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2018年2月21日 (水)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その3)……椿岸神社の続き、智積養水そして西勝寺

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 近鉄ハイキング・酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」のその3です。椿岸神社には、いろいろ見所がたくさんありますので、今日もその続きです。昨日のその2では、御祭神、猿田彦社、神宮遙拝所、椿岸稲荷神社、皇居遙拝所を見てきました。
Img_9560c 拝殿に向かって左手(西側)にもお社があります。忠魂殿となっていました。

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詳細についての説明書きなどはありませんでしたが、三重県遺族会のホームページによれば、「桜地区出身159柱の戦没者を祀る」とあります。
Img_9565c 忠魂殿の南には、地蔵堂。延命地蔵尊が祀られています。延命地蔵は、延Img_9568c 命・利生(りしょう)を誓願する地蔵尊で、新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすといいます。ちなみに、「利生」は、「利益(りやく)衆生」の意味の仏語で、仏が衆生に利益を与えることだそうです。
Img_9617c そして、小生にとっては「新発見」が、この地蔵堂の陰(南西)にひっそりと建Img_9619c っていました。「橿原神宮遙拝所」です。当然、橿原神宮をはるかに拝むところなのですが、小生にとっては初めて見たものです。碑陰に回ってみると、「紀元二千六百年記念」と刻まれていました。建てられたのは、昭和十五年四月とあり、氏子総代として12名の方の名前が連記してありました。昨日の記事では、書き忘れましたが、「紀元二千六百年」は、昭和15(1940)年です。この年は、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年ということです。地蔵堂の奥、木々に囲まれ、今では、訪ねる人もないのではないかと思えました。
 ちなみに、Googleで検索すると、他にも「橿原神宮遙拝所」はいくつもあるようでした。
Img_9547c 椿岸神社、まだ他にもいろいろなものがありました。まずは、こちらの「おImg_9549c 百度石」。「崇敬百度石」となっています。百度石は、百度参りをする際の標識として設けられている石のこと。百度参りは、社寺で、一定の距離を100回往復して、そのたびに礼拝・祈願を繰り返すことです。向かって右側には、「神徳発揚 天禄永唱 災悪厄除 福栄興産」と刻まれています。左側には、「八方開運 家業隆盛 交通安全 願望成就」の他、「昭和五十八年 吉日」とありました。昭和58(1983)年に建てた割には、「神徳発揚」のように、古めかしいことばや、「天禄詠唱」など、聞き慣れないことばがあります。「天禄永唱」は、普通の辞書には載っていないようですが(こちら)、「天から恵が限りなく降り注いでいる」という意味のようです。
Img_9598c 境内の東には、句碑が一基。「神苑の 照る日くもる日 さへ……祭」(……Img_9600c は、小生には読めませんでした。「祭」もアヤシいのです)。碑陰には、「昭和六十一年春 桜たのし句会」とあります。
Img_9604c_2 手水舎の背後には、鬼瓦などの他、石の輪に花が供えられているところもあります(写真、向かって左下)。これはもうお手上げ。小生ごときの知識では、太刀打ちできません。ご存じの方がいらっしゃれば、是非ともご教示をお願いしたいと思います。
Img_9608c もう一つは、土俵。相撲は神事といわれますから、土俵があっても不思議はありません。「神聖な土俵なので 上がらないでください」とありました。
Img_9614c これは、よく見られる「掟」を示した触書。小生の目を引いたのは、下にある石製の台座。「奉納 明治百年記念」とあります。今年が明治維新から150年ですから、ちょうど50年前(昭和43(1968)年)のものということです。
Img_9613c 最後になってしまいましたが、椿岸神社の由緒書き。ここには、御祭神は、天之宇受女命、猿田彦大神、天照大御神となっています。もとは、椿尾という奥地にあったものが、享禄2(1529)年兵火によって灰燼に帰したものの、戦乱の世の中で、30余年を経た永禄3(1560)年、奥七郷の氏子が新たに天照大神、八幡大神を勧請して、智積御所垣内の地に再建したとあります。ちなみに、七郷とは、智積、佐倉、桜一色、森、赤水、海老原、平尾であり、これらが一御厨をなしていました。明治になり、明治43(1910)年一村一社の方針に基づいて、旧桜村内の神社をすべてここに合祀したとあります(このあたり、その2にも若干記しました)。
Img_9628c 智積養水を見ていないなと思って、神社を後にし、コースをたどって西側Img_9629c に行くと、水路がありました。ここが、智積養水でした。次の目的地である、西勝寺の前にもこの智積養水が流れています。
Img_9631c 西勝寺の向かいに休憩所があり、そこに智積養水の案内図・説明板があります。智積養水は、江戸時代に敷設された灌漑施設で、隣町の三重郡菰野町神森にある湧水池「蟹池」の水を引いています。智積養水路の全長は1,784m、幅は1~2mあります。 ここに桜郷土史研究会による詳しい説明があります。
Img_9634c 智積養水は、昭和60(1985)年に環境省選定の「名水百選」に選ばれています。智積養水のお蔭で、稲作収穫量は安定しているといいます。昭和30年代(1955~64年)までは、住民の方は、この水を生活に用い、その恩恵をたくさん受けてたそうです。そのためいつからともなく、水田を潤し人々を養う恵みの水に対して「養水」の文字を当てて感謝の気持ちを込め、水路清掃も怠りなく、世代から世代へと大切に守り受け継いできたものです。高度経済成長にともない、生活様式が多様化するにつれ、智積養水も生活排水による汚染が広がった時期もあったのですが、自治会が昭和47(19729年、養水の美化を始め、コイの放流や、水路清掃を続けたお陰でかつての清流がよみがえり、「名水百選」に選ばれたのです。
 余談ですが、椿岸神社を出るとき、11時を過ぎていました。まだ雨も続き、先を急いでしまったので、近くにある智積公会所脇にある「延福寺跡」を見忘れました。けっこうよくこういう失敗をやらかします。が、なかなか反省が身につきません(苦笑)。
Img_9636c 桜岡山西勝寺(浄土真宗本願寺派)。山門の前を智積養水が流れてい

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て、なかなかよい雰囲気です。寺の創建を調べると、いくつかのデータが出て来ます。こちらのサイトでは、「寛正2(1461)年の創建と伝 えられる」としていますが、桜郷土史研究会のサイトを読むと、「1504(永正1)年、教尊法師、智積に一宇造立。(桜岡山西勝寺)」とあります。建物は、安政の大地震で倒壊後、再建され現在に至っているといいます。
Img_9642c 雨もようやく小降りになってきたのですが、伊藤酒造がすぐ近いこともあってか、椿岸神社よりも立ち寄る人は少ない有様。本堂も立派で、境内も広く、ゆったりしたお寺なのに、ちょっともったいない。
Img_9644c ここの境内には、「引石(ひきいし)」があります。桜地区の中央部には、Hikiisi 「矢合川」が流れています。江戸時代、智積村では「生水川(しょうずがわ)」と呼ばれていました。ここには、石橋が架かっていたのですが、欄干がなく、増水時には渡るのがかなり危険だったそうです。そこで、寛政7(1795)年、この「生水橋(しょうずばし)」の両岸に、石柱が一本ずつ建てられ、この石柱を当時の人々は「引石」と呼んだのです。この「引石」には、右図(桜郷土史研究会のサイトからお借りしました)のように普段から1本の綱が張ってあり、梅雨などで川が増水すると、橋の上を水が流れて通行上非常に危ないので、通行人がその綱を手摺りとして橋を渡れるようにしたといいます。
Img_9646c 引石は、2本が残っていますが、1本は完全な状態、もう1本は短くなっているように思えますImg_9648c 。向かって右の引石は、南岸にあったものといい、「高水の時なわ引石」とあります。裏には「南無阿弥陀仏」と彫ってあり、その縁でここ西勝寺に引き取られたそうです。当時の生水川は、深さ90cmと非常に浅い川で、増水するとすぐに橋も洗われるような状況だったようです。綱を握り、「南無阿弥陀仏」と唱えながら橋を渡ったと伝わっているそうです。短い方は、「北岸の引石」で民家で保存されていたものを平成25(2013)年、ここに移設しています。
Img_9653c 引石が建てられていたのは、四日市往還(東海道四日市宿から、智積村の生水橋を渡り佐倉村を通って、菰野藩城下を往来する道)にかかる生水橋で、人の往来も盛んだった、重要な橋だったようです。生水橋は、現在の矢合橋(コース途中で、矢合川を渡った橋)と花本橋の中間にありました。ちなみに、大正10(1921)年、国鉄四日市~湯の山間のバス運行(菰野自動車)開始に先立って、橋が架け替えられ、このとき、引石も無用となり、取り払われています。
 長くなりましたので、今日はここまで。その4でいよいよ最終目的地である、伊藤酒造のお話を。

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