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2018年1月13日 (土)

近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」

180111haikingedobashic  “近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ”のその3です。昨日の最後は、高田本山専修寺で御非時をいただいたところまで進みました。専修寺には、1時間ほど滞在しました。山門を出て、左手へ。指定されたコースに戻ります。

Img_2054c 専修寺の敷地の南東のあたりに、遊具が見えます。不思議に思いながら、Img_2056c 歩いて行くと、山門に「高田幼稚園」という表札がかかっていて、思わず目を見開いてしまいました。高田幼稚園があるのは知っていたものの、こんな入り口だったとはと感心。昭和3(1928)年12月に認可された、由緒ある幼稚園。「さすが立派な門だ」と思ってもう少し歩いたら、右の写真。今は、こちらが正式な入り口なのでしょう。
Img_2063c 右上の写真で、奥に櫓のようなものが見えています。これは、専修寺の「Img_2068c 鼓門」。国指定重要文化財です。境内の東入口となっています(右は、この太鼓門を入って、境内を見た写真。もっとも奥に移っているのが、御影堂)。名前の通り、平屋建ての長屋門の上に三層の櫓をのせ、その最上階に大太鼓を吊っています。明治5(1872)年の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、ここの太鼓が町の人々に時刻を知らせていたといいます。
Img_2064c 太鼓門の説明板。つり下げられている大太鼓は、直径1mほど。専修寺に法要があるとき、これを打ち鳴らして、進行役を務めたとあります。当日買われた太鼓は、皮が破れて現在は使われていないものの、胴には享保14(1728)年につくったとの銘があったそうです。
Img_2072c 太鼓門を見るのに、ちょっとだけ寄り道しました。コースに戻ると、「一身田寺内町の館」があります。「寺内町」とは、15世紀の終わり頃から16世紀の中頃にかけて、浄土真宗の寺院を中心としてつくられた自治都市のことです。その多くはここ一身田と同じく、周囲に濠などがめぐらされています。一身田寺内町の館は、この一身田寺内町の歴史や文化、魅力を発信するための施設です。月曜休館で、開館は9時半~16時。個人的には、この建物の前にあった、松の古木が気になったのですが、説明はなかったように思います。
Img_2074c 寺内町の館を出た向かいに、「矢来跡」と表示された板塀がありました。Img_2075c「矢来」は、竹や丸太で造った仮囲いですが、宝暦の頃の版画や、「五街道分間延絵図」には、このあたりの3カ所に矢来が描かれているといいます。ここの他、桜門前、一御田神社前です。「釘貫門」と同じ目的でつくられたもので、専修寺という聖域と、俗界の境目を示していると考えられるそうです(釘貫門については、リンク先に説明があります)。
Img_2079c 一身田寺内町の館からすぐ東の交差点から北を見たら、神社が見えましImg_2089c た。事前リサーチで名前は見ていたものの、しっかりとは調べなかったのですが、一御田神社(いちみたじんじゃ)でした。御祭神は、高皇産靈神(タミミムスビノカミ)、神皇産靈神(カムミムスビノカミ)、大日霎貴神(オオヒルメムチノカミ)。高皇産靈神と神皇産靈神はいずれも、天地のはじめに高天原にあらわれた造化三神の一神といいます。大日霎貴神は、天照大神の別称ですから、相当古い神社のように思えます。
Img_2082c 「一身田」という地名は、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあったImg_2081c 貴族に対して特別にその身一代に限って与えられた田からきたとも、律令制度の「三世一身の法」で与えられた田からきたとも言われています。一身田に人が集落を形成し出したのは、寺内町が生まれる前のことと考えられています。それを示す最古の資料として、この一御田神社の棟札に嘉吉3(1443)年という記録が残されているそうで、そのころは農村集落であったと考えられています(こちら)。
Img_2083c 境内にあった「一御田神社神宝類27点」という説明板。以下のものが記されていました:室町時代(1336~ 1573年)の能面一面、室町時代の簓(ささら)2組(簓は、竹をこすり合わせて音を出す楽器の一種)、室町時代の田植歌1枚(檜の横板に「大梵天天皇御田歌」と墨書され、現在も御田植神事の際に浸食がこの歌詞を読み上げるとあります)、棟札22枚(すべて檜材、嘉吉元(1411)年から寛政12(1800)年迄の銘があり、専修寺が一身田に移る前の様子が伝わる)、扁額1枚(明治4(1871)年に社名を梵天宮から一御田神社に変えたことが記されている)。
Img_2092c 小生が訪ねたとき、由緒書などは見当たらなかったのですが、こちらのサイトでは、原始時代に農業集落であたころからの鎮守であったことが書かれています。思いつきですが、「一御田」、「一身田」ともに、読みようによっては、「いちみた」になります。何か関連性があるのでしょうか?
Img_2106c ハイキングのコースに戻り、30mほどで、再び環濠があります。ここは、栄Img_2105c 橋。一身田寺内町もここまで。あれこれ調べてみますと、ここ寺内町や、その近くには、見所がまだたくさんあります。一身田寺内町の館の「撮影スポット」には、16カ所ありますし、専修寺山門脇には、明治天皇一身田行在所跡の石碑もあったようですが、見逃していました。
Img_2115c 次の立ち寄りポイントは、下津醤油。栄橋から400m弱。Img_2116c 直売所があり、具だくさん豚汁(¥300)、甘酒(\200)などを販売するという案内があったのですが、ちょうど昼休み(12時50分に到着)で、どなたもいませんでした。最近、利兵衛団子というみたらし団子を売り出したそうです。
Img_2118c ユーモラスな顔出し看板もありましたが、御非時をいただいたお陰で、おImg_2121c 腹も満ちており、覗いてみただけで、ほとんど通過してきました。伊勢鉄道東一身田駅の南で、伊勢鉄道の高架をくぐり、ここからしばらくは田園地帯を歩きます。
Img_2135c 伊勢鉄道の高架沿いを旧・伊勢別街道まで進みます。途中、右(西)にImg_2124c は、一身田中学校が、また、左(東)に遠く、三重大学病院が見えます。午前中よりも風は和らいできて助かります。
Img_2146c しばらくすると、一身田中野というところに至ります。ここらあたりは、少しImg_2147c なじみがあります。というのも、一昨年から非常勤に来ている短大があるところなのです。今年もまた、4月から7月にかけて、講義に週1回通うことになっています。
Img_2155c 近鉄名古屋線の踏切の手前で、いったん分かれていた伊勢別街道に入Img_2161c ります。踏切を越えると、本日最後の立ち寄りポイントへ。「おぼろタオル」です。明治41(1908)年に森田庄三郎が「朧染タオル製造法」の専売特許で創業しました。変わった名前ですが、その由来は、「味もそっけもないタオルに図柄をのせたいとヨコ糸だけが染まる技術を開発し、白いパイルの下におぼ ろげな模様を描いた」ことだそうです。
Img_2160c 門を入ったところに直売所があります。ここで、本日2つめの特典として、Img_2158c 「おぼろガーゼタオル」をいただきました(オリジナル商品のページに載っています)。何と、\400という値段がついていました。片面がタオル、片面はガーゼという優れもの。作家の林真理子さんがブログで「肌をいためず、こすると怖いぐらい垢がポロポロ」と書いていらっしゃいました。まだ使っていませんが、これは使う価値十分にありですね。
Img_2168c 設定されたコースはここまでで、本来、あとは江戸橋駅に戻るだけですが、伊勢別街道をも少し南へ進みます。これまでに2度ほど見たのですが、江戸橋の常夜灯を改めてみてこようという次第。ちなみにこの道は、上述のように、江戸橋駅から非常勤先に通う経路。
Img_2171c 江戸橋の常夜灯です。江戸橋駅の南東120mあまりのところ、現在工事Img_2173c 中の江戸橋の西詰の追分のところにあります。津市内に現存する最古のもので、津市指定史跡となっています。これで今日は、津市内最大の常夜灯と、最古の常夜灯を見たことになります(微笑)。高さは、約5.4m、最下壇の幅2.8mで、安永6(1777)年の銘が刻まれています。
Img_2176c 常夜灯の前には、道標もあります。道標には「左高田本山道」とありまImg_2177c す。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞です。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。
Img_2187c 最終寄り道スポット(笑)は、江戸橋。志登茂川にかる、津市道江戸橋上Img_2182c 浜町線の橋です(国道23号線の方は、新江戸橋)。江戸時代には橋はかかっており、津藩主・藤堂氏が参勤交代の時には、この橋の傍まで見送りに来たことが橋の名の由来とされます。河川改修事業にともなって、平成27(2015)年度から架け替え工事が行われています。平成31(2019)年3月下旬までの予定だそうです。
Img_2198c  200m足らず歩いて、ゴールの近鉄名古屋線・江戸橋駅

Img_2199c

へ。1回目にも書きましたが、9時45分に歩き始めて、ゴールは13時30分。実測で、11.4㎞でした。冷たい北風の中、よく歩きました。この日(1/11)の歩数は、21,950歩でした。自宅から桑名駅往復が、2.2㎞ありますので、それもプラス。13時42分発の急行・名古屋行きに乗って帰宅。桑名駅着は、定刻14時23分でしたが、5分ほどの遅れ。電車賃は、片道¥690なり。今回も、しっかりと楽しめました。
 またもや長々とお付き合いくださり、御礼申し上げます。間違いその他、お気づきの点がありましたら、是非ともご教示ください。

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コメント

おユキさん、お陰様で無事ゴールしました。
西国八十八箇所霊場巡りではありませんが、「同行二人」という言葉を連想しました(笑)。

専修寺も、一身田寺内町も見所多数です。
そのため、昨日もまた出かけてしまいました(微笑)。
どこもそうなのでしょうが、観光案内などに書かれているところ以外にいろいろとあるものです。

神社に祀られている神様の名前、難しいです。
もっと若ければ、たちどころに記憶できたかも知れませんが、もう無理です(苦笑)。
古事記の解説本を読むと、日本の神々の説明が載っているのですが、なかなか理解できません。
確かに舌をかみそうです。
同じ一つの神様にも、いくつもの別名があったりしますから、なかなかです。

常夜灯と橋を一緒にしてはいけませんが(微笑)、確かにおっしゃるとおりかも知れません。
それを達成できるのは、来年です。

投稿: mamekichi | 2018年1月17日 (水) 20時03分

mamekichi先生、
無事、ゴールしました(笑)。

これだけ見所のある土地ですと、チェックしきれませんね。
これは、春からの通勤にお弁当を持参して、帰りにちょっとづつ寄ってみなければ・・・?

今回、神様のお名前がたくさん出てきて、良く分かったのは
洋の東西を問わず、神様の名前は下を噛む、ということです(苦笑)。

最大と最古の常夜灯と、江戸橋が完成していれば、最新も揃ったのに、と思ったのは、私だけでしょうか?

投稿: おユキ | 2018年1月16日 (火) 19時56分

ミリオンさん、こんばんは。
長い話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
専修寺や、一身田寺内町は、まだ見ていないところの方が多そうで、もう一度行きたいと思っています。
雰囲気の良いところですから、ゆっくり楽しんだ方が良さそうです。

神社の名前は、それぞれに由来、由緒もあり、難しいですね。
神社の名前や、地名は、漢字での表現が時代に伴って変わってきたりしますので、アタマを柔軟にして理解した方が良さそうです。

おぼろタオルは、私も非常勤の講義に行くまでは知りませんでしたが、良い品物をつくっているようですよ。

投稿: mamekichi | 2018年1月14日 (日) 20時10分

ひらいさん、こんばんは。

長久手読みにくいものをお読みくださり、ありがとうございました。
距離が長かったのも大変でしたが、強風と、コースのあちこちから見えるも乃音、なかなか専修寺にたどり着けなかったのも大変でした(笑)。
江戸橋駅から津駅あたりは、昔の鉄道の廃線跡もあるんだそうですね。
撮り鉄にも良さそうです。

江戸橋あたり、私も講義に行くようになって親しみが持てるところになりました。
江戸橋の架け替え工事は、完成にはまだ1年あまりかかるようです。
野鳥は、今回、見当たりませんでした。
工事が行われているとさすがに嫌がるのでしょうね。

投稿: mamekichi | 2018年1月14日 (日) 20時06分

こころんさん、こんばんは。

今回もお読みくださり、ありがとうございます。
専修寺のお七夜には、一度は行きたいと思っていました。
こういう機会がないと自分ではなかなか出かけられませんでした。
そういう意味でも、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングの企画はありがたいものです。

石積神社、近くに2つ同じ漢字で各神社があるというのは、何か理由があるのだろうと思うのですが、そこまで調べられていません。
神社に祀られている神様は、それぞれに理由がありますが、おっしゃるように多度大社と同じ神様もいらっしゃいました。

高田派のお経は、東本願寺(大谷派)の家で育った私からすると、抑揚に乏しいように思ったのですが、法事など、たくさんでお勤めをしますと、合唱のような響きが感じられます。
お経は、たくさんの方でお勤めをするようにできている気がします。

専修寺は3回目でしたが、立派なお寺です。
寺内町を形成していますが、この町の方はすべて専修寺の門徒です。
こういうことも立派なお寺ができた背景にあるように思います。
御非時も一度は味わってみたかったものですが、側にいた方の話につられて唐門近くの御飯講に行きましたが、比べてみないと何ともいえませんね。
お七夜は16日までですし、御非時券もまだありますから、もう一度いって、別のところのものをいただいてこようかと考えています(微笑)。

おぼろタオルは、非常勤講師に行き始めたときから意識していたのですが、行って見る機会がありませんでした。
岐阜の会社との製品開発の話は何かで見た記憶がありました。
こういうオリジナルなものを持たないと生き残れない世の中ですね。
ガーゼタオル、まだ試していませんが、使ってみようと思っています。

ところで、専修寺のある一身田寺内町は、おっしゃるように良い雰囲気のところです。
全体を歩いて見て回りたいところです。
専修寺も良いお寺です。
如来堂の北には庭園もあります(納骨に行ったときのリンクを診ていただくと、その一部の写真も載せてあると思います)。

昨日は冷えましたね。
播磨中央公園でも分厚い氷が張っていて驚きました。
寺町近くの住吉入江も凍っていたそうです。
わが家のメダカ、減ってしまいましたが、8匹が寒さに耐えています。
近親交配を重ねるとよくなさそうなので、新しい系統を導入しようかと思っています。

投稿: mamekichi | 2018年1月14日 (日) 20時03分

こんにちは、専修寺へ近鉄ハイキングお疲れさまでした。
本山というだけあって大きなお寺で周辺も歴史もあり見応え十分なハイキングでしたね。
神社など神様の名前は漢字で書いてあると難しくて読めませんね。
津にタオルの会社があるのは知りませんでした。

投稿: ミリオン | 2018年1月14日 (日) 13時49分

mamekichiさん、こんばんは!

近鉄ハイキング、楽しく読ませて戴きました、かなり長距離で、結構大変だったのではないでしょうか。以前総合文化センターから江戸橋駅経由、津駅までのコースで撮り鉄を楽しんだのを思い出しました。江戸橋の常夜灯・おぼろタオルの工場辺りは、良く知ってる所です。志登茂川の橋は、まだまだ完成には時間が掛かりそうですね、さすがに野鳥達も来てないようですが、ここも野鳥の楽園でした、また行ってみたい所です。

投稿: ひらい | 2018年1月13日 (土) 22時04分

こんばんわ
専修寺コースお疲れ様でした。
近くに同じ名前の石積神社があって間違えそうですね(^_^;)
読み方が違うから口で道を訪ねる時は間違えないかもしれませんが。
多度大社と同じ神様も祀られてるんですね。

高田派のお経はまだ聞く機会がありませんが
東や西とまた違ったリズムがあるのでしょうかね?
立派なお寺ですね。
お寺の食事ができるのはいい機会ですね。
2箇所あって味が違うんですね。
食べ比べてみないとフェイクニュースかもしれませんが(^_^;)

おぼろタオルは昨年テレビ愛知のガイアの夜明けで
岐阜の糸の会社と製品開発をしてました。

専修寺の周りはいい雰囲気の町並みですね。
国宝が見たいし一度歩いてみたくなりました。
楽しませていただきました。

今朝、蓮が植わってるプランターの水面が凍ってました。
厚さ2センチはありましたよ。
息苦しいかと思い急いで割ってあげなきゃと思いましたが
厚くてなかなか割れませんでした。
メダカやエビは今底の方でジッと春を待ってます。

投稿: こころん | 2018年1月13日 (土) 21時25分

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