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2018年3月20日 (火)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ

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 その1がずいぶん長くなりました。子安観音寺、スタートの鼓ヶ浦駅からは200mあまりしか進んでいません(苦笑)。この先どうなるやら、我ながら思いやられます。くだらない与太話は避けたいと思ってはおりますが……。
Img_4256c 子安観音寺の次は、いきなり寄り道をしました。子安観音寺の南隣に比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています。大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。
  • 大屋津姫命 (オオヤツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 抓津姫命 (ツマツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 少彦名命 (スクナビコノナノミコト)……山や丘の造物者であり、命名神
  • 天照大神 (アマテラスオオミカミ)
  • 伊弉冉尊 (イザナミノミコト)……伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった
  • 誉田別尊(ホンダワケノミコト)……応神天皇
  • 天児屋命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 速玉男命 (ハヤタマノオカミ)……絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神
  • 事解男命(コトサカノオノミコト)……伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神
Img_4252c 創立年代は不明ですが、延喜式神名帳(延喜5(905)年から編纂された)に載った式内社ですから、その頃にはあったと思われます。江戸時代は、観音寺の境内(南側)に木館神明社(木立神明社)、神明社(3社)、熊野権現、天満宮、富士権現として祀られていたといい、木館神明社が比佐豆知神社となったのは明治になってからです(神社でいただいた説明文書による)。明治40(1907)年に比佐豆知神社、神明社(3社)、熊野権現(熊野神社)の3社が合祀され、比佐豆知神社となっています。上記のように多くの神様が祀られているのは、この明治の一村一社政策によるわけです。なお、左の社名標は、明治12(1879)年9月に建てたとあります。
Img_4264c 拝殿の北側には、もう一つのお社がありました。こちらは、二柱神社(にはしらじんじゃ)。一村一社政策のとき、4社の山神社と、八雲神社(牛頭天王社)が合祀されたものです。
 ちなみに「比佐豆知」はすなわち「久土」であり、皆親しむという意味があるといいます。土に親しむ心を持って生物増産する意味を含めて「久土」と名づけ、これと同じ意味を持つ「比佐豆知」の文字を当てたと、昭和初期の神社誌にあるといいます。さらに余談。「比佐豆知」と呼ばれる神社は、ここの他に津市鳥居町には、同名の比佐豆知神社が、また、津市安濃町の京ヶ峰登山口近くに比佐豆知菅原神社があるそうです。
Img_4266c 二柱神社の脇には、もう一つ社というか、祠というかがあります。こちらImg_4269c は、庚申塚でした。「庚申」と刻まれた石に注連縄が張られていました。写真は割愛しますが、狛犬は、子取り・玉取りではないタイプでした。
Img_4261c このほか境内にあったのは、この国旗掲揚塔の台座(といってよいのか?)。「出征軍人家族中」とあり、昭和12(1937)年12月に建てられていました。この年には盧溝橋事件などが起こり、日中戦争が始まっています。 
 
Img_4283c 次も寄り道。子安観音寺の南東すぐにある西方寺です。真宗高田派。境Img_4288c 内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。
Img_4290c この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。
Img_4293c 西方寺を出て、旧・伊勢街道へ出る途中に「昭和湯」というお風呂屋さんImg_4297c_2 の建物を発見。リンク先には、2002年12月に利用したという記録がありました(何事についても、調べている方があるものです)。今は廃業したように見えました(こちら)。昭和湯からすぐ(50m)でようやく旧・伊勢街道に出ました。とはいえ、スタートからは、寄り道分を除いて400mほど(苦笑)。南西に向かいます。
Img_4300c 堀切川排水機場への途中、たばこ屋さん(南部商店)の脇に「楳荘(ばいそう)翁Img_4298c 碑」。儒者・別府梅荘(文政10(1827)~明治28(1895)年)。河芸郡上野村に生まれ、寺家(このあたり)に住んだといいます。絵をよくし、生け花、煎茶にも優れたといいます。明治29(1896)年12月建立。富岡鉄斎の撰並びに書。
Img_4309c 堀切川排水機場の前に石碑と道標があります。石碑は、鼓ヶ浦海水浴Img_4313c 場のところにも同じものがありましたが、「鼓ヶ浦」と刻まれています。道標には、「右 いせみち ひたり ○みち(○は、小生には判読不明でした)」とあります。ここは、逢来橋の北のたもと。伊勢街道を行くには橋を渡って右折します。左は今日のハイキングコース。鼓ヶ浦海岸に出るはず。
Img_4327c 逢来橋からしばらくは堀切川の右岸堤防を歩きます。川には、ヒドリガモ、カルガモ、ユリカモメの姿も見えましたが、持参したデジイチには18~55mmのレンズをつけており、野鳥撮影は断念。川に入って貝を捕っているらしい人もいました。
Img_4332c 鼓ヶ浦海岸に出ました。左の写真は南の方を見たもの。松林のすぐ左にImg_4339c は、津市の南部が見えます。その先は、松阪から伊勢の方です。右は正面(東)。こちらは知多半島が見えます。名古屋港などに入港する大型の船の姿もあります。
Img_4349c 無理矢理トリミングしたり、コンデジ画像を用いたりしていますので、きれDscn6375c いではありませんが、このあたりセグロカモメかと思われるカモメがたくさんいました。
 
Img_4361c 堤防道路を350mほど行くと、鼓ヶ浦海水浴場があります。大正9(1920)Img_4365c 年開設。白砂の浜に美しい松、遠浅の海。夏の海水浴シーズンにはたくさんの人でにぎわうそうです。昭和62(1987)年には、「日本松の緑を守る会」により、「白砂青松100選」に選定されました。今でも海水浴客は多いようです。この日は、近くの鼓ヶ浦中学校の生徒さんたちが何かの活動をしていました。
Img_4363c 更衣室から海岸に降りたところにあったのは、服部憺風(たんぷう)(慶応3(1867)~昭和39(196)年)の漢詩碑。憺風は、愛知県弥富の生まれで、漢詩や書で有名。昭和28(1953)年に日本芸術院賞を受賞。桑名付近に門下で漢詩に長ずる人が多く出たといいます。こちらに石碑に刻まれた漢詩の詳しい内容とその説明があります。鼓ヶ浦をたたえる詩でした。この写真の右下に「招仙松」という石柱が見えます。「招仙松」はここにある(あった?)松のようで、憺風が命名しています。
Img_4178c これは、その1に載せた、鼓ヶ浦駅前の観光案内板。「招仙松」も描かれImg_4357c ていました。しっかり意識していませんでしたので、現地でも確認しなかったのですが、たぶん右の写真に写っている、半ば切られた松がそうではないかという気がします(ネット検索では調べきれませんでした)。
Dscn6378c 海水浴場を出て、再び堀切川を鼓橋で渡り、鈴鹿市伝統産業会館へ向Dscn6385c かいます。橋の上から、アオサギや、マガモ、ヒドリガモ、コサギの姿が見え、ちょっとバードウォッチング気分(微笑)。
Img_4383c こちらが、鈴鹿市伝統産業会館。ここまでで約1時間、実際に歩いたのImg_4378c は、2.7kmほど。鈴鹿市の伝統工芸は鈴鹿墨と伊勢型紙で、ここにもこれらが展示されています。ギャラリーやショップもありますし、型紙教室なども開催されています。
Img_4381c 鈴鹿墨の発祥は、延暦年間(782~806年)ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。しかし、現在も墨を作り続けているのは進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1,000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。
 本日は、ここまで。このあと少し歩いて、また伊勢街道に戻ります。

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コメント

チーママさん、おはようございます。

私はチーママさんのように何かを作るということができませんので、あちこち歩いて見て回っているという次第です。
長年散歩しているお陰で、歩くことは苦痛ではありません。

ちなみに、近鉄の「あみま倶楽部」に入っているのですが、この「あみま」は、「あるく・みる・まなぶ」の略で、これが気に入っています。

伊勢型紙は、昔の職場で患者さんの余暇活動に取り入れ、自分でもやってみたのですが、根気がいるものでした(微笑)。
チーママさんなら大丈夫と思います。

神様は、実にたくさんいらっしゃいます。
何度も調べているうちに、少しはわかってきましたが、さすがに八百万の神というだけあります。
ブログの記事では、煩雑ですし、十分には分かっていませんので区別していませんが、古事記と日本書紀とでは同じ神様でも呼び名が異なったりしています。

単なる(というと罰が当たりそうですが)石が神様になっていたりして、奥が深いです。

投稿: mamekichi | 2018年3月21日 (水) 10時12分

こころんさん、おはようございます。

子安観音ならびに不断桜、前から一度見たいと思っていました。
しかし、自分で行くとなるとなかなか重い腰が上がりません。
こういう近鉄やJRの企画は、そういう意味でありがたいものです(微笑)。
歴史のある、立派なお寺でした。
仁王門の仁王様の写真はあまりよく撮れませんでしたので、載せませんでしたが、由緒あるものでした。

子安観音寺は真言宗ですが、この宗派は密教ですので、それもあって唱えることばが独特なのではないかと思います。

三重塔は、平成10(1998)年にできたものです。
津観音も行ってみたいところで、この冬にハイキングがあったのですが、予定がうまく合いませんでした。
おっしゃるように県内では、こういう塔はあまり見ない気がします。

伊勢型紙、蟠龍櫓にも展示してあります。
あれは確か趣味の会の方のものだったように思います。
私も、鈴鹿で働いていた頃、患者さんの余暇活動として取り入れ、自分もやってみた記憶があります。
とても根気がいるもので、私にはなかなかです(苦笑)。

おっしゃるように不断桜の虫食いになった葉っぱを見て思いついたというエピソードが伝わっているようですね。
次のところにいろいろな説が載っています:
http://isekatagami.or.jp/?page_id=18

投稿: mamekichi | 2018年3月21日 (水) 09時56分

ふわぁ~ 本当に良く歩かれましたね。引きこもり婆は、少しは見習わなくてはいけません(^^;;
伊勢型紙 いいですね~  一度はやってみたくて、知人から型紙の和紙を譲っていただいたのですが、いつになる事やら(笑)
さすがに八百万の神というだけあって、本当に日本の神様は多くて、また立派なお名前で、舌を噛みそうです。 それだけ、日本人は自然に根ざした民族なんだなぁと、実感します。

投稿: チーママ | 2018年3月21日 (水) 08時59分

おはようございます
子安観音は行ったことありませんが、
桜を調べてると不断桜をよく見聞きします。
立派な仁王門ですね。
お寺は神社と違ってお題目や真言があってお寺によって
何を唱えたらいいのかわからない部分があって
ほとんど足が向いてません。本統寺ぐらいで^^;
津観音には五重塔があるようでこちらは三重塔なんですね。
県内にはこのような塔は目につきませんよね。
伊勢型紙は以前、蕃龍櫓の二階で見ましたが繊細でした。
子安観音の和尚さんが虫食いの葉を見て思いついた伝えもあるようで
それが鈴鹿で型紙として作られてきたのはすごいですね。

投稿: こころん | 2018年3月21日 (水) 08時23分

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