷跡でも見たシロハラ。この写真は、二の丸跡にて。近くにいても平気なときと、割と警戒心が強いときとがあるような気がします(個体差かも知れません)。このシロハラには、ずいぶん警戒されました。
Img_3171c シメはやはり、本丸跡にいました。大木の陰、それも日が当たらないとこImg_7800c ろにいることが多く、なかなか写真には撮りにくいものがあります。右の写真、パソコンで見て分かったのですが、何かの実の皮だけをはき出しているところのようでした。
Img_3251c ハクセキレイ。九華橋のところですぐ目の前で撮れました。20mmズームでほとんどトリミングなしです。いやぁ、他の鳥たちもこれくらい近くで撮らせてもらえないものかと思います。
Img_3275c 貝塚公園へ移動。ツグミ3羽、カワラヒワ2羽などの他、シロハラ2羽。やImg_3278c はり今年、貝塚公園は冬の鳥はかなり少ない気がします。一時期見かけたウグイスもこの頃はサッパリ。
Img_7831c 帰り道、まだ早かったので、桑名市博物館に寄って来ました。3月25日(日)まで春季企画展「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 が開かれているのです。午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、入館は無料。休館日は、月曜日と、3月22日(木)。
20180208112055 今回の展覧会では、博物館が所蔵するものを中心に、「村正」を含む刀剣やなぎなたなどが展示されています。しかも今回の企画は、女性の学芸員の方によるものだそうで、「刀剣の魅力を女性目線で発信」することも狙いだそうです。「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 というテーマも、オッサンでは思いつかないでしょう(微笑)。11時過ぎに行ったのですが、失礼ながら、桑名市博物館としては賑わっていました。女性の姿も多く、「刀剣女子」ということばも実感しました。単眼鏡で刃紋を詳しく見ていらっしゃる方もあり、感心して帰って来た次第。
 主な出品作品は、次の通りでした:
  • 桑名市指定文化財 《短刀 銘 村正》 (立坂神社蔵)
  • 《短刀 銘 村正》 (個人蔵)
  • 三重県指定文化財 《四弁花繋文錦包糸巻太刀拵》 (桑名宗社蔵)
  • 《長刀 銘 宝寿》 (桑名市博物館蔵)
  • 《備前介藤原宗次/文久二年八月日》 (個人蔵)
 出品目録は、ここにpdfファイルのものがあります。桑名総社蔵の「四弁花繋文錦包糸巻太刀拵」は初出展。見る価値あります。
Img_7826c 原則撮影禁止なのですが、毎回一点だけは撮影できるものがあります。今回は、こちら。照明の当て方にもよるのでしょうが妖しい魅力があります。見入ってしまいました。
 なお、桑名市博物館では、この秋(10~11月)に「村正展(Ⅱ)」を企画しているそうです。2年前に開催された“特別企画展「村正 」-伊勢桑名の刀工-”の続編です。このときは、桑名市博物館始まって以来の大人気展でした。小生も見に行っています(2016年9月27日:妖刀「村正」を見る……桑名市博物館にて)。期待しましょう。
Img_7817c 明日は、天気もよく暖かくなって散歩日和のようですが、午前中、名古屋で開催される特別支援教育支援員養成講座でお話をしてきます。それ故、残念ながら散歩はできません。会場は、名古屋市の市政資料館近くですから、少しぶらぶらできるかも知れません。

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2018年3月 9日 (金)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ(その4)……三明神社を経てゴール(完)

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 “JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ”、長々と引っ張っていますが、今日のその4で「完結」となります。昨日のその3では、無事、山田酒造で試飲(大吟醸も追加して、試飲してきました)できました。
Img_2501c 次へ行く前に補足を一つ。日吉神社にあった「蕃塀」について書きました。ブロ友のこころんさんからいただいたコメントで、津島神社にもあるということが分かりました。津島神社のサイトを見たら、「切妻造 檜皮葺」で、県の重要文化財となっていました。「尾張造の特色で、正面から大神様に邪気が当らないように造られた」ということです。
Img_2601c 山田酒造を11時半に出ました。大吟醸の試飲をしたので、入ってきた道かImg_2604c ら戻ったのですが、正式なコースは、真剣の演武を見たところから堤防に上がっていくルートになっていました(苦笑)。そのため、善敬寺(浄土真宗大谷派)をすっ飛ばしていました。後の祭り、試飲2杯をいただいて良い気分でしたので、「まぁ良いか」ということにしてしまいました。後で調べたら、ここの境内には、金融界の風雲児といわれた神田鐳藏の家系碑(渋沢栄一筆による)があるそうです。また、ここ善敬寺から七宝町徳実・甚目寺町・清洲町に通じている古道は、織田信長が19才、清洲城攻略の時、行軍した道と伝えられ、信長出世街道・清洲攻めの道とも呼ばれているそうです(こちら)。ちょっと惜しいことをしました。
Img_2620c 蟹江川沿いを少し下り、JR関西線の踏切を越えてからまた町中へ入りまImg_2621c す。山田酒造さんから600mほどいくと、三明神社があります。三明神社のある今地区は、鎌倉時代に描かれた「尾張国富田庄絵図」に「今村」という地名が記されているそうですから古くから人が住んでいたようです。
Img_2631c 三明神社の創建は不詳ですが、「須成村祠官寺西氏書状」に「慶長九辰Img_2628c_2
年再修造ス」とあるといいます(慶長9年は、1604年)。説明板によれば、祭神は定かではないものの、平成18(2006)年12月に行われた仮遷座の際、ご神体が三柱であることが再確認されたといいます。蟹江町史では、天地開闢(かいびゃく)の最初の三神、国常立尊(クニノトコタチノミコト:日本書紀では、天地開闢のときあらゆる神に先立って現れた第一神。国土生成の中心的神とされる)、国挟槌尊(クニノサツチノミコト:日本書紀の天地開闢の段に登場する神。別名国狭立尊(くにのさたちのみこと)。神代七代のうちの一柱)、豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト:天地創造の際に登場し、天地の間に混沌としたものが雲のようにただようさまを神格化したものという)であると推察されています。3つの明神が祭神であることから三明神社と呼ばれるといいます。
Img_2639c 境内には鬼瓦や、屋根の飾り物が並べられています。あちこちの寺社をおずれるとこのようなものが置かれているのをよく見ます。できれば、説明があるとありがたいところ。
Img_2651c 三明神社から、ゴールのJR関西線・蟹江駅までは600mあまり。今回も11Img_2660c 時53分に無事にゴールできました。近鉄ハイキングとは異なって、JRさわやかウォーキングでは、ゴールが設定され、ここでスタンプがもらえるのです。左の写真でオレンジ色の幟が立っているところがゴール受付。
Dscn6201c 去年の11月25日に初めてJRさわやかウォーキングに参加したとき(どうDscn6205c いうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)に作った「参加カード」。スタンプはまだ3つめ。こちらもスタンプ10個を集めないと参加賞はいただけません。有効期間は1年ですので、今年11月24日までに最低10個は集めなくてはなりません。
Img_2655c この「完歩記念」のパネル、毎回見ますので、使い回しとは思いますが、Img_2670c これを見ると、ゴールしたという実感が湧きます。JR関西線・蟹江駅は、普通電車しか停車しまません。この時間帯は上下とも1時間に2本。12時ちょうどに四日市行き普通が来ますので、これに乗車して帰途につきました。桑名到着は、12時16分。¥240。
 今回も楽しめましたが、事前のリサーチ不足がありました。2月27日に近鉄ハイキング(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))に行ったため時間不足を来しました。もう少し計画的に行動し、事前のリサーチにも時間を掛けないと、見所を見落としてしまいます。

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豊後梅が咲き始めています……ヒドリガモ、揚げ雲雀も

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 鎮国守国神社にある「豊後梅」が咲いてきました。ピンク色が濃くて、香りもよい梅です。昨晩はよく降りました。今日は、だんだんと晴れては来たものの、「寒の戻り」ということで、風も強く寒く感じます。昨日は散歩に出られませんでしたので、今朝はいつもより早く8時20分出発。住吉神社、九華公園、寺町と5.7㎞。11時半まで。
Img_2997c 住吉神社近くの住吉水門にヒドリガモが24羽(12ペア)集まっていました。3Img_2998c 月に入ると、このあたりから、揖斐川下流の三の丸水門のところにヒドリガモの集団が現れます。北へ帰る前の集合場所になっているのかと思ったりします。七里の渡し跡にも、ヒドリガモが8羽いました。
Img_3006c 三の丸水門の下流側では、この頃行く度にヒバリがいて、鳴き声も聞こえまImg_3012c す。先週くらいから「揚げ雲雀」も見られるようになっています。よく分からない写真といわれれば、それまでですが、右はその様子です。
Img_3019c いつもより早く九華公園に到着。曇っていて風も強く、雨もぱらついていましImg_3021c たので、散歩をする人は誰もいません(苦笑)。ゴイサギは2羽。他もいたかも知れませんが、見つけられません。アオサギは不在。
Img_3030c カモたちは合計55羽。キンクロさんがほとんどです。過去のデータによれImg_3031c ば、ゴールデンウィーク前までくらいは、数は減ってもいてくると思いますが、この「寝癖」が見られなくなるのは寂しい気がします。ハシビロガモは、今日は、オス1羽のみ。
Img_3036c そして今日は、珍しいことにというか、ずいぶん久しぶりにヒドリガモが来ていました。6羽(3ペア)でした。上に書いたように、「集合場所」の近くだからかも知れませんが、九華公園でこの姿が見られるのはうれしいもの。オスが、口笛のように「ピュー、ピュー」と甲高い声で鳴くのも良い感じです。
Img_3047c 午前中は曇って、風が強く、こんな時は鳥たちはいません。二の丸跡でImg_3053c ビンズイを3羽ほど、本丸跡などでハクセキレイ1羽を見ました。
Img_3056c 本丸跡にはまだ今日もシメがいました。大木の陰から近寄ろうとしたのでImg_3072c すが、気づかれてしまいました。どこへ行ったか分からなくなったのですが、本丸跡近くの花菖蒲園脇にいました。こんな水浸しのところにいるのは珍しい。
Img_3083c 他は、シロハラ1羽。北門近くにて。風が強くて、羽がめくれています(微笑)。このあと、管理事務所に立ち寄ったら、そこで話が弾み、1時間以上も邪魔をしてきてしまいました(苦笑)。「オヤジの井戸端会議」であります。
Img_3113c 南寺町の常信寺にミツマタやサンシュユの花の様子を見に立ち寄ったら、珍しくジョウビタキのオスが姿を現しました。いったん見失ったものの、近くの梅の木の下で待っていてくれたような感じ(微笑)。
Img_3098c 左はミツマタ。まだ咲き始めたところという感じです。右は、サンシュユ。こImg_3107c ちらはほぼ満開。例年よりどちらもやや遅め。
Img_3123c 常信寺にもミモザがあります。咲き始めたのですが、この花はなかなか撮りにくい(笑)。
Img_7742c 寺町商店街の河津桜は、少しずつ花が増えてきています。八間通に近い広場だけでなく、寺町堀沿いの並木の方も咲き始めてきています。そのうち、ここでまた「河津桜にメジロ」が撮れると思います。
Img_7749c ところでお隣の諸戸氏庭園の主屋の半解体修理が本格化してきていまImg_7753c す。東側の洋間はすでに解体されました。9階のわが家の玄関先から見ると右のような景色になっています。3~4年はかかるものと思われます。
Dscn0991c こちらは、昨年7月1日に撮ったものです。修理は平成22(2010)年から続いています。諸戸氏庭園のFacebookを見ると、修理の状況が時々掲載されます。

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2018年3月 8日 (木)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ(その3)……日吉神社で「蕃塀」を見て、いよいよ山田酒造へ(続く)

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 3月4日に出かけたJRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」のその3です。調べながら書いていますが、調べてもよく分からないとか、情報がスッキリ整理できないとかけっこうあります。たとえば、神社について、三重県内の神社については「神社検索(三重)」というサイトがあり、大変参考になります。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しているサイトです。神社庁に所属している、三重県内の神社の基本的な情報が載っていて、御祭神、由緒などが分かります。ここから、各県の神社のリストにリンクがあるものの、蟹江町のある愛知県については、神社名、住所しかリストアップされていないのです。
Img_2481c  さて、その3は、こちら、日吉神社からとなります。地図でお分かりのように、コースもほぼ半ばまで来Img_2483c_2 ています。ただし、今回のウォーキングでは立ち寄りスポットにはなっていません。蟹江新町にあります。
Img_2486c 由緒書によれば、江戸時代の天和2(1682)年以前に創建されたと伝えられ、祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト、別名 山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ))です。「大山に杭(咋)を打つ神」、つまり大きな山の所有者を意味する山の神といいます。この日吉神社は、江戸時代には「山王社」と呼ばれ、明治時代に「村社日吉社」と改められています。明治時代の神仏分離令により、本社である「日吉山王(滋賀県大津市)」が、「日吉神社」に改めたのに倣っています。平成6(1994)年に蟹江第二学戸土地区画整理事業に伴い、蟹江新町字村西にあった神社を現在地に移し、本殿・祭文殿・拝殿・神楽庫を再建、社務所を造営したといいます。
 なお、明治時代に地区内の地蔵寺の鎮守神であった白山社とともに、秋葉社も合祀されています。それにしても、このあたり秋葉社の多いこと。何か理由があるかも知れません。
Img_2489c ここ日吉神社で目を引いたのは、拝殿前にある幅2m半ほど、高さ2mあまりの石造の塀のようなものでした。これまでにこういうものを見た記憶はありません。調べてみますと、「蕃塀(ばんぺい)」というものでした。分かりやすく言えば、「神社の拝殿の前にある衝立状の塀」ということです。
Img_2501c 「蕃塀マニア」というブログによれば、伊勢神宮にもあるようですし、愛知県尾張地域にかなりたくさんあるそうです(特有といっても良さそうです)。このブログの説明によれば、“「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である”ということでした。この日吉神社の蕃塀についても、蕃塀マニアさんのブログのここに説明があります。
Img_2493c 拝殿前の狛犬は、かなり古いものと思われました。台座には大正時代のImg_2496c 文字が見えましたが、狛犬の方はもっと以前のもののように見えます。
Img_2490c_2 この日吉神社には、日吉社の神使である猿が本殿に保存されていて、魔除けの猿といわれていることや、文政年間に作られた神楽屋形があり、また、これらが日吉神楽とあわせて蟹江町無形民俗文化財に指定されているのですが、事前のリサーチが不十分で、この時点ではつゆ知らず。そのまま次へ向かってしまいました。
Img_2512c次のポイントは、ポンレベック(Pont-l'Eveque)というココット料理とパンで有名なお店。家内は行ったことがあるそうですが、普段から大人気、大賑わいの店と聞いていました。今回は、JRさわやかウォーキングの立ち寄りポイントにもなっていて、店からお客さんがあふれていました(笑)。やむなく写真を撮っただけでここも通過。「カフェを併設したパン屋です。多い日には1日に400本近く焼く1本100円(外税)のバゲットとそのバゲットを使った明太バゲットが一番人気です」ということですから、また別の機会に是非とも来てみたいと思います。
Img_2517c 「漬け物 若菜」もあった県道29号線を渡り、北へ。JR関西線の線路沿いImg_2520c を歩きます。途中で踏切を渡って、関西線の北側へ。水田などもあるところを歩きます。5km地点あたりで線路脇にアオサギがいるのを見つけました(微笑)。
Img_2525c 5km地点を過ぎて、右手にお寺や神社らしきものが見えました。が、山田酒造さんが近いようなので、そちらへ急ごうというモチベーションが強すぎて、パス(苦笑)。ちなみにお寺は、八幡山松秀寺(曹洞宗)。寺伝によれば、天文23(1554)年草創の古刹です。以来幾多の易地におよび、困窮、試練に遭遇し、平成15(2003)年4月、約430年ぶりに草創の地である現在地に移転したといいます。神社は、八幡神社。
Img_2530c 5km半ほどのところ、須西小学校の東で、再び蟹江川を渡ります。この橋Img_2528c は、「飾橋」となっていて、右の写真のような飾りが、親柱にありました。須成祭の時、飾られた祭船に役者や供の者が全員乗船し、ここから天王橋に向けて出発します。祭船を飾ったことから飾橋の名が付けられたといわれています(こちらを参照)。
Img_2534c 飾橋を渡ると、山田酒造さんの建物が見えてきます。ようやくここまでやImg_2535c って来ました(微笑)。いよいよ「老舗造り酒屋での利き酒」です。ちなみに、蟹江川は木曽川や庄内川の分流で、酒造りに適した伏流水が湧き出ていたため、江戸時代から明治にかけて酒造りが盛んで、明治の初めころ、蟹江町内には十数件もの造り酒屋があったそうです(現在は、ここ山田酒造さんと甘強酒造さんのみ)。
Img_2536c 屁理屈、講釈はさておき、試飲コーナーへ。ところが、ここで若干迷う羽目に陥りました。無料の試飲と、純米大吟醸一杯300円の試飲と2ヶ所あるのです。純米大吟醸の方は、係の方が呼び込みを掛けていて、「とても300円とは思えないくらい美味しいお酒ですよ」などと誘うのです(苦笑)。迷わされますねぇ。こういうのを心理学では、「接近-接近型コンフリクト(葛藤)」といいます。つまり、両方とも好ましいものから1つ選べといわれて、迷う事態。
Img_2541c ちょっと考えた末、取り敢えずは無料でいただける試飲を1杯。のどごしもよく、軽くて美味しいお酒でした。酒飲みではありませんから、小生には十分なお酒です(微笑)。
Img_2551c 余談めきますが、この山田酒造さん、明治4(1871)年に創業しておられImg_2554c ます。けっこう立派なお庭があったり、玄関先にには錦鯉が飼われていたりと、なかなかの風情でした。このお庭あたりで試飲のお酒をいただきました。叶うことならば、ゆっくりと味わえる機会が欲しいものです。
Img_2556c さらに余談は続きますが、今回はこのように歓迎していただきましたImg_2559c (爆)。「酔泉」と「最愛」というのが、山田酒造さんのブランド。このあと、甘酒の振る舞いをいただきました。熱々、なかなか冷めません。今までに振る舞っていただいた甘酒の中でも好みの部類に属します。
Img_2681c このあと、土産を探しに即売所へ。今回の試飲のお
Img_2685c 酒ではないと思いますが、この「酔泉 しぼりたて 生原酒」(720ml ¥1,000)。をお買い上げ。季節限定商品であります(限定に弱いのです)。「やや甘い感じで、濃いめ」でした。先だっての近鉄ハイキングの酒蔵みてある記で試飲した「早川酒造部」の「天一 蔵出し 生原酒」に似た感じでした(こちら)。どちらも川の伏流水を用いていますが、河口部に近いという共通点があります。
Img_2565c 山田酒造さんの東で、JRさわやかウォーキングにあわせてイベントが開催されていました。小生が行ったとき、ちょうど「戸山流居合道美濃羽会」の演武が始まるところでした。「戸山流居合道」は、「戦時中陸軍戸山学校にて創設された日本に於ける実戦を想定且つ経験した最新にして最後の居合道」だそうです。
Img_2571c 真剣で真竹を試し切りする演武も行われました(こちらの戸山流居合道のサイトにも画像があります)。蟹江町PR隊によるイベントの一つでした。「新選組 蟹江に見参!!!」という文字も見えました。尾張国海部郡須成村(現在の蟹江町須成)出身の佐野七五三之助(天保5(1834)年生まれ)が江戸で北辰一刀流を学んだ後、元治元(1864)年、30歳のとき新選組の隊士となり京へ行ったのです。
Img_2593c 真剣による試し切りの演武を見た後、どうしても気になり、もう一度山田Img_2599c 酒造さんに戻りました(苦笑)。気になったのは、もちろんこちら。純米大吟醸の試飲です。いい年をしているのに、欲求には勝てません。まだまだ修行が足りません。こちら、山田錦を使っています。普通に買えば、720mlで¥2,500という良いお値段(こちら)。
Img_2597c
 「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで、という大げさなほどではありませんが、ものは試しと思って、¥300と引き替えに試飲をしてきました。こちらの試飲、メジャーカップできちんと分量を量って飲ませてもらいました。上品な感じでしたし、さすがに大吟醸でした。飲み比べもできましたので、これで心置きなく次へ進むことができます。11時半に山田酒造を出発。
 このあと、神社がもう一ヶ所あります。その4で完結予定です。

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2018年3月 7日 (水)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その2)……正一位秋葉神社と、銭洗尾張弁財天富吉神社

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 3月4日の“JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ”の2回目です。1回目では、蟹江町歴史資料館、蟹江城址などを見て南下し、地図上、2kmとあるあたりまで来ています。交差点を右折(西へ)したところで、2つめの秋葉神社があります。
Img_2422c その1の最後にも載せた、2つめの秋葉神社です。社名の標柱に「正一位Img_2423c とあるのを疑問に思ったところまで、その1で書きました。「正一位」は、「律令制における位階及び神階のひとつ。諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位」です。秋葉山本宮秋葉神社(浜松市)のサイトを見ると、「中世には「秋葉大権現」と称して、その御神徳は国中に知れわたり、朝廷からは正一位の神階を賜り」とありました。それ故、この秋葉神社にも「正一位」とあるワケです。
 ちなみに、お稲荷さんはどこも「正一位」となっています。伏見稲荷大社のホームページ(よくある質問)を見ると、「もともと天長4年(827)に淳和天皇より「従五位下」を授かってからだんだん上進し、天慶5年(942)に「正一位」になりました。因みに正一位の神階を授かっている神様は稲荷大神様だけではなく日本全国に多くおられます」とありました。伏見稲荷から勧請したお稲荷さんは、皆この「正一位」を名乗るようになった結果、現在では「正一位」がお稲荷さんの別称となっているようです。お稲荷さんはもっとも多い神社です。
Img_2426c 境内には取り立てて変わったものはありません。この改築記念碑が、鳥居脇に建っていただけ。「改築記念碑」と刻まれた脇には、「楽只○ ……」とあるのですが、小生には読めません。裏には芳名録が刻まれていますが、かなり風化してきています。
Img_2462c 秋葉神社の西隣にあるのが、次の目的地である「銭洗尾張弁財天富吉
Img_2431c 神社」です。富吉神社に鎮座する銭洗弁財天は、永享年間(1429~41年)、北条平八郎時満が蟹江城を築く際、城の鎮守社として鎌倉の銭洗弁財天宇賀神の眷属(けんぞく)である富吉龍大神を勧請したのが始まりと伝えられています(こちら)。時満は、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を洗い、この福銭をもって蟹江城を築城したといわれます。
Img_2441c 鳥居をくぐって正面にあるお社。こちらが、富吉神社かとImg_2436c 思います(確信はありません)。「富吉神社御由緒」(右の写真)によれば、北条時満が、築城にあたり、神のご加護をいただくため護法善神の中で神通力自在力最大である龍神を守護神として勧請したといいます。御祭神は富吉龍大神、御側神は大松大神(大松大神はよく分かりませんでしたが、伏見稲荷大社に同名のお社があるようです(こちら))。
Img_2444c 上のお社の東にあるのがこちら。ここが、銭洗弁財天。由緒書と「御誓願Img_2434c 文(右の写真)」などによれば、築城以降、龍神は蟹江城の大手門の堀に鎮座しておられたのですが、蟹江合戦で蟹江城が落城すると、堀を池として取り込んだ海門寺の境内となっています。その後、昭和39(1964)年、海門寺大池を埋め立てることとなり、富吉神社の境内に遷座し改めて尾張銭洗弁財天として信仰されるようになったということのようです。御由緒、御誓願文、ネット情報がスッキリとしませんでした m(_ _)m
Img_2447c 「1万円札を洗っても良いですよ」と門前で案内をしていた方はおっしゃっImg_2450c たのですが、謙虚に100円玉を洗ってきました。あまり欲張ると却ってよくないと思ったからであります(微笑)。100円玉は家内に渡してしまいましたが……。
Img_2440c ここの境内には、写真のように、「蟹江城主先祖代々供養塔」が立てられImg_2457c ています。こちらには蟹江合戦の犠牲者を祀るものと説明されています。境内には、このほかに右の写真にあるように、別のお社と、しめ縄がかけられた石もありました。詳しい説明はありませんし、ネットの検索でも情報は出て来ませんでした。お社は、由緒書にある御側神の大松大神でしょうか? 疑問は残りますが、先に進みましょう。
Img_2464c 銭洗弁財天から少し西に進むと、蟹江川を記念橋で渡ります。何かの記Img_2468c 念で掛けられたのでしょうが、詳細は不明。橋を渡った、西側のたもとに神社がありましたが、社名を示すものはありません。
Img_2470c 記念橋のすぐ上流、東側に「甘強」という文字が書かれた黒い建物が見えました。ひょっとしたらと思ったのですが、写真だけを撮って通り過ぎました。あとで調べたらやはり、みりんを作っている甘強(かんきょう)酒造さんでした。左側に写っている、黄緑がかった黄土色の美しいスクラッチタイル貼りの建物は旧本社事務所(昭和12年築)で、登録有形文化財(建造物)になっています。文久2(1862)年創業という歴史のある醸造元です。近鉄線沿線でしたか、「甘強みりん」という立て看板を見た記憶があります。
Img_2472c 蟹江町役場や、学戸小学校の近くを1km半ほど歩くと、次の立ち寄りポイントであるまちなか交流センターがあります。サークルの集まりや、作品展示、語学や料理などの講座・教室といった活動をするための場所だそうです。ここで「記念スタンプ台紙」があれば、スタンプを押してもらい、ゴールの時に抽選で粗品がいただけたのですが、小生が受付したときにはすでに記念スタンプ台紙の配布は終了。そのため、通過してきました。
Img_2481c このあとは、まちなか交流センターから信号を渡ってすぐのところにある日吉神社に立ち寄りました。ウォーキングコースとしては、立ち寄りポイントにはなっていません。今日は、ここまでとします。

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サギ山では巣作り、三ツ又池はカイツブリが元気いっぱい……河口堰、弥富方面へ

Img_2981c

 曇天で寒い日になりました。明日からは雨という予報ですので、その前にプチ遠征をしてきました。久しぶりの長良川河口堰、三ツ又池公園、そして弥富のサギ山です。まずは、サギ山の様子。前回からほぼ一ヶ月(2月9日:弥富野鳥園で猛禽類、サギ山、三ツ又池公園も見てきました)。アオサギの数は、道路から見えた限りでは30数羽。巣作りをしているものは見られましたが、ヒナはまだいませんでした。
Img_7565c まずは、長良川河口堰。この前行ったのは、昨年末(2017年12月28日:三ツImg_2885c 又池公園でミコアイサのオス、ミサゴ……アクアプラザながらへも(微笑) )。ブロ友のひらいさん情報ではあまり鳥はいないということでしたので、足が遠のいていました。2月16日に今年初めて稚アユの遡上が確認されたということでしたので「アユのぼり」が上がっているかと思ったのですが、まだでした。今のところ合計でも15尾だそうです(こちら)。遡上が本格化すれば、「アユのぼり」に変わるのでしょう。
Img_7591c 結論から書きますと、鳥はやはり多くはありませんでした。アオサギは合計Img_7581c 5羽ほど。西側の閘門へのアプローチで2羽、揖斐川と長良川の間の中州の切れ目あたりに3羽でした(この切れ目のところは別の角度から見るともっと見えた可能性があります)。
Img_2888c カモは堰東側の下流にキンクロハジロを中心に101羽、西の下流側にはホImg_2892c シハジロを中心に55羽でした。
Img_7603c 他には、カンムリカイツブリ数羽(カモに混じって)、上流側にカルガモ3羽、カワウ少しということでした。管理橋の上を往復しただけで(1.6kmほど)、滞在時間は30分。
Img_7617c 三ツ又池公園へ移動。ここも鳥は少なく、子宝池のまわり(2.4km)を40分ほどで一周。カモは前回行ったとき(2月9日:弥富野鳥園で猛禽類、サギ山、三ツ又池公園も見てきました)よりも少なく、元気なのはカイツブリだけという感じでした。残念ながら、ミコアイサは影も形もありませんでした。
Img_7624c カイツブリは池のあちこちにおり、見ているとペアで行動しているように思Img_7615c われました。そして「さえずり」があちこちから響き渡っていて、そのため「元気いっぱい」という印象を持ちました。リンク先でカイツブリのさえずりが聞けます。また、繁殖期になる頃、観察に来ようと思います。
Img_2900c その他によく見られたのは、カルガモとコガモでした。泳いでいるものもImg_7632c 多い一方、上陸してマッタリしているカモたちも多数。
Img_2931c この写真のように、幾種類ものカモたちが仲良く、マッタリ中という様子があちこちで見られました。
Img_7618c 他にいたのは、ヒドリガモや、ハシビロガモ。ハシビロガモのオスは、渡っImg_2926c てきたときとあまり変わらないような色、模様をしているように思えます。九華公園にいるのも同様。
Img_2938c そうそうオオバンも忘れてはいけません。こちらは、上陸して草を食べているものもいました。全体としては、昨シーズンよりも水鳥の数はかなり少ない印象です。繰り返しになりますが、まさに、カイツブリのみ元気という感じでした。
Img_2954c この三ツ又池公園は、芝桜の名所として知られています。10万株以上がImg_2903c 植えられているという話も聞きます。今日は、わずかながらすでに咲いているものもありました。シキザクラが、十四山総合福祉センター近くに数本あります。これも雨水ピンク色の花をつけていました。
Img_7670c 次いで弥富市内のサギ山へ。少なくとも30数羽のアオサギがいました。左の写真の2羽のアオサギは、ペアだと思います。どちらも嘴はかなりピンク色になっていて、繁殖期であることがよく分かります。
Img_2965c あたりを飛び交っているアオサギもけっこういます。巣材を探しに行って、Img_2987c 咥えて戻ってくるところも目撃しました。右の写真、写りがよくありませんが、木の枝を咥えて帰ってきたところです。
Img_7673c こちらは巣作りの真っ最中。Wikipediaの説明では、主にオスが巣材を集め、メスが樹上に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作るということです。ということは、右上の写真はオス、この左の写真はメスということになりますが、概観からは区別がつきません。ちなみに、同じ巣を修理して何年にもわたり使用しつづけるそうです。
Img_7656c 繁殖期のアオサギに特有と思うのですが、この写真のような行動を目にすることがあります。今日も、2~3回、同様の仕草を見ました。何かのディスプレイかも知れません。
Img_7676c サギ山を見た後、こちらを見てきました。弥富野鳥園の南西にある富浜Img_7684c 緑地です。野鳥園近くの道路に看板があり、ずっと気になっていたところです。野鳥園からは3kmほど。テニスコート、野球場、サイクリングなど、運動公園でした。
Img_7687c 南側の駐車場のまわりだけを見て回ったところでは、カラス、スズメくらいしか見当たりませんでした。北側や北東側には、水路などがありますので、そちらへ行くと水鳥がいるかも知れません。

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2018年3月 6日 (火)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その1)……蟹江町歴史資料館、蟹江城址、秋葉神社他

Kaniecoursec  3月4日に出かけたJRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」のその1です。「老舗造り酒屋」は、山田酒造さんです。近鉄ハイキングの酒蔵みてある記でも、2月18日にあったのですが(歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」)、前日に伊藤酒造に行きましたので持ち越しという次第。お断りしておきますが、大酒飲みでもありませんし、山田酒造さんだけが目的ではありません。今回のコースには、蟹江城址など興味のあるところも含まれています(微笑)。

20180304jrwalkkaniec こちらが実際に歩いたコース。マップ上では、約6.2km、1時間50分となっていましたが、実際には約7.1km、ほぼ2時間半でした。曇ってはいましたが、寒くはなく、むしろ若干汗を掻いたくらいでした。
Img_2347c 桑名駅を9時2分に発車するJR関西線・名古屋行き普通に乗車。蟹江までImg_2349c は4駅。9時21分着、¥240。8時半から受付でしたので、蟹江駅につく直前にはすでに歩いている方多数が見えました。蟹江は、電車や高速道路で通るものの、訪ねるのは初めて。近鉄蟹江駅には降りたことがありますが、それは台風の影響で電車が止まったためでした(もう20年あまり前)。
Img_2353c 9時27分にスタート。南に向かって歩きます。まったく土地勘がありませんImg_2357c が、JRさわやかウォーキングでは、要所要所に「矢印」が掲出されており、道に迷うことはあり得ません(笑)。蟹江本町の交差点を右折(西へ)。1kmも行かないところに、最初の立ち寄りスポット「漬け物 若菜」がありました。試食もありましたが、人も多く、写真を撮っただけで通過してきました。
Img_2366c 若菜の前の県道29号を西へ。お城のような建物が見えてきて、気になっImg_2367c たのですが、実はここが次の立ち寄りポイントである蟹江町歴史資料館が入っている産業文化会館でした。
Img_2368c 右上の写真にも写っていますが、いきなり「蟹江町道路元標」を発見。とImg_2369c いってもこれに注目したのは、小生くらい(苦笑)。他の方々は、館内へ続々と入っていきます。この道路元標、これまでにみたものよりかなり低くなっています。碑陰に回ってみると、下の方に「旧道 新道」とあるのが見えますが、他の文字はありません。大半が埋まっているのかも知れないと思います。
Img_2372c 玄関脇には、「旧日光大橋 親柱飾『象』」が置かれていました。「旧日光大橋」は、町内を流れる日光川にかかる国道1号線の橋。「親柱」は、階段・垣根などの両端や曲がり角に立つ太い柱。これは昭和初期のもので黒川巳喜氏の創案とあります。黒川巳喜氏は、明治38(1905)年、愛知県生まれ。名古屋高等工業学校を昭和2(1927)年に卒業し、愛知県営繕課に奉職しています。
Img_2378c 資料館内は大賑わいというか、ごった返していましたので、ゆっくり見て回ることができません。折から開催されていた特別企画展「子供と祭礼・行事」と、ミニ企画展「ユニークな郷土びなたち」をざっと見ただけ。ここには、蟹江町出身の探偵小説家である小酒井不木(こさかいふぼく:明治23(1890)年~昭和4(1929)年)に関する資料も展示されているはずでしたが、見逃しました。庭には、江戸川乱歩の書による「不木碑」もあったのですが、それにも気づかずじまい(苦笑)。急いては事をし損じるです。
 ちなみに、小酒井不木は、愛知一中、旧制三高を経て、東京帝国大学医学部へ入学。生理学・血清学を専攻し、東北大学助教授職を拝命しています。江戸川乱歩と交流を深め、探偵小説やSF小説を書きますが、持病の結核のため、39歳で亡くなっています。
Img_2398c 歴史民俗資料館の近くに「蟹江城址」があると書かれていましたので、これを見逃す手はありません。ただ、今は住宅地の中になってしまい、細い道をクネクネ。もともと「鉤の手」になっていたのかどうかは不明。ちなみに、蟹江城址に向かう、物好きな人はほとんどありません(苦笑)。
Img_2382c 今は、このように「城址公園」として整備されています。右に建っている看Img_2384c 板は、「地名のいわれ(蟹江町城)」について。近くの河口部から海岸付近に蟹がたくさん住んでいたことからその名がついたとあります。
Img_2390c この奥に「蟹江城址」の石碑がありました。戦国時代(1500年代)には蟹Img_2392c 江錠が築かれていたものの(永享年間(1429~1441)に北条時任(ほうじょうときとう)が築城したといわれます)、天正12(1584)年の蟹江合戦により落城。蟹江合戦は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦いで、主に蟹江城における篭城戦でした。翌年の大地震で壊滅しています。予告編では、これを天正大地震としましたが、誤っていました。1585年7月31日(天正13年7月5日) に大阪・京都・伊勢で大震があったといいます(こちらを参照)。
 蟹江城址では、このほか、本丸井戸跡も残っているのですが、これまた見忘れました。
Img_2401c コースに戻って蟹江町蟹江本町城地内を南へ。1km半ほど来たところで秋葉神社Img_2404c を発見。秋葉さんですから、御祭神は、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)で、火の神様。標柱(昭和三十年十二月建之)には、「従三位 二条弼基(にじょう たねもと)書」とありました。二条弼基(明治43(1910)年~昭和60(1985)年)は、工学者、政治家、華族、貴族院公爵議員だそうです。二條家は、「五摂家」の一つで、世が世なら摂政、関白になれる家柄です。しかし、他の石碑などでも思いますが、揮毫した方は地元と何か関係があるのでしょうかねぇ? よく分かりません。
Img_2409c 歩いた道は、昔からの道という感じで、古い民家や廃業した商店も多数Img_2412c ありました。右の写真のような町の電気屋さんなど、今ではほとんど見かけなくなりました。
Img_2414c 中の町・五の町商店街とあるあたりで、大木の根元にお社があるのを見Img_2417c つけました。しかし、どうも民家の駐車場にあるようで、敷地内に入るのははばかられました。それでも気になります(笑)。次の立ち寄りポイントである銭洗尾張弁財天富吉神社に着くまでに、さらにいろいろとあります。右は、大木があったところの先にあった神社。社名も、詳細も不明。Googleマップにもありませんし、愛知県神社庁のサイトからも検索できません。愛知県神社Mapのサイトでは、古い住所で今の地図では検索できません。愛知県の神社名鑑のような本があるようですが、¥19,000するという噂。買えません。その意味では、神社検索(三重)はありがたいサイト。
Img_2420c 上の不明神社(失礼)の近くには、お地蔵さん。お地蔵さんになるともっとお手上げ。オマケにここは、何地蔵かも掲げられておりません。よくよく探すと、どなたかがリストなどを作ってくださっているかも知れません。
Img_2422c 近鉄名古屋線の線路の手前で右折(西へ)。銭洗尾張弁財天富吉神社Img_2423c 次のポイントなのですが、その手前にまたもや、秋葉神社があります。秋葉さんが多い地域なのでしょうか? それはともかく、ここの社名の標柱には、「正一位」とあります。お稲荷さんでは、ほとんど「正一位 ○○稲荷」とあるのですが、秋葉さんで見たのは初めて。今日はここまでとし、その2に続きます。

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「啓蟄」でキタテハに遭遇してビックリ……ウメジロウ再挑戦、ブログ容量は回復

Img_2875c

 よい天気になり、朝から木曽御嶽山がよく見えていました。冒頭の写真、中央がそれです。左の方に小さく見えるのは、乗鞍岳ではないかと思いますが、自信はありません。風も次第に弱まり、暖かくなっています。冬鳥も帰りますし、このあたりにいる鳥たちは繁殖に入りますので、他の場所も気になりましたが、いつも通り、8時40分から住吉神社、九華公園、貝塚公園など6.3㎞を回って来ました。
Img_7544c 寺町商店街の河津桜も、八間通に近いところにある3本はかなり咲いてきまImg_2779 した。寺町堀沿いのものは、つぼみは膨らんできていますので、そろそろ咲き始めるでしょう。梅は、満開近いところもあります。右は鎮国守国神社の稲荷社の鳥居の近くの梅。いつもやや遅れて咲き始めます。名前を大奥様に伺ったことのですが、忘却の彼方であります(苦笑)。
Img_7523c 今日は、二十四節気では「啓蟄」。地中にひそんでいた虫が戸を啓いて地上にはい出る日とされます。まさかまだチョウチョは飛んでないよねと思って歩いていたら、内堀公園でこちら。たぶんキタテハというチョウ。いや、驚きました(微笑)。
Img_2828c 天気もよかったので、「ウメジロウ」が撮れないかと、九華公園でも(管理事Img_2831c 務所近くの白梅によく来ます)、貝塚公園でもしばし待ってみました。どちらも出て来たのですが、それなりに撮れたのは、貝塚公園にて。河津桜にもと期待したのですが、そちらはまだでした。
Img_2714c こういう天気がよくて、暖かい日には案外鳥はいません。今日もそのご多分に漏れず(微笑)。ジョウビタキのメスは、吉之丸コミュニティパークの駐車場のところにて。この近くの揖斐川の堤防では、ヒバリ2羽を見かけました。
Img_7516c 九華公園では、久しぶりに本丸跡でシメを確認。もういなくなったかと思っImg_7492c ていましたが、いつものところで餌探し中。奥平屋敷跡では、ビンズイ3羽。エナガや、カワラヒワもあちこちで鳴き声はするものの、木の高いところにいるようで姿は見えませんでした。
Img_2723c カモは合計45羽。ハシビロガモのオスが1羽いたほかは、すべてキンクロImg_7507c ハジロ。もう帰ったカモもいるのでしょうか。ユリカモメの姿はありません。ゴイサギは、最終的に4羽いるのを確認できました。ただ、いずれも木陰にいて、見つけにくいところでした。
Img_2846c 南寺町の常信寺にも立ち寄って来ました。左はミツマタの花が咲き始めたところ。毎年、楽しみにしている花です。というのも、葉が出てくる前にの枝先に花だけが開くからです。ジンチョウゲ科に属します。仲春(啓蟄から清明の前日まで)の季語とされているそうです。皮は和紙の原料として用いられます。
Img_2850c 同じく常信寺にあります。サンシュユだと思います。ハルコガネバナなどとも呼ばれるそうです。元は薬用植物として栽培されていたといいます。サンシュユも葉が開くより先に開花し、咲きそろうと見事です。
18030612c ところで、昨日の記事でもぼやきましたが、このココログの容量、回復できました。10,000MB(プロ)で契約していますが、このところ、99%以上の容量を使ってしまっていて、困っていたのです。「記事を削除した」と書いていますが、文章と画像のサムネイルは削除したものの、写真の削除が「マイフォト」からしかできない仕様になっています。
18030610c こちらがその「マイフォト」のページ。下の赤丸にある「ブログにアップした画像」のところからさかのぼって古いものを削除するのが通常のやり方。しかも50枚ずつしかさかのぼれないため、途方に暮れていたのです。というのも、この画像は削除した後で、画像は20,270枚になっていますが、削除前は、35,000枚以上あったのです。
1803063c Googleでキーワードをあれこれ変えて何度も検索したところ、マイフォトで一度に100枚も、200枚も表示でき、しかも、もっとも古い写真にまでジャンプして戻ることができる方法を見つけられました(こちら)。左の写真で「&limit=100」とあるところが一度に100枚表示させる指示(作業途中試したら、200枚もできることを発見)。次の「&offset=34000」は、34,000枚遡ったところから表示するという命令。これで作業は俄然スピードアップ。2005年10月から2014年12月までにアップした15,000枚あまりを1時間ほどで削除できました。その結果、昨日の記事までの使用量は5,350MBあまり(53.5%)になりました。
 これでまた当分大丈夫だろうと思いますが、これまでのように調子に乗って写真をたくさん載せたり、思い浮かぶまま書き散らすのは控えた方がよいなと反省しています。ちなみに、パソコン外付けハードディスクにデジタル写真を保存していますが、これまでは撮ったものすべてを放り込んだままにしていました。が、こちらも2TBがほぼ一杯。「断捨離」をしなくてはなりません。

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2018年3月 5日 (月)

「雨読」の今日は、4月からの講義資料の修正

Dscn6187c_2  朝7時頃から夕方まで雨。時々強く降ります。郵便を投函しにポストに行ったのみです(苦笑)。この一週間、近鉄ハイキングで15.1㎞、JRさわやかウォーキングで9.3㎞(いずれも駅までの往復を含め)歩きましたので、「たまには骨休め」と勝手に決め込みました(微笑)。
Dscn6190c_2  といっても昼寝をしていたとか、ずーっとサボっていたとかではありません。今日はもう3月5日です。1ヶ月もすると、また、江戸橋方面での非常勤の講義が始まります。そこで、授業の資料(パワーポイントのプレゼンテーション)の見直し、修正を始めました。3月になったら手をつけようと思っていたのですが、若干遅くなったのです。学生たちの出席カードに書かれた質問やコメントを見つつチェックしています。「分量を減らして丁寧に説明する」方向で修正しようと思っています。決して「十年一日」のような内容で講義をしているわけではありません。写真に写っているテキストは、小生の授業ではなく、非常勤先の心理学のテキストに指定されているもの。
 明日は天気も回復するようですから、いつものように散歩をしてから、今日の続きです。そうそう、昨日のJRさわやかウォーキングの話(3/4:今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))も書こうと思います。ただ、ココログの容量がやはり厳しくなっています。記事をかなり削除し、写真もカットしてるのですが、思ったほど容量が回復しません。マイフォトも一部削除しようかとか、マイブックスはどうかならないのかと調べてみたりしていますが、いっそのことLivedoorブログに全面移行した方がよいかとも思案したりです。
 ちなみに記事のほとんどは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」にもあります。

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近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その4)……メイン会場のウッドヘッドで大ひな壇を見て、12㎞以上、4時間半を歩いた末いよいよ完結(長いです)

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 近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あAgekimap げきのおひなさん」へ”もその4でようやく完結を迎えられそうです。左の地図では、若干隠れてしまっていますが、「阿下喜駅」の北あたりから、阿下喜の町中に入ります。詳細は、右の地図の通り(こちらは当日のマップの一部を借りました)。
Img_1802c 「あげきのおひなさん」の行事は、昨日で終わってしまっています。左はそのポスター。町の至る所に貼られていました。メイン会場のウッドヘッド三重には、800体ものひな人形が飾られた大ひな段があります。それ以外にも、手作り作品や吊し飾りなど、阿下喜の町の商店、民家、寺社など約100軒でもひな人形が飾られていて、自由に見られます。とても全部は見て回れませんが、右上のコースマップ沿いで、展示されているところはいくつか覗いてきました。
Img_1574c そのうち、2つほどを載せておきます。左は、以前はお店だったようですが、Img_1579c 現在は普通のお宅。つるしびなが入り口に下げられていましたし、中にもお雛様がありました。右は、おもちゃ屋さんというか、模型屋さんの店先の様子。段飾り2つに、つるしびな多数。なかなか見事でした。
Img_1605c さて、コースにしたがって行くと、左折するところの角に浄土真宗大谷派・仏Img_1607c 法山相願寺があります。立ち寄りスポットではありませんが、コース沿いに寺社仏閣、名所旧跡らしきところがあるとついつい見たくなります。ここも境内に入らせていただきました。
Img_1601c 本堂の中にお雛様が飾ってあり、「ご自由にお入りください」となっていました。が、すでに午後1時。あまり遅くなってもと思い、見学はパスして、コースに戻ります。
Img_1617c 相願寺からすぐのところ、少し入ると、桐林館(とうりんかん)があります。平成26(2014)Img_1620c 年に国登録有形文化財として登録された、旧・阿下喜小学校です。この校舎は、昭和12(1937)年に「阿下喜町立尋常小学校」として建築されたものが復元されていおり、戦前の木造小学校の姿を偲ぶことができます。現在は、アート&カフェで活用されており、「桐林館阿下喜美術室」として平成29(2017)年7月から作品の展示と、カフェが常時一般開放されています。玄関脇には、二宮金次郎像があります。これは、東藤原小学校(いなべ市藤原町 東禅寺所在、平成29年4月閉校)にあったものを移設しています。
Img_1624c 正面玄関を入ったところや、アート&カフェのスペースにひな人形が飾らImg_1634c れていました。ちなみに、アート&カフェの方からは、カレーやコーヒーのよい香りが漂ってきていました(そういえば、まだお昼を食べていません)。玄関の正面には、こんな大きな柱時計。自分が通った小学校にもあったような気がしてきます(記憶はまったく定かではありません。全くのイメージです……苦笑)。
Img_1636c 廊下なども、自分の小学校時代を思い出させてくれる雰Img_1653c 囲気。廊下の突き当たりは、「便所」とありました。子供たちがいるところには、昭和30年代の教室が再現されています。こんな机といすで勉強していたような気がします。ただし、黒板は、本当に「黒い板」だったと思います。
Img_1652c 教室の手前には、校長室が再現されています。ここの調度品は、立田小Img_1641c 学校校長室の備品をそのまま移しています。立田小学校(いなべ市藤原町古田)は、昭和の趣が残る小学校だったそうですが、平成29(2017)年、藤原小学校に統合され、閉校しました。鼻髭を生やした校長先生が座っていそうな雰囲気です。
Img_1648c 右上の写真で奥に写っている、黒い金庫のようなものは「奉安庫(ほうあんこ)」です。昭和の初め(1930年代~)、天皇の神格化と戦意高揚のため、「御真影(ごしんえい)」と呼ばれた昭和天皇・皇后の写真がすべての学校に「下賜」されました。この御真影や教育勅語の保管施設で、校舎内に設けたものを「奉安庫」、独立した建物になったものを「奉安殿」と呼びます。耐火式の施設が盛んに作られたといいます。小生の小学校時代にはまだ、校庭に奉安殿だったという建物がありました。
Img_1661c 上に載せた、復元された教室内には、「番傘」が2本展示されていました。この番傘は、阿下喜小学校に昭和38(1963)年に入学したお子さんが実際に使用していたものだそうで、ご本人から寄贈されたです。小生の小学生時代(昭和36(1961)年入学~昭和42(1967年卒業)、「こうもり傘」が多くなっていましたが、番傘を使っている同級生もあったように記憶しています。雨が降って迎えに来たお母さんの中に番傘を差してきた方があったのかも知れませんが……。
Img_1676c この桐林館、なかなかハイカラな校舎でした。建築当初、校舎屋根には青色の瓦が茸かれていたといいます。正面入り口にある玄関ポーチの瓦のような色だったのでしょうか。さらに、屋根中央には小塔があり、左右に は換気窓(ドーマー)が付属 していて、なかなかカッコイイ校舎です。午後1時をかなり回ってしまったので、ここの校庭で、コンビニで買ったおにぎりを食べ、お昼にしました。青空の下で食べるおにぎりは美味しい!
Img_1681c 桐林館のすぐ南西に、今回の「あげきのおひなさん」のメイン会場であるImg_1684c ウッドヘッド三重(いなべ市商工会)があります。ここの2階に、あの大ひな壇に800体のひな人形が展示されているのです。けっこうな賑わいでしたし、介護老人施設の利用者さんも職員の方と見学に来ていらっしゃいました。
Img_1715c 予告編にも載せましたが、こちらがその大ひな壇。これは、1/3くらいの部分写真。スペースの関係もあって、広角レンズ(18mm)を使っても全体像はとても収まりませんでした。「ひな人形なんか、そんなに興味ない」などと思って出かけたのですが、さすがにこの迫力には圧倒されます。ただ、昼間、明るいところで見るのはよいのですが、夜なんかちょっと怖いかも知れないと思ったりしました。
Img_1720c 他にもたくさんのひな人形、つるしびな、折り紙性のお雛様など多数が展Img_1687c_2 示されていました。左は、明治のおひなさんだそうです。今のものより、面長のような感じがします。右は、小は30年代の雛飾り。この頃までは、いわゆる「御殿飾り」がけっこうあったようです。
Img_1924c 閑話休題。ウッドヘッド三重の前に物販所が出ており、買ってくるように頼まれた(指示された?)草餅がありましたので、ゲット。草餅と大福餅の8個入りセットで、¥500とお手頃価格。地元の丸喜製菓さんの和菓子は、2~3年前に行ったいなべの梅林公園などでも人気商品でしたから、まず間違いないと思ってです。実際、家族にも好評でした。息子などいっぺんに両方ともぱくり(笑)。
Img_1739c 地図を見るとウッドヘッド三重の近くに「まちかど博物館 プチ鉄道博物Img_1736c 館」があると書いてあります。これも見逃してはならじと思ったら、安藤建材店さんの店頭にコレクションが飾られていたのです。駅名表示板や、ヘッドマーク、行き先表示板その他です。サイトには、見学は要予約とあります。
Img_1749c さらに西へ。大西神社。マップにある、最終の立ち寄りスポット。由緒書きImg_1753c_2 と、神社検索(三重)によれば、御祭神は、次のリストの通り。創建年は不明ですが、織田信長の時代に阿下喜城主・片山大和守が、諏訪大明神を祀ったのが始まりで、建御名方神及び下照姫命、また、境内社として山神を祀っていたと由緒書きにあります。天保7(1836)年に大西神社となり、明治40(1907)年に諸社を合祀しています。そのために御祭神がたくさんいらっしゃるということです(以下の御祭神のところに括弧書きしたのが、合祀した元の神社)。
  • 建御名方神 (タケミナカタノカミ)……大国主命の子。武神。大国主命の命令で武甕槌神と力比べを行ったものの、敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神
  • 下照姫命(シタテルヒメノミコト)……大国主命の娘
  • 誉田別命(ホンダワケノミコト)……第15代、応神天皇(字八幡 八幡社)
  • 火産霊神(ホムスビノカミ)……迦具土神(カグツチノカミ)ともいう。伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)の子。火の神。(字二俣 八天宮)
  • 須佐之男命(スサノオノミコト)……伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)の子。天照大神(アカテラスオオミカミ)の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された(字二俣 西の神社;字舞野 谷坂神社)
  • 大山祇神(オオヤマツミノカミ)……山をつかさどる神。伊弉諾尊(イザナギノミコト)の子。(字八幡 山神社;字鳥坂 切田神社)
  • 石神(イシガミ)……「しゃくじん」ともいう。奇石、霊石を神体とする神。(字町赤神 赤神社)
Img_1766c 左は、拝殿。右の写真の中央にあるは、「神輿殿」。神輿殿の中には、後述の「八幡祭」に用いImg_1759c られると思われる御神輿が納められていました。また、拝殿にも、神輿殿にも、ひな人形などが飾られていました(ガラス越しの写真ですので、割愛)。この神輿殿の背後には、藤原岳が見え、見ようによっては藤原岳がご神体のような気もしてきます。
Img_1755c 「八幡祭」についての説明板。大西神社の大祭で、神輿(別名=あばれ神輿)を中心に灯明・高張提灯を前後にして、鉦(かね)・太鼓を打ち鳴らしながら町の目抜き通りを練り歩く、勇壮な祭りだそうです。元は、見性寺東方の小高い丘の頂に中世から「上木(阿下喜)城」の守護神として祀られていた八幡社のお祭り。いったん途絶えたものの、嘉永2(1849)年に再興されています。
Img_1770c 「お約束の(笑)」狛犬チェック。拝殿前の狛犬さんは、「子取り 玉取り」Img_1769c
になっていました。ここの狛犬さんは、平成4(1992)年に寄進された、まだ新しいものでした。
Img_1786c 上左の狛犬の写真に石柱が写っています。これは、ご覧のように、「皇太Img_1799c 子殿下御降誕記念」の石柱。「昭和九年一月阿下喜町青年團」とありますので、今上陛下がお生まれになったこと(昭和8(1933)年12月23日)を祝ってのものと思われます。このほか、境内には、「昭和御大典記念」と刻まれた玉垣もあります。昭和の御大典は、昭和3(1928)年11月10日、京都御所において執り行われています。
Img_1804c このあと、マップにあるのは忠魂碑。三重県遺族会のサイトによれば、こImg_1806c こは、在郷軍人阿下喜分会が、北勢町旧阿下喜地区全戦没者を祀る慰霊碑として建てたもの。「元帥 陸軍大将 子爵 川村景明書」と読めます。川村景明(かわむらかげあき)は、薩摩の出身で、日清、日露の両戦争に従事しています。
Img_1814c これですべて回ったと思い、コースマップにしたがって歩いていると、「卍」マークがあり、道ばたに「西念寺」という看板があります。そちらへ回ろうとしたら、マップにはない神社を発見。これは、立ち寄らなくては(笑)。
Img_1816c 由緒書きどころか、社名を表すものも見当たりません。距離測βでは、Img_1819c 「イチガミ神社」とあります。神社検索(三重)のいなべ市のところには該当する神社はありません。ネットで検索してみても不明。お社の前に石があり、しめ縄が飾られていますから、ひょっとしたら「石神」神社なのかも知れません。
Img_1825c
 イチガミ神社のすぐ南にあるのが、向日山西念寺。浄土真宗本願寺派のImg_1830c お寺。三問あたりは工事中。ご本尊は、阿弥陀如来絵像。お寺のサイトにある沿革によれば、創基は、宝徳元(1449)年、千種城主・山北豊後守教尊が、当地に滞留した本願寺第八代蓮如上人のご感化にあい、得度したことによります。天正2(1574)年、織田信長の焼き討ちに遭い、本堂および境内建物を焼失した後、阿下喜の地に寺基を移転しました。寛永元(1625)~6(163)年頃、本願寺第十二代准如上人より「向日山西念寺」の寺号を下附されています。
Img_1835c 2度目の閑話休題。西念寺から阿下喜駅に向かう途中、お菓子屋さんのシャッターで見つけた文言が傑作。「仰げば尊し 和菓子の恩」でした。思わずにやりとしながら、駅方面へ。
Img_1842c 阿下喜駅の手前で、阿下喜温泉あじさいの里に立ち寄ります。できればImg_1843c お風呂にも入りたかったのですが、この時点ですでに14時25分。次の西桑名行きは、阿下喜発14時39分と思い込んでいました。それ故、やむなく、特産品 お土産品の「あじさいの店」のみ。
Img_1928c お昼はうまくいけば、いなべの蕎麦でもと思っていたのですが、その余裕がありませんでしたので、「いなべ石挽きそば」を一つお買い上げ。いなべは、蕎麦の栽培が盛んで、あちこちに美味しいそば屋さんがあると聞いています。しかし、今日はそんな余裕はありませんでしたので、これはお試し(まだ食しておりません)。¥350なり。
Img_1847c ようやくのことで、14時32分に阿下喜駅にたどり着きました。この時点でImg_1871c は、12㎞以上も歩いたこととはつゆ知らず(笑)。「今日は、相当歩いたな」と思っていただけ。駅について、ガックリ。電車の時刻を勘違いしていたのです。次は、15時1分発。しかも、できれば「マイレール乗車券」を買いたかったのですが、小生の前に出札窓口に行った女性が、ラスト1枚をかってしまわれました(涙)。駅員さんがその女性に、「これ最後の1枚だけど、普通に乗れますし、もしあれだったら、下車して無効のスタンプを押してもらったら、記念に持ち帰れますよ」とセールスしていたのです。泣く泣く自販機で切符を購入。
Img_1850c 時間がありましたので、駅そばにある軽便鉄道博物館へ。といっても、営Img_1854c 業は、毎月第1・3日曜の午前10時~午後4時までだけ。そのときは、ミニ電車ホクさんに乗車することもできます。220系モニ226形電車が止まっています。
Img_1856c 懐かしい腕木式信号機もありました。この腕木式信号機は、JR名松線の家城駅から来たといいます。ナローゲージの転車台もあります。
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外周をくるっと回っているのは、たぶん「ミニ電車ホクさん」が走る線路。
Img_1861c 電車が来る時刻も迫ってきましたので、ホームへ。ここには、「日本最西端のナローゲージ駅 阿下喜駅」という表示があります。ナローゲージの鉄道、現在では、「三岐鉄道北勢線」、「四日市あすなろう鉄道 内部・八王子線」、「黒部峡谷トロッコ電車」の3つしか残っていません。
Img_1885c ナローゲージの電車、小さくてかわいいです。270系の電車では、車長Img_1186c 15.6m・車幅2.11m・車高3.67mです。車高はたぶんパンタグラフまで含めて。運転士さんと比べてみてください。車内も右の写真のような感じ。
Dscn6074c 15時1分に乗車。途中、スタートした楚原駅からは、いなべ総合学園の高校生たちがたくさん乗車。西桑名駅には、15時56分着。近鉄ハイキング、JRさわやかウォーキングを通して最長の12.4㎞+西桑名駅往復2.7㎞=15.1㎞を無事完歩。所要時間は、10時スタート、14時32分ゴールで、ほぼ4時間半。あみま倶楽部のスタンプもこれで6個目。会員2年目ですので、今年12月末までに10個集めると「踏破記念バッジ」がもらえます(苦笑)。20個集めるとバッジの他に商品券1,000円分か、カタログギフト。ボチボチやりましょう。

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2018年3月 4日 (日)

今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編)

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 今日は、JRさわやかウォーキングで「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちをKaniecoursec 散策」へ行ってきました。桑名駅を9時2分発の普通電車・名古屋行きに乗車。蟹江駅には、9時21分着。コースマップを受け取り、9時27分にスタート。曇天でしたが、寒くはなく、多少汗ばむほどでした。右は、今日のコースマップ。マップ上は、6.2㎞、約1時間半で、家族向きということでした。
20180304jrwalkkaniec 実際に歩いたコースは、こちらの地図の通り。いつものように若干寄り道をしましたので、7.1㎞。ゴールも蟹江駅で、11時53分に到着。ほぼ2時間半でした。今日も予告編です。
Img_2349c スタートは、こちら、JR関西線・蟹江駅。桑名駅からは、名古屋に向かって4駅目。関西線は、まだ単線区間が残っていますので、途中では「行き違い」があります。受付は8時半からでしたので、蟹江駅に着く前には、すでに歩いている方も多数見えました。
Img_2357c 最初の立ち寄りポイントは、漬け物屋さんの若菜。1㎞足らず。試食や、即Img_2366c 売会がありましたが、写真を撮っただけでパス。若菜さんを出ると、城のような建物が見えてきて、気になっていましたが、ここが2つめの立ち寄りスポットである、蟹江町歴史資料館が入っている産業文化会館。商工会なども入っています。
Img_2378c 蟹江町歴史資料館では、「子供と祭礼・行事」という企画展と、写真にあるような「ユニークな郷土ひなたち」というミニ企画展も開かれていました。ここには、蟹江町出身の探偵小説家である小酒井不木(こさかいふぼく:明治23(1890)年~昭和4(1929)年)に関する資料も展示されているはずでしたが、気づきませんでした。小酒井不木は、愛知一中、旧制三高を経て、東京帝国大学医学部へ入学。生理学・血清学を専攻し、東北大学助教授職を拝命しています。江戸川乱歩と交流を深め、探偵小説やSF小説を書きますが、持病の結核のため、39歳で亡くなっています。
 ちなみに歴史資料館の前には「蟹江町道路元標」ものこっていました。
Img_2387c 歴史資料館の南西には、蟹江城址があります。ここは是非見たかったところですが、ほとんどのウォーキング参加者はこちらに足も向けません。もったいないです。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時任(ときとう)が城塞を築いたのが初めと言われます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。
Img_2401c 次の目的地である銭洗尾張弁財天富吉神社に行くまでに、秋葉神社が2Img_2422c つありました。秋葉神社が多い地域なのでしょうか? この2つの秋葉さんの間には、名称不詳の神社や、地蔵堂もありますし、昔の商店街の後を通ってきました。
Img_2462c こちらが、銭洗尾張弁財天富吉神社。尾張で唯一の銭洗弁財天だそうでImg_2444c す。室町時代、永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。
Img_2447c 勧められるままに、100円玉を取り出して洗ってきました。ここは、昭和Img_2440c 39(1964)年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られました。また蟹江合戦の犠牲者を祀る、「蟹江城主、先祖代々供養塔」があります。
Img_2472c 弁財天で2㎞を過ぎたくらい。このあとは、蟹江町役場の前など、町中を通り、こちらの「まちなか交流センター」へ。通称は、「みちくさの駅楽人:だそうです。8年ほど前に、町民が主体となった活動を町全体の活性化につなげるためという目的で設立されたところです。商工会の抽選スタンプがもらえると思っていたのですが、それは先着順、人数限定で対象外でした。もっと早く来なくてはなりませんでした。
Img_2481c まちなか交流センターの近くにある日吉神社へ寄り道です。江戸時代、天和2(1682)年以前に創建されたと伝えられています。祭神は大山昨命(オオヤマクイノカミ)で、または山王権現とも呼ばれています。この神社は、江戸時代を通して「山王社」であり、明治6年「村社日吉社」と改められました。
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 次のスポットは、ポンレヴェック。カフェを併設したパン屋ですが、ここは普段から大賑わいだそうで、今日は、店内に入れないくらいでしたので、パス。多い日には1日に400本近く焼く、1本100円(外税)のバゲットとそのバゲットを使った明太バゲットが一番人気だそうです。このあたりでちょうど4㎞くらい。
Img_2517c JR関西線の線路沿いに出て、1㎞半ほど、JR関西線の線路沿いを歩いImg_2531c_2 て行きます。踏切を渡って、一路山田酒造へ向かいます。蟹江川にかかる飾橋(かざりばし)を渡ると、山田酒造さんの向上が見えてきます(ホッと一息)。
Img_2536c 近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記」と同様、たいそうな人気です。「日本Img_2541c_2 酒好き」の方が多いのか、試飲につられるのか、定かで。はありません。山田酒造さんでは、無料の試飲の他、大吟醸の試飲もありました。ただし、こちらは¥300でした。写真は、無料の試飲の方です。
Img_2556c 酒蔵では、甘酒の振る舞いもありましたし、他に即売会や、イベントも開Img_2681c 催されていました。自分用の土産と、ご近所さんに差し上げる土産を2つをお買い上げ。合計¥1,550なり。自分用の土産は、右の写真。「酔泉 しぼりたて 生原酒」でした。アルコール度数も19~20%と高く、濃いお酒でした。まったく勝手な好みを書かせていただくならば、三重県の酒の方が、良いなと思います。
Img_2604c 山田酒造さんの南に善敬寺というお寺があったものの、ルートをちょっと外れて歩いていましたので、寄り道はしませんでした。
Img_2623c 最後の立ち寄りスポットは、ここ三明神社でした。きれいに整備され、掃Img_2631c 除も行き届いている神社でした。由緒は定かではないものの、「慶長9辰年(1605年)再修造ス(西暦は、筆者が追加しました)」という文書が残っているそうですから、かなり古くからこのあたりの村で崇敬されていたものなのでしょう。
Img_2651c 三明神社を出ると、ゴールはすぐ間近。1㎞ほど。再びJRImg_2660c 関西線・蟹江駅に戻ってきました。11時53分に到着。いつもと同じ完歩記念のパネルがありました(微笑)。JRさわやかウォーキングは、これで3回目。
Img_2670c ちょうどタイミングよく、12時に四日市行きの電車がありましたので、これに乗って、帰宅の途へ。桑名駅~蟹江駅は、片道¥240。今日もほとんど電車賃だけで遊べました。詳細は、また明日以降書きます。
 なお、近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”のその4(完結編の予定)も明日、記事を載せます。

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2018年3月 3日 (土)

ヒドリガモの諍い、エナガとカラスは巣作り中……住吉入江で翼の欠けたキンクロさん

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 風も弱く、暖かい日になりました。冒頭の写真は、住吉神社の前なのですが、階段を降りて、堤防の下のところまで行って撮ったもの。いつものものとは、ちょっと見え方が違います。今日も、近鉄のハイキングはあるのですが、昨晩は珍しく飲み会をして、かなり飲みましたのでパス(笑)。明日、JRさわやかウォーキングに行こうかと思っています。
Img_7379c 堤防の下に降りたのは、カンムリカイツブリがいたからです。夏羽に変わりつつあるように見えます。もっと寒い頃は、揖斐川にもたくさんカンムリカイツブリがいましたが、このところあまり見なくなっています。
Img_2216c 七里の渡し跡では、ヒドリガモ同士の諍い。2羽のオスがバトルを展開。両Img_7398c 者とも、頭を低くし、尾羽を立ててやり合っていました。何がきっかけになったのか分からないくらいでしたから、きっと些細なことなのでしょう。5ペアいましたが、このあと大半が、堤防に上がって、草を食べていました。毎年、今頃、ここ七里の渡し跡や、蟠龍櫓近くの堤防に上がって草を食べる様子が見られます。
Img_7387c オマケ(苦笑)。ブロ友のひらいさんに、「鳥のお尻の写真で遊べる」と誉めていただいたことがありますが(微笑)、今日は、お尻とは行きませんでしたが、ヒドリガモのオスの後ろ姿。狙って撮ったものではありません。
Img_2224c 九華公園には9時に到着。いつものようにまずは、ゴイサギ・アオサギの確Img_2228c 認。ゴイサギは、やはり5羽。これで安心して、次に進めます(微笑)。アオサギは不在。ただし、最近は、本丸跡南側の松の木にいたり、奥平屋敷跡にいたりします。
Img_2286c こちらは、首長のゴイサギ(笑)。いつもは縮めていますが、こんなに伸びるものなのです。このあと、身繕いに入りました。
Img_2240c カモさんたち、最近メンバーは固定されています。ハシビロガモのオス2羽、メス2羽とキンクロハジロ。今日は55羽。ユリカモメは今日も来ません。
Img_2251c エナガは、ペアリングが済み、巣材を探しては運んでいきます。この2枚Img_2255c は、二の丸跡で撮ったもの。同じ個体です。二の丸跡の松の木や、鎮国守国神社の境内に運んでいくところが見られます。羽毛は、卵を産むところに敷くといいます(こちら)。
Img_2276c カラスも、木の枝を折り取って、咥えて運んでいく様子が見られます。これも巣作りを行っているのでしょう。他にも、カラスが2羽一緒に行動しているところをよく見るようになりましたので、カラスも繁殖の準備に入ったと思われます。
Img_2244c 九華公園ではこのほか、ツグミ、ドバトなど。シメは、ここ数日姿を見ていません。今日は、ジョウビタキも、オス・メスともに見かけませんでした。貝塚公園にも行ったものの、ツグミ2羽、シロハラ1羽を見ただけ。今年の貝塚公園は、鳥がいません。
Img_2304c 暖かくなってきましたので、九華公園の堀では、カメたちがボツボツと出て来て、甲羅干しをしているところを見るようになりました。ミドリガメがほとんどですが、この2匹は、イシガメのように思えます。野球場の南のところでいつも見かけます。
Img_2321c 代わってこちらは、帰り道、三崎見附近くの住吉入江で見たキンクロハジImg_2326c ロのオス。左の写真では分かりませんが、このキンクロさん、左の翼が欠けていました。去年の初夏(たとえば、5月22日:コアジサシ、コチドリ(いずれも抱卵中あり)、ケリそして帰れなくなったキンクロ……5/22遠征その1 河口堰周辺編)、長島の大島水門のところにも翼が欠けたキンクロハジロのオスがいました。こういうことは思っているよりもよくあるのかも知れません。ちなみに大島水門のキンクロさんは、右の翼が欠けていましたので、このキンクロさんではありません。
Img_7444c 寺町商店街の河津桜。どうしても足が向いてしまいます(微笑)。まだ、数Img_7448c 本でしか咲いていませんが、咲き具合が気になるのです。明日は、JRさわやかウォーキングで、蟹江に行こうか、思案中。「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」です。「酔泉」というお酒を造っている山田酒造 を訪ねるのですが、昨日の飲み会で、越乃寒梅をしこたま飲んだばかりで……。まぁ、明日の朝、決めることにしましょう。

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近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その3)……鈴鹿山脈を眺めながら、久保院、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道からいよいよ阿下喜の町へ(まだ続く)

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 近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”、その3です。2回の記事でようやく、2㎞地点にある八幡神社まで見てきました(苦笑)。ここからは、「早春の鈴鹿山脈を眺め」ながら、田園地帯を歩いて行きます。地図にありますように、三岐鉄道北勢線の線路に沿って1㎞半。
Img_1433c 北勢線の電車を撮影したり、八幡神社に寄り道したりしていましたので、他Img_1422c の参加者の方から遅れ、最後尾かと思われました(苦笑)。藤原岳を目標にひたすら歩きます。道沿いの藪からは鳥の鳴き声も。ホオジロのオスのようでした。田んぼには、ツグミやムクドリの姿も見られます。この日、上天気で暖かく、汗を掻いてきましたので、このあたりでダウンジャケットを脱いで、長袖シャツ姿貳なりました(苦笑)。
Img_1434c 員弁川の支流・山田川の手前で北勢線の線路をくぐって右(北東)へ。山田Img_1442c 橋を渡ります。「昭和貳拾五年四月竣工」とありました。この山田橋からわずかな区間は、昔の「員弁街道(濃州街道)」のはず。濃州街道は、桑名市三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流します。ちなみにこの写真に写っている後ろ姿の女性、途中で一緒になったのですが、御年80歳過ぎとのこと! 歩くペースもけっこう速く、最敬礼しました。お元気です。
Img_1445c 山田橋から坂を登って、500mほど行ったところ、昭和電線の南側に次の目Img_1446c_2 的地である、麻績塚古墳と、久保院八十八ヶ所道がありました。いささか息が切れています(苦笑)。広場のようになったところの南へ。
Img_1450c 古墳などへ入るところには、「祈念碑」があります。「陸軍大将桂太郎Img_1452c 書」と刻まれています。桂太郎といえば、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物ですから、この祈念碑、もともとは相当古いものと思われます。
Img_1455c 祈念碑の側にまだ新しい石碑があり、そこに説明が書かImg_1457c れていました。西南の役に秘始まり、日清・日露戦争、満州・日支事変、太平洋戦争の戦没者2,005柱を合祀してあります。員弁郡遺族会が、昭和54(1979)年12月に大修理をするとともに、合祀したとありました。
Img_1460c 碑の南に案内板がありましたので、それにしたがって、鬱蒼とした森の中へと進みます。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。第1番札所鳴門市の霊山寺から88番まであり、石仏だけだったり、石室内におさまっている仏様だったり、色々な表情の仏様に出会えるとあります(こちらにある「ふるさとの紹介」、p.15を参照)。
Img_1504c こちらが和南山久保院。阿弥陀如来像、薬師如来像、弘法大師像があるといいます。真言宗のお寺なのですが、現在は無住となっており、境内はかなり荒れてしまっていて、残念でした。北勢線の魅力を探る会が、2013年4月7日に主催した“第20回北勢線の魅力を探る 「再発見!魅力ある北勢線沿線 楚原駅~阿下喜駅」”の報告書に詳しい説明があります(こちらのpp.6~10を参照)。前の写真に「清少納言ゆかりの」とありますが、それについての説明は見つかりませんでした。
Img_1469c 和波久保之碑。久保は、三重県尋常中学校(現在の三重県立津高等学校)4年在学中の明治29(1896)年7月、夏休みで伊賀に帰省する友人らとともに、荒れ狂う雨の中、徒歩で伊賀に向かっています。一昼夜を要して友人宅に到着。2泊して体を休めた後、友人と二人で高野山を目指して、さらに旅を続けたのですが、帰途、和歌山から津までの船賃がなく、結局徒歩で戻っています。この無理がたたって、体調不良を訴え、9月に息を引き取りました。この「和波久保之碑」は、明治31(1898)年11月2日に建立されています。この碑の背後には、家族の墓3基がありますが、割れて倒れているものもありました。
Img_1491c 明治39(1906)年4月7日、四国八十八ヶ所の土をもらい受けて、新四国Img_1488c 八十八ヶ所霊場を設けています。開眼供養は、真言宗御室派管長で仁和寺35世門跡の泉智等(1849~1928)を招いて執り行われました。しかし、朽ち果てた御堂や、倒れてしまった碑も多くなっています。
Img_1497c 久保院の境内には、麻績塚古墳(オミヅカコフン)と呼ばれる2基の古墳Img_1502v があります。ここ麻生田は、古来、伊勢神宮領として、麻の栽培や紡織が盛んだったそうです。この2つの古墳は、埋葬された人物の名をとって「麻績塚古墳」と呼ばれます。伝承によると、麻績氏の首長墓で、神麻績連が被葬者とされます。1号墳は全長43mの前方後方墳、2号墳は直径16mの円墳です。4世紀中頃のものと考えられています。
180227walkingmapageki2 余談ですが、コースマップの注意事項のところに、「野生の猿が出没する場合があります」と書かれていてビックリ(苦笑)。幸い、猿には遭遇しませんでした。この久保院でほぼ4㎞。このあと、阿下喜の町に入るまでにはさらに4㎞ほどを歩かねばなりません。途中、一度コンビニに立ち寄って、お茶とおにぎりをゲット。
Img_1515c これは、きわめてローカルなネタで恐縮ですが、コンビニからハイキング・コースに戻る途中の小屋に「扇會館」の看板を発見。九華公園の北、現在は柿安の本社ビルになっているところにあった総合結婚式場なのです(といっても小生は、話を聞いただけで実物は知りません)。「鎮国守国大神奉祀」と書かれています。
Img_1555c 途中から、北勢線の線路に沿って歩きます。阿下喜から来た西桑名行きImg_1560c の電車。レトロカラーの200系。一度乗ってみたいと思いつつ、まだその夢は果たせていません。この日のハイキングでなんとかと思ったのですが……。7㎞半ほど歩いたところで、ようやく「阿下喜」の地名表示板。歩いた距離は、帰宅後確認していますので、この時点では、「ずいぶん歩いたな」と思っただけ。
Img_1802c  阿下喜駅の北の交差点で右折(北へ)。ここから阿下喜の町中へ入りまImg_1579c す。「あげきのおひなさん」では、メイン会場のウッドヘッド三重には、800体ものひな人形が飾られた大ひな段があります。それ以外にも、手作り作品や吊し飾りなど、阿下喜の町の商店、民家、寺社など約100軒でもひな人形が飾られていて、自由に見られます。
Img_1574c_2 阿下喜の町では、お雛様も見てきましたし、相願寺、大西神社、イチガミ神社、西念寺なども回って来ました。それは、その4にて。その4で完結予定です。

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2018年3月 2日 (金)

近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その2)……下笠田の八幡神社

180227walkingmapageki1_2 近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”のその2です。「その1」では、スタートして、いきなり楚原神社に寄り道し、その後、ねじり橋・めがね橋で三岐鉄道北勢線のナロートレインを撮影したところまででした。距離にして、1㎞あまりしか進んでいません。電車が来るのを待っていたりしましたので、10時にスタートして、撮影が終わった時点ではもう10時55分でした。

Img_1337c ねじり橋まで引き返して撮影していましたので、コースに戻ります。明智川にかかる宮橋。めがね橋もこの明智川にかかっています。下流で員弁川に合流。ネットで調べても特に情報はなく、いわれのある橋ではないようですが、欄干が斜めになっているのが特徴。昭和38年3月の銘がありました。この向こうに八幡神社がありますから、それに因んだ名前がつけられたのでしょう。
Img_1344c コースマップには載っていますが、立ち寄るポイントではありません。しかImg_1346c し、ここは寄り道するしかありません(微笑)。コースは、左の写真で、鳥居に向かって左の道を行きます。この八幡神社、旧社格は、村社。勧請年月は、不詳。鳥居の脇にある、大きな燈籠には、「昇格記念 昭和九年十月(?)」とありました。もともとは無格社であったようです。後で思い出したのですが、ここは中井精也さんの「てつたび」(三岐鉄道北勢線)で、取り上げられたことがありました(こちら)。
Img_1353c この八幡神社は、鳥居をくぐって境内に入るまでに、三岐鉄道北勢線の踏切を渡らなければならないのです。昨日も書きましたように、北勢線はナローゲージですから、線路幅は762mm。無理をしたら、一またぎできるくらいなのですが、とにかくここを通らないと参拝できません。神社があったところに、後から鉄道を通したためと考えられます。三岐鉄道北勢線は、北勢鉄道として、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが、大正3(1914)年に、また、楚原から阿下喜東(後の六石)間4.6kmは、大正5(1915)年に開業しています。
Img_1356c 踏切を渡って、境内へ。こちらが拝殿。主祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)。その他、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらみちざね)、建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子。武神としての性格をもつ)、大山祇神(おおやまつのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)が祀られています。
Img_1358c 拝殿には、奉納された額がいくつか掲げられていましたが、いずれも文字が薄くなっていて読めません。かろうじてよめたのはこちら。「御大典記念……」「大正四年十一月十日」とありました。大正天皇の御大典記念でしょう。明治42(1909)年の登極令により、即位式と大嘗祭は、前天皇の喪が明けた年の秋冬の間に続けて行われることが決められました。この2つの儀礼をセットにしたのが「御大典」であり、国家的なイベントとして盛大に行われたといいます。
Img_1366c 拝殿の前に並んでいて、遠くからも目を引いたのが、こちらの2つ。左側Img_1362c の球体(調べてみたら、ここに「機雷」であるとありました)には、「通神」「海軍中将和波豊一書」とありました。右側の砲弾型のもの(上記リンク先には、14インチ砲弾とあります)には、「至誠」とあります。おそらく併せて「至誠通神」ということでしょう。「至誠通神」は、「至誠通天」ともいうようで、元は孟子のことばです。東郷平八郎が好んで揮毫したようですし、ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智先生も、自らを成功に導いたことばとしていらっしゃいました。昭和11年9月に奉納されています。ちなみに、こちらによれば、「機雷・砲弾に関する記録はない。球形で触角のない機雷は明治から大正のもの、おそらく両方とも日露戦の記念品ではなかろうか。この辺の素封家が奉納したものだそうで、和波豊一海軍中将(海兵32期)はその家族。和波中将は昭和11年に予備役編入となっているので、現役を退くにあたって記念に寄進したのかもしれない」とありました。建御名方神が祀られていることや、後述のように護国神社が境内社にあることに関連しているのでしょう。
Img_1365c 個人的な興味で恐縮ですが、拝殿前の狛犬の確認。ここは「子取り 玉Img_1360c 取り」ではないタイプでした。
Img_1370c 拝殿に向かって左手(西側)には、護国神社があります。鳥居は東に向Img_1373c かって立っていますが、護国神社の拝殿は、右折した右側にあり、南を向いていました。余談ですが、こちらの狛犬は、「子取り・玉取り」になっています。
Img_1377c 護国神社の境内の西側に鎮魂碑があり、22名の方のお名前が刻まれていました。ほとんどが20代の若者で、日清、日露の戦争の時になくなられた方が4名、他は太平洋戦争の時の戦没者の方でした。
Img_1385c 護国神社の南側には「神武天皇 明治天皇御陵遙拝御柱」というものがImg_1387c 建っていました。これは、初めてみるものです。西の方角に向いています。明治天皇の陵(伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう))は、京都府京都市伏見区の桃山丘陵にあります。また、神武天皇陵は、畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接したところにあります。石柱の右側には、「紀元節 二月十一日 明治節 十一月三日
神武天皇祭 四月三日 明治天皇祭 七月三十日」とあります。
Img_1389c 石柱の左川には、「紀元貳千五百九拾六年」とあります。紀元(皇紀)Img_1395c 2596年は、昭和11(1936)年。日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退した年であり、二・二六事件が起こった年でもあります。いわゆるだんだん「きな臭くなって」行く頃ですから、国威発揚といった意味がある石柱のような気がします。右は、碑陰。「献納 發會記念 昭和十一丙子年十月一丙辰日 下笠田 辰之榮會」と読めます。その下には、12名の方のお名前がありますが、安政5(1858)年生まれで81歳という方がお二人いらっしゃいます。
Img_1397c その他、この八幡神社にはいろいろなものがありました。こちらは、「東宮Img_1398c 殿下御成婚記念水道」と刻まれていました。「大正十三年七月……」となっていました(右の写真)。昭和天皇は、皇太子の時、大正13(1924)年1月26日、久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女子良子(ながこ)女王と結婚していらっしゃいます。碑陰には、「○臺翁和浪不○」とありました(○は、小生には判読不能です。もう少し努力は続けます)。
Img_1405c 境内の南には、伊勢神宮の方向に向かって、「神宮 方位」と刻まれた石Img_1402c 柱が建っています。よくみられる「神宮遙拝所」と同じだと思います。「寄進 修和會」とあります。建立年月日は、未確認(急いで忘れたのです)。右は、境内の南東側にあった「昇格記念」の石柱。はじめの方に書きましたように、もともとは無格社であったようですが、村社に昇格した記念と思われます。昭和9(1934)年10月に建てられています。鳥居のところの燈籠と同じ時です。
Img_1391c その他、新しいものでは、「梅植記念」碑もありました。菅原道真公の「東風吹かばにほひをこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな」が刻まれています。御祭神に菅原道真公が含まれているからでしょう。平成11年11月11日の建立。
Img_1372c ご神木は、「カゴノキ(鹿子の木)」。クスノキ科の樹木で、成長すると、樹Img_1376c 皮が鹿の子模様になるそうです。五国神社の鳥居脇にあります。また、五国神社の境内には、「八天宮浄水」というのもありましたが、水は涸れてしまっていました。「八天宮」は、火産霊神の別名。秋葉さんともいわれます。桑員地方(桑名、員弁を併せてこう呼びます。「そういん」と読みます)では、信仰が多いそうですが、これは、江戸時代・文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだそうです(こちらを参照)。
Img_1419c  本日は、ここまで。宮橋について少し触れただけで、あとは八幡神社で終わってしまいました。しかし、この八幡さんにもいろいろなものがありました。やはり、神社はワンダーランドであります。このあとは、ハイキングのタイトルにありますように、「早春の鈴鹿山脈を眺め」て歩いて行きます。

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枝垂れ梅、河津桜の開花は進むものの、鳥はおらず

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 鎮国守国神社の境内社、九華招魂社の西にある枝垂れ梅、かなり咲いてきました。鎮国守国神社は、松平定綱(鎮国公)、松平定信(守国公、楽翁公)を祀っていますが、その家紋は梅鉢紋。この関係だろうと思いますが、境内には梅の木がたくさんあります。中でも小生が好きなのが、この枝垂れ梅です。
Img_7362c 朝のうちは曇っていましたが、次第に晴れてきました。風はやや冷たいものの、真冬のように寒くはありません。いつものごとく、住吉神社、九華公園、貝塚公園とまわり、その後、内堀公園、新築公園と公園を巡って、寺町と、6.4㎞。8時半から11時過ぎ。昨日同様、鳥も人も少なく、早めに帰宅。
Img_2121c 出てすぐ、住吉入江脇の桜の木にカワラヒワ。きれいな声で鳴いていましたが、さえずりではなく、地鳴き(こちらで確認できます)。住吉入江には、キンクロハジロのオス2羽と、ヒドリガモのオス1羽。
Img_2130c 風が強くて、揖斐川は波立っていて、鳥の姿はありません。七里の渡し跡(川口水門の奥)には、今日もヒドリガモのペアが6組。ここには他に、キンクロハジロやオオバンもいました。三の丸公園でツグミを見て、三の丸水門へ行くと、今日もヒバリの鳴き声が聞かれたものの、姿は見えず。堤防の法面の石垣あたりにいるようでした。
Img_2134c 九華公園では、いつものように鎮国守国神社の社務所裏に、ゴイサギが2Img_2136c 羽。いつぞやのように、5羽同時にいるということは、ここしばらくはありません。アオサギも、いたりいなかったりしています。
Img_2139c 今日は、造園業者さんが入って、剪定作業やら、桜の若木を植える作業Img_2147cやらがあちこちで行われていたこともあって、鳥は少なめ。それでも、二の丸跡では、コゲラ2羽とジョウビタキのメス1羽。他にも、エナガを数羽確認。左の写真のコゲラは、オス(アタマに赤いスポットが見えます)。
Img_2159c 一回りして、再度ゴイサギを見に行ったら、クスノキの奥にもう1羽が登場。計3羽。風が当たって、アタマの羽が乱れています。今日の九華公園では、このほか、ジョウビタキのオス、ハクセキレイなども見ました。カモは、合計62羽(ハシビロガモのオス1羽、メス2羽とキンクロハジロ)。ユリカモメは不在。
Img_7308c 公園内で行われていた桜の若木を植える作業が行われていたと書きまImg_7312c した。桜の若木は、見た限りでは4本。約450本の桜があるとされますが、古木も多く、入れ替えをきちんとしていかないと、「桜の名所」を返上する羽目になったりしないか、心配です。
Img_2188c 貝塚公園は、何度も書きますが、今年は本当に鳥がいません。今日も、ツグミ、シロハラとこのモズだけ。ここの掃除を担当しているシルバー人材センターの方で鳥好きの方が、「今年は何もおらん」とよくいわれます。
Img_2190c 新築公園は、以前はよく立ち寄っていましたが、鳥がたくさん来るところではありませんので、ご無沙汰。ベンチに座って休憩しながら眺めていたら、ヘンな光景に気づきました。それが左の写真。民家の2階のベランダにある物干し竿のところにカラスがいます。格好の休憩場所(?)。空き家になっているのかも知れません。
Img_2201c 住吉入江まで戻って、またもやベンチで休憩していたら、あのハクセキレImg_2192c イ(とは、友達になったハクセキレイさん)が慌ててやって来ました。おやつ代わりに持っていた「かぶら煎餅 」を割ってやったら、ちょっと大きすぎたようで、食べるのに苦労していました(微笑)。
Img_7359c 寺町商店街の河津桜。まだごくごく一部ですが、少しずつ開花が進んで来て、楽しみです。2月はあっという間に過ぎました。昨日も書きましたが、そろそろ4月からの仕事の準備に取りかからなければなりません。と書くだけでなく、実際に動かないといけません。

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2018年3月 1日 (木)

近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その1)……スタートし、楚原神社に寄り道した後、ねじり橋・めがね橋で北勢線のナロートレインを撮影

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 ようやく写真整理を終えましたので、近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”の本編を書くことができます。コースマップでは約9㎞となっていましたが、寄り道をしたり、ウロウロしたりで、実際に歩いたのは、12.4㎞でした。自宅から、三岐鉄道北勢線・西桑名駅往復が、2.7㎞でしたので、合計15.1㎞! さすがに歩きすぎです。
Img_1144c 「近鉄ハイキング」でしたが、今回は、三岐鉄道北勢線・楚原(そはら)駅がスタートでしたので、小生は近鉄に乗る必要がなく、個人的には、「三岐鉄道ハイキング」でした。こちら、三岐鉄道北勢線の桑名駅から乗車です。北勢線は、桑名この西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜(あげき)駅までを結んでいます。日本では数少なくなった軌間762mmのナローゲージの鉄道路線の1つです。もともとは、大正3(1914)年に大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmに北勢鉄道(軽便鉄道)として開業しています。その後、紆余曲折を経て、近鉄の路線となっていたのですが、累積赤字により近鉄が廃止の意向を打ち出し、平成15(2003)年からは、地元自治体の支援により三岐鉄道が運行しています。
Img_1150c 現在は、西桑名~阿下喜間の20.4㎞を運行。この「ナロー電車」が、最高速Img_1186c 度45km/hで、ガタンゴトンと走っています。西桑名~阿下喜の間は、50分弱。のんびりとした旅情を楽しむには最適と思います。電車も小さいのです。右は、車内で撮ったもの。
Img_1151c ハイキングのスタートである楚原駅までは、¥390。ところが、いきなり失敗Img_1168c_2 (苦笑)。西桑名駅には、8時55分頃到着。9時12分の阿下喜行きに乗るつもりが、ホームに止まっていた東員行き(8時59分)に乗ってしまったのです。目的地の楚原は、東員駅から先、2駅目なのです。東員駅には9時24分着。ここで13分ほど時間つぶし。ホームからは、藤原岳も見えます。
Img_1147c いきなりの余談ですが、この北勢線・西桑名駅は、JR・近鉄桑名駅の南Nishikuwana にあります。なのに「西桑名駅」とは、これ如何に? これは、改称当時の所在地からです。西桑名駅は開業当初(大正3(1914)年)、大山田村にあり「大山田駅」を名乗っていました。昭和4(1929)年、大山田村が町制を施行して西桑名町となったため、昭和6(1931)年、町名に合わせ西桑名駅となったのです。
Img_1185c 9時37分の阿下喜行きに乗車。楚原駅には、9時53分に着きました。まImg_1194c_2
ぁ、もともと予定していた時間ですから、何ら差し支えはありません(負け惜しみ)。受付も10時開始ということですし(微笑)。
Img_1197c 平日のハイキングですし、「酒蔵みてある記」ではありませんので、参加Img_1199c_3 者も少なめ。休日の酒蔵みてある記ですと、1,000人以上になることもよくあるようです。コースマップをもらい(ちなみに、ナンバーは66番)、「あみま倶楽部」のスタンプ(これで6個目)も押していただいて、10時にスタート。これまでのハイキングで一緒になった方のお顔も見かけました。
Img_1201c 楚原駅から50mほどのところで、いきなり寄り道(笑)。コースマップには描かれているものの、立ち寄りスポットではありません。楚原神社です。天文7(1583)年、八幡社(品陀和気命)を勧請し、氏神として尊崇されていました。しかし、永禄12(1569)年、兵火にかかり神殿を焼失し廃退しますが、のちに復興。明治40(1907)年、村内の小祠と御薗にあった御薗神社を合祀して楚原神社と改称しています。
Img_1202c 主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。品陀和気命は、応神天Img_1204c 皇(5世紀前半、第15代の天皇)。この時期に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展したといいます。相殿神は、天照大御神須佐之男命(すさのおのみこと)、大山祇神(おおやまつのかみ、いわゆる山の神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子)、火産霊神(ほむすびのかみ、迦具土神(カグツチノカミ)ともいい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと、五穀,食物をつかさどる)、大国主命(おおくにのぬしのみこと:素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、または6世の孫とされ、出雲大社の祭神)。明治の一村一社政策で合祀されていますので、これだけの御祭神がいらっしゃるのでしょう。
Img_1210c 明治40(1907)年に合祀された神社は、左の写真の通りの7社。御園神社、秋葉社、金刀比羅社、火産霊社、稲荷神社、山神社、神明社です。それにしても、明治の一村一社政策、小生には、かなり乱暴なことをしたように思えます。
Img_1211c ここの境内にも忠魂碑が建てられていました。員弁町楚原区が昭和32年4月に建てた楚原地区全戦没者の慰霊碑です(こちら)。23名の方が祀られていました。
Img_1218c 楚原神社をあとに、コースに戻ります。200mあまり行ったImg_1224c ところに「延命地蔵尊」が祀られています。由来などは不明。さらに進むと、こんなカーブミラーがありました。別の用途に使われていたものをうまく再利用した感じです。
Img_1229c いなべ市員弁町の上笠田と笠田新田の間を進んでいくと、いなべ市立員弁(いなべ)西小学校のところへ出ます。向こうには、藤原岳がよく見えます。この日のハイキングコースでは、ずっとこの藤原岳を見ながら歩いた感じでした。
Img_1233c 員弁西小学校の西側の交差点には、この日の最初の立ち寄りスポットでImg_1240c ある、ねじり橋・めがね橋の案内板が立っていました。細い路地を下って行かねばなりませんので、この案内板がなければ、見逃すかも知れません。さらにその先にも、案内板があり、助かりました。
Img_1250c 江戸時代に作られた「六把野井水」に沿って進むと、この「ねじり橋」があImg_1255c ります。「六把野井水」にかけられた橋で、橋と用水が斜めに交差するため、アーチ橋下部のブロックは、ひねりを入れて積まれているのです。この構造は「ねじりまんぽ」といい、現存するコンクリートブロック製の橋では唯一といわれる大変貴重な橋だそうです。ちなみに、このねじり橋と、次に見るめがね橋は、土木学会選奨土木遺産です。
Img_1271c ねじり橋の真西、230mのところには、めがね橋があります。案内図は、こちら。「眼鏡橋」と呼ばれる橋は、全国に数多く存在しますが、このめがね橋は、コンクリートブロックでできているという点で、大変珍しいものです。三連式の美しいアーチで、北勢線の代表的な撮影スポットです。「撮影スポット」ということで、若干迷ったものの、両方の橋を電車が通過するところを撮影することにしました。ねじり橋に到着したのが、10時20分。持参した時刻表を見ると、上り・西桑名行きは、1つ西の麻生田駅を10時43分に、また、下り・阿下喜行きは、楚原駅を10時51分にそれぞれ発車します。ということは、上り・下りが連続して通るということです(微笑)。これはもう待つしかありません。ということで、同じことをお考えになっていた、津市からの男性と話しながら、30分弱時間をつぶすことにしました。
Img_1288c まずは、上り・西桑名行きが、めがね橋を通過していくところ。10時48分の撮影です。どこから撮影したらよいか、十分には検討できませんでしたが、それなりに撮れたと、自己満足(笑)。菜の花の季節とかでしたらもっとよかったのに(今月の富士通の壁紙カレンダーが、ちょうど、このめがね橋を北勢線の電車が通過するシーンなのですが、それには菜の花が映っているのです)。
Img_1314c そして、その5分後、下り・阿下喜行きがねじり橋を通るところを撮影できました。こちらも、撮影ポイントの選択が難しく、鉄道写真を趣味にしている方がご覧になると、「何じゃ、これ!?」といわれそうです。まぁ、これも自分としては不満はあるものの、初めてにしては上出来と勝手に思っております(苦笑)。
Img_1337c このあと、宮橋を渡って、八幡神社へと向かいます。八幡神社は、立ち寄りスポットではありませんでしたが、これまた見逃す手はないと思って、寄り道してきました。これ、大正解でした。まさにワンダーランド中のワンダーランドというべき神社でした。その2に続きます。今日のところは、スタートして、まだ1.4㎞ほど。先は長い(爆)。

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晴れたものの強風で鳥も、散歩友達も少なし……多度山に虹、ウグイスの証拠写真も

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 早くも弥生、3月になってしまいました。ついこの間、新年を迎えたばかりなのに、まさに「光陰矢のごとし」です。年をとるほど、時間が過ぎるのが加速度的に早くなると思えてなりません。冒頭の写真は、散歩に出てすぐ気づいた虹。多度山の方角に出ていました。
Img_1943c 2~3年前から恒例となっていますが、早い、遅いは別にして3月に入ると、七里の渡し跡から三の丸水門あたりにヒドリガモが集まるようになっています。今日は、七里の渡し跡に6ペアのヒドリガモがいたほか、揖斐川にもヒドリガモの群れが飛んできていました。北帰行が始まるのかも知れません。この間北ばかりのような気もして、ちょっと寂しい感じがします。
Img_1956c 朝方で雨は上がったものの、その後は強風。午前中は、10m/sほどの風が吹いていたようです。九華公園のゴイサギは、1羽のみ。それも葉っぱの間に隠れるようにしていました。
Img_1959c アオサギは、鎮国守国神社の社務所裏のクスノキに来ていました色が薄Img_1960c く、最近見ていない個体のようです。このアオサギさん、強風に煽られてバランスを崩していました(右の写真)。失礼ながら笑ってしまいました。ちょっと視線を外した隙にいなくなっており、狐につままれた感じ。
Img_1964c カモたちは、合計51羽。ハシビロガモのオス2羽、メス1羽、ホシハジロのオImg_1975c ス1羽とキンクロさんたち。西側、三之丸町内よりの堀と、二の丸堀の西に集合。たぶん風を避けられるところにいたのだと思います。ユリカモメは、1羽のみを確認。
Img_1979c こんな強風の日は、散歩する人も、鳥も少なくなっています。それでも、シImg_1985c ロハラ1羽やエナガたちを見かけました。エナガは、群れではなく、本丸跡や、鎮国さんの境内などにバラバラにいます。先日、巣材を運んでいるところを見ましたから、ペアリングして繁殖の準備かと思います。
Img_2006c 本丸跡では、ウグイスを見かけました。松の木や、ツツジの植え込みの中を移動しています。まだまだ「ホーホケキョ」という鳴き声は聞かれませんが、今年は期待できそうです。
Img_1972c 風は強かったものの、気温は15℃を超え、カメが5匹出て来て、甲羅干しImg_1994c をしていました。あの「甲羅干しスロープ」と、北側の堀の石の上。渡り鳥たちが減るにつれ、カメたちの姿が増えるという、毎年繰り返される光景です。
Img_7237c 九華公園の堀は、ハイキングや四日市に行っている間に、また水が入って、いつも通りの水量になっていました。そのためか、今日は、カワウの姿が目立っていました。
Img_2069c 寺町商店街の河津桜。いつものように、咲いているところを撮っていますから、開花が進んだように見えるかも知れませんが、まだほんのごく一部です。しかし、3月に入りましたから、これから開花もいっそう進むものと思います。
Img_2085c 三崎見附近くの住吉入江では、こちらを見ました。一瞬、珍しいオオホシハジロかと喜びかけたのですが、嘴全体が黒くはありませんので、普通のホシハジロのオスと思われます。残念。
Img_7208c こちらは、桑名七里の渡し公園。釣り具屋さんが立ち退いた跡を整備する工事が始まります。7月末には完成予定。植栽がされるほか、せせらぎも延長されるようです。楽しみです。
 本日の散歩は、8時半から2時間半。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から寺町と回って、6㎞。3月に入りましたので、来月からの非常勤の講義の準備もしなくてはなりません。毎年同じではいけませんので、去年の感想や質問を参考に、少しはバージョンアップをと思っています。それと、3月11日には、いつものように、支援員講座でお話をします。こちらは、すでにレジメをお送りしてあります。遊んでばかりではいられません。

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